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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.04.14 Sun » 『イシスの廃墟』

【承前】
 さて、ケリー・フリースのイラストを売りにした《スターブレイズ・エディション》紹介2冊めは、マリオン・ジマー・ブラッドリーの The Ruins of Isis (Donnning, 1978) だ。アスプリンの本とちがって、この作品はこれが初版である。

2008-6-1 (Ruin 2)2008-6-1 (Ruin 1)

 読んでないので内容はわからない。出版社がつけた紹介文もないが、なぜか表紙絵の説明がある。それによると、イシスというのは地球人が植民した惑星で、その宇宙船が〝廃墟〟に保存されているらしい。文化は独自の発展をとげていて、女性優位の社会で男が虐げられている模様。左側の金鎖でつながれた男は、貴婦人のペットで、「よく訓練されているが、精神が不安定なので悪名高い」と書いてある。その下に描かれた男たちは、そういう状況を呪っているのだろうか。きっとそうにちがいない。ちなみに、複製画販売のお知らせがある。(2008年6月1日)



2013.04.12 Fri » 『彼の子供たちの肖像』

【前書き】
 以下は2009年4月13日に書いた記事である。誤解なきように。


 この夏に出すジョージ・R・R・マーティン短篇集の仕事で、しばらくマーティン地獄にはまっていた。自分で選んだわけだが、重苦しくて、とげとげしくて、読むとイヤーな気分になる作品ばかり。こういうのは訳していて精神的にこたえる。これからゲラが来るわけだが、いまから気が重い。
 とはいえ、いまは一時的に解放感に浸っているので、翻訳テキストに使ったマーティンの本を紹介しよう。とはいえ、全7篇中5篇は大部の傑作集 Dreamsongs (2007)、1篇はホラー短篇集 Songs the Dead Man Sing (1983)を底本にしたので、すでに紹介ずみ。したがって、残るは1冊だけなのだが。

 その1冊というのが Portraits of His Children (Dark Harvest, 1987) だ。もっとも、当方が持っているのは、例によって1992年にベインから出たペーパーバック版だが。

2009-4-13 (Portraits of His Children)

 “A Sketch of Their Father”とイキな題名のついた序文をロジャー・ゼラズニイが寄せている。マーティンとは「お隣さん」のよしみだが、ニューメキシコ州の基準なので、じっさいは何百キロも離れて住んでいたらしい。ちなみに、フレッド・セイバーヘーゲンやジャック・ウィリアムスンも「お隣さん」。みんな故人になっているのが、なにか悲しい。

 収録作はつぎのとおり(アステリスクが付されている作品は、当方編訳による短篇集『洋梨形の男』に収録予定)――

1 夜明けとともに霧は沈み
2 The Second Kind of Loneliness
3 The Last Super Bowl
4 The Lonely Songs of Laren Door
5 アイスドラゴン
6 〈喪土〉に吼ゆ
7 成立しないヴァリエーション *
8 終業時間 *
9 Under Siege
10 グラスフラワー
11 子供たちの肖像 *

 このうち8は、この本をテキストに使った。駄洒落一発の他愛ない作品であり、アチラの決定版傑作集にはいらなかったのも当然だが、箸休めに1篇くらい陽性の作品がほしくて、当方の編む短篇集には入れることにした。

 未訳作品について簡単に触れておくと、2は宇宙版「灯台守」の話。辺境の宇宙ステーションにひとりで勤務する男が、徐々に狂気に犯されていくさまを描く。
 3は一転して、アメリカン・フットボール人気が凋落した未来を舞台に、最後のスーパーボウルを取材する記者の話。むかし「擬似イベント」といわれていた類のSFで、マーティンとしては意外だが、これはこれで面白い。マーティンは大学でジャーナリズム専攻だったそうで、その面が発揮されている。
 4は異世界ファンタシーの変種。次元を放浪する女の話。
 9は一種の時間旅行譚。ヴァイキング時代の北欧で迫力満点の攻城戦が展開される。

 聞くところによると、マーティンの宇宙SFを集めた短篇集を日本オリジナルで出す計画があるらしい。1や10はきっとそこに入るだろう。首を長くして待つとしよう。

蛇足
 
 本書の表紙絵は、ポール・チャドウィックという画家の手になるものだが、じつは使いまわし。ブルース・スターリングの短篇「スパイダー・ローズ」が、〈F&SF〉1982年8月号のカヴァー・ストーリーになったときの絵なのだ。現物を発掘してきたので、スキャンして載せておく。

2009-4-13 (F&SF)

(2009年4月13日)




2013.04.11 Thu » 『夜飛ぶものたち』

 昨日のつづきで「ナイトフライヤー」ロング・ヴァージョンの話。

 これは幽霊屋敷ならぬ幽霊宇宙船を舞台にしたSFホラー。「サンドキングズ」の成功で味をしめたマーティンが、ふたたびSFとホラーのハイブリッドに挑戦し、みごとに成功をおさめた作品である。

 最初〈アナログ〉1980年4月号に発表されたときは180枚のノヴェラだった。邦訳はこのヴァージョンに基づいている。表紙絵とイラストはポール・レアが描いている。

2008-2-6 (analog)

 だが、作者はこの長さを窮屈に感じていたらしい。とりわけ脇役の性格を書きこめなかったことが心残りだったとのこと。

 そこへ辣腕で知られるデル・ブックスの編集者ジム・フレンケルから、この作品を書きのばさないかという提案があった。フレンケルは当時300枚弱のノヴェラ(あるいはショート・ノヴェル)2本をカップリングした《バイナリー・スター》というシリーズを出しており、そこに収録したいというのだ。
 マーティンにとっては渡りに船のような話。早速265枚に書きのばし、81年に Binary Star #5 として刊行した。ちなみにカップリング作品は、いまやセミ・クラシックとなったヴァーナー・ヴィンジの『マイクロチップの魔術師』である。

 この本を紹介できればいいのだが、あいにくと持っていない(追記参照)。かわりにこれを表題作としたマーティンの第五短篇集 Nightflyers (Bluejay, 1985) を紹介する。版元のブルージェイは、フレンケルが創設したが、すぐに潰れた出版社。ただし、当方が持っているのは87年にトアから出たペーパーバック版だが。

2008-2-9(Nightflyers)

 例によって目次を書き写すと――

ナイトフライヤー *
Override *
Weekend in a War Zone
七たび戒めん、人を殺めるなかれと *
Nor the Many-Colored Fires of a Star Ring
ライアへの讃歌 *

 マーティンの短編集は作品の重複が多い。本書もその例に漏れず、これまでの短篇集にはいっていた作品が4篇もある。アステリスクのついている作品がそれにあたる。「ナイトフライヤー」ロングヴァージョンも、すでに第四短篇集 Songs the Dead Men Sing (1983) に収録されていたのだ(この本は前に紹介した)。それでもファンは買ってしまうから、商売上手というべきか。

 さて、問題のロング・ヴァージョンだが、原型とくらべると、プロットにまったく変化はない。細部の書きこみが綿密になっているだけ。しかし、ホラーというのは、綿密な描写で雰囲気を盛りあげていくところが肝なので、この書きのばしは成功だといえる。
 とにかく宇宙船内にほんとうに幽霊がいて、乗組員をつぎつぎと殺していくのだ。一歩まちがったらギャグにしかならないが、マーティンの手にかかると、息づまるようなサスペンスが持続する。似たようなタイプの作品を書くアレステア・レナルズみたいな下手くそな作家には、マーティンの爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなる。

 余談だが、「ナイトフライヤー」は映画になった(邦題は「デーモン・ギャラクシー 魔女伝説」)。聞くところによると、ものすごく出来の悪い映画で、監督は自分の名前をクレジットからはずしたという。当方は未見だが、だれか見た人はいますか?(2008年2月9日)

【追記】
 この日記を読んだ山岸真氏が、関連記事を書いたうえで〈バイナリー・スター〉版のイラストを公開してくださった。お許しを得たので、その日記を抜粋してお目にかける。山岸氏に深謝。
 以下のリンク先へ飛んでください。
http://sfscannerdarkly.blog.fc2.com/blog-date-201202.html


2013.04.10 Wed » 『夢歌』

【承前】
 蔵書自慢。ものはジョージ・R・R・マーティンの中短篇精華集 Dreamsongs (Bantam, 2007) である。

 これは2003年に GRRM: A RRetrospective としてサブテラニアン・プレスから出た限定版書籍の普及版。題名は2006年に英国で出たゴランツ版をいただいている。
 元版は1000ページを超える大部の豪華本で、ちょっと貧乏翻訳家に買える値段ではなかった。ようやく普及版が出たので買ったしだい。こちらは2分冊だが、それでも各巻が700ページ前後の大型ハードカヴァー。重さも嵩もかなりのものだ。ちなみに、マイクル・カルータのイラスト入り。

2008-2-8(dream1)
2008-2-8(dream2)


 ガードナー・ドゾアの序文につづいて、マーティンの作品が34篇おさめられている。邦訳があるのは「ヒーロー」、「サン・ブレタへの出口」、「夜明けとともに霧は沈み」、「ライアへの讃歌」、「この灰にけぶる塔」、「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」、「ストーン・シティ」、「ビターブルーム」、「龍と十字架の道」、「アイスドラゴン」、「〈喪土〉に吼ゆ」、「忘れえぬメロディ」、「サンドキングズ」、「ナイトフライヤー」、「モンキィ・トリートメント」、「魔獣売ります」、「守護者」、「シェル・ゲーム」、「皮剥ぎ人」、「グラス・フラワー」、「放浪の騎士」の21篇(追記参照)。ただし、「ナイトフライヤー」は邦訳のないロング・ヴァージョンが採られている。

 残りの作品も秀作ばかりで、おそろしく質の高い作品集だといえる。
 
 当方はマーティン・ファンだが、目次を見てそれをあらためて実感した。というのも、読んだことのない作品はデビュー前の習作3篇とハリウッド時代の脚本2篇だけだったからだ。
 しかし、この本の値打ちは小説以外のところにある。全体が9部に分かれ、マーティンの軌跡を概観できるようになっているのだが、その各部の冒頭に作者の回顧エッセイがついているのだ。さらに巻末にはレスリー・ケイ・スワイガートという人の作った詳細な書誌がつく。まさに至れり尽くせりで、これだけで手に入れた価値はある。
 まだ撫でさすっただけで、中身は全然読んでないが、面白い裏話などは、今年出す予定のマーティン傑作集のあとがきに書くつもり。乞御期待。(2008年2月8日)

【追記】
 この時点で未訳だった「成立しないヴァリエーション」、「洋梨形の男」、「子供たちの肖像」は、拙編のマーティン傑作集『洋梨形の男』(河出書房新社、2009)に訳出できた。
 なお、上記回顧エッセイの内容は、同書の編訳者あとがきに要約しておいた。


2013.03.06 Wed » 『星を見つけるもの』

【承前】
「毒を食らわば皿まで」ということで、ロバート・F・ヤングの長篇、最後の1冊を読んだ。Starfinder (Pocket, 1980) である。
 表題は主人公の名前なので、訳さないのがセオリーだが、掲題ではあえて訳した。

2011-1-27(Starfinder)

 これは宇宙クジラの話。クジラといっても、姿形は地球のクジラとは似ても似つかない。小惑星のような形をした生物で、時間を超える力がある。人類がこれを捕まえ、脳(正確には神経節)をとりのぞいて内部を改造し、宇宙船にしている時代が舞台だ。

 主人公のスターファインダーは、クジラを殺しすぎて罪悪感をおぼえるようになった捕鯨士。身を持ち崩したうえに、交情中、相手の女を殺してしまい(ただし、簡単に蘇生できる)、逃亡を余儀なくされる。まだ艤装中の宇宙クジラを盗もうとしたところ、このクジラには脳がふたつあって、ひとつが生き残っているとわかる。テレパシーでクジラと意思を通じたスターファンダーは、ともに時空の旅へ乗りだすのだった……。

 本書はちょっと実験的な書き方がされている。ひとつは現在形の文章。もうひとつは、宇宙クジラが絵文字で意思を表す趣向。

2011-1-27(Starfinder 2)

 上に掲げた図を例にとると、順に「時空の海」、「人間」、「宇宙クジラ(*印が脳)」を表していて、全部が合わさると「人間が宇宙クジラに乗って時空の海を航行する」という意味になる。

 時間旅行が出てくるので、例によって「たんぽぽ娘」的展開があるのだが、あとはいわぬが花だろう。代わりに表紙の説明をしておくと、青い薔薇はクジラの神経節の象徴。じっさいにこういう形をしているのだそうだ。(2011年1月27日)

【追記】
 本家〈SFスキャナー〉では、〈SFマガジン〉1982年5月号掲載の同欄で大野万紀氏が本書を紹介されていた。


2013.03.05 Tue » 『最後の世界樹』

【承前】
 ロバート・F・ヤングの長篇その3は、エコロジーSF The Last Yggdrasill (Del Rey, 1982) だ。原型は「妖精の棲む樹」(1959)という130枚の中篇で、深町眞理子訳が〈SFマガジン〉1972年7月号に載っている。ちなみに、同誌はその前号でヤング特集を組んでいるので、長さの関係でそちらに載せきれなかったのかもしれない。

2010-12-23(The Last)

 舞台は惑星プレインズのニュー・アメリカと呼ばれる地。小麦の栽培に適した土地柄で、広大な小麦畑が広がっている。もともとはイグドラシルという途方もない巨木が点在していたのだが、農耕の邪魔だというのでつぎつぎと切り倒され、いまでは最後の一本が残るのみ。
 主人公のストロングは、その最後の木を切り倒しにきた伐採チームの一員。彼が樹上にキャンプしながら、4日がかりで木の枝を伐採し、最後に幹を切り倒す手はずになっている。
 おりしも、その模様を録画しようと報道チームがやってくる。そのリーダーのメリジェーンは、ストロングの元恋人。ふたりのあいだには、感情のもつれが残っていて、ストロングは動揺を隠せない。
 さて、作業初日、彼は木の葉のあいだに不思議な少女の姿を見る。伝説のドリュアス(木の精)なのか、それとも目の錯覚にすぎないのか。その夜、彼はドリュアスの訪問を受け……。

 いままでの3冊のなかで、本書が原型中篇といちばんちがっている。そして、その改稿がいちばん裏目に出ている。というのも、登場人物をふやし、その内面を書きこむことで長篇(といっても300枚弱だが)にしているのだが、その心理描写とやらがお粗末きわまりないからだ。
 内面を書きこむといえば聞こえがいいが、要するに痴話話やら三角関係の話が、回想や内的独白の形で延々とつづくわけで、正直いって読むに耐えない。
 ヒロインのメリジェーンも魅力がない。ストロングに未練があるのに、好きでもないストロングの同僚とダラダラと肉体関係をつづけているという女。もう完全に昼メロの世界である。こういうのが現代的な小説だというまちがった思いこみが、作者か編集者にあったにちがいない。

 それなりに面白いエコロジーSFとしての謎解きが、とってつけたようなのもマイナス点。
  
 この作品で、ヤングはみずからの美質をすべて捨ててしまった。ひょっとすると、これまで紹介した2作がおとぎ話に近かったのは、本書での反省を踏まえたうえだったのかもしれない。(2010年12月23日)

2013.03.04 Mon » 『エリダーン』

【承前】
 ロバート・F・ヤングの長篇その2は、恐竜時代+時間旅行という趣向が楽しい Eridahn (Del Rey, 1988) だ。原型は「時が新しかったころ」(1964)という110枚の中篇で、市田泉訳が拙編のアンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫)に収録されている。

2010-12-22(Eridahn)
 
 主人公のカーペンターは、1998年(!)の古生物学協会につとめる下っ端の調査員。愛用のトリケラタンク(トリケラトプスに偽装した地上走行車)に乗り、タイムマシンで白亜紀へやってきた。その時代の地層に、あるはずのない現代人の骨の化石が見つかったからだ。
 白亜紀に到着早々、カーペンターは、恐竜に追いつめられ、木の上で立ち往生していたローティーンの姉弟を助けだす。どこからどう見ても現代のアメリカ人だが、言葉がまったく通じない。だが、姉弟が持っていた万能翻訳機のおかげで会話が成立。ふたりの話によると、彼らは火星の住民で、グレーター・マーズという国の王女と王子。地球へはテロリストに誘拐されて、連れてこられたのだという……。
 
 表題の「エリダーン」は、グレーター・マーズの住人が地球の一部につけた名前。彼らは地球への植民を試みたが、障害が多くて挫折し、50年ほど前に植民地を放棄したことになっている。

 昨日紹介した本と同様、本書も原型のプロットはそのままに、人物やエピソードを書き加えることで長篇にしている。特記しておきたいのは、八千万年前の火星人と20世紀の地球人が生物学にまったく同じという点に一応SF的な説明がなされている点。どちらも「ク」という異星人が種を蒔いたからだというのだ。これは原型中篇になかった特徴である。

 最後は例によって「たんぽぽ娘」と同じパターンのハッピーエンド。どういうことかというと、冴えない中年男とローティーンの少女の淡い恋が描かれ、タイムマシンという便利な道具のおかげで少女だけが年をとり、ふたりが成人として(つまり、社会的なタブーに触れない形で)結ばれるというパターンである。まあ、究極の願望充足ですな。(2010年12月22日)

【追記】
 本家〈SFスキャナー〉では、米村秀雄氏が〈SFマガジン〉1983年10月号の同欄で本書を紹介されている。

2013.03.03 Sun » 『宰相の次女』

 思うところあって、ロバート・F・ヤングの長篇を読んでいる。

 ヤングは本質的に短篇作家だが、SF短篇集を出しにくくなった時流には逆らえず、晩年に長篇を4冊つづけて出した。といっても、そのうちの3冊は、既発表の中篇を書きのばしたショート・ノヴェルで、原型中篇よりはむしろ出来が悪くなっているのだが。
 ともあれ、刊行とは逆の順番にとりあえず3冊読んだので、内容を記しておこう。

 まずは The Vizier's Second Daughter (DAW, 1986)から。表紙絵はサンジュリアン。このころは大活躍だった。

2010-12-21(Daughter)

 表題の一部にもなっているワジールは、イスラム教圏の高官や大臣のこと。その次女が本書のヒロインで、名前はドニヤザード。高名なシェヘラザードの妹だ。といえばお判りのように、本書は『千夜一夜物語』のSF版である。
 原型は「真鍮の都」(1965)という130枚の中篇で、山田順子訳が〈SFマガジン〉1986年6月号に載っている(追記参照)。

 ときは22世紀。タイムマシンが実用化され、歴史的に重要な人物を誘拐してきて、その複製(自動人形)を作り、記憶を消して元の時代へ送り返すという商売が成立している。新米誘拐者のビリングズにあたえられた任務は、9世紀のアラビアへ飛び、『千夜一夜物語』の語り手をスルタンのハーレムからさらってくること。
 首尾よく任務達成と思いきや、さらってきたのはシェヘラザードではなく、その妹だと判明する。さらにタイムマシンに事故が起こり、時間も場所も不明なところへまぎれこんでしまう。そこには『千夜一夜物語』に登場するジンそのものが住んでおり、〈真鍮の都〉と呼ばれる都市宮殿を築いていた……。

 欠点を指摘しようと思えばいくらでも指摘できるが、そういう気がまったく起こらない。読んでいるあいだは楽しいので、娯楽小説としてはこれでいいのだろう。
 ちなみに、ジンそっくりの生物は、はるか未来の地球からこの地へ観光に来ている異星人だとわかる。この辺のSF的合理化が、いまとなっては懐かしい。
 最後は「たんぽぽ娘」と同じ趣向のハッピーエンドで、邦訳したら、受けそうな気がする。(2010年12月21日)

【追記】
 近くこの中篇をふたたび世に出せることになった。いま編んでいるアンソロジーに収録する。詳細は後日。

2013.02.26 Tue » 『独身者の機械』

 傑作がそう簡単には見つからない話をもうひとつ。
 〈ローカス〉の年度総括で、ある書評者が「まったく知らない作家がすごい本を出していた」と興奮気味に誉めていた。なんでもサイバーパンク仕立てのハードコア・ポルノで、SFのカッティング・エッジだという。
 それがM・クリスチャンという新人作家の The Bachelor Machine (Green Candy Press, 2003)という第一短篇集。表題はミシェル・カルージュの名著からのいただきだろう。これだけでインテリが作った本だとわかる。ひょとしたら、〈奇想コレクション〉あたりで使えるのでは、という下心もあって読んでみた。

2005-5-6 (machine)

 結論から先にいえばイマイチ。たしかにサイバーパンク仕立てのハードコア・ポルノで、ガジェットの使い方は堂に入っているし、ポルノとしても実用に耐える。卑語猥語と未来の造語らしきものが入り混じった文体も面白く、エロいシーンでも妙なユーモアがただよっている点も悪くない。

 だが、210ページの本に全19篇収録と書けばわかるとおり、1篇ずつが短すぎて、ポルノの部分ばかりが肥大して見えるのだ(まあ、そっちがお目当ての読者層が対象なのだろうが)。要するに、SFとしては食い足りない。
 
 たぶん同じレベルのSFポルノは、日本にもたくさんあるだろう。それなら、わざわざ訳すまでもない、という結論が出たのだった。(2005年5月6日)

2013.02.03 Sun » 『デーモン・ナイト傑作集』

【承前】
 デーモン・ナイトの楽屋オチ短篇“A Likely Story”が収録されている本を紹介しておこう。The Best of Damon Knight (Doubleday, 1976) である。珍しくこれはハードカヴァーで持っている。

2006-3-14 (Knight)

 題名どおり、この時点までのナイトの代表的短篇を22篇集めたもの。作者自身が各篇にコメントを寄せているほか、バリー・N・マルツバーグの短い序文がついている。

 収録数が多いので、邦訳がある作品だけあげると、収録順に――「男と女」、「人類供応のしおり」、「心にひそむもの」、「バベルⅡ」、「早熟」、「奇妙な届け物」、「時を駆ける」、「むかしをいまに」、「壺の中の男」、「敵」、「吸血鬼」、「人形使い」、「おみやげはこちら」、「仮面{マスク}」の14篇となる。

 このなかでいちばん有名なのは、《トワイライト・ゾーン》のエピソードにもなった「人類供応のしおり」だろう。じっさいこの本の表紙絵の題材になっている。
 
 わが国で独自に編まれたナイトの短篇集『ディオ』(青心社、1982)とは「壺の中の男」と「時を駆ける」しか重なっていない。

 「仮面」は当方が気に入って訳し、アンソロジー『影が行く――ホラーSF傑作選』(創元SF文庫、2000)に収録した。サイボーグものの名品だと思う。

 ナイトはスタイリストなので、翻訳では魅力が伝わりにくい面がある。未訳作品は特にその傾向が強い。だから、よっぽど熱心な紹介者があらわれないかぎり、今後も翻訳は進まないだろう。

 といったそばからなんだが、超絶技巧を駆使した時間SF「むかしをいまに」は、近いうちに復活させる。いま企画している時間SFアンソロジーに入れるつもり。乞御期待。(2006年3月14日)

【追記】
 この後、ロマンティック時間SF傑作選と銘打った『時の娘』(創元SF文庫、2009)に「むかしをいまに」を収録することができた。旧訳の訳者だった浅倉久志氏が、一から訳しなおしてくださった新ヴァージョンである。ぜひお読みください。