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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.06.15 Fri » 『ブラッドベリとの会話』

【前書き】
 ひとつ誤解を解いておきたい。レイ・ブラッドベリの本名は、レイ・ダグラス・ブラッドベリである。レイモンド・ダグラス・ブラッドベリではない。戸籍上の名前も「レイ」である。
 もともと両親は、父方のいとこにちなんで彼を「Rae」と名づけるつもりだった。しかし、この名前は女性的すぎるので、大きくなったら、からかわれるようになると周囲に反対され、綴りを「Ray」に変えたのだった。

 一部に誤解が広まっているが、くれぐれもお間違いなきように。


 スティーヴン・L・アゲリス編 Conversations with Ray Bradbury (University Press of Mississippi, 2004) は、大学の先生が編んだブラッドベリのインタビュー集大成。

2005-5-3(Conversations with Ray Bradbury)

「集会」の成功でようやく名前が知られはじめた1948年の初インタビューから2002年の編者によるインタビューまで全21篇がおさめられている。詳細な年譜つき。この辺がいかにも学者の本。

 うち邦訳があるのは1964年の〈ショウ〉誌に載った「ブラッドベリ・インタビュウ」と1973年の〈テイク・ワン〉誌に載った「ヒッチコックとヒューストンとスクリーンの魔術師たちが私を育てた」の二篇(追記参照)。ただし、後者は雑誌に載った縮約版ではなく、未発表のロング・ヴァージョンが採られている(おかげで、かなり読み応えがある)。

 小説と映画の話が半々なのは、いかにもブラッドベリらしい。1970年代からいうことはまったく変わっていなくて、最近では頑固おやじぶりにますます磨きがかかっている。
「電話があるのに、なんでeメールが必要なんだね。いつ返事が来るのかわからないなんて、不便じゃないか」といった具合。やはり、1970年代から時間が止まっているようだ。ひょっとすると、それが長生きの秘訣かもしれない。

 それにしても、ブラッドベリという人は、われわれが考えているよりはるかに名士らしい。それがよくわかる本である。(2005年5月3日)

【追記】
〈SFマガジン〉2006年1月号がブラッドベリ特集を組んだとき、本書から2001年に発表されたインタヴューを「レイ・ブラッドベリ・インタビュウ」(聞き手、ジョシュア・クライン)として訳出した。

 

2012.06.14 Thu » 『ブラッドベリは語る』

【前書き】
 以下は2005年8月26日に書いた記事である。誤解なきように。


 またしてもブラッドベリの新刊が出た。こんどはエッセイ集である。

2005-8-26(Bradbury Speaks)

  Bradbury Speaks (Morrow, 2005) は250ページほどのハードカヴァーで、37篇のエッセイが収められている。そのうち約3分の1にあたる13篇が書き下ろし。残りは1962年と68年発表のエッセイが1篇ずつで、大半は1990年以降のもの。悪くいえば、落ち穂拾い的な性格が強い(追記1参照)。

 全体は6部に分けられており、各部はそれぞれ「創作について」、「SFについて」、「人について」、「生活について」、「パリについて」、「ロサンゼルスについて」と題されている。

 面白いエッセイもあるが、自慢話が多いので、ちょっと鼻につく。同じエピソードでも、サム・ウェラーの伝記のように他人が誉めるのと、ブラッドベリ本人が自慢げに語るのとでは、読んだときの感じがだいぶちがうのだ。
 逆に、飛行機恐怖症を克服した経緯を書いたエッセイなど、自分の愚かしさを笑う内容のものは抜群にいい。あるいは、恩人との思い出を綴った文章もすばらしい。最愛のパリを賛美したエッセイも、ブラッドベリらしい独特の文章が楽しめる。
 そういうわけで、ブラッドベリのファンにだけ薦めておく。

 ちなみに、前にこの日記で紹介した短篇集 The Cat's Pajamas は拙訳が河出書房新社から出ることになった(追記2)。これをウェラーの伝記邦訳につなげたいものだ。(2005年8月26日)

【追記1】
 のちに〈SFマガジン〉2006年1月号がブラッドベリ特集を組んだとき、「ブラッドベリ・エッセイ・セレクション」と題して本書から選びぬいた5篇を訳載した(すべて市田泉訳)。上に記した飛行機の話や、ウォルト・ディズニーとの思い出を綴ったエッセイもはいっている。

【追記2】
 拙訳『猫のパジャマ』(河出書房新社、2008)のこと。



2012.06.13 Wed » 『自分の尻尾を食べたドラゴン』

 レイ・ブラッドベリの短篇集 The Dragon Who Ate His Tail (Gauntlet, 2006) は、本文72ページの小冊子。もともとは Match to Flame の付録として作られたものだが、単体でも購入できる。

2008-6-13(The Dragon)

 例によってドン・オルブライトの編集によるもので、未発表短篇をはじめとして珍しい作品がおさめられている。オルブライトの序文につづく内容はつぎのとおり――

1 The Dragon Who Ate His Tail
2 To the Future  
3 The Fox and the Forest (fragment)
4 Sometime before Dawn (earlier version)
5 Sometime before Dawn (fascimile)
6 Alternate segmets

 1は未発表短篇。本書の目玉だが、わずか3ページの小品。
 2は「狐と森」という題名で邦訳のある短篇の初出ヴァージョン。〈コリアーズ〉掲載のものがイラストとともに復刻されている。今回はじめて原文で読んだが、そのサスペンスの盛りあげの巧みさにうなった。
 3は1990年に書かれたその脚本化。ワープロのプリントアウトをそのまま複写して載せている。
 4は「夜明け前」の題名で『猫のパジャマ』にはいっている短篇の初期ヴァージョン。両者をくらべると、改稿版はかなり刈りこまれていることがわかる。
 5はそのさらに初期稿。タイプ原稿が複写されている。
 6は同じフォルダにはいっていた断片3つ。

 Match to Flame もそうだが、カットがわりにブラッドベリ本人の落書きがふんだんにちりばめられている。もっとも、スキャンしてお見せしたくなるようなものではないが。
 ちなみに表紙絵はドン・オルブライトの筆によるもの(画題は『華氏451度』に登場する機械製シェパード)。そのまわりのトカゲだか狼だかの落書きが、ブラッドベリによるものである。(2008年6月13日)


2012.06.12 Tue » 『火つけのマッチ』

 例によって蔵書自慢。ものはレイ・ブラッドベリの Match to Flame: The Fictional Paths to Fahrenheit 451 (Gauntlet, 2006) である。限定750部のうち347番。ブラッドベリのサイン入りの豪華本。前に書いた送料36ドル(保険こみ)の本だ。

2008-6-11(Match 1)2008-6-11(Match 2)

 なんだか物騒なタイトルだが、副題にあるようにディストピアSFの名作『華氏451度』が完成するまでにブラッドベリが書いた同種のSFを集大成したもの。掲題ではあえて扇情的に訳したが、本来は「マッチから炎へ」くらいの意味だろう。完成作品は雑誌初出の形で(イラストも復刻して)、未完成作品はタイプ原稿の複写の形で、完成した未発表作品は活字で収録されている。雑誌黄金時代のものだけあって、復刻されたイラストはいずれも見応えじゅうぶんだ。

 例によってドン・オルブライトの編集で、いたれりつくせりの内容である。ちなみに、表紙のコラージュもオルブライト作。
 ブラッドベリの序文、ブラッドベリとリチャード・マシスンの往復書簡、ブラッドベリ学者トゥーポンスとエラーのエッセイにつづいてブラッドベリの作品がならべられている。そのうち邦訳があるのはつぎのとおり(追記参照)――

「火の柱」、「不死鳥の輝き」、「亡命者たち」、「第二のアッシャー邸」、「歩行者」、「ごみ屋」、「ほほえみ」

 さすがに黄金期のブラッドベリだけあって、逸品ぞろい。とはいえ、本書の目玉は『華氏451度』の原型ノヴェラ “The Fireman” と、その原型であるノヴェラ “Long after Midnight” だろう。後者については、著者の同題短篇とはまったくのべつもの。ブラッドベリという人は詩人肌なので、気に入った題名があると、平気でくり返して使うのである。書誌学者泣かせというほかない。(2008年6月11日)

【追記】
 のちに収録作の1篇が、「炉辺のコオロギ」の題名で短篇集『社交ダンスが終った夜に』(新潮文庫、2008)に訳出された。

2012.06.11 Mon » 『それは外宇宙からやって来た』

 ブラッドベリ作品の映画化はいくつもあるが、嚆矢となったのが1953年公開のユニヴァーサル映画「イット・ケイム・フロム・アウタースペース」だ。それに関する資料をブラッドベリの観点からまとめたのが、本書 It Came from Outer Space (Gauntlet, 2004)である。

2005-4-29(It Came from)

 版元のゴーントレットは、現代のアーカム・ハウスともいうべきスモール・プレスで、ホラーのリプリントを中心に面白い本をたくさん出している。この本も限定の豪華本で、持っているだけでうれしくなる出来。
 もっとも、トラブルつづきで刊行が遅れに遅れ、大枚125ドルを払った身としては、このまま出ないのではないかと心配したものだ。
 版元も悪いと思ったらしく、遅れたお詫びにブラッドベリの未発表短篇を12ページのパンフレットに仕立てたものがオマケとして付いてきた(アメリカでは先に配布されたらしい)。

2005-4-29(Is That You)

 付録になるくらいだから、箸にも棒にもかからない愚作だが、珍しいことは珍しい。
 ちなみに、本体も付録も表紙の絵はブラッドベリ本人の筆になるもの。上手くはないが、なかなか味のある絵だ。

 ついでに中扉も紹介しておく。通し番号とブラッドベリの署名がはいっているページで、素人くさいレタリングは、なんとブラッドベリの孫娘リジーちゃん(8歳)の手になるもの。このページをめくると、ブラッドベリとリジーちゃんのツーショット写真があらわれる。たいした祖父バカぶりだ。

2005-7-22 (It Came from)

 中身は盛り沢山だが、メインになるのは4稿にわたるブラッドベリのシノプシス原稿。小説と脚本の中間くらいで、本人はトリートメントと呼んでいるが、これがタイプ原稿のまま収録されている。あとは原型短篇やらインタビューやら、もうひとつのオマケの短篇やら。当時のプレス資料は見ているだけで楽しい。
 この本はなにかの形で紹介するつもりなので、あとはそのときに。(2005年4月29日)

【追記】
 本書におさめられた原型短篇は、拙編のアンソロジー『地球の静止する日――SF映画原作傑作選』(創元SF文庫、2006)に「趣味の問題」として訳出した。映画と原作の関係について、添野知生氏が犀利な考察をしている解説つきなので、ぜひお読みいただきたい。
「趣味の問題」は、のちにブラッドベリの短篇集『猫のパジャマ』(河出書房新社、2008)に収録された。

 なお〈SFマガジン〉2006年1月号がブラッドベリ特集を組んだとき、当方は「現役をつづけるブラッドベリ」という一文を寄せ、本書をくわしく紹介した。



 

2012.06.10 Sun » 『アーメドと忘れられた機械たち』

 Ahmed and the Oblivion Machines (Avon, 1998) は、湾岸戦争後の作品としては無邪気すぎるアラビアン・ナイト風ファンタシーだが、ブラッドベリの近作のなかではかなり出来がいい。

2005-4-28(Ahmed)

 隊商の少年アーメドが、砂漠で仲間とはぐれてさまよっていると、おかしな精霊(ジン)と出会い、〈忘れられた機械〉たちの墓場へ連れていかれる。そこは実現しなかった飛行機械たちが、幻の残骸をさらしている場。だが、アーメドの夢見る力の助けを借りて、機械たちは一夜かぎりの飛翔を楽しむのだった……。

 じつはこの本、ものすごく薄いハードカヴァーで、クリス・レインという人のイラストが9枚もはいっている。要するに絵本に近い造りであり、子供にプレゼントするための本らしい。その証拠に送る相手と送り主の名前を書く欄がある(ついでにいうと、ノンブルがない)。いい作品なので、数社に話を持ちかけてみたところ、却下されないかわりに進展もなし。邦訳を出すのはむずかしそうだ。(2005年4月28日)


2012.06.09 Sat » 『国歌演奏短距離選手その他の道化芝居』

 前に書いたとおり、レイ・ブラッドベリの伝記を翻訳した。
 そのなかで著者のサム・ウェラーがブラッドベリの戯曲「国歌演奏短距離選手」について、英国統治下のアイルランドの話だと書いている。だが、原型となった小説は、1950年代のアイルランドが舞台だ。果たしてこの記述は、著者の勘違いなのか、それとも戯曲と小説とは設定がちがっているのか。
 戯曲の内容を確認する必要が生じて、急遽問題の戯曲が収録されている本をとり寄せた。それが The Anthem Sprinters and Other Antics (Dial Press, 1963) だ。

2011-1-23(Anthem 1)

 再編集本をのぞけば、ブラッドベリは戯曲集を3冊出しているが、本書はその嚆矢。ちなみに第三集は、『火の柱』として大和書房から伊藤典夫訳が出たことがある。

 本書は160ページほどの大判ペーパーバックで、ブラッドベリが1953年の9月から翌年4月までアイルランドに滞在したときの経験から生まれた戯曲4本をおさめている。そのうちの3篇、つまり「月曜日の大椿事」、「四旬節の最初の夜」、表題作は小説の戯曲化。残る “A Clear View of an Irish Mist” が、舞台用の書き下ろしだ。

 いずれも滑稽味の強い一幕劇だが、戯曲としての出来はあまりよくないのではないか。というのも、ト書きが多すぎ、しかもそのト書きが小説的すぎるのだ。
 たとえば、酒場でワイワイやっていたところ、新来者が不用意な発言をして、沈黙が落ちるくだり――

「あたかもギロチンの大きな刃が落ちたかのよう。沈黙があたりを切り裂く。青年はたちまち申しわけなく思う。空中で停止するかのように、ダーツの矢は墜落する。ピアノがピタリと鳴りやむ。ハーモニカの音が途切れる。踊っていた者たちは、急によろける。だれもまだ青年に目を向けていない。ひょっとしたら、このよそ者が悔恨を荷造りして、立ち去るのを待っているだけかもしれない……」

 ブラッドベリらしいといえばブラッドベリらしいが、とても戯曲のト書きとは思えない。これを舞台で再現するのに、演出家と役者は苦労するだろう。
 『火の柱』を読むと、だいぶト書きが減っているので、ブラッドベリも試行錯誤をしていたのがよくわかる。

 ところで、問題の「国歌演奏短距離選手」だが、やはり1950年代のアイルランドが舞台だった。いちばん速い選手はロンドンのアイルランド人。なぜなら、イギリス国歌を聴きたくないから、という(小説にはない)台詞があるので、ウェラーは勘違いしたのかもしれない。
 ともあれ疑問氷解で、すっきりしたのであった。(2011年1月23日)

2012.06.08 Fri » 『吾々は常に巴里を持つであろう』

【前書き】
 レイ・ブラッドベリが現地時間6月5日に亡くなった。享年91。
 永遠に生きると思っていた人の訃報は、やはり衝撃が大きい。それが長く作品に親しんできた作家の訃報だと、人生の一部をもぎとられたような気がする。いまは頭が混乱しているので、とりあえずこれだけ――
 
 すばらしい作品をありがとうございました。安らかにお眠りください。 
 
 以下はブラッドベリ生前最後の新作短篇集について2011年2月27日に書いた記事である。追悼の意をこめて公開する。


 昨年の夏から延々やっていた仕事が、ついに手を離れた。サム・ウェラーによる伝記『ブラッドベリ年代記』である(追記1参照)。
 三校に赤をたくさん入れて編集者を青ざめさせたり、索引やら作品リストのチェックで気が狂いそうになったりしたが、それも終わり。本ができあがったら、きっとケアレスミスが見つかって天を仰ぐことになるだろうが、とりあえずいまは解放感に浸っている。

 というわけで、この日のためにとっておいたブラッドベリの最新短篇集 We'll Always Have Paris (William Morrow, 2009) を読んだ。もっとも、当方が持っているのは、例によって同年に出たハーパー・コリンズ版のトレードペーパーだが。

2011-2-27(We'll Always Have)

 序文につづいて21篇の短篇小説と1篇の詩がおさめられている。全作品が本書のための書き下ろしだが、半分くらいは旧作の蔵出しだと思われる。制作年が明記されているのは1篇(1984年)だけだが、作中の風物から1950年前後に書かれたと推察できる作品が多いのだ。
  近年のブラッドベリ短篇は、会話主体の一幕劇のようなスタイルが主流なので、装飾過多の散文を連ねた若書きとははっきり区別がつく。ただし、飛びぬけた傑作がない点は新旧を問わない。

 明らかにファンタシーやSFと呼べる作品は4篇。なかには『火星年代記』の番外編のような作品もあるが、わざわざなにかいう気は起きない。残りは「人生の一断面」を切り取った文芸短篇である。

 表題作は、ブラッドベリ自身と思われる主人公が、パリの一夜で遭遇した奇妙な出来事を描く。ちょっとホモセクシュアルなにおいのする小品。掲題ではわざと直訳したが、「来年もパリに来よう」くらいの意味だと思う。これは新作だろう【追記2参照】。
 いちばんよかったのは、“A Literary Encounter” という小品。旧作らしいが、こんな話だ――

 結婚して1年ほどの若い夫婦がいる。妻は夫が変わったと感じている。溌剌としたところが影を潜め、なにか陰気臭くなってしまった、と。
 夫は読書家で、いまはダシール・ハメットの『マルタの鷹』やサミュエル・ジョンスンの『アレグザンダー・ポープの生涯』を読んでいる。
 ある晩、妻はハタと気づく。
妻「ねえ、お願いがあるの。結婚前に読んでいた本をもういっぺん読んでもらえない」
夫「お安い御用だ。でも、なにを読んでいたっけ。思いだせないなあ」
 妻は思いだし、書店でその本を買ってきて、夫の机の上に置いておく。それを見つけた夫は、その本を手にとり……。
 翌朝、人が変わったように溌剌とした夫がキッチンにはいってきて叫ぶ。ここは原文で――

“Hello, beautiful woman! Hello, lovely, wonderful, kind, understanding creature, living in this great wide sweet world!”
 
妻「サローヤンね?」
夫「サローヤンだとも!」

(2011年2月27日)

【追記1】
 この本はサム・ウェラー著『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社、2011)として無事に刊行された。

【追記2】
 簡単にストーリーを記しておく。

 わたし(ブラッドベリ)がパリで夜の散歩に出たところ、男につけられているのに気づく。ただ、その男はあとをつけているのではなく、「わたし」の前を歩いていて、こちらをうかがっては進む方向を同じにしている。「わたし」が声をかけるが、向こうは英語が話せず、「わたし」はフランス語が話せない。うまく意思が通じないまま、スポーツ・ジムへ連れていかれて……。
 実話をベースにしていると思われるが、なんだか不思議な話だ。