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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.06.25 Tue » 訃報――マーティン・H・グリーンバーグ

【前書き】
 本日は世界一の生産量を誇ったアンソロジスト、マーティン・H・グリーンバーグの三回忌である。故人を偲んで、以下の記事を公開する。


 アメリカのアンソロジスト、マーティン・H・グリーンバーグが25日に亡くなったそうだ。享年70。癌との長い闘いの末とのこと。

http://www.locusmag.com/News/2011/06/martin-greenberg/

 周知のとおり、いろいろなパートナーと組んでアンソロジーを量産した人。アシモフやシルヴァーバーグと組んだ本が有名で、邦訳もたくさん出ている。選ぶ作品は玉石混淆で、むしろ石が多い。したがって高い評価はできないが、珍しい作品を発掘してくれるので、当方としてはありがたかった。拙編のアンソロジーにもグリーンバーグのアンソロジーから採った作品がたくさんはいっている。その意味でたいへん世話になったので、故人には感謝するばかりだ。

 じつはグリーンバーグの創作をひとつだけ読んだことがある。アイザック・アシモフ、マーティン・H・グリーンバーグ&チャールズ・G・ウォー編の Spells (Signet, 1985) というアンソロジーに書き下ろされた“A Literary Death”という邦訳して7枚ほどのショートショートである。表題は非常に訳しづらいが、「文芸に関連した死」くらいの意味である。

 グリーンバーグがアシモフに書いた手紙という形式をとっており、ある新人作家が編集者を裏切ったために呪いをかけられ、変死をとげた顛末が語られる。その呪いは「おまえは11月20日午後2時に文芸に関連した死をとげる」というもの。その日時が迫るにつれノイローゼになった新人作家は、出版業の総本山であるニューヨークから車で脱出しようとする。 その途次、書籍を運ぶトラックに衝突し、本人は首の骨を折って即死。車は本になかば埋まってしまう。車の時計は20日の午後1時58分で止まっていた……。(2011年6月26日)

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2013.02.14 Thu » 浅倉久志先生ご命日

【前書き】
 本日はSF翻訳の偉大な先達、浅倉久志先生のご命日だ。故人を偲んで、先生が逝去された当時の日記を公開する。


 みなさまご存じのとおり、翻訳家の浅倉久志先生が2010年2月14日に永眠された。今日はそのお通夜に行ってきた。

 故人の強い遺志ということで、本当に少人数のお通夜。自分なんか出席していいのかと思ったが、どうしても最後のお別れをいいたかったのだ。
 昨年の夏から体調をかなり悪くされていることは聞いていて、お見舞いに行きたかったのだが、本人が固辞されているそうで、まわりから止められていた。おりしも編纂した〈ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク〉や『時の娘』や『跳躍者の時空』ですばらしい訳文を提供していただいていた時期(追記1参照)。いちど会ってお礼をいわなければならないと思っていた。だから、ものすごく悔いが残っている。

 当方にとって浅倉さんは、偉大な先輩であると同時に、デビューのときに訳稿を添削してくださった大恩人である。アンソロジストとして活動をはじめてからは、どれだけお世話になったか筆舌につくしがたい。どれほど感謝してもしきれないのだ。
 
 浅倉さんとの思い出については、日をあらためて書く(追記2参照)。いまはただひとこと――安らかにお眠りください。(2010年2月17日)


 昨日は浅倉久志先生の告別式に参列してきた。

 天も涙を流しているのか、本格的な降雪。鉄道各線に遅れが出て、午前9時の開始に間に合うかハラハラしたが、どうにか無事に出席できた。

 前日にお別れをしたので、気持ちの整理はつけたつもりだったが、読経が終わって、僧侶が「これから火葬に付されると、この体はなくなります」という意味のことをいったとたん、目頭がカッと熱くなった。世の無常をこれほど痛切に感じたことはない。

 だが、浅倉さんの体がなくなっても、浅倉さんの翻訳がなくなるわけではない。それを伝えていくのが、残された者の使命だろう(追記3参照)。
 といっても、大げさなことではない。浅倉さんの翻訳を読みついで、そのすばらしさを表明すればいいだけの話。英米SFのファンなら、ふつうにやっていることだ。ある方が書いておられたが、浅倉さんの翻訳は「水や空気のようなもの」なのだから。

 行き帰りの電車のなかでは、浅倉さんが大好きだったジャック・ヴァンスの『竜を駆る種族』を読んでいた。浅倉さんの代表的な翻訳といえば、ディックやヴォネガットということになるのだろうが、当方にとってはヴァンスである。
 〈SFマガジン〉が400号記念で再録特集を組んだとき、当方は迷った末にヴァンスの「月の蛾」を推薦した。そのあと浅倉さんにお会いしたとき、「読み返したら、意外に面白かった」とおっしゃられたのをよく憶えている。そのとき当方は、「なにをいってるんですか。大傑作じゃないですか」と返したのだった。いま思うと、冷や汗が出てくる。

 そういう無礼なファンにも、浅倉さんは笑って対応してくださった。あれを見習わねば、といまさらながら思っている。(2010年2月19日)

【追記1】
 浅倉さんの最後の訳業は、〈ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク〉第3巻『メデューサとの出会い』(ハヤカワ文庫SF、2009)に収録された「無慈悲な空」という短篇だった。

【追記2】
 この後、当方は追悼文をふたつ書いた。ひとつは、浅倉先生の追悼特集を大々的に組んだ〈SFマガジン〉2010年8月号に寄せた「ユーモア・スケッチのこと」、もうひとつはファンジン〈科学魔界〉52号(2010年8月)に寄せた「浅倉さんのこと――追悼に代えて」である。

【追記3】
 いま編んでいるアンソロジーに浅倉さんの埋もれていた翻訳を収録する。ロバート・シルヴァーバーグの「マグワンプ4」という短篇で、〈SFマガジン〉1974年7月号に訳載されたきりだったもの。こうした単行本未収録作品を復活させるのが、当方にできる恩返しだと思っている。春に刊行予定だが、詳細は後日。

2013.02.04 Mon » ジョン・クリストファー一周忌

【前書き】
 本日は英国のSF作家、ジョン・クリストファーの一周忌である。故人を偲んで、以下の記事を公開する。


 英国の中堅SF作家(だった)ジョン・クリストファーが今月4日に亡くなったそうだ。享年89。大往生というべきか。ともあれ合掌。

http://www.locusmag.com/News/2012/02/samuel-youd-aka-john-christopher-1922-2012/

 クリストファーといえば、ジョン・ウィンダムの後継者ともいうべき存在で、「渋い」英国SFのイメージを体現したような作品を書く人だった。あちらでの評価は非常に高い。
 もっとも、代表作『草の死』と『大破壊』はハヤカワ・SF・シリーズで訳出されたものの、けっきょく文庫にはならなかったし、ジュヴナイル方面の代表作《トリポッド》シリーズも学習研究社とハヤカワ文庫SFから二度にわたって邦訳が出たが、あまり評判を聞かないところを見ると、わが国での人気はさっぱりなのだろう。

 当方は高校生のころに『草の死』を読んで、その荒涼たる破滅のヴィジョンに魅せられた口なので、けっこう思い入れがある。
 だいぶあとのことだが、英国児童文学界の雄、ジョン・ロウ・タウンゼンドが著した『子どもの本の歴史』(岩波書店)を読んでいたら、クリストファーの作品が絶賛されていて、なんだか嬉しくなったことを思いだす。

 本棚をひっかきまわして、クリストファー関連の本を探してきた。いまとなっては珍しいと思われる画像を掲げておく。

2012-2-5(Year of Comets)

 上の図版は、SF長篇第一作 The Year of the Comet (1955) のスフィア版ペーパーバック(1978)の二刷(1983)。冷戦が過熱して、熱い戦争に変わりそうなときに、彗星が地球に近づいてきて……という話らしいが、読んでいない。

 あとの2枚は第一期〈奇想天外〉に短篇が掲載されたときの扉ページ。邦訳はここでしか読めないはずである。

blog_import_4f7c559a56bec.jpg

 まずは1974年7月号に載った「職業上の賭」。目次には「中篇SF傑作」と惹句があるが、長さは55枚くらいなので、ヒューゴー賞基準なら短篇である。第一期〈奇想天外〉には短めの作品ばかりが載っていたので、わざわざ「中篇」と謳いたくなるほど編集部には長く感じられたのだろう。

blog_import_4f7c559bcef22.jpg

 つぎは1974年10月号に載った「人類ごっこ」の扉。
 この号は休刊号で、「ショート・ショート・フェスティヴァル」と銘打ってショート・ショートを一挙に19篇掲載した。ピアズ・アンソニイ、ロジャー・ゼラズニイ、エリック・フランク・ラッセルのここでしか読めない作品が載っているので、ファンは要チェックである。(2012年2月5日)

2013.01.04 Fri » 追悼――ジェイムズ・コーソーン

【前書き】
 ムアコックとの共著といえば、紹介したい本があるのだが、その前置きとして2008年12月28日に書いた記事を公開する。つぎの記事と合わせてお読みください。


 イギリスの画家、ジェイムズ・コーソーンが12月2日に亡くなったそうだ。1929年生まれなので、享年78ということになる。
 わが国ではあまり知られていないが、エドガー・ライス・バローズやマイクル・ムアコックの本のイラストレーターとしてイギリスでは絶大な人気を誇った人である。
 特にムアコックとは若いころからの盟友で、エルリックの初期ヴィジュアルはこの人が一手に引き受けていた。手元にその絵があるのだが、見開きでうまくスキャンできないので割愛。かわりにムアコックの初期作品とエッセイを集めたマニアックな単行本 Sojan (Savoy, 1977) の表紙と、前に紹介したマイクル・オショーネシー編の怪物小説アンソロジー The Monster Book of Monsters (Xanadu, 1988) のために描きおろしたイラストを載せておく。ちなみに、後者はレイ・ブラッドベリの名作「霧笛」に付したイラストである。

2008-12-28(Sojan)

2008-12-28(Cawthorn)

 ムアコックとの二人三脚は作家とイラストレーターの関係にとどまらない。フィリップ・ジェイムズ名義で The Distant Suns (1969) という小説を共作し、

2008-12-28(The Distant Sun)

映画「恐竜の島」(1975)の脚本を共同執筆し、ファンタシーのガイドブック Fantay: 100 Best Books (Xanadu, 1988) を多忙なムアコックに代わって著している。最後の本はちょっと面白いので、項をあらためて詳しく書こう。
 いまは謹んで哀悼の意を捧げたい。(2008年12月28日)

2012.10.14 Sun » バリントン・J・ベイリー四回忌

【前書き】
 本日は不世出のSF作家バリントン・J・ベイリーの四回忌だ。故人を偲んで2008年10月16日に書いた記事を公開する。


 去る14日、英国のSF作家バリントン・J・ベイリーが亡くなったそうだ。腸癌につづく合併症のため。享年71。
 
 スペースオペラの枠組みに、マッドな擬似科学的アイデアを大量にぶちこみ、形而上学的な思弁を繰り広げる作風は、ときに「メタフィジカル・スペース・オペラ」と呼ばれ、作者自身も「SF界のボルヘス」と異名をとった。
 1970年代後半から80年代にかけて、その特異な作風は識者のあいだで高く評価されたが、一般的な人気には結びつかず、晩年は不遇だった。最近はすっかり名前を聞かなくなっていたし、新作の期待もかけていなかったとはいえ、やはり残念でならない。 

 本国と同時期に、わが国でも安田均氏と関西SF研究会の面々に端を発するベイリー小ブームが巻き起こり、大学生になったばかりの当方も、ずいぶんと感化されたものだった。
 プロット作りの下手さが目立つ長篇よりは、アイデアを一点集中で掘り下げた短篇のほうが、はるかに素晴らしく思える。短篇集『シティ5からの脱出』(ハヤカワ文庫SF)は、当方にとって、いまでも聖典のひとつである。

 じつは、ベイリーの短編をいくつか訳したことがある。記憶がたしかなら、以下のとおり(追記参照)――

1 地底潜艦〈インタースティス〉  SFマガジン1990年6月号
2 彼岸への旅  SFマガジン1995年4月号
3 ロモー博士の島  SFマガジン1996年11月号

 なかでも1にはとりわけ愛着があり、それなりのエピソードもあるのだが、その話はつぎの機会に。
 とりあえず、いまは故人の冥福を祈るばかりである。(2008年10月16日)

【追記】
 この後〈SFマガジン〉2009年5月号がベイリーの追悼特集を組み、当方は「邪悪の種子」と「蟹は試してみなきゃいけない」という小説2篇の翻訳を担当した。
 この特集は大森望氏の監修で、ほかには氏の特集解説と翻訳「神銃{ゴッド・ガン}」、追悼エッセイ2篇、邦訳著作解題、主要著作リストで構成されており、ベイリー・ファン必携の内容となっている。
 ちなみに、同じ号ではトマス・M・ディッシュの追悼特集も組まれていた。

 じつはこの追悼特集が組まれたのと同じころ、日本オリジナル版のベイリー傑作選を出そうという話が持ちあがった。しかし、非常に厄介な版権上の問題が生じ、この企画は流れたのだった。かえすがえすも残念だ。



2012.05.18 Fri » ジェフリー・ジョーンズ1周忌に寄せて

【前書き】
 以下はジェフリー・ジョーンズの訃報に接した2011年5月20日にしたためた記事である。つぎの記事と合わせてお読みください。


 ファンタシー絵画で有名な画家のジェフリー・ジョーンズが18日に亡くなったそうだ。享年67。死因は肺気腫と心臓病の合併症だという。まだ若いのに、本当に残念だ。

 ジョーンズはわが最愛の画家のひとり。この日記でもたびたびジョーンズの絵を表紙にした本を紹介し、ジョーンズの名前をあげてきた。こういう画風である――

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 上はロバート・E・ハワードの《ソロモン・ケイン》シリーズをまとめた豪華本 Red Shadows (Donald M. Grant, 1978) に付された絵。下はバイロン・プライスの企画もの Weird Heroes Volume 5 : Doc Phoenix (Pyramid, 1977) の表紙。

 わが国におけるファンタシー・アートの第一人者、末弥純氏が私淑していた画家である。この点に関しては、本人の口から聞いたのでまちがいない。末弥氏とジョーンズやバリー・ウィンザー・スミスについて語りあったことが思いだされる。もう30年も前になるのか。
 
 なお、ジョーンズは1990年代末にホルモン投与をはじめて女性になった。本名はジェフリー・キャサリン・ジョーンズである。(2011年5月20日)

2012.04.19 Thu » J・G・バラード3周忌に寄せて

【前書き】
 以下はJ・G・バラードの訃報に接した際にしたためた日記である。3周忌に寄せて、未訳短篇集の紹介ともども公開する。合わせてお読みください。



 訃報。英国の作家J・G・バラード。2009年4月19日、長い闘病の末に死去。享年78。
 前立腺癌が脊髄に転移して末期症状であり、余命いくばくもないことは1年ほど前に公になっていた。だから、この日が近いうちに来ることはわかっていたが、それでも衝撃は大きい。若いころ夢中になった作家の訃報は別格なのだ。自分の人生の一部がもぎとられたように思えるから。ともあれ、安らかに眠れ。

 いまさら客観的なことを書いても仕方がないので、思いっきり個人的なことを書く。 

 バラードくらいの大物になると、読者としても翻訳家としても当方ごときの出る幕はなく、あまり発言をしてこなかったが、それでも評論を1篇、翻訳を2篇発表している。
 評論は「始原としての熱帯」という題名で『沈んだ世界』を論じたもの。〈SFマガジン〉1998年11月号に発表した。
 翻訳は『20世紀SF③ 1960年代 砂の檻』(河出文庫、2001)所収の表題作と、〈SFマガジン〉2007年5月号(異色作家特集Ⅰ)所収の「認識」の2篇である。

 死ぬまでにバラードの小説を1篇くらい訳したくて、編者特権を利用して訳したのが「砂の檻」。バラードが強迫観念的に書きつづけた〈死亡した宇宙飛行士〉ものの嚆矢をなす作品であり、バラードの美質がよく表れた作品だと思う。もっとも、上記アンソロジーを読んだ父親に「安部公房の亜流みたいで、あんまり感心しなかった」といわれたのを憶えている。当方の父親は読書人だがSFファンではない。ちなみに、この巻ではクラークの「メイルシュトロームⅡ」を誉めていた。

 「認識」も同じように特集企画者の特権を利用して訳した。これはエリスン編の巨大アンソロジー『危険なヴィジョン』に収録の作品だが、不幸な事情で40年も未訳だったといういわくつきの作品(じつは大和田始氏の訳稿が完成していたことをあとで知った)。
 だが、いわくはそれだけではない。じつはバラードはこの作品ではなく、「下り坂自動車レースとみなしたジョン・F・ケネディの暗殺」を『危険なヴィジョン』に載せようとしたらしい。のちになってバラードが、「どこが危険なヴィジョンだ」と同書をくさしたところ、エリスンが「そんな話は初耳だ。恐れをなしたエージェントが、その作品を送ってこなかったんだよ」と弁明したのである。果たして真相はいかに。

 ありゃ、バラードの未訳短篇集を紹介しようと思ったのだが、前書きだけで長くなってしまった。つぎの岩につづく。(2009年4月20日)