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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.06.08 Fri » 『吾々は常に巴里を持つであろう』

【前書き】
 レイ・ブラッドベリが現地時間6月5日に亡くなった。享年91。
 永遠に生きると思っていた人の訃報は、やはり衝撃が大きい。それが長く作品に親しんできた作家の訃報だと、人生の一部をもぎとられたような気がする。いまは頭が混乱しているので、とりあえずこれだけ――
 
 すばらしい作品をありがとうございました。安らかにお眠りください。 
 
 以下はブラッドベリ生前最後の新作短篇集について2011年2月27日に書いた記事である。追悼の意をこめて公開する。


 昨年の夏から延々やっていた仕事が、ついに手を離れた。サム・ウェラーによる伝記『ブラッドベリ年代記』である(追記1参照)。
 三校に赤をたくさん入れて編集者を青ざめさせたり、索引やら作品リストのチェックで気が狂いそうになったりしたが、それも終わり。本ができあがったら、きっとケアレスミスが見つかって天を仰ぐことになるだろうが、とりあえずいまは解放感に浸っている。

 というわけで、この日のためにとっておいたブラッドベリの最新短篇集 We'll Always Have Paris (William Morrow, 2009) を読んだ。もっとも、当方が持っているのは、例によって同年に出たハーパー・コリンズ版のトレードペーパーだが。

2011-2-27(We'll Always Have)

 序文につづいて21篇の短篇小説と1篇の詩がおさめられている。全作品が本書のための書き下ろしだが、半分くらいは旧作の蔵出しだと思われる。制作年が明記されているのは1篇(1984年)だけだが、作中の風物から1950年前後に書かれたと推察できる作品が多いのだ。
  近年のブラッドベリ短篇は、会話主体の一幕劇のようなスタイルが主流なので、装飾過多の散文を連ねた若書きとははっきり区別がつく。ただし、飛びぬけた傑作がない点は新旧を問わない。

 明らかにファンタシーやSFと呼べる作品は4篇。なかには『火星年代記』の番外編のような作品もあるが、わざわざなにかいう気は起きない。残りは「人生の一断面」を切り取った文芸短篇である。

 表題作は、ブラッドベリ自身と思われる主人公が、パリの一夜で遭遇した奇妙な出来事を描く。ちょっとホモセクシュアルなにおいのする小品。掲題ではわざと直訳したが、「来年もパリに来よう」くらいの意味だと思う。これは新作だろう【追記2参照】。
 いちばんよかったのは、“A Literary Encounter” という小品。旧作らしいが、こんな話だ――

 結婚して1年ほどの若い夫婦がいる。妻は夫が変わったと感じている。溌剌としたところが影を潜め、なにか陰気臭くなってしまった、と。
 夫は読書家で、いまはダシール・ハメットの『マルタの鷹』やサミュエル・ジョンスンの『アレグザンダー・ポープの生涯』を読んでいる。
 ある晩、妻はハタと気づく。
妻「ねえ、お願いがあるの。結婚前に読んでいた本をもういっぺん読んでもらえない」
夫「お安い御用だ。でも、なにを読んでいたっけ。思いだせないなあ」
 妻は思いだし、書店でその本を買ってきて、夫の机の上に置いておく。それを見つけた夫は、その本を手にとり……。
 翌朝、人が変わったように溌剌とした夫がキッチンにはいってきて叫ぶ。ここは原文で――

“Hello, beautiful woman! Hello, lovely, wonderful, kind, understanding creature, living in this great wide sweet world!”
 
妻「サローヤンね?」
夫「サローヤンだとも!」

(2011年2月27日)

【追記1】
 この本はサム・ウェラー著『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社、2011)として無事に刊行された。

【追記2】
 簡単にストーリーを記しておく。

 わたし(ブラッドベリ)がパリで夜の散歩に出たところ、男につけられているのに気づく。ただ、その男はあとをつけているのではなく、「わたし」の前を歩いていて、こちらをうかがっては進む方向を同じにしている。「わたし」が声をかけるが、向こうは英語が話せず、「わたし」はフランス語が話せない。うまく意思が通じないまま、スポーツ・ジムへ連れていかれて……。
 実話をベースにしていると思われるが、なんだか不思議な話だ。

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