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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.02.13 Wed » 『TVAの落とし子』

 テリー・ビッスンの第四短篇集 TVA Baby (PM Press, 2011) を読んだ。2006年から09年にかけて発表された近作13篇が収録されている。

2012-10-5(TVA)

 ビッスンの近年の作品は、世界への絶望をにじませた苦いものになっているのだが、その傾向はますます顕著になっている。
 たとえば表題作は、ほとんど理由もなしに殺人をくり返しながら逃避行をつづける男の話。この男が「おれはTVAベイビーだ」と名乗るのが、題名の由来になっている。
 ちなみに、TVAベイビーとは、大恐慌時代にルーズヴェルト大統領が打った政策で、テネシー川のダム工事に北部からやってきた青年たちが、南部の女性とのあいだにもうけた子供たちのこと。ビッスン自身がTVAベイビーのひとりらしい。とすると、この主人公は作者のダークサイドなのか。

 “Pirates of the Somali Coast”は、ソマリアの海賊に襲われた豪華客船の話。この船に乗り合わせた少年が、母親と友人へ送るeメールを並べる形式で書かれており、冒険旅行を語るような明るい調子の母親宛メールと、海賊の残虐行為を赤裸々につづる暗い調子の友人宛メールが、事件を立体的に描きだす。

 “BYOB FAQ”は、商品に関するQ&Aの形式で書かれており、読み進めるうちに、暗澹たる未来のビジネスが見えてくる。「BYOB」とは“Build-Your-Own-Boyfriend ”の略であり、孤独な女性向けにボーイフレンドを売る商売。そのボーイフレンドは、アジアやアフリカの健康な青年。ただし、いっさいの記憶が消されており、買い手が自分好みに仕立てられるようになっている。志願制が建前で、その多くは貧困からぬけだそうとする者たちだ(受刑中の犯罪者も多い)。半年以内なら返品もきくというのが、買い手にとっては大きな魅力だそうだ。

 ほかの作品もこういう調子か、逆にセンチメンタルすぎるくらいセンチメンタルな作品。ビッスンも変わってしまったなあ、というのが偽らざる感想である。
 
 とはいえ、ひとつだけ大笑いできた作品がある。“Billy And the Circus Girl”だ。
 題名からわかるように、ビッスン版ナンセンス童話《ビリー》シリーズの1篇だが、シリーズを集成した単行本 Billy's Book (2009) への収録は見送られたといういわくつきの作品。理由は「子供向きではない」から。
 冒頭を訳してみよう。


 ビリーには小さなオチンチンがついていました。こすると、それは大きくなりました。そんなことがあるなんて、ビリーの理解している物理法則に反するように思えます。なのでビリーは科学の先生、ミスター・スマートに見せることにしました。
「これ見て」とビリーはいいました。

「どうして校長室へ来ることになったの?」校長先生のミセス・サットンがいいました。「ミスター・スマートは教えてくれないのよ」
「これを見せたんです」とビリー。「こすると大きくなる理由がわかりません」


 この調子でビリーはいろんな人にオチンチンを見せてまわり、騒ぎとビリーのオチンチンはますます大きくなっていく。とはいえ、サーカス・ガールのおかげで万事は丸くおさまるのだが、それがどういうことかは、みなさんのご想像にまかせよう。(2012年10月5日)




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2013.02.12 Tue » 『ビリーの本』

【承前】
 PSパブリッシングの本をもう1冊。ものはテリー・ビッスンの連作短篇集 Billy's Book (PS Publishing, 2009)だ。

 本文88ページの薄いハードカヴァー。ジャケットつきの豪華版と、ジャケットのない普及版があるが、当方が持っているのは後者である。念のために書いておくと、版元はイギリスの小出版社で、薄手のハードカヴァーを精力的に出しているところ。本の値段が高いのでも有名である。

2010-7-18(Billy's Book)

 これはビリーという小学生の男の子を主人公にしたブラック・ユーモアたっぷりの童話。全部で13の短いお話がはいっていて、ビリーは宇宙人や恐竜を相手に悪戯ばかりしているが、たいていその何倍もひどい目にあう。ただし、天罰覿面ではなく、不条理なところがポイントで、両親をはじめとして、出てくるのはおかしな連中ばかりである。ちなみに3篇は本書のための書き下ろし。
 
 最近のビッスンは文体がスカスカになっていて、この本も例外ではないが、童話形式なのでそれがいいほうに作用している。なかなか面白い本だが、言葉遊びの要素が強いので、邦訳すれば魅力半減だろう。

 じつは、この本のことを書く気になったのは理由がある。つい最近アメリカ版(作品配列が一部異なる)が出たのだが、こちらはルーディ・ラッカーのイラスト入りなのだ。しかも、PDF版は無料配布という気前のよさ(追記参照)。とにかく、ラッカーのイラストは破壊力抜群。リンクを張っておくので、興味のある方はご覧になられたい。

http://www.rudyrucker.com/billysbook/

(2010年7月18日)

【追記】
 現在は無料配布をしていないようだ。くわしくは上記リンク作を参照のこと。


2013.02.11 Mon » 『謎の惑星』

【前書き】
 以下は2010年4月25日に書いた記事である。誤解なきように。


 7月に出る予定の本の初校を見終わった。テリー・ビッスンの短篇集である。
 前にも書いたが、ゲラを見る作業は本当にストレスがたまる。今回は「万が一(ということがある)」と「万一(にそなえて)」をどちらかに統一しろという指示があって呆れはてた。官僚的思考もここにきわまれり、という感じだ。

 こういうときは蔵書自慢。ものはテリー・ビッスンの Planet of Mystery (PS Publishing, 2008)だ。
 ジャケットつきの豪華版とジャケットなしの普及版、2種類ハードカヴァーが出ているが、当然ながら後者を買った。

2010-4-25(Planet)

 これは邦訳して230枚ほどのノヴェラを単行本化したもの。版元はイギリスの小出版社で、こういう形式の本をたくさん出している。その多くは書き下ろしで、意欲的な出版姿勢が高く評価されている。ただし、本書は2006年に〈F&SF〉に掲載された作品。

 ときは2077年、いましも人類初の有人金星着陸がおこなわれようとしていた。ホール船長とチャン機関士を乗せた中国アメリカ宇宙サーヴィスの着陸船は、分厚い金星の雲をぬけて地表をめざす。そこは太陽の光が届かないので永久に闇につつまれ、金属も溶ける高熱の支配する地獄のような世界――のはずだった。

 ところが、宇宙飛行士たちの目に映ったのは、光のあふれた平原で、植物らしきものが存在していた。そして着陸予定地点には、乾いた大地のかわりに水をたたえた池が広がっていたのだ。操船が間にあわず、着陸船は池にはまって沈没してしまう。
 
 からくも脱出したホールとチャンは、そこの空気が呼吸可能であることを知る。だが、驚く暇もなく、ケンタウルスそっくりの生物と短いチュニック姿の女戦士(アマゾン)たちに襲われ、捕虜にされてしまう。ふたりは城へ連れていかれるが、そこで待っていたのはアマゾンの女王と、11年前に行方不明になった金星探査ロボットだった……。

 ハードSF風の導入部から一転してパルプSF風の展開を見せる。明らかに往年のプラネタリー・ロマンスへのオマージュだが、正直いって冴えない。最近のビッスンの傾向だが、文章の密度が薄いのだ。すくなくとも、初期の短篇に見られたような味わい深い文章ではなく、事務的でスカスカの文章である。もしかするとノヴェライズをたくさん書いた弊害かもしれない。
 長めの作品を書こうとしたのだろうが、長篇用のプロットを組み立てられず、短篇を引きのばしただけに終わっている。

 ビッスンの長い作品は成功した例がすくない。例外は『世界の果てまで何マイル』と『赤い惑星への航海』だが、いずれもA地点からB地点への移動という単純なストーリーで、エピソードを数珠つなぎにした形式であり、複雑なプロットをそなえた作品ではない。本質的に短篇作家なのだろう。(2010年4月25日)

2013.02.10 Sun » 『とり残された左翼』

【前書き】
 以下は2010年4月5日に書いた記事である。誤解なきように。


 長かったトンネルをひとつ抜けた。7月に出る予定のテリー・ビッスン短篇集、その最後の訳稿がようやくあがったのだ。もちろん、本になるまでまだ諸々の作業が残っているが、とりあえず締め切りはクリアした。なにはともあれひと安心だ(追記1参照)。

 というわけで、この日のためにとってあったビッスンの最新刊を読んだ。The Left Left Behind (PM Press, 2009) である。

2010-4-5(The Left Left behind)

 聞いたことのない版元だが、2007年にできた新興の小出版社。政治色の強いカウンターカルチャー系の版元で、書籍や小冊子のほかにCD、DVD、Tシャツなどの制作・販売をおこなっているらしい。
 ビッスンも新左翼運動あがりなので、編集スタッフと意気投合したらしく、《歯に衣を着せない作家たち》という叢書の編集にあたることになった。政治的に物議をかもしそうなSF短篇に作家インタヴューを合わせた薄手の本を出していこうという企画。その1冊めが上記の本というわけだ。

 日本の四六版に近い版型で120ページあまりのソフトカヴァー。目次を簡略化して示す――

1 The Left Left Behind: “Let Their People Go!”
2 Specal Relativity
3 “Fried Green Tomatoes”*インタヴュー
4 Bibliography

 不勉強ゆえ全然知らなかったのだが、アメリカには The Left Behind シリーズという大ベストセラーが存在するらしい。キリスト教系の宗教ファンタシーで、ある日信仰に厚い人々が死を経ずして昇天し、残された人々が、キリストの再臨まで7年にわたってアンチ・キリストの圧政に服すという内容とのこと(追記2参照)。
 1はこれのパロディで、キリスト教原理主義の価値観を徹底的におちょくっているほか、イスラエルの対パレスチナ政策に諷刺の矛先を向けている。作者によると、おそらく後者が災いして、出版してくれるところがなかなか見つからなかったという問題作だ。
 抱腹絶倒のドタバタで、筒井康隆の諸作と似た感じだが、アメリカの事情に通じていないとギャグが理解できない憾みがある。当方にも理解しきれたかどうか自信がない。
 ちなみに題名は駄洒落。左翼と内容に直接の関係はない。こういうギャグは翻訳不能なのだよ。今回の翻訳作業でもさんざん悩まされた。

 2は戯曲。これも政治色の強い諷刺作品で、アインシュタイン、ローブスン、フーヴァーの3人がブッシュ政権下の現代アメリカによみがえる。やはりドタバタだが、主役3人に馴染みがないと笑えないかもしれない。当方もローブスンがわからなくて調べた。

 3の内容は、7月に出る本の解説で要点を紹介するつもり(追記3参照)。それでもひとつだけあげると、「好きな短篇小説作家は?」という質問に答えてR・A・ラファティの名前をあげ、“He's a singer; I'm a talker”と述べているのが興味深い。ほかに名前のあがっている作家は、トム・ジョーンズ、モリー・グロス、デイヴィッド・セダリス。これまた不勉強でグロスとセダリスという作家はまったく知らない。どなたかご教示してくださいませ。

 最後に《歯に衣を着せない作家》叢書で出ているほかの本をあげておく――

The Lucky Strike by Kim Stanley Robinson
The Underbelly by Gary Phillips
Mammoths of the Great Plains by Eleanor Arnason

 なるほど、といいたいところだが、フィリップスという作家ははじめて知った。どんな作風なのだろう。これまたご教示願います(追記4参照)。(2005年4月5日)

【追記1】
 拙編のビッスン傑作集『平ら山を越えて』(河出書房新社、2010)のこと。

【追記2】
 この大ベストセラーは一部が邦訳されているほか、映像化されたもののDVDが入手できると添野知生氏と堺三保氏に教えてもらった。感謝。

【追記3】
 T・B・カルフーンという人がインタヴュアーを務めているが、ビッスン本人の変名だとあとで知った。T・Bはテリー・ビッスンの略だろう。カルフーンという名前は、奴隷制支持で有名な19世紀の大物政治家を連想させるので、皮肉がこめられているのかもしれない。

【追記4】
 《歯に衣を着せぬ作家》シリーズは、この後、マイクル・ムアコック、アーシュラ・K・ル・グィン、コリー・ドクトロウ、ルーディ・ラッカー、ナロ・ホプキンスンの作品を刊行している。くわしくはリンク先をご覧ください。

2013.02.09 Sat » 『回収アーティスト』

【承前】
 テリー・ビッスンをもう一冊。いまのところ最新長篇 The Pickup Artist (Tor, 2001) のことも書いておこう(追記1参照)。

2005-9-10(Pickup Artist)

 舞台は、アーカイヴの記憶容量の関係で、新しい芸術がひとつあらわれると、古い芸術がひとつ抹消されるようになった未来。表題の回収アーティストというのは、抹消されることになった芸術(の複製)を回収してまわる役人である。アートに関係する仕事だからアーティストなのだろう。

 主人公はそのひとり。芸術にはまったく関心がなかったが、あるとき回収したレコードを手元に残すことにしたため、歯車が狂っていく……。

 というわけで、典型的なディストピア小説。ブラッドベリの『華氏451度』の系譜である。
 じつは主人公の動きとはまったくべつのストーリー・ラインがあって、クライマックスで両者が融合するのだが、これがあまりうまくいっていない。
 ビッスンという人は、もともとプロット作りがうまい方ではない。拙訳のある2長篇(追記2参照)は、作品としては成功しているが、どちらもA地点からB地点への移動であり、そのあいだはエピソードの積み重ね。緊密なプロットは存在せず、エピソードの数しだいで長さはどうにでもなるタイプの作品。そういう意味では本質的に短篇作家なのだろう。
 
 ところで、この本は読んだときに紹介文を書こうと思って、ある雑誌に話をもちかけたら、「べつの人が書く予定がある」といって断られたのだった。けっきょくその人は書かなかったので、ちゃんとした紹介はされずに終わっている。こうして闇に葬られていく本は、どれくらいあるのだろう。(2005年9月10日)

【追記1】
 この後2012年になって、ようやく待望の長篇 Any Day Now (Overlook) が出た。

【追記2】
『世界の果てまで何マイル』(ハヤカワ文庫SF、1993)と『赤い惑星への航海』(同前、1995)のこと。


2013.02.08 Fri » 『謹啓』

【前書き】
 以下は2005年9月9日に書いた記事である。誤解なきように。


 テリー・ビッスンの最新短篇集 Greetings (Tachyon, 2005)を読んだ。2001年から04年にかけて発表された10篇が収録されている。

2005-9-9(Greetings)

 半分は初出時に読んでいたので予想はしていたが、「死」と「老い」をテーマにした作品が、これでもかこれでもかとつづく。ビッスンの作品でいえば、「冥界飛行士」や「マックたち」の系列ばかりを読まされる感じ。ユーモアを期待する人は、手痛いしっぺ返しを食うだろう。

 もちろん作品自体は高水準だが、こう暗いトーンの作品ばかりだと気が滅入ってくる。なかでも表題作の“Greetins”はすごい。人口問題と老人問題の行き着く末を描いたディストピア小説で、集中ベストだが、もっとも暗澹たる作品になっている。

 ベスト3を選ぶなら、ほかは時間旅行、ネアンデルタール人、過去からの手紙という題材で、ある女性科学者の孤独を浮き彫りにする“Scout's Honor” 、一種の死後譚を少年小説風に展開する“Almost Home” だろう。 

 最後の作品は、この短篇集には珍しい澄明感のある中篇なので、邦訳が出るにちがいない。
 ともあれ、ふつうならブラック・ユーモア調のドタバタになりそうな題材が、じつに生真面目に処理されているので、読むのがしんどい作品集であった。(2005年9月9日)

【追記】
 この短篇集からは、本文で題名を出した「謹啓」、「スカウトの名誉」、「ちょっとだけちがう故郷」の3篇に加え、ファースト・コンタクトものの佳作「光を見た」を訳出できた。すべて拙編のビッスン傑作集『平ら山を越えて』(河出書房新社、2010)にはいっている。ぜひお読みください。

2013.02.07 Thu » 『ワイアールドメイカー』

【承前】
 ビッスンにサインしてもらうため用意してあったのが、幻のデビュー作 Wyrldmaker (Pocket Books, 1981) だ。これを見て、作者は苦笑いをしたような気がする。

2005-7-25 (Wyrldmaker)

2005-7-25 (Wyrldmaker 2)

 変わった題名は作中に出てくる魔剣の名前。たぶん“world”と“wild” にかけているのだろう。このひとふりの剣をめぐって、ヒロイック・ファンタシー調の冒険譚がつづられ、最後にSF的な合理化がある。

 どうせ翻訳は出ないからタネを明かすと、この不思議な世界は、じつは世代宇宙船の内部で、魔剣はコンピュータ・システムを動かすマスター・キーだったというオチ。
 
 陸上帆船で草原を旅するところなど印象的な場面もあるが、総じていえば水準作。暇つぶしにはもってこいだが、残るものはなにもないタイプの作品である。(2005年7月25日)

2013.02.06 Wed » 『熊が火を発見する』

 1993年の世界SF大会で、わが最愛の作家のひとり、テリー・ビッスンに会った。そのとき本人が、持っていた第一短篇集 Bears Discover Fire (Tor, 1993) の校正用仮綴じ本にサインを入れて進呈してくれた。
 もちろんサイン用の本は用意してあったのだが、それとはべつにいただいたもの。まさに家宝である。

2005-7-23 (Bears proof)

 ちょっと汚れているのは元々そうだったから。今はビニール袋に入れて完全防護してある。下はビッスンの署名。

2005-7-23 (Bears proof 2)
 
 で、このときはまだ刊行されていなかったのが、下の本。

2005-7-23 (Bears)

 一応説明しておくと、収録作は19篇。そのうち9篇は邦訳があり、内訳を書いておけば――

「熊が火を発見する」、「ふたりジャネット」、「アンを押してください」、「冥界飛行士」、「未来からきたふたり組」、「英国航行中」は拙編のビッスン傑作集『ふたりジャネット』(河出書房新社、2004)にはいっている。
「平ら山を越えて」は、当方が山岸真氏と共編した年代別SF傑作選『20世紀SF⑥1990年代 遺伝子戦争』(河出文庫、2001)にはいっている。
「ジョージ」、「カールの園芸と造園」は、ビッスン特集を組んだ〈SFマガジン〉1994年11月号に訳載されている。

 ついでに書いておくと、スティーブン・ピンカーの『心の仕組み(上)』(NHKブックス、2003)という科学ノンフィクションに、ショート・ショート“They're Made out of Meat”の冒頭から三分の一ほどが訳出されている。ただし、題名は明記されていない。

 それにしても、こうやって題名を書き写しているだけで、顔がにやけてくるなあ。ビッスンの場合、30枚から50枚の作品がいちばんいい。珠玉の短篇といったら、やっぱりこの長さだよな。(2005年7月23日)

【追記】
 この後、ビッスンの短篇集をもう一冊編むことができた。『平ら山を越えて』(河出書房新社、2010)である。上記「平ら山を越えて」、「ジョージ」、「カールの園芸と造園」は、こちらに収録されている。