2013.07.20 Sat » リン・カーターのこと
リン・カーターといえば、作家としては三流、評論家としては二流、ファンタシーの目利きとしては一流といった評価がおおむね定着している。それに異論をさしはさむ気は毛頭ない。
だが、そのファンタシー馬鹿一代ぶりは尊敬に値するし、好きか嫌いかといえば、確実に好きな作家・アンソロジストのひとりである。その駄目なところをふくめて偏愛の対象なのだ。
じつは大むかしにリン・カーターの小説を訳している。同人誌〈ローラリアス〉の8号に載せた「黒い月翳」という50枚の短篇だ。これは《ゾンガー》シリーズの1篇。若きゾンガーの活躍を描いたもので、海賊時代の話である。


《コナン》シリーズの「黒い海岸の女王」の校訂をしているとき、よく似た設定の話ということで思いだしたので、引っぱりだしてきた。奥付を見ると、発行は1984年11月20日。それから20年もたって、カーターの評論『ファンタジーの歴史――空想世界』(東京創元社)を訳出することになるとは夢にも思わなかった。
訳者名が畑村針になっているが、これはハリー・パターソン(ジャック・ヒギンズの別名)のもじり。当時はヒギンズやバグリイに傾倒していたのである。われながら恥ずかしい筆名だ。
ちなみに、イラストを描いてくれたのは亜神さん。作家、ひかわ玲子女史の兄君である。(2006年10月1日)
だが、そのファンタシー馬鹿一代ぶりは尊敬に値するし、好きか嫌いかといえば、確実に好きな作家・アンソロジストのひとりである。その駄目なところをふくめて偏愛の対象なのだ。
じつは大むかしにリン・カーターの小説を訳している。同人誌〈ローラリアス〉の8号に載せた「黒い月翳」という50枚の短篇だ。これは《ゾンガー》シリーズの1篇。若きゾンガーの活躍を描いたもので、海賊時代の話である。


《コナン》シリーズの「黒い海岸の女王」の校訂をしているとき、よく似た設定の話ということで思いだしたので、引っぱりだしてきた。奥付を見ると、発行は1984年11月20日。それから20年もたって、カーターの評論『ファンタジーの歴史――空想世界』(東京創元社)を訳出することになるとは夢にも思わなかった。
訳者名が畑村針になっているが、これはハリー・パターソン(ジャック・ヒギンズの別名)のもじり。当時はヒギンズやバグリイに傾倒していたのである。われながら恥ずかしい筆名だ。
ちなみに、イラストを描いてくれたのは亜神さん。作家、ひかわ玲子女史の兄君である。(2006年10月1日)
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2013.02.20 Wed » 「五つの月が昇るとき」のこと
【承前】
ジャック・ヴァンスの作品を訳したくて、Fantasmas and Magics 所収の未訳作品のなかでいちばん面白く思えた When the Five Moons Rise (1954) という短篇を訳すことにした。邦訳して40枚弱の短篇。1985年も終わりに近いころである。
じつは発表のあてがあった。といっても、もちろんファンジン・レヴェルの話だが。当時、米村秀雄氏の肝いりでTHATTA文庫(発行はG.E.O.名義)というのが出ており、そこに投稿するつもりだったのだ。
ご存じの方も多いだろうが、関西の有力SFファン・グループが〈THATTA〉というファンジンを出しており、そこの分派活動としてはじまったのが同叢書。20ページ前後のペラペラの小冊子を文庫サイズで刊行するというもので、最終的に50冊を超えた。短篇ばかりでなく、長篇も細切れ分冊で刊行するという非常に意欲的な叢書であった(ただし、完結した作品はすくなかった)。
当方は米村氏と面識があり、同じヴァンス・ファンということで、ヴァンスを訳したら刊行してもらえることになっていたのだ。
こうして出たのが「五つの月が昇るとき」である。上下分冊で、整理番号は27と30。発行日はそれぞれ「昭和61年1月19日」と「昭和61年2月16日」となっている。


表紙の絵は、おそらく米村氏本人の手になるもの。
じつはこの訳が〈SFマガジン〉に転載されることになり、当方にとって新しい道が開けるのだが、長くなるのでその話はまたの機会に。(2009年7月21日)
【追記】
すでに記したように、浅倉久志先生に添削してもらった訳稿が、〈SFマガジン〉1987年3月号に掲載された。これが当方のデビュー作ということになる。
もっとも、出来のほうは芳しくなく、のちに一から訳しなおして拙編のアンソロジー『影が行く――ホラーSF傑作選』(創元SF文庫、2000)に収録した。このとき、浅倉さんの教えをようやく理解できた気がする。
ジャック・ヴァンスの作品を訳したくて、Fantasmas and Magics 所収の未訳作品のなかでいちばん面白く思えた When the Five Moons Rise (1954) という短篇を訳すことにした。邦訳して40枚弱の短篇。1985年も終わりに近いころである。
じつは発表のあてがあった。といっても、もちろんファンジン・レヴェルの話だが。当時、米村秀雄氏の肝いりでTHATTA文庫(発行はG.E.O.名義)というのが出ており、そこに投稿するつもりだったのだ。
ご存じの方も多いだろうが、関西の有力SFファン・グループが〈THATTA〉というファンジンを出しており、そこの分派活動としてはじまったのが同叢書。20ページ前後のペラペラの小冊子を文庫サイズで刊行するというもので、最終的に50冊を超えた。短篇ばかりでなく、長篇も細切れ分冊で刊行するという非常に意欲的な叢書であった(ただし、完結した作品はすくなかった)。
当方は米村氏と面識があり、同じヴァンス・ファンということで、ヴァンスを訳したら刊行してもらえることになっていたのだ。
こうして出たのが「五つの月が昇るとき」である。上下分冊で、整理番号は27と30。発行日はそれぞれ「昭和61年1月19日」と「昭和61年2月16日」となっている。


表紙の絵は、おそらく米村氏本人の手になるもの。
じつはこの訳が〈SFマガジン〉に転載されることになり、当方にとって新しい道が開けるのだが、長くなるのでその話はまたの機会に。(2009年7月21日)
【追記】
すでに記したように、浅倉久志先生に添削してもらった訳稿が、〈SFマガジン〉1987年3月号に掲載された。これが当方のデビュー作ということになる。
もっとも、出来のほうは芳しくなく、のちに一から訳しなおして拙編のアンソロジー『影が行く――ホラーSF傑作選』(創元SF文庫、2000)に収録した。このとき、浅倉さんの教えをようやく理解できた気がする。
2012.12.07 Fri » 『ベムAGAIN』
しばらく前になるが、『ベムAGAIN』(ネオ・ベム、2012)という私家本を読んだ。昨年亡くなったビッグ・ネーム・ファン、岡田正也氏の追悼本である。

名古屋に古典SFの世界的研究家がいるという噂は前々から聞いていた。パルプSFに関して野田昌宏氏に助言したり、横田順彌氏の『日本SFこてん古典』に資料を提供したりといった話だ。しかし、岡田氏が活躍したのは主に1960~70年代であり、当方がファン活動をしていた時期とはずれていたので、氏の仕事に触れたことはなかった。
さて、その岡田氏が昨年他界され、氏の業績を再評価する動きが出てきた。その中心人物が、岡田氏の愛弟子ともいうべき作家の高井信氏であり、本書はその高井氏が編んだ岡田正也エッセイ傑作選である。発行はネオ・ベムとなっているが、高井氏の個人事業らしい。
まあ、こういう経緯やら、岡田氏本人については、親交のあった方々が文章を認(したた)めているので、そちらを参照してほしい(リンク先は最後にまとめる)。
本書はA5判、本文96ページの小冊子。岡田氏のエッセイ9篇と、高井氏の「編者あとがき」がおさめられている。発表年を見ると、いちばん古いものが1966年、いちばん新しいものが1985年。すべてファンジン(とそれに類するもの)に発表された文章である。
内容は、基本的にパルプSF、あるいはそれ以前のロスト・ワールド小説礼讃。すでに廃れかけたジャンルへの愛情と哀悼をにじませた文章である。といっても、たんにノスタルジーに浸るのではなく。その現代的意義が消え失せたのを認めたうえで、現代SFには欠けているものを指摘し、古典の魅力を語るというスタイルだ。
とにかく、当方と趣味が一致しているので、読みながらうなずくことしきり。さらには教えられることも多く、興奮して読みおえた。
とりわけ、飛行機の誕生とともに産声をあげ、皮肉にもその発達によって息の根を止められたサブ・ジャンルを概説した「大空の秘境」、伝説の秘境小説作家に関する研究「A. Hyatt Verrill と『失われた種族』」、未確認動物に関する蘊蓄をかたむけた「影を求めて」が印象に残った。
驚くべきは、いずれも一次資料にあたったうえで書かれていること。いまとちがって、それしか手段がなかったわけだから当然といえば当然だが、それに費やした労力を考えると粛然とせざるを得ない。いやはや、たいへんな人がいたものだ。
いちどでいいから、お目にかかってお話を聞いてみたかった。
【高井信氏のブログ】
岡田正也氏での検索結果
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%B9%9F
岡田正哉(本名)での検索結果
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A3%E5%93%89
【親交があった高橋良平氏の追悼文】
http://www.webmysteries.jp/sf/takahashi1112-1.html
【本書を枕にした北原尚彦氏のコラム】
http://www.webmysteries.jp/sf/kitahara1207-1.html
ちなみに、このコラムに合わせて実施されたプレゼントに応募して、当方は本書を入手した。高井氏、北原氏、東京創元社のご厚意に感謝する。(2012年10月8日)

名古屋に古典SFの世界的研究家がいるという噂は前々から聞いていた。パルプSFに関して野田昌宏氏に助言したり、横田順彌氏の『日本SFこてん古典』に資料を提供したりといった話だ。しかし、岡田氏が活躍したのは主に1960~70年代であり、当方がファン活動をしていた時期とはずれていたので、氏の仕事に触れたことはなかった。
さて、その岡田氏が昨年他界され、氏の業績を再評価する動きが出てきた。その中心人物が、岡田氏の愛弟子ともいうべき作家の高井信氏であり、本書はその高井氏が編んだ岡田正也エッセイ傑作選である。発行はネオ・ベムとなっているが、高井氏の個人事業らしい。
まあ、こういう経緯やら、岡田氏本人については、親交のあった方々が文章を認(したた)めているので、そちらを参照してほしい(リンク先は最後にまとめる)。
本書はA5判、本文96ページの小冊子。岡田氏のエッセイ9篇と、高井氏の「編者あとがき」がおさめられている。発表年を見ると、いちばん古いものが1966年、いちばん新しいものが1985年。すべてファンジン(とそれに類するもの)に発表された文章である。
内容は、基本的にパルプSF、あるいはそれ以前のロスト・ワールド小説礼讃。すでに廃れかけたジャンルへの愛情と哀悼をにじませた文章である。といっても、たんにノスタルジーに浸るのではなく。その現代的意義が消え失せたのを認めたうえで、現代SFには欠けているものを指摘し、古典の魅力を語るというスタイルだ。
とにかく、当方と趣味が一致しているので、読みながらうなずくことしきり。さらには教えられることも多く、興奮して読みおえた。
とりわけ、飛行機の誕生とともに産声をあげ、皮肉にもその発達によって息の根を止められたサブ・ジャンルを概説した「大空の秘境」、伝説の秘境小説作家に関する研究「A. Hyatt Verrill と『失われた種族』」、未確認動物に関する蘊蓄をかたむけた「影を求めて」が印象に残った。
驚くべきは、いずれも一次資料にあたったうえで書かれていること。いまとちがって、それしか手段がなかったわけだから当然といえば当然だが、それに費やした労力を考えると粛然とせざるを得ない。いやはや、たいへんな人がいたものだ。
いちどでいいから、お目にかかってお話を聞いてみたかった。
【高井信氏のブログ】
岡田正也氏での検索結果
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%B9%9F
岡田正哉(本名)での検索結果
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A3%E5%93%89
【親交があった高橋良平氏の追悼文】
http://www.webmysteries.jp/sf/takahashi1112-1.html
【本書を枕にした北原尚彦氏のコラム】
http://www.webmysteries.jp/sf/kitahara1207-1.html
ちなみに、このコラムに合わせて実施されたプレゼントに応募して、当方は本書を入手した。高井氏、北原氏、東京創元社のご厚意に感謝する。(2012年10月8日)
2012.10.30 Tue » 三つ子の魂
【承前】
当方はファンジン〈ローラリアス〉に翻訳をふたつ載せてもらった。最初が6号に掲載されたロジャー・ゼラズニイの「ショアダンの鐘」。発行日が1982年2月1日となっているから、その前年に訳したのだと思う。400字詰め原稿用紙で40枚の短篇である。
.jpg)
その冒頭部をかかげる。{}でくくった部分はルビ――
「ラホンリガストの地に生けるものの姿はない。
現世{いま}をひとつ遡る時代よりその死の領域には、ただ雷鳴の轟きと、石造りの建物や岩を濡らす雨だれの他には音ひとつなかったのである。〈ラホリング砦〉の塔はいまだ健在であった。風化した門からのびる巨{おお}きな拱路が、苦痛と驚愕そして死に喚く凍りついた口のように、ぱっくりと口をあけていた。辺り一帯は不毛な月の光景を思わせた。」
久しぶりにこの文章を読んで、思わず苦笑が出た。なんとも力みかえった文章で、無駄な言葉の多さに目をおおいたくなるが、語彙そのものは、いまとあまり変わってないからだ。「おれは25年のあいだ、ほとんど進歩がなかったのだなあ」とつくづく思ったしだい。
ちなみに、本篇は《ディルヴィシュ》シリーズの本邦初訳(のはず)。なんでいきなり第3作を訳したかというと、これしか原文が手にはいらなかったからだ。テキストにはディ・キャンプ編のアンソロジー Warlocks and Warriors (1970) 所収のものを使用したが、同書を所有されている方にコピーをもらったのだった。
《ディルヴィシュ》シリーズの中短篇が単行本 Dilvish, The Damned (Ballantine) にまとまったのは1982年。その邦訳『地獄に堕ちた者ディルヴィッシュ』(黒丸尚訳/創元推理文庫)が出たのは1988年であった。(2008年8月10日)
当方はファンジン〈ローラリアス〉に翻訳をふたつ載せてもらった。最初が6号に掲載されたロジャー・ゼラズニイの「ショアダンの鐘」。発行日が1982年2月1日となっているから、その前年に訳したのだと思う。400字詰め原稿用紙で40枚の短篇である。
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その冒頭部をかかげる。{}でくくった部分はルビ――
「ラホンリガストの地に生けるものの姿はない。
現世{いま}をひとつ遡る時代よりその死の領域には、ただ雷鳴の轟きと、石造りの建物や岩を濡らす雨だれの他には音ひとつなかったのである。〈ラホリング砦〉の塔はいまだ健在であった。風化した門からのびる巨{おお}きな拱路が、苦痛と驚愕そして死に喚く凍りついた口のように、ぱっくりと口をあけていた。辺り一帯は不毛な月の光景を思わせた。」
久しぶりにこの文章を読んで、思わず苦笑が出た。なんとも力みかえった文章で、無駄な言葉の多さに目をおおいたくなるが、語彙そのものは、いまとあまり変わってないからだ。「おれは25年のあいだ、ほとんど進歩がなかったのだなあ」とつくづく思ったしだい。
ちなみに、本篇は《ディルヴィシュ》シリーズの本邦初訳(のはず)。なんでいきなり第3作を訳したかというと、これしか原文が手にはいらなかったからだ。テキストにはディ・キャンプ編のアンソロジー Warlocks and Warriors (1970) 所収のものを使用したが、同書を所有されている方にコピーをもらったのだった。
《ディルヴィシュ》シリーズの中短篇が単行本 Dilvish, The Damned (Ballantine) にまとまったのは1982年。その邦訳『地獄に堕ちた者ディルヴィッシュ』(黒丸尚訳/創元推理文庫)が出たのは1988年であった。(2008年8月10日)
2012.10.15 Mon » 「地底潜艦」のこと
【承前】
当方が大学SF研にはいったころは、ちょうどベイリー小ブームの時期と重なっていた。ファンジンを作ろうと思ったとき、その翻訳を載せようと思うのは自然な流れだった。
似たようなことを考えたファンはたくさんいて、当時の翻訳系SFファンジンは、ベイリーの翻訳を競うように掲載していた。さすがに「マニアのアイドル」といわれただけのことはある。
数すくない手持ちのアンソロジーのなかに“The Radius Riders”という40枚ほどの短篇があって、これがなかなかの秀作。当時はベイリーの短編集を持っていなかったし、ほかに作品を探す能力もないので、これを翻訳することに決めた。
ちなみに〈舞〉というファンジンが、まったく同時期(1983年)にこの作品を翻訳し、35号から37号にかけて連載していたことをあとで知った。考えることはみな同じである。
さて、問題の翻訳は「地底潜艦〈インタースティス〉」の題名で中央大学SF研究会の正会誌〈BAGATELLE〉2号(1983年9月15日発行)に載った。訳者は林暁となっているが、じつは後輩が訳したものに当方が手を入れた。実質的な共訳である。
弟(追記参照)にイラストを描いてもらったが、これが力作なので、参考までに載せておく。

ところで訳題だが、これには苦労した。“The Radius Riders”という原題は頭韻を踏んでいて悪くないが、どうにも日本語にならない。先述の〈舞〉掲載訳では原題のまま通しているくらいだ。けっきょく作品中で主役をはるガジェットの名前をとることにした。
「地底潜艦」というのは「subterrene vessel」の訳語だが、これを「潜地艦」と訳さず、「地底潜艦」としたのが後輩だったのか、当方だったのか記憶にない。だが、「地底戦艦」と音が同じになり、語呂がいいではないかと思ったのは憶えている。
ところが、これが仇になって、題名を「地底戦艦〈インタースティス〉」と誤記されることが多くなった。じっさい、正しい表記を見るほうが珍しいくらいだ。げんに多くの人が参照する書誌サイトにも誤記されており、このまちがいは今後も拡がるだろう。弱ったなあ。
翻訳を〈SFマガジン〉に載せてもらえるようになって、この作品を持ちこんだ。ファンジンの該当ページをコピーしてわたしたら、当時の担当(阿)さんが気に入ってくれて、めでたく掲載が決まった。イラストも気に入ってくれたのか、やはり弟が描くことになった(下の図版参照)。(2008年10月17日)

【追記】
イラストレーターの中村亮のこと。当時はアマチュアだった。
当方が大学SF研にはいったころは、ちょうどベイリー小ブームの時期と重なっていた。ファンジンを作ろうと思ったとき、その翻訳を載せようと思うのは自然な流れだった。
似たようなことを考えたファンはたくさんいて、当時の翻訳系SFファンジンは、ベイリーの翻訳を競うように掲載していた。さすがに「マニアのアイドル」といわれただけのことはある。
数すくない手持ちのアンソロジーのなかに“The Radius Riders”という40枚ほどの短篇があって、これがなかなかの秀作。当時はベイリーの短編集を持っていなかったし、ほかに作品を探す能力もないので、これを翻訳することに決めた。
ちなみに〈舞〉というファンジンが、まったく同時期(1983年)にこの作品を翻訳し、35号から37号にかけて連載していたことをあとで知った。考えることはみな同じである。
さて、問題の翻訳は「地底潜艦〈インタースティス〉」の題名で中央大学SF研究会の正会誌〈BAGATELLE〉2号(1983年9月15日発行)に載った。訳者は林暁となっているが、じつは後輩が訳したものに当方が手を入れた。実質的な共訳である。
弟(追記参照)にイラストを描いてもらったが、これが力作なので、参考までに載せておく。

ところで訳題だが、これには苦労した。“The Radius Riders”という原題は頭韻を踏んでいて悪くないが、どうにも日本語にならない。先述の〈舞〉掲載訳では原題のまま通しているくらいだ。けっきょく作品中で主役をはるガジェットの名前をとることにした。
「地底潜艦」というのは「subterrene vessel」の訳語だが、これを「潜地艦」と訳さず、「地底潜艦」としたのが後輩だったのか、当方だったのか記憶にない。だが、「地底戦艦」と音が同じになり、語呂がいいではないかと思ったのは憶えている。
ところが、これが仇になって、題名を「地底戦艦〈インタースティス〉」と誤記されることが多くなった。じっさい、正しい表記を見るほうが珍しいくらいだ。げんに多くの人が参照する書誌サイトにも誤記されており、このまちがいは今後も拡がるだろう。弱ったなあ。
翻訳を〈SFマガジン〉に載せてもらえるようになって、この作品を持ちこんだ。ファンジンの該当ページをコピーしてわたしたら、当時の担当(阿)さんが気に入ってくれて、めでたく掲載が決まった。イラストも気に入ってくれたのか、やはり弟が描くことになった(下の図版参照)。(2008年10月17日)

【追記】
イラストレーターの中村亮のこと。当時はアマチュアだった。
2012.08.02 Thu » 「翡翠男の眼」のこと
生まれてはじめてやった翻訳は、マイクル・ムアコックのエルリック・シリーズの1篇「翡翠男の眼」だった。記憶は定かではないが、たぶん大学1年のときだ。400字詰めの原稿用紙にして120枚。いまにして思えば無謀としかいいようがない。まさに虚仮の一念だ。

これを載せてもらったのが、エルリック・ファン・クラブ(以下EFCと略)発行のファンジン〈ドリーミング・シティ〉創刊号である。奥付には1981年1月1日とある。

EFCというのは、〈剣と魔法〉系のサークル、ローラリアスの有志が作った会内派閥のようなもの。エルリック・シリーズの邦訳は、〈SFマガジン〉に載った中篇が2篇あるだけだったが(追記参照)、すでにその魅力にとり憑かれた者が多かったわけだ。
目次を書き写すと――
エルリック・シリーズ マイクル・ムアコック
闇の三王……訳:終鳥
翡翠男の眼……訳:中村融
エッセイonエルリック
Elric…? ……渡辺かおる
わたしはエターナルチャンピオン……絵留陸
エルリックシリーズ読後感想文……吉岡L
ムーングラムと〈闘士の伴〉たち……市橋豊
読みもの
エルリック・シリーズ一覧表……今村哲也
エルリックF.C. アンケート集計
エルリックおちこみ物語……渡辺美代子(漫画)
表紙は黒字の紙に銀のインクで印刷。イラストを描く会員が多かったので、そっちの面が充実している。のちにプロのイラストレーターになった人もちらほら。この人たちは剣魔界というアート系のグループをべつに作って活動をはじめた。末弥純画伯とは、そちらを通じて接触したのであった。
ちなみにエッセイを書いている「渡辺かおる」というのは、作家ひかわ玲子氏のことである。
当方は「翡翠男の眼」の翻訳とエッセイ(市橋豊名義)を寄せている。ちなみに、この筆名の由来は当方の出身地。うしろから読んでいただきたい。
当時ムアコックにいれこんでいた当方は、この後EFCの会長になって、会誌第2号を編集した(もっとも、2号しか出なかったが)。これが若気のいたりというやつだろうか。
じつは数年前に河出文庫から『不死鳥の剣 剣と魔法の物語傑作選』を出すとき、この「翡翠男の眼」を新訳した。翻訳技術のほうは、さすがに多少は向上していて、ひと安心であった。(2006年9月15日)
【追記】
「夢見る都」(同誌1974年6月号)と「死せる神々の書」(同誌1974年9月号)の2篇。

これを載せてもらったのが、エルリック・ファン・クラブ(以下EFCと略)発行のファンジン〈ドリーミング・シティ〉創刊号である。奥付には1981年1月1日とある。

EFCというのは、〈剣と魔法〉系のサークル、ローラリアスの有志が作った会内派閥のようなもの。エルリック・シリーズの邦訳は、〈SFマガジン〉に載った中篇が2篇あるだけだったが(追記参照)、すでにその魅力にとり憑かれた者が多かったわけだ。
目次を書き写すと――
エルリック・シリーズ マイクル・ムアコック
闇の三王……訳:終鳥
翡翠男の眼……訳:中村融
エッセイonエルリック
Elric…? ……渡辺かおる
わたしはエターナルチャンピオン……絵留陸
エルリックシリーズ読後感想文……吉岡L
ムーングラムと〈闘士の伴〉たち……市橋豊
読みもの
エルリック・シリーズ一覧表……今村哲也
エルリックF.C. アンケート集計
エルリックおちこみ物語……渡辺美代子(漫画)
表紙は黒字の紙に銀のインクで印刷。イラストを描く会員が多かったので、そっちの面が充実している。のちにプロのイラストレーターになった人もちらほら。この人たちは剣魔界というアート系のグループをべつに作って活動をはじめた。末弥純画伯とは、そちらを通じて接触したのであった。
ちなみにエッセイを書いている「渡辺かおる」というのは、作家ひかわ玲子氏のことである。
当方は「翡翠男の眼」の翻訳とエッセイ(市橋豊名義)を寄せている。ちなみに、この筆名の由来は当方の出身地。うしろから読んでいただきたい。
当時ムアコックにいれこんでいた当方は、この後EFCの会長になって、会誌第2号を編集した(もっとも、2号しか出なかったが)。これが若気のいたりというやつだろうか。
じつは数年前に河出文庫から『不死鳥の剣 剣と魔法の物語傑作選』を出すとき、この「翡翠男の眼」を新訳した。翻訳技術のほうは、さすがに多少は向上していて、ひと安心であった。(2006年9月15日)
【追記】
「夢見る都」(同誌1974年6月号)と「死せる神々の書」(同誌1974年9月号)の2篇。
2012.08.01 Wed » 「アイスドラゴン」のこと
【前書き】
以下は2006年9月15日に書いた記事である。そのつもりでお読みください。
ジョージ・R・R・マーティンの短篇に「アイスドラゴン」というのがある。SFマガジン2005年12月号(マーティン特集)に酒井昭伸氏の麗訳が載っているので、お読みになった方も多いだろう。
先日、訳者の酒井氏とお会いして、あれはホントにいいよねーという話になった。じっさい、50枚の小品ながら、異世界ファンタシーの傑作だと思う。
じつは当方もこの短篇は大好きで、おおむかし自分が主宰していたファンジンに訳したことがある。「氷の龍」の題名で〈ドラゴン・ドリーム〉という雑誌の3号に載せたもの。奥付を見ると「昭和57年6月20日」とある。いまから24年も前の話だ。
そのときイラストを担当してくれたのが、なんと末弥純画伯。画伯がプロとして仕事をはじめたばかりのころだ。いまにして思えば、畏れ多いことである。
なにしろ発行部数わずか150のファンジンである。このイラストは世にほとんど知られていないだろう。あまりにももったいないので、ここに載せることにする。


画伯とはこのころ「いつかいっしょにヒロイック・ファンタシーの本を作りましょう」という話をしていた。その約束は創元推理文庫から出たカール・エドワード・ワグナーの『闇がつむぐあまたの影』で実現したわけだが、1冊で終わってしまったのは、じつに残念であった。当方の不徳のいたすところであり、わが身の無能と怠慢を呪うばかりである。(2006年9月10日)
以下は2006年9月15日に書いた記事である。そのつもりでお読みください。
ジョージ・R・R・マーティンの短篇に「アイスドラゴン」というのがある。SFマガジン2005年12月号(マーティン特集)に酒井昭伸氏の麗訳が載っているので、お読みになった方も多いだろう。
先日、訳者の酒井氏とお会いして、あれはホントにいいよねーという話になった。じっさい、50枚の小品ながら、異世界ファンタシーの傑作だと思う。
じつは当方もこの短篇は大好きで、おおむかし自分が主宰していたファンジンに訳したことがある。「氷の龍」の題名で〈ドラゴン・ドリーム〉という雑誌の3号に載せたもの。奥付を見ると「昭和57年6月20日」とある。いまから24年も前の話だ。
そのときイラストを担当してくれたのが、なんと末弥純画伯。画伯がプロとして仕事をはじめたばかりのころだ。いまにして思えば、畏れ多いことである。
なにしろ発行部数わずか150のファンジンである。このイラストは世にほとんど知られていないだろう。あまりにももったいないので、ここに載せることにする。


画伯とはこのころ「いつかいっしょにヒロイック・ファンタシーの本を作りましょう」という話をしていた。その約束は創元推理文庫から出たカール・エドワード・ワグナーの『闇がつむぐあまたの影』で実現したわけだが、1冊で終わってしまったのは、じつに残念であった。当方の不徳のいたすところであり、わが身の無能と怠慢を呪うばかりである。(2006年9月10日)
2012.07.31 Tue » 『はじめての恋、はじめての恐怖』
【承前】
むかし話を書いたらなつかしくなって、問題のTHATTA文庫を引っぱりだしてきた。すっかり忘れていたが、題名は『はじめての恋、はじめての恐怖』となっていた。奥付は昭和61年5月25日。全部で24ページのペラペラの小冊子である。

表紙は大島弓子のイラストだが、どういう理由でこの絵が使われたのかは不明。異星で地球人の少年が水棲人の少女に出会い、淡い恋心をいだくが、異星人の残酷なライフサイクルの真実を知る、という話なので、内容とはまったく無関係だ。
昨日も書いたとおり、この作品は「はじめての愛、はじめての恐れ」という題名で〈SFマガジン〉1990年9月号に転載された。そのときイラストを描いてくれたのが、なんと新井苑子さん。このころ〈SFマガジン〉に登場することはほとんどなくなっていたので、びっくりするやら、感激するやらだった。

ちなみにこの号は、「海へ!」と題された海洋SF特集。当方にとって、初の特集企画だったので、好き放題やらせてもらった。つまり、作品も訳者も当方が全部決めたのだ。内容を簡単に記すと――
「ウェーヴライダー」ヒルバート・スケンク(拙訳)
「エルンの海」ジャック・ヴァンス(浅倉久志訳)
「鮫」エドワード・ブライアント(大森望訳)
「はじめての愛、はじめての恐れ」(拙訳)
「静かの海」グレン・クック(酒井昭伸訳)
なんか思いきり豪華なファンジンを作るような感覚だった。考えてみれば、いまでも同じ感覚でアンソロジーを編んでいるのである。(2011年3月22日)
むかし話を書いたらなつかしくなって、問題のTHATTA文庫を引っぱりだしてきた。すっかり忘れていたが、題名は『はじめての恋、はじめての恐怖』となっていた。奥付は昭和61年5月25日。全部で24ページのペラペラの小冊子である。

表紙は大島弓子のイラストだが、どういう理由でこの絵が使われたのかは不明。異星で地球人の少年が水棲人の少女に出会い、淡い恋心をいだくが、異星人の残酷なライフサイクルの真実を知る、という話なので、内容とはまったく無関係だ。
昨日も書いたとおり、この作品は「はじめての愛、はじめての恐れ」という題名で〈SFマガジン〉1990年9月号に転載された。そのときイラストを描いてくれたのが、なんと新井苑子さん。このころ〈SFマガジン〉に登場することはほとんどなくなっていたので、びっくりするやら、感激するやらだった。

ちなみにこの号は、「海へ!」と題された海洋SF特集。当方にとって、初の特集企画だったので、好き放題やらせてもらった。つまり、作品も訳者も当方が全部決めたのだ。内容を簡単に記すと――
「ウェーヴライダー」ヒルバート・スケンク(拙訳)
「エルンの海」ジャック・ヴァンス(浅倉久志訳)
「鮫」エドワード・ブライアント(大森望訳)
「はじめての愛、はじめての恐れ」(拙訳)
「静かの海」グレン・クック(酒井昭伸訳)
なんか思いきり豪華なファンジンを作るような感覚だった。考えてみれば、いまでも同じ感覚でアンソロジーを編んでいるのである。(2011年3月22日)