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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.05.20 Mon » 『痕跡』

【前書き】
 以下は2007年2月27日に書いた記事である。誤解なきように。


 思うところあって、スティーヴン・バクスターの短篇を集中的に読みなおしている。まずは第一短篇集 Traces (Voyager, 1998)の未訳作品だけ再読した。ちなみに、当方が持っているのは、例によって翌年に出たペーパーバック版である。

2007-2-27(Traces)

 さて、この本には1988年から97年にかけてバクスターが発表した21の短篇が収録されている。バクスターがデビューしたのは87年だから、最初期から中堅作家としての地位を確立するまでの時期の作品がならんでいるわけだ(ただし、《ジーリー》シリーズに属す作品は、べつにまとめられている)。歯に衣を着せずにいえば、どうしようもなく下手な作家が、小説技術を実地で習得していく過程が明らかになっている。

 邦訳があるのは「痕跡」('91)、「コロンビヤード」('96)、「ゼムリャー」('97)、「月その六」('97)の4篇。さすがに、この作品集のなかではトップ・クラスの作品ばかり。未訳作品のなかに、あとの三つを超えるものはない。

 とにかく初期の作品は、どれもこれも類型的で、まとめて読むと苦痛。「異星に行ったら変な生物がいました」というパターンと、「異星の苛酷な環境に適応して、人類はこんなに変わりました」というパターンのふたつしかないのだ。『ジーリー・クロニクル』という作品集を読んだ方なら、どんなものか想像がつくだろう。要するに、ラリー・ニーヴンとジェイムズ・ブリッシュの二番煎じである。

 ところが、改変歴史ものを書きはじめたころから、題材の幅が広がり、構成力や文章そのものも向上してきて、読ませる作家になりはじめた。たぶん「改変世界の宇宙開発もの」という金脈を掘りあて、ノンフィクション・ノヴェル風の文体を手に入れたのと、イギリスSFの伝統にめざめて、ステープルドン風の作品に手を染めるようになったのが主因だろう。ここから関心がさまざまな方向へ広がって、宇宙ハードSFに限定されない現在のバクスターに変貌するわけだ。

 というわけで、未訳作品のなかで「これぞ」というのは、世界初の飛行機をウェールズ人が開発していたという改変歴史もの“Brigantia's Angels” ('95) と『地球の長い午後』風の遠未来SF“George and the Comet” ('91)くらい(追記参照)。
 それにしても、読んでいるあいだ、光瀬龍やら小松左京やら豊田有恒やらの作品が連想されてしかたがなかった。けっきょく、そこが当方の心の故郷なのだなあ。(2007年2月27日)

【追記】
 後者は「ジョージと彗星」という訳題で〈SFマガジン〉2010年11月号に訳出できた。
 ちなみに、バクスターには“Poyekhali 3201”と、題名からして光瀬龍風の宇宙小説がある。

2013.04.03 Wed » 『蒐集家版H・G・ウェルズSF作品集・オリジナル・イラスト付き』

【承前】
 新訳版『宇宙戦争』には初出誌連載時のイラストを一部復刻したが、その版下に使ったのがこの The Collector's Book of Science Fiction by H.G.Wells with the Original Illustrations (Castle, 1978) だ。

2005-6-7(Wells 1)

 『宇宙戦争』、『月世界最初の人間』、When the Sleeper Wakes の3長篇と12篇の短篇がイラスト付きで収録されている。けっこうなヴォリュームだが、これはお買い得だった(未訳の短篇も2篇)。

 とはいえ、イラストが初出時のものとはかぎらない。三流雑誌に発表された初期の作品が、のちに一流雑誌に再録されたときのイラストもふくまれているからだ。ここは勘違いしやすいのでポイントである。

 なにしろ、イギリス大衆雑誌黄金時代のイラストなので、見応えのあるものが多い。各社のウェルズ傑作集は古くなっているので、このイラストを利用して新しい版を作りたい気がする。実現の見こみは薄いだろうが、目次を考えるのは趣味なので、それはそれでいいのだ。

 ところで、『宇宙戦争』のイラストは基本的にウォーウィック・ゴーブルが描いているのだが、じつは初回の扉だけコスモ・ロウという人が描いている(下図参照)。

2005-6-7(Wells 2)

 ウェルズはロウのイラストを希望したのだが、けっきょく1枚しかとれなかったらしい。ウェルズ自身はゴーブルの絵が気に入らず、とりわけ三本脚の戦闘機械についてはイメージがちがいすぎるといって、同書第2部2章で当てこすりをいっている(追記参照)。(2005年6月7日)

【追記】
 火星人の機械が、しなやかに、敏捷に動くと書いたうえで――「これらの機械をいちども見たことがなく、想像力に乏しい画家の絵か、わたしのような目撃者の不完全な描写しか知らない人々には、その生き生きとした姿はとうてい理解できないだろう」(拙訳)

2013.04.02 Tue » 『註解版・宇宙戦争』

【前書き】
 昨日の記事はエイプリル・フールのジョークでした。本のことを書くくらいしか能がないので、路線変更はせずにつづけます。

 拙訳のH・G・ウェルズ『宇宙戦争』(創元SF文庫、2005)の増刷が決まった。今回で4刷だが、3刷は2005年7月だったので、久々の増刷である。この古典が読み継がれている証左なので、うれしくてならない。この機会に同書刊行当時に書いた記事を抜粋して公開する。


 H・G・ウェルズ『宇宙戦争』新訳決定版の見本がとどいた。
 映画公開が2ヶ月早まり、締め切りも2ヶ月早まるなか、花粉症に苦しみながら50日で翻訳した仕事。まるで他人事のようだが、「よく出たなあ」というのが率直な感想である。
 前にウェルズの『モロー博士の島』(創元SF文庫、1996)を翻訳したときも、映画公開が早まって3週間で仕上げたのだった。つくづく、めぐりあわせが悪いとしかいいようがない。

 ウェルズの文章は、さすがに19世紀の人の文章で、いまの目で見ると非常にくどい。そのくどさを訳文にも出したいと思ったのだが、読者にはどう受けとられるだろう。いまは判決を待つ死刑囚のような気分だ。(2005年5月27日)


 『宇宙戦争』を訳すさい、テキストにしたのが A Critical Edition of The War of the Worlds (Indiana University Press, 1993) だ。

2005-6-6(War of the Worlds)

 悪い意味で学術的な本なのでお奨めはしないが、関連資料が付録になっていたり、本文にも詳註が施されたりしているので、本文を理解するうえで大いに助けてもらった。

 たとえば、第一部9章である兵隊がこんなことをいう――

Talk about fishers of men - fighters of fish it is this time!

 註釈によれば、前半の「人間をとる漁師」は、新約聖書のマタイ伝を踏まえているのだという。
 ふつうの日本人ならまず気づかないし、じっさい当方が調べかぎりでは、これに気づいた翻訳家は、これまでひとりもいなかった。

 例をあげると切りがないのでやめておくが、こういう具合に本書の註釈のおかげで誤訳を免れたところが多数あった。感謝のかぎりである。(2005年6月6日)

【追記】
 同書に併録されていたウェルズの初期科学エッセイ“The Men of the Year Million”を「百万年の人間」の訳題で〈SFマガジン〉2005年8月号に訳出できた。これを読むと、有名なタコ型火星人が、じつはウェルズの想像した未来の地球人の流用であったことがわかる。このあたりに関しては、拙訳『宇宙戦争』の訳者あとがきにくわしく記したので、ぜひお読みいただきたい。

 余談だが、上記エッセイの訳題は、いまなら「西暦百万年の人間」にするだろう。


2013.02.25 Mon » マッスン追悼――『時のまきびし』

【前書き】
 本日はスコットランド出身のSF作家デイヴィッド・I・マッスンの命日である。故人を偲んで、訃報に接した2007年3月9日に認めた日記を公開する。


 去る2月25日にデイヴィッド・I・マッスンが亡くなったそうだ。享年91。合掌。

 追悼の意味をこめて、本棚からマッスンの本を引っぱりだしてきた。唯一の著書 The Caltraps of Time (Faber & Faber, 1968) である。ただし、当方が持っているのは、76年にニュー・イングリッシュ・ライブラリーから出たペーパーバック版。オールディスとハリスンが顧問を務めていた〈SFの巨匠〉シリーズの一冊である(追記1参照)。

2007-3-9(The Caltraps of Time)

 SFにおける短篇の重要性を説いたハリイ・ハリスンの序文につづいて、7篇の短篇が収録されている。目次を簡略化して書き写しておこう。例によって発表年と推定枚数を付す――

1 Lost Ground  '66 (55)
2 Not So Certain  '67 (25)
3 Mouth of Hell  '66 (25)
4 二代之間男  '66 (80)
5 The Transfinite Choice  '66 (30)
6 Psychosmosis  '66 (25)
7 旅人の憩い  '65 (40)

 ちなみに、発表誌はすべて〈ニュー・ワールズ〉だ。

 さて、マッスンといえば、ニュー・ウェ-ヴ運動華やかりしころ、技巧的な短篇で読者をうならせた作家というイメージがあると思う。邦訳された2篇に関しては、まさにそのとおりなのだが、残りの作品は正直いって一枚落ちる。

 マッスンの作品は、典型的な「古い酒を新しい革袋」に盛るタイプ。つまり、割合ありふれたSF的アイデアを斬新な形式や、凝りに凝った文体に乗せるわけだ。
 その好例が、タイム・マシンによって1693年から1964年へやってきた男の目を通して、現代を描いた4だろう。アイデアだけとれば、エドモンド・ハミルトンの「未来を見た男」の二番煎じだが、17世紀の英語を模した擬古文を用いることで、絶大な異化効果をあげている(追記2参照)。
 デビュー作である7も、時間伸張/圧縮というアイデアそのものを具現した文体がみごと。

 そのいっぽうで、アイデアをひねくりまわすだけで終わってしまった作品もある。たとえば2は異星人の言語をあつかった作品だが、ストーリーというようなものはなく、大半が講義のような形になっている。だが、そこで語られるのは、Sshmiqh と Sshmeeqh ではまったく意味がちがうという類の説明なのだ。その根底にある法則を探っていく方向に話が進めば言語学SFの傑作になったのだろうが、そうはならないのである。

 5と6も、この種の音声言語学的な遊びに耽溺しすぎた感がある(Undrowda, hoo srigh のように変形しきった未来の英語を延々つづけるなど)。
 
 表紙絵の題材になった3は、地表にあいた途方もなく巨大な穴を探検する話だが、やはりストーリーといったものはなく、探検の描写がつづくだけ。しかも人名が変わっていて、'Afpeng とか Mehhtumm とか Ghuddup といった具合。とすると、異星人か異次元人の話かもしれないが、そのあたりはよくわからない。

 残る1は、情緒気候というアイデアと、パッチワーク化した時間というふたつのアイデアを核にしている。だが、このふたつはうまく絡みあっていない。

 というわけで、傑作はそう簡単にはころがっていないのである。(2007年3月9日)

【追記1】
 3篇を増補し、クリストファー・プリーストの新たな序文を付した新版が2012年にゴランツから出た。マッスンの書いたSFは、これですべて網羅された。

【追記2】
 浅倉久志氏は、『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』(ハヤカワ・SF・シリーズ、1971)に収録されたこの作品を訳すに当たって、明治期の小説の文体を採用した。冒頭を引く。ただし、うちのワープロでは処理できないので、仮名遣いを一部変えたり、正字を略字に変えたりしたことをお断りしておく――

「……私は其時{そのとき}偶々{たまたま}、往来から一寸眼に附かぬ拱門{くぐり}の蔭に立在{たたず}んで居たのですが、筋向ひの納屋と自分の眼との眞中邊{あたり}に何か目眩{まぶ}しい光を放つ物が有る。と視{み}る間{ま}に、其幻{まぼろし}がドンドン濃くなつて、頓{やが}て納屋の前の小空地{こあきち}に、白ぽい色をした、轅{ながえ}の無い轎{かご}のやうな物が現れました。」

 たいへんな離れ業なのだが、浅倉さんご本人はこの翻訳を若気の至りとして低く評価されていた。はじめてお目にかかったときそう聞いたので、強く印象に残っている。
 いまにして思えば、「翻訳が介在していることを意識させないほど日本語として自然な訳文を作る」という浅倉さんの姿勢に反するからだろう。訳者の得意げな顔が透けて見えるような訳文は一級ではない、と浅倉さんはおっしゃりたかったのではないだろうか。

【追記3】
 〈SFマガジン〉1969年4月号の本家「SFスキャナー」では、伊藤典夫氏が本書を簡単に紹介されている。そのとき掲げられたハードカヴァー版の書影は、表紙にエッシャーの絵をあしらった瀟洒なものだった。パルプSFめいたNEL版とは大ちがいで、じつはNEL版を入手したときは唖然とした。

2012.10.23 Tue » 『宇宙時代の記憶』

【承前】
 アーカム・ハウスといえば、昨日も書いたとおり怪奇幻想文学専門の小出版社だが、一時期SF方面に大きく舵を切ったことがある。1980年代初頭から1990年代なかばまでの約15年間で、つぎのような作家の本を出した――
 マイクル・ビショップ(3冊)、グレッグ・ベア、ジョアンナ・ラス、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(2冊)、ルーシャス・シェパード(2冊)、J・G・バラード、ブルース・スターリング、マイクル・スワンウィック、ジェイムズ・P・ブレイロック、ジョン・ケッセル、ナンシー・クレス、アレグザンダー・ジャブロコフ、メアリー・ローゼンブラム、イアン・R・マクラウド。SFとの境界線でタニス・リー、マイクル・シェイ。
 このうちティプトリー・ジュニアの『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』(ハヤカワ文庫FT)とシェパードの『ジャガー・ハンター』(新潮文庫)は邦訳がある。

 一部の海外SFマニアにとっては垂涎のラインナップ。その大半が短篇集であるのも嬉しい。ちょうど大手の出版社が新人や中堅の短篇集を出さなくなった時期で、アーカム・ハウスの活動はSF界にとっても比重が大きかった。
 これは四代目(追記1参照)の統括責任者ジェイムズ・ターナーの功績。SFは従来の路線にくらべて部数が多いから実利的な理由もあったのだろうが、同じことをやっていてはジリ貧になるだけだ、という危機感からきた英断だと思われる。もっとも、そのおかげでコアな怪奇幻想文学マニアからは「アーカム・ハウスの伝統を破壊するな」と批判を浴びたらしいが。マニア気質というのは洋の東西を問わないようだ。
 ジェイムズ・ターナーというのも面白い人だが、その紹介は適任の方にまかせるとして、ここでは蔵書自慢をする。

 J・G・バラードの短篇集 Memories of the Space Age (Arkham House, 1988) は、バラードの「宇宙開発もの」を集成した短篇集。発行部数は4903だそうだ。バラードにしてこの数字か、と思うべきか、バラードだからこの数字だ、と思うべきか。ちなみにペーパーバック版は出ていない。

2008-2-6(Myths 1)

 ジャケットにはエルンストの名画「雨の後のヨーロッパ」があしらわれ、なかにはJ・K・ポッターのイラストがふんだんにはいっている。持っているだけで嬉しい本だ。自慢ついでにポッターのイラストも載せておく。

2008-2-6(Myths 2)

 例によって目次を書き写すと――

砂の檻
地球帰還の問題
死亡した宇宙飛行士
ウェーク島へ飛ぶわが夢
News from the Sun
宇宙時代の記憶
近未来の神話
月の上を歩いた男

 ご覧のとおり、非常に質の高い作品ばかり。これは日本版を出す価値があると思う。未訳は1篇だけだが(追記2参照)、邦訳はいろんな短篇集に分散しているうえに、多くは入手困難なので、1冊にまとめる意義はあるはずだ。
 と思って複数の出版社に話を持ちかけたが、色好い返事はもらえなかったのだった。嗚呼無情(追記3参照)。(2008年2月6日)

【追記1】
 社主で編集長だったオーガスト・ダーレスが1971年に亡くなったあと、共同設立者だったドナルド・ウォンドレイ、ついでロデリック・メンが編集長となったが、期間は合わせて4年にすぎなかった。1975年にターナーが編集長となり、1996年までその任に当たった。

【追記2】
 この時点で未訳だった1篇は、J・G・バラード追悼特集を組んだ〈SFマガジン〉2009年11月号に「太陽からの知らせ」として訳出された。

【追記3】
 バラードは本国で短篇全集が刊行されているため、短篇集のバラ売りはしてくれなくなった。したがって、この本の日本版を出せる可能性はほぼなくなった。
 余談だが、バラードの短篇集『ヴァーミリオン・サンズ』が再刊されないのは上記の理由だそうだ。
 短篇集が品切れにならず、契約が更新されていれば、その短篇集を出しつづけることは可能だが、いったん契約が切れた場合はそうはいかない。前に出ていた本だからといって、無条件に再刊できるわけではないのだ。こうした事情はめったに公にならないが、版権上の理由で、出したくても出せない本があることは理解しておいたほうがいい。

2012.10.16 Tue » 『アルビオンの星々』

 前回のつづき。
 学生時代の数すくない手持ちアンソロジーの一冊というのは、ロバート・ホールドストック&クリストファー・プリースト編の Stars of Albion (Pan, 1979) のことだった。

2008-10-17(Stars)

 じつはこの表紙、デザインの関係で元の絵のよさが消えてしまっている。ロボットが紅茶(カップに描かれたイングリッシュ・ローズに注意)を飲んでいるという絵柄で、まさに「英国SF」を表現しているのだが、そのロボットの顔に文字と枠がかぶさってしまっているのだ。のちに複数のアーティストの作品を集めたSF画集で元の絵を見たときには、本当に驚いたものだ。これではボブ・ノリントンという画家があまりにもかわいそうなので、特記しておく。

 さて、記録を見ると、原書のSFアンソロジーとしては3冊めに手に入れたもののようだ。東京泰文社のシールが貼ってないところを見ると、神田駅前にあった三省堂仮店舗のワゴンセールで買ったものだろう。あのころは、イギリスのSFペーパーバックがごろごろ転がっていたのだよなあ。

 アルビオンというのはイギリスの古名。わが国でいえば「やまと」とか「秋津島」という感じだろうか。表題から想像できるように、当時のイギリスSFの精髄を集めた国威高揚アンソロジーである。
 収録作はつぎのとおり、例によって発表年と推定枚数を付す――

Sober noise of morning in a marginal land ブライアン・W・オールディス '71 (50)
死ぬべき時と場所 J・G・バラード '69 (25)
モナリザ狂想曲 ボブ・ショウ '76 (55)
生なきもの ジョン・ブラナー '67 (60)
娼婦たち クリストファー・プリースト '78 (40)
Warlord of Earth デイヴィッド・S・ガーネット '77 (30)
夜の涯への旅 ロバート・ホールドストック'76 (65)
Dormant soul ジョゼフィン・サクストン '69 (50)
地底潜艦〈インタースティス〉 バリントン・J・ベイリー '62 (45)
旅行者の休息 デイヴィッド・I・マッスン '65 (40)
To the Pump Room with Jane イアン・ワトスン '75 (30)
降誕祭前夜 キース・ロバーツ '72 (100)

 オールディスとサクストンの作品の綴りが先頭をのぞいて小文字ばかりなのは、同書の表記に合わせたため。同書はこの点にこだわっていて、バラード、ホールドストック、ベイリーの作品も同様の表記がなされている。どういう意図なのだろう。

 編者たちがいうように、ここ10年ほどの作品に絞っているので、ニュー・ウェーヴ寄りの作品が多い。そのせいか、陰々滅々したディストピアものばかり。そのなかでベイリーの暴走ぶりはひときわ異彩を放っていた。

 当時邦訳があったのは、バラード、ブラナー、マッスンの作品だけ。張り切ってファンジン翻訳用の秀作を探そうとしたが、当時の語学力では歯が立たない作品が多かった。
 じっさい、オールディス、ガーネット、サクストン、ワトスンの作品は、今回同書を引っぱりだしたついでに初めて読んだ。30年ぶりに胸のつかえがとれた気分だ。
 なかではサクストンの作品が面白い。孤独な中年女のもとを天使のような姿をした宇宙人が訪れて……。SFの要素がメタファーでしかない典型的なニュー・ウェーヴ作品である。

 話をもどすと、ホールドストックの作品はかろうじて良さがわかり、後輩に頼んで訳してもらった。〈BAGATELLE〉3号に載っている「時の鎖縛」がそれである。その後、当方がプロになってから訳し直し、上記の題名で〈SFマガジン〉1992年6月号に載せてもらった。
 ちなみに「不老不死の話――イギリスSFの地下水脈」という特集のなかの1篇だが、この特集は当方が担当した。

 むかし話ばかりで恐縮だが、もうしばらくつづけたい。(2008年10月17日)


2012.06.26 Tue » 『モローという名の島』

 オールディスの擬似科学ロマンス風作品といえば、忘れてならないのが Moreau's Other Island (Cape, 1980) だ。もっとも、当方が持っているのは、翌年ポケットから出たアメリカ版ペーパーバックで、こちらは An Island Called Moreau と改題されている。

2009-7-7(Island)

 表題からわかるとおり、作者が敬愛するH・G・ウェルズの『モロー博士の島』(創元SF文庫)をリメイクした作品。これまたモロー博士の島が実在したという設定で書かれており、原作との密着度は非常に高い(批評家のデイヴィッド・プリングルは、再話といい切っている)。

 ときは1996年。第三次世界大戦がはじまってまもないころ。アメリカの国務次官カルヴァート・ロバーツを乗せたスペースシャトルが南太平洋に墜落する。九死に一生を得たロバーツは、漂流の末、ある絶海の孤島へたどり着く。そこはモーティマー・ダートと名乗る科学者が、半人半獣の住民たちを支配する不思議な場所だった。
 ダートによれば、ウェルズの小説に出てくるモロー博士には、マクモローという実在のモデルがおり、小説に登場する獣人たちの末裔が、この島の住民なのだという。ロバーツはアメリカ政府と連絡をとりたいと申し出るが、ダートはそれを聞き入れない。
 やがて恐るべき事実が判明する。ダートは遺伝子操作で新人類を創りだそうとしており、人体実験ができないので、獣人を使って実験をくり返しているのだ。そして獣人たちの叛乱が起こって……。

 ニュー・ウェーヴの闘士だった作者らしく、タブーブレイキングな内容になっている。
 たとえば、ダートがサリドマイド障害者として設定されていること。腕と脚がなく、それを補うためにサイボーグとなっており、用途に応じて手足や体をとり替える。種村季弘の『怪物の解剖学』のテーゼを具現したような人物だ。
 人魚のようなアザラシ人間が出てくるが、これもサリドマイド障害者で、日本人ということになっている。その名前が面白い――

女性 Lorta, Satsu
男性 Saito, Harioshi, Halo, Yuri

 どこから引っぱってきたのだろうか。

 余談だが、本書はむかしなつかしい《タイムスケープ・ブックス》の1冊で、活字が細かいせいもあるが、158ページにおさまっている。短いのは美徳だなあ。(2009年7月7日)

2012.06.25 Mon » 『解放されたドラキュラ』

 ムアコックとならんで、英国科学ロマンス風の作品を盛んに書いていたのが、ブライアン・オールディス。SFの始祖をポオでもヴェルヌでもなく、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』と定めたことでおわかりのように、自国のSFの伝統にきわめて自覚的だった。

 とはいえ、アメリカSF、とりわけジョン・W・キャンベル・ジュニア時代の〈アスタウンディング〉に対する愛着が強すぎて、英米のSFを不可分一体のものと考えている。そこが、ある時点まで両者は別ものだったと考えるステイブルフォードとのちがいである。

 オールディスは優れた批評家でもあるので、既存の作品を批判的に換骨奪胎した作品を書くと傑作が生まれることがある。その好例が邦訳も出た『解放されたフランケンシュタイン』(1973)だが、その続編が今回ご紹介する Dracula Unbound (Grafton. 1991) だ。もっとも、当方が持っているのは、翌年同社から出たペーパーバック版だが。

2009-7-1(Dracura)

 前作と同様の趣向で、本書はブラム・ストーカー作『吸血鬼ドラキュラ』の登場人物が実在していたという設定で語られる。主役をつとめるのは、前作に引きつづき、時間旅行者ジョーゼフ・ボーデンランド。今回のボーデンランドは、1999年のアメリカで大企業の社長となっている。
 物語は、彼が出資した古生物学の発掘調査現場で幕をあける。ユタ州の砂漠から、六千五百万年前の地層に埋もれていた棺が発見されたのだ。しかも、おさめられていた人骨には翼の生えていた形跡がある。さらに、人骨の胸からは銀の弾丸が回収され、ふたつ目に発見された棺では、木の杭を胸に打ちこまれた人骨が見つかる。まるで伝説の吸血鬼退治ではないか。これはいったいなにを意味するのか?
 おりしも、発掘現場には謎の発光物体が出没するようになり、ボーデンランは、その発光物体に乗り移って驚愕の事実を知る。それは未来の吸血鬼種族が発明したタイム・マシンだったのだ!
 
 タイム・マシンの出てくる小説らしく、プロットは時空を股にかけて展開するので、下手な要約はやめておこう。主要なパートである1869年では、ストーカー夫妻、ストーカーが秘書をつとめた名優ヘンリー・アーヴィング(ドラキュラ伯爵の風貌にはこの人の面影があるという)、狂人レンフィールド、ヴァン・ヘルシング教授などが登場し、ストーカーとボーデンランドが吸血鬼退治に乗りだして、過去と未来へ飛ぶとだけいっておく。
 要するに、ストーカーが執筆中だった作品は、この事件に影響されて完成を見たというわけだ。その意味では拙訳のある作者のH・G・ウェルズ・トリビュート作品「唾の樹」と似ている。

 オールディスはこの作品につめこめるだけのものをつめこんだ。吸血鬼の正体の生物学的解明、恐竜絶滅の謎、『ドラキュラ』=梅毒文学論、ヴィクリア朝ロンドンの路上観察……。盛り沢山すぎて未消化の感はいなめない。傑作はそう簡単に生まれないようである。(2009年7月1日)

【追記】
「SFスキャナー」がらみで書いておけば、〈SFマガジン〉1997年11月号が「真紅の夢」と題して吸血鬼特集を組んだとき、当方は同欄で本書を紹介した。


2012.06.24 Sun » 『空の大元帥』

 ムアコックは英国科学ロマンスの伝統にのっとった小説も書いている。その最良の例が The Warlord of the Air (English Library, 1971) だ。もっとも、当方が持っているのは、1981年に出たパンサー版だが。

2009-6-30 (Warlord of the Air)

 物語は二重の枠をそなえている。まず序文でムアコックが、以下の文章は自分と同名の祖父の遺品から発見された手記をそのままの形で載せたものだと告げる。
 そして祖父マイクルは、1903年にインド洋の小島でオズワルド・バスタブルと名乗る不思議な男に出会った顛末を語り、彼から聞いた異常な物語を詳述する。
 
 形式自体が古風だが、内容であるバスタブルの物語は、それに輪をかけて古風。簡単にいうと改変歴史ものだが、イギリス伝統の植民地文学→秘境小説→ユートピア文学→未来戦争小説と推移していく。19世紀末から20世紀初頭にかけて盛んだった小説ジャンル各種を試しているらしい。

 1902年、インド陸軍の大尉だったバスタブルが、ひょんなことから1973年の世界に迷いこんでしまう。そこはボーア戦争を最後に平和がつづいており、英米仏露日の五大列強の支配のもと、一種のユートピアとなっていた。だが、その平和をおびやかす存在がいた。テロをくり返す無政府主義者である。バスタブルは最初、無政府主義者に批判的だったが、帝国主義の圧政のもと、貧困に苦しむ植民地の実態を知り、飛行船から成る彼らの空軍に身を投じるのだった……。

 最後にバスタブルは、広島に原爆を落とし、そのエネルギーでまた別の世界に吹き飛ばされてしまう。彼はいう――「いまは1903年だ――ひとつの1903年にはちがいない――でも――このおれの1903年じゃない」

 このあと祖父のメモがつき、1907年に発明された飛行機が恐ろしい兵器として発展していった過程を浮かびあがらせる。そして最後に孫ムアコックの付記で、祖父が1916年にソンムで戦死したことが告げられる。

 バスタブルの物語は、ジョージ・グリフィスの未来戦争小説+H・G・ウェルズのユートピア小説といった趣である。いまならスチームパンクで通るかもしれない。

 ムアコック作品ではおなじみの神出鬼没キャラクター、ユーナ・パーソンが登場し、いわゆる《エターナル・チャンピオン》シリーズに組みこまれている。バスタブルの物語は、このあと The Land Leviathan (1974)、 The Steel Tsar (1981) が出て三部作となった。

 ちなみにバスタブルという名前は、ムアコックが子供のころに愛読したE・ネズビットの児童文学に由来するそうだ。『宝さがしの子どもたち』のシリーズですね。(2009年6月30日)

2012.06.23 Sat » 『最終戦争以前』

 前回の記事に対して、英国のニュー・ウェーヴSF運動を考えれば、英国科学ロマンス説は「実に納得がいく」というコメントをいただいた。
 おっしゃるとおりで、1960年代に英国で展開されたニュー・ウェーヴ運動は、アメリカSFの植民地化していたイギリスで、作家たちが自国の伝統に回帰しようとした面もあった。要するに、アメリカSFとちがったものを書こうとしたら、お祖父さんたちが手本を示してくれていたわけだ。

 その急先鋒だったのがマイクル・ムアコックとブライアン・オールディス。とりわけムアコックは英国科学ロマンスの伝統について自覚的で、みずからの古雑誌コレクションを基にアンソロジーを編んでいるほど。それが Before Armagedon (W.H.Allen, 1975) だ。もっとも、当方が持っているのは、例によって翌年ウィンダムから出たペーパーバック版だが。

2009-6-27 (Before Almageddon)

 序文でムアコックが英国科学ロマンスを概説している。浩瀚なステイブルフォードの研究とはくらべるべくもないが、ステイルブルフォードとはちがい、H・H・マンロー(別名はサキ)の警世小説を高く評価している点が目を惹く。
 ジョージ・メレディスがH・G・ウェルズに合作を持ちかけたエピソードを紹介し、自分の最愛の作家ふたりの合作が実現しなかったのは残念至極と書いているのもおかしい。
 さらにいえば、ジャンルが成立すると、その約束ごとに縛られて作家の想像力が衰退するのはいまもむかしも同じといって、SFの現状を批判しているのが、いかにもである。

 収録作はつぎのとおり――

1 The Battle of Dorking G・T・チェズニー
2 Dr Trifulgas ジュール・ヴェルヌ
3 The Raid of Le Vengeur ジョージ・グリフィス
4 The Great War in England in 1897 ウィリアム・ル・キュー
5 Life in Our New Century W・J・ウィントル
6 三番目の霊薬 E・ネズビット

 ヴェルヌの作品がはいっているのは、その影響で英国科学ロマンスが成立したから。この作品は邦訳があるかもしれないが、原題不詳で調べがつかなかった(追記参照)。
 
 1は未来戦記ブームを巻き起こした作品。英国本土が外国に蹂躙されるさまを克明に描いているが、はるか未来から当時をふり返るという形式をとっているのが興味深い。じっさいに読んでみると、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』がこの作品の影響下にあることがよくわかる。

 3と4も未来戦争もので、前者はちがうタイプの潜水艦の死闘を描き、後者は飛行船によるロンドン空爆の模様を描いている。ムアコックによれば、これら新型兵器がヴェルヌ由来というわけだ。

 序文でムアコックは続刊の構想を披露しているが、けっきょく出なかった。古典SFが読まれないのは、いずこの国も同じようだ。(2009年6月27日)

【追記】
 原題は“Frritt-Flacc”であり、「ごごおっ・ざざあっ」の題名で〈水声通信〉2008年11・12月号に訳載されていると判明した。藤元直樹氏のご教示による。深謝。