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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.11.29 Thu » 「生まれ変わり」のこと

 今回はお詫びと訂正である。というのも、書誌情報に関してケアレスミスを犯してしまったからだ。
 いまにはじまった話ではないが、自分の迂闊さに嫌気がさす。落ちこむなあ。

 〈SFマガジン〉2012年10月号がレイ・ブラッドベリ追悼特集を組んだとき、当方は「生まれ変わり」という短篇を選んで訳出した。
 作者にとって生前最後となった短篇集 We'll Always Have Paris (2009) から選んだのだが、同書には版権表示のページがないので、収録作はすべて書き下ろしだと思っていた。
 もっとも、この作品の原型が Match to Flame (2006) という豪華本の作品集にはいっているのは知っていたので、その旨を解説に記した。

 ところが、訳出したのとほぼ同じ改稿版が、2005年に出たホラーのオリジナル・アンソロジーに収録されていたのだ。デル・ハウイスン&ジェフ・ゲルブ編 Dark Delicacies (Running Press) である。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/0786715863/ref=dp_proddesc_2?ie=UTF8&n=52033011

 先ほど調べものをしていて気づいた。ショック。

 したがって、「生まれ変わり」の初出はこのアンソロジーということになる。
 弁解の余地のないケアレスミスだ。まったくもって申し訳ありませんでした。謹んで訂正いたします。

 それにしても、これで We'll Always Have Paris の収録作が、書き下ろしとはかぎらないことがわかった。全面的な調査が必要になる。またひとつ宿題をかかえてしまった。(2012年11月28日)



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2012.09.28 Fri » 幽霊短篇

【前書き】
 以下は2007年8月11日に書いた記事である。


 幽霊短篇といっても、幽霊が出てくる短篇のことではない。存在自体が幽霊みたいな短篇のことだ。
 ブラッドベリの最新短篇集 The Cat's Pajamas (William Morrow, 2004) 【追記参照】の目次を見ると、

THE CAT'S PAJAMAS 123
THE MAFIOSO CEMENT-MIXING MACHINE 145

となっている。ところが、じっさいはこのあいだに“Triangle”という短篇がはさまっているのだ。

2005-4-25(Cat's Pajamas)

 同書の目次は2ページにまたがっているので、なにかの理由で前のページのいちばん下に来る「TRIANGLE 133」という一行が落っこちたのだろう。
 目次にない短篇がはいっているのだから、読者にしたらボーナスみたいなものなのだが、最初は相当にびっくりした。当方は買った短篇集の目次をノートに書き写す習慣があるのだが、あとからこの作品を追加したしだい。

 これと逆のケースもある。
 やはりブラッドベリの短篇集で Classic Stories 1 (Bantam, 1990) というのがある。これは既存の短篇集『太陽の黄金の林檎』と『ウは宇宙船のウ』を合本にしたもの。

2011-9-15 (Apple)

 ご存じのとおり、『ウは宇宙船のウ』自体が再編集本なので、重複収録作が出てくる。そこで一部の作品の間引きが行われているのだが、編集者のミスで短篇「太陽の黄金の林檎」が、両方から落ちてしまったのだ。つまり、表紙や目次には「短篇集『太陽の黄金の林檎』より」とあるにもかかわらず、表題作が消えてしまったのである。
 この重大なミスが訂正されたのは3刷から。当方もうっかりミスは多いので他人のことを笑えないが、それにしても……。
 ちなみに、当方が持っているのは6刷なので、幸か不幸か「太陽の黄金の林檎」は収録されている。

 それにしても、こういう例に遭遇すると、書誌を作るときは実物にあたらないといけないな、とあらためて思い知らされるのだった。(2007年8月11日)

【追記】
 同書は『猫のパジャマ』(河出書房新社、2008)として拙訳が出た。この時点では最新短篇集だったが、2009年に We'll Always Have Paris (William Morrow) が出て、これが生前最後の(再編集本ではない)短篇集となった。

2012.09.27 Thu » 『緑の影、白い鯨』

【前書き】
 以下は2007年6月19日に書いた記事に手を加えたものである。


 ブラッドベリほどの作家にしても未訳の長篇はあるもので、それが Green Shadows, White Whale (Knopf, 1982) だ(追記参照)。ただし、当方が持っているのは、例によって翌年バンタムから出たペーパーバック版である。表紙は、ハードカヴァー版よりこっちのほうがいいと思う。
 なお、本書の抜粋の翻訳が、日本版〈エスカイア〉に載ったそうだが、当方は未見。

2007-6-19(Green Shadows)

 題名でピンときた方もいるだろうが、ブラッドベリが50年代から書き継いでいた《アイルランドもの》の集大成。既発表の短篇をつなぎあわせ、新たな章を書き加えて1冊にしている。
 念のために説明しておくと、「緑の影」はアイルランドの風土、「白い鯨」は、ジョン・ヒューストン監督の映画「白鯨」をさす。ブラッドベリはこの映画の脚本を書くため、ヒューストンのお供で9カ月間アイルランドにわたり、監督の気まぐれにふりまわされ、身も心も疲れ切った。そのときの体験を基に書かれたのが、《アイルランドもの》なのである。

 著作権表示のページによると、組み込まれた短篇は「月曜日の大椿事」(4章)、「お邸炎上」(12章)、「オコネル橋の乞食」(13章)、「新幽霊屋敷」(15章)、「ご領主に乾杯、別れに乾杯」(18章)、「なんとか月曜を過ごす」(21章)、「四旬節の最初の夜」(22章)、“McGillahee's Brat”(23章)、「バンシー」(27章)、「冷たい風、暖かい風」(28章)、「国歌演奏短距離走者」(29章)。これらとは別枠で、第9章が“The Hunt Wedding”の題名で〈ジ・アメリカン・ウェイ〉1992年5月号に掲載されたとのこと。

 さて、このページを見たとき、あれっと思った。というのは、アイルランドを舞台に、横暴な映画監督と若い作家の確執を描いたべつの短篇を読んだことがあったからだ。ブラッドベリ特集を組んだ〈ユリイカ〉1982年2月号に載った「ゴールウェイの荒々しい一夜」(宮脇孝雄訳)である。

 ブラッドベリは自作に厳しい人なので、この短篇は使わなかったのだろうかと思いながら本書を読んだら、第6章に組みこまれていた。
 もちろん、場所も人名も文章も大幅に書き換えられている。だが、程度の差はあれ、それはほかの短篇にもいえることなので、この事実が記録から落ちるのはまずいと思う。ここに強調しておくしだい。(2007年6月19日+2012年9月24日)

【追記】
 本書はのちに『緑の影、白い鯨』(筑摩書房、2007)として邦訳が出た。訳者の川本三郎氏は、「訳者あとがき」において、原型短篇について(短篇の題名を記さず、収録短篇集名をあげるという変則的な方法で)触れておられるが、「ゴールウェイの荒々しい一夜」については触れていない。

2012.09.26 Wed » 『影絵芝居』

 レイ・ブラッドベリにまたひとつ名誉が加わった。ロサンゼルスの繁華街にある交差点が、「レイ・ブラッドベリ・スクエア」に改名されるとのこと(情報源)。この街に長く住み、この街をこよなく愛したブラッドベリも、きっと喜んでいるだろう。

 いい機会なので、ブラッドベリ・トリビュート・アンソロジーを紹介しておこう。サム・ウェラー&モート・キャッスル編 Shadow Show (William Morrow, 21012) である。
 今年の7月に出た本で、刊行の直前にブラッドベリが亡くなったので、結果的に追悼本となった。

2012-9-22(Shadow Show)

 編者のひとりウェラーは、公認伝記『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社)の著者、もうひとりのキャッスルはヴェテランのホラー作家であり、ふたりとも本書に小説を寄せている。

 編者たちの序文、ブラッドベリ本人の短いエッセイにつづき、26人の作家の新作書き下ろしが収録されている。老若男女、ジャンル作家から純文学作家まで多彩な顔ぶれがそろっており、ブラッドベリの幅広い影響力を実証した形だ。
 主な顔ぶれをあげれば、ニール・ゲイマン、マーガレット・アトウッド、ジェイ・ボナジンガ、デイヴィッド・マレル、トマス・F・モンテレオーニ、ジョー・ヒル、ロバート・マキャモン、ラムジー・キャンベル、オードリー・ニフェネッガー、ケリー・リンク、ハーラン・エリスンといったところか。

 特筆すべきは、各篇に「あとがき」がつき、それぞれがブラッドベリへの思いを綴っている点。3、4ページにわたる堂々としたエッセイを書いている人もいて、英米でブラッドベリがどのように受容されているかを示す証言として興味深い。

 もうひとつ特筆すべき点は、ブラッドベリの特定の作品のスピンオフがない点。つまり、『火星年代記』の新しいエピソードとか、『何かが道をやってくる』の後日談のようなものはないということだ。以前紹介したべつのトリビュート・アンソロジーは、スピンオフ作品が中心だったので、きわだった対照をなしている。

 各篇のブラッドベリ度には濃淡があり、ウェラーの短篇のようにブラッドベリの新作といっても通りそうなパスティーシュもあれば、アトウッドの短篇のように、ブラッドベリとはまったくべつの文体で書かれた作品もある。
 とはいえ、いずれもなんらかの形でブラッドベリへの敬意を表しており、トリビュートとしては成功している。

 集中ベストはジョー・ヒルの“By the Silver Water of Lake Champlain”。簡単にいってしまえば、ブラッドベリの名作「霧笛」と「みずうみ」を下敷きにした作品。湖畔に打ち上げられた恐竜の死骸を軸に、主人公となる少年少女のやるせなさ、諦め、怒りなどがヒリヒリするような筆致で描かれており、読む者の胸をえぐる。ジョー・ヒル恐るべし。

 僅差でつづくのが、ロバート・マキャモンの“Children of the Bedtime Machine”。文明が崩壊したあとの世界を舞台に、「就寝前のお話をする機械」(つまりベッドタイム・ストーリーを語るマシンであり、駄洒落めいた表題はここから)を手に入れた老女の話。
 この機械は一種のホログラム投影装置であり、さまざまなキャラクターがあらわれては、お話をしてくれる。そこで語られるのが、(明示はされていないが)ブラッドベリの諸作だという趣向。こうして灰色だった老女の暮らしに一条の光が射す。
 「物語の持つ力」を高らかに謳いあげており、最高のブラッドベリ・トリビュートだ。

 これの裏返しなのが、ボニー・ジョー・キャンベルの“The Tattoo”。カーニヴァルのサイドショーで見た「刺青の女」の、映画のように動いて物語を展開する刺青に魅せられ、自分も同じような刺青を入れた男の話。
 刺青は見るたびにちがう光景、ちがう物語を展開するが、かならず破局に終わる。最初は喜んでいた婚約者は刺青を嫌うようになるが、男は逆に刺青を見ることにしか関心がなくなり、人生を棒にふるのだった……。
 刺青の展開する物語が、ブラッドベリの諸作を連想させるという趣向。こちらは「物語の危険な魔力」をテーマにしており、ブラッドベリのダークな面を拡大したといえる。

 マニア感涙なのが、トマス・F・モンテレオーニの“The Exchange”。若きブラッドベリ本人とH・P・ラヴクラフトをモデルにした人物を登場させ、現実の歴史ではかなわなかった両者の出逢いを演出している。

 この調子で書いていると切りがないので、あとはべつの機会に。ともあれ、全体に水準が高いので、お勧めの一冊である。(2012年9月22日)


2012.06.21 Thu » 『レイ・ブラッドベリになる』

 ブラッドベリの訃報に接して、昨年の秋から積んであったブラッドベリに関する研究書を読んだ。ジョナサン・R・エラーの Becoming Ray Bradbury (University of Illinois Press, 2011) である。

becoming.jpg

 著者のエラーは高名なブラッドベリ学者で、すでにウィリアム・F・トゥーポンスと共著で Ray Bradbury: The Life of Fiction (2004) という大部の研究書を著している。

 表題から想像できるように、幼少期の読書体験から説き起こし、最初の長篇『華氏451度』を完成させるまでの足跡を丹念にたどった労作。作家を志してから一流と認められるまでの過程が、膨大なインタヴューや書簡を基に実証的に明かされている(そのため、ブラッドベリの記憶がいかに当てにならないかが証明される)。

 ある意味でサム・ウェラーの『ブラッドベリ年代記』を補完する内容で、あちらでは触れられていないエピソードが満載。とりわけ、商業誌デビューを果たした1941年以降、ブラッドベリがなにを読み、なにを考えていたかについての研究は貴重である。ブラッドベリがパルプ小説をほとんど読まなくなり、古典やら、同時代の純文学やら、思想書やらを貪り読んで、自分の世界をどんどん広げていくようすがよくわかる。

 通読して印象に残ったのは、華々しい成功の陰に隠れて見えにくくなっているものの、ブラッドベリの前半生は挫折の連続であったという点。
 作家として芽が出るまではもちろん、パルプ雑誌の常連となってからも没を食らってばかりだし、スリック雑誌に進出すれば、「変わっている」という理由で没を食らう。短篇小説作家としての名声を確立したあとは、長篇が書けないというプレッシャーに苦しめられる。
 それでもブラッドベリが成功したのは、周囲の人々にささえられたのと、本人が腐らず、あきらめずに努力をつづけたからだろう。当たり前のことだが、この当たり前のことをできる人間はかぎられているのだ。

 学術書なので、細かい点に拘泥しすぎる嫌いがあり、スラスラ読める本ではないが、ゴシップ的な観点からも興味深い。たとえば師匠のヘンリー・カットナーが、「作家としてオーガスト・ダーレスの轍は踏むな」とブラッドベリに忠告していたとか、イギリスでブラッドベリのオリジナル・ストーリーにマーヴィン・ピークが絵をつけた本が出ていたかもしれないなど。
 しかし、もっとも驚いたのはつぎのエピソードだ。

 ブラッドベリがハリウッドに進出を図っていた1951年。20世紀フォックスのプロデューサーに、あるSF短篇の脚色を頼まれた。その作品は、なんとジャック・ヴァンスの“Hard-Luck Diggings”。これは宇宙探偵《マグナス・リドルフ》シリーズの第1作だが、書きとばしの凡作である。

 その質の低さに困ったブラッドベリは、自作「長雨」の要素をヴァンスの短篇に混ぜこんで脚色したが、あえなく没になったという。(2012年6月14日)



2012.06.20 Wed » 『レイ・ブラッドベリ――虚構の人生』

【前書き】
 以下は2007年6月15日に書いたものである。誤解なきように。


 いまレイ・ブラッドベリの短篇集を訳している(追記参照)。ちょうど半分終わったところ。頭がすっかりブラッドベリなので、ブラッドベリ関係の本のことを書きたくなった。まずはジョナサン・エラーとウィリアム・F・トゥーポンスの研究書 Ray Bradbury: The Life of Fiction (The Kent State University Press, 2004)から。大判のハードカヴァーで570ページを超える大著である。

2007-6-15(Life of Fiction)

 妙にスキャンダラスになるので、表題をわざと直訳してみたが、じつをいうとこれは不適切。というのも、ご存じのように life には「人生」と「生命」のふたつの意味があり、fiction には「虚構」と「小説」のふたつの意味があるからだ。したがって本書の表題は、これらの言葉のさまざまな組み合わせを意味している。まったく翻訳者泣かせである。

 内容は、ひとことでいって学術書。ブラッドベリの主要著作をとりあげ、その成立の過程をくわしく論じ、改訂によるテキストの異同を詳細に吟味したうえで、テーマを分析している。
 だが、ブラッドベリの作品にはバフチーンのカーニヴァル化やら、ニーチェの道徳論やら、バシュラールの夢想の観念と同じものが見られるという議論がうっとうしい。たしかにその通りかもしれないが、あたりまえのことを小難しく言い換えているだけという気がしないでもない。まあ、学者だからしかたがないか。

 そういうわけで、ふつうの読者にはお奨めしないが、書誌情報は膨大だし、80ページ近い完璧な作品リストが付いているので、持っていて損はない。当方のようにブラッドベリについて書くことがある向きには、むしろ必携だろう。(2007年6月15日)

【追記】
 拙訳『猫のパジャマ』(河出書房新社、2008)のこと。


2012.06.19 Tue » 『ブラッドベリ 絵で見る半生』

 ジェリー・ワイスト著 Bradbury An Illustrated Life (Morrow, 2002) は、ブラッドベリの長年の友人が、作家の全面協力を得てブラッドベリの半生を図版資料でたどったもの。

2005-4-30(Illustrated Life)

 どのページを見ても貴重な図版ばかりで、まさに眼福。ファンなら必携の本なのである。
 
 とにかく、ブラッドベリが記事を書いて、ハネス・ボクがイラストを描いた謄写版のファンジンだとか、50年代のスリック・マガジンを飾った小説のカラー・イラストだとか、ブラッドベリ劇団の舞台写真だとか、ブラッドベリ自身のスケッチだとか、珍しい図版ばかり。

 せっかくなので、スキャンして一例をお目にかけよう。

2011-9-12(3)

 ブラッドベリ自身の手になる自著の表紙絵スケッチで、『何かが道をやってくる』と『黄泉からの旅人』である。これらのスケッチは画家にわたされ、じっさいの表紙絵に活かされることになる。

 もちろん、本文も充実していて、50年代ECコミックスとのかかわりを追求した章などは、資料価値が絶大。

 これはほんとうにいい本なので、ぜひとも邦訳を出したいのだが、いまのところ出版社から色好い返事はもらっていない。(2005年4月30日)

2012.06.18 Mon » ブラッドベリとムニャイニ

 ジョゼフ・ムニャイニというイラストレーターは、『10月はたそがれの国』や『太陽の黄金の林檎』の挿画でわが国でもおなじみだと思うが、ブラッドベリがもっとも信頼を寄せていた画家である。その作風に自分と共通する資質を感じとったらしく、「精神的なシャム双生児」とまでいっている。

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 ふたりの出会いに関しては、サム・ウェラーによる伝記『ブラッドベリ年代記』にくわしいのだが、それによると、ブラッドベリが偶然ある画廊の前を通りかかったとき、ムニャイニのリトグラフが目にとまり、強い衝撃を受けた。すぐに画廊に飛びこんで、こんどはムニャイニの油絵を見せられ、すっかり惚れこんでしまったのだという。
 最初に見たのが「モダン・ゴシック」と題された幽霊屋敷風の建物を描いた絵。つぎに見たのが「キャラヴァン」と題された不思議な絵。どこへも行けない橋の上にカーニヴァル列車が停まっている絵だ。たしかに、どちらもブラッドベリ好みのモチーフが、ブラッドベリ好みの暗いタッチで描かれている。じっさい「キャラヴァン」は、のちに長篇『何かが道をやってくる』の霊感源になったらしい。

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 ブラッドベリはこの2枚の絵を購入したいと思ったが、先立つものがない。「モダン・ゴシック」のリトグラフを月賦で買うのが精いっぱい。そこでムニャイニにこう持ちかけた――
「もしこの絵が売れ残ったら、半額でぼくに売ってくださいませんか。どうせ半分は画廊のとり分なんでしょう。それなら、あなたをあざむくことにはなりません。画廊はあざむいたっていいんです。あいつらは金持ちなんだから、いい面の皮ってものですよ」
 2週間後、ムニャイニから絵は2枚とも売れ残ったと連絡があり、ブラッドベリはめでたく絵を手に入れた。だいぶあとになってわかったのだが、ムニャイニはその絵を個展から引っこめて、ブラッドベリにゆずったのだった。

上。ムニャイニとブラッドベリ。1960年代初頭に撮影された写真。ブラッドベリは1920年生まれ。ムニャイニのほうが8歳年上で、イタリア生まれとのこと。

下。ムニャイニの油絵。左が「キャラヴァン」で、右が「モダン・ゴシック」。

(2011年9月11日)

2012.06.17 Sun » 『ブラッドベリ年代記』(ROC版)

【前書き】
 以下は2010年4月9日に書いた記事である。誤解なきように。


 クリストファー・コンロン編のリチャード・マシスン・トリビュート・アンソロジー『ヒー・イズ・レジェンド』の邦訳が小学館文庫より刊行された。
 原書は、この日記でも何度か書いたホラー系小出版社ゴーントレットの豪華本。こういう本の邦訳が出るとは、ふつうなら考えられない。マシスンというよりはキング&ヒル親子のご威光という気がしないでもないし、抄訳という点が残念だが、まずはめでたい。

 そのマシスンが師匠にトリビュート作品を寄せているアンソロジーがあるので紹介しよう。ウィリアム・F・ノーラン&マーティン・H・グリーンバーグがレイ・ブラッドベリの作家デビュー50周年を祝って編んだ The Bradbury Chronicles (ROC, 1991)である。もっとも、当方が持っているのは、例によって翌年同社から出たペーパーバック版だが。

2010-4-9(Bradbury Chronicles)

 編者のひとりノーランは、ブラッドベリ・ファンNo.1とでもいうべき存在で、ブラッドベリの旧友であるばかりか、ブラッドベリ研究者としても名を馳せている。トリビュート・アンソロジーを編むにあたって、これ以上の人選はない。そしてノーランは、人脈を活かして期待にたがわぬアンソロジーを作りあげた。

 ノーランの序文、アイザック・アシモフのはしがき、ブラッドベリの蔵出し短篇(追記参照)、ブラッドベリ自身のあとがきのほか、21人の作家がトリビュート作品を寄せている。意外な人が意外な作品をネタにして書いていたりもするので、整理して書いてみよう。

キャメロン・ノーラン 『たんぽぽのお酒』の続篇 *ノーラン夫人
エド・ゴーマン 「こびと」の続篇
ジェイムズ・キスナー 『火星年代記』の新エピソード
チャールズ・L・グラント 『何かが道をやってくる』の続篇
リチャード・マシスン
チャド・オリヴァー
ウィリアム・レリング・ジュニア 「アイナーおじさん」の続篇
チャールズ・ボーモント 1963年発表作の再録
ノーマン・コーウィン
ロバート・ランネス 『火星年代記』の新エピソード
リチャード・クリスチャン・マシスン  「見えない少年」を下敷きにした作品 *マシスン令息
チェルシー・クイン・ヤーブロ  「集会」の続篇
ブルース・フランシス  「みずうみ」の続篇
クリストファー・ボーモント *ボーモントの遺児
グレゴリイ・ベンフォード  『華氏451度』の続篇
ジョン・マクレイ  『死ぬときはひとりぼっち』の続篇
J・N・ウィリアムスン
F・ポール・ウィルスン  「十月のゲーム」を下敷きにした作品
ロバート・シェクリー  『火星年代記』の新エピソード
オースン・スコット・カード  『たんぽぽのお酒』の続篇
ウィリアム・F・ノーラン  『たんぽぽのお酒』の続篇

 注記がないものは、特定の作品へのトリビュートではなく、ブラッドベリの作風に似せたパスティーシュだと思ってほしい。
 
 集中ベストはオリヴァーかコーウィンの作品。前者はカリフォルニア・グループの一員、後者は1950年代にブラッドベリの作品をラジオに乗せた仕掛け人とあって、ブラッドベリとは因縁あさからぬ仲。ブラッドベリに対する熱い思いが伝わってくる秀作を書きあげた。

 上記2篇に代表されるように、特定の作品に対するトリビュートよりは、漠然としたパスティーシュのほうが出来がいい傾向がある。
 それでもシェクリーの『火星年代記』などは、ブラッドベリ本人が書いたといっても通りそうなほどだし、ノーラン夫人の作品もみごとな出来ばえ。玉石混淆の感は否めないが、総じて楽しめる本である。(2010年4月9日)

【追記】
 “The Troll”と題された軽いファンタシー。1950年に書かれた未発表作に手を入れたものだという。



2012.06.16 Sat » 『谺に耳をすませ』

【前書き】
 以下は2010年12月14日に書いた記事である。誤解なきように。


 夏からやっていた仕事が、とりあえず終わった。ブラッドベリの伝記の翻訳である(追記1参照)。
 なにしろ1000枚の大著なので、翻訳作業そのものにも時間をとられたが、それ以上にブラッドベリの作品の読み返しに時間をとられた。というのも、ブラッドベリの作品の内容に踏みこんだ記述が多いので、再読しないと不安で仕方がないのだ。まあ、再読自体は楽しかったが、それ以外の本がまったく読めなくなるのが困った。とにかく、今年の後半はブラッドベリ漬けで終わったような気がする。

 ゲラを見るのはもちろんのこと、邦訳書誌や索引の作成といった面倒な仕事がまだ残っているのだが、ひとまず解放感に浸っている。今日くらいはブラッドベリのブの字も見たくない。

 といった舌の根も乾かないうちに、ブラッドベリのインタヴューを紹介しよう。サム・ウェラー著 Listen to the Echoes: The Ray Bradbury Interviews (Melville House / Stop Smilling Books. 2010)である(追記2参照)。

2010-12-14(Listen)

 今年の6月に出た本で、伝記の翻訳の参考にしようと思って買った。著者のウェラーは、その伝記の著者でもある。どういうことか説明しよう。
 ウェラーは伝記を書くため4年がかりでブラッドベリに膨大なインタヴューをおこなった。その成果は伝記に結実したが、使われなかった部分も多く、その内容がめっぽう面白い。これを埋もれさせておくのは惜しいと考えた人がたくさんいて、インタヴューを整理しなおした本が出たというしだい。伝記と重複する部分が多いが、読みものとしての面白さは抜群なので、興味の向きには強くお勧めする。

 全体は13章に分かれ、「子供時代」「ハリウッド」「自作について」「信仰」「政治」「SF」といった具合に話題ごとにインタヴューが整理されており、さらに付録として、1976年におこなわれたが、これまで未発表だった雑誌のインタヴューが併載されている。ついでに書いておくと、収録されている写真は珍しいものばかりで、見ていると顔がにやけてくる。

 伝記に載っていないエピソードをひとつ紹介しよう。
 ブラッドベリが29歳のとき。バス停でUCLA行きのバスを待っていると、同じベンチに22歳くらいの青年がすわっている。青年は山ほど本をかかえていて、それがすべて科学書。人なつっこいレイは、青年に話しかけ、青年がUCLAのSFクラブの会員だと知る。
「好きな作家は?」
「ええと、アシモフ、クラーク、ハインライン……」
 しばらく待っていると、「ブラッドベリ」と名前があがった。
「ああ、ブラッドベリ! きみはブラッドベリが好きなのかい?」
「ええ、大好きです」
「ブラッドベリに会ってみたくないかい?」
「ぜひ会ってみたいです」
「そうか、きみの目の前にいるよ」
 バスが来て、車内でふたりの会話はつづく。
「きみの出身は?」
「キューバです」
「へえ、キューバのどこ? ハバナ?」
「その近く。ピカ・デ・ビアというところ」
「へえ、そういえば、ラストネームはなんていうの?」
「ヘミングウェイ」
 青年は文豪アーネスト・ヘミングウェイの息子だったのである。

蛇足
 本書の序文は、伝説のロック・バンド、ピクシーズのリーダー、ブラック・フランシスが書いている。ミュージシャンといえば、デイヴィッド・ボウイやサミー・デイヴィス・ジュニアがブラッドベリの大ファンで、ブラッドベリとの出会いに関して面白いエピソードが載っているのだが、またべつの機会に。(2010年12月14日)

【追記1】
 拙訳『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社、2011)のこと。

【追記2】
 この本は先ごろ『ブラッドベリ、自作を語る』(晶文社、2012)として邦訳が出た。