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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.05.31 Thu » 『黒いプロメテウス』

 例によって蔵書自慢。ものは Black Prometheus: A Critical Study of Karl Edward Wagner (Gothic Press, 2007) である。

2008-5-4(Black Prometheus)

 副題どおり、カール・エドワード・ワグナーの人と作品に関する研究書。一応ISBNはついているが、ファン出版に毛が生えたような代物で、ホチキス製本、本文76ページの薄っぺらいパンフレットである。

 編者はベンジャミン・スズムスキーという人だが、ロバート・E・ハワードやフリッツ・ライバーの研究書を編んでいることしか知らない。

 さて内容だが、ワグナーの長年の友人だったジョン・F・メイヤーの前書き(表紙絵を描いたのもこの人。ヴァイキングに扮したワグナー像である)、編者スズムスキーの序文のほか、6篇のエッセイがおさめられている。

 そのうち1篇は、ワグナー本人が年間ホラー傑作選の編者に就任したときに書いたと思われるエッセイ。あとは、主にワグナーのホラー短篇に焦点をあてた評論である。

 正直いって評論の水準は高くない。いずれもプロット要約の域にとどまっていて、膝を打ちたくなるような洞察に欠けている。強いていえば、ワグナーといっしょにファンジンを作っていたゲイリー・ホッペンスタンドの文章が情報として有益なくらい。批評研究としては不満足な出来だが、まあ、こういう本が出たこと自体を寿ぐべきなのだろう。
 しかし、メイヤーの前書きは一読の価値があるので、ワグナー・ファンとしては、やはり手に入れてよかったと思ったのであった。(2008年5月13日)

【追記】
 ワグナーの話は、まだいくらでもつづけられるが、月も変わることだし、この研究書を橋わたしにして話題を変える。乞御期待。

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2012.05.30 Wed » 『悪魔祓いと恍惚』

 例によって蔵書自慢。ものはスティーヴン・ジョーンズが編んだカール・エドワード・ワグナー最後の作品集 Exorcism and Ecstasies (Fedogan & Bremer, 1997)だ。

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 版元はミネアポリスの小出版社。限定版100部、普及版2000部の豪華本で、いまやコレクターズ・アイテムとなり、かなりの高値がついている。当方が持っているのは、もちろん普及版だが、たしか100ドルくらいした。

 とはいえ、それだけの値打ちはある本だ。ハードカヴァーで460ページを超える大著。94年に亡くなったワグナーを追悼するために編まれた本で、単行本未収録だった作品を(未発表の習作や、未完の草稿までふくめて)32篇集め、生前ゆかりのあった8人の追悼文を載せている。さらに編者ジョーンズの序文、C・ブルース・ハンターによるあとがき、詳細なワグナー書誌が付き、別刷りでワグナーの写真が16ページにわたって掲載されている。まさに完璧な出来映えで、編者ジョーンズの手腕には感服するしかない。
 ちなみに「淫夢の女」「ロケットのなかの欲望」「プラン10フロム・インナー・スペース」「キラー」(D・ドレイクと共作)は邦訳がある(追記参照)。

 もっとも、この本を読むのはつらいのだ。才能に恵まれた作家が、才能を活かしきれず、どんどん駄目になっていく過程が、端々から浮かびあがってくるから。
 執筆がうまくいかず、酒に溺れ、年上の親友(マンリー・ウェイド・ウェルマン)を亡くし、妻に去られ、ますます酒に溺れ、健康を害し、こんどは父親を亡くし、ますます酒に溺れ、吐血をくり返し、それでも医者にかかるのを拒否し、最後にはバスルームで倒れる……。それは緩慢な自殺であった。
 だから、ジェニー・キャンベル(ラムジー・キャンベル夫人)は「わたしはカールに怒りをおぼえた。彼を愛する人が大勢いるにもかかわらず、自分を死神にゆずりわたしたのだから」と怒りをあらわにするし、親友デイヴィッド・ドレイクは「カールがいなくなって筆舌に尽くせないほど寂しい。だが、わたしの最愛のカールは、とっくのむかしに死んでいたのだ」といい切る。しかし、口当たりのいい言葉でなく、こういう本音が出てくるのは、ワグナーがいかに愛されていたかの証左だろう。

 ウェルマンの未亡人フランシスと、兄のジェイムズが、ワグナーの良い面を伝えるすばらしい文章を寄せている。どちらも涙なくして読めないが、後者に出てくる印象的なエピソードを紹介する。

 ワグナーは4人兄弟の末っ子だった。83歳の母親は、心臓病を患って介護センターに入所していた。姉と兄たちが意を決してワグナー死亡のニュースを伝えに行くと、老母は泣いたけれど、知らせを信じなかった。昨日かおとつい、カールが病室の入口に立っているのを見たというのだ。彼はなにもいわず、しばらくそこに立っていたが、母親が声をかけるとにっこりして、手をふるような仕草をし、廊下を去っていったという。(2007年1月12日)

【追記】
 この後、短篇「最後の一刀」が〈ミステリマガジン〉2009年12月号に拙訳で掲載された。この号は「メディカル・ミステリ処方箋」という特集を組んでおり、ワグナーのほか、ビル・プロンジーニ、チェット・ウィリアムスン、ビリー・スー・マジモン、トマス・F・モンテレオーニ、F・ポール・ウィルスンの作品を訳載している。ホラー・ファンとしても気になる面々なので、お見逃しなきように。

2012.05.29 Tue » 『きみとぼくも例外じゃない』

 昨日ワグナーをくさすようなことを書いたので、ワグナーの名誉回復を図って、第二ホラー短篇集 Why Not You And I ? (Tor, 1987) を紹介しておく。これが秀作ぞろいのすばらしい作品集なのだ。

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 風変わりな題名は、古いフォークソングの歌詞から採ったもの。The best of friends must part someday, So why not you and I ? が元の歌詞だそうだ。デイヴィッド・J・スコウの証言によれば、ワグナーはヴァージョンちがいの歌詞 They say all good friends must part someday, So why not you and I ? も意識していたらしい。当時の心境であろうか。

 さて、同書には長短とりまぜ9篇がおさめられている。残念ながら邦訳はひとつもない。
 集中ベストは “Neither Brute Nor Human” だが、これは前に紹介したことがあるので割愛。

 それにつづくのが甲乙つけがたい三篇だが、収録順にまずは “Old Loves”。ワグナーが50年代、60年代のポップカルチャーに造詣が深く、いっそのことオタクといったほうがいいのは、邦訳もされたC級モンスター映画パロディ小説「プラン10・フロム・インナー・スペース」でご存じの向きもあるだろう。これもその路線で、60年代に人気を誇った(とされる架空の)スパイ・アクションTVシリーズの主演女優に入れあげたオタクの話。架空のディテールが詳細きわまりなく、にやにやさせられっぱなし。
 つぎの “More Sinned Against” は、題材が危険すぎるという理由で出版社から突き返されたという、いわくつきの作品。映画スターをめざす見てくれだけのサイテー男のために、身も心も捧げつくしてボロボロになっていく大部屋女優の物語。その転落ぶりが凄絶な筆致で描かれていて、たしかに気の弱い読者向きではない。最後にホラー的な大逆転があって、一種のハッピーエンドで終わるのだけが救い。
 つぎの “The Last Wolf” は集中の異色作。だれも本を読まなくなった時代まで生き残った最後の作家の肖像。その荒涼とした内面の風景にはぞっとさせられる。もはや絵空事でもなんでもなくなっているが、これが1975年に発表されていたというのだから驚く。

 この調子で書いていると切りがないので、最後にひとつだけ。
 集中最長の “Sign of the Salamander” は、非常に手のこんだ作品。パルプ雑誌にヒーロー・パルプというジャンルがあったのはご存じだろうが、そのむかしカーティス・ストライカーという作家が書いた《オカルト探偵ジョン・チャンス》シリーズというのがあったことにして、その研究と復刻を模して書かれているのだ。
 パルプ研究家としても名をなしたワグナーだけあって、設定の作りこみは完璧で、ストーリーもじつにそれらしい。のびのびした筆致がワグナーにはめずらしく、書いている本人が楽しんでいることが伝わってくる。(2009年2月3日)


2012.05.28 Mon » 〈ウィアード・テールズ〉294号

 例によって蔵書自慢。

〈ウィアード・テールズ〉といえば、アメリカ幻想怪奇文学に黄金時代をもたらした伝説の怪奇パルプ雑誌。同誌が1954年9月号(通巻279号)をもって、いったんその歴史を閉じたことはよく知られている。
 その後、何度も復刊の動きがあり、紆余曲折の末、現在ではワイルドサイド・プレスを版元に刊行がつづいている。最新刊は通巻352号を数えるとのこと(追記1参照)。
 こうした復刊版〈ウィアード・テールズ〉は、短命に終わったものが多く、質的にも一枚落ちるものとして、評価は芳しくない。

 そんななかで例外といえるのが、ジョージ・H・シザーズが編集長を務めたターミナス出版時代の〈ウィアード・テールズ〉である。通巻290号(1987年春季)から308号(1994年春季)に当たる。

 このターミナス版が成功したのは、過去の〈ウィアード・テールズ〉の再現をめざしたのではなく、〈ウィアード・テールズ〉の精神を継承して現在にふさわしい雑誌を作ろうとした点にあった。つまり、黄金時代の作家の未発表作やら新作を載せるのではなく、現役バリバリの作家を登用したのである。
 しかも、毎号作家特集を組み、ひとりのイラストレーターに1冊すべてのイラストをまかせるという形をとった。このユニークな編集方針が、ユニークな雑誌を生みだしたのだった。

 さて、今回ご紹介するのは、作家カール・エドワード・ワグナーと画家J・K・ポッターをフィーチュアーした294号(1989年秋季)である。

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 特集外の内容を先に書いておくと、小説10篇、詩5篇が掲載されており、顔ぶれはジョナサン・キャロル、ニナ・キリキ・ホフマン、ブライアン・ラムリーなど。このうちキャロルの掌篇「フローリアン」だけは邦訳がある。
 これに名物であるお便り欄(ロバート・ブロックとラムリーの投書もあり)、書評欄、作家インタヴュー(ハリー・タートルダヴ)、ポッターのイラスト集などがつく。

 さて、肝心の特集だが、じつは特集というほどのものではない。ワグナーの畏友デイヴィッド・ドレイクの短い紹介文と、ワグナーの新作 “At First Just Ghostly” が載っているだけ。ほかの特集の充実ぶりを知っているだけに、ちょっとがっかりであった。

 ワグナーの新作は邦訳して145枚ほどのノヴェラ。代表作《ケイン》シリーズの1篇である。といっても、〈剣と魔法〉ではなく、現代を舞台にしたホラー。前に書いたとおり、ケインは不死身なので、現在まで生きのびて、あいかわらず暗躍しているのである。

 簡単に紹介すると、アメリカ人のホラー作家が、世界SF大会に出席するためイギリスにわたり、そこでケインと名乗る謎の男と、ゾンビをあやつる女の暗闘に巻きこまれるという話。本物のサタンが出てきたり、ケインの娘が出てきたりと、いくらでも面白くなりそうな題材だが、文章にいつもの緊迫感がなく、構成にも破綻が見られて、ワグナーとしてはいまひとつの感は否めない。

 このころワグナーは、精神的な父親ともいうべきマンリー・ウェイド・ウェルマンを亡くした上に、妻に離婚されて精神的どん底の状態にあった。そして立ち直ることなく、5年後に死を迎えるのである。
 アル中だったのは有名だが、どうやら薬物中毒でもあったらしい。そうした状況が、作品にはっきり刻印されている。

 ちなみに、スティーヴン・ジョーンズによれば、主人公の作家はワグナー自身、その友人の作家はデニス・エチスンをモデルにしているとのこと。さらにいえば、マイク・カースンというイラストレーターが登場するのだが、デイヴ・カースンをモデルにしているのだと思う。ラヴクラフトの作品のイラストで、英国ホラー界では有名な人である。学研M文庫から邦訳の出た『インスマス年代記』にこの人の絵が載っているので、ご存じの向きもあるかもしれない。

 このころのワグナーとエチスンがいっしょに写っている写真があるので、参考までに載せておく(追記2参照)。

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 1986年10月2日にロンドンで撮影されたもの。向かって左からクライヴ・バーカー、エチスン、ワグナー、チャールズ・L・グラントである。みんな若いなあ。(2009年2月2日)

【追記1】
 この後またしても版元が変わり、2012年2月に出た359号からは Nth Dimension Media 発行となっている。

【追記2】
 ワグナーの短編集 Exorcism And Ecstasies (1997) より。

2012.05.27 Sun » 『朝陽を浴びてもたじろがない』

 カール・エドワード・ワグナーのサイン本はもう二冊持っていて、その片方が Author's Choice Monthly Issue 2 Unthreatned by the Morning Light (Pulphouse, 1989) だ。著者自選の短編を集めて薄い本を作ろうという企画の一冊で、版元はユニークな活動で知られていた小出版社である。

2005-7-27 (Morning Light 1)2005-7-27 (Morning Light 2)

 クロス装限定版300部のうち131番。このほか特別革装限定版50部と、紙装普及版がある。

 変わった表題は、おそらくピンク・フロイドの「幻の翼」という曲の歌詞からとったものだろう。作者がじっさいに見た夢を下敷きにした作品を集めているというから。
 ホラー中篇を3篇収録しているが、残念ながらすべて未訳。
 
 うち “Neither Brute Nor Human” (1983) は、ファンタシー大会のプログラム・ブックに掲載された作品。ワグナー本人とスティーヴン・キングをモデルにしたらしい作家同士の交友が描かれる。楽屋落ち的な色彩が濃く、非常に面白い。
 巻末の “The River of Night's Dreaming” (1981) は、ロバート・W・チェンバーズの『黄衣の王』に材をとったエロティック・ホラー。世界幻想文学賞候補も納得の力作である。ちなみにリドリー&トニーのスコット兄弟企画のTV映画になっており、DVDは簡単に手にはいる(追記参照)。
 残る “Endless Night” (1987) は凡作。(2005年7月28日)

【追記】
 オムニバス・ホラーTVドラマ・シリーズ《ザ・ハンガー》の一話で、邦題は「ナイト・ドリーム」。DVD『ザ・ハンガー 6』(東芝、1997)に収録されている(VHS版もあるようだが、未見)。

2012.05.26 Sat » 『クトゥルー神話物語集』

 さらにつづき。
 ワグナー「棒」の疑問箇所を参照するのに用いたべつのアンソロジーが Tales of the Cthuluh Mythos (Arkham House, 1990) だ。ただし、当方が持っているのは、例によって98年にデル・レイから出たトレードペーパーバックだが。

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 これは69年にオーガスト・ダーレス編で出た同題の本の改訂・増補版。つまり、旧版に書き下ろしでおさめられていた新人作家の凡作4篇を落とし、それ以後に書かれた秀作7篇を足した新版である。
 アーカム・ハウス設立50周年を記念して企画され、同社最大の初版部数(7015)を誇った。

 編者の名前は明記されていないが、序文を書いているジェイムズ・ターナーであることはまちがいない。80年代にSF方面に大きく舵を切って、アーカム・ハウスに新時代をもたらした辣腕編集者である。もっとも、守旧派からは非難囂々だったらしいが。それでも、この人が去ってから、同社が一部のマニアしか喜ばないような本を細々と出すだけのつまらない出版社に転落をしたことを思えば、ターナーの方針は正しかったといえよう。

 旧版はダーレスが《クトゥルー神話》の決定版アンソロジーを作ろうと思って編んだだけあって、定番から意欲的な新作までを網羅した教科書のような本。じっさい、本自体の翻訳はないが、収録作品はほとんど翻訳されており、未訳は新版では割愛された二篇だけである。

 ターナーはダーレスの業績をできるかぎり活かしたうえで、ダーレス存命当時には存在しなかった新傾向の作品を中心に増補して記念碑的アンソロジーを作りあげた。
 収録作品はつぎのとおり――

1 クトゥルーの呼び声  H・P・ラヴクラフト
2 妖術師の帰還  クラーク・アシュトン・スミス
3 ウボ・サスラ  クラーク・アシュトン・スミス
4 黒の碑  ロバート・E・ハワード
5 ティンダロスの猟犬  フランク・ベルナップ・ロング
6 喰らうものども  フランク・ベルナップ・ロング
7 闇に棲みつくもの  オーガスト・ダーレス
8 戸口の彼方へ  オーガスト・ダーレス
9 星から来た妖魔  ロバート・ブロック
10 闇をさまようもの  H・P・ラヴクラフト
11 尖塔の影  ロバート・ブロック
12 無人の家で発見された手記  ロバート・ブロック
13 セイレムの恐怖  ヘンリー・カットナー
14 The Terror from the Depths フリッツ・ライバー
15 盗まれた眼  ブライアン・ラムリー
16 Cold Print ラムジー・キャンベル
17 ロイガーの復活  コリン・ウィルスン
18 My Boat ジョアンナ・ラス
19 棒  カール・エドワード・ワグナー
20 The Freshman フィリップ・ホセ・ファーマー
21 呪われた村〈ジェルサレムズ・ロット〉  スティーヴン・キング
22 Discovery of the Ghooric Zone リチャード・A・ルポフ

 1から13までと16、17が旧版にも収録されていた作品。ラムリーの作品は旧版に2篇はいっていたが、どちらも落とされ、かわりに15が収録された。まあ、これも型どおりで大したことのない作品だが。

 14は、ライバーがデビュー前に書きかけて放りだした作品を30数年後に完成させたもので、青年ライバーと熟年ライバーの合作といえるかもしれない。カリフォルニアの地下に潜む魔物と対決する話で、師匠ラヴクラフトも登場する。
 16は古書店と魔道書を題材にしたキャンベルの若書き。妙なユーモアがあるが、計算したものではないかもしれない(追記参照)。
 18は、逃避としての幻想の意味を追求した美しい幻想怪奇譚。ラヴクラフトの〈夢の国〉ものの用語が使われている。ラヴクラフトがポップカルチャーのイコンとなっていることを証明した逸品。
 20はミスカトニック大学の当世学生事情を綴ったパロディ。固有名詞が明記されてないところがミソ。これまた《クトゥルー神話》がポップカルチャーの一部になっている証左である。
 22は本書最大の問題作。なんと遠未来を舞台にした宇宙SFで、人間ばなれしたサイボーグたちが、冥王星の彼方にある巨大惑星ユゴスへ赴き、その衛星へ着陸する。途中で披露される未来史が異様きわまりない。

 参考までに、新版では割愛された作品もあげておく。ダーレスは新人作家を育てるため、質には目をつぶったのだろうが、ターナーのお眼鏡にはかなわなかったわけだ。

The Haunter of the Graveyard  J・ヴァーノン・シェイ
大いなる帰還  ブライアン・ラムリー 
Cement Surroundings ブライアン・ラムリー
深きものども  ジェイムズ・ウェイド

(2008年7月18日)

【追記】
 この作品はホラー&ダーク・ファンタシー専門誌〈ナイトランド〉創刊号(2012)に「コールド・プリント」の題名で訳出された。ただし、翻訳に使用したテキストは上記とはべつのヴァージョンである由。

2012.05.24 Thu » 『第一回世界幻想文学賞』

 昨日のつづき。
 編集部にわたした「棒」収録アンソロジーというのは、ゲイアン・ウィルスン編 Firsr World Fantasy Awards (Doubleday, 1977)だった。

2008-7-14(World Fantasy 1)

 これは前年に開かれた第一回世界幻想文学大会と、同時に創設された世界幻想文学賞を記念する意味で作られたアンソロジー。編者のウィルスンは、主にホラーの分野で活躍する漫画家/小説家。くわしいことはわからないが、発起人のひとりなのだと思う。

 わが国では誤解されているが、世界幻想文学賞(World Fantasy Award)というのは、もともとホラー系の賞なのである。というのも、アメリカン・ホラーの先達、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトを顕彰するための賞だから。その証拠に受賞者には、ハワードと呼ばれる胸像が贈られる。これをデザインしたのが、ゲイアン・ウィルスンなのだ。ちなみにウィルスン自筆のスケッチがあるので載せておく――

2008-7-14(World Fantasy 2)

 ご覧のとおり、イースター島のモアイ像風にラヴクラフトの肖像をかたどったもの。あまりにも不気味なので、受賞者には評判がよろしくなかったという。
 ついでに書いておくと、第一回の世界幻想文学大会は、ラヴクラフトゆかりの地、ロードアイランド州プロヴィデンスで開催された。できるものならマサチューセッツ州アーカムで開きたかったが、信じられないことに、どこにも実在しないので断念せざるを得なかったそうだ。

 さて、肝心の内容だが、目次を書き写すと煩雑なので、簡単な説明でお許し願いたい。

 〈生涯功労賞〉。栄えある受賞者はラヴクラフトの愛弟子ロバート・ブロックだ。短篇「コウモリはわが兄弟」と「かぶと虫」が再録されているほか、受賞スピーチが載っている。このスピーチがユーモラスな語り口ながら、怪奇幻想文学に対する真摯な思いが伝わってくるすばらしい内容。ちょっと感動してしまった。

 〈長篇〉部門。受賞作であるパトリシア・A・マキリップ『妖女サイベルの呼び声』(ハヤカワ文庫FT)の抜粋が収録されている。

 〈短篇〉部門。受賞作は英国ホラー界の重鎮ロバート・エイクマンの “Pages from a Young Girl's Journal”。古風な吸血鬼譚だが、当方には退屈であった。ちなみにエイクマンは特別にエッセイを寄せている。
 このほか候補にあがったT・E・D・クラインの「ポーロス農場での出来事」、スターリング・G・レイニアーの “A Father's Tale”、さらには英国幻想文学賞という別枠でワグナーの「棒」が収録されている。

 〈個人短篇集〉部門。ワグナーが主宰する小出版社カーコサが刊行したマンリー・ウェイド・ウェルマンの Worse Things Waiting が受賞。同書から “Come into My Parlor” と “Fearful Rock” の2篇が転載されている。

 〈最優秀画家〉上記ウェルマンの短篇集や、下記〈ウィスパーズ〉にイラストを寄せたリー・ブラウン・コイが受賞。コイのイラストは4ページにわたって紹介されている。今回、その一部を〈ミステリマガジン〉に載せてもらった。

 〈ノン・プロフェッショナル特別賞〉。ホラー系のセミプロジン〈ウィスパーズ〉を主宰するスチュアート・デイヴィッド・シフが受賞。〈ウィスパーズ〉から小説、コラム、評論、詩が転載されている。書き手はフリッツ・ライバー、デイヴィッド・ドレイク、デニス・エチスンなど。(2008年7月14日)

2012.05.23 Wed » 『寂しい場所で』

【承前】
 〈ミステリマガジン〉8月号にカール・エドワード・ワグナーの「棒」という短篇を訳出した。それが念願だったことは前に記したとおりだが、その過程でちょっと面白いことがあったので書いておく。

 じつは翻訳テキストには短篇集収録ヴァージョンを使い、編集部には図版に使ってもらおうと思って、リー・ブラウン・コイのイラストの載っているアンソロジー収録ヴァージョンをわたしておいたのだが、両者に一箇所だけちがいがあったのだ。短篇集ヴァージョンでは「Pages looked great.」となっている文章が、アンソロジー・ヴァージョンでは「The proofs looked great.」となっていたのである。

 短篇集のほうがあとに出たので、作者が書き直したのだろうと思ったが、念のため、それ以後に出たアンソロジー収録ヴァージョンを調べたら、すべて後者になっていた。文脈からいうと、それが正しいように思える。とすれば、短篇集のほうが誤り、あるいは気の迷いだったのだろう。
 けっきょく「校正刷り」としたが、下手をしたら「版面」と訳したままだったかもしれない。優秀な編集者のおかげで凡ミスが未然に防がれたのであった。

 さて、問題の短篇集が In a Lonely Place (Warner, 1983) である。

2008-7-13(Lonely Places)

 ワグナーにとっては初のホラー短篇集で、ピーター・ストラウブの序文つき。ペーパーバック・オリジナルで出たが、翌年スクリーム/プレスから1篇を増補した豪華版ハードカヴァーが出た。つまり、それだけの値打ちのある本なのだ(ちなみに、当方が持っているのはペーパーバック版である)。

 じっさい、収録作品のレヴェルは恐ろしく高い。ラムジー・キャンベルがお気に入りの一冊にあげているが、それもうなずける出来である。当方の採点つき(5点満点)で目次を書き写しておこう――

1 In the Pines 4
2 夏の終るところ 3
3 棒 5
4 エリート 3
5 .220 Swift 4
6 The River of Night's Dreaming 4
7 Beyond Any Measure 4

 未訳作品について説明しておくと、1は幽霊屋敷をテーマにしたホラーで、初期のスティーヴン・キング作品と似た味わいがある。5はアメリカ南部の山地を舞台に矮人伝説をあつかった作品で、アーサー・マッケンの現代版といった趣。2の山岳版といえるかもしれない。6はロバート・W・チェンバーズ/アンブローズ・ビアスの系譜を引くエロティック・ホラー(追記参照)。7は一種の吸血鬼譚だが、おぞましさは格別である。

 短いもので90枚、長いものだと150枚くらいあるので雑誌に載せるのはむずかしいが、そのうちどこかに紹介したいものだ。もっとも、また18年かかるのかもしれないが。(2008年7月13日)

【追記】
 この作品は、ホラー&ダーク・ファンタシー専門誌〈ナイトランド〉3号に訳載できることになった。秋に予定されている刊行を楽しみにお待ちいただきたい。

2012.05.22 Tue » 「棒」のこと

【前書き】
 以下は2008年4月18日に記したものである。誤解なきように。


 〈ミステリマガジン〉8月号(追記参照)にカール・エドワード・ワグナーの “Sticks” (1974) というホラー短篇を訳出する。じつはここまで18年かかった。

 この短篇は、ワグナーの代表的作品であると同時に《クトゥルー神話》史においても重要な作品とされている。その証拠に英国幻想文学賞を受けているし、アーカム・ハウスから出た決定版《クトゥルー神話》アンソロジー Tales of the Cthulhu Mythos (1990) にも収録されている。

 当方は20年以上も前にこの佳作を読んで、なんとか紹介したいものだと思っていた。
 そのチャンスは割合早く訪れた。F社がホラー史を概観した大部のアンソロジーを邦訳刊行することになり、ワグナー・ファンを公言していた当方のところに、同書収録の本篇を訳出する話がまわってきたのだ。
 もちろんふたつ返事で引き受けて、1990年3月20日に訳稿をあげた。
 ところが、このアンソロジーの話が立ち消えになってしまったのである。

 いつまでたっても話が進展しないのに業を煮やし、編集部にかけあって本が出ないことを確認し、この訳稿をほかで使ってもいいという言質をとったのが10年後。それ以来、つきあいのあるいくつかの出版社に訳稿を見せ、いちどは某社が刊行を企画している日本オリジナル編集《クトゥルー神話》アンソロジーに収録したいという言葉をもらったのだが、けっきょく今日まで陽の目を見ずにきた。それをとうとう世に出せるのだから、喜びもひとしおである。

 この短篇はホラー出版の世界を舞台にしていて、H・P・ラヴクラフトとオーガスト・ダーレスを思わせる人物が登場するが、主人公にもモデルがいる。〈ウィアード・テールズ〉の常連画家だったリー・ブラウン・コイである。

 コイの絵には、ときどき棒を組みあわせた妙なものが描きこまれていて無気味な効果をあげているが、この棒はコイが実見したものだという。
 カーコサという小出版社を経営して、コイと親しくしていたワグナーは、この話を聞いて大がかりな妄想を発動させた。つまり、太古から邪教を奉ずるカルト集団がいて、この棒はその秘密言語であるというのだ。
 それがラヴクラフトやダーレスをモデルにした人物とどうからんでくるかは、現物を読んでのお楽しみ。

 参考までにコイの描いた棒の絵を載せておく。

2008-4-18(Coy)

 カーコサから出たヒュー・B・ケイヴの短篇集 Murgunstruum & Others (1977) に描きおろされたものである。(2008年4月18日)

【追記】
〈ミステリマガジン〉2008年8月号のこと。当方は「幻想と怪奇 作家の受難」という特集の企画を担当し、作品の選定のほか、解説や翻訳をおこなった。サブタイトルにあるように、作家がひどい目にあう幻想怪奇短篇ばかりを集めており、キム・ニューマン、ハーラン・エリスン、フリッツ・ライバー、ジョー・R・ランズデール、上記カール・エドワード・ワグナーの作品が訳載されている。

2012.05.21 Mon » 『怪奇小説の巨匠たち カール・エドワード・ワグナー』

 うれしい本が届いた。Masters of the Weird Tales: Karl Edward Wagner (Centipede Press, 2011) である。

2011-11-21(Masters of Horror)

 怪奇小説専門の小出版社から出たカール・エドワード・ワグナーのホラー短篇傑作集。収録作はすべて既存の短篇集にはいっているので、この本を買う目的は所有のみ。となれば、限定200部の豪華版を買うしかない。

 というわけで、清水の舞台から飛び降りるつもりで注文したら、送料50ドルといわれてめまいがした。だが、届いた荷物を見たら、送料は55ドル60セントになっている。差額は出版社が負担してくれたのだ。ありがたいことである。

 送料から察しがつくように、かなりの巨大本。函入りで、大判ハードカヴァー、750ページを超える。立派な百科事典を想像してもらえばよい(日本郵便の人が運んできたのだが、最初は箱の大きさから本だとは思わなかった)。

 スティーヴン・ジョーンズが編纂しているので、内容は完璧。選りすぐりの38篇に加えて、ジョーンズの「前書き」とレアード・バロンの「あとがき」が書き下ろしでつき、さらにピーター・ストラウブ、デイヴィッド・ドレイク、ワグナー自身のエッセイを再録している。
 しかも一部がカラー印刷で、ワグナーの写真が大量にカラーで掲載されているほか、J・K・ポッターの1ページ大の挿し絵が13枚収録されている(そのうちの1枚は、細部が拡大されてべつの1ページになっている)。

 さらに関係者のバロン、ドレイク、ジョーンズ、ポッター、ストラウブの署名入り。限定200部のうちの191番である。

 面白いことに、目次に小さなミスがある。ノンブルが「409」ではなく、「4409」になっているのだ。

 収録作のうち、邦訳があるのはつぎのとおり――

「棒」「夏の終るところ」「エリート」「淫夢の女」「ロケットのなかの欲望」「空隙」「プラン10・フロム・インナー・スペース」「最後の一刀」

 さて、いつもならスキャンして書影を掲げるところだが、本が大きすぎてうちのスキャナーではうまくいかない。函は真っ黒なので、スキャンしても仕方がない。

 苦肉の策で、版元のホームページから画像を拾ってきた。上掲画像の左本文が表紙、右半分が中扉である(37 stories となっているが、これはダミーで、現物は 38 stories に訂正されている)。
 
 ついでにホームページをリンクしておく。ポッターのイラストが見られるので、ご参考までに。(2011年12月21日)
http://www.centipedepress.com/masters/wagnermwt.html

【追記】
 のちに同じ版元から普及版が2分冊で出た。Where the Summer Ends と Walk on the Wild Side である。




2012.05.20 Sun » ナイト・シェイド版ケイン

 カール・エドワード・ワグナーの代表作といえば、不死身の悪漢剣士を主人公にした《ケイン》シリーズだが、現在では全作品が2冊にまとまっている。
 版元はホラー系の小出版社ナイト・シェイド・ブックス。1冊めの Gods in Darkness (2002) は長篇3作の合本。このうち『闇がつむぐあまたの影』は、拙訳が出たことがある(追記参照)。

2006-2-8(Gods in)

2冊めの Midnight Sun (2003) は短篇集成という構成。このうち「引き波」と「空隙」は邦訳がある(追記参照)。

2006-2-8(Midnight)

 これは文字通りの全集で、関連エッセイや未完の草稿はもちろんのこと、ある作品の初期ヴァージョン(イタリアのファンジンに掲載されたもの)まで収録されている。

 ちなみに、後者には〈剣と魔法〉だけでなく、現代を舞台にしたホラー作品もおさめられている。じつはケインは不死身なので現在まで生きのびており、そのエピソードはモダンホラーの形式で語られているのだ。

 さて、この Midnight Sun に序文を寄せているのがスティーヴン・ジョーンズ。ワグナーは頻繁にロンドンを訪れ、地元のファンと交流していたらしく、ジョーンズとも親交があったらしい。そういうわけで、ジョーンズは故人への敬意をにじませながら、ワグナーの業績を簡潔に記している。当方もワグナー・ファンなので、ジョーンズの言葉にいちいちうなずくのであった。

 ところで、このナイト・シェイド版は、堅牢なハードカヴァーで、ケン・ケリーの表紙絵も麗しいのだが、ひとつだけ欠点がある。じつは版型がちがっていて、並べても縦横がそろわないのである。(2006年2月8日)

【追記】
 書誌データを付せば、順に――

『闇がつむぐあまたの影』 中村融訳(創元推理文庫、1991)
「引き波」 福井淳子訳、スティーヴン・ジョーンズ編『フランケンシュタイン伝説』(ジャストシステム、1996)所収
「空隙」 中村融訳、デニス・エチスン編『カッティング・エッジ』(新潮文庫、1993)所収

となる。

 文中、スティーヴン・ジョーンズの名前がやや唐突に出てくるが、ジョーンズは当方がもっとも敬愛する編集者で、もとの日記にはたびたび登場する。その業績は、おいおい紹介していくつもりだ。


 

2012.05.19 Sat » 『ケインの書』

 蔵書自慢をする。ものはカール・エドワード・ワグナーの The Book of Kane (Donald M. Grant, 1985)だ。呪われた不死身の剣士を主人公にしたヒロイック・ファンタシー、《ケイン》シリーズの中短篇を5本収録した作品集である(残念ながら、すべて未訳)。

2005-7-20 (Book of Kane)

 箱入の大判ハードカヴァー。著者とイラストレーター(ジェフリー・ジョーンズ)のサイン入り豪華本。限定425部(販売は400部)のうち40番である。大枚はたいてアメリカの古書店から取り寄せたのだが、サインの鑑定書がついていた。長いこと本を買っているが、鑑定書がついていたのはこのときが最初で最後である。もっとも、その鑑定書はコーヒーをこぼしたので捨ててしまったが。

2005-7-20(Kane 2)

 イラストレーターのサインが入っていることからも察せられるように、カラーイラストが別刷りで4葉ついているほか、随所に白黒のイラストが配されている。持っているだけで嬉しくなる本だ。
 ちなみに、ジェフ・ジョーンズのサインは鉛筆書き。いまにも擦れて消えそうである。弱った。

 収録作のなかでは “Raven's Eyrie”というノヴェラ(邦訳して155枚くらい)が抜群に面白い。一軒の宿屋を舞台に悪人同士が入り乱れるマカロニ・ウェスタンみたいな話で、剣戟あり、魔術あり、大魔王の登場あり、果てはケインの娘まで登場する。これぞ〈剣と魔法〉だ。

 世間の人はどう思っているか知らないが、当方は根っからのヒロイック・ファンタシー・ファン。西洋チャンバラが好きで好きでしかたがない。ハミルトンの『反対進化』(創元SF文庫)に入れたら悪評サクサクの「アンタレスの星のもとに」だって面白いと思っているのだ。もう世間の無理解と闘う気力はないので、こういう本は自分だけで楽しむことにしよう。(2005年7月20日)

2012.05.18 Fri » 『伝道の書に捧げる薔薇』

【承前】

 ゼラズニイの短篇集といえば、第一短篇集 The Doors of His Face, The Lamps of His Mouth And Other Stories (1971) の表紙絵をぜひお目にかけたい。初版はダブルデイから出たハードカヴァーだが、当方が持っているのは1974年に出たエイヴォン版のペーパーバックである。

2011-12-18(The Doors)


 ご覧のとおり、アチラ版の表題作ではなく、収録作のひとつ「伝道の書に捧げる薔薇」(別訳題「伝道の書に薔薇を」)を題材にしている。画家の名前は記載されていないが、右下にサインがあるので、先ごろ亡くなったジェフ・ジョーンズにまちがいない。

 この中篇はゼラズニイの出世作であり、〈F&SF〉誌初出時には、わざわざハネス・ボクを起用して表紙絵を描いてもらったという伝説の作品。ジョーンズは、そのボクの絵に優るほどのすばらしい絵を描きあげた。作品の内容や、それが醸しだす雰囲気をみごとに表現しているのだ。おそらくSF史に残る名画だと思う。

 この本は『伝道の書に捧げる薔薇』(ハヤカワ文庫SF、1976)として邦訳があるので、内容に関しては詳述しないが、ゼラズニイが光り輝いていた時期の作品を厳選しただけあって、オールタイム・ベスト級の作品がごろごろしている。
 たとえばアチラ版の表題作「その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯」。わが国でファンが多い「十二月の鍵」。〈SFマガジン〉が浅倉久志氏の追悼特集を組んだとき、当方が推薦して掲載してもらった「このあらしの瞬間」、時間SFラヴ・ストーリーの知られざる佳品「聖なる狂気」……。こういう調子で書いていると、全15篇をあげてしまいそうになる。

 ともあれ、この本を手にすると、つい顔がにやけてしまう。やっぱりおれはゼラズニイが好きなんだなあ。(2011年12月18日)

【追記】
 ゼラズニイ関連の記事のひとつだったが、今回ジョーンズの絵を紹介するために訃報と組み合わせた。


2012.05.18 Fri » ジェフリー・ジョーンズ1周忌に寄せて

【前書き】
 以下はジェフリー・ジョーンズの訃報に接した2011年5月20日にしたためた記事である。つぎの記事と合わせてお読みください。


 ファンタシー絵画で有名な画家のジェフリー・ジョーンズが18日に亡くなったそうだ。享年67。死因は肺気腫と心臓病の合併症だという。まだ若いのに、本当に残念だ。

 ジョーンズはわが最愛の画家のひとり。この日記でもたびたびジョーンズの絵を表紙にした本を紹介し、ジョーンズの名前をあげてきた。こういう画風である――

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 上はロバート・E・ハワードの《ソロモン・ケイン》シリーズをまとめた豪華本 Red Shadows (Donald M. Grant, 1978) に付された絵。下はバイロン・プライスの企画もの Weird Heroes Volume 5 : Doc Phoenix (Pyramid, 1977) の表紙。

 わが国におけるファンタシー・アートの第一人者、末弥純氏が私淑していた画家である。この点に関しては、本人の口から聞いたのでまちがいない。末弥氏とジョーンズやバリー・ウィンザー・スミスについて語りあったことが思いだされる。もう30年も前になるのか。
 
 なお、ジョーンズは1990年代末にホルモン投与をはじめて女性になった。本名はジェフリー・キャサリン・ジョーンズである。(2011年5月20日)

2012.05.17 Thu » 『天空の剣士たち』

 ドナルド・A・ウォルハイム編 Swordsmen in the Sky (Ace, 1964) は、主にE・R・バローズ流の異星冒険譚(あちらではプラネタリー・ロマンスといって、スペース・オペラとは区別することもある)を集めたアンソロジー(追記参照)。表紙イラストがフランク・フラゼッタ。内部のカットがジャック・ゴーハン。いまから見れば豪華な本だ。といっても、むかしのエースの本なので、サイズの小さな安っぽい造りなのだが。それでもこの本を手に入れたときは、ほんとうにうれしかった。

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 ラインナップはつぎのとおり――

「失われた地球の剣士」 ポール・アンダースン
「地底のとかげ人」 アンドレ・ノートン
「消滅した月」 リイ・ブラケット
A Vision of Venus オーティス・アデルバート・クライン
「アンタレスの星のもとに」 エドモンド・ハミルトン

 要するにエースの主力作家のショーケースだが、なかなかいい作品がそろっている。もっとも、未訳のクラインの作品は、わずか20枚の分量でバローズをコピーしようとした駄作だが。

 さて、ここに「海外三大英雄冒険譚」と題された雑誌の特集がある。〈SFマガジン〉1970年11月増刊号だ。

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 上にかかげた目次を見てもらえば、この特集が本書を母胎にしていることが推察される。同誌1971年12月号にブラケットの作品が訳載されていることも傍証になるだろう(ついでに書いておくと、アンダースンの作品は同誌1977年4月号に訳載)。こういうのは、企画者の「才覚」として評価できる。俗ないいかたをすれば「目のつけどころがいい」わけだ。
 しかし、これが「ヒロイック・ファンタジイ」の特集だったのだから、読者はさぞ混乱したことだろう。

 余談だが、当方はハミルトンの上記作品が大好きで、新訳を『反対進化』(創元SF文庫、2005)におさめられたのは慶賀であった。
 ブラケットの上記作品にも拙訳があって、鎌田三平編のブラケット傑作集『赤い霧のローレライ』(青心社、1991)にはいっている。駆け出しのころの訳なので、やり直したくてしかたがない。なんとかチャンスを作りたいものだ。(2006年5月18日)

【追記】
 アンダースンとノートンの作品は地球が舞台なので、厳密にいえばプラネタリー・ロマンスのアンソロジーというわけではない。波瀾万丈の剣戟SF集というべきか。

2012.05.16 Wed » 『アトランティスの魔法』

 リン・カーター編 The Magic of Atlantis (Lancer, 1970)は、表題どおり、アトランティスを題材にした作品を集めたアンソロジー。

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 ラインナップはつぎのとおり――

「ツザン・トゥーンの鏡」 ロバート・E・ハワード
「ダゴンの末裔」 ヘンリー・カットナー
「タンディラの眼」 L・スプレイグ・ディ・キャンプ
The Seal of Zaon Sathla リン・カーター
「ウリオスの復讐」 エドモンド・ハミルトン
「マルグリスの死」 クラーク・アシュトン・スミス
The Heart of Atlantan ニッツィン・ダイアリス

 基本的に〈剣と魔法〉だが、ハミルトンとダイアリスの作品は例外。
 前者は、アトランティス滅亡の時点から現代までを股にかけた追跡劇で、老いるたびに自分の脳を若者の肉体に移して不死を実現している者たちの物語。無辜な人間をさらってきては手術をするのだから、人権蹂躙もいいところだ。
 後者は、一種の降霊術で呼び出されたアトランティス人の精神が、大陸滅亡の顛末を語って聞かせるオカルトもの。駄作。
 カーターの短篇は、C・A・スミスの線をねらったらしいが、力不足の凡作。

 さて、ここに「アトランティス英雄幻想譚」と題された雑誌の特集がある。〈SFマガジン〉1971年10月増刊号だが、下にかかげた目次を見てもらえば、この本のパクリであることは瞭然。カーターとダイアリスの駄作を落としただけである。

2006-5-15(Atlantis 2)

 特集解説では、本書の序文を引き写したような文章をM・M(編集長の森優)氏が書いているが、この本についての記載はどこにもない。
 
 もっとも、これは○○編となっているわけではないので、この当時としては「才覚」として許される範囲だったのかもしれない。ここまで極端ではないにしても、一冊のアンソロジーを母胎にした特集は、〈SFマガジン〉でも〈ミステリマガジン〉でも日常茶飯だったのだから。原文テキストの入手自体がむずかしかった時代なので、しかたのない面もあったのだろう。

 それでも、苦労して作品を集めたのに、その上前をはねられたほうは怒るわけで、こういう真似はもうできないだろう。(2006年5月15日)

【追記】
 上記「ウリオスの復讐」は、拙編のエドモンド・ハミルトン傑作集『反対進化』(創元SF文庫、2005)に収録した。上に掲げた号に載ったものの再録ではなく、市田泉氏による新訳である。

2012.05.15 Tue » 『怪物たち』(ヴァン・ヴォート)

 A・E・ヴァン・ヴォートといえば、もはや忘れられかけている作家だが、かつては大変な人気を誇っていた。フォレスト・J・アッカーマンが編んだ Monsters (Paperback Library, 1965)は、宇宙怪物カタログという形式で、すでに単行本にはいった作品を編み直した優れものである。
 もっとも、あまり売れなかったのか、再版の際に Science Fiction Monsters と改題された。当方が持っているのはこの第二版。扉は旧版のままなのが哀れを誘う。

2006-5-14(Monsters)

収録作品はつぎのとおり。題名のあとに添えてある属は、アッカーマンによるモンスターの分類である――

「ただに死者のみならず」 属:スペース・モンスター
「最後の指令」 属:ロボット・モンスター
「神経戦」 属:牡羊座モンスター
「永遠の村」 属:火星モンスター
「潜伏者」 属:ミステリー・モンスター
「海神」 属:海洋モンスター
「モンスター」*属の記載なし。原題は“Resurrection”
「野獣の地下牢」 属:変身モンスター

 さて、ここにわが国で独自に編まれた(とされる)ヴァン・ヴォートの傑作集がある。中田耕治編『モンスターブック』(河出文庫、1986)がそれだ。

2006-5-14(Monsters 2)

 目次を見ていただこう――

2006-5-14(Monsters 3)

 この本がアッカーマン編の傑作集のパクリであることは一目瞭然。最後の2篇を落として、「海神」と「潜伏者」の順番を入れ替えただけ。モンスター分類もアッカーマンのものを使っている。もちろん、アッカーマンの本についての記載はどこにもない。
 これで中田耕治編というのは、おこがましいにもほどがある。

 どうも最初はアッカーマンの本の訳書として出すつもりだったのが、途中で中田耕治編に化けたらしい。その証拠が「編者あとがき」に見られるつぎの一節――
「私たちが訳しました『宇宙の怪物たち』は、この当時のヴァン・ヴォークトのもっとも豊かな資質を物語っていますが」
 証拠を隠滅しきれなかったわけである。(2006年5月14日)

2012.05.14 Mon » 代作だったのか

 さる筋から驚くべき情報がはいった(追記参照)。エドモンド・ハミルトン作とされていた《キャプテン・フューチャー》シリーズの短篇は、1篇をのぞいて夫人リイ・ブラケットの代作だったというのだ。

 情報源は以下のサイト――
 http://www.bewilderingstories.com/issue250/brackett2.html

 スウェーデンのジャーナリスト、Bertil Falk がハミルトン本人に聞いた話として伝えている。

 周知のとおり、《キャプテン・フューチャー》シリーズは、1940年代に同題雑誌の看板として長篇が一挙掲載されていた。ジョゼフ・サマクスンが書いた2作をふくめて、全17作が掲載された。
 諸般の事情で雑誌は1944年に廃刊になったのだが、〈スタートリング〉誌が復活を図り、1945年と46年に長篇3作(うち1作はマンリー・ウェイド・ウェルマン作)を掲載したあと、1950年には読み切り短篇(正確にはノヴェレット)のシリーズとしてシリーズを再開させた。
 こちらは7作が掲載されており、創元SF文庫の《キャプテン・フューチャー全集》第11巻『鉄の神経お許しを』(2007)にまとめられている。

 だが、これらの短篇は、最初の1篇「キャプテン・フューチャーの帰還」をのぞいて、ハミルトンが練った筋書きに基づいてブラケットが文章を書いていたというのだ。

 《キャプテン・フューチャー》のファンにはショックかもしれないが、うなずける話ではある。なぜなら、ハミルトンは《キャプテン・フューチャー》シリーズは請負仕事と割り切っており、それほど愛着を感じていなかったからだ。
 その証拠に、ほかの仕事で忙しいときは、あっさりと他人に執筆のチャンスをゆずったり、自分の作品もハウス・ネームで発表したりしている。この時期もコミックス原作の仕事で多忙をきわめていたはずで、他人に執筆をまかせたとしても不思議はない。

 さらに、ハミルトン本人が認めているが、ふたりはときおり「非公式に合作」していたという。つまり、ハミルトンが執筆に行きづまったとき、ブラケットがそのつづきを書いたことがあったのだ。
 どこかで読んだ話だが、仲間の作家がハミルトンのある長篇を誉め、特にどこそこのパートがよかったと感想を述べると、「おいおい、あそこは女房が書いたんだよ」とハミルトンが答えたという。

 ハミルトンとブラケットの文章はかなりちがうので、代作の話が本当なら、ブラケットの文体模写の能力は相当なものだということになる。あるいは、ふだん見せないユーモアのセンスも。ひょっとして原文を読めば、ハミルトンとのちがいがわかるのだろうか。

 当方は《キャプテン・フューチャー》シリーズを翻訳でしか読んだことがないので、このあたりについてはなにもいえない。翻訳には野田節というフィルターがかかっており、野田昌宏氏の単独訳でない場合も、共訳者が野田節に合わせようとしたはずだからだ。

 ともあれ、ブラケットにあらためて興味が湧いてきた。じつをいうと、ハミルトンとブラケットが公式に共作した “Stark and the Star Kings” (2005) をこのあいだ読んで、両者の文章のちがいを実感したところだったのだ(どのパートをどちらが書いたか、はっきりわかる)。ブラケットという作家、評価をあらためるべきかもしれない。(2011年12月27日)

【追記】
 当方は東京創元社の編集部から知らされた。その先を芋蔓式にたどっていくと、上記リンク先の記事に行きつく。


2012.05.13 Sun » 『屋根裏の恐竜たち』

 たまには読んだ本の話でも。

スキャン

 『屋根裏の恐竜たち――世界最大の自然史博物館』ダグラス・J・プレストン著、野中浩一訳(原著1986/邦訳・心交社、1991)は、ニューヨークにある高名な自然史博物館を題材にしたノンフィクション。全体は大きく二部に分かれており、第一部は博物館の歴史をいろどった人物たちの列伝、第二部は現在の博物館の紙上ツアーといった内容になっている。なかなか面白い本だが、ここに書く気になったのは内容とはべつのことだ。

 まず著者のプレストンだが、すでにお気づきの方もいるだろう。映画化もされたモンスター小説『レリック』(扶桑社ミステリー)の共作チームの片割れなのである。もうひとりはリンカーン・チャイルドだが、この本の謝辞を見ると、「マーティン・プレス社の私の担当編集者リンカーン・チャイルド氏」として名前があがっている。『レリック』の原著刊行は1995年なので、この本を通じて知り合ったジャーナリストと編集者が、共作チームとして活動をはじめたらしい。『レリック』の舞台は、アメリカ自然史博物館だが、そういう経緯があったのかと納得したしだい。

 つぎに本書の第七章は、1920年代におこなわれたアフリカ探検の模様を描いているのだが、その主役がカール・エイクリーという動物学者。アフリカの野生が急速に失われつつあることに心を痛めていた彼は、その姿を正確に記録しておきたいと願う――

「そこで一九二一年になると、外国の動物を狩猟したがっていた金持ちの夫婦、ブラッドリー夫妻とともに、アフリカに出かけた。夫妻は、しとめた動物のすべてに対して博物館に優先的選択権を与えるという了解の下に、エイクリーを『白人のハンター』として雇ったのである」(p136)

 ここを読んで、思わず「あっ」と声が出た。このブラッドリー夫妻とは、ジェムズ・ティプトリー・ジュニアの両親にちがいない。
 あわてて書棚からメアリー・H・ブラドッリー著、宮坂宏美訳『ジャングルの国のアリス』(原著1927/邦訳・未知谷、2002)をひっぱりだしたら、「アリスの〝エイクリーおじさん〟、カール・イーサン・エイクリーの思い出に」という献辞が目に飛びこんできた。ページをめくると、エイクリーから幼いアリス・ヘイスティングス・ブラッドリー(のちのティプトリー・ジュニア)に宛てた手紙も載っている。人のつながりというものはじつに面白い、とあらためて感じいったしだい。

 ところで、『ジャングルの国のアリス』の訳者あとがきには「エイクリーは、帰国してから数年後の一九二六年に亡くなり」と記されている。これを見るとアメリカで亡くなったように読めるが、じっさいは大ちがい。1926年にアフリカにもどり、無理を重ねて探検をつづけた結果、熱病で客死をとげたのである。
 当時のエイクリーは64歳だったが、この旅には28歳の新妻が同行していた。この女性メアリーが、エイクリーとの結婚前から女探検家として名をはせていた女傑で、夫の死後の行動には感服するしかないのだが、それは読んでのお楽しみ。(2010年7月9日)

2012.05.12 Sat » L・T・C・ロルトのこと

 押し入れを整理していたら、面白い本が出てきた。L・T・C・ロルトの『ヴィクトリア・エンジニアリング――土木と機械の時代』高島平吾訳(鹿島出版会、1989)である。

2006-10-5(Lolt)

 表題どおり、ヴィクトリア朝を彩った偉大なエンジニアたちの業績を中心に、工学の歴史を詳述した書。珍しい図版が満載で、なかなかいい本だ。

 だが、面白いのはそのことではない。じつは、この人は余技で怪奇小説を書いていて、そちらでも多少は知られた名前なのだ。
 当方の知るかぎり、邦訳は二篇ある。〈幻想文学〉37号(1993)掲載の「ボズウォース頂上水路」と同誌51号(1997)掲載の「叫び」である。
 
 ところが、訳者の方々は本書の存在を知らなかったらしく、解説にもいっさい触れられていない。ついでに書いておくと、ジャック・サリヴァン編『幻想文学大事典』(国書刊行会、1999)のロルトの項を引いても、本書に関する記載はない。
 逆に本書のどこを見ても、ロルトが怪奇小説を書いていたという記述はない。

 とすれば、この両方の事実を知っている人間は、そう多くないと思われる。つまり、本書を見てニヤニヤするのは、怪奇小説読者にとって非常な贅沢な楽しみかもしれないのだ。

 もっとも、当方にしても本書の存在を知ったのは、いまはない江古田の古書店で十数年前にこの本を見つけたときだったので、大きな顔はできない。そのときは題材に惹かれて買って帰り、あとで怪奇小説のロルトだと気づいたのだった。
 こうやって、おかしな知識とおかしな本ばかりが増えていくのである。(2006年10月5日)

【追記】
 このあと『工作機械の歴史』(平凡社、1989)という本も邦訳刊行されていると酒井昭伸氏に教えてもらった。深謝。


2012.05.11 Fri » 「花と怪獣」のこと

 こんど出すモンスター小説アンソロジーの作品選びをしていたとき(追記参照)、ヘンリー・カットナーの「花と怪獣」“Beauty and the Beast” (1940)という作品を検討した。けっきょくこの作品は収録しなかったのだが、そのとき面白いことに気づいた。映画評論家の添野知生さんに話したら、その事実は知られていないので書いておいたほうがいい、と助言されたので、ここに認める次第。

 こういう話だ――
 金星探検に出たロケットが地球に帰ってくる。不幸にも深い山中に落下して、乗員は死亡。彼が持ち帰った謎の卵は、無知な農夫の手にわたる。農夫は金儲けをたくらんで卵を孵化させるが、生まれたのは「カンガルーのミニチュア版」のような奇妙なトカゲだった。
 奇妙なトカゲはどんどん大きくなり、やがて納屋におさまりきらなくなる。体が大きくなると同時に知能も高まり、自分の素性を思いだす。その爬虫類は、じつは金星の知的生物で、滅亡に瀕した金星人が未来を託した最後の一頭だったのだ。

 金星人は地球人と意思疎通を試みるが、地球人には怪獣にしか見えないので、挨拶しようとすると武器で攻撃されるばかり。当然ながら怪獣は逃亡し、狩りがはじまるのだった……。

 これとそっくりの映画がある。レイ・ハリーハウゼンの特撮で有名な「地球へ2千万マイル」(1957・別題「金星怪獣イーマの襲撃」)だ。原作のクレジットはどこにもないが、カットナーの作品と似すぎているので、原案としてパクったと想像される。こういうことは日常茶飯事だったのだろう。

 もっとも、小説のほうはひねりがあって、短篇小説らしいオチがつく。邦訳は〈ミステリマガジン〉1978年8月号に風見潤訳が、マイケル・パリー編のアンソロジー『キング・コングのライヴァルたち』(ハヤカワ文庫NV、1980年)に宇佐川晶子訳が載っているので、ご興味の向きは参照されたい。(2007年8月27日)

【追記】
 拙編のアンソロジー『千の脚を持つ男――怪物ホラー傑作選』(創元推理文庫、2007)のこと。


2012.05.10 Thu » 《七瀬》と《ボールディ》

 カットナー&ムーアに関連して、むかしから思っていることを書いておく。
 というのは、筒井康隆の名作《七瀬》シリーズが、ルイス・パジェット(つまりカットナー&ムーア)の《ボールディ》シリーズを霊感源にしているのではないか、という仮説だ。

 周知のとおり、《七瀬》シリーズは女性テレパスを主人公にしたSFであり、テレパシーによる思念がタイポグラフで表現され、大きな効果をあげている。

2008-10-7(nanase)

 いっぽう《ボールディ》シリーズは、核戦争によって生まれたテレパス種族の運命を描いた連作であり、やはりテレパシーによる思念がタイポグラフで表現されている。

2008-10-7(baldy)

 ご覧のとおり、よく似ている。

 《ボールディ》シリーズをまとめた単行本『ミュータント』(浅倉久志訳)がハヤカワ・SF・シリーズから刊行されたのは1964年(奥付は11月15日)。これは、同じくタイポグラフでテレパシーを表現した作品としてはるかに著名なベスターの『分解された男』(創元推理文庫)あるいは『破壊された男』(ハヤカワ・SF・シリーズ)刊行の前年である。

 ついでに原書のデータを書いておけば、《ボールディ》シリーズは1945年に発表された4篇と53年に発表された1篇から成っており、単行本化は53年。『分解された男』(雑誌連載1952)よりひと足早い。
 さらに余談だが、《ボールディ》シリーズの初邦訳は、〈別冊宝石〉1963年9月号に掲載された第一話「笛吹きの子」の別訳「ミュータント」(水沢亜梨須訳)。しかし、この作品にタイポグラフは登場しない。じつは、タイポグラフは第二話と第三話にしか登場しないのだ。その意味ではアクセントの域を出ず、効果という点では『分解された男』に軍配があがる。

 タイポグラフの形式を見ても、邦訳のタイミングを見ても、『ミュータント』が筒井康隆に影響をあたえたと思えるのだが、はたして真相はいかに。

 ちなみに《七瀬》シリーズは1970年にはじまっている。(2008年10月7日)

【追記】
 C・L・ムーアとヘンリー・カットナーについて書いた一連の記事のうちのひとつだが、今回独立させた。

2012.05.09 Wed » ロバート・シェクリイのこと

【前書き】
 以下は2006年9月8日に記したものである。誤解なきように。


 〈SFマガジン〉11月号でシェクリイ追悼特集が行われる。ついては、編集部が作った作品リストのチェックを頼まれた(追記参照)。そういう作業は大好きなので、喜んでやらせてもらったしだい。

 さて、編集部からいくつか疑問が出されていたのだが、そのうち面白いものを紹介する。

 まず既存の各種邦訳リストには、

「スペース・ワイフ」“Space Wife” 福島正実訳 『SFエロチックス』(三一新書、1964)および『宇宙のエロス』(芳賀書店、1972)所収

という作品があがっている。だが、発表年も初出もわからないし、向こうのリストを調べても、そういう題名の作品はないというのだ。
 なるほど、手元にあった『宇宙のエロス』を見ると、問題のページには “Space Wife” と原題表記されている。だが、海外のリストをあたっても、そういう作品は存在しない。
 あらためて、目を皿のようにして全作品リストを見ていくと、〈インフィニティ〉1958年3月号掲載で、単行本未収録の “Accept No Substitutes” という作品に気がついた。
 作品中でスペース・ワイフは宇宙船用のダッチワイフ・ロボット、すなわち生身の女性の代用品のことなので、これだと勘が働き、邦訳を見直すと、終わりのほうに「代用品などで間にあわせようとしたのが、間違いだったのだ」という文章がある。やはり、この作品にちがいない。
 では、なぜまったく別の原題がついているのか。ひとつ考えられるのは、かなりの抄訳にして、別の作品のふりをしたというケース。こうやって版権を取得せずにすまそうとしたのではないか。

 つぎに、やはり既存のリストには、

「死のチャーター船」加藤喬訳 『5分間ハードボイルド』(日本文芸社、1965)所収

という作品があがっているが、原題も初出も不明だという。ちなみに、加藤喬は福島正実の別名である。
 おそらく単行本未収録作品のミステリだろうと見当をつけて、全作品リストをしらみつぶしにあたると、〈コリアーズ〉1953年7月25日号掲載の “Coast to Coast” だろうと見当がついた。ただし、こちらは現物を見ていないので、真偽のほどは不明。

 あと面白かったのは、『地球巡礼』の邦訳書に記された原題表記にまちがいが見つかったこと。

「人間の負う重荷」の原題は “Human's Burden” ではなく “Human Man's Burden”
「地水火風」の原題は “Earth, Fire and Water” ではなく “Earth, Air, Fire and Water”

が正しい。
 前者については、手持ちの原書では “Human Man's Burden” となっており、かねてから気になっていた。これはロボットから見た「人類の男性が負う重荷」(つまり、女性)のことなので、冗語ではなく、ユーモラスな表現なのだ。しかし、風変わりな題名なので別題があるのだろうぐらいに思っていた。
 ところが、今回調べて見ると、別題は存在しないことがわかった。「地水火風」を見てもわかるとおり、担当編集者がズボラな人だったのだろう。ともあれ、これを基に各種の邦訳リストが作成されたのだから、罪作りというほかない。 

 ほかにも細かな疑問がいっぱい出てきて、半日つぶれてしまった。じつに楽しかったが、われながら阿呆である。嗚呼!(2006年9月8日)

【追記】
 〈SFマガジン〉2006年11月号(9月25日発売)で組まれたロバート・シェクリ追悼特集のこと。
 シェクリイは2005年12月9日に亡くなったが、当初、同誌では追悼特集を組む予定はなかったという。しかし、わが国のSF界にあたえた影響の大きさを鑑みて、追悼特集を組むべきだと提言した者が何人かいた。当方もそのひとりで、ブレーンとして特集に参画した。そういうわけで、編集部からチェックを頼まれたのである。


2012.05.08 Tue » 『ブレードランナー』

【前書き】
 以下は2007年5月3日に記したものである。誤解なきように。


 もはや旧聞に属すが、SFセミナーが無事に終わった。当方が出演した「アヴラム・デイヴィッドスンの思い出を語る」という企画はおおむね好評だったようで、まずはひと安心。やはりイグアナの話がよかったのだろう。

 インタヴューの本筋とはまったく関係ないが、グラニア・デイヴィスが Alan E. Nourse を「アラン・E・ノース」と発音していたのが印象に残った。日本では「アラン・E・ナース」と表記するのがふつうだからだ。デイヴィスは本人と親交があるのだから、本人はこう発音しているのだろう。

 そのとき話題に出たのが、ナース(慣例にしたがう)の長篇 The Bladerunner (David McKay, 1974) だ。ただし、当方が持っているのは翌年にバランタインから出たペーパーバック版である。

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 この題名を見て最初に思いだすのは、リドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」だろう。原作はフィリップ・K・ディックの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だが、デイヴィスが力説していたとおり、題名はこの本から採っているのだ。その経緯を説明すると、おおむねつぎのようになる。

 まず作家のウィリアム・S・バロウズが、この小説を映画用に脚色した。このヴァージョンは Blade Runner, a movie (1979, 1986) といい、『映画:ブレードランナー』(トレヴィル、1990)として邦訳が出たこともある。
 いっぽう、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化するにあたって、スタッフは主人公の職業名にふさわしい名称を探していた。そこで目をつけたのが、このバロウズの脚色だった(脚本家がバロウズのファンだった由)。彼らはこの名称が気に入り、大本のナースとバロウズの両方から許可を得たうえで、この名称を題名に使ったのだ(じっさい、両者の名前はエンド・クレジットに記載されている)。したがって、内容面からいえば、ナースの小説もバロウズの脚色も映画とはいっさい関係がない。

 さて、話をナースの小説にもどすと、裏表紙の文句によれば、題名の「ブレードランナー」は、医療行為が厳格に統制されている未来社会に暗躍する非合法の職業で、医療器具や薬を専門とする密売人のことらしい(この設定はバロウズの脚色でも踏襲されている)。もっとも、この本は読んでないので、それ以上のことはわからない。(2007年5月3日)

【追記】
 この題名の話は有名だと思っていたが、初耳だという反応が意外に多かった。この手の豆知識は、絶えずだれかが話題にしていないと、簡単に忘れ去られてしまうのだろう。なにをいまさら、と思われるのを承知で、あえて公開したしだい。
 ここでまた舵を切って、しばらく雑学的な話をつづけたい。


2012.05.07 Mon » 『虹の年代記』読了

【承前】
 グラニア・デイヴィスの The Rainbow Annals (1980) を読み終わった。義務感から読みはじめた本だが、けっこう面白くて、これは拾いものであった。

 この前書いたようにチベット仏教の宇宙観を下敷きにしたファンタシー。宇宙創造から語り起こされ、神界に生まれた猿神(the Monkey-God) と羅刹界に生まれた女羅刹が、ひょんなことから世界の果てでめぐりあい、激しく恋をして子供をもうけ、人類の始祖となる。が、運命はふたりを引きはなし、人界に生まれた落ちたふたりは、出会いと別れを繰り返しながら、輪廻転生をつづけるのだった……。

 主人公は王の息子である猿宮(the Monkey-Prince)、地方豪族の息子で高僧となる猿歌(Monkey-Song)、富裕な交易商人の息子である猿戯(Monkey-Trick)と輪廻転生する。いっぽう女羅刹はいろいろな身分に生まれ変わるが、つねにドロルマと呼ばれる。

 ほかにも何人か転生を繰り返す人物がいて、これらのキャラクターのからみがドラマを形作っていく。最大の悪役は黒い巫術師という邪悪な魔法使い。これも黒い皇帝、大ガラスと転生し、主人公ふたりだけでなく、世の人々に不幸をもたらしつづける。

 東洋趣味や性的におおらかな点など、1960年代フラワー・ムーヴメントの産物といえる。もちろん西洋人が見た東洋だが、そこは作者も自覚のうえで、架空の世界の話にしている。ここは目くじらを立てず、現実とはひと味ちがったエキゾッチックな景観を楽しんだほうがいい。

 面白かったのは、架空のチベットであるザ(Dza)の国の人々が、敬意を表すとき舌を出すという風習を持っていること。日本でやったら逆に侮辱と受け取られるだろう。
 魔よけで舌を出す風習はアジアにあるが、これにも元があるのだろうか。それとも、作者の独創なのだろうか。こんど訊いてみよう。(2007年4月27日)



2012.05.06 Sun » 『虹の年代記』

 先日、グラニア・デイヴィスの第四長篇 The Rainbow Annals (Avon, 1980) がとどいた。作者本人に会う前に読もうと思ったのだが、もう二週間を切ってしまった。

2007-4-16(Rainbow)

 チベット仏教の世界観を背景にした遍歴と探索のファンタシーらしい。作者の本のなかでは、いちばん有名だと思う。

 ところで、デイヴィスは1970年代末、日本に住んでいた。そのとき翻訳勉強会グループとつきあいができて、故矢野徹氏たちと親しかった。それとはべつに山野浩一率いるNW―SFグループとも親交があったらしい。その関係か、本書もサンリオSF文庫で出るはずだったという話を聞いたことがある。

 ちなみに「女性SF特集」を組んだ〈NW―SF〉16号(1980年9月号)には、デイヴィス作品唯一の翻訳「敗者には何もやるな」が掲載されているほか、「女性SF作家名鑑――楽しい女大百科」にもデイヴィスの項目があり、つぎのような記述が見える――

「一九七九年一月から一年半にわたって日本に滞在、日本語は上達しなかったものの大の日本通、親日家となってこの六月に帰米。現在、日本のSFアンソロジーを編集している」

 このアンソロジーはけっきょく出なかった。そういうものだ(追記参照)。(2007年4月16日)

【追記】
 驚いたことに、このアンソロジーはすこし形を変えて2007年8月に刊行された。福岡の小出版社、黒田藩プレスから出た Speculative Japan : Outstanding Tales of Japanese Science Fiction And Fantasy がそれで、ジーン・ヴァン・トロイヤーとグラニア・デイヴィスの共編となっている。



2012.05.05 Sat » 『不死鳥と鏡』

 いい機会なので、デイヴィッドスンの最高傑作といわれる The Phoenix and the Mirror (1969) を紹介しよう。初版はダブルデイから出たハードカヴァーだが、当方が持っているのはエース・サイエンス・フィクション・スペシャル版のペーパーバック。ディロン夫妻の表紙絵がかっこいいので、初版よりこっちのほうが持っていて嬉しい。

The Phoenix and the Mirror

 主人公は魔術師ヴァージル。というのは、古代ローマの詩人ウェルギリウスのことだが、実在の詩人とはちょっとちがう。
 古代の偉人はのちの人が勝手に伝説化してしまうが、ウェルギリウスもその例にもれず、なぜか大魔術師と誤解されるようになった。本書はそのなかば実在、なかば架空の人物を主人公にした物語。つまり、9世紀の人々の目を通して描かれた(現実とは似ても似つかぬ)紀元前1世紀のローマ帝国を舞台にした歴史小説なのだ。

 ストーリーは複雑で、簡単には要約できないが、権謀術数に巻きこまれた主人公が、究極の魔術アイテム〈魔法の鏡〉を作るはめになる話だといっておこう。材料集めからじっさいの製造まで、主人公の行動は独得の論理につらぬかれており、おそろしく理屈っぽい小説といえる。

 さすがに世評が高いだけあって、非常に面白い。たしかに、ファンタシー史に残る傑作だ(さいわい、この本の文章はあまり苦労せずに読める)。

 だが、ひとつだけ欠点だけある。それは、完全な尻切れトンボで終わっていること。なにしろ三部作の第一作なのだから仕方がない。
 十数年後に第二作が書かれたが、もはや作者に往年の力はなくなっていた。そしてデイヴィッドスンは他界。三部作は永遠に未完に終わったのである。(2005年6月4日)

【追記】
 書くのを忘れていたが、このあと三部作の完結篇が刊行された。The Scarlet Fig: Or Slowly Through a Land of Stone (The Rose Press, 2005) がそれで、グラニア・デイヴィスとヘンリー・ウェッセルズが遺稿を整理したものらしい。


2012.05.04 Fri » 『エステルハージー博士の審問』

 さる事情でアヴラム・デイヴィッドスンの不可思議探偵小説 The Enquiries of Doctor Eszterhazy (Warner, 1975) を読んだ。全部で8篇から成る連作短篇集だが、いろんなアンソロジーで収録作の一部をつまみ食いしていたので、通して読んだのは初めてだ。

2011-7-24

 簡単に説明しておくと、20世紀の初頭、バルカン半島に存在したとされる架空の帝国、スキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国(オーストリア=ハンガリー二重帝国のもじり)を舞台に、哲学博士、法学博士、医学博士、文学博士など数多くの博士号を持つ才人エンゲルベルト・エステルハージー博士が、さまざまな難事件、怪事件に挑む、というミステリ仕立ての作品である。
 ちなみに第一作「眠れる美女ポリー・チャームズ」が、若島正編のアンソロジー『狼の一族』(早川書房、2007)にはいっている(追記参照)。

 読んだことのある作品は、明らかにファンタシーと呼べる作品だったが、それはむしろ例外で、合理的な解決がつく事件が多いのは意外だった。ひょっとしたらデイヴィッドスンは、ふつうのミステリを書くつもりだったのかもしれない。

 というのも、のちに作者が語ったところによると、経済的に困窮したデイヴィッドスンが、手っ取り早く金を稼ぐため、資料に当たらずに書ける小説を書こうと考え、一気呵成に書きあげたものだからだ。しかし、そこは曲者デイヴィッドスンのこと、ふつうのミステリができあがるはずはなかった。

 とにかく、どこまでが本当で、どこからが嘘なのかさっぱりわからないペダントリーが満載で、ストーリーは脱線につぐ脱線、外国語が英訳されずに頻出し、さらには係り結びのよくわからない長文ながら、省略が多いという悪文。正直いって、書いてあることの半分もわからない。

 じつは、読んでいるあいだ、しきりに連想されたのは、小栗虫太郎の作品だった。とりわけ、「絶景万国博覧会」や「人魚謎お岩殺し」の系統。先ほどあげた特徴が、これら小栗作品にそのまま当てはまることに留意されたい。とすると、本書はSFファンより、〈新青年〉系の古い探偵小説愛好者に歓迎されるかもしれない。

 もうひとつ連想されたのは、種村季弘の著作。種村とデイヴィッドスンは気質が似ているらしく、とりあげるトピックに共通点が多い。デイヴィッドスンがくりだすペダントリーに半分くらいついていけたのは、当方が種村の著作に親しんでいたから。種村にデイヴィッドスンを読ませたら、どんな反応をしただろうか――そんな想像をしたくなる。

 もうひとつ特筆すべきは、そのオフビートなユーモアだろう。本書を読んでいるあいだ、クスクス笑いっぱなしだった。もっとも、かなりひねくれているうえに、シック・ジョーク的な要素も強いので、受けつけない人も出そうだが。(2010年1月24日)

【追記】
 のちに『エステルハージ博士の事件簿』(河出書房新社、2010)として池央耿訳が刊行された。同書に付された解説で、殊能将之氏がデイヴィッドスンと久生十蘭との親近性を指摘していて感心した。


2012.05.03 Thu » 『十二支考』

【承前】

 押入から南方熊楠の『十二支考』を引っぱりだしてきた。当方が持っているのは、飯倉照平校訂の東洋文庫版全3巻(平凡社、1972-73)。20年くらい前に神田の古書店で手に入れたものだ。いまは岩波文庫にはいっているので、入手しやすいと思う。

 表題どおり、十二支それぞれの動物に関して百科全書的な記述を行なったものだが、その古今東西におよぶ博引旁証と脱線につぐ脱線がただごとではない。「牛」の部がないので全11篇だが、そのうち5篇は尻切れとんぼ。それでも熊楠の主著であることはまちがいない。とにかくすさまじい本である。

 たとえば「犬に関する民俗と伝説」の冒頭近く――

「明治十五年、予高野登山の途次、花坂の茶屋某方で生年十八歳という老犬を見た。今まで生きておったら五十八歳という高齢のはずだが、去年十一月、三十九年めでそこを過ぎると、かの茶屋の家も絶え果て、その犬の成行きを語る者もなかった。『大英百科全書(エンサイクロペジア・ブリタニカ)』一一板一六巻九七六頁に、犬は十六より十八歳まで生きうるが、三十四歳まで長命の例も記された、と見ゆ。一九一五年板、ガスターの『ルーマニア鳥獣譚』三三七頁に記すところによると、ルーマニア人は犬の定命を二十歳と見立てたらしい……」

 こういう調子で博引傍証が延々つづくのだが、そのあいだに人を食ったユーモアがはさまっている。このあたりの呼吸がデイヴィッドスンと似ているのだ。
 熊楠の文体で『非歴史上の冒険』を訳したら面白いだろうなあ。だれか挑戦しませんか。原文は提供しますので。(2006年12月15日)


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