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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.07.31 Wed » 『四次元への飛行{フライト}』

 昨日書いた「お糸」収録の本とは、野田昌宏編のアンソロジー『四次元への飛行{フライト}』(酣燈社, 1977)であった。小ぶりの四六判変形ソフトカヴァー。320ページほどの本だ。

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 版元は雑誌〈航空情報〉を出している老舗。《スカイ・ブックス》という叢書があって、福本和也の小説などを出していた。本書はその1冊である。
 余談だが、秀作航空映画「飛べ!フェニックス」の原作もこの版元から翻訳が出ていて、それが印象に残っている。

 さて、「航空SF傑作集」と銘打たれているとおり、本書は飛行機マニアとしても有名だった編者が、趣味を全開にして日本作家の手になる航空SFを集めたもの。「飛行機SF」でないのは、飛行船も混じっているからか。まずは目次を整理して書き写しておこう。例によって初出年(雑誌の奥付準拠)と推定枚数を付す――

1 誕生――マリー・セレスト号への挑戦  半村良 '72 (110)
2 黒いハイウェイ  豊田有恒 '64 (10)
3 地球軍独立戦闘隊  山田正紀 '76 (110)
4 原爆機東へ  横田順彌 '70 (5)  
5 夢魔の空中戦  光瀬龍
6 飛行船ケネディ号の乗客  高斎正 '76 (45)
7 空の死神  星新一 '74 (20)
8 五郎八航空  筒井康隆 '74 (40)
9 追いこされた時代  かんべむさし '75 (75)
10 お糸  小松左京 '75 (100)

 書誌情報が明記されていないので7の初出年が不明だが、わかるかぎりでいうと、いちばん古くて1964年。あとは1970年代前半が主で、いちばん新しいのは1976年。要するに古典には目をつぶって、いきのいい作品ばかりを集めた意欲的な編集である。

 ひと口に航空SFといっても、その切り口はさまざま。戦争秘話のようなものから、架空の航空路線を描いたものまでヴァラエティに富んでいる。かならずしも航空機のスペックが明確な作品ばかりではないのだが、それでも飛行機マニアなら泣いて喜ぶような作品ばかり。編者が思いきり楽しんでいるようすが伝わってくる。
 野田昌宏氏の仕事のなかでは、あまり知られていないはずなので、あえて紹介するしだい。

 ところで、トリを飾った「お糸」には、つぎのような解説文が付されている――

「書きたいことは山程あるのだけれど、そのどれをとっても、書けば本編を読むたのしさが阻害されてしまう。だから敢えてなにも書かぬことにする。丹念に読んでいって欲しい。飛行機好きのあなたは、必ずニヤリとする筈である。
 作者からの伝言。〈天狗船〉はドルニエのDo-Xのイメージだそうです」(2011年8月21日)



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2013.07.30 Tue » 「お糸」における描写

【承前】
 《女》シリーズの描写はすばらしいが、これみよがしのところがあるのもたしか。その点、傑作「お糸」(1975)では、もっと自然な形で小松左京の美質が発揮されている。
 
 この作品は、江戸時代に1970年代の文物が根付いているという設定で書かれた一種の改変歴史もの。その江戸化された羽田国際空港の描写を引く――

「ひろい入口をはいると、広土間は、見送り、出むかえ、乗船を待つ大勢の人々でごったがえしていた。土間の一方は、乗船の手つづきをする帳場になり、客は帳場格子の前にならんだり、上がり框に腰かけたりしながら、金をはらい、切符を買っている。帳場のむこうでは、鼠唐桟に角帯をきりりとかけ、前垂れをつけた汎米屋の手代小番頭や、空色地矢絣に椎茸髷、黒繻子帯を立て矢の字に結んだ、御殿女中風の女たちが、客の行く先を聞き、便を説明し、手荷物をうけとり、乗客名簿を記入し、切符をわたし、きりきりはたらいている。――女たちの中には、西洋から来たらしい、金髪碧眼の、人形のような女性もいた」

 文章の息の長さに留意されたい。昨日も書いたが、これが作者の思考のリズムであり、息づかいなのである。

 「お糸」の描写は、作品世界の構築と渾然一体になっている。この作品に描かれているのは、理想化された江戸文化であり、日本情緒あふれるユートピア(つまり、どこにもない場所)だが、そのリアリティをささえているのが、なによりも修辞なのだ。これぞ文体の功徳というものだ。

 なぜこういうことをしつこく書くかというと、小松左京の小説を論じるさい、テーマやアイデアといった「書かれている内容」にばかり注目し、「どう書かれているか」を看過した例が多すぎるからだ。それが小説である以上、文体や技法を論じなければ片手落ちなのである。

 ところで、上の例文は書棚からいちばんとりだし易かった本から引いた。その本については、つぎの岩につづく。(2011年8月19日)

2013.07.29 Mon » 小松左京の描写について

 前回、小松左京の美質のひとつとして「息の長い文章による流麗な描写」をあげた。これは実例をあげないと判りにくいだろうから、現物をお目にかける。

 小松左京が意識的に描写に力を注いだ作品といえば、《女》シリーズにとどめを刺す。なにしろ、頭が古くてSFを受けつけない編集者たちを瞠目させるために、あえて向こうの土俵にあがって、古いタイプの文学的修辞を駆使した作品群なのだ。
 たとえば「流れる女」(1974)から引いてみよう――

「その時、一きわにぎやかな嬌声が入口の所にあがって、女たちから口々にあいさつをうけながら、すらりとした女性がのれんをわけて出て来た。あいさつのうけこたえを聞くと、どうやら妓{おんな}たちの芸事の御師匠さんらしい。が、そんな事よりも、私はその女性の水ぎわだった姿に思わず息をのんだ。――たっぷりの洗い髪に黄楊{つげ}の櫛、黒繻子{くろじゅす}の襟{えり}をかけた眼のさめるような鳶色{とびいろ}縞の黄八丈に黒繻子の帯、肩に朽葉色の地に黒茶と朱の子持ち唐桟{とうざん}の袖半纏{そでばんてん}をひっかけ、今どき珍しい草色呉絽の垢{あか}すりをふちからのぞかせた銅{あか}の小盥{こたらい}を胸もとにかかえ、足もとはむろん、湯上りの桜色に上気した素足に塗りの駒下駄、紅をさしたとも見えぬのに見事に赤い唇のはしに、紅絹{もみ}の糠袋をくわえて、色あせた紺のれんをすいとくぐって出てきた所は、まるで源氏店のお富で――ないものといえば、下女に蛇の目傘ぐらいだった」

 引用はハルキ文庫『くだんのはは』(1999)所収のものより。
 さて、最初のダッシュ以降が、たったひとつの文章であることに留意されたい。「息の長い文章」とはこのことで、これは作者の思考のリズムを反映している。このねばり強い思考が、小松左京の持ち味なのだ。文芸作品を読む醍醐味は、本来こうした「文体」の妙味を味わうことにある。

 正直いって、当方にも着物は半分もイメージできないのだが、それでも文章のリズムの心地よさで楽しく読める。体言止めがふたつつづいたあと、「け」「え」と連用形がつづき、また体言止めが出てくるあたりの呼吸が絶妙だ。最後にさらりと歌舞伎への言及があるが、これはかろうじて判る。要するに、この文章を存分に味わうには、それ相応の素養が必要なのである。

 だが、こうした描写はストーリーの運びには直接の関係がない。したがって、いまの多くの読者には「読むのが面倒」という理由で敬遠されるだろう。彼らにとって大事なのはストーリーと会話であって、それ以外の「文彩」は、夾雑物なのである(こうした描写を最初からイラストにあずけてしまったのが、今風の小説といえるかもしれない)。
 
 ありゃ、「お糸」からも例を引こうと思ったが、長くなってしまったので、つぎの岩につづく。(2011年8月18日)

2013.07.28 Sun » 小松左京傑作集

【前書き】
 去る7月26日は不世出のSF作家、小松左京の三回忌だった。故人を偲んで、訃報に接したあと書いた文章を公開する。


 小松左京が亡くなって以来、手もとにある本を片っ端から読み返していた。といっても、多くの本は田舎にあるので、再編集ものの短篇集が主である。それもひと区切りついたので、例によって傑作集を編んでみることにした。

 お断りしておくが、これは自分にとっての小松左京を再確認する作業であり、商業出版なら必要な配慮はいっさいしていない。あくまでもそういうものとして見ていただきたい。
 とはいえ、上限1200枚という目安をもうけた。無制限にすると百篇くらい選びそうなので、取捨選択の条件を厳しくしたのだ。そのほうが自分にとって面白いからである。

 配列は年代順。括弧内は推定枚数である――

1 御先祖様万歳  '63 (70)
2 お召し  '64 (60)
3 黴  '66 (75)
4 痩せがまんの系譜  '68 (45)
5 毒蛇  '71 (120)
6 結晶星団  '72 (185)
7 お糸  '75 (100)
8 ゴルディアスの結び目  '76 (120)
9 眠りと旅と夢  '78 (120)
10 雨と、風と、夕映えの彼方へ  '80 (80)
11 氷の下の暗い顔  '80 (180)

 合計1155枚。文庫なら700ページを超すが、最近ではざらにある厚さだろう。もっとも、電子書籍時代に突入すれば、こういう問題自体がなくなるかもしれない。

 こうして並べてみると、当方が小松SFになにを求めているかがよくわかる。
 このなかでひときわ目立つのは、6、8、10、11だろう。最新科学をバネにして「宇宙にとって人間とはなにか」という哲学的テーマを展開した小説である。まさにSFの醍醐味であり、小松SFの本道である。
 これらはハード・サイエンス寄りだが、おなじテーマをソフト・サイエンス(精神科学)寄りで展開したのが9だといえる。

 いっぽう時間SFの形式で「古き良き日本」を幻のように現出させる作品群は、小松SFのもうひとつの本道だろう(本道が何本もあるところが小松左京)。1、4、7がそれだが、とりわけ7は逸品。何度読んでもため息が出る。

 ところで、今回まとめて読み返して、小松作品が時代とずれていった理由がわかってきた。
 ひとつには、キャラクターよりも思索を重視した小説作法。もうひとつは、息の長い文章による流麗な描写。いずれも小松SFの美質だが、キャラ重視、一文一改行に象徴されるストーリーを運ぶだけの文章重視といった時代の趨勢と合わなくなったのだ。
 要するに、小松SFを楽しむための素養が現在の多くの読者には欠落しているわけで、よっぽどのことがないかぎり、小松SFが大衆的人気をとりもどすことはないだろう。残念ながら、そういう感想をいだいた。

蛇足
 小松左京が、いわゆる奇現象に肯定的なのに改めて気づいた。SFは、このいかがわしい部分を切り捨ててはいけないのだよなあ、と思ったしだい。(2011年8月16日)

【追記】
 徳間書店が出した追悼ムック『完全読本 さよなら小松左京』(2011)のアンケートに参加できたのは、身にあまる光栄だった。「あなたにとって小松作品のベスト1は何ですか」という質問に対して、当方は「お糸」をあげた。

2013.05.15 Wed » 小松左京と〈野性時代〉のこと

 小松左京の短篇というと、60年代の作品の人気が高いのだが、当方は76年くらいから80年くらいまでがピークだったのではないかと思っている。というのも、〈野性時代〉に発表された一連の作品が、信じられないくらい傑作ぞろいだからだ。以下そのリストを掲げる(題名、掲載号、推定枚数順)――

1 岬にて  1975,5 (100)
2 ゴルディアスの結び目  1976,1 (120)
3 あなろぐ・らう゛  1976,8 (100)
4 すぺるむ・さぴえんすの冒険  1977,2 (100)
5 歩み去る  1978,5 (40)
6 劇場  1979,5 (70)
7 雨と、風と、夕映えの彼方へ  1980,1 (80)
8 氷の下の暗い顔  1980,6-7 (180)

 上記1~4は初出時に《超常小説》という角書きがついていて、短篇集『ゴルディアスの結び目』(角川書店、1977)に1,2、4,3の順番で収録された。
 5~8は短篇集『氷の下の暗い顔』(同上、1980)に発表順で収録された。

 いずれも「宇宙と知性と人類」をテーマにしたハード哲学SFであり、まちがいなく世界最高水準。こんなものがよくSF専門誌ではなく一般の文芸誌に載ったものだと思うが、当時の〈野性時代〉には日本最先端のSFが定期的に載っていた。いろいろな意味で、日本SFの黄金時代だったのだなあ。

 『ゴルディアスの結び目』にくらべると『氷の下の暗い顔』はあまり話題にならないが、7と8は小松の短篇ベスト10に入れてもいいと思う傑作。
 7はブラックホール(?)にとりこまれた人間の意識の流れを描きながら、「宇宙における想像力の意味」を思索する哲学SFで、同時期に書かれた秀作「眠りと旅と夢」(1978)あたりと似た味わい。
 いっぽう8は「神への長い道」(1967)や「結晶星団」(1972)の延長線上にある宇宙探検SF。異星で発見された巨大な人面の謎を解明する過程で、「宇宙における知性」の意味が追及される。当方はこの系統を小松SFの真髄だと信じていて、クラーク、レム、小松をSF三大巨星として崇めているのである。

 以下、余談。
 上記の〈野性時代〉というのは、角川書店から出ていた総合文芸誌。いま同じ版元から出ている同名の雑誌とはちがい、サイズはB5で、恐ろしく分厚く、立って読むにはつらいほどだった。とはいえ、電車のなかでこれを立ち読みしている人をいちどだけ見かけたことがある。あれには本当に感心したものだ。
 角川春樹の肝いりで創刊されただけあって、当時の角川書店、あるいは出版界の常識をぶちこわす刺激的な雑誌だった。SFにも好意的で、最初のうちはSF特集を組んでいたが、そのうちそういう特別枠ではなく、SF作家の作品が常時誌面をにぎわすようになった。例をあげれば、山田正紀『チョウたちの時間』、眉村卓『夕焼けの回転木馬』、半村良《嘘部》三部作……。日本SF史における〈野性時代〉の役割は非常に大きいので、きちんと評価されるべきだと思う。

 当時の当方は〈野性時代〉と〈SFマガジン〉と〈奇想天外〉を定期購読していた。したがって、日本SFの最先端に触れていたことになる。もっとも、そこから進歩がないのが困りものだが。

 〈野性時代〉は乱丁が多い雑誌で、しょっちゅう書店へ取り換えてもらいにいったものだ。旅先で買った号が乱丁だったときは、現物を角川書店に送って取り換えてもらった。そのとき送料として切手を同封したら、そのまま返してくれたのをいま思いだした。
 そういう思い出のある雑誌だが、場所ふさぎなので10年ほど前に大量処分してしまった。いま思うと、じつに勿体ないことをした。後悔先に立たずである(2010年3月18日)。


2013.04.17 Wed » 『日本SFの世界』

 わが国でも偉大なSF編集者の追悼企画アンソロジーが出ている。福島正実編『日本SFの世界』(角川書店、奥付昭和52年5月30日)である。

2009-2-13

 福島正実編となっているが、追悼されているのはその福島正実。いったいどういうことかというと、当時の日本SF大隆盛を受けて出版社が日本SFを概観できるようなアンソロジーを企画し、福島正実がその選にあたったのだが、氏が前年4月に急逝したため、追悼企画となったらしい。カヴァー袖より引く――
「氏の業績と人柄を偲んで有志が集い、氏が生前準備を進めていたSFアンソロジー編集を引き継ぐことになった。現在第一線で活躍中の人々の代表作21編を選び、独特のイマジネーションによって出発した日本SFの原点をとらえられるよう意図している」

 福島正実といえば周知のとおり〈SFマガジン〉の初代編集長だが、1969年にその職を辞している。そこで福島が在職中に〈SFマガジン〉に発表された作品と、それ以外の作品を分けて収録作をならべる――

〈SFマガジン〉掲載
「完全映画{トータル・スコープ}」安部公房、「ゆたかな眠りを」生島治郎、「解けない方程式」石原藤夫、「夢判断」久野四郎、「緑の時代」河野典生、「易仙逃里記」小松左京、「ブルドッグ」筒井康隆、「畸形の機械」都筑道夫、「改体者」豊田有恒、「ジンクス」半村良、「革命のとき」平井和正、「分荼離迦」福島正実、「壁の穴」星新一、「時間と泥」眉村卓、「落陽二二一七年」光瀬龍、「地球エゴイズム」山田好夫

それ以外
「ヴァルプルギスの夜」荒巻義雄(NULL)、「逢いびき」石川喬司(新刊ニュース)、「ムーン・バギー」高齋正(メンズクラブ)、「ある吸血鬼の死」田中光二(別冊問題小説)、「花一輪」矢野徹(問題小説)

 巻末に各人と故人の長男、加藤喬が故人との思い出をつづった文章を寄せている。
  
 下世話な意味で興味深いのは、高齋正のつぎの文章――「福島さんと私の間には、編集者と作家という関係はなかった。いや、正確には一度だけあったと言うべきだろう。ある作品――気に入っていた短篇――を『SFマガジン』に持込み、福島編集長に没にされたことがある。気に入っていた作品だけに、私としても作家としての意地があり、福島さんが編集長だった間は、『SFマガジン』に原稿を二度と持込まなかった。もちろん、福島さんから注文もこなかった」

 日本SF界の先達、今日泊亜蘭や柴野拓美と福島との確執はいまや有名だが、高齋正とのあいだにも似たような関係があったわけだ。

 目を惹くのは、生島、久野、都筑といった名前。現在の視点からは(SFとしては)傍流の作家である。福島としては戦友という意識があったのだろうか。

 さらにいえば、山田好夫の「地球エゴイズム」がはいっているのも興味深い。いわずと知れた第一回SFコンテストの佳作第一席だが、作者はこれ1作で沈黙してしまった。久野四郎ともども、この時点では筆を折った人である。いったいどういう意図があったのだろう。

 ちなみに、福島は69年に石川喬司と共編で同じ趣旨のアンソロジー『世界SF全集35 日本のSF・現代篇』(早川書房)を上梓しており、「落陽二二一七年」、「ブルドッグ」、「逢いびき」が重複している。
 いっぽう山田、荒巻、高齋、田中はこちらにだけ登場している。田中光二の活動と福島の編集者時代はまったく時期が重なっていないが、同人誌時代とはいえ時期の重なる荒巻義雄についてはどう考えていたのだろう。どこにも証言が残っていないのが残念だ。

蛇足
 高齋正の姓の表記だが、本書では「高斎」となっている。だが、当方は日本SF作家クラブの名簿に依拠して「高齋」とするようにしているので、ここでもそうした。(2009年2月13日)