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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.08.31 Fri » ニッツィン・ダイアリスのこと

【承前】
 ニッツィン・ダイアリスという作家について、これまでわが国にはつぎのように伝えられていた――
  
 生まれは1897年。英国人の船長を父に、メキシコ人の女性を母に持つ。若いころ世界を放浪し、中国のオカルト結社に加わったり、チベットに潜入したり、ハイチでヴードゥーの儀式をのぞいたりした。晩年はメリーランド州の電気も水道も引かれてない掘っ建て小屋で暮らした。

 波瀾万丈の人生だが、最後の部分をのぞけば、事実とは異なるらしい。サム・モスコウィッツが調べたところによると、1880年6月4日、アリゾナ州ピーマ郡生まれ。母親は先住民の血を引いており、南米出身。父親はピーマ郡生まれのアメリカ人だというのだ。
 とすると、冒険小説の主人公めいた経歴も鵜呑みにはできなくなる。

 じつは、ダイアリスに関する情報源は、実質的にひとつしかなかった。ウィリス・コノヴァー・ジュニアというファンの証言である。彼は十代のころ、〈ウィアード・テールズ〉に載ったダイアリスの小説を読んでファンになり、住所が近かったこともあって、たびたびダイアリスのもとを訪ねた。そして作家から聞かされた身の上話を世に広めたのだった。

 つまり、その身の上話は、年若い友人を楽しませるために作家の吹いたホラであった公算が大きいのだ。

 ところで、モスコウィッツの取材に応えて、コノヴァー・ジュニアは、ダイアリスがラテン・アメリカ系だったとしかいっていない。では、「英国人の船長とメキシコ人女性のあいだに生まれた」という説はどこから来たのか? 
 これも情報の出所はひとつしかない。マイク・アシュリーが著した作家名鑑 Who's Who in Horror and Fantasy Fiction (1977) における記述だ。しかし、アシュリーは情報源を明らかにしていない。

 要するに、情報源がかぎられていたため、まちがいが流布していたのである。

 さて、この話にはつづきがあって、モスコウィッツの調査結果も誤りだったことが、のちに判明した。というのも、ダイアリスの徴兵登録カードや国勢調査の記録が発見されたからだ。
 それによると、生年月日は1873年6月4日、出生地はマサチューセッツ州。父親はウェールズ移民の血を引くアメリカ人で、母親はグアテマラ出身。長じては薬剤師としてペンシルヴェニア州で永らく働いていたという。

 ちなみにニッツィン・ダイアリスは本名。正確にはミドルネームがはいって、Nictzin Wilston Dyajhis となる。
 まるで〈剣と魔法〉に出てくる魔道士のような名前だが、L・スプレイグ・ディ・キャンプによると「ニッツィン」は、アステカ文明に憧憬をいだいていた父親による命名、「ダイアリス」はウェールズの名前だという。しかし、異説もあり、これまた真偽不明。

 なお、〈ウィアード・テールズ〉に掲載された8篇以外に、3篇の存在が確認されている。

 ついでに書いておけば、ダイアリスの代表作「サファイアの女神」は、拙編のアンソロジー『不死鳥の剣――剣と魔法の物語傑作選(河出文庫、2003)に新訳(安野玲訳)を収録した。(2009年3月10日+2012年8月25日)

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2012.08.30 Thu » 『剛勇の谺 第三集』その2

 昨日のつづきで、Echoes of Valor Ⅲ がいかにマニアックかという話。

Ⅲ マンリー・ウェイド・ウェルマン
 Hok Goes to Atlantis

 第三部は前巻に引きつづき、ウェルマンの《ホク》シリーズから1篇。ホクが見知らぬ国へ遠征したら、そこは高度な文明社会。だが、あまりにも退廃していて、腹を立てたホクが神殿かなにかを壊したら、大陸が沈んでしまった。つまり、これがアトランティス沈没の真相であったという話。
 シリーズ第二作にあたる作品だが、これが再録された理由は明らかで、永らく幻だったから。ほかの作品が67年から70年にかけて〈ファンタスティク〉に再録されたのに対し、これだけその機会に恵まれなかったのだ。しかし、出来映えのほうはイマイチで、珍しさだけを基準に作品は選んではいかんなあ、と思わされる。

Ⅳ ジャック・ウィリアムスン
 Wolves of Darkness

 第四部は意外な人選で、ウィリアムスンのノヴェラが収録されているが、これは〈剣と魔法〉ではない。ワグナーの解説によると、人狼をテーマにした現代ものの怪奇スリラーで、初出は1932年。長篇『エデンの黒い牙』(1940)の原型的作品だそうだ。
 長さが215枚もあるし、お目当てだった〈剣と魔法〉でもないので、この作品は読まなかった。ワグナーの解説が面白いので、原文のまま引いておく――

 “Wolves of Darkness” is an unbashed horror thriller, written in the most florid language of the pulps. Can you say “ululation”? How many times?

V ニッツィン・ダイアリス
 Nictzin Dyalhis: Mysterious Master of Fantasy サム・モスコウィッツ(エッセイ)
 The Red Witch
 サファイアの女神
 The Sea-Witch

 第五部には伝説のパルプ作家ニッツィン・ダイアリスの中篇3篇と、古典SF研究の泰斗サム・モスコウィッツによる評伝が収録されている。

 モスコウィッツの評伝は、これだけで項目を立てる価値があるので次回に紹介するとして、ダイアリスの作品について簡単に触れておく。

 The Red Witch は、輪廻転生をテーマにした綺譚。原始人の時代と現代を舞台に、運命的な恋をした男女と、女に横恋慕した族長との因縁が語られる。男女は現代に生まれかわっているが、族長だけは呪いのせいで半死の状態を何万年もつづけているという点が独創的だが、文章がいかにもパルプで、読むのがつらい。

 「サファイアの女神」は古典的ヒロイック・ファンタシー。当方はこの作品が大好きで、前記『不死鳥の剣』を編んだとき、安野玲氏に新訳してもらったうえで収録した。
 二種類の既訳が、三種類の媒体に掲載されたことのある作品だが、ほとんどの人が本邦初訳と勘違いしていたので驚いた。古い邦訳、あるいはマイナーな媒体への掲載は、存在していないのと同じということか。

 The Sea-Witch は、掲載誌〈ウィアード・テールズ〉が人気投票を行ったとき上位にはいった作品で、なにを見ても名作あつかいされている。が、これも大時代な輪廻転生もので、あまり高い評価はできない。兄弟を惨殺され、自分も陵辱された北欧の尼僧が、現代に生まれかわって復讐を果たす話である。

 すでにお気づきのように、この巻は〈剣と魔法〉でない作品が多く収録されている。たしかに珍しい作品が並んでおり、パルプ研究家としての編者の力量には敬服するが、ヒロイック・ファンタシー・アンソロジーという当初の趣旨からはズレているのも事実。それが理由かどうかは知らないが、このシリーズは第三集で終わった。初心忘れるべからずである。(2009年3月9日)

2012.08.29 Wed » 『剛勇の谺 第三集』その1

 このさいカール・エドワード・ワグナー編のヒロイック・ファンタシー・アンソロジー第三弾 Echoes of Valor Ⅲ(Tor, 1991) も紹介しておこう。ワグナーのマニアぶりに拍車がかかって、資料としては貴重きわまりないのだが、当初の路線からは逸脱した感もあり、痛し痒しの本だ。

2009-3-9(Echoes 3)

 長くなるのは目に見えているので、最初に目次をかかげるのはやめて、セクションごとに解説していこう。

Ⅰ ロバート・E・ハワード
 The Shadow of the Vulture

 第一部はロバート・E・ハワードの中篇を収録。ただし、これは〈剣と魔法〉ではなく、オスマン・トルコのウィーン包囲を題材にした歴史冒険小説である。なぜそんなものがはいっているかというと、本篇にレッド・ソーニャ(Red Sonya)が出てくるから。

 といっても、コミックス版コナンに登場し、ブリジット・ニールセン主演の映画も作られた女剣士を思い浮かべてはならない。鎖かたびらのビキニを身にまとったあの女傑は一字ちがいの Red Sonja で、マーヴェル・コミックスが創造した人物。ハワードの作品には登場しないのである。

 とはいえ、まったくのゼロから生まれたわけではなく、本篇に登場するロシア人女剣士を霊感源(のひとり)として創られたと思しい。ワグナーは実例を示したうえで、両者の混同を戒めているわけだ。

 しかし、女剣士の活躍を期待すると当てがはずれる。本篇の主人公は、ゴトフリート・フォン・カルマバッハというドイツ人の酔いどれ戦士。赤毛のソーニャは、強烈な印象を残すとはいえ、あくまでも脇役にとどまるのだ。ちょうど「赤い釘」におけるコナンとヴァレリアの関係と同じである。しかも、話は暗鬱な歴史ものなので、〈剣と魔法〉を期待した読者は面食らったと思われる。

 余談だが、ハワードは中世フランスを舞台にした女剣士もの《ダーク・アグネス》シリーズも書いている。強い女が好きだったみたいだ。

Ⅱ ヘンリー・カットナー
 呪われた城市
 暗黒の砦
 
 第二部には《サルドポリスのレイノル王子》シリーズが収録されている。
 作者のカットナーは、ハワードの死後〈剣と魔法〉に手を染め、ふたつのシリーズを遺したが、そのうちの片方がこのシリーズ。〈ウィアード・テールズ〉の競合誌として誕生した〈ストレンジ・ストーリーズ〉に掲載されたが、同誌が短命に終わったため、このシリーズも2篇で終わった。
 第一作「呪われた城市」は〈ミステリマガジン〉1971年1月号に訳載されているが、このタイトルが問題。というのも、目次には「呪いの城市」と記され、本文扉には「呪われた城市」と記されている悩ましいケースだからだ。同誌の総目録には「呪われた城市」で記載されているので、それにしたがったが、当方は「呪いの城市」で記憶していた。
 シリーズ第二作は長いこと未訳だったが、当方が〈剣と魔法〉のアンソロジー『不死鳥の剣』(河出文庫、203)を編んだとき、これを収録することに決め、安野玲氏に訳してもらった。
 カットナーの愛妻C・L・ムーアの傑作「ヘルズガルド城」と並べたのは、当方の誇りとするところだ。(2009年3月8日)

2012.08.28 Tue » 『マンリー・ウェイド・ウェルマン――チャペル・ヒルの紳士』

 ひとつ前の記事でウェルマンの《ホク》シリーズは全部で5篇(と断片1篇)と書いた。本当にそうなのか気になって、ウェルマンの書誌を引っぱりだしてみた。フィル・スティーヴンセン=ペイン&ゴードン・ベンスン・ジュニア編の Manley Wade Wellman: The Gentleman from Chapel Hill (Galactic Central) だ。

2009-3-5 (Wellman)

 おなじみ、《熱心な読者のための書誌》シリーズの1冊。ホチキス製本、本文86ページの薄っぺらい小冊子で、ISBNはついているが、刊行年は不明。表紙に改訂第三版と記されている。

 で、リストを眺めていたら、“The Love of Oloana” という作品があることがわかった。1986年に出た〈パルス・パウンディング・アドヴェンチャー・ストーリーズ#1〉に掲載と書いてある。
 オロアナというのは、ホクの恋女房なので、これはシリーズに属す作品ではないだろうか。だが、《ホク》シリーズの新作だとしたらワグナーが解説に書きもらすはずがない。解説執筆から本(Echoes of Valor Ⅱ)の刊行(1989年)までのあいだに書かれたとも考えにくい。なぜなら、ウェルマンは1986年の4月5日に亡くなっているからだ。となると、旧作の蔵出しということになるが、はたして真相はいかに。

 と、推理して悦に入っていたら、あっさりと真相がわかった。やはり《ホク》シリーズの1篇が収録されている Echoes of Valor Ⅲ (1991) をのぞいてみたら、ワグナーがちゃんと解説でこの作品のことに触れていたのだ。この文章はむかし読んだはずだが、内容はさっぱり忘れていた。情けないったらありゃあしない。

 ワグナーによると、問題の作品は1935年に《ホク》シリーズ第一作として書かれたが、〈スパイシー=アドヴェンチャー・ストーリーズ〉という雑誌に没をくらい、そのままお蔵入りになっていたのだという。

 ところで、前述のとおり、《ホク》シリーズは1939年から42年にかけて5篇発表されたのだが、そのうちの3篇が、直後にスウェーデン語に翻訳されていることがわかった。いずれも〈ジュール・ヴェルヌ・マガジン〉に掲載されたもので、1941年から42年にかけてのことである。
 さらにそのうちの1篇は、フィンランド語に翻訳されて、Mustan Jumalan Suudelma (1993) という単行本に収録されていることも判明。
 このあたりの事情についてご存じの方がいらしたら、ぜひともご教示願いたい。(2009年3月5日)

【追記】
 その後《ホク》シリーズを1冊にまとめた本が出た。Battle in the Dawn : The Complete Hok the Mighty (Pazizo Pub., 2011) である。
 今回《ホク》シリーズに関する記事を公開するにあたって、念のため調べものをしていたら、同書の存在に気づき、あわてて注文した。いま本が届くのを楽しみに待っているところ。同書については、そのうち報告できるだろう。

2012.08.27 Mon » 『剛勇の谺 第二集』その2

 昨日のつづきで、ワグナー編のアンソロジーがいかにマニアックかという話。

 Echoes of Volor Ⅱ の第二部はC・L・ムーア編。このセクションはムーアの小説4篇と自伝的スケッチ、それにまつわる他人のエッセイ4篇を収録している。なんとこのうち商業誌からの再録は「スターストーンの探索」1篇だけ。あとはファンジンからの再録か、本書のための書き下ろしなのだ。

 ムーアの代表作《ノースウェスト・スミス》シリーズは50年代に単行本にまとめられたが、同人誌発表の作品や、未来の夫カットナーと共作したお遊び的要素が強い作品(つまり「スターストーンの探索」)はそこから漏れていた。要するに、本書はアメリカの読者にとって幻だった4篇を収録しているのだ。
 しかも「暗黒界の妖精」については、共作者アッカーマンが1948年にファンジンに寄せた裏話を再録し、さらにその記事についての文章を書き下ろしで寄せてもらっている。
 「狼女」と「短調の歌」については、古典SF研究の泰斗モスコウィッツに書き下ろしの序文をもらっている。
 さらに、1936年にファンジンに載ったきりだったムーア自身の自伝的文章を再録しているのだ。まさに至れり尽くせりである。

 第三部はリイ・ブラケット&レイ・ブラッドベリ編。ブラケットが途中まで書いたが、急遽ハリウッドに行くことになり、弟子であるブラッドベリにあとを託したノヴェラ「赤い霧のローレライ」を収録している。
 ブラッドベリは師匠の完全コピーを試み、原稿を読んだブラケットに「驚いたわね。あんたはあたしよ!」といわれたエピソードを披露している。さらに自分の担当分がどこからか、ヒントをあたえたうえで「つなぎ目がわかったら知らせてくれ」といっている。
 この作品はとりわけ珍しいものではないが、当時は入手しにくかったのだろう。ちなみに主人公の異名はコナンという。

 第四部はマンリー・ウェイド・ウェルマン編。《ホク》シリーズに属す1篇と未完の断片を収録している。
 《ホク》シリーズというのは、ウェルマンが1939年から42年にかけて5篇発表した原始人もの(追記参照)。主人公のホクはクロマニヨン人の英傑で、弓を発明したり、アトランティスを沈めたり、ネアンデルタール人を掃討したりした人物である。この時代には恐竜の生き残りがいて、ホクは翼竜やトリケラトプスと闘ったりもする。この設定からハリウッドの恐竜映画、たとえば『紀元前百万年』(1940)などが思いうかぶが、じっさいウェルマンは自作をパクられたとこぼしていたという。
 ちなみにホクの事跡は曖昧な記憶となって後世に伝えられ、そこからヘラクレスの伝説が派生したのだということになっている。

 ウェルマンは晩年になってシリーズを再開させることにし、40数年ぶりにホクの物語を書きはじめた。そして最初のページをタイプし、鉛筆で二、三の訂正をほどこしたあと、二ページめをタイプライターに挟んで2とナンバリングしたところで席を立った。そして二度と帰らなかったという。
 本書にはシリーズの掉尾を飾るノヴェラと、絶筆になった断片が収録されている。
 
 出来映えのほうだが、良くも悪くもパルプ時代の産物としかいいようがない。〈剣と魔法〉というよりは、19世紀から連綿とつづく通俗的な原始人小説である。初出がSF誌〈アメージング・ストーリーズ〉だったせいもあるのだろうが、数多い科学的な注釈が、いまとなってはキャンプな味を出している――というのはウェルマンびいきのワグナーの弁だ。(2009年3月3日)

【追記】
 未発表作が1篇あったと判明した。次回はその件について。


2012.08.25 Sat » 『剛勇の谺』

【承前】
 ディ・キャンプが改竄した「トラニコスの宝」が流布したせいで、ハワードの「黒い異邦人」は長いこと陽の目を見なかった。ようやく公開されたのは、カール・エドワード・ワグナー編のヒロイック・ファンタシー・アンソロジー Echoes of Valor (Tor, 1987) に収録されたときである。
 これはペーパーバック・オリジナルで出た本で、表紙絵はケン・ケリー。その「黒い異邦人」を題材にしている。

2009-2-26

 前に書いたことがあるが、編者のワグナーはこの10年前にバークリー版コナン全集の編纂にあたり、テキストは初出の雑誌から起こして、誤植の訂正以外は一字一句変えないという方針をとった。要するに、ディ・キャンプの手のはいったヴァージョンは排除するという方針だ。
 ところが、ディ・キャンプ一派が著作権を盾に横槍を入れ、この全集は3巻でぽしゃってしまった。
 志なかばで挫折したワグナーは、その後もハワードのオリジナル・ヴァージョンを世に出すことに執念を見せた。その第一弾がこのアンソロジーである。解説にディ・キャンプの名前がいっさい出てこないのが興味深い。たぶん蛇蝎のごとく嫌っていたのだろう。

 ワグナーはコレクターであり、マニアックな原典主義者なのだが、その面を活かしたのがこのアンソロジーだ。目次を書き写すと――

「黒い異邦人」ロバート・E・ハワード 《コナン》
「魔道士の仕掛け」フリッツ・ライバー 《ファファード&グレイ・マウザー》
Wet Magic ヘンリー・カットナー

 ライバーの作品のどこがマニアックだ、と思われるかもしれないが、これも流布ヴァージョンではなく、初出ヴァージョンを採っている。
 というのも、この作品はシリーズの最初期に書かれたのだが、どこにも売れ口がなく、けっきょく著者の第一短篇集 Night's Black Agents (1947) に発表されたという経緯がある。しかし、同書がすぐに稀覯本となったため、このヴァージョンを読んだことのある人間は非常にすくなかったのである。
 なにしろ、ネーウォンの設定が固まってなかったころに書かれた作品なので、舞台はセレウコス朝のシリア。したがって、流布ヴァージョンには、二剣士がネーウォンからわれわれの世界へ転移してくる件が書き加えられている。その点が大きくちがうのだ。

 カットナーの作品は〈アンノウン・ワールズ〉1943年2月号に掲載されたきり、永らく再録の機会に恵まれなかった珍品。T・H・ホワイトの『永遠の王』の影響が色濃いアーサー王ものである。
 題名の「濡れた魔術」は、人間を水中で生きられるようにする魔術のこと。アーサー王が死んだあと、モーガン・ル・フェイが魔術で水中に所領を作り、そこで地上と変わらぬ生活を営んでいる。そこへ現代人(第二次大戦中、ウェールズ上空で敵機に撃墜されたパイロット)がまぎれこみ、美女ヴィヴィアンに惑わされ……という展開。主人公の名前がアーサー・ウッドリーと書けば、結末は予想がつくだろう。
 ユーモラスにはじまった話が、結末近くで苦いものに変わる。そこが水と油で、作者に計算ちがいがあったようだ。(2009年2月26日)

2012.08.24 Fri » 〈ファンタシー・マガジン〉創刊号

【承前】
 せっかく表紙をスキャンしたので、〈ファンタシー・マガジン〉創刊号(1953年3月号)を紹介しておこう。表紙絵はハネス・ボクである。

2009-2-24(Fantasy)

 同誌はダイジェスト・サイズ、160ページの雑誌で、2号からは〈ファンタシー・フィクション〉と名前を変えた。〈剣と魔法〉、伝統的な幽霊小説、都会的なユーモア・ファンタシーなど怪奇幻想文学を幅広く載せた誌面は、〈ウィアード・テールズ〉+〈アンノウン〉といった感じ。53年中にほぼ隔月刊で4冊出たが、あえなく終刊となった。
 ちなみに拙編のモンスター小説アンソロジー『千の脚を持つ男』(創元推理文庫)に収録したジョン・ウインダムの「お人好し」は、同誌6月号に初出である。

 小説が載っているだけで、コラムの類は編集前記と次号予告くらい。愛想のない雑誌だが、イラストはなかなかいい。フリース、エムシュといった一流どころの名前も見える。

 さいわい邦訳された作品が3つもあるので、目次を書き写しておこう――

「トラニコスの宝」ロバート・E・ハワード(L・スプレイグ・ディ・キャンプ編集)
Ashtraru the Terrble ポール・アンダースン
Dragon Fires スティーヴ・フレイジー
Too Gloomy for Private Pushkin リチャード・デミング
「悪魔たち」ロバート・シェクリイ
「給餌の時間」フィン・オドノヴァン(R・シェクリイの筆名)
The Night Shift フランク・ロビンスン

 SF畑の名前がならぶなか、ミステリ作家デミングの存在が異色。作品は、イタリア戦線の古城でアメリカ兵が出会った怪異を描いたもので、ひねりの利いた幽霊小説だったのだろうが、いまとなってはそのツイスト自体が古風で凡庸に思えるところが悲しい。

 アンダースンとフレイジーは、ともにユーモア・ファンタシー。前者は中東で発掘された出土品にくっついてアメリカへやってきたマイナーな神様と、考古学者がくり広げるドタバタ。後者はドラゴンの社会を材にとり、人間くさく情けないドラゴンたちを描いた作品。どちらも悪くないが、邦訳するほどの値打ちはない。
 ロビンスンの作品はホラーだと思うが、内容はきれいさっぱり忘れている。

 余談だが、編集長レスター・デル・レイは1968年に新雑誌〈ワールド・オブ・ファンタシー〉を世に問い、ふたたびファンタシー雑誌に挑戦したが、こちらも4号で終わったのだった。(2009年2月24日)

2012.08.23 Thu » 「黒い異邦人」のこと

 《新訂版コナン全集》第5巻(追記参照)の解説から削った話。
 
 1935年1月から2月にかけて、ロバート・E・ハワードは《コナン》シリーズ第19作にあたる “The Black Stranger” というノヴェラを書きあげた。だが、これは〈ウィアード・テールズ〉編集長ファーンズワース・ライトに拒絶された。おそらく、最初のうちコナンの正体がぼかしてあったり、コナンの登場しない場面が延々とつづく構成が気に入らなかったのだと思う。
 ともあれ、ハワードは没原稿を改稿し、海賊船長、黒ずくめのヴルミアを主人公とする歴史冒険小説 “Swords of the Red Brotherhood” に作り替えた。こちらは、ある冒険パルプ誌に売れたのだが、掲載前にその雑誌がつぶれ、けっきょくハワードの生前は未発表に終わった。
 
 1951年にL・スプレイグ・ディ・キャンプが草稿を発見し、大幅な改稿をほどこした。このヴァージョンは “The Treasure of Tranicos” と改題のうえ、ノーム・プレス版コナン全集 King Conan (1953)に収録された(ハヤカワ文庫SF『大帝王コナン』に収録の「トラニコスの宝」は、これを翻訳の底本にしている)。だが、その前にプレヴューとして新雑誌の創刊号に目玉として掲載された。〈ファンタシー・マガジン〉1953年3月号に載った “The Black Stranger” がそれだが、これは編集長レスター・デル・レイがさらに手を加えた短縮版だった。

2009-2-21(Black Stranger)

 そこで3種類の原文をくらべてみたのだが、ディ・キャンプの行なった改竄には怒りをおぼえた。第1巻のときディ・キャンプの改稿ぶりを綿密にチェックしたので、そのやり口はわかっているつもりだったが、この作品に関してはその上をいく改竄ぶりだったのだ。

 文章を削ったり足したりするのは、まあ編集者の権限だろう。登場人物の名前を変えるのも許す。だが、ハワードの意図と反する形で話の内容を変えてしまうのは許せない。

 というのも、この話でコナンは一介の野蛮人なのだが、時系列的につぎに来る「不死鳥の剣」では、すでにアキロニアの国王になっている。そこで話に連続性を持たせるため、後者の登場人物を何人も勝手に登場させ、この時点でコナンの敵や友人だったことにしているのだ。

 《コナン》シリーズは、いわゆるシリーズ・キャラクターがほとんど登場しないことで知られている。美女にしろ、強敵にしろ、一回出てきたらそれで終わり。作者のほかのシリーズには、くり返し顔を見せる登場人物が存在するので、そこに作者の意図が働いていることは明らかだ。その意図を踏みにじるような改稿は、蛮行といわざるを得ない。

 こんど訳出した「黒い異邦人」は、もちろんハワードのオリジナル・ヴァージョンに基づくものである。

おまけ
 図版を見るとわかるが、キャプションのあとにプロローグ的な文章がはじまっている。じつはこれもハワードの原文にはない。「トラニコスの宝」には付いていないので、デル・レイの書き足しだと思うが、確証はない。(2009年2月21日)

【追記】
 『真紅の城砦』(創元推理文庫、2009)のこと。同書には「黒い異邦人」のほか、「不死鳥の剣」「真紅の城砦」の二中篇、さらには資料編として未完成の小説「辺境の狼たち(草稿)」、創作メモ「ハイボリア時代の諸民族に関する覚え書き」「西方辺境地帯に関する覚え書き」を収録した(資料編収録作はすべて本邦初訳)。


2012.08.22 Wed » 「ヒルビリー・ジョンの伝説」

 以前マンリー・ウェイド・ウェルマンの《シルヴァー・ジョン》シリーズについて書いた。ギターをかかえてアパラチア山地を放浪する風来坊が、行く先々で出会う怪異をつづったシリーズで、飄々とした味わいが高く評価されている。シルヴァー・ジョンという名前は、そのギターに銀の弦が張ってあることからきており、これが魔物退治に役立つのだ。

 このシリーズは1970年代に映画になったのだが、わが国ではTV放映をふくめて未公開。もちろん当方も見たことがなかったが、今回、添野知生氏のご厚意で見ることができた。先の日記を読んで、わざわざアメリカからヴィデオを取り寄せ、ついでに当方の分もDVDにダヴィングしてくださったのである。まずは感謝するしだい。

 その映画が The Legend of Hillbilly John である。公開を1973年としている資料が多いが、じつは複雑な事情があり、そうとはいいきれない(この点については後述する)。監督ジョン・ニューランド。脚色メルヴィン・レヴィ。出演ヘッジ・ケーパーズ、スーザン・ストラスバーグ、アルフレッド・ライダー他。と資料を書き写しただけで、詳しいことはなにひとつ知らないのだが。

 ウェルマンの原作から発表順で第一話「ヤンドロー山の頂上の小屋」と第二話「おお醜い鳥よ!」を採り、オリジナル・エピソードを加えてオムニバス風に構成した87分の映画。
 正直いって出来のほうはイマひとつで、まあこういう映画もあることさえ憶えておけばいいと思う。
 
 最大の問題は脚本、とりわけオリジナル・エピソードにある。ジョンが銀の弦を作る経緯を描いた冒頭のエピソード、南部の綿花地帯でヴードゥーがらみの事件に書きこまれる最後のエピソード、ともに原作の味わいを殺してしまっている。ジョンは来歴不明の風来坊だから魅力的なのだし、その物語は舞台がアパラチア山中だから説得力を持つのだ。

 もうひとつがっかりしたのはロケーション。アパラチア山地の雄大な風景が見られるかと思ったら、大半は安っぽいセット撮影か、その辺の田舎の風景であった。低予算だから仕方ないにしても、シリーズの大きな魅力が消えてしまっている。
 
 強いて美点をあげれば、オリジナルの挿入歌がなかなかいいのと、怪鳥のぎごちない人形アニメーションに素朴な味わいがあることか。
 あんまり悪口はいいたくないが、原作者のウェルマンが出来を不満に思っていたというのもうなずけるのであった。

蛇足
 問題の製作年について、ウェルマンの書誌から関連の記述を書き写しておく。ご参考までに。

WHO FEARS THE DEVIL [freely adapted from A39 & A142]
film adaptation by Harris/Two's Company, directed by John Newland and starring Susan Strasberg, Denver Pyle and Percy Rodriguez. Release in 1972; re-edited and re-released in 1975 as THE LEGEND OF HILLBILLY JOHN. Also released as MY NAME IS JOHN.

 文中のA39 とA142 は上記シリーズ第一話と第二話をさす。(2009年4月17日)

【追記】
 〈ミステリマガジン〉2007年2月号が「モンスター大集合」という特集を組んだとき、小山正氏が「ミステリ・ファンに捧げるモンスター映画10選」という一文を寄せ、「抒情豊かな民俗派モンスター」としてこの作品をとりあげていた。

 さて、ウェルマンといえば、もうひとつ紹介したいシリーズがあるのだが、元の日記の流れのせいで、すこし遠まわりしなくてはならない。つぎから話題が変わるが、そのうちウェルマンの話になるので、そのつもりでお読みください。


2012.08.21 Tue » 『幻想の声 第一巻』

 ついでにウェルマンのインタヴューも紹介しておく。

 ジェフリー・M・エリオットという人が、4人のファンタシー作家にインタヴューしたものをまとめた Fantasy Voices 1 (Borgo Press, 1982) という本がある。本といっても、本文64ページの小冊子。(ごく一部で)有名な作家研究叢書ミルフォード・シリーズの第31巻である。

2007-9-9(Voice 1)

 このなかにウェルマンのインタヴューが載っている。もともとは1980年にファンジン〈ファンタシー・ニューズレター〉に載ったものらしい。Better Things Waiting という題名がついているが、これはワグナーとドレイクが出版したウェルマン傑作集 Worse Things Waiting (1973) のもじり。
 なかなか読み応えのあるインタヴューだが、《シルヴァー・ジョン》シリーズについての発言を引くと――

「ジョンの物語は、いつも満足のいく出来ばえだったし、こちらが面くらうほど高く評価され、称賛されてきた。たぶんわたしがベストをつくして、南部の山々とそこに住む人々のために、彼ら自身の言葉で語ろうとしたからだろう。これらの物語を『詩的』と評した人もいた。もしそうだとしたら、詩人はわたしじゃない。あの素朴な人たちが詩人なんだ」

 ちなみに他の3人は、ジョン・ノーマン、ヒュー・B・ケイヴ、キャサリン・カーツ。下に掲げた写真の左上がウェルマン、左下がケイヴである。

2007-9-9(Voice 2)

 ケイヴについては馴染みのない人が多いだろう。わが国ではクトルゥー神話作家のあつかいだが、そんな単純なものではない。じつは、この人もワグナーがカーコサで本を出したパルプ作家なのだ。だいぶ前から気になっている存在で、気長に資料を集めているので、そのうちなにか書くかもしれない。(2007年9月9日)

2012.08.20 Mon » 『宙ぶらりんの石』

 《シルヴァー・ジョン》の紹介をつづける。

 ウェルマンは晩年にこのシリーズの長篇を5作書いたが、当方はそのうち The Hanging Stones (Doubleday, 1982) というのを読んでいる。もっとも、当方が持っているのは、例によって84年にバークリーから出たペーパーバック版だが。

2007-9-8(Hanging)

 表題の「宙ぶらりんの石」というのはストーンヘンジのこと。ある大富豪が、観光客をあてこんで、アパラチア山地のティートレイ山にストーンヘンジのレプリカを作ろうとしている。その地には、もともと踵を下にして直立したような形のメガリス(巨石)があり、それがヒントになったらしい。

 ところが、この一帯には、ティートレイ山を聖地と崇める人狼の一族が隠れ住んでおり、彼らが聖地奪還に乗りだしたことから、騒動が持ちあがる。もちろん、たまたま同地を訪れていたジョンが、人間と人狼の抗争に巻き込まれるわけだ。

 面白いのは、英国のストーンヘンジ研究家の存在。この男は、ストーンヘンジを建設した新石器時代の人々と時空を超えて語らうことができ、ストーンヘンジの精霊を呼びだして、人狼族に対抗させるのだ。
 石器をふりかざして暴れまわる精霊たちが、じつに魅力的。当然ながら、精霊たちはストーンヘンジを冒涜する人間たちにも不快感を隠さず、味方としてはあまり当てにならないのがいい。
 
 恐ろしいはずの人狼も、じつは豚に似ている(表紙イラスト参照)という具合に、どこかすっとぼけた味がある。
 ついでにいうと、諷刺色の濃いのも特徴。地元の意向を顧みずに観光開発を進めることを戒めているのだ。丹念に描きこまれた風景ともども、アパラチア山地をこよなく愛した作者の心情が伝わってくる。(2007年9月8日)

2012.08.19 Sun » 『民謡歌唱者ジョン』

 せっかくだから《シルヴァー・ジョン》シリーズについて触れておこう。といっても、このシリーズについては、〈幻想文学〉53号(1998)に詳しく紹介したことがあるので、その文章を大幅に流用する。手抜きもいいところだが、まあ、前に読んだことのある人はすくないだろうから、大目に見ていただきたい。
 
 昨日も書いたとおり、これはジョンという名前の風来坊が、銀の弦を張ったギターをかかえて、アメリカ南東部のアパラチア山地一帯をさすらい、行く先々で出会った怪異を綴ったもの。地方色豊かな怪奇小説として高く評価されている。

 ジョンは中世の吟遊詩人の現代アメリカ版だが、リュートをギターに持ちかえたように、対決する相手も先住民起源の妖怪や、ピューリタン信仰のゆがみが生みだした魔物となった。その意味でこのシリーズは、まさにアメリカという風土が生みだした幻想文学なのだ。

 作者のウェルマンは、わが国ではもっぱら〈ウィアード・テールズ〉派の怪奇小説作家として知られているが、第二次大戦後はノース・カロライナ州に居をかまえ、南北戦争や地方史に材をとった著作に取り組むいっぽう、同州西部の山間地に足繁くかよって、民間伝承やバラッド(伝承音楽)の採取に努めた。その成果の一端が、《シルヴァー・ジョン》シリーズである。
 
 さいわい連作短篇集『悪魔なんかこわくない』(1963。邦訳は国書刊行会)が日本語で読めるが、これは51年から58年にかけて発表された11篇をまとめ、配列を変えたうえで、あいだをつなぐ文章を書き足して長篇仕立てにしたもの。作者は晩年を迎えた79年にシリーズを再開させ、86年に82歳で亡くなるまでに、長篇5作と短篇6作を書きあげた。
 このうち短篇のほうは、前記『悪魔なんかこわくない』所収の作品とあわせて再編集され、短篇集 John the Balladeer (Baen, 1988) となった。

2007-9-7(John)

 ちなみに新作短篇のうち1篇は邦訳がある。カービー・マッコーリー編のオリジナル・アンソロジー『闇の展覧会』(1980。邦訳はハヤカワ文庫NV)に発表された「昼、梟の鳴くところ」である。

 ところで、シリーズ再開の裏には、カール・エドワード・ワグナーとデイヴィッド・ドレイクというふたりの若い作家の励ましがあったと思われる。
 このふたりはウェルマンと同じノース・カロライナ州チャペル・ヒルに在住で、チャペル・ヒル・ギャングと異名をとるほど親しくしていた。もちろん、ふたりともウェルマンの大ファンで、カーコサというアマチュア出版社を興し、ウェルマンの短篇集を豪華本で2冊作ったほど。若いふたりに励まされ、老作家はやる気を出したと思われるのだ(ワグナーは、同シリーズが72年に映画化されたことが直接のきっかけだといっているが、これは謙遜だろう)。

 そういうわけで、作者の死後編まれた本書には、ドレイクが前書きを、ワグナーが序文を寄せている。編集にあたったのもワグナーで、ワグナーらしいオリジナルにこだわった編集がなされている。

 というのも、『悪魔なんかこわくない』収録時に改稿されたものを雑誌掲載ヴァージョンにもどし、発表順に並べかえたうえで、つなぎの部分を雑誌掲載分と単行本初出分の2部にまとめて収録。そして新作を加えているからだ。
 ウェルマンは長篇仕立てのために改稿したことを悔やんでいたらしく、故人の意思を尊重する形で編まれているといえる。まさに故人への敬意に満ちた本なのだ。こういう本は持っているだけでうれしいのである。(2007年9月7日)

2012.08.18 Sat » 「眼下の星」のこと

【前書き】
 以下は2007年9月6日に書いた記事である。


 30年近く探していた雑誌を最近ようやく入手した。〈銀河〉という大判グラフィック誌の1975年11月増大号である。

2007-9-6

 SFセミナーのオークションで一度だけ見かけたのだが、そのときは競り負けて悔しい思いをした。それだけに喜びもひとしおだ。情報をくださった代島正樹氏にあらためて感謝する。

 「メルヘン&ファンタジーの天球儀」と表紙にあるように、内外ファンタシーの創作とイラストレーションを満載した雑誌で、仕掛け人は編集顧問の荒俣宏と編集人の竹上昭(野村芳夫)の〈リトル・ウィアード〉コンビ。この雑誌について詳しく記している暇はないので、レイ・ブラッドベリ、カート・ヴォネガット・ジュニア.、デイヴィス・グラッブ、マンリイ・ウェイド・ウェルマン、アルフォンス・アレの作品が翻訳掲載されているとだけ書いておく。
 ちなみに、この書誌情報はインターネットをちょっと調べたくらいでは出てこない。前から何度もいっているように、ネットを過信するのは危険である。

 さて、話題にしたいのはウェルマン(同誌の表記はウエルマン)の「眼下の星」という作品。この題名だけは前から知っていて、どういう作品か推測はついていたのだが、現物を手にして確認できた。
 “Stars Down There” と原題が明示されている。つまり、銀の弦を張ったギターをかかえてアパラチア山地を放浪する吟遊詩人を主人公にした《シルヴァー・ジョン》シリーズ中の1篇で、国書刊行会から出た連作短篇集『悪魔なんかこわくない』に収録されている「はるか下のほうの星」と同じ作品なのだ。

 まあ、原稿用紙2枚程度のスケッチで、作品と呼ぶのもはばかられるのだが、もともとこの連作を1冊にまとめるにあたって書きおろされたブリッジの部分なのだから仕方がない(細かいことをいうと、単行本刊行より先にプレヴューとして〈F&SF〉に掲載された)。言い換えれば、これだけ読んでもしかたがないということだ。
 《シルヴァー・ジョン》シリーズは、これが本邦初紹介というわけでもないから、いまとなってはこの翻訳に歴史的価値すらないのだが、ウェルマン・ファンの当方としては、推測を実証できただけで満足なのであった。(2007年9月6日)

2012.08.17 Fri » 『絵入り恐竜映画案内』

【承前】
『失われた世界』つながりで思い出したのが、The Illustrated Dinosaur Movie Guide (Titan, 1998) という本。題名通り、古今東西の恐竜、あるいは恐竜とは似ても似つかない特撮怪獣が出てくる映画を網羅したガイドブックである。
 この古今東西というのは文字どおりの意味で、古くは1919年から新しくは1993年(スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」の公開年)まで。イタリア、スペイン、メキシコといったラテン語圏はもちろんのこと、ジンバブウェやフィリピンの映画までがリストアップされ、採点つきで紹介されているのだ。もちろん、日本映画もほとんどが網羅されている。とにかく、たいへんな労作である。

2012-1-21(Dinosaurs)

 著者は、わが敬愛するスティーヴン・ジョーンズ。ほんとうに偉い人である。斯界の巨匠レイ・ハリーハウゼンの序文つき。

 体裁を書いておくと、A4よりすこし小さい版型で、本文144ページ。アート紙にスチール写真が満載されており、一部がカラー印刷になっている。

 基本的にはデータと短いコメントの羅列だが、重要な映画やクリエイターについてはコラムが別に立てられている。眺めてもよし、熟読してもよし。じつにすばらしい本だ。

 採点は恐竜マークで表されており、満点は5頭で「古典」、4頭は「推奨」、3頭は「見て損なし」、2頭は「水準作」、1頭は「網羅のためにのみ記載」だそうだ。
 ちなみに、1933年版「キング・コング」が5頭で、わが「ゴジラ」の海外版が3頭半、1960年版「失われた世界」が3頭、「ジュラシック・パーク」が4頭になっている。
 当方が大好きな「恐竜グワンジ」は2頭半なので、けっこう厳しい採点だ。

 表紙の写真はどう見ても「ジュラシック・パーク」だが、じつは1993年のロジャー・コーマン映画 「恐竜カルノザウルス」 のスチール。一応ハリー・アダム・ナイトの『恐竜クライシス』(創元推理文庫)が原作ということになっているが、内容はまったくべつのゲテモノ映画。採点は2頭半だ。

2012-1-21(Dinosaurs 2)

 上に掲げたのは裏表紙。右側に青く見えているのが採点に使われている恐竜マーク。ちなみに左に見えているラクエル・ウェルチ主演の「恐竜100万年」は3頭、その上の「最後の海底巨獣」は1頭半、その下の1984年版「ゴジラ」は2頭半。やっぱり厳しい。(2012年1月21日)

2012.08.16 Thu » 『失われた世界』刊行百周年のこと

 世間はシャーロック・ホームズ関連で大いに盛りあがっているようだ。めでたいかぎりだが、作者アーサー・コナン・ドイルの名を聞けば、べつの小説のほうが先に思い浮かぶ当方としては、こんなことをいいたくなる――ひとつ大事なことを忘れていませんか。今年は『失われた世界』刊行百周年なんですよ、と。
 
 『失われた世界』というのは、コナン・ドイルの代表作のひとつ。〈ザ・ストランド・マガジン〉に連載されたのが1912年4月号から11月号なので、今年がちょうど百周年にあたるのだ。

 いまさら説明するまでもないが、南米奥地に周囲とは隔絶した台地があって、いまも恐竜や原人が生き残っているという物語。その後、同工異曲の作品を無数に生みだし、〈ロスト・ワールド〉ものというサブジャンルが成立する原動力のひとつとなった。
 ――古典を読んで、「パターンどおり」と評す人がいるが、これは話が逆。その古典がパターンを作ったのである。以上、蛇足――
 当方はこの小説が子供のころから大好きで、いろいろな翻訳でくり返し読んできた。いつしか同書に関する背景知識も集まってきたので、それを整理する意味もあって一文をしたためたこともある。〈SFマガジン〉1999年1月号に発表した「アマゾン奥地の博物学者」がそれだ。
 自分でいうのもなんだが、同書の秘密にかなり深いところまで分け入れたと思うので、ご興味の向きは探して読まれたい。すくなくとも、たいていの人が知らない事実が発見できるはずだ。たとえば、主役のひとりロクストン卿にはモデルになった人物がいて、その人物の行跡が同書に深い影を落としている事実は、もっと知られたほうがいい。

 ところで1912年といえば、大正元年にあたる。藤元直樹氏作成のドイル邦訳書誌によれば、『失われた世界』の邦訳は、早くも大正4年からはじまっているらしい。

 子供向きのリライトをのぞけば、第二次世界大戦後だけでも8種類の訳本があるとのこと(平成12年の時点で)。当方はそのうちの5種類を持っているとわかった。

 ここを見ている何人かには鼻で笑われそうだが、いまでは珍しくなった本の書影をかけげておく。時代がかったイラストがいい感じだ。

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 上。ハヤカワ・SF・シリーズ版。昭和38年初版だが、当方が持っているのは昭和41年9月15日発行の再版。
 訳者は新匠哲夫。したがって、ハヤカワ文庫SF版の『失われた世界――ロスト・ワールド』(平成8年)や、その元本である『世界SF全集3 ドイル』(昭和45年)におさめられた加島祥造訳とは別物。福島正実が、古色蒼然とした復元図を基にした恐竜図鑑的な解説を書いている。

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 上。角川文庫版。初版は昭和42年1月30日発行で、当方が持っているのは同年6月30日発行の3版。遠藤拓也という画家の挿し絵入り。
 永井淳訳で、ちょっと挑発的なあとがきを書いている。要するに、ホームズばかりがドイルじゃないんだよ、という天の邪鬼的正論。(2012年1月20日)

2012.08.15 Wed » 『ファンタシーの新世界第三集』

【承前】
 テリー・カー編 New Worlds of Fantasy #3 (Ace, 1971)。この巻ではイラストをアリシア・オースティンが担当している。これがフリース以上にすばらしい絵で、うれしいかぎり。

2006-7-10(New Worlds 3)

 収録作品はつぎのとおり――

「ファレルとリラ」ピーター・S・ビーグル
「アダムには三人の兄弟がいた」R・A・ラファティ
Big Sam アヴラム・デイヴィッドスン
Lomgtooth エドガー・パングボーン
「冬の蝿」フリッツ・ライバー
「ヴォン・グームの手」ヴィクター・コントスキ
「鏡にて見るごとく――おぼろげに」ゼナ・ヘンダースン
「吸血機伝説」ロジャー・ゼラズニイ
Sleeping Beauty テリー・カー
「プロットが肝心」ロバート・ブロック
「記憶の人フネス」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「風にさようならをいおう」J・G・バラード
「チャリティからのメッセージ」ウィリアム・M・リー

 未訳作品について触れておくと、カーの作品は童話の残酷パロディ。デイヴィッドスンとパングボーンは、雪男/ビッグ・フット/サスカッチの話。第二集にはいっていたカー自身の作品もビッグ・フットの話だったので、編者はこのテーマにご執心らしい。
 余談だが、メリルの年刊傑作選にも、ウィリアム・サンブロットの「雪男」という佳作がはいっていたのを思いだす。この時代には実在説に信憑性があり、強力な諷刺の道具となり得たのだろう。いまは遠いむかしである(そういえば、ほぼ同時代にはわが国にも香山滋の「獣人雪男」があったし、チェコのネズヴァドヴァにも「忌まわしき雪男」という未訳作品があった。古くなるが、E・F・ベンスンに「恐怖の山」という作品もある。探せばまだまだあるにちがいない。そのうち架空アンソロジーを編んでみよう)。

 三冊を通じて登場するのが、ボルヘス、デイヴィッドスン、ラファティ、ゼラズニイ、カー自身。二回登場したのが、ビーグル、ディッシュ、バラード、ブロック。編者のねらいが那辺にあったのかよくわかる。いわゆる異色作家短篇をプロモートすることで、従来のファンタシー観を変えていこうとしたのである。
 前に書き忘れたのが、旧来のファンタシー観には、いわゆるアンノウン型ファンタシーを偏重するSFファン特有の思考法(ファンタシーはSFの一部である)もふくまれる。この誤解はわが国でも40代以上の読者にしばしば見られるもので、当方などよく歯噛みしたものだが、カーも似たような気持ちだったのではないだろうか。

 念のために書いておくが、表題に見られるように、本書のねらいは「新しいファンタシー」である。メリルがめざした「SFの拡大」とはちがう。
 ボルヘスを大きくとりあげたのは、非英語圏作家を重視する(当時の)カーの姿勢のあらわれだろう。『伝奇集』の英訳が1962年なので、カーがボルヘスに注目したのは、アメリカではかなり早い時期だった。

 それにしても、あらためて作品を列記すると、自分がこのラインナップからいかに強い影響を受けているかわかる。蛇足だが、「チャリティからのメッセージ」もそのうち新訳を世に出す予定である。乞御期待(追記参照)。(2006年7月10日)

【追記】
「チャリティのことづて」の訳題で拙編のアンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009)に収録した。


 

2012.08.14 Tue » 『ファンタシーの新世界第二集』

 昨日につづいてテリー・カー編の New Worlds of Fantasy #2 (Ace, 1970) を紹介する。

2006-7-9(New Worlds 2)

 25年以上も前、いまは亡き東京泰文社に通いはじめたころに買った本なので、ことのほか愛着が強い。当時はろくに英語が読めなかったが、ケリー・フリースのイラストを見ているだけでも楽しかった。

 収録作品はつぎのとおり――

「石化世界」ロバート・シェクリー
The Scarlet Lady キース・ロバーツ
They Loved Me in Utica アヴラム・デイヴィッドスン
「バベルの図書館」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「災厄の船」バリントン・J・ベイリー
Window Dressing ジョアンナ・ラス
「大瀑布」ハリー・ハリスン
「霧の夜の出来事」クリス・ネヴィル
A Queit Kind of Madness デイヴィッド・レッド
The Old Man of the Mountain テリー・カー
「旅の途中で」ブリット・シュヴァイツァー
Backward, Turn Backward ウィルマー・H・シラス
His Own Kind トマス・M・ディッシュ
Perchance to Dream キャサリン・マクレイン
「ラザルス」レオニード・アンドレイエフ
「みにくい海」R・A・ラファティ
「ムーヴィー・ピープル」ロバート・ブロック
「重要美術品」ロジャー・ゼラズニイ

 このうちデイヴィッドスン、ラス、シラス、ディッシュ、マクレインの作品は書き下ろし。なかなか意欲的な仕事ぶりだ。

 今回もボルヘス、アンドレイエフと非英語圏作家がはいっているのが特徴。カーも文学青年だったのだなあ。 
 ベイリーの名前は意外だが、これはダンセイニ風のファンタシー。だれでもいちどはこういうのを書きたくなるものらしい。隠れた秀作。

 ロバーツの作品は、キングの『クリスティーン』も真っ青の殺人自動車の話。近く創元から出すモンスター小説傑作選に入れるので、乞御期待(追記参照)。(2006年7月9日)

【追記】
 ここでとりあげたロバーツの作品は「スカーレット・レイディ」として、拙編のアンソロジー『千の脚を持つ男――怪物ホラー傑作選』(創元推理文庫、2007)に収録した。
 さらにシラスの作品を「かえりみれば」の訳題で拙編のアンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009)に収録した。
 ディッシュの作品は、若島正編のアンソロジー『狼の一族』(早川書房、2007)の表題作となった。


2012.08.13 Mon » 『ファンタシーの新世界』

 テリー・カー編のアンソロジーといえば、忘れてはならないのが、1970年前後に出た『ファンタシーの新世界』シリーズ3冊だ。

 当時のアメリカでファンタシーといえば、多くの場合は『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』といった作品を指す言葉であり、児童文学とほぼ同義だった。そういう状況を変えようとして、いっぽうではリン・カーターが〈剣と魔法〉系統の小説をせっせとプロモートし、いっぽうではテリー・カーが、いわゆる異色作家短篇や幻想小説をプロモートしていた。
 当方はどっちの系統も好きなので、この人たちの編んだファンタシーのアンソロジーはたいてい持っているし、その作品選択には強い影響を受けている。しばらく、そのあたりのことを書いてみよう。

 まずはカーの New Worlds of Fantasy (Ace, 1967) である。

2006-7-8(New Worlds 1)

 ケリー・フリースのイラストが各篇の冒頭に配されていて、持っているとうれしい本だ。内容もなかなかいい。ちょっと長くなるが、収録作品を見てもらおう――

「聖なる狂気」ロジャー・ゼラズニイ
Break the Door of Hell ジョン・ブラナー
「不死の人」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「せまい谷」R・A・ラファティ
「彗星の美酒」レイ・ラッセル
The Other キャサリン・マクリーン
A Red Heart and Blue Roses ミルドレッド・クリンガーマン
Stanley Toothbrush テリー・カー
「リスの檻」トマス・M・ディッシュ
「死神よ来たれ」ピーター・S・ビーグル
「ナックルズ」カート・クラーク
「消えたダ・ヴィンチ」J・G・バラード
「ティモシー」キース・ロバーツ
Basilisk アヴラム・デイヴィッドスン
The Evil Eye アルフレッド・ギレスピー

 ちなみに、カート・クラークは、ドナルド・E・ウェストレイクの筆名(のひとつ)。
 
 SFファンになじみのある名前をならべたうえで、ボルヘスやビーグルの作品を混ぜるという作り。非リアリズム小説で、児童文学以外ならなんでもあり、という非常に範囲の広いラインナップだ。おそらくジュディス・メリルの仕事を意識していたのだろう。イギリス勢が多い点など、ニュー・ウェーヴ運動を意識していたのは明らかだ。
 正直いって玉石混淆だが、意欲的な目次であることはまちがいない。なかでもボルヘス、ラファティ、ビーグルの作品は、傑作といっていい。
 
 未訳作品について触れておくと、いちばん良かったのはクリンガーマンの作品。ひょんなことから家にはいりこんできた図々しい男の話だと思っていると、だんだん超自然ホラーになるが、すべては語り手の妄想ともとれる。題名は男の腕に彫ってある刺青のこと。
 カーの作品は、思念の実体化現象をあつかった軽めのファンタシーで、一種のラヴ・コメディになっている。
 ブラナーの作品は《黒衣の旅人》シリーズ第二作。皮肉な味わいが持ち味の〈剣と魔法〉で、ちょっとヴァンス風。
 デイヴィッドスンの作品は「どんがらがん」の続編であり、このアンソロジーのための書き下ろし。
 ギレスピーの作品は、〈恐るべき子供〉と〈未来を写すカメラ〉というモチーフの組み合わせ。前衛的とまではいかないにしろ、かなり風変わりな叙述形式で書かれている。初出は〈サタデイ・イヴニング・ポスト〉だそうだ。ちょっと驚いた。(2006年7月8日)

2012.08.12 Sun » 『彼方からの化けもの』

 テリー・カー編のアンソロジーに Creatures from Beyond (Thomas Nelson, 1975) という本がある。表題からわかるように、モンスター小説アンソロジー。薄いハードカヴァーで、造りが安っぽいうえに、表紙絵も冴えないが、内容はなかなかいい。

2006-7-7(Creatures)

 収録作品はつぎのとおり――

「怪音」デイヴィッド・H・ケラー
「擬態」ドナルド・A・ウォルハイム
「それ」シオドア・スタージョン
「花と怪獣」ヘンリー・カットナー
「生まれつきの猫もいる」テリー&キャロル・カー
「白夜」ブライアン・W・オールディス
The Silent Colony ロバート・シルヴァーバーグ
The Street That Wasn't There クリフォード・D・シマック&カール・ジャコビ
「ディア・デビル」エリック・フランク・ラッセル

 じつはケラー作品の原文がほしくて買った。そのうち新訳してお目にかける。原題は“The Worm”だし、巨大ミミズ怪獣が出てくる話なので、題名は「妖虫」に変えるつもり。乞御期待(ついでながら、スタージョンの作品も新訳するつもり【追記参照】)。

 編者が自作をまぎれこませているのはご愛敬。夫婦ではじめて合作した作品なので、とりわけ愛着があるとのこと。
 ラッセルの作品は、隠れた傑作なのでなんとかふたたび世に出したい。心やさしい異星人を描いたハートウォーミングな佳品である。

 未訳作品について記しておくと、シルヴァーバーグは54年発表のショートショート。ファースト・コンタクトものだが、箸にも棒にもかからない駄作。
 シマック&ジャコビという組み合わせには驚くが、同じSFファン・グループに属していた縁での共作。たぶんシマックがアイデアを出して、ジャコビが大部分の文章を書いたのだろう。ハーネスの「現実創造」のような話だが、出来のほうはたいしたことがない。これは41年発表の作品。(2006年7月7日)

【追記】
 上に書いたとおり、ケラー「妖虫」とスタージョン「それ」は、怪物ホラー傑作選と銘打ったアンソロジー『千の脚を持つ男』(創元推理文庫、2007)に新訳版を収録した。


2012.08.11 Sat » 『時間と恐怖のあいだ』

 ホラーSFアンソロジー『影が行く』(創元SF文庫、2000)を作っていたとき手に入れたのが、ロバート・ワインバーグ、ステファン・ジェミアノウィッツ(Stefan Dziemianowicz)&マーティン・H・グリーンバーグ編の Between Time and Terror (ROC, 1995)だ。「影が行く」の原文テキストがほしくて買ったのだが、編者の趣味が当方とまったく同じで大喜びした本。

2006-5-13(Between)

 まずはラインナップを見てもらおう――

「宇宙からの色」H・P・ラヴクラフト
「千の足を持つ男」フランク・ベルナップ・ロング
「ヨー・ヴォムビスの地下墓地」クラーク・アシュトン・スミス
「影が行く」ジョン・W・キャンベル・ジュニア
「かれら」ロバート・A・ハインライン
It Happened Tomorrow ロバート・ブロック
「夢魔」レイ・ブラッドベリ
「闇を行く」アーサー・C・クラーク
「父さんもどき」フィリップ・K・ディック
「男と女から生まれたもの」リチャード・マシスン
「地獄の火」アイザック・アシモフ
「悪夢団」ディーン・クーンツ
「ソフト病」F・ポール・ウィルスン
Ticket to Heaven ジョン・シャーリー
「転移」ダン・シモンズ
「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」デイヴィッド・マレル
「欲望の時代」クライヴ・バーカー

 新旧の大物をずらりと揃えたうえで、ロングの怪作をまぎれこませるところがにくい。見てのとおり、「怖いSF」と「SFっぽいホラー」を集めている。
 当方の構想とはスミス、キャンベル、ディックが重なったので、ディックは「探検隊帰る」と差し替え、代わりにクーンツの作品を採らせてもらった。
 ちなみに、ブロックの作品は135枚のノヴェラで、機械が人間に対して一斉に叛乱を起こしたら、というパニックもの。いまとなっては読むに値しない愚作。シャーリーの作品は、つまらなかったという記憶しか残っていない。

 それにしてもこのヴォリューム。『影が行く』の倍近い厚さになるだろう。うらやましいかぎりである。(2006年5月13日)

【追記】
 上記のスミス、キャンベル・ジュニア、クーンツの作品を収録したアンソロジー『影が行く』は、しばらく品切れになっていたが、表題作「影が行く」3度めの映画化である「遊星からの物体X ファーストコンタクト」の公開に合わせ、新カヴァーで増刷された。鈴木康士氏がじつに雰囲気のある絵を描いてくれて、うれしいかぎりだ。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488715014
 
 この後、ロングの怪作も新訳し、一字ちがいの「千の脚を持つ男」として、拙編のアンソロジー『千の脚を持つ男――怪物ホラー傑作選』(創元推理文庫、2007)に収録した。

2012.08.09 Thu » 『火星探査機』

【前書き】
 日本時間6日午後2時32分、NASAの無人探査機キュリオシティが火星着陸に成功した。このキュリオシティは、全長3メートル、重量約900キロと過去最大の探査機である。大活躍したスピリットとオポチュニティ以上の成果をあげてくれるだろう。この快挙を祝って、以下の日記を公開する。


 宇宙開発をテーマにしたSFアンソロジーを編もうと思っている、と前に書いた。その話が正式に決まりそうなのだが、なんと刊行は7月を予定しているとのこと。断っておくが、来年ではなく今年の7月である。担当は雑誌の編集が本業なので、文庫本も雑誌の感覚で作るということなのか。
 ちょうどいま7月に出る予定のべつの本のゲラを見ているところ。なんにせよ、急に忙しくなったことはまちがいない。これから綱わたりがつづきそうだ。果たして無事にわたり切れるだろうか(追記1参照)。

 その関係で読んだ本を紹介しておこう。ピーター・クラウザー編の Mars Probes (DAW, 2002) である。

2010-4-18(Mars Probes)

 題名どおり、火星をテーマにした書き下ろし作品を集めたアンソロジー。以前この日記で紹介した Moon Shots (1999) につづくものということになる(追記2参照)。
 イギリスの高名な天文学者で、クラークの親友としても知られるパトリック・ムーアの序文、レイ・ブラッドベリの旧作「恋心」の再録のあと16人の作家による15の新作がおさめられている。

 例によって日本で本が出ている作家だけあげると――

アレステア・レナルズ、マイク・レズニック(&M・シェイン・ベル)、ジェイムズ・ラヴグローヴ(ジェイ・エイモリーの別名義)、イアン・マクドナルド、スティーヴン・バクスター、ジーン・ウルフ、ポール・マコーリー、ブライアン・オールディス、パトリック・オリアリー、マイクル・ムアコック

 かなり豪華な顔ぶれで、前作同様イギリス作家が多いのが特徴。

 もっとも、表紙やパトリック・ムーアの序文から想像されるようなハードな宇宙SFはすくなく、人類初の有人火星探査にまつわる秘話をジャーナリスティックな手法で綴ったアレン・スティールの “A Walk across Mars” くらい。ただし、これも改変歴史上の出来事であり、ストレートな宇宙開発ものではない。

 むしろ従来のSFに描かれてきた火星像を下敷きにした作品、いい換えれば現実の火星とは縁もゆかりもない幻想空間として火星をあつかった作品が多い。
 その最たる例が、ポール・ディ・フィリポの “A Martian Theodicy” やムアコックの “Lost Sorceress of the Silent Citadel” だろう。前者はスタンリー・G・ワインボームの古典「火星のオデッセイ」の偶像破壊的続篇、後者はリイ・ブラケットにオマージュを捧げた大時代なプラネタリー・ロマンスである。

 スコット・エルダーマンの “Mom, the Martians, And Me” のように、火星はメタファーの機能しかない作品もある。つまり、夫が若い愛人と駆け落ちしたという現実を受け入れられない女性が、「夫は火星人にさらわれた」という幻想を作りあげるのだ(最後にひとひねりあって、けっこう笑える作品だが)。

 いちばん面白かったのは、ジェイムズ・モロウの “The War of the Worldviews” という作品。いうまでもなく、題名はウェルズの『宇宙戦争』のもじりである。

 登場するのは、身長数センチのフォボス人とダイモス人。両者はもともと火星で生まれた同じ種族だが、世界観のちがいで二派に分かれ、衛星に移住して独自の進化をとげた。そして対立が激化。ついには直径1メートルの円盤に乗って地球へ飛来し、そこで戦争をはじめてニューヨークを壊滅に追いこむのである。
 
 話は戦争に巻きこまれた地球人精神科医の視点で進み、彼の患者である狂人とその仲間たちが、奇想天外な方法で地球を救うまでを描いている。ブラックユーモアたっぷりで、ちょっと筒井康隆を彷彿とさせる。作者の小説をはじめて面白いと思った。なるほど、これがモロウの本領なのか。(2010年4月18日)

【追記1】
 この本は『ワイオミング生まれの宇宙飛行士――宇宙開発SF傑作選』(ハヤカワ文庫SF、2010)として無事に刊行された。

【追記2】
 前後するが、同書はつぎに紹介する。

2012.08.08 Wed » 『リール・スタッフ』

 昨日につづいて、アチラのSF映画原作アンソロジーをあげる。
 ブライアン・トムゼン&マーティン・H・グリーンバーグ編の The Reel Stuff (DAW, 1998) だ。こちらはペーパーバックで、アッカーマン&スタインの本にくらべればスリムだが、『地球の静止する日』(創元SF文庫)にくらべれば倍近くのヴォリュームがある。

2006-5-11 (Reel Stuff)

 収録作品を記す――

「擬態」ドナルド・A・ウォルハイム
「変種第二号」フィリップ・K・ディック
Amanda And the Alien ロバート・シルヴァーバーグ
「サンドキングズ」ジョージ・R・R・マーティン
「追憶売ります」フィリップ・K・ディック
「空襲」ジョン・ヴァーリー
「禁じられた場所」クライヴ・バーカー
「記憶屋ジョニイ」ウィリアム・ギブスン
「わが友なる敵」バリー・ロングイヤー
「ナイトフライヤー」ジョージ・R・R・マーティン
「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」H・P・ラヴクラフト

 一篇だけ邦訳のないシルヴァーバーグの作品は、なんにでも化けられる異星人が、たまたま17歳の少女の体を同化吸収して収容所から脱走したはいいが、同じ17歳の少女に正体を見破られたためひどい目にあう話。いかにも作者らしい古典的SFのアップ・トゥ・デート版。

 さて、ディックとマーティンは2篇ずつ載っている。アッカーマン&スタインの本とは重複が4篇。安易な造りといわざるを得ないが、お買い得用パックならこれでいいのだろう。
 拙著に採った作品は、ウォルハイムの「擬態」だけである。

 こういうお徳用パックの需要は、わが国にもありそうな気がする。だが、こういうアンソロジーを作ると、酷評と罵倒の声しか聞こえてこないので、なかなか作る気になれないのだ。
 しかし、そういう声は気にせず、お徳用パックを作ったほうがいいのかもしれない。(2006年5月11日)

2012.08.07 Tue » 『リール・フューチャー』

【前書き】
 以下は2006年5月10日に記したものである。


 たまには仕事の舞台裏について書いてみよう。

 3月にSF映画原作傑作選と銘打ったアンソロジー『地球の静止する日』(創元SF文庫)を出した。そこでも触れたが、海の向こうではその手のアンソロジーが何種類も出ている。当然ながら、拙著を編むにあたっては参考にさせてもらった。
 その一例がフォレスト・J・アッカーマン&ジーン・スタイン編の Reel Future (SFBC, 1994) である。ただし、当方が持っているのは Barnes & Noble から出た普及版。題名は Real Future とかけてあるのだろう。ちょっとうまく訳せない。

2006-5-10(Reel Future)

 ハードカヴァー538ページの大著で、レイモンド・F・ジョーンズの長篇がまるごと収録されているほか、160枚から220枚のノヴェラが4篇も収録されている。あとは110枚以下の中短篇が11篇。文庫で出したら3分冊になるだろう。まことに贅沢な造りで、うらやましいかぎりだ。

 ちょっと長くなるが、収録作品を記しておく――

「アリの帝国」H・G・ウェルズ
「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」H・P・ラヴクラフト
Armageddon 2419 A.D. フィリップ・フランシス・ノーラン
「影が行く」ジョン・W・キャンベル・ジュニア
「主人への告別」ハリイ・ベイツ
This Island Earth レイモンド・F・ジョーンズ
「刺青の男」レイ・ブラッドベリ
「前哨」アーサー・C・クラーク
「七番目の犠牲」ロバート・シェクリイ
「デス・レース二〇〇〇年」イブ・メルキオー
「蝿」ジョルジュ・ランジュラン
「朝の八時」レイ・ファラデー・ネルスン
「追憶売ります」フィリップ・K・ディック
「地獄のハイウェイ」ロジャー・ゼラズニイ
「わが友なる敵」バリー・ロングイヤー
「空襲」ジョン・ヴァーリー

 本書収録の作品にはひと通り目を通したが、『地球の静止する日』に採用したのはベイツの1篇だけ。アンソロジーの編纂が、いかに効率の悪い作業か、おわかりいただけるだろう。(2006年5月10日)

2012.08.06 Mon » 『ハリウッド展開』

 しばらく前に手に入れた本に Hollywood Unreel (Taplinger, 1982) というアンソロジーがある。題名どおり、ハリウッドにまつわる幻想怪奇小説やSFを集めたもの。編者は悪名高きマーティン・H・グリーンバーグ&チャールズ・G・ウォー。アシモフがからんでないのは、テーマに興味がなかったからか。

2006-3-22(Hollywood)

 序文があるわけでもなく、各篇に簡単な前書きがつくだけで、味も素っ気もない本だが、収録作品は悪くない。スタンダードをきちんと押さえた上で、珍しい作品を載せている。全13篇のうち、邦訳があるのはつぎのとおり(追記1参照)――

「希望を実現した男」C・S・フォレスター
「SF・怪奇映画ポケット・コンピュター」ゲイアン・ウィルスン
「努力」T・L・シャーレッド
「ムーヴィー・ピープル」ロバート・ブロック
「草地」レイ・ブラッドベリ
「台詞指導」(別訳題「五番街のバス」)ジャック・フィニイ

 未訳作品のなかでは、J・マイクル・リーヴズの“Werewind”が抜群にいい。題名どおり、「生きている風」をあつかったホラー・タッチの綺譚である。ほかに目につくのはベン・ヘクトの中篇、ロバート・シェクリイのニュー・ウェーヴ風短篇といったところか。

 さて、なんでこの本を買ったかというと、フィニイの短篇を近く新訳するつもりだから。思わせぶりな記述がつづくが、版権等の問題がクリアされたら、企画中のアンソロジーの詳細を書くことにする(追記2参照)。(2006年3月22日)

【追記1】
 この後ロバート・シェクリイ「けっして終わらない西部劇」と、トマス・M・ディッシュ「ジョイスリン・シュレイジャー物語」が邦訳された。どちらも〈SFマガジン〉の追悼特集号に掲載されたもの(前者は2006年11月号、後者は2009年5月号)。無常なり。

【追記2】
 アンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009)のこと。フィニイの作品は新訳して同書に収録した。福島正実訳に敬意を表して、題名は「台詞指導」とした。


2012.08.05 Sun » 『SFアルゴ探検隊』

 いい機会なのでアンソロジーの話をつづけたい。

 SF入門的なアンソロジーは星の数ほどもあるが、なかでも読み応えのある一冊として、デーモン・ナイト編の A Science Fiction Argosy (Simon & Schuster, 1972) があげられる。題名を直訳すると、レイ・ハリーハウゼンの特撮映画みたいだが、「SF秀作の大船団」くらいの意味だろう。

2006-2-19(Argosy)

 全26篇収録なのだが、驚いたことに長篇が2冊まるまる収録されている。ベスターの『分解された男』(創元SF文庫)とスタージョンの『人間以上』(ハヤカワ文庫SF)である。当時は本国でも絶版で、容易には手にはいらなかったらしい。

 この2作が収録されているのは知っていたのだが、抜粋が載っているのだとばかり思っていた。もっとも、両方を合わせても370ページで、同書の半分にも満たない。さすがに、ハードカヴァーで800ページを超える大冊だけのことはある。
 序文でナイトが「最大にして、もっとも包括的なコレクションを編むことをめざした」といっているが、まさにその通り。自分の好きな作品を全部ならべた感じで、アンソロジスト冥利に尽きるというやつだろう。

 いちばん古い作品が、1931年に発表されたジョン・コリアの「みどりの想い」、いちばん新しい作品が、1969年に発表されたロバート・シェクリイの「こうすると感じるかい?」。収録作品は著名なものが多く、大半は邦訳がある(未訳はたったの5篇)。ハードSFから不条理小説まで、SFのスペクトルはひととおり押さえられており、入門書としては最適だったのだろう。ナイト自身が、「SF中毒患者だった十代の自分に、だれかがこの本を贈ってくれたらよかったのに」と書いているのがほほえましい。

 さて、なんでこの本を買ったかというと、ロバート・M・グリーン・ジュニアの「インキーに詫びる」がはいっていたからである。近いうちに新訳しようと思っているのだ(追記参照)。詳細はまた後日。(2006年2月19日)

【追記】
 本篇は技巧の粋をつくした時間SFの秀作だが、じっさいに新訳して、当方が編んだアンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009)に収録した。


2012.08.04 Sat » 『新作SF第3集』

【承前】
 昨日コリン・キャップのことを書いたら、「タズー惑星の地下鉄」は自分にとっても思い出深い、とコメントを寄せてくださった方がいた。こんなマイナーな短篇を好きな人が、当方以外にもいるとわかってうれしいかぎり。調子に乗って、つづきを書く。

 掲題の本は、ジョン・カーネル編集のオリジナル・アンソロジー New Writings in S-F 3 (Dobson, 1965) のこと。初版はイギリス版ハードカヴァーだが、当方が持っているのは同年にバンタムから出たアメリカ版ペーパーパックである。

2007-12-2(New Writing)

 この New Writings in S-F というのは、雑誌の経営に疲れはてたカーネルが、〈ニュー・ワールズ〉を手放したあとはじめたオリジナル・アンソロジー・シリーズ。64年からカーネルが亡くなる72年までに21集を数え、その後ケネス・ブルマーが跡を継いで78年の33集までつづくという人気叢書となった。
 60年代から70年代にかけてのオリジナル・アンソロジー・シリーズというと、デーモン・ナイト編の〈オービット〉ばかりが話題になるが、ニュー・ウェーヴに対抗するオールド・ウェーヴの拠点として、イギリスSF界をささえたこのシリーズの存在も忘れてはならないと思う。
 (その人気にあやかろうとしたのか、デイヴィッド・サットン編の New Writings in Horror and the Supernatural というシリーズが70年代の頭に出たが、こちらは2冊で打ち切られた。以上蛇足。)

 題名は〈ニュー・ワールズ〉と頭文字を合わせていると思われる。カーネルとしては、同誌を発展させたものという意識があったのだろう。もちろん、憶測にすぎないが。

 さて、前置きが長くなったが、第3集の巻頭を飾るのが、問題の「タズー惑星の地下鉄」である。裏表紙を見ると、この作品だけ題名が出ていて、本集の目玉だったことがわかる。

 例によって目次を書き写しておく――

タズー惑星の地下鉄  コリン・キャップ
The Fiend  フレデリック・ポール
Manipulation  ジョン・キングストン
Testament  ジョン・バクスター
夜のオデッセイ  ジェイムズ・イングリズ
ボールターのカナリア  キース・ロバーツ
Emereth  ダン・モーガン
Spacemaster  ジェイムズ・H・シュミッツ

 ちなみにポールの作品は〈プレイボーイ〉掲載作の再録。バクスターはオーストラリア人。のちに『ヘルメス 落ちてくる地獄』(角川書店、1981)を書く人である。

 この本は、いまは亡き東京泰文社で買ったのだが、なにより「タズー惑星の地下鉄」の原文が載っているのが魅力だった。
 同書を拾い読みしているときに見つけたのが、ロバーツの作品。これは気に入って、ホラーSFアンソロジー『影が行く』(創元SF文庫、2000)に訳出した。そういう意味でも、買ってよかった本なのである。(2007年12月2日)

【追記】
 のちに〈本の雑誌〉2008年11月号が、「車を捨てよ、本を読もう!」という特集を組んだとき、「SFに出てくる変わった乗り物を紹介してくれ」という依頼に応えて一文を草した。そこで大きくとりあげたのが、この「タズー惑星の地下鉄」だった。400字詰め原稿用紙にして6枚のエッセイの半分を無名の(隠れた名作というわけでもない)作品の紹介に当てたのだから破格もいいところだが、書いた本人は手応えがあった。ちなみに題名は編集部がつけたもので、「これぞ宇宙尺取り虫航法だ!」という。

2012.08.03 Fri » 『ラムダ・1』

【前書き】
 以下は2007年12月1日に記したものである。


 イギリスのSF作家、コリン・キャップが8月3日に亡くなっていたそうだ。1928年生まれだから、享年78か79。寿命ということだろうが、やっぱり寂しい。

 訃報が広まるのがこんなに遅れるくらいだから、英米でもマイナーな存在だったとわかる。もちろん日本でも無名に近く、邦訳は短篇3つしかない。
 そのなかで比較的知られているのが、山本弘編のアンソロジー『火星ノンストップ』(早川書房、2005)に収録された「ラムダ・1」だろう。超空間航法船の事故をあつかった作品で、異様きわまりない空間の描写が読みどころだ。

 しかし、当方にとってキャップといえば、なんといっても「タズー惑星の地下鉄」である。異星に遺された地下鉄らしきものを復旧しようと悪戦苦闘する男たちをユーモラスに描いたハードSF。〈SFマガジン〉1976年2月号で読んで、浅賀行雄のイラストともども強く印象に残っている。
 この作品が属す《異端技術部隊》シリーズは、連作短篇集にまとまっているので、そのうち手に入れよう。

 残念ながら、この人の本は1冊も持っていない。それに一番近いのが、前述の「ラムダ・1」を表題作にしたアンソロジーだ。ジョン・カーネル編の Lambda 1 (Berkley, 1964) である。

2007-12-1(Lamda 1)

 この本のコンセプトが面白い。イギリスSFの現状をアメリカの読者に知らしめるのを目的としているのだ。編者はイギリスSFの牙城〈ニュー・ワールズ〉の編集長だった人で、自分の好みとは関係なく、同誌の読者に好評だった作品を集めたといっている。
 編者は序文で「本書はアメリカ国内で未発表の外国SFを外国人の編集者が編んだ初のアンソロジーである」と力説している。なるほど、英米はそれくらい離れていたのだなあ。
 
 参考までに目次を書き写しておくと――

ラムダ・1  コリン・キャップ
協定の基盤  ブライアン・W・オールディス
Quest  リー・ハーディング
All Laced up  ジョージ・ホワイトリー
定期訓練  フィリップ・E・ハイ
乱流  マイクル・ムアコック
The Last Salamander  ジョン・ラッカム

 見てのとおり〈オールド・ウェーヴ〉主体のラインナップ。62年にはバラードの「内宇宙への道はどちらか?」が発表され、64年には〈ニュー・ワールズ〉がムアコック体制に移行して、〈ニュー・ウェーヴ〉運動は始動していた。したがって、いまの目で見ると、これをイギリスSFの現状というのは違和感がある(ついでに書いておくと、ハーディングとホワイトリーはオーストラリア人)。
 それにしても、キャップとムアコックが新人として同列にあつかわれているのを見ると、隔世の感に打たれずにはいられない。

 ところで、わが国の〈SFマガジン〉は、ある時期同書を参考に掲載作を決めたと思しい。同誌65年10月号に「ラムダ・1」、66年6月号に「定期訓練」、同年7月号に「乱流」が、それぞれ訳載されているのである。(2007年12月1日)

2012.08.02 Thu » 「翡翠男の眼」のこと

 生まれてはじめてやった翻訳は、マイクル・ムアコックのエルリック・シリーズの1篇「翡翠男の眼」だった。記憶は定かではないが、たぶん大学1年のときだ。400字詰めの原稿用紙にして120枚。いまにして思えば無謀としかいいようがない。まさに虚仮の一念だ。

2006-9-15 (Jade 1)

 これを載せてもらったのが、エルリック・ファン・クラブ(以下EFCと略)発行のファンジン〈ドリーミング・シティ〉創刊号である。奥付には1981年1月1日とある。

2006-9-15(Jade)

 EFCというのは、〈剣と魔法〉系のサークル、ローラリアスの有志が作った会内派閥のようなもの。エルリック・シリーズの邦訳は、〈SFマガジン〉に載った中篇が2篇あるだけだったが(追記参照)、すでにその魅力にとり憑かれた者が多かったわけだ。

 目次を書き写すと――

エルリック・シリーズ マイクル・ムアコック
 闇の三王……訳:終鳥
 翡翠男の眼……訳:中村融
エッセイonエルリック
 Elric…? ……渡辺かおる
 わたしはエターナルチャンピオン……絵留陸
 エルリックシリーズ読後感想文……吉岡L
 ムーングラムと〈闘士の伴〉たち……市橋豊
読みもの
 エルリック・シリーズ一覧表……今村哲也
 エルリックF.C. アンケート集計
 エルリックおちこみ物語……渡辺美代子(漫画)

 表紙は黒字の紙に銀のインクで印刷。イラストを描く会員が多かったので、そっちの面が充実している。のちにプロのイラストレーターになった人もちらほら。この人たちは剣魔界というアート系のグループをべつに作って活動をはじめた。末弥純画伯とは、そちらを通じて接触したのであった。
 ちなみにエッセイを書いている「渡辺かおる」というのは、作家ひかわ玲子氏のことである。

 当方は「翡翠男の眼」の翻訳とエッセイ(市橋豊名義)を寄せている。ちなみに、この筆名の由来は当方の出身地。うしろから読んでいただきたい。
 当時ムアコックにいれこんでいた当方は、この後EFCの会長になって、会誌第2号を編集した(もっとも、2号しか出なかったが)。これが若気のいたりというやつだろうか。

 じつは数年前に河出文庫から『不死鳥の剣 剣と魔法の物語傑作選』を出すとき、この「翡翠男の眼」を新訳した。翻訳技術のほうは、さすがに多少は向上していて、ひと安心であった。(2006年9月15日)

【追記】
「夢見る都」(同誌1974年6月号)と「死せる神々の書」(同誌1974年9月号)の2篇。