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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.10.31 Wed » 『強健な野蛮人たち』

 楽しいアンソロジー・シリーズをつづける。
 ディ・キャンプのつぎは弟子のリン・カーターというのが筋かもしれないが、ジム・ステランコつながりで、ハンス・ステファン・サンテッスンの The Mighty Barbarians (Lancer, 1969) をとりあげる。

2006-5-26(Barbarian 2)2006-5-26(Barbarian 1)

 版元は《コナン》シリーズで大当たりをとったランサー。満を持してのアンソロジー登場というところか。編者はSF誌〈ファンタスティック・ユニヴァース〉やミステリ雑誌〈セイント〉の編集長を務めた人で、SFのアンソロジーやUFO関係の著作を遺している。

 収録作品はつぎのとおり(作者名のあとに付したのは、所属するシリーズ名)――

「海王の留守に」フリッツ・ライバー 《ファファード&グレイ・マウザー》
The Stronger Spell L・スプレイグ・ディ・キャンプ 《プサード》
「ドラゴン・ムーン」ヘンリー・カットナー 《エラーク》
Thieves of Zangabal リン・カーター 《ゾンガー》
「魔女誕生」ロバート・E・ハワード 《コナン》

 表紙の惹句を見ればわかるが、編者はヒロイック・ファンタシ-ではなく、〈剣と魔法〉という用語を使っている。
 ご覧のとおり、有名シリーズの揃い踏み。カーターの作品は書き下ろしで、独自性を出そうという編者の苦心がうかがえる。
 ちなみにディ・キャンプの作品は、魔法合戦に材をとったユーモア篇、カーターの作品は、若きゾンガーの活躍を描いたもの。手堅すぎる気がしないでもないが、けっこう好きな本である。
 
 蛇足。このころのペーパーバックは、糊の劣化で、すぐに表紙と本体が分離し、ページがバラバラになる。したがって、本の修理に勤しむ毎日である。なにやってんだか。(2006年5月26日)

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2012.10.30 Tue » 三つ子の魂

【承前】
 当方はファンジン〈ローラリアス〉に翻訳をふたつ載せてもらった。最初が6号に掲載されたロジャー・ゼラズニイの「ショアダンの鐘」。発行日が1982年2月1日となっているから、その前年に訳したのだと思う。400字詰め原稿用紙で40枚の短篇である。

2008-8-10(Rolarious)

 その冒頭部をかかげる。{}でくくった部分はルビ――

「ラホンリガストの地に生けるものの姿はない。
 現世{いま}をひとつ遡る時代よりその死の領域には、ただ雷鳴の轟きと、石造りの建物や岩を濡らす雨だれの他には音ひとつなかったのである。〈ラホリング砦〉の塔はいまだ健在であった。風化した門からのびる巨{おお}きな拱路が、苦痛と驚愕そして死に喚く凍りついた口のように、ぱっくりと口をあけていた。辺り一帯は不毛な月の光景を思わせた。」

 久しぶりにこの文章を読んで、思わず苦笑が出た。なんとも力みかえった文章で、無駄な言葉の多さに目をおおいたくなるが、語彙そのものは、いまとあまり変わってないからだ。「おれは25年のあいだ、ほとんど進歩がなかったのだなあ」とつくづく思ったしだい。

 ちなみに、本篇は《ディルヴィシュ》シリーズの本邦初訳(のはず)。なんでいきなり第3作を訳したかというと、これしか原文が手にはいらなかったからだ。テキストにはディ・キャンプ編のアンソロジー Warlocks and Warriors (1970) 所収のものを使用したが、同書を所有されている方にコピーをもらったのだった。

 《ディルヴィシュ》シリーズの中短篇が単行本 Dilvish, The Damned (Ballantine) にまとまったのは1982年。その邦訳『地獄に堕ちた者ディルヴィッシュ』(黒丸尚訳/創元推理文庫)が出たのは1988年であった。(2008年8月10日)

2012.10.29 Mon » 『妖術師たちと剣士たち』

【承前】
 L・スプレイグ・ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシー啓蒙アンソロジー。第四弾は Warlocks and Warriors (Putnam, 1970)だ。これまでの3冊とは版元を変えて、ついにハードカヴァーに出世。とはいっても、当方が持っているのは、例によって翌年にペーパーバック落ちしたバークリー版なのだが。

2006-5-24(Warlocks 2)2006-5-24(Warlocks 1)

 さて、初のハードカヴァーということで、気合いがはいっているはず。大いに期待させるが、すでに競合アンソロジーが何冊もあったため、落ち穂拾いのような苦しい内容になっている――

Introduction L・スプレイグ・ディ・キャンプ
Turutal レイ・カペラ
The Gods of Niom Parma リン・カーター
「死霊の丘」ロバート・E・ハワード 《ソロモン・ケイン》
「暁の雷鳴」ヘンリー・カットナー 《エラーク》
「盗賊の館」フリッツ・ライバー 《ファファード&グレイ・マウザー》
「暗黒神のくちづけ」C・L・ムーア 《ジョイリーのジレル》
「チュー・ブとシーミッシュ」ロード・ダンセイニ
「蟹の王」クラーク・アシュトン・スミス 《ゾシーク》
「蜘蛛の谷」H・G・ウェルズ
「ショアダンの鐘」ロジャー・ゼラズニイ 《ディルヴィシュ》

 未訳の2篇は同人誌に載ったもの。カペラの作品は、ハワードの〈ハイボリア時代〉の設定を借りた創作。カーターの作品は、ダンセイニのパスティーシュ。どちらもファン・ライティングの域を超えるものではない。
 ハワードの作品は《ソロモン・ケイン》シリーズだし、ウェルズの作品ともども場違いな感は否めない。おそらく、4冊のなかで最低の出来だろう。ディ・キャンプの解説も文章の使いまわしが目立つ。

 表紙絵は一見フラゼッタに思えるが、じつはジム・ステランコ。横長の絵なので、裏表紙もスキャンしておいた。背の部分が欠けているので、厳密には一枚絵にはなっていないが、構図などはわかると思う。
 なお、収録作の一部では、イラストのかわりに簡単な地図が付されている。書き忘れたが、これは前著 Fantastic Swordsmen も同じ。ハヤカワ文庫版《コナン》シリーズの場合、それぞれの作品に簡単な地図が付いていたのは、この影響だと思われる。

 余談だが、ゼラズニイの短篇はファンジンに翻訳を載せたことがある。掲載誌〈ローラリアス〉6号の発行は1982年。われながら、三つ子の魂百までだ。(2006年5月24日)

2012.10.28 Sun » 『幻想の剣士たち』

【承前】
 L・スプレイグ・ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシー啓蒙アンソロジー。第三弾は The Fantastic Swordsmen (Pyramid, 1967) だ。

2006-5-23(Fantastic)

 このころになると、ランサー版《コナン》シリーズの刊行がはじまっており、さすがに前のように選りどり見どりというわけにはいかなくなってくる。

 まずは内容を見てもらおう。例によって作者名のあとに所属するシリーズ名を付す――

Introduction: Tellers of Tales L・スプレイグ・ディ・キャンプ
「黒い蓮」ロバート・ブロック
「サクノスを除いては破るあたわざる堅砦」ロード・ダンセイニ
「トムバルクの太鼓」ロバート・E・ハワード&L・スプレイグ・ディ・キャンプ 《コナン》
The Girl in the Gem ジョン・ジェイクス 《戦士ブラク》
「ドラゴン・ムーン」ヘンリー・カットナー 《エラーク》
「蕃神」H・P・ラヴクラフト
「歌う城砦」マイクル・ムアコック 《エルリック》
The Tower ルイジ・デ・パスカリス

 このうちハワード&ディ・キャンプ(ハワードの遺稿にディ・キャンプが補筆した没後共作)、ムアコック、デ・パスカリスの作品が書き下ろし。編者が新味を出そうと知恵を絞ったのがわかる。
 ちなみにデ・パスカリスの作品は、イタリア語からの翻訳。もっとも、出来はファンジン・レヴェルだが。ジェイクスの作品は、《戦士ブラク》シリーズ第一作である(これも凡作)。
 
 新顔は3人。逆にハワードとダンセイニは3冊すべてに顔を出している。なんにせよ、この3冊に登場した作家たちが、ディ・キャンプの考えるヒロイック・ファンタシーの中核であり、それがほぼそのままの形でわが国に伝えられたのである。

 もちろん、当方もその影響をもろに受けているわけで、『不死鳥の剣』(河出文庫)にはダンセイニの上記作を採らせてもらった。(2006年5月23日)


2012.10.27 Sat » 『七の呪文』

【承前】
 L・スプレイグ・ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシー啓蒙アンソロジー第二弾が、The Spell of Seven (Pyramid, 1965)だ。造本面では前著と同様にフィンレイのイラストを使っているのが特徴。

2006-5-22(Spell)

 内容はつぎのとおり(作者名のあとに付してあるのは、所属するシリーズ名)――

Introduction: Wizards and Warriors L・スプレイグ・ディ・キャンプ
「珍異の市」フリッツ・ライバー 《ファファード&グレイ・マウザー》
「暗黒の偶像」クラーク・アシュトン・スミス 《ゾシーク》
「ギベリン族の宝蔵」ロード・ダンセイニ
「飢えた密林人」L・スプレイグ・ディ・キャンプ 《プサード》
「闇の三王」マイクル・ムアコック 《エルリック》
「魔術師マジリアン」ジャック・ヴァンス 《滅びゆく地球》
「ザンボウラの影」ロバート・E・ハワード 《コナン》

 作家の顔ぶれは4人まで前著と同じで、ディ・キャンプがこのあたりをヒロイック・ファンタシーの中核とみなしているのがわかる。(2006年5月22日)

2012.10.26 Fri » 『剣と魔法』

 L・スプレイグ・ディ・キャンプといえば、ヒロイック・ファンタシーというジャンルの命名者であり、その中興の祖として多大な功績をあげた人だが、1960年代後半に一連の啓蒙的アンソロジーを編んでいる。Swords And Sorcery (Pyramid, 1963) は、その記念すべき第一弾である。

2006-5-21(Sword)

 内容はつぎのとおり(作者名のあとに付したのは、所属するシリーズ名)――

Introduction: Heroic Fantasy L・スプレイグ・ディ・キャンプ
「吟遊詩人ヴァラの剛胆」ポール・アンダースン
「宝石屋サンゴブリンドの悲惨な物語」ロード・ダンセイニ
「月下の影」ロバート・E・ハワード 《コナン》
「暗黒の砦」ヘンリー・カットナー 《レイノル王子》
「海王の留守に」フリッツ・ライバー 《ファファード&グレイ・マウザー》
「サルナスをみまった災厄」H・P・ラヴクラフト
「ヘルズガルド城」C・L・ムーア 《ジョイリーのジレル》
「アタマウスの遺言」クラーク・アシュトン・スミス 《ハイパーボリア》

 注記しておくと、ダンセイニの作品は、原書では長い題名の後半が省略されて、“Distressing Tale of Thangobrind the Jeweller”という短い題名になっている。弟子のリン・カーターもバランタインの短篇集で勝手にダンセイニ作品を改題しており、ビブリオ・マニア泣かせというほかない。
 
 ディ・キャンプの序文は、「3分でわかるヒロイック・ファンタシー」とでもいうべき概論。定義と歴史をこれ以上なく簡潔に述べている。わが国にこのジャンルの紹介がはじまったとき、だれもがこの序文を引き写していたのも当然だろう。
 ちなみに、「ヒロイック・ファンタシー」という言葉が、はじめて公になった場としても名高い。

 もちろん、当方もその影響を受けていて、『不死鳥の剣』(河出文庫)にはカットナーの作品を採らせてもらった。シリーズ第二作を単体で収録したのは、ディ・キャンプを見習ったわけだ。

 造本面では、ヴァージル・フィンレイのイラストを持ってきて、挿絵がわりに使っているのが特徴。もちろん、べつの小説のために描かれたものなので違和感は否めないが、フィンレイの絵が見られるのだから文句なしである。(2006年5月21日)

2012.10.25 Thu » 『文学上の剣士と魔術師――ヒロイック・ファンタシーの創造者たち』

 注文した本が海外から届けば、いつも小躍りしたくなるのだが、このときはじっさいに本を抱えて踊りまわった。手にはいったことが奇蹟にすら思えた。それがL・スプレイグ・ディ・キャンプの評論集 Literary Swordsmen and Sorcerers: The Maker of Heroic Fantasy (Arkham House, 1976)だ。ちなみに表紙絵はティム・カークの筆になるもの。

2005-7-21 (Literary Swordsmen)

 なにしろアーカム・ハウスの本である。おまけに斯界の重鎮ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシー論である。当方にとっては、まさに「聖典」としか呼びようがない。25年前から名前だけ知っていて、まさか手にはいることはないだろうと思っていた本なのだ。紙のせいなのか、インクのせいなのか、独特のにおいがするのだが、それもまた好もしく思えてくる。

 内容は、ヒロイック・ファンタシーの主要作家9人(追記参照)の評伝に概論を足したもの。日本で書かれたヒロイック・ファンタシー関係の文章は、ほとんどがこの本(あるいは、その元になった雑誌発表版)をタネ本にしている。もちろん、当方も例外ではなく、河出文庫のアンソロジー『不死鳥の剣』の解説を書くときに下敷きにした。
 そういうわけで、内容に新味はないのだが、当方はこの本を舐めるように読んだ。ディ・キャンプのヒロイック・ファンタシーにかける情熱が伝わってきて、読んでいるとひとりでに顔がにやけてくる。こういう経験は、ざらに味わえるものではない。
 もっとも、先人の業績は認めたうえで、それを批判的に乗り越えることが、あとにつづく者に課せられた義務だろう。この本に関しても、それは例外ではない――と、自戒をこめて記しておく。

おまけ
 せっかくなので、扉ページもスキャンしておく。ディ・キャンプの署名入り。左ページの図版はダンセイニの「ブラグダロス」に付されたシームのイラストである(2005年7月21日)。

2005-7-21 (Literary Swordsmen 2)

【追記】
 具体的にはウィリアム・モリス、ロード・ダンセイニ、H・P・ラヴクラフト、E・R・エディスン、ロバート・E・ハワード、フレッチャー・プラット、クラーク・アシュトン・スミス、J・R・R・トールキン、T・H・ホワイトの9人。

2012.10.24 Wed » 『クトゥルー2000』

【承前】
 ジェイムズ・ターナーが編んだアンソロジーを紹介をしておこう。ものは Cthuluh 2000: A Lovecraftian Anthology (Arkham House, 1995) だ。ただし、当方が持っているのは、例によって99年にデル・レイから出たトレードペーパーバック版だが。

2008-7-20(Cthulhu 2000)

 表題を見ると、《クトゥルー神話》アンソロジーかと思うが、じっさいはちょっとちがう。副題にあるとおり、ラヴクラフトの精神を新世紀に伝えていこうという趣旨で編まれており、収録作品はかならずしも《クトゥルー神話》にふくまれるわけではない。というのも、ラヴクラフトは、《クトゥルー神話》ばかり書いていたわけではないからだ(たとえば、ブラック・ユーモアの秀作「死体安置所にて」などを思いだしてもらいたい)。
 したがって表題は一種のインチキだが、やはりインパクトは絶大。ターナーの商売人としての才覚をよく表している。

 特徴は、ラヴクラフトの作品や《クトゥルー神話》がポップ・カルチャーの一部となっている現状を踏まえ、そのイメージや用語を借りて独自の作風を追求している作品、逆に神話用語はいっさい使わないのにラヴクラフトの後継者ぶりを発揮している作品を選んでいること。同じように、ラヴクラフト/《クトゥルー神話》の新世代作家を網羅しながら、ラヴクラフトの完全コピーに喜びをおぼえている同人誌レヴェルの作品をずらりと並べたロバート・M・プライス編の The New Lovecraft Circle (1996) とは好対照である。

 収録作品はつぎのとおり――

1 荒地  F・ポール・ウィルスン
2 Pickmans' Modem  ローレンス・ワット=エヴァンズ
3 シャフト・ナンバー247  ベイジル・カッパー
4 彼の口はニガヨモギの味がする  ポピー・Z・ブライト
5 The Adder  フレッド・チャペル
6 Fat Face  マイクル・シェイ
7 大物  キム・ニューマン
8 “I Had Vacantly Crumpled It into My Poket...But by God, Eliot, It Was a Photograph from Life!”  ジョアンナ・ラス
9 ラヴクラフト邸探訪記  ゲイアン・ウィルスン
10 考えられないもの  ブルース・スターリング
11 角笛を持つ影  T・E・D・クライン
12 Love's Eldritch Ichor  エスター・M・フリーズナー
13 道化師の最後の祭り  トマス・リゴッティ
14 The Shadow on the Doorstep  ジェイムズ・P・ブレイロック
15 黄泉の妖神  ジーン・ウルフ
16 パイン・デューンズの顔  ラムジー・キャンベル
17 大理石の上で  ハーラン・エリスン
18 北斎の富嶽二十四景  ロジャー・ゼラズニイ 

 ラス、スターリング、ブレイロックなど、ターナーの肝いりでアーカム・ハウスから本を出した作家をはじめとして、SF畑の人材が目立つ。彼らの作品は、守旧派からは総すかんを食いそうなものが多く、ターナーの面目躍如である。
 ちなみに1,9,15は、やはりラヴクラフト・トリビュートを意図してロバート・E・ワインバーグ&マーティン・H・グリーンバーグが編んだオリジナル・アンソロジー『ラヴクラフトの遺産』(創元推理文庫)から、3,11,16はラムジー・キャンベル編による新世代作家《クトゥルー神話》オリジナル・アンソロジー『真ク・リトル・リトル神話大系 6(Ⅰ―Ⅱ)』(国書刊行会)から採られている(追記参照)。
 後者は自社本からの再録になるが、宣伝の意図や、作者に印税をまわす意図があったのだと思う。もちろん質は折り紙つきなので、はじめて読む読者のためを思えば、再録も歓迎したい。

 未訳作品に触れておきたいが、記憶がたしかなものだけについて書く。
 12はラヴクラフトの子孫(若い女性)が、「インスマウスの影」をロマンス出版社に送りつけてきたことからはじまるドタバタを描いた作品。たぶん発想の大元は Lovecraft という名前が「愛の技巧」という意味を持つことだと思う。細かいくすぐりがいっぱいで、ゲラゲラ笑いながら読める。
 5も抱腹絶倒のパロディ。『ネクロノミコン』という書物は、ほかの本と接触させると、そのエネルギー/美質を吸い取り、内容を劣化させる性質があった、という発想で書かれている。ミルトンの詩が、どんどん劣悪になっていく過程がおかしい。
 2は題名がすべてを語っているショートショート。
 8のおかしな表題は、ラヴクラフトの「ピックマンのモデル」に出てくる台詞から。そのイメージを借りて、現代人の孤独を描いたみごとな作品である。
 14は、神話用語はいっさい出てこないながら、ラヴクラフトの「インスマウスの影」を強く想起させる技巧的な作品。

 ちなみに18は拙訳が小川隆・山岸真編『80年代SF傑作選[上]』(ハヤカワ文庫SF)におさめられている。作品自体はサイバーパンク風味の電脳ものだが、途中で冗談のように《クトゥルー神話》のモチーフが使われており、訳しながらニヤニヤしたものである。《クトゥルー神話》がポップ・カルチャーのイコンとなっていることを如実に示す作品といえよう。(2008年7月20日)

【追記】
 同書はのちに新装版が出た。『新編 真ク・リトル・リトル神話大系』の第6巻と第7巻(ともに国書刊行会、2009)である。


2012.10.23 Tue » 『宇宙時代の記憶』

【承前】
 アーカム・ハウスといえば、昨日も書いたとおり怪奇幻想文学専門の小出版社だが、一時期SF方面に大きく舵を切ったことがある。1980年代初頭から1990年代なかばまでの約15年間で、つぎのような作家の本を出した――
 マイクル・ビショップ(3冊)、グレッグ・ベア、ジョアンナ・ラス、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(2冊)、ルーシャス・シェパード(2冊)、J・G・バラード、ブルース・スターリング、マイクル・スワンウィック、ジェイムズ・P・ブレイロック、ジョン・ケッセル、ナンシー・クレス、アレグザンダー・ジャブロコフ、メアリー・ローゼンブラム、イアン・R・マクラウド。SFとの境界線でタニス・リー、マイクル・シェイ。
 このうちティプトリー・ジュニアの『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』(ハヤカワ文庫FT)とシェパードの『ジャガー・ハンター』(新潮文庫)は邦訳がある。

 一部の海外SFマニアにとっては垂涎のラインナップ。その大半が短篇集であるのも嬉しい。ちょうど大手の出版社が新人や中堅の短篇集を出さなくなった時期で、アーカム・ハウスの活動はSF界にとっても比重が大きかった。
 これは四代目(追記1参照)の統括責任者ジェイムズ・ターナーの功績。SFは従来の路線にくらべて部数が多いから実利的な理由もあったのだろうが、同じことをやっていてはジリ貧になるだけだ、という危機感からきた英断だと思われる。もっとも、そのおかげでコアな怪奇幻想文学マニアからは「アーカム・ハウスの伝統を破壊するな」と批判を浴びたらしいが。マニア気質というのは洋の東西を問わないようだ。
 ジェイムズ・ターナーというのも面白い人だが、その紹介は適任の方にまかせるとして、ここでは蔵書自慢をする。

 J・G・バラードの短篇集 Memories of the Space Age (Arkham House, 1988) は、バラードの「宇宙開発もの」を集成した短篇集。発行部数は4903だそうだ。バラードにしてこの数字か、と思うべきか、バラードだからこの数字だ、と思うべきか。ちなみにペーパーバック版は出ていない。

2008-2-6(Myths 1)

 ジャケットにはエルンストの名画「雨の後のヨーロッパ」があしらわれ、なかにはJ・K・ポッターのイラストがふんだんにはいっている。持っているだけで嬉しい本だ。自慢ついでにポッターのイラストも載せておく。

2008-2-6(Myths 2)

 例によって目次を書き写すと――

砂の檻
地球帰還の問題
死亡した宇宙飛行士
ウェーク島へ飛ぶわが夢
News from the Sun
宇宙時代の記憶
近未来の神話
月の上を歩いた男

 ご覧のとおり、非常に質の高い作品ばかり。これは日本版を出す価値があると思う。未訳は1篇だけだが(追記2参照)、邦訳はいろんな短篇集に分散しているうえに、多くは入手困難なので、1冊にまとめる意義はあるはずだ。
 と思って複数の出版社に話を持ちかけたが、色好い返事はもらえなかったのだった。嗚呼無情(追記3参照)。(2008年2月6日)

【追記1】
 社主で編集長だったオーガスト・ダーレスが1971年に亡くなったあと、共同設立者だったドナルド・ウォンドレイ、ついでロデリック・メンが編集長となったが、期間は合わせて4年にすぎなかった。1975年にターナーが編集長となり、1996年までその任に当たった。

【追記2】
 この時点で未訳だった1篇は、J・G・バラード追悼特集を組んだ〈SFマガジン〉2009年11月号に「太陽からの知らせ」として訳出された。

【追記3】
 バラードは本国で短篇全集が刊行されているため、短篇集のバラ売りはしてくれなくなった。したがって、この本の日本版を出せる可能性はほぼなくなった。
 余談だが、バラードの短篇集『ヴァーミリオン・サンズ』が再刊されないのは上記の理由だそうだ。
 短篇集が品切れにならず、契約が更新されていれば、その短篇集を出しつづけることは可能だが、いったん契約が切れた場合はそうはいかない。前に出ていた本だからといって、無条件に再刊できるわけではないのだ。こうした事情はめったに公にならないが、版権上の理由で、出したくても出せない本があることは理解しておいたほうがいい。

2012.10.22 Mon » 『アーカム・ハウスの六十年』

 先日ある編集者と話していたら、例によって本の部数の話になった。おわかりだと思うが、いかに翻訳ものが売れないか、という景気の悪い話である。
 そのときふと思いだした本があるので、そのことを書くしだい。幻想文学研究家として有名なS・T・ヨシが編纂した Sixty Years of Arkham House (Arkham House, 1999) だ。

2008-2-5(Arkham House)

 表題どおり、怪奇幻想文学専門の小出版社の雄、アーカム・ハウスの歴史に関する本。といっても、想像されるような内幕ものノンフィクションではなく、出版物のカタログに記事がくっついたものだ。したがって、本の内容はリストと索引が大半。書誌に興味がない人にとっては一文の価値もない本だが、当方にとっては宝物である。

 細かいことをいうと、創立者オーガスト・ダーレスの編纂で1970年に出た Thirty Years of Arkham House の増補版。そこから「アーカム・ハウス――1939-1969」という回顧録が再録され、そのつづきとなる「アーカム・ハウス――1970-1999」をヨシが書き下ろしている。
 ダーレスの回顧録は、私財を投じてまでアーカム・ハウスの経営をつづけたダーレスの奮戦ぶりが胸を打つ。この人がいなかったら、アメリカでは怪奇幻想文学の火はもっと小さなものになっていただろう。出版人としては、ほんとうに偉い人だと思う。
 だが、その苦労話の紹介をはじめると長くなるので、ヨシの記事とともに詳細は省略。ここではべつの話をする。

 この本が面白いのは、出版物のほぼすべてに発行部数が記載されていることだ。それを見ると、すくないもので1000部前後。多いもので5000部前後だとわかる。平均して3000部というところだろうか。
 参考までに書いておくと、最初に出したラヴクラフトの The Outsider And Others (1939) は1268部、この本の元版 Thirty Years of Arkham House は2137部だそうである(この本の部数は書いてない)。
 この数字をどう見るか、いろいろと考えさせられる。

 さて、本書のジャケットは、アレン・コスゾウスキーという人のイラストが飾っている。裏表紙の部分にアーカム・ハウスの社屋がデフォルメされて描かれているので、スキャンして載せておいた。お楽しみください。(2008年2月5日)

2012.10.21 Sun » 『ファンタシー入門』

 昨日書いた『SF入門』の姉妹編が、ベアード・サールズ、ベス・ミーチャム&マイクル・フランクリン著の A Reader's Guide to Fantasy (Avon, 1982) だ。ポール・アンダースンが序文を寄せている。

2011-3-25(Reader's)

 こちらはだいぶあとになってから、神保町の東京泰文社で買った。すでに同種の資料本を持っていたので、SF篇ほど使い倒しはしなかったが、それでも手に入れたときはうれしかった。

 内容だが、SF篇とまったく同じ形式で作られている。SF篇もそうなのだが、セクションのタイトルがいちいち気が利いている。日本語にすると面白さが半減するので、そのまま書き写すと――

1. Robert E,, Howard Phillips, J. R. R. & Co. (作家名鑑)
2. Ayesha to Zimiamvia (シリーズものリスト)
3. Beyond the Fields We Know, There and Back Again, That Old Magic (サブジャンル別主要作リスト)
4. The Seven-League Shelf (名作リスト)
5. Half My Daughter and the Hand of My Kingdom (受賞作リスト)
6. Who Goes to the Wood beyond the World... (簡便な通史)

 中心になるのは作家名鑑で、約220ページのうち約145ページ(約65パーセント)を占めている。
あいにく、「この作家が好きなら、こちらの作家も試してみよ」という案内はついていない。

 書き忘れたが、著者たちはアメリカSFファンダムの大物で、SF専門書店ザ・サイエンス・フィクション・ショップのスタッフだった人たち。ベアード・サールズは書評家として有名だったし、ベス・ミーチャムはのちの名編集者である。(2011年3月25日)

2012.10.20 Sat » 『SF入門』

【前書き】
 以下は2011年3月24日に書いた記事である。誤解なきように。


 ジャック・ボドゥのSF入門書『SF文学』(文庫クセジュ、2011)を読んだ。訳者の言葉を借りれば「その起源(シェリー、ポー、ヴェルヌ、ウェルズ)、国ごとの歴史(アメリカ、イギリス、フランス)、主要テーマ(宇宙、時間、機械など)からジャンルの全体像を浮かびあがらせ」ようという試みである。
 なにしろ新書サイズ140ページほどの分量(400字詰め原稿用紙にして250枚くらい)なので、その試みが成功しているとはいいがたいが、フランス人の視点で書かれているので、いろいろと興味深かった。たとえば、近年はフランスでもスチームパンクが大人気らしいが、そのスチームパンクは、果たしてわれわれの知っているスチームパンクと同じものなのか。つぎはぜひフランスSFの入門書を書いてほしい。

 重箱の隅をつつこうと思えばいくらでもつつけるが、そういうのはマニアの楽しみ。とはいえ、アメリカ人の Munsey を「ムンゼイ」と表記するのだけは勘弁してほしかった。出てくるたびに、尻のあたりがこそばゆくなる。

 さて、コンパクトなSF入門といえば、当方が学生時代いちばんお世話になったのがベアード・サールス、マーティン・ラスト、ベス・ミーチャム&マイクル・フランクリン著の A Reader's Guide to Science Fiction (Avon, 1979) だ。神保町を歩いていたら、崇文荘書店の店頭の本棚にささっていた。ふだん素通りする店だったので、まったくの僥倖。以来、ボロボロになるまで使っている。

2011-3-24(Reader's)

 これは映画『スター・ウォーズ』公開後のSFブーム時にたくさん出た入門書の一冊。ペーパーバック・オリジナルで270ページほどの分量だが、作家名鑑、シリーズものリスト、ヒューゴー&ネビュラ賞受賞作リスト、名作リスト、簡便な通史から成っており、サミュエル・R・ディレイニーが序文を寄せている。

 なかでは作家名鑑が全体の75パーセントを占めており、200人の作家をとりあげている。当時これほど簡便な作家名鑑はほかになかったので、本当に重宝した。

 特徴的なのは、「この作家が好きならこういう作家を読んでみろ」と読書案内が付されていること。これがけっこうひねくれていて、どういう理由で選ばれているか、考えるのも面白い。
 たとえばブライアン・オールディスを引くと、「ジョン・ブラナーかT・J・バス」を試せと書いてある。(2011年3月24日)

2012.10.19 Fri » 『SFとファンタシー蒐集家のための公式価格案内 第三版』

 今回はドン&マギー・トンプスンの The Official Price Guide to Science Fiction and Fantasy Collectibles: Third Edition (Random House, 1989) をとりあげる。なぜかというと、うちの書棚では昨日とりあげたジョージ・マンの本のとなりに置いてあるから。本の大きさや作りが似ているのだ。ただし、こちらは約480ページなので、ひとまわり薄い。この本は、高田馬場のビブロスで買ったのだった。

2011-3-27 (Collectors)

 表題からおわかりのように、筋金入りのコレクターが著したSF&ファンタシーの蒐集指南書。著者はふたりとも1950年代から活動をつづけるSFファンだという。

 簡単なジャンル概説やコレクター心得のあと、作家やイラストレーター、雑誌、コミック・ブックなどをアルファベット順に紹介する部分がつづく。面白いのは「フィルクソング、その他のレコーディング」という部門があることで、さすがに年季のはいったファンはちがう。

 だが、本書の主要部分は「ファンタシーとSFの名前」と題された作家名鑑の部分だろう。240ページほどあるので、この部分だけで本書の半分近くを占める。

 作家名鑑なので、簡単な紹介文のあと著作リストがつづくわけだが、プライス・ガイドの名のとおり、主要な作品には古書相場のお値段が付してある。例によってブライアン・オールディスを引いてみると――

1967 『隠生代』pb50セント
1968 『世界Aの報告書』pb50セント
1976 『マラキア・タペストリ』pb75セント

 じつは本来の用途でこの本を使ったことがない。ときどき引っぱりだしてパラパラやっているだけ。というのも、図版が豊富だからだ。カラーページも8ページあって、古いパルプ雑誌の表紙やら、ブラッドベリ『華氏451度』の版ちがいやら、フリースの原画やらが紹介されている。
 そういうふうに眺めるだけなので、すぐに記憶からぬけ落ちて、つぎに本を開くとき、一枚一枚の図版を新鮮な気持ちで眺められる。ザルのような記憶力も、たまには役に立つのである。(2011年3月27日)

2012.10.18 Thu » 『マンモスSF百科事典』

 SF百科事典ならば、ジョージ・マンの The Mammoth Encyclopedia of Science Fiction (2001) を紹介したい。初版はイギリスのロビンスンから出たが、当方が持っているのは、同年にキャロル&グラフから出たアメリカ版である。

2011-3-26(Mammoth)

 これは2003年にフロリダへ行ったとき、たまたま立ち寄ったショッピング・モールの書店で見つけたもの。この店のSFコーナーが驚くほど充実していて、アレステア・レナルズやケン・マクラウドらのイギリス版ハードカヴァーがずらりと並んでいたのが印象に残っている。
 
 こんな本が出ていたのはまったく知らなかったので、中身も見ずに買ってホテルに帰り、本を開いて驚いた。
 なんとこれ、たったひとりの人間が書きあげたSF事典なのだ。大判ペーパーバックで600ページを超える大冊。著者のパワーと執念には、ただただ敬服するしかない。
 あんまり驚いたので、〈SFマガジン〉2004年1月号の「SFスキャナー」欄に紹介文を書いた。以下、それを要約する。

 著者のジョージ・マンはイギリス人。当然というべきか、随所にイギリスびいきの面が見られ、アメリカ中心におちいりがちなこちらのSF観をゆさぶってくれる。

 全体は大きく四つに分かれている。すなわち、SF史の概観、名鑑形式によるSF作品の紹介、事典形式による用語解説、賞関係のリストと詳細な索引だ。
 
 名鑑の部は「ページ上のSF」と「スクリーン上のSF」のふたつから成り、前者は153人の作家・イラストレーターと24の雑誌・ウェブ・ページ、後者は97の映画と20のTVシリーズをとりあげている。

 特徴的なのは古めの大物作家をばっさり切るかわりに、80年代、90年代の新人にページを大きく割いている点。たとえば、フレドリック・ブラウンやエドモンド・ハミルトンの項目がないかわりに、エリック・ブラウンやピーター・F・ハミルトンの項目があるといった具合だ。
 また、各作家の項目に、同傾向の作家・作品を推奨するセクションが設けられている。一例としてブライアン・オールディスの項を見ると、マイクル・ムアコックの『この人を見よ』、トマス・M・ディッシュの『キャンプ・コンセントレーション』、ロバート・A・ハインラインの『宇宙の孤児』、ジーン・ウルフの The Book of the Long Sun があげられている。

 ちなみに表紙絵はリチャード・クリフトン=デイ。じつはロック・バンド、ブルー・オイスター・カルトが1980年に発表したアルバム「カルトサウルス・エレクタス」のジャケット絵の使いまわしである。
 このアルバムの1曲め Black Blade は、マイクル・ムアコックの《エルリック》シリーズに材をとったもので、ムアコック本人が作詞を担当している。そのむかし、当方がすり切れるほど聴いたアルバムであり、書店でこの絵を目にしたときは、その点でも驚いたのだった。(2011年3月26日)

【追記】
 著者のマンは、現在では小説家として活躍しており、短篇「砕けたティーカップ――モーリス・ニューベリーの事件簿」が、スチームパンク特集を組んだ〈SFマガジン〉2010年6月号に訳出されている。


2012.10.17 Wed » 『SF百科事典』

【承前】
 ロバート・ホールドストックという人は、ファンあがりの作家らしく、人脈を活かした本をほかにも作っている。その最良の成果といえるのが、Encyclopedeia of Science Fiction (Octopus, 1978) だ。

2008-10-20(Encyclopedia)
 
 コーヒーテーブル本と呼ばれる、グラフィック主体の大型ハードカヴァー。ほとんどのページにカラー図版が配されており、古いSF雑誌や単行本の表紙はもちろんのこと、当時隆盛を迎えていたイギリスSFアートがふんだんに掲載されている。眺めているだけで楽しい本だ。
 
 表題は百科事典となっているが、じっさいは評論集。SFのさまざまな側面を論じた概説が、全部で12本掲載されている。
 その執筆陣が適材適所という感じ。たとえば、黎明期のSFについてはブライアン・ステイブルフォード、SF雑誌についてはマイクル・アシュリー、「英雄としての機械」というテーマではハリイ・ハリスンが健筆をふるっている。

 なかでもクリストファー・プリーストの“New Wave”という一文は熟読した。表題どおり、1960年代のニュー・ウェーヴ運動を総括した評論だが、〈ニュー・ワールズ〉一派だけでなく、アメリカでの動きにも目配りした非常にバランスのとれた文章で、これを読めばニュー・ウェーヴについて、おおよそのところはわかる。
 あんまり感激したので、勉強をかねて訳すことにし、〈BAGATELLE〉2号に「新しい波――六〇年代の急進的変革」という題名で載せた。

 あとで知ったのだが、ニュー・ウェーヴという言葉は、作家デビュー前のプリーストが、ファンジンで使ったのが最初らしい。フランス映画の「ヌーベル・バーグ」から転用したとのこと。なるほど、ニュー・ウェーヴ運動は、プリーストの人生を変えたのだなあ。道理で力のこもった評論を書くわけだ。

 〈SFマガジン〉2000年2月号が1960年代SFの特集を組んだとき、上記評論を訳しなおしたものを載せてもらった。「ニュー・ウェーヴ――60年代の急進的改革」がそれだが、副題は編集部がつけたものである。

 ところで、今回いろいろと確認するためホールドストックのことを調べたら、SF作家としてはほとんど評価されてないらしいとわかってショックを受けた。
 なにしろ、手持ちの最新SF百科事典(これはほんとうの事典)には項目がなく、よく使う書誌サイトではSF作家ではなくホラー作家に分類されているのだ。ちなみに、どちらもイギリス人の仕事である。
 本国でこうだと、わが国ではもっと知られていないのだろうなあ。角川や新潮文庫で本が出たり、別名義でホラーが6冊も訳されたりした事実は忘れられ、サンリオSF文庫とともに伝説と化すのかもしれない。(2008年10月20日)

【追記】
 本書については、安田均氏が〈SFマガジン〉1979年5月号の「SFスキャナー」欄で紹介されたことがある。

2012.10.16 Tue » 『アルビオンの星々』

 前回のつづき。
 学生時代の数すくない手持ちアンソロジーの一冊というのは、ロバート・ホールドストック&クリストファー・プリースト編の Stars of Albion (Pan, 1979) のことだった。

2008-10-17(Stars)

 じつはこの表紙、デザインの関係で元の絵のよさが消えてしまっている。ロボットが紅茶(カップに描かれたイングリッシュ・ローズに注意)を飲んでいるという絵柄で、まさに「英国SF」を表現しているのだが、そのロボットの顔に文字と枠がかぶさってしまっているのだ。のちに複数のアーティストの作品を集めたSF画集で元の絵を見たときには、本当に驚いたものだ。これではボブ・ノリントンという画家があまりにもかわいそうなので、特記しておく。

 さて、記録を見ると、原書のSFアンソロジーとしては3冊めに手に入れたもののようだ。東京泰文社のシールが貼ってないところを見ると、神田駅前にあった三省堂仮店舗のワゴンセールで買ったものだろう。あのころは、イギリスのSFペーパーバックがごろごろ転がっていたのだよなあ。

 アルビオンというのはイギリスの古名。わが国でいえば「やまと」とか「秋津島」という感じだろうか。表題から想像できるように、当時のイギリスSFの精髄を集めた国威高揚アンソロジーである。
 収録作はつぎのとおり、例によって発表年と推定枚数を付す――

Sober noise of morning in a marginal land ブライアン・W・オールディス '71 (50)
死ぬべき時と場所 J・G・バラード '69 (25)
モナリザ狂想曲 ボブ・ショウ '76 (55)
生なきもの ジョン・ブラナー '67 (60)
娼婦たち クリストファー・プリースト '78 (40)
Warlord of Earth デイヴィッド・S・ガーネット '77 (30)
夜の涯への旅 ロバート・ホールドストック'76 (65)
Dormant soul ジョゼフィン・サクストン '69 (50)
地底潜艦〈インタースティス〉 バリントン・J・ベイリー '62 (45)
旅行者の休息 デイヴィッド・I・マッスン '65 (40)
To the Pump Room with Jane イアン・ワトスン '75 (30)
降誕祭前夜 キース・ロバーツ '72 (100)

 オールディスとサクストンの作品の綴りが先頭をのぞいて小文字ばかりなのは、同書の表記に合わせたため。同書はこの点にこだわっていて、バラード、ホールドストック、ベイリーの作品も同様の表記がなされている。どういう意図なのだろう。

 編者たちがいうように、ここ10年ほどの作品に絞っているので、ニュー・ウェーヴ寄りの作品が多い。そのせいか、陰々滅々したディストピアものばかり。そのなかでベイリーの暴走ぶりはひときわ異彩を放っていた。

 当時邦訳があったのは、バラード、ブラナー、マッスンの作品だけ。張り切ってファンジン翻訳用の秀作を探そうとしたが、当時の語学力では歯が立たない作品が多かった。
 じっさい、オールディス、ガーネット、サクストン、ワトスンの作品は、今回同書を引っぱりだしたついでに初めて読んだ。30年ぶりに胸のつかえがとれた気分だ。
 なかではサクストンの作品が面白い。孤独な中年女のもとを天使のような姿をした宇宙人が訪れて……。SFの要素がメタファーでしかない典型的なニュー・ウェーヴ作品である。

 話をもどすと、ホールドストックの作品はかろうじて良さがわかり、後輩に頼んで訳してもらった。〈BAGATELLE〉3号に載っている「時の鎖縛」がそれである。その後、当方がプロになってから訳し直し、上記の題名で〈SFマガジン〉1992年6月号に載せてもらった。
 ちなみに「不老不死の話――イギリスSFの地下水脈」という特集のなかの1篇だが、この特集は当方が担当した。

 むかし話ばかりで恐縮だが、もうしばらくつづけたい。(2008年10月17日)


2012.10.15 Mon » 「地底潜艦」のこと

【承前】

 当方が大学SF研にはいったころは、ちょうどベイリー小ブームの時期と重なっていた。ファンジンを作ろうと思ったとき、その翻訳を載せようと思うのは自然な流れだった。
 似たようなことを考えたファンはたくさんいて、当時の翻訳系SFファンジンは、ベイリーの翻訳を競うように掲載していた。さすがに「マニアのアイドル」といわれただけのことはある。

 数すくない手持ちのアンソロジーのなかに“The Radius Riders”という40枚ほどの短篇があって、これがなかなかの秀作。当時はベイリーの短編集を持っていなかったし、ほかに作品を探す能力もないので、これを翻訳することに決めた。
 ちなみに〈舞〉というファンジンが、まったく同時期(1983年)にこの作品を翻訳し、35号から37号にかけて連載していたことをあとで知った。考えることはみな同じである。

 さて、問題の翻訳は「地底潜艦〈インタースティス〉」の題名で中央大学SF研究会の正会誌〈BAGATELLE〉2号(1983年9月15日発行)に載った。訳者は林暁となっているが、じつは後輩が訳したものに当方が手を入れた。実質的な共訳である。
 弟(追記参照)にイラストを描いてもらったが、これが力作なので、参考までに載せておく。

2008-10-17(Interstice 2)


 ところで訳題だが、これには苦労した。“The Radius Riders”という原題は頭韻を踏んでいて悪くないが、どうにも日本語にならない。先述の〈舞〉掲載訳では原題のまま通しているくらいだ。けっきょく作品中で主役をはるガジェットの名前をとることにした。

 「地底潜艦」というのは「subterrene vessel」の訳語だが、これを「潜地艦」と訳さず、「地底潜艦」としたのが後輩だったのか、当方だったのか記憶にない。だが、「地底戦艦」と音が同じになり、語呂がいいではないかと思ったのは憶えている。

 ところが、これが仇になって、題名を「地底戦艦〈インタースティス〉」と誤記されることが多くなった。じっさい、正しい表記を見るほうが珍しいくらいだ。げんに多くの人が参照する書誌サイトにも誤記されており、このまちがいは今後も拡がるだろう。弱ったなあ。

 翻訳を〈SFマガジン〉に載せてもらえるようになって、この作品を持ちこんだ。ファンジンの該当ページをコピーしてわたしたら、当時の担当(阿)さんが気に入ってくれて、めでたく掲載が決まった。イラストも気に入ってくれたのか、やはり弟が描くことになった(下の図版参照)。(2008年10月17日)

2008-10-17(Interstice 1)


【追記】
 イラストレーターの中村亮のこと。当時はアマチュアだった。

2012.10.14 Sun » バリントン・J・ベイリー四回忌

【前書き】
 本日は不世出のSF作家バリントン・J・ベイリーの四回忌だ。故人を偲んで2008年10月16日に書いた記事を公開する。


 去る14日、英国のSF作家バリントン・J・ベイリーが亡くなったそうだ。腸癌につづく合併症のため。享年71。
 
 スペースオペラの枠組みに、マッドな擬似科学的アイデアを大量にぶちこみ、形而上学的な思弁を繰り広げる作風は、ときに「メタフィジカル・スペース・オペラ」と呼ばれ、作者自身も「SF界のボルヘス」と異名をとった。
 1970年代後半から80年代にかけて、その特異な作風は識者のあいだで高く評価されたが、一般的な人気には結びつかず、晩年は不遇だった。最近はすっかり名前を聞かなくなっていたし、新作の期待もかけていなかったとはいえ、やはり残念でならない。 

 本国と同時期に、わが国でも安田均氏と関西SF研究会の面々に端を発するベイリー小ブームが巻き起こり、大学生になったばかりの当方も、ずいぶんと感化されたものだった。
 プロット作りの下手さが目立つ長篇よりは、アイデアを一点集中で掘り下げた短篇のほうが、はるかに素晴らしく思える。短篇集『シティ5からの脱出』(ハヤカワ文庫SF)は、当方にとって、いまでも聖典のひとつである。

 じつは、ベイリーの短編をいくつか訳したことがある。記憶がたしかなら、以下のとおり(追記参照)――

1 地底潜艦〈インタースティス〉  SFマガジン1990年6月号
2 彼岸への旅  SFマガジン1995年4月号
3 ロモー博士の島  SFマガジン1996年11月号

 なかでも1にはとりわけ愛着があり、それなりのエピソードもあるのだが、その話はつぎの機会に。
 とりあえず、いまは故人の冥福を祈るばかりである。(2008年10月16日)

【追記】
 この後〈SFマガジン〉2009年5月号がベイリーの追悼特集を組み、当方は「邪悪の種子」と「蟹は試してみなきゃいけない」という小説2篇の翻訳を担当した。
 この特集は大森望氏の監修で、ほかには氏の特集解説と翻訳「神銃{ゴッド・ガン}」、追悼エッセイ2篇、邦訳著作解題、主要著作リストで構成されており、ベイリー・ファン必携の内容となっている。
 ちなみに、同じ号ではトマス・M・ディッシュの追悼特集も組まれていた。

 じつはこの追悼特集が組まれたのと同じころ、日本オリジナル版のベイリー傑作選を出そうという話が持ちあがった。しかし、非常に厄介な版権上の問題が生じ、この企画は流れたのだった。かえすがえすも残念だ。



2012.10.13 Sat » 『惑星を離れて』

 先日シマックの未訳短篇を読みたくて短篇集をとり寄せた話を書いたが、いい機会なので残りの作品も読んでみた。シマックを原文で読むことなど滅多にないからだ。

 読んだのは Off-Planet (Metheuen, 1988) という短篇集。ただし、当方が買ったのは翌年にマンダリンから出たペーパーバック版だが。図書館の廃棄本で、貸し出しカードのポケットが糊付けされていたり、破れているページがあったりして、状態は非常に悪い。が、読むには支障ないので我慢しよう。

2010-3-25(Off the Planet)

 F・ライアルという人が編集にあたっていて、序文も書いている。最後に「1988年1月」と記されているが、そのあと追記があって、本の刊行前にシマックが亡くなったことが報告されている。とすると、これが遺作になるのか。

 収録作はつぎのとおり。例によって発表年と推定枚数も付しておく――

1 Construction Shack '73 (35)
2 鬼 '44 (135)
3 Junkyard '53 (115)
4 The Observer '72 (35)
5 The World That Couldn't Be '58 (120)
6 影の世界 '57 (120)
7 Mirage '56 (70)

 著者の短篇集に未収録の作品を集めたものだが、要するに落ち穂拾い。これはという作品はひとつもない。正直いってがっかりだった。特に文章がスカスカなのには幻滅。作家は最高作で評価されるべきなので、シマックの評価が落ちるわけではないが、未訳作品をバリバリ読もうという気にならないのもたしかだ。

 集中ベストは邦訳のある2。それにつづくのが5だろうか。異星で摩訶不思議なけものを追跡するハンターの話。これに特殊な生態系をめぐる謎の解明がからんでくる。
 追っていくうちに、けものの知能がどんどん高くなり、ハンターは何度も罠にかけられそうになるなど、途中まではいいのだが、結末がいただけない。アメリカ流のハッピー・エンディングが悪いほうに出ている。
 それでも、モンスターSFアンソロジーを編むとき使えるかもしれないので、頭の隅にとどめておこう。(2010年3月25日)

2012.10.12 Fri » 「廃品置場」のこと

 添野知生さんが書かれたダン・オバノンの追悼文を読んだら、映画「エイリアン」の脚本を執筆したとき、オバノンの頭にあったのはクリフォード・D・シマックの“Junkyard”という作品だった、という旨の記述があった。この作品のことは初耳だったので、早速同作が収録されている短篇集をとり寄せて読んでみた。

 問題の“Junkyard”は、〈ギャラクシー〉1953年5月号に発表された115枚ほどの中篇。永らく埋もれていたが、1988年になってイギリスで出た短篇集 Off-Planet に収録された。
 こんな話だ――

 舞台は辺境の惑星。宇宙船のエンジンらしきものが、バラバラになって散らばっているのを地球の探検隊が見つける。まさに歴史的な発見だ。人類以外に宇宙航行の技術を持つ異星人の痕跡が、はじめて見つかったのだから。
 しかし、調査は遅々として進まないうえ、たいへんな事態が持ちあがる。宇宙船のエンジンを始動させられないのだ。それに関する知識が、乗組員全員の頭からきれいさっぱり消えていたのである。
 やがて、遠方にべつの異星人の宇宙船が発見される。数千年は遺棄されていたらしいが、エンジンが何者かにとり去られた形跡がある。とすると、あとからこの星へ来た宇宙船の乗組員が、自分たちのエンジンを捨て、それを利用したにちがいない。つまり、彼らも自分たちのエンジンを動かせなくなっていたのではないか。
 やがて記憶消失の原因が、着陸地点の付近にそびえる塔とも小山ともつかぬものだとわかってくる。調査してみると、なかに卵のようなものがあり、これが脳から知識を吸いとっては集めていると判明する。だが、調査の過程で乗組員はつぎつぎと知識と記憶を吸いとられ、幼い子供のようになっていく。
 はたして何者が卵を置いたのか。はたまたその目的は。そして探検隊はこの危機を克服できるのか……。

 と書くと面白そうだが、正直いって凡作。文章がスカスカなうえに、ロジックも穴だらけ。
 シマックは田園作家のイメージが強いが、パルプ時代の生き残りだけあって、ときどきE・E・スミスばりの派手なスペース・オペラを書きたがる。『再生の時』(別題『アンドロイドの叛乱』)が好例だが、いずれも失敗作である。
 これもその系統で、シマックの悪いところが出ている。残念ながら邦訳する値打ちはないだろう。

 ちなみに「エイリアン」との類似は、異星人の宇宙船を発見するくだりと、卵のような遺物に遭遇するくだりだけ。ここからあの脚本をひねり出したのが本当なら、オバノンの才能恐るべしである。(2010年3月13日)

【追記】
 オバノンがこの作品の意義を強調したのは、A・E・ヴァン・ヴォート『宇宙船ビーグル号の冒険』(創元SF文庫)の影響を否定するためだったのではないか、という意見を添野氏からいただいた。卓見だと思う。

 余談だが、『宇宙船ビーグル号の冒険』の現行版には当方による解説がついており、そのなかで映画「エイリアン」の関係についても触れている。ご興味の向きは参照されたい。

2012.10.11 Thu » 『クリフォード・D・シマック 一次および二次書誌』

 クリフォード・D・シマックの書誌を持っていたのを思いだした。20年くらい前に買ったときパラパラめくって、そのまま書棚の奥で眠っていた本。せっかくの機会なのでひっぱり出してみた。

 ミュリエル・R・ベッカーという人の作成した Clifford D. Simak, a primary and second bibiliography (G. K. Hall & Co., 1980)。ハードカヴァーで150ページほどの瀟洒な本だ。残念ながら表紙カヴァーは最初からついていなかったので、扉ページをスキャンした。

2010-3-27(Simak)

 堂々たるシマック論になっている序文(約15ページ、邦訳して40枚くらいか)とベッカーによるシマック・インタヴュー(約8ページ)のあと、書誌と付録の資料と索引が載っている。

 メイン・パートである書誌は四部に分かれているが、これがたいへんな労作。
 パートAはSF小説を年代順にならべ、初出のほか、収録短篇集やアンソロジーのデータも克明に記している。
 パートBは珍しいウェスタンや軍事小説、さらにラジオ化、舞台化作品のデータ。
 パートCは、シマックによるエッセイ・雑文のデータ。SF関係はファンジンに載ったものまで網羅しているほか、新聞記者として発表した記事のたぐいも完璧に網羅している。
 パートDは、シマックの作品を論じた書評や記事のデータ。

 これだけでもすごいが、さらにすごいのは、作成者がほとんどの現物にあたり、CとDの多くに関しては簡単なコメントを付していること。いったいどれだけの労力をかけたのか、考えると気が遠くなりそうになる。

 シマックが新聞記者として活躍していたのは知っていたが、どういう仕事をしていたのかは今回はじめて知った。人生、勉強の連続である。

 ゴシップ的な興味でいえば、インタヴューでジョン・W・キャンベルとの不仲説を認めているのが面白い。キャンベルを一応擁護したあとで批判に転じ、「こっちは彼が(編集者として)登場する前からSFを書いていたんだ」と啖呵を切っている。(2010年3月27日)

2012.10.10 Wed » 『ティム・パワーズのチェックリスト』

【承前】
 ティム・パワーズの書誌といえば、クリストファー・P・スティーヴンズ&トム・ジョイス編の A Checklist of Tim Powers (Ultramarine, 1991) というのを持っていた。

2011-7-26(Powers)

 表紙から裏表紙まで全20ページ、本文は7ページしかないペラペラの小冊子である。ISBNもついていないファン出版物で、版権表示のマルシーの丸は手書きといえば、どんなものかわかってもらえるだろう。

 もっとも、パワーズは寡作なので、書誌としてはこれで充分だったのだ。この時点では単行本が11作、短編が未発表作をふくめて3作リストアップされているだけである。
 
 訳書『幻影の航海』(ハヤカワ文庫FT、1991→改題新装版『生命の泉』ハヤカワ文庫FT、2011)の訳者あとがきにパワーズの著作リストを付したのだが、刊行直後にこのリストを入手して歯噛みしたのをいま思いだした。(2011年7月26日)

2012.10.09 Tue » 『パワーズ――秘史』

 うれしい本が届いた。ジョン・バーリンによるティム・パワーズ書誌 Powers: Secret Histories (PS Publishing, 2009) である。

2011-7-26 (Powers)

 限定1000部のうち309番で、パワーズのサイン入り。大判ハードカヴァーで約570ページ。しかも全ページがコート紙のカラー印刷という豪華版だ。持つとズシリと重く、立派な凶器になる。送料が35ドル98セントもするので悲鳴をあげていたのだが、本が届いたらそれも納得だった。
 それどころか、梱包には44ドル35セントのシールが貼ってある。差額は書店が負担してくれたらしい。ありがたいことである。

 じつは単純な書誌ではなく、パワーズの未発表原稿、執筆前の梗概、創作メモなどを大量におさめた資料本である。パワーズ自筆のイラストが大量に掲載されている点も特徴。パワーズは小説を書くさいに、人物や場面をスケッチするらしいのだ。若いころファンジンに寄せた絵なども載っており、なんとなくほほえましくなる。

 パワーズの友人であるディーン・クーンツ、ジェイムズ・P・ブレイロック、ウィリアム・アシュブレス(たぶんパワーズ本人の変名)、ジョン・ビアラー、チャイナ・ミエヴィル、カレン・ジョイ・ファウラーが文章を寄せているほか、パワーズ本人もセクション毎にコメントを付している。いたれり尽くせりの内容で、まさにファン必携だ。

 まだ編者バーリンの序文とクーンツの文章を読んだほかはパラパラめくっただけだが、図版を見ているだけで時間がどんどん経過していく。パワーズの著作の各国版が網羅されており、日本語版はもちろんのこと、中国語版やハングル版なども載っており、興味はつきない。

 表紙カヴァーを飾っている人物は、パワーズの写真とパワーズ筆によるバイロン像の合成だそうだ。背景の右側は現代のロサンゼルス、左側は19世紀のロンドンなのだろう。(2011年7月25日)

2012.10.08 Mon » 『最後のコール』

 1993年にサンフランシスコで開かれた世界SF大会に参加したとき、ティム・パワーズのサインをもらった。「あなたの本を訳した者だ」と自己紹介したので(追記1参照)、「おれの本を訳すはめになったとは、ご同情申しあげる」と書いてくれた。
 しかし、本の向きが逆さま。ほかのサインを見てもそうなので、やっぱり変わった人なのだろう。

2005-7-26(Last Call 2)

 パワーズがフリッツ・ライバーのファンだと知っていたので、「サンフランシスコといえば、フリッツ・ライバーの街ですねえ」と話をふったら、明らかにこちらを見る目が変わったのを憶えている。そのあとは楽しく話ができたので、ライバーさまさまである。

 本は当時の最新作 Last Call (Willim Morrow, 1992) のペーパーバック版(Avon, 1993)。いま考えればハードカヴァーでなくて失礼だったと思うが、貧乏なのでハードカヴァーを買うという発想がまるでなかったのだ。

2005-7-26(Last Call)

 表題の call はポーカー用語の「コール」。ラスヴェガスを舞台に放浪のギャンブラーが、何千年も生きている「悪の漁夫王」と戦う話で、パワーズがはじめて現代史に材をとり、のちの路線を拓いた意欲作である(追記2参照)。ちなみに世界幻想文学賞受賞作。

 じつは刊行当時、当方がリーディングを担当し、「面白いことは面白いが、日本ではまず受けないので、邦訳を出すまでもない」という評価を下した。この本を面白がるには、伝説のギャングスター、バグジー・マローンとラスヴェガスの関係、エリオットの詩「荒地」、アーサー王伝説と漁夫王、ポーカーとタロー・カード、ユング派心理学/神話學の知識があったほうがいいからだ。
 上記の判断が間違っていたとは思わないが、それ以後パワーズの邦訳が途絶えたことを考えると、慚愧の念に堪えない。
 ごめん、パワーズさん、おれが悪かった。(2005年7月26日)

【追記1】
 18世紀のカリブ海を舞台にしたファンタシー『幻影の航海』(ハヤカワ文庫FT、1991)のこと。のちに映画化に合わせ『生命{いのち}の泉』(同前、2011)と改題のうえ再刊された。

【追記2】
 続篇 Expiration Date (1995) と Earthquake Weather (1997) が出て三部作となった。続篇は2冊ともローカス賞を受賞しており、この三部作への評価は非常に高い。


2012.10.07 Sun » 『奇妙な旅程』

 せっかくなので、ブレイロックの盟友ティム・パワーズの短篇集 Strange Itineraries (Tachyon, 2005) も紹介しておこう。
 版元は新興のスモール・プレス。ここの本は何冊か持っているが、すべて版型がちがうのが面白い。本書は薄手で大判のペーパーバックである。

2007-1-6(Strange)

 ポール・ディ・フィリポが序文を書いていて、パワーズの中短篇が9篇収録されている。うち3篇はジェイムズ・P・ブレイロックとの共作。パワーズは長篇型なので、短篇はこれですべてらしい(追記参照)。ちなみに「遍歴」と「丘をおりる道」は邦訳がある。

 収録作品のほとんどは、ゴースト・ストーリーといえる。とはいえ、ホラーではない。幽霊は出てくるが、その出現がもたらす恐怖が主眼ではないのだ。
 つまり、確固たる現実に超自然が裂け目を入れるところから生ずる恐怖を描くのがホラーなら、現実の輪郭があやふやで、常にゆらいでいる異界との境目を描くのがパワーズのゴースト・ストーリーなのだ。時間をテーマにした作品が多いので、SFに近い印象がある。版元は本書を「サイエンス・フィクション/ダーク・ファンタシー」に分類しているが、まさにその通りである。

 とはいえ、長篇型の作家だけあって、短篇はいまひとつ。どれも悪くはないが、「これぞ傑作!」と叫びたくなるような作品もない。強いていえば、ブレイロックとの共作“Fifty Cents”がいちばん面白い。時間ループを題材に、ひとりの男の悪夢めいた体験を描いた作品である。
 
 ところで、パワーズの作品には「亡妻オブセッション」とでもいうべきものが存在するが、本書も例外ではない。収録作品のほとんどで、主人公の男は妻と死に別れているのだ。
 93年にパワーズに会ったとき、この点について訊いてみたが、答えをはぐらかされた。隣にいた奥さんを指して、「こちらがあなたの亡くなられた奥さんですか」とジョークをいったら、奥さんが「わたしは死んではいませんよ」と返してくれた。いまでは懐かしい思い出である。(2007年1月6日)

【追記】
 それ以後に書かれた作品は、短篇集 The Bible Repairman and Other Stories (Tachyon, 2011) にまとめられた。


2012.10.06 Sat » 『十三の幻影その他の短篇』

 ジェイムズ・P・ブレイロックの短篇集 13 Phantasms and Other Stories (2000) を読んだ。
 初版はエッジウッド・プレスという小出版社のハードカヴァーだが、2003年にエースからトレード・ペーパーバックが出て、2005年にマスマーケット版が出た。当方が持っているのは、もちろん最後の版である。

2007-1-2(13 Phantoms)

 本書はブレイロックの第一短篇集で、1977年に〈アンアース〉に発表されたデビュー作から1998年発表の近作まで16篇を集めている。うち2篇がティム・パワーズとの共作。
 邦訳があるのは「十三の幻影」、「偶像の目」、「ペーパー・ドラゴン」の3篇。
 ちなみに「偶像の目」は『ホムンクルス』でおなじみのセント・アイヴスが活躍する話であり、同シリーズに属す作品はほかに2篇収録されている。“The Ape-Box Affair”のほうは、オランウータンを宇宙人と勘違いしたことから巻き起こるドタバタ、“Two Views of a Cave Painting”のほうは、原始人が洞窟壁画を描いてる現場を見にいく時間旅行譚。この3篇は、本書のなかでは異彩を放っている。

 というのも、通読してわかったのだが、ブレイロックの本領はノスタルジックなダーク・ファンタシーにあるからだ。誤解を恐れずにいえば、レイ・ブラッドベリに似た資質の持ち主である。ただし、ブラッドベリの心の故郷が1920年代のイリノイ(田園)であるのに対し、ブレイロックの心の故郷は1950年代のカリフォルニア(郊外)。このちがいが意外に大きくて、ブレイロックの作品のほうが深い喪失感と苦みをたたえることになる。荒廃の進み具合が早く、大きいからだ。
 その意味で集中ベストは表題作。次点はトリを飾る“Unidentified Object”だろう。

 前者は発表当時に読んで気に入って、〈SFマガジン〉に邦訳を載せたことがある(追記1参照)。古いSF雑誌が鍵になるジャック・フィニイばりのタイムスリップもの。後者は、街に住む変わり者を中心にした青春小説とでもいおうか。SF的要素はメタファーでしかない現代文学である。

 それにしても、「スチームパンク」というキャッチフレーズは、わが国においてブレイロックに対して不利に働いた。人は小説の内容を読まずにレッテルを読むのだなあ、と思わされることもたびたびだが、ブレイロックはその典型。
 なにしろ、1960年代のカリフォルニアを舞台にした擬似パルプ・マガジン風アドヴェンチャー『リバイアサン』(ハヤカワ文庫FT)すら、たいていの人はヴィクトリア朝イギリスが舞台の「スチームパンク」だと認識しているのだ(追記2参照)。同書が大好きだという人間までが、「ここに出てくる蒸気機関は美しい」とのたまうのを聞いて、あいた口がふさがらなかったことがある。同書に出てくる掘削機械は、反物質を燃料にした反重力エンジン(という名目の魔法)で動くのだよ!(2007年1月20日)

【追記1】
 同誌1998年11月号。この号は当方の企画・監修で「世界幻想文学大賞&ブラム・ストーカー賞特集」を組んだ。「十三の幻影」は、1997年度世界幻想文学賞短篇部門を受賞している。
 
【追記2】
 この後スチームパンクの概念は大幅に拡大したので、いまならスチームパンクで通るだろう。「蒸気」よりは「歯車/時計仕掛け」のほうが大事な要素となったからである。

2012.10.05 Fri » 『ケルヴィン卿の機械』

 元祖スチームパンクについてしゃべるように頼まれたので、いろいろと資料にあたっているところ。
 というわけで、ジェイムズ・P・ブレイロックの Lord kelvin's Machine (1992) を読んだ。初版はアーカム・ハウスから出たハードカヴァーだが、当方が持っているのは、例によって同年にエースから出ペーパーバック版である。

2012-7-15(Lord).jpg

 これは邦訳のある『ホムンクルス』(原著1986/ハヤカワ文庫FT)の姉妹編。同じ人物が登場するが、出来事が数年にまたがっていて、『ホムンクルス』で起きた事件は、そのあいだのどこかに位置するらしい。もちろん、主な舞台は19世紀のイギリスである。

 プロローグは壮絶な馬車の追いかけっこ。悪の科学者ナルボンドが、正義の科学者セント・アイヴズの恋人アリスを誘拐したのだ。必死の追跡の途中、路傍にひとりの男があらわれ、馬車を飛ばすセント・アイヴズに紙切れをわたそうとする。もちろん、セント・アイヴズはそんなものにかまっている暇はない。だが、その男になんとなく見覚えがあり、妙な気がかりが残る。
 そしてセント・アイヴズはナルボンドを追いつめるが、すでにアリスは殺されていた。セント・アイヴズは号泣し、復讐を誓うのだった。

 以下、本書は三部に分かれている。

 第一部はもともと「ケルヴィン卿の機械」という中篇として、『ホムンクルス』より前に発表されたもの(〈SFマガジン〉1989年11月号に邦訳がある)。単行本化にさいして細かいところに手がはいっているが、基本的に同じで、迫り来る巨大彗星に地球をぶつけるぞ、と世界を脅迫するナルボンドの陰謀と、それを挫くセント・アイヴズたちの活躍が描かれる。
 表題の〈ケルヴィン卿の機械〉は、地球の磁場をコントロールできる装置で、これをめぐって善玉悪玉入り乱れたドタバタがくり広げられるわけだ。

 第二部は、前のパートで脇役をつとめたジャック・オウルズビーが主人公で、この部分だけ一人称で書かれている。
 前のパートで氷河に消えたナルボンドを捜しだし、氷づけの死体を蘇生させようとしている者たちがおり、セント・アイヴズ一党とのあいだで闘いになる。頭のめぐりの悪い青年の視点で書かれているので、ただでさえ混乱した話がますます混乱し、読んでいるとゲンナリしてくる。

 第三部は〈ケルヴィン卿の機械〉を使って時間旅行をくり返し、なんとかアリスを救いだそうとするセント・アイヴズの苦闘が描かれる。この部分はきわめてまともな時間旅行SFで、タイム・パラドックスや歴史の分岐といった問題がクローズアップされる。
 いうまでもないが、冒頭にあらわれた謎の人物は、時間をさかのぼってきたセント・アイヴズ自身だったわけだ。

 不思議なのは、肝心の〈ケルヴィン卿の機械〉の正体がいまひとつはっきりしないこと。外見は表紙絵に描かれているようなバチスカーフ形だが、磁気制御装置からタイム・マシンに突如として機能が変わるのだ。頭のなかを疑問符が駆けめぐる。

 三人称と一人称をまぜた構成も効果をあげているとは思えない。失敗作というしかないだろう。

蛇足
 アーカム・ハウス版の発行部数を確認しようと思ってS・T・ヨシ編 Sixty Years of Arkham House (1999) を見たら、ヨシがでたらめの説明を書いていて驚いた。なんと、本書は『リバイアサン』(ハヤカワ文庫FT)の続篇で、ロサンゼルスの地下に広がる地底海の住人にまつわる話だというのだ!
 ヨシのいうことは鵜呑みにしないようにしよう。
 ちなみに、発行部数は4015だったそうだ。(2012年7月15日)

2012.10.04 Thu » 『モーロックの夜』

 すでに旧聞に属するが、SFファン交流会7月例会に出演してきた。お題は「スチームパンクとネオ・スチームパンク」。出演はほかに添野知生、石亀航氏で、当方は元祖スチームパンク担当である。

 周知のとおり、スチームパンクというのは、作家K・W・ジーターの造語。1987年にサイバーパンクをもじって造った言葉で、自作や、仲間であるティム・パワーズやジェイムズ・P・ブレイロックが書いていた一群の作品をさすためのものだった。つまり、なかば架空の19世紀イギリスを舞台にした都市型冒険SF/ファンタシーである。

 したがって、ジーターはスチームパンクのゴッドファーザーであり、その作品 Morlock Night (1979) は元祖スチームパンクとして認められている。初版はDAWから出たペーパーバックだが、当方が持っているのは2011年にアングリー・ロボットから出たペーパーバック。スチームパンクの古典として復刊したもので、その観点から書かれたティム・パワーズの序文と、アダム・ロバーツの跋文がついている。

2012-8-2(Morlock)

 題名から想像がつくかもしれないが、本書はH・G・ウェルズの古典「タイム・マシン」の続篇。タイム・トラヴェラーの話を聞きおえたホッカーなる英国紳士が、その帰り道、アンブローズ博士と名乗る男に話しかけられるところからはじまる。
 アンブローズによれば、未来へ旅立ったタイム・トラヴェラーは、モーロックに捕まってタイム・マシンを奪われた。じつはモーロックには、スーパー・モーロックと呼ばれる優秀な種族がいて、その指揮のもと、彼らはタイム・マシンを改良し、この1892年へ攻めてこようとしているのだという。
 ホッカーはその話を一笑にふすが、霧に巻かれて道に迷ったあと、気がつくと街が瓦礫と化した一画に出る。そこではモーロックとの闘いがすでにはじまっているのだった……。

 こう書くと、まともなSFに思えるが、このあと意表をつく展開が待っている。アンブローズの正体は伝説の魔術師マーリンであり、ホッカーに霊剣エクスカリヴァーの探索を命じるのだ。なぜなら、いまは英国の危急存亡のときであり、アーサー王も転生しているが、アンブローズに敵対する勢力の陰謀で力を奪われている。アーサー王を助けるためには、タイム・マシンを使って四つに分けられたエクスカリヴァーを元にもどす必要があるからだ。

 というわけで、時空を股にかけたホッカーの冒険がはじまるのだ。

 こういう話になった理由は、序文でパワーズが明かしている。それによると、もともとイギリスのある出版社が、アーサー王を主人公にした全10冊のシリーズを企画した。英国が危機におちいった各時代にアーサー王が転生するというコンセプトで、企画はポシャったのだが、ヴィクトリア朝を担当する予定だったジーターは、じっさいに作品を書きあげ、ほかの出版社から刊行したというのだ。ジーターにとって、それぐらい書きたい作品だったわけだ。

 くわしい説明は省くが、本書ではロンドンの下層社会が活写される。下水道網をどんどん下っていくと、ロンドンの地下に海が広がっているというイメージは秀逸。
 もっとも、そこに古代アトランティスの遺物である潜水艦があり、モーロックがそれに乗っているというのだから、やはりまともではない。
 
 ところで、この下水道網は、じつは古典的な〈探索と遍歴〉型エピック・ファンタシーにおける洞窟と同じ機能を持っている。高層建築と山、路地と森のなかの小道といった同様の例をあげ、「ファンタシー空間の都市化」(あるいは都市型エピック・ファンタシーの誕生)という話をしたのだが、うまく伝わらなかったようだ。反省。(2012年8月2日)

2012.10.03 Wed » ハネス・ボクの邦訳

 ハネス・ボクといえば、独特の画風で一部に熱狂的なファンを持つイラストレーターだが、メリットに私淑し、そのパスティーシュともいうべき小説を書いていたのはよく知られている。さいわい、代表的な長篇『魔法使いの船』(ハヤカワ文庫SF,1976)と『金色の階段の彼方』(ハヤカワ文庫FT,1982)はわが国にも紹介されている。だが、じつはこのほかにもボクの邦訳はあるのだ。

 〈バルーン〉という雑誌の創刊号(1979年9月)に掲載された「宝玉を求めて」という短編である。

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 これはボクの死後しばらくたってから発見された遺稿のひとつで、中華帝国をモデルにしたと思しい架空の国を舞台とする東洋幻想小説。メリットというよりは、メリメの匂いがする石像幻想譚である。
 訳者は上記二長篇を訳した小宮卓氏。氏は同じ号に「ハネス・ボク=ワンダーランド」という力のこもった紹介文も寄せておられる。けっきょく、ボクの紹介に情熱を燃やしたのはこの人ひとりだったわけだ。

 さて、この邦訳は海賊出版だったらしく、原題や初出の表記がどこにもない。参考までデータを記しておく。

Jewel Quest …… Kadath 1974, No.1

 〈カダス〉というのは、リン・カーターが出していたセミ・プロジン。カーターは晩年のボクと親交があり、その再評価に力を尽くした。上記二長篇もカーターがバランタインの〈アダルト・ファンタシー〉叢書に収録したおかげで、名前が知られるようになったのだ。
 ちなみに、この作品はカーターが編者を務めたDAWブックスの The Year's Best Fantasy Stories (1975)に収録され、多くの読者の目に触れるようになった。

 〈バルーン〉という雑誌についても書いたほうがいのだろうが、それはまたべつの機会に。(2006年10月24日)


2012.10.02 Tue » レム初紹介なりや

 ミステリー文学資料館に行ってきた。目的は、雑誌〈探偵倶楽部〉のバックナンバーに当たること。
 以前この日記に書いたように、同誌は1956年から1957年にかけて集中的にSFを翻訳・紹介した。よほどの目利きがいたらしく、いま見ても納得のラインナップで、のちにべつの形で読めるものになったものばかり。
 常連寄稿者に今日泊亜蘭や都筑道夫がいるので、彼らがブレーンだったのかもしれない。くわしいことをご存じの方がいらっしゃったら、ご教示願いたい。

 つい話がそれた。この雑誌にはロシア/ソヴィエト文学者の袋一平も噛んでいて、ソ連のミステリなどを盛んに紹介していた。その一環としてスタニスワフ・レムの紹介をいち早く行なっているのだ。同誌1958年1月号に短篇「君は生きているのか?」を訳載し、「レムについて」という囲み記事を寄稿しているのである。ちなみに、表記は「スタニスラフ」。レムに関しては、原音表記への移行が成功したといえる。

 この情報は以前から把握していたのだが、現物を見たことがなかった。そこでコピーをとってきたしだい。 

2009-10-18(Lem)

 惹句に「共産圏ポーランドの作家の書いた最も新しい空想科学小説」とあるが、これは掛け値なしの真実。ロシア語からの重訳だが、そのテキストは「技術青年」1957年7月号なので、ほぼリアルタイムの翻訳であったわけだ。

 この作品はのちに〈SFマガジン〉1962年8月号に一字ちがいの「君は生きているか?」の題名で転載された。
 レムはそれ以前に2回同誌に登場しているが、最初がアンケートの回答、つぎがエッセイだったので、小説家としての登場はこの再録が初だった。

 さて、これをレムの本邦初紹介といいたいところだが、ロシア/ソヴィエト文学方面でもっと早く紹介されていた可能性もないではない。しかし、この調査は門外漢の手にあまる。奇特な研究者の出現を待つしかないのであった。(2009年10月18日)