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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.03.19 Tue » 『着陸降下進路』

【前書き】
 本日はアーサー・C・クラークの命日である。故人を偲んで、2009年1月31日に書いた記事を大幅に加筆修正したうえで公開する。


 アーサー・C・クラーク唯一の非SF長篇として名高い Glide Path (1963) を読んだ。初版はハーコート、ブレイス&ワールドのハードカヴァーだが、当方が持っているのは2年後にデルから出たペーパーバックだ。

2009-1-31 (Glide Path)

 第二次大戦中、クラークは技術士官として航空機のレーダー誘導着陸技術の実用化に従事していた。その後GCA(Ground Cotrolled Approach)の略称で世界じゅうに広まり、いまでも安全運航の基礎をなしている技術である。黎明期ならではの苦労の連続だったらしいが、その時代の体験を基にして書かれたのが、この本というわけだ。ただし、本書のなかではGCD(Ground Controlled Descent)という名称に変更されている。

 物語は二十歳そこそこの若き空軍士官、アラン・ビショップが北海沿岸のレーダー基地をあとにするところからはじまる。ビショップは、民間人時代にラジオの修理を職業としており、その知識を買われてレーダー技術仕官に抜擢されたのだが、いま新たな任務があたえられたのだ。その任務とは、レーダーによる航空機の着陸誘導技術の実用化である。アメリカで開発されたばかりの技術だが、ある英国武官がその重要性を見ぬき、アメリカ軍の鼻先から装置と技術者をまとめてイギリスにかっさらってきたのだ。ビショップは、厳重な秘密保持体制のもと、彼らと協力して前例のない仕事にとり組むのだった……。

 戦時中の話だが、舞台はコーンウォールの片田舎、それも訓練部隊の基地とあって、いたってのんびりしている。前半でいちばんサスペンスの盛りあがるのが、クラークの分身である主人公ビショップが、娼館で部下と鉢合わせしそうになる場面なのだから、あとは推して知るべしだ。
 後半にはいると、人の生死にかかわる事態が続出するが、戦争ものに予想される派手な展開とは無縁である(もっとも、主人公がぶっつけ本番で誘導するはめになった謎の実験機が、世界最初のジェット機、ミーティアの一番機だったという飛行機マニアなら泣いて喜ぶ場面もあるが)。

 というわけで、いたって地味な小説ではあるものの、かなり面白い。簡単にいえば、ひとりの青年の成長物語だが、レーダー技術にかかわるエピソードが、それを特異なものにしているのだ。
 さらに主人公をとり巻く人々も個性的で、クラークは淡いユーモアのにじむ筆致で彼らの行状を活写している。それぞれモデルがいるらしいが、とにかくひと癖もふた癖もある人物ぞろいなのだ。

 ちなみに、クラークは戦時中のこの体験をノンフィクションの形でも発表している。「貴機は着陸降下進路に乗っている――と思う」がそれで、拙訳が〈ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク〉第1巻『太陽系最後の日』(ハヤカワ文庫SF、2009)にはいっている。小説の主要エピソードは、こちらでも簡潔に語られているので、未読の人には強くお勧めしておく。(2009年1月31日+2013年3月18日)

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2012.07.28 Sat » 『オデッセイ』

【前書き】
 以下は2011年3月19日に記したものである。誤解なきように。


【承前】
 本日はアーサー・C・クラークの3回忌だ。この日までにと思って、ジョージ・ゼブロウスキーによるクラーク・インタヴューを読んだ。
 さほど目新しい内容はなかったが、クラークが尊敬する作家としてジョン・キア・クロスの名前をあげているのが意外だった。そう、「義眼」のジョン・K・クロスだ。
 ジョン・ウィンダムについてはこういっている――「ジョンはたいへんな好人物だったが、不幸にして小説家としては致命的な欠点があった。彼には不労所得があったんだ。もしなかったら、もっとたくさん書いていたにちがいない」

 じつは本文よりも、ゼブロウスキーの序文のほうが面白かった。とりわけクラークにはじめて会ったときのことを回想した部分。
 ときは1961年10月初旬、ところはニューヨーク・コロシアム。ここでアメリカ・ロケット協会の集会が開かれていたのだ。当時ハイスクールの生徒だったゼブロウスキーは、会場の一角で聞き覚えのある名前を耳する。ある宇宙船の概念図を指さして、だれかが「それはクラークの月着陸船だよ」といったのだ。その声はつづけていった――「ほら、クラーク本人がそこにいる」
「どこに?」とゼブロウスキーがたずねると、「すぐそこ、きみの隣」という答え。信じられない思いで首をめぐらすと、砂色の髪をした紳士が、身をかがめて月着離船の絵を熱心に見ていた。たしかに、『都市と星』のカヴァー裏に載っていた写真の人物だ!
 興奮したゼブロウスキーは、自己紹介してクラークのファンであることを告げ、持っていた協会の機関誌にサインしてもらう。するとクラークが、今晩のパーティーに来ないかと誘ってくれた。
 天にも昇る心持ちで会場へ行くと、ドアの前でクラークが待っていて、会場内でウィリー・レイとヴェルナー・フォン・ブラウンを紹介してくれる。フォン・ブラウンに「きみはなにになりたいの?」と訊かれたゼブロウスキーは「作家です」とおずおずと答える。すると、フォン・ブラウンは「よし、がんばれ」といってくれる。感激のあまり、ゼブロウスキーはフォン・ブラウンのサインをもらうのを忘れたという。

 あー、書いていてうらやましくなる。

 さて、クラークの本格的な伝記といえばニール・マカリアーの Odyssey: The Authorised Biography of ARTHUR C. CLARKE (Gollancz, 1992) がある。ハードカヴァー400ページあまりの大冊で、1990年くらいまでのクラークの人生を丹念に追っている。ブラッドベリの伝記もそうだが、作家になるまでの話がめっぽう面白いので、これが未訳なのは残念というほかない。

2011-3-19(Odyssey)

 著者は航空宇宙関係のライターのようだが、よく知らない。ご存じの方はご教示ください。

 内容については、牧眞司氏が本書を基に詳細な年譜を作っているので、そちらに当たってもらいたい。拙編のクラーク傑作集〈ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク〉全3巻(ハヤカワ文庫SF)に分載されているので、ぜひお読みください。

 と、これで終わるとただの宣伝になるので、ひとつだけエピソードを紹介。

 19歳から20歳のころ、クラークはロンドンにいて、宇宙飛行の実現に情熱をかたむける者の集まり〈英国惑星間協会〉のメンバーとして活躍するいっぽう、SFファンの集まりにも欠かさず顔をだしていた。〈英国惑星間協会〉の会合は、あるパブで隔週の木曜日に開かれていた。なぜ毎週でないかというと、そのあいだの木曜日にSFファンが同じパブで会合を開いていたからだ。ちなみに、両者のメンバーは80パーセントが重複していたそうだ。(2011年3月19日)


2012.07.27 Fri » 『複数の前哨』

 Sentinels In Honor of Arthur C. Clarke (Hadley Rille, 2010) は、題名からおわかりのとおり、2008年3月に亡くなったSF界の巨星アーサー・C・クラークに捧げるトリビュート・アンソロジーだ。ハードカヴァーとトレードペーパーの2種があるが、当方が持っているのはもちろん後者である。

2011-3-14(Senteniels)

 編者はグレゴリイ・ベンフォード&ジョージ・ゼブロウスキー。前者はクラーク作品の続篇を公式な立場で書いたこともあるハードSF作家、後者は作家であると同時にSF界の世話役的立場にある人物で、ふたりとも生前のクラークとは親しくしていた。トリビュート・アンソロジーの編者としては、申し分のない人選といえる。

 巻頭の献辞が泣かせる――「サー・アーサー・C・クラークではなく、われらが生涯の友アーサーに捧ぐ」

 この種のアンソロジーは新作書き下ろしと相場が決まっているが、編者たちはそういう手段をとらなかった。基本的に再録、しかもクラーク論やエッセイをふくめるという非常にマニアックな本を作りあげたのだ。さらに、作家によっては小説再録に合わせて書き下ろしのエッセイを寄せてもらうなど、隅々まで配慮が行きとどいている。

 未訳作品の題名をずらずら並べてもしかたないので、簡略化した形で目次を示そう。特記したもの以外は小説である――

1 ダミアン・ブロデリック(評論)
2 ハワード・ウォルドロップ&A・A・ジャクスン四世
3 グレゴリイ・ベンフォード(書き下ろしエッセイ付き)
4 アレン・スティール
5 ジョーン・スロンチェフスキー
6 シーラ・フィンチ
7 ラッセル・ブラックフォード(評論)
8 スティーヴン・バクスター(書き下ろしエッセイ付き)
9 フレデリック・ポール(再録エッセイ付き)
10 「おお、ミランダ!」チャールズ・ペレグリーノ&ジョージ・ゼブロウスキー
11 「血清空輸作戦」ロバート・A・ハインライン
12 アイザック・アシモフ
13 「プリティ・ボーイ・クロスオーヴァー」パット・キャディガン
14 ジェイムズ・ガン
15 クリストファー・マッキターリック
16 ジャック・ウィリアムスン
17 パメラ・サージェント
18 ジョージ・ゼブロウスキー(評論)
19 アーサー・C・クラーク(ゼブロウスキーによる未発表インタヴュー)

 ハインラインとアシモフを並べたあたりは粋なはからい。ウィリアムスンの作品をふくめ、再録アンソロジーだからこそできた芸当である。

 ちなみに版元はSFマニアが立ち上げたスモール・プレス。編者たちは企画を持っていろいろな出版社をまわったが、手をさしのべてくれたのはここだけだったという。

 偉そうに書いてきたが、バクスターの小説(暗黒物質によるビッグ・リップを題材にした静謐な破滅もの)を読んだほかは、エッセイを拾い読みしたくらいなのが情けない。来る19日はクラークの3回忌なので、それまでにインタヴューくらいは読んでおこう。(2011年3月14日)

2012.07.26 Thu » 『白鹿亭綺譚』

【前書き】
 以下は2011年6月23日に記したものである。


  うれしい本が届いた。アーサー・C・クラーク著 Tales from the White Hart (PS Publishing, 2007)だ。
 普及版ハードカヴァー限定500部のうち27番。クラークのサイン入り。

2011-6-23(White Hart 3)


 表紙絵がなかなかいいので裏表紙もスキャンしておいた。画家はなんとJ・K・ポッター。へえ、こんな絵も描くのか。

tales1tales2

 これはクラークのユーモアSF連作として有名な『白鹿亭綺譚』の50周年記念版。邦訳のある1957年版とのちがいは、①スティーヴン・バクスターの序文、②クラークが1969年版に寄せた「まえがき」、③新作短篇(バクスターとの共著)の収録である。

 お目当てはもちろん③。ハヤカワ文庫で《ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク》を編んだとき、クラークの中短篇はすべて読んだつもりだったのだが、当時はこの短篇のことを知らずに読みもらしていた。昨年その存在に気づいたのだが、すでに新刊では手にはいらず、貧乏翻訳家にはおいそれと手が出ない古書価がついていた。ようやく手の出る値段のものを見つけたので、今回購入に踏みきったしだい。
 クラーク&バクスターの作品の例にもれず、クラークはアイデアを出すだけで、文章は1行も書いていないのだろうが、それでも胸のつかえがとれてすっきりした。

 問題の短篇は “Time Gentlemen Please” (コンマがないのは誤記ではない)。かつてパブ〈白鹿亭〉に集った面々が、50年ぶりに再会を果たす物語だ。クラークの分身チャールズ・ウィリスは、携帯電話のTV画面を通じて地球の裏側から参加している。人呼んでヴァーチャル・ゲスト・オブ・オナー。

 いっぽう生身のゲスト・オブ・オナーはベン・グレッグフォード。物理学の博士なのだが、モデルがだれかはおわかりですね。骨董品集めが趣味で、手に入れたばかりの掘り出し物(17世紀の白鑞製大ジョッキ)をホクホク顔で撫でさすっている。

 そこへ登場したのが、90代となったハリー・パーヴィス。例によって怪しげな話をはじめる。オーストラリアにいたころ、知り合いの物理学者が、自分のまわりの時間だけを早める実験に成功したというのだ。その割合は1対1万。つまり、世間で1秒たつあいだに、自分は1万秒、すなわち約3時間分の活動ができるというわけだ。もちろん、まわりは凍りついたように見えるにちがいない。

 これを聞いて、参加者のひとりが携帯電話に向かっていう――「おい、チャールズ、あんたの短篇にそういうのがなかったっけ? 美術品泥棒が時間を遅らせる話。題名はたしか――『愛に時間を』かな?」
「そいつはハインラインだ」とべつの参加者。
「じゃあ『時は乱れて』かな?」
「ディックだ!」

 こういうくすぐりがあったあと、時間を早めた結果が語られる。ウェルズの「新加速剤」でもクラークの「時間がいっぱい」でも看過されたマイナス面が明らかになり、実験者は死亡してしまうのだが、その詳細はまたの機会に。
 パーヴィスの話のあいだ、ベン・グレッグフォードが専門の物理学の立場からしきりに疑問を呈し、パーヴィスを追いつめるが、最後に逆襲される。パーヴィスによれば、その時間加速法は人間にとっては致命的でも、物品にとってはそうではない。たとえば、新品の白鑞製大ジョッキをこの加速装置にかければ、あっというまに骨董品ができあがる。どうやらこの装置が悪用されている節があるのだが……。(2011年6月23日)

2012.07.25 Wed » 『ドラブルⅡ――二重世紀』

 アーサー・C・クラークの短篇を全部読もうと思って、未訳の作品が載っているアンソロジーを2冊とり寄せた。そのうちの1冊は前に紹介したが、残る1冊がロブ・ミーズ&デイヴィッド・B・ウェイク編の Drabble Ⅱ: Double Century (Beccon, 1990) だ。ファン出版の小型ハードカヴァーである。

2009-12-1 (dorabul)

 ドラブルというのは、モンティ・パイソンの造語を冠した新形式の文芸。100語きっかりで書かれた超ショートショートのことである。邦訳したら400字詰め原稿用紙1枚に満たない短さだ。

 もともとはイギリスのSFファンふたりが思いついて、十数編を集めたファンジンを作ろうと思ったのだが、話を聞いた者たちがわれもわれもと参加を希望して、百篇を集めた本にふくれあがった。しかも、寄稿者にはブライアン・オールディス、アイザック・アシモフなどの著名作家も多数ふくまれていた。
 1988年に出た第一集が好評で、2年後に出た続篇が本書というわけだ。限定1000部のうち941番の通し番号がはいっている。

 面白いのは、チャリティを目的にしていること。収益は盲人のための読書プログラムに寄付される。したがって原稿料はなく、現物が一部支給されるのみ。それでもロジャー・ゼラズニイ、ブルース・スターリング、C・J・チェリイなど、錚々たる面々が顔をそろえている。

 クラークが寄せたのは “Tales from the “White Hart”, 1990: The Jet-Propelled Time Machine” と題された1篇。《白鹿亭綺譚》の新作なので、ひょっとしてハヤカワ文庫版《ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク》に使えないかと思ったのだが、そういうわけにはいかなかった。
 
蛇足。掲題の「二重世紀」は無理やりの直訳。本来は「2×100」の意味だが、それだと面白くないので、わざとこうした。(2009年12月1日)

2012.07.23 Mon » 「陰気の山脈にて」のこと

 《ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク》を編むことになって、クラークの中短篇すべてに目を通すことにしたのだが、デビュー以前にファンジンに発表した7篇のうち1篇が手元になかった。そこであわてて問題の作品が収録されているアンソロジーを注文した。
 ロバート・M・プライスが編んだ The Antarktos Cycle (1999) という本で、このなかに “At the Mountains of Murkiness: or, From Lovecraft to Leacock” というクラークの短篇がはいっているのだ。もともとは〈サテライト〉というファンジンの第3巻第4号(1940年)に発表されたものだそうだ。

 勘のいい方ならおわかりのように、これはH・P・ラヴクラフトの代表作のひとつ「狂気の山脈にて」“At the Mountains of Madness” (1936) のパロディ。副題に名前が出ているリーコックは、カナダのユーモリスなので、どんな作品かはだいたい想像がつく。
 クラークとラヴクラフトというとピンとこないかもしれないが、クラークがロード・ダンセイニの心酔者だったことを思えば意外ではない。幻想の宇宙年代記志向という点で共通しているし、じっさい、『銀河帝国の崩壊』あるいは『都市と星』に出てくる〈狂った精神〉のくだりは、クトゥルー神話めいたところがある。
 それで思いだしたが、若いころのクラークは、SF誌〈アスタウンディング〉の熱心な読者だったので、「狂気の山脈にて」も「時間からの影」も初出時にリアルタイムで読んで感銘を受けているのだ。

 で、この作品だが、原典にならって、南極探検隊が遭遇する異常な事件を描いている。パロディの常道で、原典のストーリーや文体を巧みに模倣しながら、おどろおどろしい雰囲気とは落差の大きい滑稽な言葉を放りこむという書法。ファン・ライティングの鑑のような作品だ。

 原文を見てほしいので、さわりを引用しておく――

That we fled the wrong way was, under the circumstances, nobody's fault. So great had the shock been that we had completely lost our sense of direction, and before we realized what had happend we suddenly found ourselves confronted by the Thing from which we had been trying to escape.
I cannot describe it: featureless, amorphous, and utterly evil, it lay across our path, seeming to watch us balefully, For a Moment we stood there in paralyzed fright, unable to move a muscle. Then, out of nothingness, echoed a mournful voice.
“Hello, where did you come from?”

 最後にいかにも英国人というギャグがあって、大いに笑わせてもらった。探検隊は、怪物がお茶を淹れている隙に逃げだすのだが、出口直前で追いつかれてしまう。すると息を切らせて突進してきた怪物がいうのだ――「コンデンスト・ミルクしかないんだが――かまわないかな?」(2009年7月29日)

【追記その1】
 この作品は、のちに竹岡啓氏によって「陰気な山脈にて」として訳出され、コミックス版『狂気の山脈』(PHP研究所、2010)に収録された。

【追記その2】
 掲題では「陰気の山脈にて」となっている作品名が、追記では「陰気な山脈にて」になっているのは不統一だという指摘をいただいた。これは意図的なものである。
 原題は「狂気の山脈にて」のもじりなので、掲題はそれにならっている。しかし、追記に登場するのは、じっさいの訳題なので、こう書くしかない。
 混乱を招くもとだとわかったが、この日記を書いたほうが早いし、原題が駄洒落である点を強調したいので、無理に統一する必要はないと判断した。

 念のために書いておくが、「狂気の山脈にて」のほかに「狂気山脈」、「狂気の山にて」という訳題も存在したが、いちばんポピュラーだと思われた「狂気の山脈にて」にならったのだった。「狂気の山脈」という訳題は、この日記を書いた時点では存在しなかった。


2012.07.22 Sun » 『アーサー・C・クラーク中短篇集成』

 この前クラークのノンフィクション集成を紹介したので、小説集成のほうも紹介しておこう。The Collected Stories of Arthur C. Clarke (Orion/Gollancz, 2001)である。ただし、当方が持っているのは、同年にトーから出たアメリカ版ハードカヴァーだが。

2008-7-10(Complete)

 これは1000ページ近い大冊で、クラークが1937年から1999年にかけて発表した中短篇と、小説とはいえない小品や記事が104篇おさめられている。細かい活字がぎっしり組まれていて、1ページあたり、400字詰め原稿用紙で4枚近くの枚数を収録しているといえば、そのヴォリュームは想像がつくだろう(それでも収録できなかった作品が5篇あるというから驚きだ。そのうちの1篇は『銀河帝国の崩壊』の雑誌掲載ヴァージョンだから、当然といえば当然だが)。
 ほぼ全篇にクラークのコメントが付いているのがうれしい。ただし、書き下ろしではなく、編集者がいろいろなところから探してきたもの。立派な仕事である。

 当方の知るかぎり、未訳作品は7篇。そのうち4篇はデビュー前にファンジンに発表した習作短篇(3篇)とエッセイ。1篇は半ページにも満たない小品(コント)。1篇は長篇『神の鉄槌』の原型短篇である。

 残る1篇は、1951年に〈エアレス〉という女性雑誌に4回連載された中篇。チャールズ・ウィリスの筆名で発表された。本人は「なぜ筆名を使ったのか憶えていないが、マッチョなイメージを壊したくなかったのかもしれない」と述べている。

 じっさい、その作品 “Holiday on the Moon” は、まさに女性誌向けの科学啓蒙小説。ときは21世紀初頭、月の天文台に勤める科学者のもとへ、その妻と娘と息子が休暇を利用して訪ねるようすを描いている。ストーリーというほどのものはなく、主に18歳の長女の視点で旅行の模様がスケッチされる。

 もちろんクラークのことだから、その描写は迫真的。読んでいると、どうしてこういう宇宙旅行が実現していないのだろうと不思議になる。
 貴重な未訳作品なので、いつか紹介したいものだ(追記参照)。
 
 そういえば、クラークには未来の海中レジャーを予言した “Undersea Holiday” (1954) というノンフィクションがある。合わせて訳出したら面白いのではないか。(2008年7月10日)

【追記】
 この作品は、「月面の休暇」(小野田和子訳)として《ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク》第2巻『90億の神の御名』(ハヤカワ文庫、2009)に収録した。

2012.07.21 Sat » 『インド洋の財宝』

【承前】
 マイク・ウィルスンの沈没船探しでは、初期段階で少年ふたりが大活躍した。そのせいかどうかは知らないが、The Treasure of the Great Reef を青少年向けにした本が出ている。それが Indian Ocean Treasure (Harper & Row, 1964) だ。
 大人向けよりひとまわり大きく、ひとまわり薄い本になっている。ちなみに、これも図書館の廃棄本。

2011-10-21(Treasure)

 簡単にいうと、The Treasure of the Great Reef を半分ほどにちぢめ、一部の文章を書きあらためたもの。レイアウトがちがい、数えまちがいでなければ、写真は48枚が収録されている。

 すでに書いたように、1961年の遠征ではふたりの少年が活躍した。ボビー・クリーゲル(14歳)とマーク・スミス(13歳)で、ふたりともスリランカ在住アメリカ人の子弟である。
 上掲の表紙写真は、引き揚げた銀貨のかたまりと小型の大砲(いわゆる旋回砲)をふたりが調べているところ。向かって右側がボビー、左側がマークである。

 クラーク流にいえば、ふたりは「実質的に両棲類」であり、卓越したダイヴァーだった。その実力を見こまれて、ウィルスン製作の水中映画に出演することになり、グレート・バセスに赴いて、たまたま沈没船の遺物に遭遇したのだった。

 マークの日記を読んだクラークが、たいそう感銘を受けて、それを引用している。面白いので紹介しよう――

「先日わたしは、この遠征に関するマーク・スミスの日記にぶつかった。簡潔すぎて、もどかしいほどなので、全文を引用したくなる。最初の記述はたったのこれだけ――『1961年3月12日。到着』」
 
 クラークによれば、このそっけない記述の裏には、椰子の木にふちどられたセイロンの南西岸――世界でも指折りの絶景――を175マイルにわたってドライヴし、アウトリガー型ボートが浜にならぶ漁村をいくつも通り過ぎ、場合によっては象に出会えるジャングルのわきを通ってキリンダという漁村にたどり着き、そこで船に乗り換えて荒波を越え、絶海の岩礁にそびえる灯台へいたった旅程が潜んでいるのだという。
 言葉を惜しむのもほどがある!(2011年10月21日)

2012.07.20 Fri » 『大珊瑚礁の財宝』

 わけあって先日アーサー・C・クラークの海洋ノンフィクション The Treasure of the Great Reef (Harper & Row, 1964) を引っぱりだしてきた。そのわけは、近々ある方が発表するかもしれないので、ここでは触れないでおく(追記参照)。

2011-10-20(Treasure)

 さて、本書はクラークがスリランカに定住し、スキューバ・ダイヴィングに熱中していたころの著作で、クラーク本人が体験した沈没船の宝探しを題材にしている。

 話は1961年にはじまる。クラークの友人で水中カメラマンのマイク・ウィルスンは、スリランカ南東部の沖合にあるグレート・バセスという珊瑚礁で取材を数年来つづけていた(1959年にはクラークも同地へ赴いている)。この年ウィルスンは、14歳と13歳のアメリカ人少年ふたりを同行させていた。三人は水中観察に精をだしていたが、たまたまウィルスンが、古い小型の大砲らしいものを海底に発見した。調べてみると、硬貨のようなものもたくさん見つかった。おそらく近くに沈没船があるにちがいない。
 だが、運悪く、その海域で潜れるシーズンは終わるところだった。満足のいく調査ができないまま、三人はグレート・バセスを離れることを余儀なくされた。

 彼らが持ち帰った硬貨は、アウランゼブ皇帝統治下のムガール帝国で1702年に鋳造されたものだと判明した。ウィルスンは本格的な沈没船探しを秘密裏に行うことを決意する。

 カラー水中映画で成功をおさめていたウィルスンは、調査のために船を建造することにし、準備万端ととのえたうえで、1963年にチームを組んでグレート・バセスにもどった。クラークもチームの一員として同行した。

 調査は難航し、沈没船も船体は原型をとどめていないと判明する。それでも大型の大砲、大量の銀貨、ピストルの銃床などの遺物を引き揚げることに成功した。銀貨の多くは固着したかたまりになっており、そのうちのひとつはのちにスミソニアン博物館に寄贈された。

 以上の顛末をユーモアたっぷりに語ったのが本書。写真が60枚収録されており、非常に楽しい本である。表紙の写真は、ウィルスンが銀貨を調べているところ。背景にグレート・バセスの灯台と周辺の海が合成されている。
 書き忘れたが、本書はマイク・ウィルスンとの共著になっている。

 ところで当方が持っている本は、どこかのハイスクール図書館の廃棄本(学校名は墨で塗りつぶしてある)。当時の青少年は、この本を読んで胸をわくわくさせたのだろうなあ。(2011年10月20日)

【追記】
 ことの起こりは、作家で古本マニアの北原尚彦氏から問いあわせを受けたこと。古い学習雑誌を買ったら、クラークの「大さんご礁の宝」という海洋ノンフィクションが載っていたが、ほかに邦訳はあるのか、というお尋ねである。もちろん、当方は初耳だった。
 くわしいことは、北原氏のweb日記「古本的日常」2011年10月18日の記述をお読みください。

http://homepage3.nifty.com/kitahara/furuhon2011.html#2011/10

 余談だが、以前クラークの科学エッセイ「ベツレヘムの星」を本邦初訳と銘打って翻訳したところ、すでに「賢者の星」として山高昭訳が存在することを北原氏に教えていただいた。あらためて感謝するしだい。

 
 

2012.07.19 Thu » 『拝啓、炭素基盤二足歩行生物殿!』

 クラークほどの作家になると、小説はほとんど訳されているが、ノンフィクションになると話はべつ。共著もふくめれば、三分の一以上が未訳ではないだろうか。
 そういうノンフィクションの業績をコンパクトにまとめた本がある。イアン・T・マッコリー編 Greetings, Carbon-Based Bipeds! Collected Essays, 1934-1998 (St.Martin's, 1999) である。ただし、当方が持っているのは、例によって翌年同社から出たトレード・ペーパーバックだが。

2007-12-22(Greetings)

 副題にあるように、1934年から98年にかけて書かれたエッセイ、書評、ノンフィクションなどを精選したもの。編者はクラークとは50年以上のつきあいになる科学ジャーナリストで、 世に知られていない珍しい文章を発掘するいっぽう、定番をキチンとおさえ、手堅い傑作集を作っている。ちなみにクラークの長篇『宇宙島に行く少年』は、この人に捧げられている。

 邦訳のある『未来のプロフィル』や『スリランカから世界を眺めて』などと重複する部分も多いが、はじめて見るような文章もある。
 たとえば1940年代の文章は、ほとんどがファンジンや航空宇宙業界の専門誌に書かれたもの。若き日のクラークというのはあまり想像がつかないが、この辺の文章を読んでいると、目を輝かせて宇宙開発について語るSFファンの姿が浮かんでくる。
 当然ながらロケットや宇宙に関するものが多いが、ロード・ダンセイニの魅力を熱っぽく語ったものもある。
 もちろん、通信衛星のシステムを予言した有名な科学論文も載っているし、第二次大戦中に従事していたレーダー誘導システムの開発秘話もある。後者はユーモラスな筆致で書かれており、じつに面白い(この体験を基にクラークはのちに長篇小説を書いたが、あいにく未訳である。残念)。

 だが、圧巻は50年代に書かれたスリランカとその海に関する一連のエッセイだろう。新天地を見つけた喜びと、海のすばらしさ、恐ろしさが瑞々しいタッチで描かれており、読んでいると胸が躍る。
 とりわけクラークは水中撮影の分野でパイオニアのひとりであり、海中映画草創期の悲喜こもごもを綴った部分は読ませる。当方も海に潜るので贔屓目もあるかもしれないが、それでもこの辺の著作が未訳なのは、惜しいといわざるを得ない。

 ほかにもすばらしい文章が目白押しだが、80年代、90年代になると追悼文が多くなるのがなにか悲しい。(2007年12月22日)

【追記】
 クラークが亡くなり、〈SFマガジン〉2008年6月号が追悼特集を組んだとき、同書から選びぬいた三篇を訳載した。上記のレーダー誘導システム開発秘話「貴機は着陸降下進路に乗っている――と思う」、科学エッセイ「ベツレヘムの星」、海洋ノンフィクション「グレート・リーフ」である。
 これらは当方が編んだ《ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク》全3巻(ハヤカワ文庫SF、2009)に順におさめられた。