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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.01.09 Wed » 『現代幻想小説――百選』その2

 昨日のつづき。
 プリングルの百選は、1946年から1987年にかけて刊行されたファンタシーのなかから百冊を選んでいる。いっぽうコーソーンの百選は、1726年から1987年にかけて発表されたファンタシーのなかから百冊を選んでいる。では、どれくらいダブリがあるのか。

 プリングルが単行本の刊行年を基準にしているのに対し、コーソーンが雑誌初出年を基準にしている場合があったり、プリングルがあくまでも単行本単位で選ぶのに対し、コーソーンがシリーズものをひとまとめにする場合があったりと、厳密な対応は望めないのだが、プリングルを基準にすると、一応つぎのようになる――

『タイタス・グローン』マーヴィン・ピーク
The Book of Ptath A・E・ヴァン・ヴォート
The Well of the Unicorn フレッチャー・プラット
『エデンの黒い牙』ジャック・ウィリアムスン 
『征服王コナン』ロバート・E・ハワード
『鋼鉄城の勇士』フレッチャー・プラット&L・S・ディ・キャンプ
『ゴーメンガスト』マーヴィン・ピーク
『終末期の赤い地球』ジャック・ヴァンス
『妻という名の魔女たち』フリッツ・ライバー
『折れた魔剣』ポール・アンダースン
《指輪物語》J・R・R・トールキン
『永遠の王』T・H・ホワイト
『丘の屋敷』シャーリー・ジャクスン
『タイタス・アローン』マーヴィン・ピーク
『魔界の紋章』ポール・アンダースン
『ストームブリンガー』マイクル・ムアコック
『ローズマリーの赤ちゃん』アイラ・レヴィン
『影との戦い』アーシュラ・K・ル=グィン
Black Easter and The Day After Judgement ジェイムズ・ブリッシュ
『グリーン・マン』キングズリー・エイミス
The Infernal Desire Machines of Dr Hoffman アンジェラ・カーター
『闇の聖母』フリッツ・ライバー
『ビジネスマン』トマス・M・ディッシュ
『魔の聖堂』ピーター・アクロイド

 ちなみにブリッシュの2作は、長大な作品が分冊刊行されたもの。のちに The Devil's Day という題名で1冊にまとめられた。
 プラット&ディ・キャンプの《ハロルド・シェイ》シリーズの場合、コーソーンは合本の The Compleat Enchanter を選んでいるが、プリングルも上掲書単独ではなくシリーズ全体をひとつの長篇として考えたときの評価だといっているので、リストに含めた。

 さて、プリングルと重なる時期からコーソーンが選んだ作品は全部で51篇。そのうち22篇がプリングルとダブっていることになる(上記のリストと数が合わないのは、コーソーンが《ゴーメンガスト》三部作をひとまとめにしているから)。
 もちろん、作家は重なったが、作品は重ならなかったケースも多いが、とりあえずそれは置いておいて、これをひとつの目安(世評の定まった名作リスト)と見てもいいだろう。
 はたして、(広義の)ファンタシーとはなんであろうか。ますますわからなくなるのであった。(2009年1月16日)

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2013.01.08 Tue » 『現代幻想小説――百選』その1

【承前】
 前回とりあげたザナドゥ・ブックスの《百選》シリーズだが、デイヴィッド・プリングル著のSF篇があったのをころっと忘れていた。とはいえこの本は持っていないので、その姉妹編ともいえる Modern Fantasy: The Hundred Best Novels (Grafton, 1988) を紹介する。ちなみに、当方が持っているのは、翌年ピーター・ベドリック・ブックスから出たアメリカ版ハードカヴァーである。

2009-1-15 (Modern Fantasy)

 著者はイギリスの批評家・編集者で、雑誌〈インターゾーン〉の屋台骨を支えた人物。英国作家からの信頼は絶大であり、本書にもブライアン・オールディスが序文を寄せている。
 ニュー・ウェーヴの残党みたいな人なので、ファンタシーといっても広義のファンタシー、すなわちSF、ホラー、不条理文学などを重視した選択をしている。したがって、このファンタシーは「幻想小説」あるいは「幻想文学」と解したほうがいいだろう。その点ではコーソーンの百選とよく似ている。
 
 とはいえ、決定的にちがう点もある。というのも、18世紀、19世紀に書かれた古典を重視したコーソーンとは対照的に、1946年から1987年までに刊行された作品を対象としているからだ。表題の「現代」はそういう意味である。
 こういう作りになっているのは、SF篇と対になっているから。こちらも1949年から1984年という短い時期にかぎって作品を選んでいたのだ。

 おそらくプリングルにはSF篇と対になるファンタシー篇を出したいという気持ちがあったのだろう。しかし、ザナドゥ・ブックスではコーソーンがファンタシー篇を担当していたので、版元を変えて本書を上梓したと思われる。

 面白いので、コーソーンの選択とどれくらいダブっているのか調べてみた。その結果は、つぎの岩につづく。(2009年1月15日)

2013.01.05 Sat » 『幻想小説百選』

 昨日のつづき。
 ジェイムズ・コーソンは、イラストレーターとして活躍するかたわら、〈ニュー・ワールズ〉などを舞台に書評家としても活動していた。後者の面で最大の仕事が、ファンタシーのガイドブック Fantasy: The 100 Best Books (Xanadu, 1988) である。ただし、当方が持っているのは91年にキャロル&グラフから出たアメリカ版ペーパーバックだが。

2008-12-29(Fantasy 100)

 この本の著者はジェイムズ・コーソーン&マイクル・ムアコックになっているが、ムアコックは短い序文を書いているだけ。本文はコーソーンが100パーセントひとりで書いている。ムアコックは実質的に名義貸しである。それでもムアコックの本としてあつかわれることが多いので、ふたりとも苦々しく思っていたにちがいない。

 なんでそういうことになったかは、ムアコックが序文で明記している。それによると、もともとはムアコックが頼まれた仕事だが、多忙のため当分書けそうにないので、出版社と協議のうえ、信頼の置ける友人コーソーンに代わってもらったのだという。
 ムアコックは、自分で書くよりも良い本になったといいながら、ロバート・ホールドストックの『ミサゴの森』がとりあげられなかったのが唯一の心残り。したがって、これに関しては姉妹編 Horror: 100 Best Books のほうに原稿を書いたと述べている。正直なのはいいが、こっちに入れたほうが良かったのに、と思わないでもない。

 さて、内容だが、幻想文学全般を対象としている。古くはジョナサン・スィフトの『ガリヴァー旅行記』から、新しくはピーター・アクロイドの『魔の聖堂』まで、幻想旅行記、ユートピア文学、ゴシック小説、古典的怪奇小説、児童文学、秘境小説、〈剣と魔法〉、エピック・ファンタシー、不条理文学、パルプ・ホラー、SF、モダンホラーなど、非常に幅広い範囲の作品をとりあげているのだ。おそらく原題の Fantasy は「幻想小説」あるいは「幻想文学」と訳したほうがしっくりくるだろう。

 選ばれた作品は有名なものが多いが、馴染みのないタイトルもいくつか混じっていた。なかでも Caravan for China by Frank R. Stuart (1939) というのは、題名も作者名もはじめて見た。
 それも道理で、本国でもまったく忘れられた作家・作品らしく、コーソーン自身、自分の持っている本以外、この本を見たことがないといっている。これを機に関心が高まり、復刊に結びつくことを願って、あえてとりあげたそうだが、その夢は叶わずに終わったようだ。(2008年12月29日)

2012.10.25 Thu » 『文学上の剣士と魔術師――ヒロイック・ファンタシーの創造者たち』

 注文した本が海外から届けば、いつも小躍りしたくなるのだが、このときはじっさいに本を抱えて踊りまわった。手にはいったことが奇蹟にすら思えた。それがL・スプレイグ・ディ・キャンプの評論集 Literary Swordsmen and Sorcerers: The Maker of Heroic Fantasy (Arkham House, 1976)だ。ちなみに表紙絵はティム・カークの筆になるもの。

2005-7-21 (Literary Swordsmen)

 なにしろアーカム・ハウスの本である。おまけに斯界の重鎮ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシー論である。当方にとっては、まさに「聖典」としか呼びようがない。25年前から名前だけ知っていて、まさか手にはいることはないだろうと思っていた本なのだ。紙のせいなのか、インクのせいなのか、独特のにおいがするのだが、それもまた好もしく思えてくる。

 内容は、ヒロイック・ファンタシーの主要作家9人(追記参照)の評伝に概論を足したもの。日本で書かれたヒロイック・ファンタシー関係の文章は、ほとんどがこの本(あるいは、その元になった雑誌発表版)をタネ本にしている。もちろん、当方も例外ではなく、河出文庫のアンソロジー『不死鳥の剣』の解説を書くときに下敷きにした。
 そういうわけで、内容に新味はないのだが、当方はこの本を舐めるように読んだ。ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシーにかける情熱が伝わってきて、読んでいるとひとりでに顔がにやけてくる。こういう経験は、ざらに味わえるものではない。
 もっとも、先人の業績は認めたうえで、それを批判的に乗り越えることが、あとにつづく者に課せられた義務だろう。この本に関しても、それは例外ではない――と、自戒をこめて記しておく。

おまけ
 せっかくなので、扉ページもスキャンしておく。ディ・キャンプの署名入り。左ページの図版はダンセイニの「ブラグダロス」に付されたシームのイラストである(2005年7月21日)。

2005-7-21 (Literary Swordsmen 2)

【追記】
 具体的にはウィリアム・モリス、ロード・ダンセイニ、H・P・ラヴクラフト、E・R・エディスン、ロバート・E・ハワード、フレッチャー・プラット、クラーク・アシュトン・スミス、J・R・R・トールキン、T・H・ホワイトの9人。

2012.10.21 Sun » 『ファンタシー入門』

 昨日書いた『SF入門』の姉妹編が、ベアード・サールズ、ベス・ミーチャム&マイクル・フランクリン著の A Reader's Guide to Fantasy (Avon, 1982) だ。ポール・アンダースンが序文を寄せている。

2011-3-25(Reader's)

 こちらはだいぶあとになってから、神保町の東京泰文社で買った。すでに同種の資料本を持っていたので、SF篇ほど使い倒しはしなかったが、それでも手に入れたときはうれしかった。

 内容だが、SF篇とまったく同じ形式で作られている。SF篇もそうなのだが、セクションのタイトルがいちいち気が利いている。日本語にすると面白さが半減するので、そのまま書き写すと――

1. Robert E,, Howard Phillips, J. R. R. & Co. (作家名鑑)
2. Ayesha to Zimiamvia (シリーズものリスト)
3. Beyond the Fields We Know, There and Back Again, That Old Magic (サブジャンル別主要作リスト)
4. The Seven-League Shelf (名作リスト)
5. Half My Daughter and the Hand of My Kingdom (受賞作リスト)
6. Who Goes to the Wood beyond the World... (簡便な通史)

 中心になるのは作家名鑑で、約220ページのうち約145ページ(約65パーセント)を占めている。
あいにく、「この作家が好きなら、こちらの作家も試してみよ」という案内はついていない。

 書き忘れたが、著者たちはアメリカSFファンダムの大物で、SF専門書店ザ・サイエンス・フィクション・ショップのスタッフだった人たち。ベアード・サールズは書評家として有名だったし、ベス・ミーチャムはのちの名編集者である。(2011年3月25日)

2012.10.10 Wed » 『ティム・パワーズのチェックリスト』

【承前】
 ティム・パワーズの書誌といえば、クリストファー・P・スティーヴンズ&トム・ジョイス編の A Checklist of Tim Powers (Ultramarine, 1991) というのを持っていた。

2011-7-26(Powers)

 表紙から裏表紙まで全20ページ、本文は7ページしかないペラペラの小冊子である。ISBNもついていないファン出版物で、版権表示のマルシーの丸は手書きといえば、どんなものかわかってもらえるだろう。

 もっとも、パワーズは寡作なので、書誌としてはこれで充分だったのだ。この時点では単行本が11作、短編が未発表作をふくめて3作リストアップされているだけである。
 
 訳書『幻影の航海』(ハヤカワ文庫FT、1991→改題新装版『生命の泉』ハヤカワ文庫FT、2011)の訳者あとがきにパワーズの著作リストを付したのだが、刊行直後にこのリストを入手して歯噛みしたのをいま思いだした。(2011年7月26日)

2012.10.09 Tue » 『パワーズ――秘史』

 うれしい本が届いた。ジョン・バーリンによるティム・パワーズ書誌 Powers: Secret Histories (PS Publishing, 2009) である。

2011-7-26 (Powers)

 限定1000部のうち309番で、パワーズのサイン入り。大判ハードカヴァーで約570ページ。しかも全ページがコート紙のカラー印刷という豪華版だ。持つとズシリと重く、立派な凶器になる。送料が35ドル98セントもするので悲鳴をあげていたのだが、本が届いたらそれも納得だった。
 それどころか、梱包には44ドル35セントのシールが貼ってある。差額は書店が負担してくれたらしい。ありがたいことである。

 じつは単純な書誌ではなく、パワーズの未発表原稿、執筆前の梗概、創作メモなどを大量におさめた資料本である。パワーズ自筆のイラストが大量に掲載されている点も特徴。パワーズは小説を書くさいに、人物や場面をスケッチするらしいのだ。若いころファンジンに寄せた絵なども載っており、なんとなくほほえましくなる。

 パワーズの友人であるディーン・クーンツ、ジェイムズ・P・ブレイロック、ウィリアム・アシュブレス(たぶんパワーズ本人の変名)、ジョン・ビアラー、チャイナ・ミエヴィル、カレン・ジョイ・ファウラーが文章を寄せているほか、パワーズ本人もセクション毎にコメントを付している。いたれり尽くせりの内容で、まさにファン必携だ。

 まだ編者バーリンの序文とクーンツの文章を読んだほかはパラパラめくっただけだが、図版を見ているだけで時間がどんどん経過していく。パワーズの著作の各国版が網羅されており、日本語版はもちろんのこと、中国語版やハングル版なども載っており、興味はつきない。

 表紙カヴァーを飾っている人物は、パワーズの写真とパワーズ筆によるバイロン像の合成だそうだ。背景の右側は現代のロサンゼルス、左側は19世紀のロンドンなのだろう。(2011年7月25日)

2012.08.31 Fri » ニッツィン・ダイアリスのこと

【承前】
 ニッツィン・ダイアリスという作家について、これまでわが国にはつぎのように伝えられていた――
  
 生まれは1897年。英国人の船長を父に、メキシコ人の女性を母に持つ。若いころ世界を放浪し、中国のオカルト結社に加わったり、チベットに潜入したり、ハイチでヴードゥーの儀式をのぞいたりした。晩年はメリーランド州の電気も水道も引かれてない掘っ建て小屋で暮らした。

 波瀾万丈の人生だが、最後の部分をのぞけば、事実とは異なるらしい。サム・モスコウィッツが調べたところによると、1880年6月4日、アリゾナ州ピーマ郡生まれ。母親は先住民の血を引いており、南米出身。父親はピーマ郡生まれのアメリカ人だというのだ。
 とすると、冒険小説の主人公めいた経歴も鵜呑みにはできなくなる。

 じつは、ダイアリスに関する情報源は、実質的にひとつしかなかった。ウィリス・コノヴァー・ジュニアというファンの証言である。彼は十代のころ、〈ウィアード・テールズ〉に載ったダイアリスの小説を読んでファンになり、住所が近かったこともあって、たびたびダイアリスのもとを訪ねた。そして作家から聞かされた身の上話を世に広めたのだった。

 つまり、その身の上話は、年若い友人を楽しませるために作家の吹いたホラであった公算が大きいのだ。

 ところで、モスコウィッツの取材に応えて、コノヴァー・ジュニアは、ダイアリスがラテン・アメリカ系だったとしかいっていない。では、「英国人の船長とメキシコ人女性のあいだに生まれた」という説はどこから来たのか? 
 これも情報の出所はひとつしかない。マイク・アシュリーが著した作家名鑑 Who's Who in Horror and Fantasy Fiction (1977) における記述だ。しかし、アシュリーは情報源を明らかにしていない。

 要するに、情報源がかぎられていたため、まちがいが流布していたのである。

 さて、この話にはつづきがあって、モスコウィッツの調査結果も誤りだったことが、のちに判明した。というのも、ダイアリスの徴兵登録カードや国勢調査の記録が発見されたからだ。
 それによると、生年月日は1873年6月4日、出生地はマサチューセッツ州。父親はウェールズ移民の血を引くアメリカ人で、母親はグアテマラ出身。長じては薬剤師としてペンシルヴェニア州で永らく働いていたという。

 ちなみにニッツィン・ダイアリスは本名。正確にはミドルネームがはいって、Nictzin Wilston Dyajhis となる。
 まるで〈剣と魔法〉に出てくる魔道士のような名前だが、L・スプレイグ・ディ・キャンプによると「ニッツィン」は、アステカ文明に憧憬をいだいていた父親による命名、「ダイアリス」はウェールズの名前だという。しかし、異説もあり、これまた真偽不明。

 なお、〈ウィアード・テールズ〉に掲載された8篇以外に、3篇の存在が確認されている。

 ついでに書いておけば、ダイアリスの代表作「サファイアの女神」は、拙編のアンソロジー『不死鳥の剣――剣と魔法の物語傑作選(河出文庫、2003)に新訳(安野玲訳)を収録した。(2009年3月10日+2012年8月25日)

2012.08.21 Tue » 『幻想の声 第一巻』

 ついでにウェルマンのインタヴューも紹介しておく。

 ジェフリー・M・エリオットという人が、4人のファンタシー作家にインタヴューしたものをまとめた Fantasy Voices 1 (Borgo Press, 1982) という本がある。本といっても、本文64ページの小冊子。(ごく一部で)有名な作家研究叢書ミルフォード・シリーズの第31巻である。

2007-9-9(Voice 1)

 このなかにウェルマンのインタヴューが載っている。もともとは1980年にファンジン〈ファンタシー・ニューズレター〉に載ったものらしい。Better Things Waiting という題名がついているが、これはワグナーとドレイクが出版したウェルマン傑作集 Worse Things Waiting (1973) のもじり。
 なかなか読み応えのあるインタヴューだが、《シルヴァー・ジョン》シリーズについての発言を引くと――

「ジョンの物語は、いつも満足のいく出来ばえだったし、こちらが面くらうほど高く評価され、称賛されてきた。たぶんわたしがベストをつくして、南部の山々とそこに住む人々のために、彼ら自身の言葉で語ろうとしたからだろう。これらの物語を『詩的』と評した人もいた。もしそうだとしたら、詩人はわたしじゃない。あの素朴な人たちが詩人なんだ」

 ちなみに他の3人は、ジョン・ノーマン、ヒュー・B・ケイヴ、キャサリン・カーツ。下に掲げた写真の左上がウェルマン、左下がケイヴである。

2007-9-9(Voice 2)

 ケイヴについては馴染みのない人が多いだろう。わが国ではクトルゥー神話作家のあつかいだが、そんな単純なものではない。じつは、この人もワグナーがカーコサで本を出したパルプ作家なのだ。だいぶ前から気になっている存在で、気長に資料を集めているので、そのうちなにか書くかもしれない。(2007年9月9日)

2012.06.06 Wed » 『魔術と荒々しき浪漫――エピック・ファンタシーの研究』

 こんどは辛口のファンタシー論集。マイクル・ムアコックの Wizardry & Wild Romance: a study of epic fantasy (Monkey Brain, 2004) である。表題は19世紀の詩人ウェルドレイクの詩から。この詩人はムアコックのお気に入りらしく、最近の著作ではエピグラフによく引用している。

2005-11-4(Wizardry)

2005-11-4(Wizardry 2)

 
 じつはこの本は、1987年にロンドンのゴランツから出たものの増補新版。上の図版が新版、下が旧版の表紙である。新版の表紙絵は、ゲームのボックス・アートかなにかみたいで内容にあっていないが、幻の本が復活しただけで良しとしよう。

 増補新版ということで、どこが変わったかを列挙すると、チィナ・ミエヴィルの序文とジェフ・ヴァンダーミアのあとがきが付き、ムアコックが90年代に新聞に寄せた書評が8本追加されているほか、全体に記述がアップ・トゥ・デートされている。つまり、フィリップ・プルマンやJ・K・ローリングへの言及もあるわけだ。 
 もっとも、論旨そのものはまったく変わっていなくて、基本的にトールキン流エピック・ファンタシー批判であり、それを乗り越えた地平に新たなファンタシーを探ろうというものである。

 この点については、むかし『剣のなかの竜』(ハヤカワ文庫SF、1988)の解説で詳述したことがあるので興味の向きは参照されたいが(追記参照)、要するに「エピック・ファンタシーの主人公は、どいつもこいつも甘ったれたガキだ」という批判である。その証拠にムアコックは、こうしたファンタシーを「エピック・プー」と読んでいる。プーは「くまのプーさん」のプーだ。

 それはともかく、今回の新版で面白かったのは、ムアコックをキーパースンにして、エピック・ファンタシー改革の動きが起きようとしているのが見えたこと。その担い手が、この本にムアコック頌を寄せたミエヴィルとヴァンダーミアであり、ムアコックが書評で絶賛するスティーヴ・アイレット、K・J・ビショップ、ジェフリー・フォードといった面々だろう。共通点は、都市型のエピック・ファンタシーを書いていること。しばらくこの連中の作品を追いかけてみるとしよう。(2005年11月4日)

【追記】
 2007年に同文庫から出た新装版に、この解説は再録されていない。