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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.09.30 Sun » 『凶運の月』

 今晩は中秋の名月だという。
 そこで、月にまつわる小説を紹介したい。といっても当方がやることなので、とびっきりの怪作なのだが。アル・サラントニオの Moonbane (Bantam Spectra, 1989) である。

2012-5-7(Moon)

 そのむかし高田馬場にあった洋書店ビブロスでこの本を手にとったとき、ジム・バーンズの筆になる表紙絵を見て、「狼男が不死身になるため、スペースシャトルをハイジャックして月へ行く話だったらバカだよな」と思ったのだが、実物はもっとくだらなかった。

 物語は、ある月明かりの夜にはじまる。父親と幼い息子が星空をながめていると、夜空からつぎつぎと隕石が降ってくる。地上に落下した隕石から人狼が出現し、問答無用で人間を襲いはじめる。人狼に噛まれた人間はその同類と化すので、被害は増すばかり。じつは世界じゅうで同じ事態が起きており、文明は崩壊に追いこまれる。

 主人公の父子は、阿鼻叫喚の地獄のなか、必死の逃避行をつづける。その模様が迫力ある筆致で描かれており、けっこう手に汗握らせる。

 途中、地球に住んでいる狼は、大むかし月から来た人狼と、地球の犬とのあいだに生まれた雑種だという驚愕の真実も明かされる。狼が月に向かって遠吠えするのは、故郷を偲んでいるのだ!

 さて、父子はわずかに残った文明の拠点、ケープ・カナヴェラルへ逃げこむ。そこでは人狼族に復讐するため、月へ水爆を落としにいく準備が着々と進められていた。
 やがてスペースシャトルの打ち上げ。父親はクルーとしてシャトルに乗り組んでいるが、彼の体には小さな傷があった。人狼の牙がかすめたところに……。

 ストーリーだけとれば50年代B級SF映画みたいだが、文章はレイ・ブラッドベリばりの抒情派。なにかが根本的にまちがっているような気がしてならない。

 作者のサラントニオは、新進気鋭のホラー作家として将来を嘱望されていた人だが、けっきょく大成しなかった。わが国では短篇がいくつか訳されているほか、編集した巨大オリジナル・アンソロジー『999』(創元推理文庫・三分冊)が刊行されている。(2012年5月7日)

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2012.09.29 Sat » 秘密兵器

【承前】
 この前「買った短篇集の目次をノートに書き写す習慣がある」と書いたら、びっくりしてくれた人がいたので、そのノートの一部(The Cat's Pajamas のページ)を公開する。
 

2007-8-16(Contents)

 まず書名、版元、発行年を記載し、そのあと目次とデータを記してある。左から題名、作者名、初出、原書ページ数、推定枚数(400字詰め換算)、邦訳データである。
 “Triangle”という作品の存在に途中で気がついたことが一目瞭然だろう。

 作者名の左に書いてある数字は、5点満点による評価。もちろん最初は空白で、読んだ順に埋めていく。下の本を見てもらえばわかるとおり、読んでない作品には評価がついていない。

 洋書に関しては、ある程度たまってきた段階でノートを作りはじめたので、25年くらいの分が4冊になっている。もちろん、洋雑誌の分はべつに作ってあって、こちらは2冊。
 こういうデータは、アンソロジーを作るとき大いに役立つ。まさに秘密兵器。といっても、べつに秘密にしているわけではない。公開する機会がないだけである。
 
蛇足。
 もちろん国内の書籍・雑誌についても作ってある、こちらは中学時代から作りはじめたので30年分。かなり膨大な量になっている。ほかの人は、どうしてこういうノートを作らないのだろう。推定枚数がわからないと、気持ち悪くないのだろうか。じつに不思議。(2007年8月16日)


2012.09.28 Fri » 幽霊短篇

【前書き】
 以下は2007年8月11日に書いた記事である。


 幽霊短篇といっても、幽霊が出てくる短篇のことではない。存在自体が幽霊みたいな短篇のことだ。
 ブラッドベリの最新短篇集 The Cat's Pajamas (William Morrow, 2004) 【追記参照】の目次を見ると、

THE CAT'S PAJAMAS 123
THE MAFIOSO CEMENT-MIXING MACHINE 145

となっている。ところが、じっさいはこのあいだに“Triangle”という短篇がはさまっているのだ。

2005-4-25(Cat's Pajamas)

 同書の目次は2ページにまたがっているので、なにかの理由で前のページのいちばん下に来る「TRIANGLE 133」という一行が落っこちたのだろう。
 目次にない短篇がはいっているのだから、読者にしたらボーナスみたいなものなのだが、最初は相当にびっくりした。当方は買った短篇集の目次をノートに書き写す習慣があるのだが、あとからこの作品を追加したしだい。

 これと逆のケースもある。
 やはりブラッドベリの短篇集で Classic Stories 1 (Bantam, 1990) というのがある。これは既存の短篇集『太陽の黄金の林檎』と『ウは宇宙船のウ』を合本にしたもの。

2011-9-15 (Apple)

 ご存じのとおり、『ウは宇宙船のウ』自体が再編集本なので、重複収録作が出てくる。そこで一部の作品の間引きが行われているのだが、編集者のミスで短篇「太陽の黄金の林檎」が、両方から落ちてしまったのだ。つまり、表紙や目次には「短篇集『太陽の黄金の林檎』より」とあるにもかかわらず、表題作が消えてしまったのである。
 この重大なミスが訂正されたのは3刷から。当方もうっかりミスは多いので他人のことを笑えないが、それにしても……。
 ちなみに、当方が持っているのは6刷なので、幸か不幸か「太陽の黄金の林檎」は収録されている。

 それにしても、こういう例に遭遇すると、書誌を作るときは実物にあたらないといけないな、とあらためて思い知らされるのだった。(2007年8月11日)

【追記】
 同書は『猫のパジャマ』(河出書房新社、2008)として拙訳が出た。この時点では最新短篇集だったが、2009年に We'll Always Have Paris (William Morrow) が出て、これが生前最後の(再編集本ではない)短篇集となった。

2012.09.27 Thu » 『緑の影、白い鯨』

【前書き】
 以下は2007年6月19日に書いた記事に手を加えたものである。


 ブラッドベリほどの作家にしても未訳の長篇はあるもので、それが Green Shadows, White Whale (Knopf, 1982) だ(追記参照)。ただし、当方が持っているのは、例によって翌年バンタムから出たペーパーバック版である。表紙は、ハードカヴァー版よりこっちのほうがいいと思う。
 なお、本書の抜粋の翻訳が、日本版〈エスカイア〉に載ったそうだが、当方は未見。

2007-6-19(Green Shadows)

 題名でピンときた方もいるだろうが、ブラッドベリが50年代から書き継いでいた《アイルランドもの》の集大成。既発表の短篇をつなぎあわせ、新たな章を書き加えて1冊にしている。
 念のために説明しておくと、「緑の影」はアイルランドの風土、「白い鯨」は、ジョン・ヒューストン監督の映画「白鯨」をさす。ブラッドベリはこの映画の脚本を書くため、ヒューストンのお供で9カ月間アイルランドにわたり、監督の気まぐれにふりまわされ、身も心も疲れ切った。そのときの体験を基に書かれたのが、《アイルランドもの》なのである。

 著作権表示のページによると、組み込まれた短篇は「月曜日の大椿事」(4章)、「お邸炎上」(12章)、「オコネル橋の乞食」(13章)、「新幽霊屋敷」(15章)、「ご領主に乾杯、別れに乾杯」(18章)、「なんとか月曜を過ごす」(21章)、「四旬節の最初の夜」(22章)、“McGillahee's Brat”(23章)、「バンシー」(27章)、「冷たい風、暖かい風」(28章)、「国歌演奏短距離走者」(29章)。これらとは別枠で、第9章が“The Hunt Wedding”の題名で〈ジ・アメリカン・ウェイ〉1992年5月号に掲載されたとのこと。

 さて、このページを見たとき、あれっと思った。というのは、アイルランドを舞台に、横暴な映画監督と若い作家の確執を描いたべつの短篇を読んだことがあったからだ。ブラッドベリ特集を組んだ〈ユリイカ〉1982年2月号に載った「ゴールウェイの荒々しい一夜」(宮脇孝雄訳)である。

 ブラッドベリは自作に厳しい人なので、この短篇は使わなかったのだろうかと思いながら本書を読んだら、第6章に組みこまれていた。
 もちろん、場所も人名も文章も大幅に書き換えられている。だが、程度の差はあれ、それはほかの短篇にもいえることなので、この事実が記録から落ちるのはまずいと思う。ここに強調しておくしだい。(2007年6月19日+2012年9月24日)

【追記】
 本書はのちに『緑の影、白い鯨』(筑摩書房、2007)として邦訳が出た。訳者の川本三郎氏は、「訳者あとがき」において、原型短篇について(短篇の題名を記さず、収録短篇集名をあげるという変則的な方法で)触れておられるが、「ゴールウェイの荒々しい一夜」については触れていない。

2012.09.26 Wed » 『影絵芝居』

 レイ・ブラッドベリにまたひとつ名誉が加わった。ロサンゼルスの繁華街にある交差点が、「レイ・ブラッドベリ・スクエア」に改名されるとのこと(情報源)。この街に長く住み、この街をこよなく愛したブラッドベリも、きっと喜んでいるだろう。

 いい機会なので、ブラッドベリ・トリビュート・アンソロジーを紹介しておこう。サム・ウェラー&モート・キャッスル編 Shadow Show (William Morrow, 21012) である。
 今年の7月に出た本で、刊行の直前にブラッドベリが亡くなったので、結果的に追悼本となった。

2012-9-22(Shadow Show)

 編者のひとりウェラーは、公認伝記『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社)の著者、もうひとりのキャッスルはヴェテランのホラー作家であり、ふたりとも本書に小説を寄せている。

 編者たちの序文、ブラッドベリ本人の短いエッセイにつづき、26人の作家の新作書き下ろしが収録されている。老若男女、ジャンル作家から純文学作家まで多彩な顔ぶれがそろっており、ブラッドベリの幅広い影響力を実証した形だ。
 主な顔ぶれをあげれば、ニール・ゲイマン、マーガレット・アトウッド、ジェイ・ボナジンガ、デイヴィッド・マレル、トマス・F・モンテレオーニ、ジョー・ヒル、ロバート・マキャモン、ラムジー・キャンベル、オードリー・ニフェネッガー、ケリー・リンク、ハーラン・エリスンといったところか。

 特筆すべきは、各篇に「あとがき」がつき、それぞれがブラッドベリへの思いを綴っている点。3、4ページにわたる堂々としたエッセイを書いている人もいて、英米でブラッドベリがどのように受容されているかを示す証言として興味深い。

 もうひとつ特筆すべき点は、ブラッドベリの特定の作品のスピンオフがない点。つまり、『火星年代記』の新しいエピソードとか、『何かが道をやってくる』の後日談のようなものはないということだ。以前紹介したべつのトリビュート・アンソロジーは、スピンオフ作品が中心だったので、きわだった対照をなしている。

 各篇のブラッドベリ度には濃淡があり、ウェラーの短篇のようにブラッドベリの新作といっても通りそうなパスティーシュもあれば、アトウッドの短篇のように、ブラッドベリとはまったくべつの文体で書かれた作品もある。
 とはいえ、いずれもなんらかの形でブラッドベリへの敬意を表しており、トリビュートとしては成功している。

 集中ベストはジョー・ヒルの“By the Silver Water of Lake Champlain”。簡単にいってしまえば、ブラッドベリの名作「霧笛」と「みずうみ」を下敷きにした作品。湖畔に打ち上げられた恐竜の死骸を軸に、主人公となる少年少女のやるせなさ、諦め、怒りなどがヒリヒリするような筆致で描かれており、読む者の胸をえぐる。ジョー・ヒル恐るべし。

 僅差でつづくのが、ロバート・マキャモンの“Children of the Bedtime Machine”。文明が崩壊したあとの世界を舞台に、「就寝前のお話をする機械」(つまりベッドタイム・ストーリーを語るマシンであり、駄洒落めいた表題はここから)を手に入れた老女の話。
 この機械は一種のホログラム投影装置であり、さまざまなキャラクターがあらわれては、お話をしてくれる。そこで語られるのが、(明示はされていないが)ブラッドベリの諸作だという趣向。こうして灰色だった老女の暮らしに一条の光が射す。
 「物語の持つ力」を高らかに謳いあげており、最高のブラッドベリ・トリビュートだ。

 これの裏返しなのが、ボニー・ジョー・キャンベルの“The Tattoo”。カーニヴァルのサイドショーで見た「刺青の女」の、映画のように動いて物語を展開する刺青に魅せられ、自分も同じような刺青を入れた男の話。
 刺青は見るたびにちがう光景、ちがう物語を展開するが、かならず破局に終わる。最初は喜んでいた婚約者は刺青を嫌うようになるが、男は逆に刺青を見ることにしか関心がなくなり、人生を棒にふるのだった……。
 刺青の展開する物語が、ブラッドベリの諸作を連想させるという趣向。こちらは「物語の危険な魔力」をテーマにしており、ブラッドベリのダークな面を拡大したといえる。

 マニア感涙なのが、トマス・F・モンテレオーニの“The Exchange”。若きブラッドベリ本人とH・P・ラヴクラフトをモデルにした人物を登場させ、現実の歴史ではかなわなかった両者の出逢いを演出している。

 この調子で書いていると切りがないので、あとはべつの機会に。ともあれ、全体に水準が高いので、お勧めの一冊である。(2012年9月22日)


2012.09.25 Tue » 『戦慄』

【前書き】
 以下は2005年8月24日に書いた記事である。誤解なきように。


 9月にハヤカワ文庫NVから新装版が出る『闇の展覧会』(1980)の第二分冊『罠』に解説を書いた。ホラー・オリジナル・アンソロジーの金字塔として名高い本だが、編者カービー・マッコリーが、同書の前に編んだ原型のような本がある。それが Frights (St.Martin's, 1976) だ。ただし、当方が持っているのは翌年にワーナー・ブックスから出たペーパーバック版である。

2005-8-24(Frights)

 じつは同書は抄訳が出ている。1977年にKKベストセラーズから刊行された『心理サスペンス』がそれだ。1987年に『恐怖の心理サスペンス』と改題のうえワニ文庫に収録されたので、こちらでご存じの方が多いかもしれない。

2005-8-24(心理サスペンス)2012-9-21(Wani)

 しかし、この本を抄訳といっていいか疑問が残る。全14篇のうち7篇(+フリッツ・ライバーの序文)しか訳されてないのはいいとしても、日本で2篇を勝手に追加したうえ、全体を怪奇実話のコラム風に改変してあるのだ。
 最たる例がロバート・ブロックの作品で、新作書き下ろしが売りなのに、その作品をはずして、40年近く前の「かぶと虫」という作品と差し替えている。さらに、かぶと虫の一人称で語られる物語を三人称に書き直し、長さを半分に縮めるという荒技。
 ついでに書くと「スカラブの呪い」という新しい題名でわかるように、問題のかぶと虫は古代エジプトのフンコロガシなのだが、イラストには日本のカブトムシが描いてあるのもすごい。

2012-9-21(scarab)

 とにかく原書のコンセプトとはまったく別物なのである。もうすこし詳しいことは解説に書いたので、そちらをお読みいただきたい。

 この抄訳もどきしか読んでいなかったので、これを機会に全体を原書で読んでみた。
 未訳作品のなかでは、幽霊屋敷を新しい感覚でよみがえらせたラッセル・カークの技巧的な中篇と、ヴェトナムを舞台にしたデイヴィッド・ドレイクの植物モンスター・ホラーがなかなかの出来。ジョン・ジェイクス&リチャード・E・ペックのノスタルジックな幽霊小説も悪くない。残りはジョー・ホールドマン、R・A・ラファティ、ロバート・エイクマンといった布陣。まともな形で邦訳が出なかったのは、つくづく不幸であった。(2005年8月24日)

【追記】
 書き忘れたが、日本で追加されたもう1篇は、マクナイト・マーマーの「嵐の夜」という短篇。〈ミステリマガジン〉1966年1月号に掲載された「あらし」の流用である(どちらも矢野浩三郎訳)。
 ブロックの本来の収録作「温かい別れ」は、短篇集『殺しのグルメ』(徳間文庫)に訳出された。


2012.09.24 Mon » 『世界幻想文学賞 第二巻』

 ついでにスチュアート・デイヴィッド・シフがフリッツ・ライバーと共編したアンソロジー The World Fantasy Award Volume Two (Doubleday, 1980) も紹介しておこう。

2012-9-19(World Fantasy)

 表題どおり、世界幻想文学賞の受賞作や候補作を収録したアンソロジーで、5月24日に公開した記事 でとりあげた第一巻(ゲイアン・ウィルスン編)につづき、第2回と第3回の分を総括している。
 といっても、作品選択にあたってはかなり知恵を絞っているので、そのあたりの解説つきで目次を簡略化して書き写してみよう――

1 Terror, Mystery,Wonder  フリッツ・ライバー(序文)
2 鞭うたれた犬たちのうめき  ハーラン・エリスン(第2回短篇集部門候補作 Deathbird Stories より)
3 呪われた村〈ジェルサレムズ・ロット〉  スティーヴン・キング(第2回長篇部門候補作『呪われた町』の代わりとしてスピンオフ短篇を)
4 十月のゲーム  レイ・ブラッドベリ(第2回生涯功労賞部門ノミネートを祝して、第1回大会で朗読された作品を)
5 煙のお化け  フリッツ・ライバー(第2回生涯功労賞受賞者の自選作品)
6 ベルゼン急行  フリッツ・ライバー(第2回短篇部門受賞作)
7 夢幻泡影 その面差しは王に似て  アヴラム・デイヴィッドスン(第2回短篇集部門受賞作『エステルハージ博士の事件簿』より)
8 The Ghastly Priest Doth Reign  マンリー・ウェイド・ウェルマン(第2回短篇集部門、生涯功労賞部門ノミネートを祝して)
9 エジプトからの訪問者  フランク・ベルナップ・ロング(第2回短篇集部門、特別賞プロ部門、生涯功労賞部門ノミネートを祝して)
10 真夜中のハイウェイ  デニス・エチスン(第3回短篇部門候補作、ならびに第3回短篇集・アンソロジー部門受賞作 Frights より)
11 The Barrow Troll  デイヴィッド・ドレイク(第2回短篇部門候補作、ならびに第3回特別賞部門受賞者シフが編集している雑誌〈ウィスパーズ〉より)
12 Two Suns Setting  カール・エドワード・ワグナー(第3回短篇部門候補作、ならびに第2回特別賞ノンプロ部門受賞出版社カーコサの主幹として)
13 恐怖の遊園地  ラムジー・キャンベル(第3回短篇部門候補作、ならびに第3回短篇集・アンソロジー部門受賞作 Frights より) 
14 There's a Long, Long Trail a Winding  ラッセル・カーク(第3回短篇部門受賞作、ならびに第3回短篇集・アンソロジー部門受賞作 Frights より)

 このほかシフの前書き、特別賞プロ部門を受賞した出版社ドナルド・M・グラント、オルタネート・ワールド・レコーディング社、特別賞ノンプロ部門を受賞したカーコサ、スチュアート・デイヴィッド・シフ=〈ウィスパーズ〉、画家部門を受賞したフランク・フラゼッタ、ロジャー・ディーンの功績を称える文章、候補作リストが載っており、画家部門の候補となったティム・カーク、スティーヴ・フェビアンの絵が別刷りで2枚ずつ収録されている。ちなみに、表紙絵は受賞者のロジャー・ディーンの手になるもの。

 未訳作品について簡単に触れておくと、1は長文の幻想怪奇文学論。8はアメリカ南部を舞台にした田舎ホラー。11はヒロイック・ファンタシー。12もヒロイック・ファンタシーで、作者の代表作《ケイン》シリーズに属す1篇。14は幽霊屋敷ものの秀作である。

 シフが編集の才を発揮しており、読み応えのあるアンソロジーだが、残念ながらこのシリーズは2巻で終わった。(2012年9月19日)

【追記】
 書き忘れたが、「個人短篇集」部門は、第3回から「短篇集・アンソロジー」部門に変更された。
 文中に何度か出てくる「第3回短篇集・アンソロジー部門受賞作 Frights 」については次回とりあげる。

2012.09.23 Sun » 『囁き』

 ついでにスチュアート・デイヴィッド・シフ編《ウィスパーズ》シリーズの第一集 Whispers (Doubleday, 1977) も紹介しておく。ただし、当方が持っているのは、例によって87年にジョーヴから出たペーパーバック版だが。

2012-9-18(Whispers)

 シフの序文につづいて20の作品が収録されている(うち12篇が再録、残りが書き下ろし)。邦訳があるのは、当方の知るかぎり、カール・エドワード・ワグナー「棒」、ロバート・ブロック「道を閉ざす者」、ジョン・クロウリー「古代の遺物」、ラムジー・キャンベル「煙突」の4篇。

 上記以外の面々で目立つのは、デイヴィッド・ドレイク、フリッツ・ライバー、ウィリアム・F・ノーラン、ヒュー・B・ケイヴ、デニス・エチスン、リチャード・クリスチャン・マシスン、レイ・ラッセル、ブライアン・ラムリー、ロバート・エイクマン、ジョゼフ・ペイン・ブレナン、マンリー・ウェイド・ウェルマンといったところだろう。
 
 新旧とりまぜた顔ぶれだが、全体としてはヴェテラン作家の貫禄勝ち。集中ベストはワグナーの傑作だが、つぎに来るのはブロック、ブレナンといったオールド・タイマーの作品だ。

 ブロックの作品は、短篇集『殺しのグルメ』(徳間文庫)に訳出されているので、くわしい説明は省くが、作者自身と自作を題材にしたメタ・ホラーであり、自虐をいとわない作風がすばらしい。老いてますます盛ん、という感じだ。

 ブレナンの作品“The Willow Platform”は、悪魔の召喚を題材にした田舎ホラーで、ラヴクラフト・パスティーシュの趣がある。古風だが、迫力は満点。

 あとはロビン・スミスという英国人作家の“The Inglorious Rise of the Catsmeat Man”という短篇が面白い。超自然の要素のない殺人鬼もので、シフも述べるとおり、アンブローズ・ビアスを連想させるブラック・ユーモアたっぷりの作品である

 ちなみに、ラムリーの短篇“The House of Cthulhu”は、雑誌〈ウィスパーズ〉第1号の巻頭を飾った作品だという。超古代大陸を舞台に、邪神クトゥルーの館へ攻めこもうとする蛮人戦士たちの活躍を描いており、「たぶん、プロ作品としては初のヒロイック・ファンタシー版《クトゥルー神話》だろう」とシフは述べている。(2012年9月18日)

2012.09.22 Sat » 『囁き 第三集』

 ホラー&ダーク・ファンタジー専門誌〈ナイトランド〉3号が発売された。内容は版元のサイトを参照していただくとして、まずは無事な刊行を祝いたい。

 当方は今号にカール・エドワード・ワグナーの中篇「夜の夢見の川」を訳出した。このエロティック・ホラーの秀作を紹介するのは念願だったので、それが実現してとてもうれしい。
 ちなみに、風変わりな題名は、ミュージカル「ロッキー・ホラーショウ」からの引用。元の詞は「The darkness must go down the river of night's dreaming」である。
 ワグナーがこの作品の一部で試みた特異な文体を、どこまで日本語に移せたかは心もとないが、ひとりでも多くの人にこの作品を読んでもらいたい。

 さて、「夜の夢見の川」は、スチュアート・デイヴィッド・シフが編んだアンソロジー Whispers Ⅲ (Doubleday, 1981) に発表された。ただし、当方が持っているのは、例によって1988年にジョーヴから出たペーパーバック版である。

2012-9-17(Whispers 3)

 すこし説明が必要だろう。
 もともとシフは〈ウィスパーズ〉というホラー系のセミプロジンを発行していた。1973年から87年にかけて、不定期で16号(合併号があるので、名目上は24号)を出し、ホラー不遇の時代に貴重な短篇発表の場を作った。その功績を認められ、4度も世界幻想文学賞に輝くなど、非常に評価が高い。

 この成功を承け、シフは大手出版社と契約を結び、アンソロジストとしても活躍をはじめる。最初に手がけたのが、雑誌と同名の《ウィスパーズ》というシリーズだった。
 これは雑誌〈ウィスパーズ〉から選びぬいた作品に、書き下ろしの新作を加えたもの。1977年から87年にかけて全部で6冊が出たほか、そこからさらに選りすぐった作品に新作を加えた The Best of Whispers (1994) が出ている。
 今回とりあげるのは、アンソロジーのほうの第三集というわけだ。

 シフの序文につづいて、14篇がおさめられている(うち5篇が再録で、残りは書き下ろし)。邦訳があるのは、当方の知るかぎり、デニス・エチスン「最後の一線」、ラムジー・キャンベル「自分を探して」、カール・エドワード・ワグナー「夜の夢見の川」の3篇である。

 パルプ時代の生き残りから、モダンホラー世代まで、ヴァラエティ豊かな顔ぶれがそろっている。めぼしい名前をあげると、上記に加え、デイヴィッド・ドレイク、ヒュー・B・ケイヴ、フィリス・アイゼンシュタイン、ロジャー・ゼラズニイ、フランク・ベルナップ・ロング、フリッツ・ライバー、ウィリアム・F・ノーランといったところ。

 未訳のなかでいちばんいいのは、アイゼンシュタインの“Point of Departure”だろう。ゴーストストリー仕立てで兄妹の和解を描いた作品で、古風な枠組みながら、現代感覚が横溢している。

 次点はチャールズ・E・フリッチの“Who Nose What Evil”か。題名からして駄洒落だが、内容も相当におかしい。ある日めざめると、鼻のなかにお姫さまと悪い魔法使いに住みつかれていた男の話。フェアリー・テール風の不条理小説かと思っていると、強烈なバッド・エンディングが待っている。

 僅差でつづくのが、ゼラズニイの“The Horse of Lir”。ネス湖の怪物を思わせるシーサーペントを代々世話している一族の話。静謐な雰囲気がすばらしい。これはどこかに訳したいものだ。(2012年9月17日)

2012.09.21 Fri » 『四次元立方体に囚われて』

【承前】
 SF作家の評伝でピンのほうといえば、デイヴィッド・ケッタラーの Imprisoned in a Tesseract : The Life and Work of James Blish (The Kent State University Press, 1987) があげられる。副題のとおり、ジェイムズ・ブリッシュの評伝。大判ハードカヴァーで400ページを超える大著である。

2007-1-26(Blish)

 ブリッシュは、いまでは《スター・トレック》のノヴェライズを書いた作家として名前が残るのみだが、かつてはハードSFの雄として鳴らした。この本は、ブリッシュのデビュー作から絶筆まで、すべてのSF小説に言及した大労作である。
 SF小説と断ったのは、パルプ時代の作家らしく、変名で冒険小説や探偵小説なども書いていたため。さすがに、そこまでは調査しきれなかったらしい。だが、これだけでも大変なものだ。

 著者はカナダの英文学教授。アカデミックなSF批評家としてはトップ・クラスで、この人が書いたカナダSF史の本も面白かったおぼえがある。本書も篤実というしかない仕事ぶりで、ブリッシュのSFすべてを(駄作としかいえない短篇までふくめて)丁寧に読み、全体像のなかに位置づけている。
 伝記の部分もけっこう面白くて、謹厳実直なイメージのあるブリッシュだが、若いころはかなり無茶苦茶をやっていたようだ。ヴァージニア・キッドとの結婚生活のくだりは、ゴシップ好きが喜びそうである。

 当方はブリッシュの代表作『悪魔の星』(創元SF文庫)が復刊されるにさいして解説を書いたのだが、そのときずいぶんとこの本のお世話になった。ケッタラーさんには足を向けて寝られないのであった。(2007年1月26日)



2012.09.20 Thu » 『リイ・ブラケット――アメリカの作家』

 SF作家の評伝にもピンからキリまであって、今回の本はキリのほう。ただし、これは飽くまでも外見/体裁の話であって、内容がキリというわけではないので、誤解なきように。

 ものはジョン・L・カーという人が書いたリイ・ブラケットの評伝 Leigh Brackett: American Writer (Chris Drumm, 1986) 。版元名を見ればわかる人はわかるだろうが、ファン出版の見本のような本である。
 いま計ったら、サイズは縦17.6センチ、横10.3センチ(大きめの手帳くらい)。ワープロのプリントアウトをそのまま版下にして、上質紙に印刷。ホッチキスで2箇所を留めて68ページの小冊子にしたもの。それでもISBNがついているから、立派な出版物である。

2007-1-27(Leigh)

 ジャック・ウィリアムスンの序文につづいて、著者の謝辞があり、本文がはじまる。本文は「背景」と「作家」の二部に分かれており、前者では作家になるまでの生い立ちが、後者では作家としての業績が主に記されている。
 SFだけではなく、探偵小説(ハードボイルド)、西部小説、映画/TVの脚本家としての活躍にも等分にページが割かれているのが特徴。これらのジャンルが、いずれも「アメリカ的」なものなので、本書の副題が生まれたのだろう。

 とはいえ、ブラケットが亡くなったあとのプロジェクトなので、本人の証言がとれなかったのが弱点。したがって、「これはわたしの推測だが」という断りが随所にはいる。著者もいうように、伝記としてはスケッチにとどまっている。
 しかし、ブラケットについてまとまった記事は珍しいので、たいへん貴重な資料であることはまちがいない。当方もずいぶんと勉強させてもらった。

 ところで、ブラケットがハリウッドに進出したきっかけは、最初の単行本『非情の裁き』(扶桑社ミステリー)をハワード・ホークスがたまたま読んで気に入ったからだとされている。それは嘘ではないのだが、著者によると、ブラケットは早くから映画脚本家を志し、ツテをたどってハリウッドでいろいろと働きかけをしていたらしい。
 じっさい、「三つ数えろ」の前に映画の脚本を一本書いているし(吸血鬼映画で、ちゃんとクレジットされている)、スター俳優ジョージ・サンダーズのゴーストライティングも経験している。それはクレイグ・ライスやクリーヴ・カートミルといった人とのつながりがあったからだが、そこにいたる人脈の話がじつに面白い。

 映画がらみで書いておけば、後年ロバート・アルトマン監督「ロング・グッドバイ」の脚本を書いたとき、高名な映画批評家のポーリン・ケイルに「パルプ作家あがりの脚本家に、こんなすばらしい会話が書けるわけがないから、監督と俳優がアドリブで作ったのだろう」と書かれて、ブラケットが激怒したという話も載っている。そりゃあ怒るわな(2007年1月27日)

2012.09.19 Wed » 『惑星物語傑作選第1集』

 リイ・ブラケット関連で、ブラケット編のアンソロジー The Best of Planet Stories #1 (Ballantine, 1975) を読んだ。

2012-2-22(Planet)

 〈プラネット・ストーリーズ〉というのは、1939年創刊で、1955年に廃刊となったアメリカのパルプSF雑誌。「モダンなスペース・オペラ誌」を標榜しており、波瀾万丈の宇宙活劇を売り物としていた。半裸の美女と宇宙怪物という画題の表紙とあいまって、いわゆるスペース・オペラのイメージ作りに大いに貢献した。要するに、野田昌宏氏を魅了した世界である。

 リイ・ブラケットは同誌の看板作家のひとりであり、60年代末からの回顧ブームの流れに乗って、同誌の傑作選の編集を任されたらしい。続巻が予定されていたが、残念ながら1冊で終わった。

 序文でブラケットがスペース・オペラ擁護の堂々たる論陣を張っている。もっとも、それは日本の読者にとっては前提となる考え方。野田氏の偉大さをあらためて教えられる。
 ブラケットによると、そのむかしSFファンのあいだでは〈プラネット・ストーリーズ〉を酷評することが「おしゃれ」だったらしい。理由は〈アスタウンディング・ストーリーズ〉ではないから。SFファンの性癖というものは、古今東西、あまり変わらないようだ。

 内容はつぎのとおり。例によって、発表年と推定枚数を付記しておく――

1 赤い霧のローレライ   リイ・ブラケット&レイ・ブラッドベリ '46 (185)
2 星ねずみ  フレドリック・ブラウン '42 (65)
3 Return of a Legend  レイモンド・Z・ギャラン '52 (45)
4 Quest of Thig  ベイジル・ウェルズ '42 (35)
5 The Rocketeers Have Shaggy Ears  キース・ベネット '50 (120)
6 The Diversifal  ロス・ロックリン '45 (45)   
7 火星上の決闘  ポール・アンダースン '51 (50)

 通読すると、続巻が出なかった理由がわかる気がする。つまり、同誌がスペース・オペラ一辺倒でなかったことを強調するためか、現代SFを先取りしたような作品が多く採られているのだ。

 火星に植民した地球人が、環境に合わせて変わらざるをえないことを示した3、地球侵略に来た異星人が人間性というものに目覚める4(Thig は誤植ではなく、異星人の名前)、歴史を変えないよう、未来人に監視される現代人の葛藤を描いた6、アメリカ先住民を火星人に置き換えて、白人の驕りを批判した7がそれに当たる。

 しかし、現代的なテーマをあつかっているがゆえに、現代の作品とくらべると稚拙さが目立つ。酷ないい方だが、歴史書の脚注的な価値しかない。先駆的な価値はあっても、エンターテインメントとしては現代の読者にはアピールしないわけだ。
 これは古典SFを愛する者がおちいりがちな陥穽なので、自戒の意味をこめて記しておく。

 そういうしだいでスペース・オペラ/プラネタリー・ロマンスといえるのは1だけ。邦訳もあるのでくわしくは書かないが、これは良質のプラネタリー・ロマンスである。ちなみに本書の表紙絵の画題となっている。画家の名前は記載されていないが、ケリー・フリースにまちがいない。

 ところで、同篇がブラケットとブラッドベリの共作なので、どちらがどの部分を書いたのか、いろいろと憶測されていたらしい。たとえば、詩的な部分はブラッドベリが書いて、アクションはブラケットが書いたといった具合。
 じつはブラケットが書きかけた原稿をブラッドベリが書きついで完成させたもので、その割合は6対4ほどだという。ブラッドベリは後年「つなぎ目が自分でもわからない」と発言しているが、そのつなぎ目をブラケットは序文ではっきりと明かしている。
 要するに、ブラケットの弟子だったブラッドベリが、師匠の作風を完全コピーしたわけである。わが国でもこの作品をブラッドベリ主導と見たがる傾向があるので、この点は声を大にしていっておく。

 2については、いまさらなにかいうまでもない。「現代のおとぎ話」として最高位にランクする作品だ。

 最後に残った5だが、金星上で墜落した偵察艇の一行が、数々の苦難を経て母船へ帰りつくまでを綴った物語。バグリイの『高い砦』を代表とする正統派冒険小説のSF版である。古臭いうえに欠点だらけだが、それでも最後まで読むと熱いものがこみあげてくる。物語の原型の強さというものを感じさせる。はい、こういうの大好きです。(2012年2月22日)


2012.09.18 Tue » 『地球人の到来』

 あいかわらずリイ・ブラケットの作品を読んでいて、とうとう手もとにある中短篇を読みつくしてしまった。といっても全部で22篇なので、たいしたことはないのだが。

 今回とりあげるのは、The Coming of the Terrans (Ace, 1967) という短篇集。当方が持っているのは1976年に出た新装版で、資料によると表紙絵はオチャガヴィアという画家の手になるものらしい。なんとなく日本画の影響を感じさせる面白い画風だ。

2012-4-4(Coming)

 本書には1948年から64年にかけて発表された5篇が収録されており、そのうち「シャンダコール最期の日々」は邦訳がある。題名から想像がつくかもしれないが、いずれも火星を舞台に、入植者である地球人と火星原住民の軋轢を描いた作品である。

 面白いのは、別個に書かれた作品の頭に年号をつけ、全体を年代記風に構成していること。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』とまったく同じコンセプトであり、背景となる火星にも共通点が多い(全土に張りめぐらされた運河、砂漠のなかのオアシス都市、滅びかけた古代文明など)が、できあがったものは、当然ながらまるっきりちがう。
 おかしな言い方になるが、ブラッドベリがどのようにSFの共通財産を利用し、どのように独自のものを付け加えたが、本書を読むことで逆説的に浮かびあがってくる。まあ、これは余談。

 ブラケットの描く火星はハードボイルドそのものであり、たいていバッド・エンディングが待っている。 
 なかでも非情なのが、“Mars Minus Bisha” という短篇。バイシャというのは、火星人の子供の名前である。
 物語は、火星遊牧民の母親が、辺境のステーションにひとりで勤務する地球人のもとへバイシャを連れてくるところからはじまる。この子は呪われた子供と宣告され、このままでは処刑されるので、医師である地球人フレーザーに託すというのだ。
 フレーザーはバイシャを引き受け、奇妙な疑似親子の生活がはじまる。平和で幸福な日々がつづくが、いつしかフレーザーは、自分がひどく疲れやすくなっており、すぐに昏睡状態におちいることに気づく……。

 どうせ邦訳は出ないだろうからネタをばらすが、バイシャは先祖返りであり、テレパシーが異常発達している。そのため周囲の人間からエネルギーを吸いとるのだ。かつてはテレパス同士がそうやっておたがいを支えていたのだが、いまでは一種の吸血鬼となってしまったわけだ。

 バイシャが生きていることが遊牧民に知られ、フレーザーとバイシャは地球人の都市めざして逃亡する。だが、砂漠のまんなかで立ち往生し、遊牧民が迫り来るなか、フレーザーは昏睡状態におちいってしまう。そばを離れるな、とバイシャにきつくいい聞かせて。
 目がさめたとき、バイシャの姿はなく、彼女の足跡が砂漠の奥へのびている。その足跡をたどると、遊牧民の足跡とぶつかり、そこには新しい墓と衣服だけがあるのだった。

 巻頭に置かれた “The Beast-Jewel of Mars” という作品も同じくらい非情。 こちらはひょっとすると邦訳が実現するかもしれないので、人間を退化させる火星人の技術をめぐる物語とだけ書いておく。表紙絵の獣人が、その退化した人間の姿である。(2012年4月4日)

2012.09.17 Mon » 『リイ・ブラケット傑作集』

 昨年末から、ぼつぼつとリイ・ブラケットの作品を読んでいる。いろんな短篇集やらアンソロジーをつまみ食いしているのだが、いつのまにか The Best of Leigh Brackett (1977) をまるまる読んでしまった。

 これは夫君エドモンド・ハミルトンが編んだブラケット傑作集。初版はSFブック・クラブのハードカヴァーだが、当方が持っているのは同年に出たデル・レイ版ペーパーバックの二刷(1986)。表紙絵はボリス・バレーホである。

2012-2-3(Brackett)

 「ヘンリー・カットナーの思い出」に捧げられており、ハミルトンの序文とブラケットのあとがきのほか、ブラケット版火星の地図とその説明が付録になっている。
 序文でハミルトンが、自分たちの創作作法のちがいを明かしている。それによると、ハミルトンは綿密にプロットを立て、シノプシスを作ってから作品を書きはじめるのに対し、ブラケットはとにかく1ページ目を書きはじめ、あとは成り行きにまかせるのだという。そんな書き方があるもんか、と最初は呆れたハミルトンも、「彼女の場合はそれでうまくいくようだ」と認めている。

 収録作はつぎのとおり。発表年と推定枚数も記しておく――

1 The Jewel of Bas  '44 (140)
2 消えた金星人  '45 (85)
3 アステラーの死のベール  '44 (80)
4 消滅した月  '48 (140)
5 金星の魔女  '49 (190)
6 The Woman from Altair  '51 (85)
7 シャンダコール最期の日々  '52 (90)
8 Shannach-The Last  '52 (150)
9 The Tweener  '55 (50)
10 The Queer Ones  '57 (110)

 最後の2篇をのぞけば、いずれもアチラでプラネタリー・ロマンスと呼ばれるタイプの異星冒険活劇である。さすがにめぼしいところは邦訳されており、1と6は一枚落ちる。

 発表年代順に読んでいくと、ブラケットの文体の変化がはっきりわかる。最初は「パープル」と評されそうな装飾過多で詠嘆調だった文体が、どんどん簡素でハードボイルドなものになっていくのだ。その分すごみがましている。従って、私見では8と10が集中ベストを争うと思う。

 8は水星を舞台にしたプラネタリー・ロマンス。砂漠と運河の火星や、熱帯の海とジャングルの金星とはちがい、灼熱の岩場が広がる世界だけあって、ロマンティックな要素は乏しく、支配と被支配をめぐる苛烈きわまるストーリーが展開される。エドガー・ライス・バローズの系譜を引くのはもちろんだが、むしろロバート・E・ハワードの《コナン》シリーズにも似た味わいがある。

 10は一転して、地球人にまぎれこんでいる異星人の話。50年代SF映画風の展開で、非常にサスペンスフル。ちょっと古いが、これは邦訳する値打ちがある。いまならSFノワールと惹句をつけられそうだ。

 7はむかし邦訳で読んだとき、ちっとも面白いと思わなかったのだが、今回そのよさがわかった。なるほど、ブラケットもケルト的な滅びの美学の人だったのだな。本は鏡みたいなものなので、この30年のうちに、それに映る素養が当方のなかにできたということだろう。

 それにしても、読んでいる途中で裏表紙がちぎれてしまったのにはまいった。紙が酸化しているせいだ。やっぱり本は読むものではなく、飾っておくものである。(2012年2月3日)

2012.09.16 Sun » 「合いの子」のこと

【承前】
 昨日の記事でわざと書きもらしたことがある。説明すると長くなるからだが、なんとなく気分がすっきりしないので、別項を立てることにした。

 昨日リイ・ブラケット傑作集 Sea-Kings of Mars and Otherworldly Stories には、短くて90枚、長くて335枚のプラネタリー・ロマンスが収録されていると書いた。
 じつは1篇だけ例外がある。“The Tweener” という50枚くらいの短篇で、初出は〈F&SF〉1955年2月号。勘のいい方なら、これだけでおわかりのとおり、プラネタリー・ロマンスではない。文明批評型のいわゆる50年代SFである。

 表題の tweener というのは、火星の生物の名前。見た目が「something between a rabbit and a ground-hog, or maybe between a monkey and a squirrel」に似ていることからきている。要するに、兎と猿の合いの子のような小動物。毛がふさふさで、たいへんかわいらしい。性質も温和で頭もいい。ペットには最適である。

 物語は、両親と子供ふたりの平凡な家庭へ一匹の「合いの子」が持ちこまれるところからはじまる。細君の弟が火星土産に連れてきたのだ。子供たちは、早速「合いの子」に夢中になり、ジョン・カーターと名づけてかわいがるが、父親はその日から奇妙な頭痛に悩まされるようになる。
 やがて夫は、ある観念にとり憑かれるようになる。「合いの子」は火星で発見された唯一の動物だ。そうすると、ほかの生物をすべて滅ぼしたのかもしれない。ひょっとして、地球でも同じことをするのではないだろうか。この頭痛は、「合いの子」の仕業ではないのか……。

 どうせ翻訳は出ないだろうから、結末をばらすが、恐怖に駆られた父親は「合いの子」を殺してしまう。だが、すべては妄想だったことがわかる。未知のものは、悪いものに見えるという心理が原因だった。最後に父親は子供たちにいう――「そんなに悲しまないで、子犬を買ってあげるから」

 当時のアメリカに蔓延していたゼノフォビアを諷刺した作品。プラネタリー・ロマンスの女王の意外な面を見せる意味で収録されたのだろう。そういえば、夫君エドモンド・ハミルトンもブラケット傑作集を編んだとき、この作品を選んでいた。
 しかし、こういうのはブラケットのプラネタリー・ロマンスがポピュラーだから意味があるのであって、わが国では通用しないだろう。(2009年8月23日)


2012.09.15 Sat » 『火星の海王たち』

 スティーヴン・ジョーンズといえば、当方が敬愛してやまない編集者だが、彼が編纂したすばらしい本を紹介しておく。リイ・ブラケットの傑作集 Sea-Kings of Mars and Otherworldly Stories (Gollancz, 2005) である。

2009-8-22(Sea Kings)

 ファンタシーの名作を廉価で普及しようというトレード・ペーパーバック叢書《ファンタシー・マスターワークス》の1冊。ブラケットの作品は、火星や金星を舞台にしているので、形としてはSFにふくまれるのだが、これがファンタシーの叢書にはいるところが時代である。

 巻頭にブラケットが1976年にファンジンに寄せた自伝的スケッチ、巻末に編者ジョーンズの解説を置き、そのあいだにブラケットの代表的中篇12作をはさむという構成。まさに至れり尽くせりで、こういう本を作らせると、ジョーンズの腕前は天下一品だ。

 ご存じのとおり、ブラケットの作品は、俗に〈プラネタリー・ロマンス〉と呼ばれる異星冒険活劇なので、ある程度の長さがいる。したがって、本書には短くて90枚、長くて335枚の作品が収録されている。邦訳のあるものだけ題名をあげると――

「赤い霧のローレライ」(レイ・ブラッドベリと共作)、「消滅した月」『リアノンの魔剣』「金星の魔女」「シャンダコール最期の日々」

 未訳作品もこれらと大同小異。そのうち3篇は《エリック・ジョン・スターク》もの。プラネタリー・ロマンス傑作集としては文句ない内容である。
 ちなみに、『リアノンの魔剣』は、エースのダブルで単行本化されたときの題名。〈スリリング・ワンダー・ストーリーズ〉初出時には Sea-Kings of Mars という題名だった。本書には初出時の題名で収録されている。(2009年8月22日)

2012.09.14 Fri » 『リイ・ブラケットとエドモンド・ハミルトン――魔女と世界破壊者』

【承前】
 マーク・オウイングスさんに注文した小冊子が届いた。発送から10日で、えらく早かった。じつに嬉しい。

 ものは〈熱心な読者向けの書誌〉シリーズの一冊、ゴードン・ベンスン編 Leigh Brackett & Edmond Hamilton: The Enchantress & The World Wrecker だが、奥付には題名と値段しか書いてないので、刊行年は不明(追記参照)。それでもISBNが付いているから、立派な出版物だ。

2007-2-10(Leigh Brackett &)

 例によってワープロの打ち出しを印刷して、ホッチキスで留めただけの小冊子。本文42ページのペラペラである。おまけに付いてきた追記リストは、A4よりすこし大きい紙の裏表に、コンピュータのデータを印刷したものが一枚。手作り感があって、なかなかいい。

 データが並んでいるだけで、愛想のない本だが、じっくり見ていると、いろいろと面白いことがわかってくる。
 たとえば、ハミルトンの小説リストでは、〈キャプテン・フューチャー〉シリーズが除外されている。もちろん、シリーズ一覧と単行本の項目に情報はあるのだが、編者がほかのハミルトン作品と分けて考えているのがうかがえて興味深い。やはり継子あつかいなのか。(2007年2月10日)

【追記】
 ゴンバートの書誌によれば、刊行年は1992年とのこと。

2012.09.13 Thu » 類は友を呼ぶ

【前書き】
 以下は2007年2月3日に書いた記事である。


 この前書いた「熱心な読者向けの書誌」シリーズだが、ブラケット&ハミルトンの分をさっそく注文した。夫婦カップリングのリストをムーア&カットナーと並べたいのだ(われながら阿呆)。

 エイブブックスという古書店ネットワークを通じて注文したのだが、そうしたら書店主からメールが来た。
「冊子は明日送ります。ただ、些細な問題がひとつあります。というのは、いまうちのコンピュータが壊れていて、メールを図書館で読んでいる始末です。そういうわけで、更新リストは昨年11月分までになります」
 と書いてある。なんのことだか分からなくて、本のデータをよく見たら、「わたし(書店主)がアップデイトしたデータをおまけに付ける」と書いてあった。なるほど、と納得して「問題ない。冊子が届くのを楽しみにしている」と返事を出した。

 そうしたらまたメールが来て、
「よく考えたら、小説に関してそれ以後の更新データはなかった。でも、コミックスの分は更新があるので、送れるようになりしだい電子メールで送ります」
 と書いてきた。これで書店主の性格が分かるというもの。

 さて、この書店主の名前はマーク・オウイングス。最初から見覚えがあるなあ、と思っていたのだが、気になって調べたら、この人が作ったジェイムズ・ブリッシュの書誌を持っていた。〈F&SF〉誌のブリッシュ特集号に載ったものである(追記1参照)。
 それで「もしやあなたは、ブリッシュの書誌を作った人ではあるまいか。そうだとしたら、あなたの仕事にはたいへん感銘を受けた。誤解だったら謝ります」と返事を出した。

 そうしたらまたメールが来た。
「はい、それがわたしです。〈F&SF〉の作家特集号に書誌を2回載せた人間は、わたしだけなのですよ、えっへん。でも、いまの編集者は、こういうデータは要らないと思っているみたいでねえ……。最後の作家特集はバリー・マルツバーグだったけど、彼にはペンネームで書いた犯罪小説や探偵小説が山ほどあって、みんな知らないんですよ」
 というようなことが書いてある。まさにビブリオファイルの鑑みたいな人だ。まあ、その話についていけるほうもどうかしているが(追記2参照)。

 この人が作った書誌はほかにもあるので、そのうち集めよう。(2007年2月3日)

【追記1】
〈F&SF〉1972年4月号に所載の“James Blish: Bibliography”のこと。

【追記2】
 もうひとつはフレデリック・ポール特集を組んだ〈F&SF〉1973年9月に載ったポール書誌。

 なお、この記事を公開するにあたって調べものをしていたところ、オウイングス氏が2009年12月30日に逝去されていたことを知った。享年64。早すぎる死を悼んで合掌。

2012.09.12 Wed » 『スタークとスター・キング』

【前書き】
 以下は2006年2月27日に書いた記事に手を加えたものである。


 待ちわびていた本が、やっと届いた。エドモンド・ハミルトン&リイ・ブラケットの Stark And the Star Kings (Haffner Press, 2005)である。

 刊行が遅れに遅れたうえに、昨年夏に注文した本が、郵便事故で紛失。うんざりするようなメールのやりとりで返金交渉をするはめになり、けっきょく、べつの書店から買った本が、ようやく到着したのだ。これを喜ばずにいられようか。

2006-2-27(Stark)

 本が大きすぎて、うちのスキャナーではうまく撮れないので、上の画像はflickerからお借りした。

 さて内容だが、すでに何度も書いたように、ハミルトンの人気シリーズ《スター・キング》とブラケットの人気シリーズ《エリック・ジョン・スターク》の集大成。まずは目次を簡略化した形で書き写しておこう。例によって発表年と推定枚数を付す――

1 『スター・キング』 '47/'49 (520) 
2 Queen of the Martian Catacombs '49 (165)
3 金星の魔女 '49 (190)
4 Black Amazon of Mars '51 (185)
5 『スター・キングへの帰還』 '70 (435)
6 Stark and the Star Kings '05 (90)

 1と5は《スター・キング》シリーズの長篇。
 2、3、4が《エリック・ジョン・スターク》シリーズに属すノヴェラ。このシリーズは、水星人に育てられた地球人スターク(水星人名ヌチャカ)が太陽系を放浪するプラネタリー・ロマンス。設定でわかるように、先住民に育てられた白人のはみだしヒーローもの西部劇をSFに移植し、〈剣と魔法〉の風味を加えた作品で、かなり出来がいいのだが、長さがネックになって邦訳が進んでいないのが残念。
 ちなみにこの3作以外にも、2と4を(エドモンド・ハミルトンが)書きのばした短い長篇2作と、設定をあらためて1970年代に書かれた長篇3作がある。

 6は本書の目玉で、おしどり夫婦がいちどだけ連名で共作し、ふたりのヒーローを共演させた作品。ハーラン・エリスン編のアンソロジー The Last Dangerous Visions のために書かれたが、肝心の同書が未刊のため、お蔵入りになっていたいわくつきの作品である。こんな話だ――

 すべてを呑みこみ〈虚無〉が銀河系の果てに生じた。この危機に対処するため、スタークは長老アールの超能力ではるかな未来に送りこまれる。そこで宇宙の覇者スター・キングたちと力を合わせ、超エネルギー兵器で〈虚無〉を消滅させる使命を負って。だが、群雄割拠のスター・キングたちは、簡単には協力しようとしないのだった……。

 面白いことに、これまで敵役だったショール・カンがスタークと友情を結んで大活躍し、ジョン・ゴードンは脇役にまわっている。
 パートごとに文章がちがうので、どちらが執筆したのかはっきりわかる。まさに共作の醍醐味を味わえて満足であった。

 ちなみに、ジョン・ジェイクスが序文を寄せ、若いころ、ハミルトン夫妻に会ったときの思い出を綴っている。ライバーに会ったときの話もあり、なかなか興味深かった。

 めでたいので、カヴァーだけでなく、袖に載っていたハミルトン夫妻の写真もアップしておく。

2007-2-27(Hamiltons)

(2006年2月27日+2012年9月9日)

2012.09.11 Tue » 『世界の壊し屋』

 ついでにエドモンド・ハミルトンの新しい書誌も紹介しておこう。リチャード・W・ゴンバート編 World Wrecker : An Annotated Bibliography of Edmond Hamilton (Wildside Press/Borgo Press, 2010) である。

2012-8-28(World)

 2006年に亡くなったジャック・ウィリアムスンが序文を寄せている。と書けばわかるように、着手から刊行まで膨大な時間がかかった本。
 もともとはボルゴ・プレスから出る予定だったが、まごまごしているうちに版元が1999年に休業してしまい、企画を引きとったワルドサイド・プレスが、「ボルゴ・プレス」の名のもとに出版したというしだい。泣かせる話だ。

 本を開けば、製作に時間がかかるのも納得できる。とにかく知り得た情報はすべて記載するという方針らしく、これではいくら原稿をアップ・トゥ・デートしても追いつかない。編者はとりあえずの中間形態だと謙遜するが、大変な労作である。
 ただし、不確かな情報が載っているので、すべてを鵜呑みにすることは危険。そこさえ注意しておけば、プロジェクト・グーテンベルクまで押さえた書誌は有用だし、マニアにとっては読みものとして面白い。とにかく、適当にページを開いて、拾い読みするだけでも飽きないのだ。

 とりわけ驚いたのは、ハミルトンの主要作品に登場する人物、都市、場所、船、惑星、種族、生物の簡単な事典がついている点。作品を丹念に読み、ノートをとらないと出来ない仕事だ。編者の熱意には頭が下がる。

 ほかにもハミルトンの書簡リストやら、外国の雑誌もふくめた雑誌別掲載作リストやら、コミック・ブックに原作リストなど、貴重な情報が満載。
 
 もちろん、外国語への翻訳状況などは、中途半端な情報がならんでいるのだが、これも執念のたまものなので感心するばかり。ともあれ、編者には最大限の賛辞を送りたい。

【蛇足】
1.危険な情報の一例。
 前にとりあげた『最後の惑星船の謎』は、1954年にランサーから初版、1964年にロードストーンからエムシュのイラスト入り版が出たことになっている。正確な出版年は、それぞれ1964年と1972年。

2.中途半端な情報の一例。
 短篇「フェッセンデンの宇宙」の日本語訳に関しては、

in The Best from SF Magazine No.2 _Tokyo: Hayakawa Publishing, Inc. year, p.[collection][Japanese]

 とだけ記されている。(2012年8月28日)
 
 

2012.09.10 Mon » 『エドモンド・ハミルトン傑作集』

 せっかくなので The Best of Edmond Hamilton (1977) の紹介をしておく。昨日も書いたとおり、当方が持っているのはバランタイン/デル・レイから出たパーパーバック版だ。

2007-12-17(Hamilton)

 編者は夫人のリイ・ブラケットで、力のこもった序文を寄せている。ハミルトン自身はあとがきを書いている。どちらも回想が中心で、じつに興味深い。

 収録作は21篇。主要な短篇が年代順にならべられている。邦訳があるのはつぎの18篇――

「マムルスの邪神」「進化した男」「星々の轟き」「帰ってきた男」「呪われた銀河」「世界のたそがれに」「風の子供」「異星からの種」「フェッセンデンの宇宙」「翼を持つ男」「追放者」「審判の日」「異境の大地」「向こうはどんなところだい?」「レクイエム」「審判のあとで」「プロ」「漂流者」

 未訳が3篇あるが、いずれも邦訳する値打ちはない。2篇は凡作。残る1篇は宇宙小説の形で植民地主義や人種差別を批判したメッセージ色の濃い作品。心意気は買いたいが、いまとなっては稚拙なところが目立つ。

 意外なことに「反対進化」「ベムがいっぱい」「未来を見た男」「世界の外のはたごや」といったあたりが漏れている。ブラケットの趣味なのだろうが、やはり日本人の好みとは微妙にちがうことがわかる。

 安田均編のハミルトン傑作集『星々の轟き』(青心社)は、収録作のすべてをこの本から採っていることにお気づきだろう。そのことを知ったとき、ずいぶん安易に思えたものだ。

 したがってハミルトン傑作集を編むとき、当方はなるべく本書以外のところから作品を選ぶようにした(追記参照)。参考までに作品名をあげておく――

『フェッセンデンの宇宙』(河出書房新社)では「凶運の彗星」「太陽の炎」「夢見る者の世界」と9篇中3篇。
『反対進化』(創元SF文庫)では「アンタレスの星のもとに」「ウリオスの復讐」「反対進化」「失われた火星の秘宝」「超ウラン元素」と10篇中5篇。
『眠れる人の島』(同前)では「蛇の女神」「眠れる人の島」「神々の黄昏」「邪眼の家」「生命の湖」と5篇全作。

 作品を選ぶさい、どれだけ手間暇をかけたか、わかってもらえるだろうか。(2007年12月17日)

【追記】
 文庫版『フェッセンデンの宇宙』でも「世界の外のはたごや」と「フェッセンデンの宇宙(1950年版)」は本書以外のところから採った。

2012.09.09 Sun » 透明短篇

 昨日とりあげた「エリュクスの壁のなかで」という短篇は、若きスターリングが〈ウィアード・テールズ〉に載ったある小説に刺激を受けて書いた原稿をラヴクラフトが全面的に書き改めたものだという。
 その霊感源となった作品が、エドモンド・ハミルトンのデビュー作「マムルスの邪神」である。同誌1926年8月号に掲載されたものだが、スターリングは同誌35年9月号に再録されたものを読んだらしい。

 北アフリカの砂漠を舞台に、透明な蜘蛛のような怪物の棲む都市の廃墟に迷いこんだ探険家の冒険を描いたもので、ハミルトンが私淑するA・メリットの亜流ともいうべき作品。記念すべきデビュー作なので、当方が編んだハミルトン傑作集のどれかに入れようかと思ったが、読み直したら凡作だったので断念した。おっと、これは余談だったか。

 さて、透明怪物が出てくるせいか、この短篇自体が透明になってしまったことがある。リイ・ブラケットが編んだ傑作集 The Best of Edmond Hamilton (Doubleday, 1977) のペーパーバック版が同年バランタイン/デル・レイから出たとき、目次から漏れてしまったのだ。

2007-12-16(invisible 2)

 上に掲げた画像が目次。ブラケットの序文のつぎは「進化した男」という作品が17ページからはじまっていることになっている。
 ところが下の画像を見ればわかるとおり、「マムルスの邪神」が1ページからはじまっているのだ。

2007-12-16(invisible 1)

 インターネットの一部には、「マムルスの邪神」を欠落させた同書の書誌情報が出まわっているが、この目次をそのまま写したからだろう。現物にあたることの必要性をあらためて痛感するのであった。(2007年12月16日)


2012.09.08 Sat » 『サルナスをみまった災厄』

【前書き】
 ハミルトンのある短篇を話題にしたいのだが、元の日記が連想ゲームのようにして書かれているので、その前の日記を読まないと話がつながらない。いい機会なので、以下の記事も公開することにした。

 この記事は2007年12月15日に書いたものだが、竹岡啓氏からご教示を受けたので、それを踏まえて一部を書き改めた。追記の形にすると、かえってわかりにくくなるからである。竹岡氏に改めて感謝する。


 出たばかりの『ラヴクラフト全集 別巻下』(創元推理文庫)を読みおわった。
 国書刊行会から出た『定本ラヴクラフト全集』は、評論篇、詩篇、書簡篇だけを読んだという奇特な読者なので、今回はじめて読む作品が多かったのだが、ケニス・スターリングと共作した「エリュクスの壁のなかで」という作品がちょっと気になった。

 金星を舞台にした典型的なパルプSFで、作品としては可もなく不可もない。では、どうして気になったかというと、出てくる動植物の名前がSF関係者のもじりだと気づいたからだ。

 ラヴクラフトという人は意外にお茶目で、こういう楽屋オチをしばしば作中にとり入れる。僚友クラーク・アシュトン・スミスをもじった「アトランティスの大祭司クラーカシュ=トン」や高弟オーガスト・ダーレスをもじった「ダレット伯爵」といった人名が作中に出てくるのは、ご存じのかたが多いだろう。

 編者大瀧啓裕氏の解題を見たら、楽屋オチの趣向に触れてあったが、もじりらしい固有名詞8つのうち5つしか解説していない。残りが気になったので、元の綴りを確認するため、原文を収録した本を書棚から引っぱり出してきた。

 伝説的なバランタイン〈アダルト・ファンタシー〉シリーズ中の1冊、リン・カーター編の The Doom That Came to Sarnath (Ballantin, 1971) である。表紙絵はジャーヴァシオ・ギャラードー。参考までに裏表紙もスキャンして載せておく。

2007-12-5(Sarnath 2)2007-12-15(Sarnath 1)


 さて、問題の固有名詞だが、まず大瀧氏の解説している分から。原綴り、訳語、正体の順にならべる――

akman アクマン(F・J・アッカーマン)
tukah タカア(ボブ・タッカー、作家名ウィルスン・タッカー)
ugrat ウグラット(ヒューゴー・ガーンズバック)
farnoth-fly ファルノス蝿(ファーンズワース・ライト)
efjeh-weed エフジェイ草(F・J・アッカーマン)

 いずれも気色悪い動植物の名前。ちなみにウグラットは「ドブネズミのヒューゴー」から来ているそうで、これは解題を見るまで気づかなかった。ラヴクラフトはよっぽどガーンズバックが嫌いだったのだろう。

 つぎに解説のなかった分――

skorah スコラア(ウィリアム・S・シコラ)
Daroh ダロウ(ジャック・ダロウ) 
scificligh シフィクライ(サイエンス・フィクション・リーグ)

 上は当時のSFファンダムの大物で、数々の悶着を起こし、敵対関係にあったファングループをつぶしたシコラのことだと思う。「本物の肉食獣」と書かれているのでまちがいないだろう。
 真ん中は、やはり当時の大物SFファンで、下のグループの重鎮だった人。ちなみに、ほんとうの綴りは Darrow。
 下は「シフィクライ」という大瀧表記にまどわされてはいけない。素直に「サイフィックリグ」と読めば、当時のSFファン組織、「サイエンス・フィクション・リーグ」だとわかる。「泥に棲んでいる」動物だそうだ。

 ついでに書いておけば、当時のSFファン活動については、野田昌宏著『「科學小説」神髄』(東京創元社、1995)の第6章に詳しい記述がある。当方はこれを読んでいたので、上の名前に気づいたのだった。

 さらに、余談だが、同書にはリン・カーターが懇切丁寧な解説を付している。この作品に付された部分を見ると、カーターは何度かスターリングと会ったことがあり、夫妻を自宅に招いたこともあるそうだ。
 1970年に開かれたSF大会で、スターリングが若いファンに無視されているのを見てカーターは悲しくなる。そして思うのだ、自分たちと同年代のとき、スターリングがラヴクラフトその人と共作した事実を知ったら、この若いファンたちはどんなに驚くだろうかと、と。(2007年12月15日)

【追記】
 書き忘れていたが、The Doom That Came to Sarnath (1971) は、リン・カーターが編んだH・P・ラヴクラフト作品集で、主に異世界ファンタシー系を集めている。全部で20篇が収録されており、そのうち3篇が共作/代作である。

2012.09.07 Fri » 『創造の谷』

 わけあってエドモンド・ハミルトンの長篇 The Valley of Creation (Lancer, 1964) を読む。当方が持っているのは1967年の新装版である。25年も前に邦訳で読んだきりなので、いい機会だと思って、本の埃を払ってみた(所持している本の状態が悪すぎるので、下の画像は Alexshan Books からの借り物である)。

2005-9-24(Valley)

 もともとは1948年、雑誌に一挙掲載されたものだが、刊行にあたってすこし手がはいっているようだ(たとえば、朝鮮戦争について言及があったりする)。

 舞台は第二次大戦後の混乱期にあった中国。主人公エリック・ネルスンは、さる軍閥の傭兵だったが、共産軍に追いつめられ、いまはチベットに近い辺境で死を覚悟する身である。
 そこへさらに奥地から、彼の部隊を雇いたいという者があらわれる。男はル・ランから来たというが、そこは地球上のあらゆる生命が発祥したという伝説の地。渡りに船とばかりル・ランに赴くと、そこは知性を持ち、テレパシーで会話する狼、虎、馬、鷲が、人間と同等の権利で暮らしている土地だった。ネルスンたちを雇ったのは、人間の優越を主張して、反旗をひるがえした者たちだったのだ。
 
 こうしてネルスンたちは戦いに参加するが、ストーリーはいかにもハミルトンらしくねじれを見せる。敵につかまったネルスンは、精神を若い狼に移植され、狼として生きることで、大義は敵にあることをさとるのだ。しかし、奸智に長けた傭兵の軍略で、勝利は反乱軍のものとなる。はたして、人間・動物同盟軍の巻き返しはなるのか……。

 記憶にあったとおり、山田正紀『崑崙遊撃隊』を連想させる秘境ロマンス。当方が大好きなタイプの作品で、楽しんで読んだが、いまの目で見るとすこし薄味すぎる嫌いがある。リヴァイヴァルさせる価値はないだろう。
 
 ちなみに、本書は『最後の惑星船の謎』(田沢幸男訳。久保書店QTブックス、1975)として邦訳が出ているが、この邦題はいただけない。理由はお察しのとおり。(2005年9月24日)

2005-9-24(QT)


2012.09.06 Thu » 『向こうはどんなところだい?』

【前書き】
 編訳したエドモンド・ハミルトン傑作集『フェッセンデンの宇宙』(河出文庫、2012)の見本が届いた。〈奇想コレクション〉版の9篇に3篇を増補し、文庫版編訳者あとがきを書き足した新編集版である。

2012-9-5(Fessenden)

 愛着のある本が、新たな形で世に出ることになってとても嬉しい。これを祝して、文庫化決定にさいして書いた記事を公開する。


 前に書いたとおり、この文庫版には音楽CDのボーナス・トラック的感覚で3篇を追加する。具体的には「世界の外のはたごや」、「漂流者」、「フェッセンデンの宇宙(1950年版)」である。

 このうち2篇の翻訳底本に使ったのが、エドモンド・ハミルトンの短篇集 What's It Like Out There ? And Other Stories (Ace, 1974) だ。

2012-6-3(What's)

 ハミルトンはパルプ作家の悲哀をかこった人で、あれほど多くの短篇を書きながら、それが本にまとまることは珍しかった。連作をのぞけば、1936年にイギリスで出た The Horror on the Asteroid & Other Tales of Planetary Horror につぐ第二短篇集ということになる。

 まずは目次を書き写しておこう。例によって発表年と推定枚数を付す――

1 向こうはどんなところだい? '52 (65)
2 The King of Shadows '47 (55)
3 漂流者 '68 (20)
4 蛇の女神 '48 (80
5 The Stars, My Brother '62 (115)
6 夢見る者の世界 '41 (95)
7 神々の黄昏 '48 (110)
8 太陽の炎 '62 (40)
9 世界の外のはたごや '45 (45)
10 The Watcher of the Ages '48 (40)
11 超ウラン元素 '58 (55)
12 眠れる人の島 '38 (40)

 未訳の2と10は、どちらも秘境小説の枠組みでSF的アイデアを開陳する物語。前者は中央アジア、後者は南米が舞台で、探検家が超古代文明の遺物に遭遇する。4、7、12も一種の秘境小説なので、本書を通読すると、たいていの日本の読者が思い描くのとはべつのハミルトン像が生まれる。

 当方はこの系統の小説が大好きなので積極的に紹介してきたが、さすがに2と10を翻訳する気にはならなかった。『フェッセンデンの宇宙』には「風の子供」という秘境小説がはいっているが、あれは純粋なファンタシーなので、いまでも面白く読める。いっぽう2と10は、エネルギー生物やら超古代文明が生んだ不死身のアンドロイドやらが題材で、古めかしさばかりが目立つのだ。

 未訳で残る5は、当時のハミルトンらしく厭世観を色濃くただよわせた宇宙小説。スペース・オペラ的設定で、地球人のおごりが糾弾される。(2012年6月3日)

 

2012.09.05 Wed » 『生命の星』

 つづいて、ハミルトンの未訳長篇を紹介しよう。The Star of Life (Torquil, 1959)である。〈スタートリング・ストーリーズ〉1947年1月号に発表された同題作品の単行本化。

2005-6-2(Star)

 主人公は人類初の月周回飛行に旅立った宇宙飛行士。ところが、事故が起きて、仮死状態のまま宇宙空間を漂流することになる。2万年後にふたたび太陽系にもどってきて、仮死状態からさめると、そこはヴラメンという種族が圧制を敷き、地球人から宇宙航行の権利を奪っている世界だった。当然ながら主人公は、地球人の不満分子とともに宇宙船を建造し、ヴラメンに反抗を企てる。

 ところが、このあとストーリーは奇妙にねじれていく。もともと胡散臭いやつと思われていた主人公は、地球人のなかで孤立し、むしろ捕虜にしたヴラメンの女に惹かれていくのである。そして最後には苦い苦い結末が待っている。
 翌年発表された『虚空の遺産』と非常によく似たトーンで書かれており、ハミルトンの虚無的な面が十二分に出ているが、『虚空の遺産』にはおよばない。訳す価値はないだろう。

 ちなみに、アポロ13号の事故が起きたとき、ハミルトンはこの作品の冒頭を思いだし、自分があんなことを書いたから事故が起きたのではないか、と奇妙な罪悪感をおぼえたそうである。(2005年6月2日)


2012.09.04 Tue » 『ヴァルハラのヤンキー』

【承前】
 こんど出すハミルトン傑作集幻想怪奇篇には「神々の黄昏」(1948)という中篇を入れる。北欧神話に材をとった作品で、ときどきSF的な合理化がまじるのだが、基本的には魔法が働くファンタシーである(追記参照)。

 おそらくその作品の原型で、もっとSF寄りなのが、The Monesters of Juntonheim (World Distributors, 1950)という長編である。
 書誌的なことを書いておくと、この作品は最初 A Yank at Vallhara の題名で〈スタートリング・ストーリーズ〉1941年1月号に発表された。50年に改題のうえ単行本化。だが、73年にエースのダブルに収録されるとき、元の題名にもどされた。当方が持っているのは、このエース版である。
 マーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』のもじりだろうから、元の題名のほうがいい。

2005-6-1 (Yank)

 内容はというと、アメリカの飛行士が北欧上空で異次元にまぎれこむ。そこは北欧神話の世界そのものであり、神々と巨人族の戦いに巻きこまれ、両者の滅亡を見届けるというもの。つまらなくはないが、これなら中篇「神々の黄昏」のほうが出来がいい。神話に出てくる魔法的な要素を放射能や冷凍睡眠という言葉で説明するSF的合理化が古びてしまっているからだ。
 たぶん作者自身もその点に気づいて、よりファンタシー寄りの作品に作り替えたのだろう。(2005年6月1日)

【追記】
 上記のとおり、『眠れる人の島』(創元SF文庫、2005)に新訳(市田泉訳)を収録した。

2012.09.03 Mon » 『生命の湖』

【前書き】
 以下は2005年5月31日に書いた記事である。


 エドモンド・ハミルトン関係の蔵書自慢。ものは The Lake of Life (Robert Weinberg, 1978) だ。

2005-5-31(Lake)

 これはパルプ雑誌研究家として有名なロバート・ワインバーグが出していた「ロスト・ファンタシー」というパルプ小説復刻シリーズの一冊で、本文80ページのパンフレット(私家版)。ハミルトンが〈ウィアード・テールズ〉に3回連載したショート・ノヴェルが収められている。

 と書いたのは、このパンフレットが形式としては複数作家の作品を収録したアンソロジーであるからだ。無名作家のごく短い短篇が2篇併載されているのである(追記1参照)。

 といっても、パッと見ただけではアンソロジーとはわからない。なにしろ目次もなければ、扉にも、ワインバーグの序文にもその旨の記載がないからだ(日本の奥付にあたる欄にはさすがに載っている)。
 この本は初出誌のページをそのまま版下にしているので、雑誌をそのまま復刻したのかと思ったが、べつの号から短篇を引っ張ってきている。両方とも箸にも棒にもかからない駄作で、いくら穴埋めとはいえ、なんでこんなものを載せたのか不思議でならない。白紙を作らないために、4ページの短篇が2篇あればよかったということなのだろうか。

 さて、肝心の表題作だが、そのうち出るハミルトン傑作集幻想怪奇篇に収めるので、ぜひ現物にあたっていただきたい(追記2参照)。アフリカの奥地へ不老不死の水をたたえた湖を探しに行く話で、当方はこういう秘境探検ものに目がないのである。(2005年5月31日)

【追記1】
 参考までに記しておけば、“The Hunch”by Gene Lyle Ⅲ と“The Inn”by Rex Ernest。 

【追記2】
 この作品は「生命の湖」の訳題で、拙編のハミルトン傑作集幻想怪奇篇『眠れる人の島』(創元SF文庫、2005)に収録した。

2012.09.02 Sun » 『恐怖の小惑星』

 蔵書自慢。エドモンド・ハミルトンの最初の単行本 The Horror on the Asteroid and Other Tales of Planetary Horror (Phillip Allan, 1936) である。

 どういう経緯で出たのかは知らないが、本国アメリカではなくイギリスで出た本。小型のハードカヴァーで、256ページ。70年も前の本にしては、かなり状態がいい。さすがに大枚200ドルをはたいただけのことはある。
 もともとはダストジャケットがついていたようだが、残念ながらなくなっていた。書名や作者名は背にしかはいっていないので、書影のかわりに扉のスキャン画像を載せておく。

2005-5-30(horror)

 さて内容だが、なにしろ《キャプテン・フューチャー》や《スター・キング》はおろか、「フェッセンデンの宇宙」や「反対進化」さえ書かれていなかったころに出た本である。典型的なパルプSFばかり、それも副題が示すようにホラー・テイストの作品を集めている。

 例によって目次を書き写しておこう。発表年と推定枚数の付しておく――

1 The Horror on the Asteroid 1933 (65)
2 呪われた銀河 1935 (50)
3 The Man Who Saw Everything 1933 (35)
4 The Earth-Brain 1932 (75)
5 マムルスの邪神 1926 (40)
6 進化した男 1931 (45)

 ちなみに、5はハミルトンのデビュー作。

 未訳作品について書いておけば、1は大気中の成分の作用で人間が退化してしまう小惑星の話。3は手術で無生物なら透視できるようになった男の話。4は地球の頭脳を怒らせて地震に追われるようになった男の話。いずれも大時代なSF風の奇譚で、邦訳する値打ちはないだろう。

 ともあれ、当時のハミルトンが、怪奇SFの作家だと思われていたことが見てとれる。そういう意味では興味深い本である。(2005年5月30日)

【追記】
 収録作のうち「呪われた銀河」は、拙編のハミルトン傑作集SF篇『反対進化』(創元SF文庫、2005)に新訳を収録した。

2012.09.01 Sat » 『エドモンド・ハミルトン復活』

 編訳したエドモンド・ハミルトン傑作集『フェッセンデンの宇宙』が河出文庫にはいることになった。文庫化にあたって3篇を増補した。
 内訳は、作者本人が自作のベスト短篇に選んだ時間SF「世界の外のはたごや」、アメリカ幻想文学の偉大な先達、エドガー・アラン・ポオへオマージュを捧げた「漂流者」、表題作の改稿ヴァージョン「フェッセンデンの宇宙(1950年版)」であり、すべて当方による新訳である。
 前に書いたとおり、表題作の別ヴァージョンの新訳は念願だったので、今回それがかなった形。すぐれた作家が、どのように自作を改稿するかを示す好例なので、ぜひ同書の巻頭と巻末に配した両者を読みくらべていただきたい。
 9月5日ごろ書店にならぶそうなので、〈奇想コレクション〉版をお持ちの方もお見逃しなく。

 いい機会なので、エドモンド・ハミルトンに関する記事を公開しよう。まずは2010年に出た作品集から。グレッグ・ファウルクス編 Edmond Hamilton Resurrected (Resurrected Press, 2010) である。
 体裁は、250ページ強のトレードペーパー。

2012-8-26(Ed Ham)

 版元は旧作のリプリントを専門とするスモール・プレス。SFがメインだが、ミステリや冒険というカテゴリもある。編集長のファウルクスという人の個人事業に近いらしく、この人が編集した本を出すいっぽうで、この人が書いた小説をプロモートしている。
 編集長の趣味か、1930年代から50年代までの作品が専門領域。忘れられた作家にふたたびスポットを当てようという心意気やよしだが、二流作家、三流作家の名前ばかりがならぶラインナップには、いまひとつ食指をそそられない。

 それはともあれ、本書の目次を書き写しておこう。発表年と推定枚数も付しておく――

1 The Second Satellite 1930 (70)
2 未来を見た男 1930 (35)
3 Monsters of Mars 1931 (95)
4 The Sargasso of Space 1931 (65)
5 The Door into Infinity 1936 (90)
6 The World with a Thousand Moons 1942 (120)
bonus story! And Now a Message... 2010 (45)
special preview! The Laws of Magic 2010 (10)

 最後のふたつがなにかというと、ファウルクスの小説のプロモート。前者は近刊の短篇集から先行掲載。後者は既刊の長篇の抜粋。両方とも読んでみたが、1940年代パルプSF風の作風で、同人誌レヴェルとしかいいようがない。

 肝心のハミルトンの小説はというと、やはり典型的なパルプ小説。1と3と5は、パルプ誌に掲載されたきり埋もれていた作品の復活である。もっとも、当方は好きだが、わざわざ復活させるほどではない気もする。

 1と3は大時代なプラネタリー・ロマンス。1の舞台は地球の成層圏に存在する第二の月、3の舞台は火星だが、ストーリーの骨子は同じ。つまり、探検家がかの地へおもむくと、そこは奇怪な異星人(1はカエル人間、3はワニ人間)が支配する地で、捕まった主人公たちが、虐げられている地球人に似た種族と力を合わせ、叛乱を起こすのである。
 強いて面白い点をあげれば、3に出てくる火星の帝王か。ひとつの頭に三つの体を持つワニ人間なのだが、「巨大な脳に滋養を行きわたらせるためには、三つ分の体が必要だから」こうなっているそうだ。
 余談だが、1は野田宏一郎(昌宏)氏が、〈SFマガジン〉の連載コラム「SF実験室」(1966年6月号)にイラストともども紹介したことがある。
 
 2は、このなかでは異色作。一種のタイムマシンに捕捉され、1944年へ運ばれた15世紀フランス人が、中世へもどってその体験を語ったせいで妖術師あつかいされる話。15世紀の人間の目を通して語られる20世紀文明の描写が読みどころで、たしかに古風なセンス・オブ・ワンダーがある。これだけ邦訳があるのも納得の出来だ。

 4と6は、わりとシリアスなスペース・オペラ。4は事故を起こした宇宙船が、宇宙船の墓場のようなところへ迷いこみ、先に来ていた宇宙ギャングと闘う話(表紙絵参照)。6は、弟を人質にとられた宇宙船乗りが、やむなく宇宙海賊の命令にしたがって、罪のない人々を小惑星ヴェスタへ連れていく話。そこには、ほかの生物に寄生し、意のままにあやつる怪生物がはびこっていて、阿鼻叫喚の地獄図絵が展開される(というのは大げさだが)。
 4はともかく、6はちゃんとひねりがあって、けっこう面白く読めた。

 5は表題から予想されるような異次元冒険譚ではなく、《フー・マンチュー》ものの線をねらった伝奇小説。現代のイギリスが舞台で、新妻を東洋人のオカルト結社に誘拐されたアメリカ人と、スコットランド・ヤードの刑事が冒険をくり広げる。これは掲載誌が〈ウィアード・テールズ〉なので、同誌のカラーに合わせたのだろう。
 
 珍しい小説が読めたので、当方としては満足だが、そういう人はあまり多くなさそうだ。(2012年8月26日)

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