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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.09.20 Thu » 『リイ・ブラケット――アメリカの作家』

 SF作家の評伝にもピンからキリまであって、今回の本はキリのほう。ただし、これは飽くまでも外見/体裁の話であって、内容がキリというわけではないので、誤解なきように。

 ものはジョン・L・カーという人が書いたリイ・ブラケットの評伝 Leigh Brackett: American Writer (Chris Drumm, 1986) 。版元名を見ればわかる人はわかるだろうが、ファン出版の見本のような本である。
 いま計ったら、サイズは縦17.6センチ、横10.3センチ(大きめの手帳くらい)。ワープロのプリントアウトをそのまま版下にして、上質紙に印刷。ホッチキスで2箇所を留めて68ページの小冊子にしたもの。それでもISBNがついているから、立派な出版物である。

2007-1-27(Leigh)

 ジャック・ウィリアムスンの序文につづいて、著者の謝辞があり、本文がはじまる。本文は「背景」と「作家」の二部に分かれており、前者では作家になるまでの生い立ちが、後者では作家としての業績が主に記されている。
 SFだけではなく、探偵小説(ハードボイルド)、西部小説、映画/TVの脚本家としての活躍にも等分にページが割かれているのが特徴。これらのジャンルが、いずれも「アメリカ的」なものなので、本書の副題が生まれたのだろう。

 とはいえ、ブラケットが亡くなったあとのプロジェクトなので、本人の証言がとれなかったのが弱点。したがって、「これはわたしの推測だが」という断りが随所にはいる。著者もいうように、伝記としてはスケッチにとどまっている。
 しかし、ブラケットについてまとまった記事は珍しいので、たいへん貴重な資料であることはまちがいない。当方もずいぶんと勉強させてもらった。

 ところで、ブラケットがハリウッドに進出したきっかけは、最初の単行本『非情の裁き』(扶桑社ミステリー)をハワード・ホークスがたまたま読んで気に入ったからだとされている。それは嘘ではないのだが、著者によると、ブラケットは早くから映画脚本家を志し、ツテをたどってハリウッドでいろいろと働きかけをしていたらしい。
 じっさい、「三つ数えろ」の前に映画の脚本を一本書いているし(吸血鬼映画で、ちゃんとクレジットされている)、スター俳優ジョージ・サンダーズのゴーストライティングも経験している。それはクレイグ・ライスやクリーヴ・カートミルといった人とのつながりがあったからだが、そこにいたる人脈の話がじつに面白い。

 映画がらみで書いておけば、後年ロバート・アルトマン監督「ロング・グッドバイ」の脚本を書いたとき、高名な映画批評家のポーリン・ケイルに「パルプ作家あがりの脚本家に、こんなすばらしい会話が書けるわけがないから、監督と俳優がアドリブで作ったのだろう」と書かれて、ブラケットが激怒したという話も載っている。そりゃあ怒るわな(2007年1月27日)

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2012.09.18 Tue » 『地球人の到来』

 あいかわらずリイ・ブラケットの作品を読んでいて、とうとう手もとにある中短篇を読みつくしてしまった。といっても全部で22篇なので、たいしたことはないのだが。

 今回とりあげるのは、The Coming of the Terrans (Ace, 1967) という短篇集。当方が持っているのは1976年に出た新装版で、資料によると表紙絵はオチャガヴィアという画家の手になるものらしい。なんとなく日本画の影響を感じさせる面白い画風だ。

2012-4-4(Coming)

 本書には1948年から64年にかけて発表された5篇が収録されており、そのうち「シャンダコール最期の日々」は邦訳がある。題名から想像がつくかもしれないが、いずれも火星を舞台に、入植者である地球人と火星原住民の軋轢を描いた作品である。

 面白いのは、別個に書かれた作品の頭に年号をつけ、全体を年代記風に構成していること。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』とまったく同じコンセプトであり、背景となる火星にも共通点が多い(全土に張りめぐらされた運河、砂漠のなかのオアシス都市、滅びかけた古代文明など)が、できあがったものは、当然ながらまるっきりちがう。
 おかしな言い方になるが、ブラッドベリがどのようにSFの共通財産を利用し、どのように独自のものを付け加えたが、本書を読むことで逆説的に浮かびあがってくる。まあ、これは余談。

 ブラケットの描く火星はハードボイルドそのものであり、たいていバッド・エンディングが待っている。 
 なかでも非情なのが、“Mars Minus Bisha” という短篇。バイシャというのは、火星人の子供の名前である。
 物語は、火星遊牧民の母親が、辺境のステーションにひとりで勤務する地球人のもとへバイシャを連れてくるところからはじまる。この子は呪われた子供と宣告され、このままでは処刑されるので、医師である地球人フレーザーに託すというのだ。
 フレーザーはバイシャを引き受け、奇妙な疑似親子の生活がはじまる。平和で幸福な日々がつづくが、いつしかフレーザーは、自分がひどく疲れやすくなっており、すぐに昏睡状態におちいることに気づく……。

 どうせ邦訳は出ないだろうからネタをばらすが、バイシャは先祖返りであり、テレパシーが異常発達している。そのため周囲の人間からエネルギーを吸いとるのだ。かつてはテレパス同士がそうやっておたがいを支えていたのだが、いまでは一種の吸血鬼となってしまったわけだ。

 バイシャが生きていることが遊牧民に知られ、フレーザーとバイシャは地球人の都市めざして逃亡する。だが、砂漠のまんなかで立ち往生し、遊牧民が迫り来るなか、フレーザーは昏睡状態におちいってしまう。そばを離れるな、とバイシャにきつくいい聞かせて。
 目がさめたとき、バイシャの姿はなく、彼女の足跡が砂漠の奥へのびている。その足跡をたどると、遊牧民の足跡とぶつかり、そこには新しい墓と衣服だけがあるのだった。

 巻頭に置かれた “The Beast-Jewel of Mars” という作品も同じくらい非情。 こちらはひょっとすると邦訳が実現するかもしれないので、人間を退化させる火星人の技術をめぐる物語とだけ書いておく。表紙絵の獣人が、その退化した人間の姿である。(2012年4月4日)

2012.09.17 Mon » 『リイ・ブラケット傑作集』

 昨年末から、ぼつぼつとリイ・ブラケットの作品を読んでいる。いろんな短篇集やらアンソロジーをつまみ食いしているのだが、いつのまにか The Best of Leigh Brackett (1977) をまるまる読んでしまった。

 これは夫君エドモンド・ハミルトンが編んだブラケット傑作集。初版はSFブック・クラブのハードカヴァーだが、当方が持っているのは同年に出たデル・レイ版ペーパーバックの二刷(1986)。表紙絵はボリス・バレーホである。

2012-2-3(Brackett)

 「ヘンリー・カットナーの思い出」に捧げられており、ハミルトンの序文とブラケットのあとがきのほか、ブラケット版火星の地図とその説明が付録になっている。
 序文でハミルトンが、自分たちの創作作法のちがいを明かしている。それによると、ハミルトンは綿密にプロットを立て、シノプシスを作ってから作品を書きはじめるのに対し、ブラケットはとにかく1ページ目を書きはじめ、あとは成り行きにまかせるのだという。そんな書き方があるもんか、と最初は呆れたハミルトンも、「彼女の場合はそれでうまくいくようだ」と認めている。

 収録作はつぎのとおり。発表年と推定枚数も記しておく――

1 The Jewel of Bas  '44 (140)
2 消えた金星人  '45 (85)
3 アステラーの死のベール  '44 (80)
4 消滅した月  '48 (140)
5 金星の魔女  '49 (190)
6 The Woman from Altair  '51 (85)
7 シャンダコール最期の日々  '52 (90)
8 Shannach-The Last  '52 (150)
9 The Tweener  '55 (50)
10 The Queer Ones  '57 (110)

 最後の2篇をのぞけば、いずれもアチラでプラネタリー・ロマンスと呼ばれるタイプの異星冒険活劇である。さすがにめぼしいところは邦訳されており、1と6は一枚落ちる。

 発表年代順に読んでいくと、ブラケットの文体の変化がはっきりわかる。最初は「パープル」と評されそうな装飾過多で詠嘆調だった文体が、どんどん簡素でハードボイルドなものになっていくのだ。その分すごみがましている。従って、私見では8と10が集中ベストを争うと思う。

 8は水星を舞台にしたプラネタリー・ロマンス。砂漠と運河の火星や、熱帯の海とジャングルの金星とはちがい、灼熱の岩場が広がる世界だけあって、ロマンティックな要素は乏しく、支配と被支配をめぐる苛烈きわまるストーリーが展開される。エドガー・ライス・バローズの系譜を引くのはもちろんだが、むしろロバート・E・ハワードの《コナン》シリーズにも似た味わいがある。

 10は一転して、地球人にまぎれこんでいる異星人の話。50年代SF映画風の展開で、非常にサスペンスフル。ちょっと古いが、これは邦訳する値打ちがある。いまならSFノワールと惹句をつけられそうだ。

 7はむかし邦訳で読んだとき、ちっとも面白いと思わなかったのだが、今回そのよさがわかった。なるほど、ブラケットもケルト的な滅びの美学の人だったのだな。本は鏡みたいなものなので、この30年のうちに、それに映る素養が当方のなかにできたということだろう。

 それにしても、読んでいる途中で裏表紙がちぎれてしまったのにはまいった。紙が酸化しているせいだ。やっぱり本は読むものではなく、飾っておくものである。(2012年2月3日)

2012.09.16 Sun » 「合いの子」のこと

【承前】
 昨日の記事でわざと書きもらしたことがある。説明すると長くなるからだが、なんとなく気分がすっきりしないので、別項を立てることにした。

 昨日リイ・ブラケット傑作集 Sea-Kings of Mars and Otherworldly Stories には、短くて90枚、長くて335枚のプラネタリー・ロマンスが収録されていると書いた。
 じつは1篇だけ例外がある。“The Tweener” という50枚くらいの短篇で、初出は〈F&SF〉1955年2月号。勘のいい方なら、これだけでおわかりのとおり、プラネタリー・ロマンスではない。文明批評型のいわゆる50年代SFである。

 表題の tweener というのは、火星の生物の名前。見た目が「something between a rabbit and a ground-hog, or maybe between a monkey and a squirrel」に似ていることからきている。要するに、兎と猿の合いの子のような小動物。毛がふさふさで、たいへんかわいらしい。性質も温和で頭もいい。ペットには最適である。

 物語は、両親と子供ふたりの平凡な家庭へ一匹の「合いの子」が持ちこまれるところからはじまる。細君の弟が火星土産に連れてきたのだ。子供たちは、早速「合いの子」に夢中になり、ジョン・カーターと名づけてかわいがるが、父親はその日から奇妙な頭痛に悩まされるようになる。
 やがて夫は、ある観念にとり憑かれるようになる。「合いの子」は火星で発見された唯一の動物だ。そうすると、ほかの生物をすべて滅ぼしたのかもしれない。ひょっとして、地球でも同じことをするのではないだろうか。この頭痛は、「合いの子」の仕業ではないのか……。

 どうせ翻訳は出ないだろうから、結末をばらすが、恐怖に駆られた父親は「合いの子」を殺してしまう。だが、すべては妄想だったことがわかる。未知のものは、悪いものに見えるという心理が原因だった。最後に父親は子供たちにいう――「そんなに悲しまないで、子犬を買ってあげるから」

 当時のアメリカに蔓延していたゼノフォビアを諷刺した作品。プラネタリー・ロマンスの女王の意外な面を見せる意味で収録されたのだろう。そういえば、夫君エドモンド・ハミルトンもブラケット傑作集を編んだとき、この作品を選んでいた。
 しかし、こういうのはブラケットのプラネタリー・ロマンスがポピュラーだから意味があるのであって、わが国では通用しないだろう。(2009年8月23日)


2012.09.15 Sat » 『火星の海王たち』

 スティーヴン・ジョーンズといえば、当方が敬愛してやまない編集者だが、彼が編纂したすばらしい本を紹介しておく。リイ・ブラケットの傑作集 Sea-Kings of Mars and Otherworldly Stories (Gollancz, 2005) である。

2009-8-22(Sea Kings)

 ファンタシーの名作を廉価で普及しようというトレード・ペーパーバック叢書《ファンタシー・マスターワークス》の1冊。ブラケットの作品は、火星や金星を舞台にしているので、形としてはSFにふくまれるのだが、これがファンタシーの叢書にはいるところが時代である。

 巻頭にブラケットが1976年にファンジンに寄せた自伝的スケッチ、巻末に編者ジョーンズの解説を置き、そのあいだにブラケットの代表的中篇12作をはさむという構成。まさに至れり尽くせりで、こういう本を作らせると、ジョーンズの腕前は天下一品だ。

 ご存じのとおり、ブラケットの作品は、俗に〈プラネタリー・ロマンス〉と呼ばれる異星冒険活劇なので、ある程度の長さがいる。したがって、本書には短くて90枚、長くて335枚の作品が収録されている。邦訳のあるものだけ題名をあげると――

「赤い霧のローレライ」(レイ・ブラッドベリと共作)、「消滅した月」『リアノンの魔剣』「金星の魔女」「シャンダコール最期の日々」

 未訳作品もこれらと大同小異。そのうち3篇は《エリック・ジョン・スターク》もの。プラネタリー・ロマンス傑作集としては文句ない内容である。
 ちなみに、『リアノンの魔剣』は、エースのダブルで単行本化されたときの題名。〈スリリング・ワンダー・ストーリーズ〉初出時には Sea-Kings of Mars という題名だった。本書には初出時の題名で収録されている。(2009年8月22日)

2012.09.14 Fri » 『リイ・ブラケットとエドモンド・ハミルトン――魔女と世界破壊者』

【承前】
 マーク・オウイングスさんに注文した小冊子が届いた。発送から10日で、えらく早かった。じつに嬉しい。

 ものは〈熱心な読者向けの書誌〉シリーズの一冊、ゴードン・ベンスン編 Leigh Brackett & Edmond Hamilton: The Enchantress & The World Wrecker だが、奥付には題名と値段しか書いてないので、刊行年は不明(追記参照)。それでもISBNが付いているから、立派な出版物だ。

2007-2-10(Leigh Brackett &)

 例によってワープロの打ち出しを印刷して、ホッチキスで留めただけの小冊子。本文42ページのペラペラである。おまけに付いてきた追記リストは、A4よりすこし大きい紙の裏表に、コンピュータのデータを印刷したものが一枚。手作り感があって、なかなかいい。

 データが並んでいるだけで、愛想のない本だが、じっくり見ていると、いろいろと面白いことがわかってくる。
 たとえば、ハミルトンの小説リストでは、〈キャプテン・フューチャー〉シリーズが除外されている。もちろん、シリーズ一覧と単行本の項目に情報はあるのだが、編者がほかのハミルトン作品と分けて考えているのがうかがえて興味深い。やはり継子あつかいなのか。(2007年2月10日)

【追記】
 ゴンバートの書誌によれば、刊行年は1992年とのこと。

2012.09.12 Wed » 『スタークとスター・キング』

【前書き】
 以下は2006年2月27日に書いた記事に手を加えたものである。


 待ちわびていた本が、やっと届いた。エドモンド・ハミルトン&リイ・ブラケットの Stark And the Star Kings (Haffner Press, 2005)である。

 刊行が遅れに遅れたうえに、昨年夏に注文した本が、郵便事故で紛失。うんざりするようなメールのやりとりで返金交渉をするはめになり、けっきょく、べつの書店から買った本が、ようやく到着したのだ。これを喜ばずにいられようか。

2006-2-27(Stark)

 本が大きすぎて、うちのスキャナーではうまく撮れないので、上の画像はflickerからお借りした。

 さて内容だが、すでに何度も書いたように、ハミルトンの人気シリーズ《スター・キング》とブラケットの人気シリーズ《エリック・ジョン・スターク》の集大成。まずは目次を簡略化した形で書き写しておこう。例によって発表年と推定枚数を付す――

1 『スター・キング』 '47/'49 (520) 
2 Queen of the Martian Catacombs '49 (165)
3 金星の魔女 '49 (190)
4 Black Amazon of Mars '51 (185)
5 『スター・キングへの帰還』 '70 (435)
6 Stark and the Star Kings '05 (90)

 1と5は《スター・キング》シリーズの長篇。
 2、3、4が《エリック・ジョン・スターク》シリーズに属すノヴェラ。このシリーズは、水星人に育てられた地球人スターク(水星人名ヌチャカ)が太陽系を放浪するプラネタリー・ロマンス。設定でわかるように、先住民に育てられた白人のはみだしヒーローもの西部劇をSFに移植し、〈剣と魔法〉の風味を加えた作品で、かなり出来がいいのだが、長さがネックになって邦訳が進んでいないのが残念。
 ちなみにこの3作以外にも、2と4を(エドモンド・ハミルトンが)書きのばした短い長篇2作と、設定をあらためて1970年代に書かれた長篇3作がある。

 6は本書の目玉で、おしどり夫婦がいちどだけ連名で共作し、ふたりのヒーローを共演させた作品。ハーラン・エリスン編のアンソロジー The Last Dangerous Visions のために書かれたが、肝心の同書が未刊のため、お蔵入りになっていたいわくつきの作品である。こんな話だ――

 すべてを呑みこみ〈虚無〉が銀河系の果てに生じた。この危機に対処するため、スタークは長老アールの超能力ではるかな未来に送りこまれる。そこで宇宙の覇者スター・キングたちと力を合わせ、超エネルギー兵器で〈虚無〉を消滅させる使命を負って。だが、群雄割拠のスター・キングたちは、簡単には協力しようとしないのだった……。

 面白いことに、これまで敵役だったショール・カンがスタークと友情を結んで大活躍し、ジョン・ゴードンは脇役にまわっている。
 パートごとに文章がちがうので、どちらが執筆したのかはっきりわかる。まさに共作の醍醐味を味わえて満足であった。

 ちなみに、ジョン・ジェイクスが序文を寄せ、若いころ、ハミルトン夫妻に会ったときの思い出を綴っている。ライバーに会ったときの話もあり、なかなか興味深かった。

 めでたいので、カヴァーだけでなく、袖に載っていたハミルトン夫妻の写真もアップしておく。

2007-2-27(Hamiltons)

(2006年2月27日+2012年9月9日)

2012.09.11 Tue » 『世界の壊し屋』

 ついでにエドモンド・ハミルトンの新しい書誌も紹介しておこう。リチャード・W・ゴンバート編 World Wrecker : An Annotated Bibliography of Edmond Hamilton (Wildside Press/Borgo Press, 2010) である。

2012-8-28(World)

 2006年に亡くなったジャック・ウィリアムスンが序文を寄せている。と書けばわかるように、着手から刊行まで膨大な時間がかかった本。
 もともとはボルゴ・プレスから出る予定だったが、まごまごしているうちに版元が1999年に休業してしまい、企画を引きとったワルドサイド・プレスが、「ボルゴ・プレス」の名のもとに出版したというしだい。泣かせる話だ。

 本を開けば、製作に時間がかかるのも納得できる。とにかく知り得た情報はすべて記載するという方針らしく、これではいくら原稿をアップ・トゥ・デートしても追いつかない。編者はとりあえずの中間形態だと謙遜するが、大変な労作である。
 ただし、不確かな情報が載っているので、すべてを鵜呑みにすることは危険。そこさえ注意しておけば、プロジェクト・グーテンベルクまで押さえた書誌は有用だし、マニアにとっては読みものとして面白い。とにかく、適当にページを開いて、拾い読みするだけでも飽きないのだ。

 とりわけ驚いたのは、ハミルトンの主要作品に登場する人物、都市、場所、船、惑星、種族、生物の簡単な事典がついている点。作品を丹念に読み、ノートをとらないと出来ない仕事だ。編者の熱意には頭が下がる。

 ほかにもハミルトンの書簡リストやら、外国の雑誌もふくめた雑誌別掲載作リストやら、コミック・ブックに原作リストなど、貴重な情報が満載。
 
 もちろん、外国語への翻訳状況などは、中途半端な情報がならんでいるのだが、これも執念のたまものなので感心するばかり。ともあれ、編者には最大限の賛辞を送りたい。

【蛇足】
1.危険な情報の一例。
 前にとりあげた『最後の惑星船の謎』は、1954年にランサーから初版、1964年にロードストーンからエムシュのイラスト入り版が出たことになっている。正確な出版年は、それぞれ1964年と1972年。

2.中途半端な情報の一例。
 短篇「フェッセンデンの宇宙」の日本語訳に関しては、

in The Best from SF Magazine No.2 _Tokyo: Hayakawa Publishing, Inc. year, p.[collection][Japanese]

 とだけ記されている。(2012年8月28日)
 
 

2012.09.10 Mon » 『エドモンド・ハミルトン傑作集』

 せっかくなので The Best of Edmond Hamilton (1977) の紹介をしておく。昨日も書いたとおり、当方が持っているのはバランタイン/デル・レイから出たパーパーバック版だ。

2007-12-17(Hamilton)

 編者は夫人のリイ・ブラケットで、力のこもった序文を寄せている。ハミルトン自身はあとがきを書いている。どちらも回想が中心で、じつに興味深い。

 収録作は21篇。主要な短篇が年代順にならべられている。邦訳があるのはつぎの18篇――

「マムルスの邪神」「進化した男」「星々の轟き」「帰ってきた男」「呪われた銀河」「世界のたそがれに」「風の子供」「異星からの種」「フェッセンデンの宇宙」「翼を持つ男」「追放者」「審判の日」「異境の大地」「向こうはどんなところだい?」「レクイエム」「審判のあとで」「プロ」「漂流者」

 未訳が3篇あるが、いずれも邦訳する値打ちはない。2篇は凡作。残る1篇は宇宙小説の形で植民地主義や人種差別を批判したメッセージ色の濃い作品。心意気は買いたいが、いまとなっては稚拙なところが目立つ。

 意外なことに「反対進化」「ベムがいっぱい」「未来を見た男」「世界の外のはたごや」といったあたりが漏れている。ブラケットの趣味なのだろうが、やはり日本人の好みとは微妙にちがうことがわかる。

 安田均編のハミルトン傑作集『星々の轟き』(青心社)は、収録作のすべてをこの本から採っていることにお気づきだろう。そのことを知ったとき、ずいぶん安易に思えたものだ。

 したがってハミルトン傑作集を編むとき、当方はなるべく本書以外のところから作品を選ぶようにした(追記参照)。参考までに作品名をあげておく――

『フェッセンデンの宇宙』(河出書房新社)では「凶運の彗星」「太陽の炎」「夢見る者の世界」と9篇中3篇。
『反対進化』(創元SF文庫)では「アンタレスの星のもとに」「ウリオスの復讐」「反対進化」「失われた火星の秘宝」「超ウラン元素」と10篇中5篇。
『眠れる人の島』(同前)では「蛇の女神」「眠れる人の島」「神々の黄昏」「邪眼の家」「生命の湖」と5篇全作。

 作品を選ぶさい、どれだけ手間暇をかけたか、わかってもらえるだろうか。(2007年12月17日)

【追記】
 文庫版『フェッセンデンの宇宙』でも「世界の外のはたごや」と「フェッセンデンの宇宙(1950年版)」は本書以外のところから採った。

2012.09.09 Sun » 透明短篇

 昨日とりあげた「エリュクスの壁のなかで」という短篇は、若きスターリングが〈ウィアード・テールズ〉に載ったある小説に刺激を受けて書いた原稿をラヴクラフトが全面的に書き改めたものだという。
 その霊感源となった作品が、エドモンド・ハミルトンのデビュー作「マムルスの邪神」である。同誌1926年8月号に掲載されたものだが、スターリングは同誌35年9月号に再録されたものを読んだらしい。

 北アフリカの砂漠を舞台に、透明な蜘蛛のような怪物の棲む都市の廃墟に迷いこんだ探険家の冒険を描いたもので、ハミルトンが私淑するA・メリットの亜流ともいうべき作品。記念すべきデビュー作なので、当方が編んだハミルトン傑作集のどれかに入れようかと思ったが、読み直したら凡作だったので断念した。おっと、これは余談だったか。

 さて、透明怪物が出てくるせいか、この短篇自体が透明になってしまったことがある。リイ・ブラケットが編んだ傑作集 The Best of Edmond Hamilton (Doubleday, 1977) のペーパーバック版が同年バランタイン/デル・レイから出たとき、目次から漏れてしまったのだ。

2007-12-16(invisible 2)

 上に掲げた画像が目次。ブラケットの序文のつぎは「進化した男」という作品が17ページからはじまっていることになっている。
 ところが下の画像を見ればわかるとおり、「マムルスの邪神」が1ページからはじまっているのだ。

2007-12-16(invisible 1)

 インターネットの一部には、「マムルスの邪神」を欠落させた同書の書誌情報が出まわっているが、この目次をそのまま写したからだろう。現物にあたることの必要性をあらためて痛感するのであった。(2007年12月16日)