SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.04.30 Mon » 悪文

 殊能将之編『どんがらがん』は、デイヴィッドスンの作風を良く伝えているが、伝えきれなかった面もある。その筆頭にあげられるのが、デイヴィッドスンの悪文の実態である。

 原因はふたつあって、ひとつは悪文がひどくなった70年代以降の作品が2篇しか採られていないこと。もうひとつは翻訳の過程で修整されてしまうこと。
 当方も翻訳を担当したので断言できるが、すこしでも分かりにくい部分があると、編集者や校正者から修整要求が出る。作家ならつっぱねる手もあるのだろうが、翻訳者というのは出入りの業者なので、お得意先の注文に応えるしかない。したがって、極端な悪文は通りがいい文章に修正されるのである。

 では、その悪文の実例をお目にかけよう。民俗学的ファンタシーの佳品 “The Slovo Stove” (1985) の核心部分から(追記2参照)――

So Count Cazmar sent out all the blacksmiths to go from house to house with their big sledgehammers to smash up all the Slovo stoves to force the Slovos to buy more fire wood and -- What? Yeah, that's how Gramma's stove is,like,broken. They all got,like,broken. Of course you could still use them. But dumb Count Cazmar he dint know that. So,what finely happen,what finely happen,everybody had to pay a firewood tax irregardless of how much they used or not. So lotta the Slovo people they figured, ya gotta pay for it anyway?so might as well use it. See?  Lotta them figure,ya gotta pay for it anyway,so might as well use it. And so,lotta them quit usin' their Slovo stoves. Y'see.

 くり返しは原文どおり。なぜ邦訳が進まないか、お分かりになるだろう。(2007年3月30日)

【追記】
 上記の短篇は、すでに紹介した傑作選 The Avram Davidson Treasury に収録されている。

【追記2】
 作品名を誤記していたので修正した。殊能将之氏のご教示による。深謝。



 
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2012.04.29 Sun » 『!ライムキラー!』

 さる事情でアヴラム・デイヴィッドスンの短篇を大至急で訳すことになった(追記1参照)。文章が風変わりなうえに、俗語が多いので非常にむずかしい。それでもなんとか訳し終わったのは、ひとえに1967年の作品だったから。このころのデイヴィッドスンの文章はまだふつうに読める。だが、80年代以降になると、饒舌な悪文は迷走蛇行を繰り返し、なにが書いてあるのかさっぱりわからなくなる。

 その悪文で書かれた作品の一例がこれ。〈ジャック・ライムキラー〉シリーズを集大成した !Limekiller! (Old Earth Books, 2003) だ。本来はスペイン語風に頭の「!」は上下が逆になっているのだが、うちのワープロではひっくり返せないのでご勘弁のほどを。

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 版元はイリノイのスモール・プレス。晩年のデイヴィッドスンは大手の出版社から相手にされなくなったので、スモール・プレスだけが頼りだったのだが、すごいのは1993年に亡くなったあとも続々と本が出ていること。少数ながら熱狂的なファンがついているのだ。

 この本もそうした死後出版の1冊で、元夫人のグラニア・デイヴィスとデイヴィッドスン研究の権威ヘンリー・ウェッセルズの肝いりで出たとおぼしい。

 デイヴィスのほかに、ルーシャス・シェパード、ピーター・S・ビーグル、息子のイーサン・デイヴィッドスンが短文を寄せているという豪華版。
 
 内容はというと、中米にある架空の国、英領ヒダルゴ(英領ホンジュラス、つまり現在のベリーズを模している)を舞台にした熱帯ファンタシーらしい。らしいというのは、まだ付録のエッセイしか読んでないから(追記2参照)。
 したがって、外形的なことだけ書いておくと、ジャック・ライムキラーを主人公にした小説6篇と、英領ホンジュラス旅行の回想記が収録されている。小説は長短さまざまで、いちばん短いものは30枚、いちばん長いものは205枚ほど。けっこう長めの作品が多い。
 
 なお奇想コレクションのデイヴィッドスン集『どんがらがん』は9月刊行予定。グラニア・デイヴィスの序文つきとのこと。鶴首して待つことにしよう。(2005年6月3日)

【追記1】
 殊能将之編『どんがらがん』(河出書房新社、2005)収録の短篇「パシャルーニー大尉」のこと。

【追記2】
 けっきょく小説は1篇読んだところでギヴアップした。英語の訛りをそのまま綴る表記と、癖のありすぎる文章に音をあげたのだ。じつはこの本は、殊能将之氏に贈っていただいたもの。氏のご厚意を無にしたようで心苦しいかぎりだ。
 ちなみに、読んだ1篇は、狼男ならぬマナティ女が出てくる土俗的なファンタシー。熱帯の塩性沼沢地の暑気と湿気がただよってくるような作品だった。




2012.04.28 Sat » イグアナの話

 先日書いたとおり、SFセミナーでグラニア・デイヴィスにインタヴューするのだが、「前もって質問事項を提出せよ」というお達しが本人から届いた。
 未訳の作品について突っこんだ話をするわけにはいかないので、ゴシップ中心で行こうと思い、あらためてアヴラム・デイヴィッドスンの生涯について調べた。その過程で非常に面白いエピソードを発見したので紹介する。

 1960年代なかば、アヴラムは妻グラニアと幼い息子イーサンをサンフランシスコに残して中米の英領ホンジュラス(いまのベリーズ)に旅行した。このときグラニアは、「お土産はイグアナがいいわ」といってアヴラムを送りだした。もちろん、ペットショップなどで見かけるグリーンの可愛いイグアナを思い浮かべていたのである。

 さて、ある日税関からグラニアのもとに連絡が来た。英領ホンジュラスから荷物が届いているので、とりに来いというのだ。行ってみると、荷物は大きなギターケースのような木製ケースで、中身は「イグアナ」とのこと。家に持ち帰って、バスタブのなかで箱をあけた。

 すると葉っぱの山のなかから飛びだしてきたのは、二匹の怒れる大トカゲ。一匹は黒と黄色の縞模様で、バスタブをふさぐほど大きい。もう一匹はすこし小ぶりで、灰色の縞模様。タイガー・イグアナのつがいだった。
 舌をチロチロと出し入れし、鋭い歯をむきだして、鉤爪を踏ん張った姿は、小型の恐竜さながら。あまりの恐ろしさに、イーサンはバスルームに近寄れなくなり、隣の家へトイレを借りに行く始末。とりあえず熟れたバナナをバスタブに放りこんで、イグアナが出てこないことを祈るばかり。

 けっきょく友人が大型犬の輸送に使う金網の檻を持って駆けつけ、なんとかイグアナを閉じこめることに成功。地元の水族館に引き取ってもらうことになった。水族館の職員は大喜び。これほど大きくて立派なタイガー・イグアナは、北米のどこにもいなかったからだ。
 イグアナが何歳まで生きるかは知らないが、ひょっとするとゴールデン・ゲート・パークの水族館には、まだいるかもしれない。

 だいぶ細部をはしょったが、だいたいこんな話。アヴラムの人柄が偲ばれる。この話をグラニア本人の口から語ってもらいたいので、質問事項に入れておいた。ほかの質問は、当日のお楽しみ。(2007年4月2日)

【追記】
 上記の話は、デイヴィッドスンの死後に編まれた作品集 ! Limekiller ! (Old Earth Books, 2003) に書き下ろして収録されたデイヴィスのエッセイ “Dragons in San Faracisco -- A Sequel” にくわしく書かれている。


2012.04.27 Fri » 『アヴラム・デイヴィッドスンの宝』

【前書き】
 以下は2007年3月29日に書いたものである。くれぐれも、お間違えなきように。


 来月の29日に開かれるSFセミナーに出演することになった。お題は「アヴラム・デイヴィッドスンの思い出を語る」。元の奥さんで、共作者でもあったグラニア・デイヴィスが来日するので、インタヴュアーを務めろというのだ(追記参照)。
 もちろん、日本オリジナル傑作集『どんがらがん』(河出書房新社、2005)を編んだ殊能将之氏が適任なのだが、覆面作家をつらぬいている人なので、出演は望めそうにない。当方は殊能氏と20年来のつきあいだし、この本を作る手伝いもしたので、話が来たのはまったくの筋ちがいというわけではない。ほかに適任者もいないだろうから、ひと肌脱ぐことにした。

 そういうわけで、デイヴィッドスンとデイヴィスの作品をまとめて読むことにした。まず拾い読みしかしていなかった The Avram Davidson Treasury (Tor, 1998) を読みおわった。

2007-4-29(Davidson Treasury)

 これはデイヴィドスンの死後に編まれた大部の傑作集。編者はロバート・シルヴァーバーグとグラニア・デイヴィスで、ハードカヴァー450ページ弱に、長短とりまぜ39の中短篇が収録されている。そのうち22篇は邦訳があって、めぼしいところは前記『どんがらがん』で読める。

 だが、本書の売りはもうひとつある。つまり、同僚作家たちが本書に文章を寄せているのだが、その顔ぶれが豪華きわまりないのだ。 
 なにしろシルヴァーバーグの序文、デイヴィスの序文、ハーラン・エリスンの跋文、レイ・ブラッドベリの跋文が付されているうえに、収録作各篇に作家たちのコメントが付くのだ。作品によっては二名の文章が前後に配されているので、あわせて40人がコメントを寄せている(シルヴァーバーグ、デイヴィス、エリスンはコメントも寄せている)。顔ぶれの一部を紹介すると――
 
 D・ナイト、P&K・アンダースン、G・ベンフォード、P・S・ビーグル、K・ウィルヘルム、E・ガン、B・プロンジーニ、F・ポール、U・K・ル・グィン、T・M・ディッシュ、G・ウルフ、L・シェパード、W・ギブスン、G・ドゾア、F・J・アッカーマン……。

 これも故人の人徳だろうか。故人を偲ぶ傑作集としては最高の出来ばえといえる。

 さて、本書にはデイヴィスとの共作が1篇収録されている。The Hills behind Hollywood High (1983) という作品だが、50年代のロサンゼルスを舞台にしたコメディで、なかなか面白かった。
 映画スターを夢見るやせっぽちの女子高校生が、グラマーになりたくて、スマトラ出身の魔法使いの怪しげな治療を受ける。みごとグラマーにはなったのだが、全身が剛毛でおおわれ、凶暴な気分になって人を殺してしまう。なんと、ゴリラ女(狼男の同類)になってしまったのだ。このあと話はねじれにねじれて、信じられないようなハッピーエンドを迎える。
 いやー、変な話だ。この陽性の味わいは、デイヴィッドスンの作品には珍しい。デイヴィスの持ち味なのだろうか。(2007年3月29日)

【追記】
 SFセミナーとは、毎年ゴールデン・ウィークの時期に開かれているSFファンの集まりで、学会のようなものを考えてもらうといい。作家や評論家を招いての講演やパネル・ディスカッションやインタヴューを主にした昼の部と、ファンが自主的に企画を持ち寄る合宿の部から成っている。上記のセミナーは2007年4月29日に行なわれたもので、通訳を介したバイリンガル企画として実施された。



2012.04.26 Thu » 『ジャック・ヴァンスの宝』

 テリー・ダウリング&ジョナサン・ストラハン編 The Jack Vance Treasury (Subterranean, 2007)がとどいた。白石朗さんに教えてもらって、あわてて買った本である。

2007-5-6(Vance Treasury)

 表題どおり、ジャック・ヴァンスの傑作集。大判ハードカヴァーで630ページを超えるヴォリュームに、1950年から1977年にかけての中短篇18篇を集めている。邦訳がある作品は、掲載順につぎのとおり(追記参照)――

「竜を駆る種族」「無宿者ライアン」「光子帆船25号」「海への贈り物」「奇跡なす者たち」「スフィアーの求道者ガイアル」「ココドの戦士」「天界の眼」「無因果世界」「新しい元首」「月の蛾」「最後の城」

 ご覧のとおり、ザ・ベスト・オブ・ベストと呼べる選択(拙訳が2篇はいっているので鼻高々)。未訳の6篇もそれに準ずるので、だれが選んでもこれに近いものになるだろう。したがって新味はない。
 
 だが、それでもファンには必携の1冊である。なにしろ、ヴァンスに私淑するジョージ・R・R・マーティンが賛を寄せ、編者コンビが熱っぽい序文を書いているうえに、ヴァンスが珍しく生い立ちを語ったエッセイが収録されている。おまけに作者自身のコメントをいろんなところから集めてきて、各篇に付しているのだ。このおまけだけで大枚はたく価値はある。オーストラリア人コンビえらい。

 というわけで、付録の部分だけ読んだ。収録作はすべて読んでいるので、もうこの本を読むことは一生ないだろう。それでも、手元には常に置いておくつもり。もちろん、撫でさするためである。(2007年5月6日)

【追記】
 この後「音」と「ミトル」の2篇が『奇跡なす者たち』(国書刊行会)に訳しおろされた。

 さて、ヴァンス・シリーズは、つづけようと思えばあと50回くらいつづけられるのだが、この辺で目先を変えよう。「宝」つながりで、べつのカルト的人気を誇る作家に話題を移す。乞御期待。



 

2012.04.25 Wed » ヴァンス自伝読了

【承前】

 ジャック・ヴァンスの自伝 This Is Me, Jack Vance! (2009) がヒューゴー賞関連書籍部門を受賞したそうだ。
 このめでたいニュースに接して、1年近く前に買ったきり放置してあった同書をあわてて読んだ。

 待望の自伝だが、期待した内容とはちょっとちがった。というのも、作家になるまでの生い立ちと、作家になったあと世界じゅうを旅した思い出話で大半が占められているからだ。創作の裏話のようなものはほとんどない。

 もっとも、内容は面白くて、これまで知られていなかったヴァンスの人となりがよくわかった。
 たとえば、戦時中に徴兵逃れで船員になったが、弱視という欠点がある。視力検査表を暗記して、とりあえず検査にはパスしたが、見張りに立っても役に立たない。何度も船をほかの船に衝突させそうになったという。
 で、見張りのときなにをしていたかというと、コルネットの練習をしていたというのだ。このスチャラカぶり。まるっきりキューゲルではないか。

 この調子で書いているときりがないので、最後にSFファン向けのエピソードを引用しておく。1952年ごろの話だ――

 〈サンタ・ローザ・プレス・デモクラット〉紙の記者がインタヴューにきて、記事が新聞に掲載されたとき、見出しはこうなっていた――「SF作家は空飛ぶ円盤の専門家だ!」
 もちろん、これはばかげていた。なにしろ、空飛ぶ円盤の話などまったくしなかったのだから。記者の名前はフランク・ハーバートといった。(2010年9月7日)



2012.04.24 Tue » 『これぞわたし、ジャック・ヴァンスだ!』

 うれしい本が届いた。ジャック・ヴァンスの自伝 This Is Me, Jack Vance! (Subterranean, 2009) だ。副題に( Or, More Properly, This Is “I”) とあるのがおかしい。

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 40ドルという値段からして大部の本を想像していたのだが、予想よりだいぶ薄い。これはブラッドベリやクラークの伝記を基に予想した当方が愚かだった。部数がひと桁ちがうんだろうなあ。
 本文は192ページで終わっていて、あとは付録。写真セクションが14ページある。はじめて見る写真ばかりで、これからじっくり見る。

 最後のほうを見たら、ヴァンスが影響を受けた作家の名前をあげていた。C・L・ムーア、クラーク・アシュトン・スミス、P・G・ウッドハウス、ジェフリー・ファーノル、エドガー・ライス・バローズ、ロード・ダンセイニ、フランク・L・ボーム。他人とは思えません。(2009年9月17日)


2012.04.23 Mon » 『竜を駆る種族』

 辰年にちなんで、ジャック・ヴァンスの The Dragon Masters (Ace, 1963) を紹介したい。東洋の龍と西洋のドラゴンはほとんど別ものだが、細かいことは気にしないでいこう。

 初版本はエースのダブルの片割れで、反対側は同じヴァンスの The Five Gold Bands (1953) というノヴェラ。後者は典型的なスペースオペラだが、ヴァンス作品のなかでも最低を争う出来なので、内容にはあえて触れないでおく。ただ、この版の表紙がなかなかいいので、画像は紹介しておこう。資料によると、エドワード・ヴァリガースキーという人の絵だそうだ。

2012-1-5 (Dragon Masters)2012-1-5 (Five Golden)

 さて、話を The Dragon Masters にもどすと、迫力満点の表紙絵はジャック・ゴーハンの筆になるもの。麗々しく「ヒューゴー賞長篇賞受賞作」と刷ってあるが、これはまちがい。当時のヒューゴー賞は長篇部門と短篇部門しかなかったので、300枚のノヴェラが短篇賞をとったのである。おそらくヒューゴー賞史上最長の短篇だと思う。ちなみに、同年(1963)の長篇賞はフィリップ・K・ディックの『高い城の男』が獲得した。

 周知のとおり、この本は『竜を駆る種族』(ハヤカワ文庫SF)として浅倉久志訳が出ている。数ある浅倉訳のなかでも屈指の名訳といっていい。浅倉さん本人にとっても愛着の深い翻訳だったようで、そのあたりの事情は2006年に出た新装版のあとがきにくわしい。

 そこでも触れられているとおり、作中に出てくる竜の名前の翻訳がすごい。いくつか例をあげよう――

Termagant 羅刹(ラセツ)
Long-horned Murderer 一角竜(イッカクリュウ)
Striding Murderer 韋駄天(イダテン)
Blue Horror 青面夜叉(ショウメンヤシャ)
Fiend 阿修羅(アシュラ)
Jugger 金剛(コンゴウ)

 ヴァンスの場合、見慣れない言葉があっても、それは造語ではなく、辞書を引けば載っている言葉である。浅倉さんは、仏典にある言葉を探してくることで、ヴァンスの方法論を日本語に応用したわけだ。これが翻訳家になって2年そこそこ、35、6歳のときの仕事なのだから、わが身をかえりみてため息をつくしかない。(2012年1月5日)


2012.04.22 Sun » 『スペース・オペラ』

 白石朗といえば、いまやスティーヴン・キングやジョン・グリシャムの翻訳家として、エンターテインメント翻訳の世界における大御所のひとりだが、この道30数年におよぶ筋金入りのヴァンス・ファンでもある。その白石氏も当然ながら〈ヴァンス・コレクション〉に参画するのだが、選んだのがよりによって Space Opera (Pyramid, 1965) なのだから人を食っている。

2011-11-24(Space Opera)

 これは文字どおりスペース・オペラの話。つまり、宇宙歌劇の話なのだ。

 文明が爛熟した未来。大富豪の有閑マダムが、辺境の異星人にも地球文化のすばらしさを教えようと思いたつ。そのためには歌劇団を仕立て、宇宙船で銀河各地を飛びまわればいい――というわけで、喜び勇んで旅に出たはいいが、行く先々でひどい目に遭うというドタバタ・コメディ。『竜を駆る種族』や『奇跡なす者たち』でヴァンス・ファンになった人が読んだら、びっくりして目をまわしそうな作品だ。

 当方が持っているのは初版。画家はジョン・ショーンハーである。
 それにしてもペーパーバックで143ページ。邦訳して380枚といったところ。むかしの娯楽小説は、これくらいの長さがスタンダードだったのだ。隔世の感とはこのことか。(2011年11月24日)



2012.04.21 Sat » 『マグナス・リドルフの数多の世界』

 前述〈ヴァンス・コレクション〉のうち、酒井昭伸氏は連作短篇集 The Complete Magnus Ridolph (Undrwood-Miller, 1985) を担当される。

 これはマグナス・リドルフという宇宙のトラブル・シューターを主人公とするドタバタSFミステリ・シリーズをまとめたもの。全10篇のうち「ココドの戦士」と「とどめの一撃{クー・ドグラース}」は邦訳があるので、その作風をご存じの方もあるだろう(追記参照)。
 ヴァンスは敬愛する作家としてP・G・ウッドハウスの名をあげているが、その面がよく出た作品群だ。ジョージ・R・R・マーティンの《タフの方舟》シリーズに強い影響をあたえた作品でもあり、これの邦訳が出ればわが国におけるヴァンス評価もすこし変わると思う。

 じつはこのシリーズ、ヴァンス最初期の作品群であり、原稿料の安さに耐えかねて、作者がE・S・ガードナーばりの量産をめざした時期に書かれた作品が多い。つまり、初稿のみで雑誌に発表していた書きとばしである。だが、ヴァンスは本来文章に凝る作家なので、すぐにこのやり方に見切りをつけたという経緯がある。
 そのため作者は出来映えに不満があったらしく、シリーズを本にまとめるとき、特に出来の悪い作品は最初のうち収録せずにいた。
 
 したがって、《マグナス・リドルフ》シリーズは、大別して3種類の本になっている。
 最初が1966年にエースのダブルとして出た The Many Worlds of Magnus Ridolph で、全6篇収録。邦訳のある2篇はこれにはいっている。

 つぎが1980年にDAWから出た同題の本。配列は変えずに、うしろに2篇を増補している。当方が持っている本はこれである(画像参照。画題は「ココドの戦士」で、画家はデイヴィッド・ラッセルとのこと)。 

2011-11-23(Many Worlds)
 
 最後が前述のアンダーウッド・ミラー版で、残りの2篇を追加したほか、作者の「あとがき」が収録されている。
 ヴァンスのファンは熱狂的な人が多いので、どんな不出来なものでも読みたいという声が大きく、作者も押し切られた形である。(2011年11月23日)

【追記】
 この後「蛩鬼{きょうき}乱舞」が〈SFマガジン〉2012年4月号に酒井昭伸氏の訳で掲載された。
 文中、{ }でくくった部分はルビを意味する。



2012.04.20 Fri » 『天界の眼』

 ヴァンスの短篇集『奇跡なす者たち』の解説で酒井昭伸氏が書かれているとおり、版元の国書刊行会では〈ヴァンス・コレクション〉という叢書を企画している。その内容を公開してもいいというお許しをもらったので、そのことを書いてみたい。
 もっとも、企画は確定していないので、そのとおりになるとはかぎらないが。

 いまのところ3冊出るのは確実で、そのうちの1冊を当方が担当する。ものは The Eyes of the Overworld (Ace, 1966) だ。
 当方は最初1972年にイギリスで出たグラナダ/メイフラワー版の2刷(1975)を手に入れ、つぎに1977年に出たポケット・ブックス版を手に入れたが、やっぱりエース版がほしくて、けっきょく初版を買った。それくらいこの本に惚れこんでいるのである。

 これは数十億年の未来を舞台にしたカラフルなファンタシー〈滅びゆく地球〉シリーズの第二作。第一作は『終末期の赤い地球』(久保書店)として邦訳が出ているが、設定が共通するだけで、話が連続しているわけではない。つまり、この第二作だけ読んでもいいわけだ。
 
 当方は30年前からこの作品の面白さを喧伝してきた。最初に文章を発表したのは1982年。ローラリアスというファン・グループがSF大会向けに発行したヒロイック・ファンタシー啓蒙ファンジン『ローラリアス別冊 Book of HF』(奥付1982年8月14日)で第二次世界大戦後の〈剣と魔法〉というお題をあたえられたとき、その一番手として〈滅びゆく地球〉シリーズをとりあげたのだ。

 つぎは雑誌〈幻想文学〉19号がヒロイック・ファンタシー特集を組んだ1987年。このときは未訳の〈剣と魔法〉を紹介しろというお題をあたえられて、やはり The Eyes of the Overworld を大々的にとりあげたのだった。

 そのあとはだいぶ飛んで、『不死鳥の剣――剣と魔法の物語傑作選』(河出文庫)というアンソロジーを編んだ2003年。このときは連作長篇 The Eyes of the Overworld の第一話を「天界の眼」の題で訳出した。

 もちろん、これらを読んだ人はすくないだろうから、影響力があったとは思えない。それでも自分の手で邦訳を出せるチャンスがめぐってきたのだから、まさに虚仮の一念だ。

 じつは、もっと早い時期に浅倉久志訳が出てほしいと思っていたので、正直いうと複雑な心境。だが、いまは幸運を噛みしめるべきだろう。

 ところで、本の内容については今回あえて触れなかった。近いうちに現物をお目にかけるので、ぜひそちらをお読みいただきたい。

2011-11-21(Eyes 1)

(上)エース版。画家はジャック・ゴーハン。まんなかの人物が主人公キューゲルで、手に持っているのは〈森羅万象〉。さる魔術師がたいへんな苦労の末、この世に呼び出したのだが、キューゲルがその苦労を無にしてしまう。


2011-11-21(Eyes 2)

(上)グラナダ版。有翼の魔物が檻をさげているが、そのなかにはいっているが主人公。


2011-11-21(Eyes 3)

(上)ポケット版。舟の上で驚いているのが主人公。となりは、あっさり見捨てられる気の毒なヒロイン。(2011年11月21日)




2012.04.19 Thu » 『近未来の神話』

【承前】 
 バラードの未訳短篇集 Myths of the Near Future (Jonathan Cape, 1982) を紹介しよう。もっとも、当方が持っているのは、例によって1994年にヴィンテージから出たトレードペーパー版だが。

2009-4-24 (Myths of Near Future)

 
 バラードの短篇集は、米国版と内容の一部異なる英国版や、再編集本をのぞくとほとんどが邦訳されている。おそらく唯一の例外が、この本である。
 時期的には『22世紀のコロンブス』(1981)と『太陽の帝国』(1984)のあいだ。前者でミソをつけ、後者で華々しい復活をとげるはざまにあたる。だから邦訳の機会を逸してしまったのだろう。内容的には良くも悪くもバラードで、水準以上なのだが。

 本書には1976年から1982年にかけて発表された中短篇が10篇収録されている。そのうち「近未来の神話」と「妄想のとりこ」は邦訳がある(追記参照)。書き下ろしの表題作をのぞけば、いずれも前衛的な文芸誌に発表されたものである。

 バラードの常で、のちの長篇の萌芽的な作品がいくつかふくまれている。
 たとえば “Having a Wonderful Time” (1978) は、カナリア諸島に観光に行ったイギリス人が、そこから出られなくなる話。書簡体で書かれており、じつは失業対策でヨーロッパじゅうの人々がリゾート地に軟禁されていることが徐々にわかってくる。明らかに『スーパー・カンヌ』(2000)につながる作品である。
 あるいは “The Dead Time” (1977) は、バラードがはじめて上海の捕虜収容所時代を材にとった作品。ただし、自伝的な『太陽の帝国』とはちがい、こちらは幻想的な要素がある。終戦直後の混乱のなか、トラックに大量の死体を載せて運ぶことになった20歳の英国青年の物語である。最後のほうは『夢幻会社』を思わせるマジック・リアリズム的な作品となっている。
 
 もちろん、前衛的な形式の作品もふくまれている。たとえば、“Zodiac 2000” (1978) は、すっかり時代遅れになってしまった黄道十二宮(俗に蟹座とか山羊座とかいう占星術に用いるあれ)に代わる新しいサインを提案し、ポラロイド宮やらコンピュータ宮といった表題のもとに、ある事件の顛末を断章形式でつづっていく(追記参照)。
 あるいは、“Theater of War” (1977) は、極右と極左が内戦をはじめ、アメリカ軍が介入したことからヴェトナム化した英国をTVドキュメンタリーの形式で描いている。
 
 特徴的なのは、バラードがTVや映画を通してしか現実はとらえられないと考えていること。いまでは当たり前になった感覚だが、当時としては先鋭的なものだった。
 それを正面からあつかったのが、“Motel Architecture” (1987) と “The Intensive Care Unit” (1977) だ。どちらも現代の引きこもりを予見している。
 いっぽう人形愛をテーマに、現代のラヴドール事情を予見したといえそうなのが “The Smile” (1976)。

 こうして並べると、バラードがいかに時代を先取りしていたかがわかってくる。さすがに現代の予言者と異名をとっただけのことはある。鋭い目で現在を見つめたら、その先に未来が透けて見えたということだろう。

 残る “News from the Sun” (1981) は、砂漠に隠れ潜む元宇宙飛行士志望者と、彼に恨まれている精神科医の織りなす愛憎劇で、〈死亡した宇宙飛行士〉ものに連なる作品だが、むしろ初期の名作「時の声」を『夢幻会社』のノリでリメイクしたような趣がある(追記参照)。

 じつはこの本は拾い読みしかしていなかったので、今回、追悼の意味で通読してみた。その結果、バラードの偉大さをあらためて思い知らされたのだった。(2009年4月24日)

【追記】
 このほか〝Zodiac 2000〟の邦訳が同人誌〈トーキング・ヘッズ〉32号に掲載されていたが、これを改訳したものが「ZODIAC 2000」として〈SFマガジン〉2009年11月号に掲載された。この号は「J・G・バラード追悼特集」を組んでおり、上記“News from the Sun”も「太陽からの知らせ」として訳出された。



2012.04.19 Thu » J・G・バラード3周忌に寄せて

【前書き】
 以下はJ・G・バラードの訃報に接した際にしたためた日記である。3周忌に寄せて、未訳短篇集の紹介ともども公開する。合わせてお読みください。



 訃報。英国の作家J・G・バラード。2009年4月19日、長い闘病の末に死去。享年78。
 前立腺癌が脊髄に転移して末期症状であり、余命いくばくもないことは1年ほど前に公になっていた。だから、この日が近いうちに来ることはわかっていたが、それでも衝撃は大きい。若いころ夢中になった作家の訃報は別格なのだ。自分の人生の一部がもぎとられたように思えるから。ともあれ、安らかに眠れ。

 いまさら客観的なことを書いても仕方がないので、思いっきり個人的なことを書く。 

 バラードくらいの大物になると、読者としても翻訳家としても当方ごときの出る幕はなく、あまり発言をしてこなかったが、それでも評論を1篇、翻訳を2篇発表している。
 評論は「始原としての熱帯」という題名で『沈んだ世界』を論じたもの。〈SFマガジン〉1998年11月号に発表した。
 翻訳は『20世紀SF③ 1960年代 砂の檻』(河出文庫、2001)所収の表題作と、〈SFマガジン〉2007年5月号(異色作家特集Ⅰ)所収の「認識」の2篇である。

 死ぬまでにバラードの小説を1篇くらい訳したくて、編者特権を利用して訳したのが「砂の檻」。バラードが強迫観念的に書きつづけた〈死亡した宇宙飛行士〉ものの嚆矢をなす作品であり、バラードの美質がよく表れた作品だと思う。もっとも、上記アンソロジーを読んだ父親に「安部公房の亜流みたいで、あんまり感心しなかった」といわれたのを憶えている。当方の父親は読書人だがSFファンではない。ちなみに、この巻ではクラークの「メイルシュトロームⅡ」を誉めていた。

 「認識」も同じように特集企画者の特権を利用して訳した。これはエリスン編の巨大アンソロジー『危険なヴィジョン』に収録の作品だが、不幸な事情で40年も未訳だったといういわくつきの作品(じつは大和田始氏の訳稿が完成していたことをあとで知った)。
 だが、いわくはそれだけではない。じつはバラードはこの作品ではなく、「下り坂自動車レースとみなしたジョン・F・ケネディの暗殺」を『危険なヴィジョン』に載せようとしたらしい。のちになってバラードが、「どこが危険なヴィジョンだ」と同書をくさしたところ、エリスンが「そんな話は初耳だ。恐れをなしたエージェントが、その作品を送ってこなかったんだよ」と弁明したのである。果たして真相はいかに。

 ありゃ、バラードの未訳短篇集を紹介しようと思ったのだが、前書きだけで長くなってしまった。つぎの岩につづく。(2009年4月20日)



2012.04.18 Wed » 『保護色その他の短篇』

 まずはお詫びから。
 昨日、「奇跡なす者たち」に材をとったジャック・ゴーハンの絵を紹介するという意味のことを書いたが、そんな絵はなかった。この作品を収録した Fantasms and Magics (1978) という短篇集と、今回とりあげようと思った短篇集の収録作に重複があったため、両者を混同していて、後者の表紙絵を「奇跡なす者たち」を描いたものだと勘違いしていたのだ。
 記憶だけに頼り、確認を怠ったために生じた失敗である。深く反省するしだい。お詫びに「月の蛾」のイラストもスキャンしたので、お許しあれ。

2011-9-23 (Moon Moth)

 さて、紹介しようと思った短篇集は The World Between and Other Stories (Ace, 1965) だ。エース・ダブルの一冊で、カップリングはおなじヴァンスの連作集 Monsters in Orbit (Ace, 1965)。

2011-9-23 (The World Between)
 
 まずは目次をかかげる。例によって発表年と推定枚数も書いておく――

保護色  '53 (90)
月の蛾   '61 (100)
新しい元首  '51 (70)
悪魔のいる惑星  '55 (65)
無因果世界  '57 (25)

 問題の表紙絵は、表題作「保護色」に材をとったもの。これはエコロジーSFのはしりのような作品で、生物進化を加速させて兵器を作りだし、それで戦争をする話。じつは「奇跡なす者たち」にもまったく同じ要素があり、それが混同の原因になったと思われる。甲冑をまとい、剣をふるっている人物が描かれているのも混同の原因か(じつは中世風の甲冑ではなく、特殊な宇宙服なのだが)。

 カップリングのほうにも触れておくと、ノヴェラ2篇を合わせた連作集で、ヴァンスには珍しい女主人公が活躍するSFミステリになっている。
 第一作「アバークロンビー・ステーション」(1952)は、若く野心に燃えるヒロインが軌道上に浮かぶ上流階級の居住ステーションに潜りこみ、その暗部を白日のもとにさらすというストーリー。〈SFマガジン〉1993年3月号に訳出したことがある。
 第二作 Chowell' s Chickens (1952)は、ヒロインが出生の秘密を探る話だが、出来のほうは一枚落ちる。
 表紙絵(図版下)は「アバークロンビー・ステーション」の一場面を描いているが、だいぶ誇張がある。画家はジェローム・ポドウィルという人らしい。(2011年9月23日)

2011-9-23 (Monsters in Orbit)

【追記】
 上記のうち「保護色」、「月の蛾」、「無因果世界」は先述の『奇跡なす者たち』(国書刊行会、2011)に収録されている。


2012.04.17 Tue » 『奇跡なす者たち』のこと

 浅倉久志編、浅倉久志・酒井昭伸訳のジャック・ヴァンス傑作集『奇跡なす者たち』(国書刊行会、2011)を読んだ。

 本邦初訳2篇をふくむ8篇収録だが、とにかく表題作、「月の蛾」、「最後の城」とつづく後半が圧巻。スペース・オペラと〈剣と魔法〉のあわいに文化人類学的アイデアをちりばめ、カラフルな風景描写、文物描写で染めあげたヴァンス流SFの真髄を、練達の訳文ともども堪能した。やっぱりおれは、こういうのがいちばん好きなんだよ。

 表題作と『竜を駆る種族』はこんなに共通点があったのか、とか、「月の蛾」はゲラゲラ笑えるなあ、とか、「最後の城」は《キューゲル》シリーズとよく似ているなあ、とか再認識することしきり。ヴァンスの作品はひと通り読んでしまったよ、という人にも再読を強くお勧めしておく。

 先日ロバート・シルヴァーバーグの自伝を読んだところ、『ヴァレンタイン卿の城』の大本がヴァンスの『大いなる惑星』であることを認めていた。「保護色」を読めば、だれでもジョージ・R・R・マーティンの《タフ》シリーズを連想するだろうし、「月の蛾」からダン・シモンズの《ハイペリオン》シリーズを連想する人もいるだろう。これらの作家のルーツとしてヴァンスが認識されれば、わが国における評価も変わってくるかもしれない。

 その意味で、酒井昭伸氏による「訳者あとがき」は、まことに当を得ている。ヴァンスの影響の大きさを述べ、その作風を解説したあと、詳細な評伝を付すという構成で、なんと20ページ(400字詰め原稿用紙にして50枚)におよぶ力作なのだ。さらに著作リストが9ページついているので、資料的価値も絶大。ファン必携とはこのことである。

 ありゃ、表題作に材をとったジャック・ゴーハンのイラストの紹介をかねて、ヴァンスの短篇集をとりあげようと思ったのに、前ふりが長くなってしまった。例によって、つぎの岩につづく。(2011年9月22日)



2012.04.16 Mon » 『終末期の赤い地球』

 エムシュが表紙絵を描いている本といえば、ジャック・ヴァンス The Dying Earth (1950) のランサー版ペーパーバックをお見せしたい。画家の記載はないが、この絵を見ればわかるし、書誌に当たったらエド・エムシュウィラーとあったので、まちがいない。

2011-12-20(Dying Earth)

  これはヴァンスの単行本デビュー作。初版はヒルマンという小出版社から出たペーパーバックだが、刊行から間もないうちに版元が倒産し、あまり市場に出まわらなかったとのことで、いまでは稀覯本になっている。

 永らく絶版だったが、1962年にランサーがペーパーバック版として復活させた。当方が持っているのはこちらの初版である。
 表紙に「限定版」と刷ってあるが、よほど部数がすくなかったのか。状態が悪く、表紙の一部が破れてしまっているのが残念。

 説明が遅れたが、ヴァンスの代表作〈滅びゆく地球〉シリーズの第一作。科学が衰退し、魔法が復活したはるかな未来を舞台に、魔道士や盗賊の活躍するカラフルな物語だ。ジョージ・R・R・マーティンやジーン・ウルフがファンタシー史上屈指の傑作と持ちあげたおかげか、近年ますます評価が高まっている。

 さて、ここからは蘊蓄。
 ヒルマン版とランサー版には大きなちがいがふたつある。第一に、連作形式の第一話と第二話の順番が入れ替わっていること。第二に、第五話 “Ulan Dhor Ends a Dream” が “Ulan Dhor” と改題されたこと。後者はともかく、前者はテキスト上、大きな問題をはらんでいる。

 冒頭の二話は、〈暮れゆく地球の物語〉として、1971年に〈SFマガジン〉誌上に訳載された(佐藤正明訳)。6月号掲載の「ミール城の魔法使」と10月号掲載の「魔法使と謎の美女」である。この順番は、ランサー版にならっている。

 その後、完訳が『終末期の赤い地球』(久保書店QTブックス)として1975年に刊行された(日夏響訳)が、こちらは「魔術師マジリアン」が第一話で、「ミール城のトゥーリャン」が第二話だった。この順番はヒルマン版にならっている。
 同書の裏表紙にはヒルマン版の書影も掲載されているから、その本を持っていた人が日本にいたのだろう。すごいコレクターがいたものだ。

 ちなみに第三話とのつづき具合からすると、ヒルマン版のほうがしっくり来るが、共通の主人公(魔術師トゥーリャン)がいるという立場をとると、ランサー版のほうがわかり易い。ランサー版以降は、その順番が踏襲されている。すくなくとも、うちにある各種の版は、全部そうなっている。(2011年12月20日)

【追記】
 伝説的なSFイラストレーター、エド・エムシュウィラーについて書いた一連の記事のうちのひとつだが、今回ヴァンス篇に組みこんだ。

 久保書店版に付された福島正実の解説には、フルタイム作家となったヴァンスが、「戦後のSF界の好調ムード、とくに雨後の筍のように増えたSF雑誌のライターとして、数多くの短編を書きまくるが、やがて、一九五〇年、最初のSF長編を完成する」とあるが、これは古い情報に基づく誤り。じっさいは1945年のデビュー前に雑誌に投稿していたが、採用されなかったことがわかっている。〈スリリング・ワンダー・ストーリーズ〉の編集者だったサム・マーウィンの証言による。



2012.04.15 Sun » 「ヴァンス、ヴァンス、ヴァンス!」

 SFファン交流会の11月例会に参加してきた。お題は「ヴァンス、ヴァンス、ヴァンス!」(追記1参照)。
 浅倉久志氏亡きいまとなっては日本最高のヴァンス翻訳者/紹介者である酒井昭伸氏を迎えて、孤高のSF作家ジャク・ヴァンスについて語りたおしてもらおうという企画。酒井さんのお相手が必要だということで当方に声がかかり、ふたつ返事で出演してきた。

 内容については、参加した者の特権なのでここでは触れない。当方は酒井さんとふたりで3時間もヴァンスについて話せたので大満足だったが、中身が濃すぎて聴衆の多くはついてこれなかったかもしれない。

2011-11-20(Miracle Workers)

 さて、上に掲げた画像は、酒井さんにお見せするために持っていったもの。酒井さんが訳されたヴァンスのノヴェラ「奇跡なす者たち」(追記2参照)が〈アスタウンディング〉1958年7月号に発表されたときのイラストである。
 描かれているのは、作中に登場する魔術師たちだが、左の人物はエド・エムシュウィラー、まんなかの人物はロバート・シルヴァーバーグがモデルになっているのだ。それにはこういう裏話がある。

 当時、新進のSF作家だったシルヴァーバーグは、定期的に雑誌の編集部へ通っていた。ある日、友人のイラストレーター、エド・エムシュウィラーとふたりで〈アスタウンディング〉の編集部を訪ねたところ、イラストレーターのケリー・フリースがやってきて、ヴァンスの作品について編集者のジョン・W・キャンベルと打ち合わせをはじめた。そのときフリースは、たまたま同席していたシルヴァーバーグとエムシュウィラーの顔をスケッチし、それをイラストに使ったというのだ。

 シルヴァーバーグの自伝 Other Spaces, Other Times (2009) に載っていた話である。(2011年11月20日)

【追記1】
 SFファン交流会というグループが、月にいちどの割合で会合を開いている。さまざまなテーマを決めて講師を招き、その話を聴講するという集まりだ。この企画は2011年11月19日に実施された。

【追記2】
 浅倉久志編のヴァンス傑作集『奇跡なす者たち』(国書刊行会、2011)に収録。上記の集まりは、同書の刊行を承けてのことだった。



2012.04.14 Sat » 『髑髏の書』

 ロバート・シルヴァーバーグの作品をひとつ紹介しておこう。かつてサンリオSF文庫の刊行予定にあがりながら、けっきょく出なかった The Book of Skulls (Scribners, 1972) である。ただし、当方が持っているのは、同年に出たシグネット版のペーパーバックだが。

2007-7-31(Book of Skulls)

 黄金期シルヴァーバーグの掉尾を飾る作品だけあって、これは世評どおりの秀作。
 表題の『髑髏の書』というのは、不老不死の秘密が書いてある奥義書で、アリゾナの砂漠に潜む宗教カルトが所蔵している。なぜそんなものがアリゾナにあるかというと、代々これを伝えてきた宗派が、迫害を逃れてヨーロッパから二百年前だか三百年前に渡ってきたから。
 ある大学生が、歴史文献を調査中にこのことを知り、仲間三人を誘ってその寺院へ向かい、入門の儀式に臨むというのが骨子。なぜ四人で行くかというと、入門の儀式は四人ひと組でないと受けつけてもらえないから。
 アリゾナへいたる旅がロードムーヴィーのように描かれ、寺院についてからは、静謐ながら不気味な入門儀式が緊迫感たっぷりに語られる。そして血なまぐさい結末へ……。

 最大の特徴は書き方で、民族出自も文化的背景も異なる四人の学生が、おたがいを辛辣な目で観察しあうさまが、それぞれの一人称で交互に語られていくのだ。このキャラクターの書き分けがみごと。とりわけ、ニューヨーク生まれのユダヤ人であるエリは、作者の分身らしく、巧みに性格が描かれている。
 
 邦訳がある作品のなかで、本書にいちばん近いのは『内死』だろう。高度な文学的技法を駆使して、SF的(この場合は伝奇的か)題材を処理している。当方は『大地への下降』が著者の最高傑作と信じているのだが、『夜の翼』や『禁じられた惑星』とならんで、それにつぐクラスの作品といっていい。背景が60年代アメリカに密着しすぎており、その点が邦訳をはばんでいるのかもしれない。(2007年7月31日)。



【追記】
 この流れだと、ロバート・シルヴァーバーグもゲテ物作家だと思われかねないので、名誉挽回のために秀作を紹介した。じつはこの記事も本家「SFスキャナー」がらみ。〈SFマガジン〉1973年8月号掲載の回で、浅倉久志氏がこの本を簡単に紹介しており、上に掲げた本の書影も載っていたのだ。

 ところで、ある時期以降のシルヴァーバーグの本を見ると、著作権者が Agberg Ltd になっているが、由来がおわかりだろうか。当方はしばらくわからなかった。

 さて、シルヴァーバーグを橋わたしに、次回からはこのブログの筆者名 cugelvance の由来となった作家に関する記事を載せる。乞御期待。
 

2012.04.13 Fri » 『影曲がり』

 また変な本を読んでしまった。
 伝説の怪奇パルプ雑誌〈ウィアード・テールズ〉のスター作家だったH・P・ラヴクラフトとロバート・E・ハワードが、コンビを組んで邪神クトゥルーと闘う話。どこかのファンジンにパロディ短篇として載っていそうなネタだが、これを大まじめに長篇に仕立てたのが、デイヴィッド・バーバー&リチャード・ローリーの Shadows Bend (Ace, 2000) である。初版はトレードペーパーだが、当方は2006年に同社から出た普及版ペーパーバックを買った。
 
2008-6-20(Shadowbend)

 1935年のアメリカ。怪奇小説作家ラヴクラフトは、バスでニューイングランドからテキサスへ向かっている。そこには同僚作家ハワードが住んでおり、彼なら自分の途方もない話を信じたうえで、力を貸してくれるにちがいないからだ。つまり、自分が小説に書いていた怪事が現実となって、わが身に降りかかってきたことを。すなわち、クトゥルーの手先につけ狙われるようになったことを。
 ラヴクラフトはハワードと合流するが、そこにもクトゥルーの魔手がのびる。ふたりはハワードの愛車でカリフォルニアに住む同僚作家、クラーク・アシュトン・スミスのもとをめざすことになる。スミスは魔道書『ネクロノミコン』を所有しており、そこに謎を解く鍵があるはずだからだ。
 こうしてアメリカ大陸横断の旅がはじまる。途中、ひょんなことからグローリーと名乗る女性を助けたはいいが、この女性も事件に巻きこまれてしまう。しかたなく三人は行動をともにするようになるが、それは偶然ではなく、彼女はそういう運命にあったことがあとで分かる。
 スミスのもとで謎を解いた三人は、クトゥルーの封じこめられている場所がニューメキシコにあることを突き止め、その地に急行して、大洞窟へとはいりこむ(本書の風変わりな題名は、この場所の地名)。そして、異界に通じる門からいまにも出てきそうな邪神に遭遇し、グローリーの命と引き替えに邪神を封じるのだった……。

 ひとことでいうと、非常に出来のいいファン創作。たとえば、極端に気取ったニューイングランド訛りの英語を話すラヴクラフトが、南部で鼻持ちならない外国人あつかいされるといった具合に、お約束のくすぐりは全部はいっている。マニアックな知識があればあるほどニヤニヤできるだろうが、そうでなくてもけっこう楽しめる。まあ、水準作といったところか。

 余談だが、この本のなかでラヴクラフトが、『ネクロノミコン』のアラビア語原題 Al Azif は all as if のもじりだと白状するのだが、これは著者たちの独創なのだろうか。それとも出典があるのだろうか。(2008年6月20日)




【追記】
〈ミステリマガジン〉2006年8月号が「闇のヒーロー、血のヒロイン」と題した特集を組んだとき、本書の簡単な紹介が載った。筆者は尾之上浩司氏だった。

2012.04.12 Thu » 『蟹たちの月』

 ガイ・N・スミスの《殺人蟹》シリーズをもう1冊。イギリスでは第5作にあたる Crabs' Moon (NEL, 1984) だが、アメリカでは2冊めに出た。当方が持っているのは1988年に出たデル版である。

2008-1-6(Crab's Moon)

 殺人蟹が人間を襲うだけの話をシリーズ化するとしたら、まず考えるのは数をふやすか、巨大化させることだろう。じっさいその通りになっているところが、このシリーズの真骨頂だ。

 観光客でにぎわうブルー・オーシャン・ホリデイ・キャンプ。その沖で飢えた目を光らせているものたちがいた。かつて人間に撃退された殺人蟹たちだ。あれから数年。力をたくわえ、知能をました蟹たちは、ついに海岸へ進撃を開始。惨劇の幕が切って落とされたのだ!

 表紙絵をご覧いただきたい。中央右側に船が描かれているのがおわかりだろう。蟹の種類はキング・クラブ(タラバガニ)だそうなので、食べれば旨いはずだが……。

 昨日書き忘れたが、作者のスミスはナスティ(お下劣)ホラー派の一員。というわけで、低予算ホラー映画のような残虐場面が頻出する。英国人はなぜかこういうのが大好きらしい。英国人の気が知れない。(2008年1月6日)



2012.04.11 Wed » 『蟹たちの起源』

 正月に蟹を食べたら、思いだした本があった。英国のホラー作家ガイ・N・スミスの The Origin of the Crabs (NEL, 1979) だ。ただし、当方が持っているのは88年にデルから出たアメリカ版だが。

2008-1-5(Origin of Crab)

 スコットランドはマース湖のほとり。ある農場の近辺で家畜がつぎつぎに姿を消す。農場の主人は、たまたま弟を殺して埋めたばかりだったので、警察が捜査に来たら犯行が露見するのではないかと戦々恐々。まわりには事件なんか起きていないといいふらす。そのあいだにも怪事件はつづき、とうとう人間の犠牲者が出る。なんと、ロバほども大きさのある殺人蟹の仕業だったのだ!

 信じられないかもしれないが、シリーズ第3作。アメリカ版はこの本から出たが、英国ではこの前に殺人蟹が大暴れする作品があり、その人気を承けて出自のパートが書かれたらしい。恐ろしいことに《殺人蟹》シリーズは全部で6作もあるのだ。英国人の気が知れない。(2008年1月5日)



【追記】
 このシリーズが映画化されており、わが国でもソフトが発売されていたとあとでわかった。映画評論家、添野知生氏のご教示による。くわしくは以下のリンク先をご覧ください。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=6525http://

2012.04.10 Tue » 『時空を超えて』

 ダーレス編集のSF啓蒙アンソロジーをもう一冊。Beyond Time and Space (Berkley, 1958) である。ワンドレイの怪作「巨像」がはいっている。

2011-9-21 (Beyond Time and Space)

 もともとはペレグリン・カダヒーから1950年にハードカヴァーで出たもの。親本は32篇収録の大冊だったが、当方が持っているペーパーバック版は8篇収録のダイジェストになっている。

 表紙イラストやら、裏表紙に大書されている BEYOND SPUTNIK の文字を見ると時代が偲ばれる。ちなみに裏表紙に編者の紹介があるので引いてみよう――

August Derleth, the editor of this collection, has been one of the outstanding writers and publishers of science fiction for more than thirty years.

 いまの目で見ると妙な感じがするだろうが、けっしてまちがいではない。当時はこのほうが通りがよかったのだろう。時代ですなあ。

 まずは目次を掲げる。例によって発表年と推定枚数も書いておく――

果てしなき監視  ロバート・A・ハインライン '49 (35)
少数報告  シオドア・スタージョン '49 (55)
巨像  ドナルド・ワンドレイ '34 (120)
スファノモエーへの旅  クラーク・アシュトン・スミス '31 (20)
宇宙シーソー  A・E・ヴァン・ヴォート '41 (30)
金星の人類  オラフ・ステープルドン '30 (25)
フェッセンデンの宇宙  エドモンド・ハミルトン '37 (40)
Humpty Dumpty Had a Great Fall  フランク・ベルナップ・ロング '48 (65)

 ヴァン・ヴォートの作品は、のちに長篇『イシャーの武器店』に組みこまれた。独立した短篇の形でも邦訳がある。
 ステープルドンの作品は、大作『最後にして最初の人類』からの抜粋。この形で邦訳がある。
 
 親本はSFの過去から現在を概観するというコンセプトで編まれており、プラトンやらルキアノスやらサー・トマス・モアといった名前がずらりと並んでいた。そのなかから(当時の)現代SFだけを抜粋し、配列を変えたのが本書というわけだ。
 それでもワンドレイ、スミス、ロングといった名前を混ぜるところが編者の個性。まあ、お友だちの作品を拾っただけだが、おかげでSFアンソロジーとしては一風変わったものになっている。

 じつはこの本は、「フェッセンデンの宇宙」のテキストを確認したくて買った。というのも、奇想コレクションで編んだハミルトン傑作集(追記1参照)用にこの作品の新訳をしたとき、テキストにした原文と既訳の文章がだいぶちがうのに気づいたからだ。

 調べてみたら、当方が〈ウィアード・テールズ〉1937年4月号掲載の初出ヴァージョンをテキストにしたのに対し、世間に流布している稲葉明雄訳は、1950年に刊行されたこのアンソロジーに収録されたものをテキストにしているらしいとわかった。
 そこで早速この本をとりよせたところ、冒頭1ページ分がまるまる書き換えられているほか、随所に大幅に手がはいっていると判明した。

 出来は1950年ヴァージョンのほうがいい。だが、けっきょく初出ヴァージョンを訳出した。アイデアの先駆性が評価される作品であり、それなら元の形を見せなければ意味がないと思ったからだ。
 とはいえ、1950年ヴァージョンに未練が残るのもたしか。いつか新訳のチャンスがめぐってこないものか(追記2参照)。(2011年9月21日)

【追記1】
『フェッセンデンの宇宙』エドモンド・ハミルトン(河出書房/奇想コレクション/2004)のこと。



【追記2】
 稲葉訳の日本語はみごとだが、英文解釈にまちがいが多いのも事実。たとえばハミルトンのペット・アイデアである「生きている脳」をあつかったくだり――

〈原文〉 And there was a world whose crowded peoples were ruled by an oligarchy of living brains.
〈稲葉訳〉 さらにまた、一般民衆が一部の首脳たちによる寡頭政治によって統べられている世界もあった。
〈拙訳〉 またある世界では、生きている脳たちが大衆を支配する寡頭政治が行なわれていた。

〈原文〉 And a strange glowing plague seized the bodies of the people and also seized the brains,
〈稲葉訳〉 その結果、ふしぎな発光性の疫病が、人びとの肉体と頭脳をむしばみ、
〈拙訳〉 そして異様な発光性の疫病が、住民の体ばかりか、生きている脳までもむしばんだ。

 肝心のSF的アイデアがまったく理解されていない。あとは推して知るべし。

 さて、もとの日記は、なにかのきっかけで話題が決まり、連想ゲーム的に記事をつづけて、飽きたらやめるという流れになっている。このときはここで終わり、新しい話題に移ったが、乗りかかった船なので、もうすこし怪作紹介をつづける。

2012.04.09 Mon » 『明日の世界』

 ワンドレイの “Strange Harvest” は、オーガスト・ダーレス編のアンソロジー Worlds of Tomorrow (Four Square, 1963) に収録されているものを読んだ。

2011-9-20 (Worlds of Tomorrow)


 このアンソロジーは、1950年代にダーレスが盛んに出していたSF啓蒙アンソロジーの一冊。もともとは1953年にペレグリン・カダヒーという出版社からハードカヴァーで出たものだが、その後いろいろな出版社からいろいろな版が出た。なかなか好評だったようだ。

 当方が持っているフォー・スクエア版は、19篇をおさめていた大部の親本を分冊化したペーパーバック版で、10篇収録。残りは New Worlds for Old (Four Square, 1963)として刊行されているが、そちらは持っていない。

 まずは目次をかかげる。発表年と推定枚数も書いておく――

The Tinkler  ポール・アンダースン '51 (60)
優越性  アーサー・C・クラーク '51 (25)
McIlvanine's Star  オーガスト・ダーレス '52 (35)
Brothers beyond the Void  ポール・W・フェアマン '52 (25)
Beautiful, Beautiful, Beautiful  スチュアート・フリードマン '52 (35)
虚空の死  エドモンド・ハミルトン '46 (35)
鳥か魚か  H・B・ヒッキー '51 (30)
The Gardner  マーガレット・セントクレア '49 (30)
非P  ウィリアム・テン '51 (25)
Strange Harvest  ドナルド・ワンドレイ '53 (75)

 当時としては新しめの作品ばかりを集めたわけだが、邦訳があるものを見ればわかるとおり、小粒な作品が多い。

 未訳のうちでいちばん面白いのは、セントクレアの短篇。エコロジーSFのはしりのような作品で、ホラー仕立てになっている。
 異星人が崇めている樹を切り倒した地球人が、樹の精霊のような存在にとり憑かれ、逃げても逃げても追いかけられる。ついには発狂寸前に追いこまれ、新たな樹の養分としてみずからを捧げるというストーリーで、宇宙船の窓から外を見ると、宇宙空間から樹の精霊が船内をのぞきこんでいるシーンなど、けっこうぞっとする。
 SFホラー傑作選と銘打ったアンソロジー『影が行く』(創元SF文庫)を編んだとき、収録を検討したが、けっきょく落とした作品である。

 編者ダーレスの短篇は、新聞記者が折々に仕入れたSF的綺譚を披露するという形式で書かれた連作《ハリガンのファイル》の1篇。異星人と交信していると称する男が、異星人の力を借りて若返ったという話が、嘘とも真ともつかぬ形で語られる。作品そのものは凡庸だが、ペーソスにあふれた結末は悪くない。(2011年9月20日)

2012.04.08 Sun » 「奇妙な収穫」

 いい機会なのでドナルド・ワンドレイの怪作を紹介しておこう。“Strange Harvest” (1953) である。

 当方はこの作品を「マッド・サイエンティストもので、知能のある野菜が逃げていく話」として記憶していた。今回読みかえしたら、まさにそのとおりの作品だった。ただし、逃げていくのは「野菜」にかぎらず「農作物」全般だったが。

 舞台はアメリカの片田舎。ショウタック郡は、いつになく不穏な収穫期を迎えていた。あらゆる農作物が豊作なのはいいが、トウモロコシが風もないのに倒れては起きたり、小麦からささやき声が聞こえたりといった事態が起きていたのだ。
 そしてある日、農作物が収穫されるのを嫌って、いっせいに逃げはじめた。リンゴの木は果樹園から逃げだし、追いつめられると実を降らせて反抗する。ジャガイモは掘られると、どんどん地中深く潜っていく。小麦はコンバインの刃をよけて倒れる。スイカは勝手にころがって老婦人に襲いかかる。いったいなにが起きたのか?

 伊藤典夫氏にならっていうと、「訳して75枚ほどの小説だが、前半は逃げる野菜の描写だけというおそろしくインチキな話」。
 後半はミステリ風に謎解きが進められるのかと思うと、さにあらず。農業指導員の主人公が、あっさりと真相を見ぬいてしまうのだ。つまり、1年ほど前に近在に越してきた科学者の仕業だと。
 問いつめられた科学者は、これまたあっさりと自分の仕業だと認める。周囲に放射線を照射して、植物の意識を向上させようとしたのだ、と。
 このあと農作物たちが科学者の家に押しかけてくる。放射線にもっと当たって、さらに高度な知能を獲得しようというのだ。しかし、力ずくで家にはいろうとするので、家は破壊され、科学者の身にも危険が迫る。主人公は火炎放射器で農作物の一部を焼き払い、無事に科学者を助けだす。
 家と同時に放射線照射器も破壊され、農作物たちの知能も消える。科学者は逃亡し、村には平和がもどるのだった……。

 初出は〈ウィアード・テールズ〉1953年5月号。同誌はこの翌年に終刊するが、こんな作品を載せていては当然という気もする。
 ちなみに、これを表題作にしたワンドレイの作品集が出ている。Strange Harvest (Arkham House, 1965) がそれ。関係者はなにを考えていたのやら。

蛇足
 ワンドレイの評価を確認しようと思って、デイヴィッド・ウィングローブ編『最新SFガイドマップ[作家名鑑編(下)]』(サンリオSF文庫)をのぞいたら、つぎの記述にぶつかった――

「アメリカの作家。H・P・ラヴクラフト[その項参照]と共同でアーカム・ハウス社を創設した」

 どこかの時点でだれかがまちがいに気づかなかったのか。世の中、不思議なことが起きるなあ。(2011年9月19日)

2012.04.07 Sat » 「SFスキャナー」1966年6月号

 ついでなので、「SF怪作劇場」の霊感源となったと思われる伊藤スキャナーについても書いておく。

 すでに書いたように、「SFスキャナー」というのは、若き日の伊藤典夫が〈SFマガジン〉に長期連載していた海外SF紹介コラム。前身である「マガジン走査線」(こちらは雑誌掲載作品の紹介に限定)から数えれば、足かけ7年(1964~1970)におよんだ(追記参照)。翻訳される作品がすくないうえに、海外の情報が細々としかはいってこない時代であり、海外SFに関心のある向きに絶大な影響をおよぼした。

 そのコラムの1966年6月号に掲載された回が、「愛嬌のある愚作」特集だった。現物を掘りだしてきたので、伊藤氏の文章をお目にかける。
 SFの9割は読むに足らないが――スタージョンの法則を引いて――なにごともそういうものだと述べたあと、「それでも、選に漏れた九割の、底辺のほうには、どうにも救えないものがある」とつづけ――

「ふつう、そういうくだらないSFは、途中まで読んでほうりだしてしまうのだが、ときたま、ほんのときたま、あんまりばかばかしくて、かえって愛嬌があり、つい終りまで読んでしまうようなのに出会うこともある。箸にも棒にもかからない――それでいて、読後感がなんともいえず爽快なのだ。こんなばかげた話には二度とお目にかかれないだろうという感動(?)なのかもしれない。
 今月はちょっとへそをまげて、そんなSFを二、三紹介してみることにしよう」

 というわけで三篇が紹介されているのだが、訳される見こみはないと思ったのか、すべてオチを割っている。ところが、恐ろしいことに、その後三篇とも翻訳された。質が低いのは最初から保証されているので、やはり「愛嬌のある愚作」に魅せられた人間が多かったにちがいない。

 で、その三篇だが、紹介順に――

1 「巨像」 ドナルド・ワンドレイ 矢崎竜介訳 〈別冊奇想天外〉No.7(1979年4月号)
2 「ハイウェイJ」 チャールズ・エリック・メイン 矢崎竜介訳 〈奇想天外〉1976年6月号
3 「暗黒の永劫」 ジョン・ラッセル・ファーン 風見潤訳 〈SFマガジン〉1974年10月増刊号

 である。

 1の作者ワンドレイは、わが国ではもっぱらラヴクラフト・サークルに属した怪奇小説作家として知られているが、 じつはパルプSF華やかりし時代に凡作を量産した三流SF作家でもある。
 1は宇宙の限界をめざした宇宙船が、光速を突破したため、質量と大きさが無限大になり、この宇宙からはみだしてしまう話。出た先は、ひとつ大きな宇宙にある顕微鏡のプレートの上だったというお粗末。

 3の作者ファーンは英国の駄作王。「彼の名前がわが国ではほとんど知られていず、作品が一度も翻訳されていないのは、要するに紹介するに値しない作家であるからにほかならない」と伊藤氏は切って捨てている。
 3は破滅もの。精神エネルギーを破壊しようとした実験で事故が起き、予想外の連鎖反応が生じて、低次の精神を有するものからつぎつぎと消えていく。植物、微生物、動物、人間と消失はつづき、ついには地球がなくなり、太陽系がなくなり、銀河系がなくなり、宇宙全体が原初のエネルギーにもどるのだった。
 伊藤氏によれば――
「訳して百枚ぐらいの小説だが、後半五十枚は、もっぱら消失の描写だけというおそろしくインチキな話。よくもこんなばかばかしい話を書いたものだが……。
 どうです、読みたくなったでしょう?」(2011年9月18日)

【追記】
 当初は伊藤典夫氏が単独で執筆するコラムだったが、伊藤氏は1970年10月号をもって降板し、以後は複数の筆者が交代制で担当した。原則として4ページ。複数の作品をとりあげ、論評を加えたり、蘊蓄をかたむけたり、ゴシップの花を咲かせたりというスタイルだった。
 しかし、1982年4月号から1ページで1作品を紹介するスタイルに変わり、名前は同じでも、まったくべつのコラムになった(海外の動向を紹介するべつのコラムが新設されたため)。この形式では、いまでも年に1回の「特別版」として存続している。

2012.04.06 Fri » 「SF怪作劇場」のこと

 昨日も書いたように、第二期〈奇想天外〉(1976~81)は、創刊からしばらくのあいだ、「SF怪作劇場」という翻訳作品のコーナーを設けていた。

 当然ながら、パルプ・マガジン時代の古い作品が中心である。版権をとらずに翻訳を載せるための苦肉の策ではあったのだろうが、コンセプト自体は秀逸だった。
 問題は、愛敬のある愚作がそう簡単にはころがっていないことで、ただの駄作やら、逆に怪作というには普通すぎる水準作やらが載る結果となった。けっきょく8回で終了し、代わりにはじまったのが「海外SF秀作コーナー」というのが、なにやら皮肉めいている。

 まず作品リストをかかげる。せっかくなので、発表年や推定枚数も書いておく。
 ちなみに訳者はすべて矢崎竜介という人だが、これは酒匂真理子の別名。

4月号 「戦慄! タイタンの青い霧」 ハル・K・ウェルズ 1939 (35)
5月号 「恋人は宇宙海賊」 ジョン・ラッセル・ファーン 1945 (45)
6月号 「ハイウェイJ」 チャールズ・エリック・メイン 1953 (35)
7月号 「金星の夢術師」 コナン・T・トロイ 1952 (40)
8月号 「宇宙で乾杯!」 A・R・スチュアート 1954 (30)
9月号 「好色な神へのささげ物」 ウィリアム・ノールズ 1960 (35)
11月号 「プレイボーイと好色な神々」 アイザック・アシモフ 1961 (35)
12月号 「キャプテン・フリント危機また危機」 リチャード・グリア 1956 (35)

 このうち怪作の名に値するのは、ウェルズとメインの作品ぐらい。
 前者は、「生物を退化させる青い霧」というアイデアがまったく活かされない珍妙なスペース・オペラ。おどろおどろしいイラスト(西岡保之という人の手になるもの)が最高だった。
 後者は、時間は高速道路の形をしているという設定で、その上を自転車で行き来する時間SF。ついゼラズニイ『ロードマークス』の先駆作と口走りたくなるが、もちろんそんな立派なものではない。
 表題の「J」は、マイナス1の平方根という説明が作中にあるが、もちろん「i」が正しい。こういうまちがいが堂々とまかり通るところが、パルプ・マガジンならではというところか(追記参照)。ちなみに、このコーナーの霊感源となったと思しい伊藤スキャナーで紹介されていた作品である。

 ノールズのは〈プレイボーイ〉に載ったエッセイで、宇宙怪物が半裸の美女を襲っていた時代のSFの魅力をノスタルジーいっぱいに語ったもの。非常に面白い読みものだが、怪作というのとはちがう。
 アシモフの短篇は、このエッセイに対する返歌として書かれたパロディだが、出来のほうはよろしくない。

 ファーンとグリアの作品は、ただの凡作。トロイの作品は、愛敬のない駄作。スチュアートの作品は、いたってふつうのユーモアSF。

 というわけで、企画倒れに終わった感は否めないが、当時高校1年生だった当方は、毎回このコーナーを楽しみにしていたのだった。

蛇足
 トロイの作品の題名だが、ネット上には「金星の魔術師」とする例が氾濫しているが、正しくは「金星の夢術師」である。おまちがいなきよう。(2011年9月17日)

【追記】
 この「J」に関しては、電磁気学方面では電流「I」と識別するため、虚数単位に「j」(小文字)を用いることがあるという指摘をいただいた。作者にはそちらの素養があったのかもしれないが、編集者にはなかったということだろうか。

2012.04.05 Thu » 「キャプテン・フリント危機また危機」のこと

【承前】
 ロバート・シルヴァーバーグの自伝 Other Spaces, Other Times (Nonstop Press, 2009) を読んだ。以前、表紙と概要だけを紹介した本である。

 熱心なSFファンだった少年時代や、小説工場と異名をとった時代の話が抜群に面白いが、それはべつの機会にゆずるとして、ここでは非常に驚いたことを書く。といっても、当方と同じように驚く人間は、日本に百人いないだろうが。

 巻末の作品リストを舐めるように見ていたときのこと。つぎの記述に目がとまった――

Calling Captain Flint; as Richard Greer (with Randall Garrett) Amazing Stories, Aug.1956

 これは〈奇想天外〉の「SF怪作劇場」に載った「キャプテン・フリント危機また危機」ではないか!

 ご存じない方のために書いておくと、ここでいう〈奇想天外〉は一般に第二期といわれるSF専門誌のこと。創刊からしばらく「SF怪作劇場」というコーナーを設けて、わざと珍作・愚作のたぐいを翻訳掲載していた。
 というのも、世の中には愛敬のある愚作というものがあって、下手な名作より記憶に残るからだ。あまりの駄目さ加減に、腹が立つどころか、逆におおらかな気持ちになって愛着が湧くのである。

 そのむかし伊藤典夫氏が海外SF紹介コラム「SFスキャナー」でこの手の短篇をまとめて紹介したことがあって、たいそう印象的だった。おそらくその文章が、「SF怪作劇場」の霊感源になったと思われる。その証拠に、そのときとりあげられた作品がこのコーナーで訳出されている。

 もっとも、世の中そうはうまくいかないもので、愛敬のある愚作が紹介されるいっぽう、箸にも棒にもかからない駄作も多かった。
 リチャード・グリアの「キャプテン・フリント危機また危機」は後者。原題からわかるとおり、《キャプテン・フューチャー》シリーズに代表されるスペース・オペラのパロディであり、大いに期待して読みはじめたのだが、さっぱり面白くなくてがっかりしたのを憶えている。あの駄作の作者が、ロバート・シルヴァーバーグ&ランドール・ギャレットだったとは! 

 ちなみにリチャード・グリア名義の作品は、これ以外に2篇あるらしい。読みたいとはまったく思わないが。

 「SF怪作劇場」の全リストを載せたくなったので、つぎの岩につづく。(2011年9月16日)

2012.04.05 Thu » 『別の空間、別の時間』

 最近手に入れた本の1冊にロバート・シルヴァーバーグの自伝 Other Spaces, Other Times (Nonstop Press, 2009) がある。正方形に近い不思議な版型のハードカヴァー。

2009-12-5 (Other Spaces)




 自伝といっても書き下ろしではなく、これまでシルヴァーバーグがいろんなところに書き散らした自伝的文章をまとめて加筆したものだ。
 すでに読んだ文章が多いので、その意味では物足りないが、それを補ってあまりあるのが、豊富に挿入された写真。シルヴァーバーグ幼少のみぎりのスナップから、高校生のころに作っていたファンジンの書影まで、珍しい写真が満載である。これだけで買った価値はあるというもの。

 まだ拾い読みしただけだが、特に目を惹いたのが、デビューのころからつけている帳簿。下に掲げた図版である。

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 見にくくて申し訳ないが、左から順に作品が出版社に売れた月、支払いの月、作品名、出版社、語数、支払額、エージェントの手数料、収入額とその合計、掲載誌名と号が克明に記録されている。なんと几帳面なことか。

 こういう原簿があるおかげか、巻末にほぼ完璧な作品リストがついている。ただし、本書の性格上、「1959年から1966年のあいだに書かれたソフトコア・ポルノ」や「ミステリ誌や男性誌に載せた作品」は除外したとのこと。それでも24ページにおよぶのだから、小説工場と異名をとっただけのことはある。

 試みに短篇の発表数を数えたら、つぎのようになった(正式な作家デビューは1954年)。

1954 2篇
1955 2篇
1956 56篇
1957 84篇
1958 66篇
1959 42篇
1960 4篇

 雑誌から単行本に軸足を移したことが如実にわかる。単行本もこういう調子で出していくのだ。いったいどういう頭をしているのだろう。(2009年12月5日)

2012.04.05 Thu » ごあいさつ

 翻訳家の中村融と申します。主に英米のSFや怪奇幻想文学の紹介に従事しております。

 じつは2005年からmixiで日記を書いてきました。晴れがましい場は苦手なので、気心の知れた人たちだけを相手に好き勝手なことを書いていたのですが、mixi人口の減少にともない、読者がずいぶん減ってしまいました。

 自分でいうのもなんですが、このまま埋もれさせておくのは惜しいと思える記事も多く、勧めてくれる人もありましたので、この場を借りてその一部を公開することにしました。題して「SFスキャナー・ダークリー」。

 古手のSFファンならご存じでしょうが、「SFスキャナー」というのは、かつて〈SFマガジン〉誌上をいろどった海外SF紹介のページ。情報がすくなかった時代にアチラの動向をヴィヴィッドに伝え、多くのSFファンに絶大な影響をあたえた名物コラムでした。そのひそみにならいたいのですが、なにしろ粗忽者がやること。見通しの悪いスキャナーになるのは必至なので、「SFスキャナー・ダークリー」と名づけました。

 コメントをいただいても対応しかねるので、当分はコメントもトラックバックも受けつけません。それでも読んでみようという方だけお読みください。

 では、早速、本家「SFスキャナー」とも関連のある記事からはじめます。
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