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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.01.14 Mon » 『チャールズ・ボーモントの作品』

【前書き】
 書誌つながりで以下の記事を公開する。2006年6月17日に書いたものである。誤解なきように。


 七月に新装版が出るボーモント『夜の旅その他の旅』(早川書房・異色作家短篇集)の解説を書いた。
 例によって資料を集めすぎ、書くことがありすぎて削りに削るはめに。けっきょく、書きたいことの半分も書けず、経歴を書いただけで終わってしまった。日本でいちばんくわしいボーモント伝にはなったが、同書の内容にはいっさい触れていない。これはちょっとまずいよなー。反省。

 久しぶりに同書を読みなおしたが、思っていた以上に優れた作品集だった。前から好きな作家だったが、完全に惚れなおした。未訳の短篇集も、大部の傑作集もあるので、この人の短篇集を出すことを真剣に考えよう(追記参照)。

 さて、資料が無駄になったので、悔しいからここに紹介する。
 まずはウィリアム・F・ノーラン編の The Work of Charles Beaumont (The Borgo Press, 1986) だ。ちなみに、当方が持っているのは88年に出た2刷。すごい、こんなものが増刷している!

2006-6-17(Works of)

 これはボーモントの畏友ノーランが編んだ詳細な書誌。小説やエッセイはもちろんのこと、TVの脚本、漫画原作、果ては未発表作品まで網羅した優れものである。
 といっても、本文48ページしかないペラペラの小冊子。なにしろ、ボーモントは早世して、活動時期は実質13年にすぎないので、これで間に合うのである。(2006年6月17日)

【追記】
 考えているうちに、第一短篇集 The Hunger and Other Stories (1957) の邦訳が出てしまった。論創社《ダーク・ファンタジー・コレクション》の1冊『残酷な童話』(2007)がそれであり、正確には1篇がわが国で独自に追加されている。


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2013.01.07 Mon » 『恐怖小説百選 第二集』

【承前】
 とどいたばかりのスティーヴン・ジョーンズ&キム・ニューマン編 Horror Another 100 Best Books (Carroll & Graf, 2005) を読んでいたら、思うところがあったので書く。

2006-3-30(Horror Best 2nd)

 が、その前に本書の紹介をしておこう。
 これは作家や評論家を100人選んで、それぞれがベストだと思う作品についてミニ・エッセイを書かせるという趣旨で編まれたホラー・ガイド・ブック。1988年に同じコンビが編んだ Horror 100 Best Books の続編である。
 前著には書き下ろしだけでなく、エドガー・アラン・ポオがナサニエル・ホーソーンを論じた文章や、H・P・ラヴクラフトがロバート・W・チェンバーズを称揚した文章など、故人の文章もおさめられていて、そのアイデアに感心させられたが、今回はすべて書き下ろしである。88年以降に出た作品が21作とりあげられているのが嬉しい。
 その新しい作品の例をあげれば、『羊たちの沈黙』、『ナイト・フライヤー』、『グロテスク』、『殺戮のチェスゲーム』、『フロム・ヘル』、『アメリカン・サイコ』、『ロスト・ソウルズ』、『フリッカー、あるいは映画の魔』、『オフシーズン』、『紙葉の家』といったところだ。

 さて、編者たちは序文でつぎのような指摘をしている――
「大半の『書籍/映画/CD-Rom百選』は権柄ずくであり、煎じ詰めれば『注意を払うべき対象はこれらであり、ほかは無視してかまわない』といっているのだ」
「これらの〝お気に入り〟映画や書籍のリストは、5年以上前に発表された作品を読んだり、見たりしたことのない連中と、最近発表された作品には洟も引っかけない連中が選んでいるのだ」

 この指摘は傾聴に値する。つまり、ベスト選びはお遊びなのだ。個人の意見の表明という点では興味深いが、それ以上でも以下でもない。
 ところが、この手のベスト選びはえてして権威をまとってしまう。それ自体も問題だが、そこに選ばれなかった作品には価値がないという見解が生まれてしまう。その弊害のほうが大きいだろう。

 ジョーンズ&ニューマンが、前著でこぼれた(同等に優れた)作品を本書で拾い、さらには本書でもこぼれた作品を付録の年表で拾うようにしたのは、そういう意識のあらわれであり、この姿勢は大いに見習っていこうと思う。

 理由などは面倒くさいからすっ飛ばして、デジタルな結論(○か×か)だけを欲しがる風潮が強い昨今である。ベスト選びの危険性はますます強まっている。
 では、どうしたらいいかというと、名案は浮かばない。さて、どうしたものだろう。(2006年3月30日)

2013.01.06 Sun » 『恐怖小説百選』

【承前】
 コーソーン著のガイドブックにはミステリとホラーを対象にした姉妹篇がある(当方が知らないだけで、ほかにもあるのかもしれない)。
 ミステリ篇は邦訳のあるH・R・Fキーティング著『海外ミステリ100選――ポオからP・D・ジェイムズまで』(早川書房)。後者はスティーヴン・ジョーンズ&キム・ニューマン編の Horror: 100 Best Books (Xanadu, 1988) だ。もっとも、当方が持っているのは、1992年にニュー・イングリッシュ・ライブラリから出たトレード・ペーパー版だが。

2008-12-30(Horror 100)

 本のガイドブックというものは、ひとりで全部書くか、何人かのライターが手分けして書くのがふつうだろう。しかし、本書で編者コンビは画期的な方法をとった。
 つまり、著名な作家や評論家に鍾愛の1篇に関するミニ・エッセイを書いてもらい、それを100篇集めたのだ。だれがなにを選んだのかという興味も加わって、二重に面白い本になっている。
  
 これは一種のコロンブスの卵で、このアイデアを思いついた時点で本書の成功は約束されたようなものだ。じっさい、2005年には同じ編者コンビで続編 Horror: Another 100 Best Books が出ている。

 事務処理を考えると気が遠くなるが、それにもめげず本書を刊行した編者コンビには、最大の敬意を表したい。さすがはスティーヴン・ジョーンズ!

 内容だが、各タイトルが発表年代順に並べられ、編者による簡単な著者紹介+執筆者による2ページほどのエッセイという形式になっている。古くはクリストファー・マーロウ「フォースタス博士」から新しくはロバート・R・マキャモン『スワン・ソング』あたりまで。いわゆるホラーにとどまらず、エリザベス朝演劇やSFまでとりこんだ「幻想文学」ガイドといった性格が強い。
 とりわけ無茶だと思ったタイトルをあげると――

フィリップ・K・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(推薦者タッド・ウィリアムズ)
J・G・バラード『結晶世界』(推薦者クレイグ・ショウ・ガードナー)
ジョン・ブラナー The Sheep Look Up (推薦者ジョン・スキップ)
ティム・パワーズ『アヌビスの門』(推薦者ジョン・クルート)

 念を押しておくが、これはホラーのガイドブックである。怖いものは人それぞれということか。
 
 ともあれ、英米ホラー&ファンタシー界の重鎮がずらりと名前を連ねて壮観。各人が力のこもった文章を書いていて、非常に読み応えがある。
 さらにすばらしいのは、古い文献を渉猟して故人の原稿も載せていることだ。たとえば、ポオがホーソーンについて、ラヴクラフトがR・W・チェンバーズについて論じているといった具合。このアイデアは秀逸の一語につきる。
 しつこく書くが、スティーヴン・ジョーンズはほんとうに偉い人だ。(2008年12月30日)

2012.10.22 Mon » 『アーカム・ハウスの六十年』

 先日ある編集者と話していたら、例によって本の部数の話になった。おわかりだと思うが、いかに翻訳ものが売れないか、という景気の悪い話である。
 そのときふと思いだした本があるので、そのことを書くしだい。幻想文学研究家として有名なS・T・ヨシが編纂した Sixty Years of Arkham House (Arkham House, 1999) だ。

2008-2-5(Arkham House)

 表題どおり、怪奇幻想文学専門の小出版社の雄、アーカム・ハウスの歴史に関する本。といっても、想像されるような内幕ものノンフィクションではなく、出版物のカタログに記事がくっついたものだ。したがって、本の内容はリストと索引が大半。書誌に興味がない人にとっては一文の価値もない本だが、当方にとっては宝物である。

 細かいことをいうと、創立者オーガスト・ダーレスの編纂で1970年に出た Thirty Years of Arkham House の増補版。そこから「アーカム・ハウス――1939-1969」という回顧録が再録され、そのつづきとなる「アーカム・ハウス――1970-1999」をヨシが書き下ろしている。
 ダーレスの回顧録は、私財を投じてまでアーカム・ハウスの経営をつづけたダーレスの奮戦ぶりが胸を打つ。この人がいなかったら、アメリカでは怪奇幻想文学の火はもっと小さなものになっていただろう。出版人としては、ほんとうに偉い人だと思う。
 だが、その苦労話の紹介をはじめると長くなるので、ヨシの記事とともに詳細は省略。ここではべつの話をする。

 この本が面白いのは、出版物のほぼすべてに発行部数が記載されていることだ。それを見ると、すくないもので1000部前後。多いもので5000部前後だとわかる。平均して3000部というところだろうか。
 参考までに書いておくと、最初に出したラヴクラフトの The Outsider And Others (1939) は1268部、この本の元版 Thirty Years of Arkham House は2137部だそうである(この本の部数は書いてない)。
 この数字をどう見るか、いろいろと考えさせられる。

 さて、本書のジャケットは、アレン・コスゾウスキーという人のイラストが飾っている。裏表紙の部分にアーカム・ハウスの社屋がデフォルメされて描かれているので、スキャンして載せておいた。お楽しみください。(2008年2月5日)

2012.08.28 Tue » 『マンリー・ウェイド・ウェルマン――チャペル・ヒルの紳士』

 ひとつ前の記事でウェルマンの《ホク》シリーズは全部で5篇(と断片1篇)と書いた。本当にそうなのか気になって、ウェルマンの書誌を引っぱりだしてみた。フィル・スティーヴンセン=ペイン&ゴードン・ベンスン・ジュニア編の Manley Wade Wellman: The Gentleman from Chapel Hill (Galactic Central) だ。

2009-3-5 (Wellman)

 おなじみ、《熱心な読者のための書誌》シリーズの1冊。ホチキス製本、本文86ページの薄っぺらい小冊子で、ISBNはついているが、刊行年は不明。表紙に改訂第三版と記されている。

 で、リストを眺めていたら、“The Love of Oloana” という作品があることがわかった。1986年に出た〈パルス・パウンディング・アドヴェンチャー・ストーリーズ#1〉に掲載と書いてある。
 オロアナというのは、ホクの恋女房なので、これはシリーズに属す作品ではないだろうか。だが、《ホク》シリーズの新作だとしたらワグナーが解説に書きもらすはずがない。解説執筆から本(Echoes of Valor Ⅱ)の刊行(1989年)までのあいだに書かれたとも考えにくい。なぜなら、ウェルマンは1986年の4月5日に亡くなっているからだ。となると、旧作の蔵出しということになるが、はたして真相はいかに。

 と、推理して悦に入っていたら、あっさりと真相がわかった。やはり《ホク》シリーズの1篇が収録されている Echoes of Valor Ⅲ (1991) をのぞいてみたら、ワグナーがちゃんと解説でこの作品のことに触れていたのだ。この文章はむかし読んだはずだが、内容はさっぱり忘れていた。情けないったらありゃあしない。

 ワグナーによると、問題の作品は1935年に《ホク》シリーズ第一作として書かれたが、〈スパイシー=アドヴェンチャー・ストーリーズ〉という雑誌に没をくらい、そのままお蔵入りになっていたのだという。

 ところで、前述のとおり、《ホク》シリーズは1939年から42年にかけて5篇発表されたのだが、そのうちの3篇が、直後にスウェーデン語に翻訳されていることがわかった。いずれも〈ジュール・ヴェルヌ・マガジン〉に掲載されたもので、1941年から42年にかけてのことである。
 さらにそのうちの1篇は、フィンランド語に翻訳されて、Mustan Jumalan Suudelma (1993) という単行本に収録されていることも判明。
 このあたりの事情についてご存じの方がいらしたら、ぜひともご教示願いたい。(2009年3月5日)

【追記】
 その後《ホク》シリーズを1冊にまとめた本が出た。Battle in the Dawn : The Complete Hok the Mighty (Pazizo Pub., 2011) である。
 今回《ホク》シリーズに関する記事を公開するにあたって、念のため調べものをしていたら、同書の存在に気づき、あわてて注文した。いま本が届くのを楽しみに待っているところ。同書については、そのうち報告できるだろう。

2012.07.14 Sat » 『恐怖の貌』再読

【承前】
「もしスティーヴン・キングがラヴ・ストーリーを書いたら、出版社は『ホラーの巨匠が贈るラブ・ストーリー』といって宣伝するだろう」――ピーター・ストラウブ

 この前とりあげたダグラス・E・ウィンターによるホラー作家インタヴュー集 Faces of Fear だが、拾い読みをはじめたら面白くて、けっきょく丸ごと読んでしまった。再読といっても、内容はきれいさっぱり忘れていたので、初読と変わらない。

 人選のせいか、ウィンターのインタヴュー術のせいか、作家のネガティヴな感情が如実に出ていて、読んでいて辛いものが多い。
 その最たる例が「映画やTVの仕事なんかするんじゃなかった」と後悔ばかりしているマシスン、「ホラーなんか好きで書いているんじゃない。小説を書くのは芸術のためじゃない」といってはばからないジョン・コインだが、T・E・D・クラインのように消えていってしまった作家の述懐も相当に痛々しい。

 だが、暗い話は書きたくないので、ここではいちばん考えさせられた話を書く。というのは、クライヴ・バーカーが展開するゾンビ論だ。

 バーカーによれば、吸血鬼や狼男といったホラーのシンボルは、もはや力を失っている。そこにはロマンティックな要素がふくまれているが、それらはノスタルジーの対象でしかない。
 
 では、現代にふさわしいホラーのシンボルはなにかといえば、ゾンビである。バーカーはいう――

「狼男はまったくの絵空事――ファンタスティークだ。吸血鬼にはある種のゴシックなエラン(情熱)がそなわっていて、そのせいでわれわれの経験の外にある。だが、ゾンビにはエキゾチックな要素は微塵もない。けっきょく、ゾンビはあなたのお祖母さんであっても不思議はないんだ。彼らにエキゾチズムがあるとしたら、腐敗の段階がわれわれよりひとつ進んでいるという事実くらいだ。
 彼らと話はできない。彼らをなだめすかすことはできない。彼らに対して祈っても無駄。慈悲や同情を求めても無駄。ある意味で、それは虚無なんだ。彼らの目をのぞきこんでも、そこには無しかない。どれほど道理をつくそうと、どれほど泣き叫ぼうと通用しない」

 要するに、ゾンビの本質は「虚無」、すなわち「心がないこと」であり、ゾンビになる可能性はだれにでもあるということだ。したがって、恐怖のシンボルとして機能するのである。

 20年前の意見だが、これは半分あたって半分はずれた。ゾンビに関する考察は的確で、その予想どおりになったが、狼男や吸血鬼も繁栄しつづけたからだ。もっとも、「恐怖」のシンボルではなくなったので、その意味ではバーカーは正しかったといえる。

 つまり、狼男や吸血鬼は、そのロマンティックな要素が抽出され、「恐怖」ではなく「憧憬」、もっといえば「恋愛の対象」のシンボルとなったのだ。まさか狼男や吸血鬼が「かわいそうな人」として女性に愛され、救われるる時代が来るとは、だれに予想できただろう。(2012年4月9日)



2012.07.13 Fri » 『恐怖の貌』

 ウィアターのインタヴュー集をとりあげたからには、この本を紹介しないわけにはいかない。ダグラス・E・ウィンターが当代一流のホラー作家を相手におこなったインタヴューをまとめた Faces of Fear: Encounters with the Creators of Modern Horror である。
 もともとは1985年にバークリーから出たものだが、当方が持っているのは1990年に英国のパン・ブックスから出た改訂版である。

2012-3-29 (Faces of Fear)

 著者のウィンターは、わが国ではおそらくオリジナル・アンソロジー『ナイト・フライヤー』(新潮文庫、1989)の編者としてもっとも知られているだろう。当時のモダン・ホラーの最高水準を示したアンソロジーとして世評の高い一冊だ。評論家や作家としても活動しており、ミステリ『撃て、そして叫べ』(講談社文庫、2001)は邦訳が出たこともある。

 まずはとりあげられた面々を列挙する。登場順に――ロバート・ブロック、リチャード・マシスン、ウィリアム・ピーター・ブラッティ、デニス・エチスン、ラムジー・キャンベル、デイヴィッド・マレル、ジェイムズ・ハーバート、チャールズ・グラント、T・E・D・クライン、アラン・ライアン、ジョン・コイン、V・C・アンドリューズ、マイクル・マクダウェル、ホイットリー・ストリーバー、クライヴ・バーカー、ピーター・ストラウブ、スティーヴン・キング。
 
 じつに11人がウィアターの本と重なっている。これが当時のザ・ベスト・オブ・ザ・ベストということか。

 登場順が面白くて、アメリカの西海岸から東海岸へ移動し、途中でイギリス作家がはさまるという形になっている。
 付録としてホラー購買ガイド、ホラー小説ベスト(1951-1990)、ホラー映画ベスト(1951-1990)が巻末におかれている。

 同じようなコンセプト、同じような面々で作られたインタヴュー集であるにもかかわらず、ウィアターとの本はだいぶ趣がちがう。
  まずウィアターの本が、雑誌などに発表されたインタヴューを集大成したものに対し、こちらは書き下ろし(という言葉でいいのか?)のインタヴュー集であること。
 つぎにウィアターの本が、応答形式で書かれているのに対し、こちらはウィンターが地の文で流れを作り、そこに作家の肉声をあてはめていく形をとっていること(序文でウィンターはチャールズ・プラットの名をあげて感謝しているので、プラットのインタヴュー・スタイルにならったと思しい)。
 さらにウィアターの本が、作家としての日常に関心を示していたのに対し、こちらは作家の人生哲学に焦点を合わせ、深く掘りさげていること。
 これらの点があいまって、ウィアターの本よりはだいぶ歯ごたえのある本になっている。

 と、わかったようなことを書いてきたが、20年近く前に読んだ本なので、内容はほとんど憶えていない。マシスンが愚痴ばかりこぼしていたのは鮮明に記憶しているのだが。

 いまパラパラめくったら、ブラッティが面白いことをいっていた。彼が作家を志したのは、パルプ雑誌〈アンノウン〉に載ったロバート・ブロックの “Time Wounds All Heels” という短篇を読んだからだという。ユーモアたっぷりのゴースト・ストリーらしい。へえ、ブラッティはそういう人だったのか。たぶん20年前にも驚いたのだろうが、あらためて驚いた。 

蛇足
 付録の「ホラー小説ベスト」は、ホラーを広義にとっているので、おやっと思う作品がたくさんはいっている。たとえばピーター・アクロイドの『チャタトン偽書』、J・G・バラードの『残虐行為展覧会』とテクノロジー三部作、イアン・マキューアンの『セメント・ガーデン』、サーバンの『角笛の音の響くとき』、ジム・トンプスンの『おれの中の殺し屋』、ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』と『呪われた村』などだ。なるほど。(2012年3月29日)


2012.07.12 Thu » 『暗黒夢想家連』

 前回ラムジー・キャンベルのことを書いたが、これはスタンリー・ウィアターのインタヴュー集 Dark Dreamers: Conversations with the Masters of Horror (1990, Avon) に載っていた話。20年近く前に拾い読みしただけだったので、本をひっぱりだしてきたのを機に丸ごと読んでみた。

2012-3-28 (Dark Dreamers)

 それにしても表題を「暗い夢を見る人たち」と訳すか、掲題のように訳すかで受ける印象が全然ちがう。ここが翻訳の面白さであり、怖さでもあるわけだ。

 ウィアターはホラー畑では有名なジャーナリストで、小説と映画の双方に通じたライターとして絶大な信頼を得ていた。そのウィアターが、当代一流のホラー作家たちを相手におこなったインタヴューをまとめたのが本書で、翌年のブラム・ストーカー賞ノンフィクション部門を制した。

 まずは登場する面々を列挙しよう――クライヴ・バーカー、ロバート・ブロック、ゲイリー・ブランドナー、ラムジー・キャンベル、レス・ダニエルズ、デニス・エチスン、ジョン・ファリス、チャールズ・L・グラント、ジェイムズ・ハーバート、スティーヴン・キング&ピーター・ストラウブ、ディーン・R・クーンツ、ジョー・R・ランズデール、リチャード・レイモン、グレアム・マスタートン、リチャード・マシスン、ロバート・R・マキャモン、デイヴィッド・マレル、アン・ライス、ジョン・ソール、ジョン・スキップ&クレイグ・スペクター、ホイットリー・ストリーバー、チェット・ウィリアムスン、J・N・ウィリアムスン、ゲイアン・ウィルスン。
 加えて、フィリップ・ナットマンによるウィアターへのインタヴューを巻頭に配している。

 20年前のトップ・リストだが、時は残酷なもので、当時の超一流はいまでも超一流、当時の中堅や有望株は中堅や有望株のままで終わってしまった。超一流にのしあがったのはランズデールくらいだろう(失墜した人は何人かいるかもしれない)。

 このころはスプラッターパンクの登場で、「うるさい」ホラーと「静かな」ホラーの対立が喧伝されており、本書でも頻繁に話題にとりあげられている。まさか両方とも失速し、ホラー小説の市場が壊滅するとはだれも思っていなかっただろう。諸行無常である。

 ウィアターは、意識的にだれにでも同じ質問をするので、答え方のちがいに作家の個性がにじみ出ていて面白い。それらを紹介しているときりがないので、ひとつだけ。

 自己検閲をするかという質問に答えて、お下劣ホラー派の開祖ジェイムズ・ハーバートいわく――
「子供の身になにか起きるという小説は書けない。そこがスティーヴン・キングとわたしの異なる点だ――彼はいつも子供の身にひどいことが起きる小説を書いているからね。まあ、スティーヴは、そうやってその恐怖を悪魔祓いしているんだろうが」

蛇足
 邦訳も出たティム・アンダーウッド&チャック・ミラー編のスティーヴン・キングのインタヴュー集『悪夢の種子』(リブロポート、1993)には、ウィアターによるインタヴューが3篇おさめられ、第5章「恐怖のパートナー」を構成している。本書に収録されたキング&ストラウブのインタヴューは、これらを縮約したものである。(2012年3月28日)

2012.07.11 Wed » キャンベルのユーモア

 新雑誌〈ナイトランド〉の創刊号には、ラムジー・キャンベルの「コールド・プリント」(1969)が載っている。キャンベル初期の代表的な短篇で、《クトゥルー神話》ファンのあいだでは名高く、邦訳が待たれていた作品だ。

 編集部M氏による解説にあるとおり、キャンベルの文体は読者に緊張を強いるもので、この作品も例外ではない。だが、そればかりがキャンベルではないことを示しておきたい。

 「いまだに怖いと思うホラーは?」と質問されたキャンベル。ロバート・エイクマン、スティーヴン・キング、ピーター・ストラウブ、フリッツ・ライバーの名前をあげたあと――
「そのいっぽうで、血まみれホラー映画が大好きなんだよ。もちろん、まったくちがうレヴェルでの話だけど。映画特有のマジックってやつがある――『すげえ、あの杭をどうやって頭に貫通させたんだ! 安いエキストラかなにかを使ったのか?』」

 当方にとって、キャンベルはこう人なのである。(2012年3月25日)

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