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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.11.30 Fri » 『アトランティスのエラーク』

 パイゾというゲーム系の出版社が《プラネット・ストーリーズ・ライブラリ》という叢書を出している。そのうちの1冊が、ヘンリー・カットナーの Elak of Atlantis (Paizo, 2007) だ。

2008-10-2 (Elak)

 これはうれしい本である。というのも、カットナーは修業時代、ポスト・コナンをねらってヒロイック・ファンタシーに手を染め、ふたつのシリーズを遺したが、本書はその全6作を集大成したものだからだ。この6作が1冊にまとまるのは世界初の快挙である。
 収録作はつぎのとおり――

《アトランティスのエラーク》
暁の雷鳴
ダゴンの末裔
不死鳥の彼方
ドラゴン・ムーン
《レイノル王子》
呪われた城市
暗黒の砦

 じつは《エラーク》シリーズの4篇は、本書と同題の連作集 Elak of Atlantis (Gryphon Books, 1985) として1冊にまとまったことがある。ただし、これはファン出版社が出した500部限定版。稀覯本の類で、当方も入手できずにいた(追記参照)。
 そこへ《レイノル王子》シリーズも合わせた版が出たわけで、これは飛びつくしかない。原文テキストは、各種のアンソロジーに載ったものを所有しているが、これでいちいちアンソロジーを何冊も引っぱりだす面倒が省けるというもの。

 だが、本書には書誌データに誤りがあって、そこが玉に瑕である。というのは、《レイノル王子》シリーズの初出が〈ウィアード・テールズ〉になっているからだ。いうまでもなく、その競合誌〈ストレンジ・ストーリーズ〉が正しい。
 ついでに書いておくと、序文を担当したジョー・R・ランズデイルは〈ストレンジ・テールズ〉と誤記している。混同しやすいが、両者はまったく別物なのである。

 ついケチをつけてしまったが、ランズデイルの序文はSFファン気質まるだしでカットナー再評価を訴えるものであり、少々意外だった。なにか憎めないやつだと思っていたが、なんだ同じ穴の狢だったのか。
 それにしても表紙に Author of THE LAST MIMZY とあるのが、なにか哀れ。(2008年10月2日)

【追記】
 念のために調べたら、《レイノル王子》シリーズ2篇も同じ出版社から Prince Rynor (1987) として500部限定で刊行されていたほか、ボルゴ・プレスからも同年にハードカヴァーが出ていたとわかった。

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2012.11.29 Thu » 「生まれ変わり」のこと

 今回はお詫びと訂正である。というのも、書誌情報に関してケアレスミスを犯してしまったからだ。
 いまにはじまった話ではないが、自分の迂闊さに嫌気がさす。落ちこむなあ。

 〈SFマガジン〉2012年10月号がレイ・ブラッドベリ追悼特集を組んだとき、当方は「生まれ変わり」という短篇を選んで訳出した。
 作者にとって生前最後となった短篇集 We'll Always Have Paris (2009) から選んだのだが、同書には版権表示のページがないので、収録作はすべて書き下ろしだと思っていた。
 もっとも、この作品の原型が Match to Flame (2006) という豪華本の作品集にはいっているのは知っていたので、その旨を解説に記した。

 ところが、訳出したのとほぼ同じ改稿版が、2005年に出たホラーのオリジナル・アンソロジーに収録されていたのだ。デル・ハウイスン&ジェフ・ゲルブ編 Dark Delicacies (Running Press) である。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/0786715863/ref=dp_proddesc_2?ie=UTF8&n=52033011

 先ほど調べものをしていて気づいた。ショック。

 したがって、「生まれ変わり」の初出はこのアンソロジーということになる。
 弁解の余地のないケアレスミスだ。まったくもって申し訳ありませんでした。謹んで訂正いたします。

 それにしても、これで We'll Always Have Paris の収録作が、書き下ろしとはかぎらないことがわかった。全面的な調査が必要になる。またひとつ宿題をかかえてしまった。(2012年11月28日)



2012.11.28 Wed » 『ヘンリー・カットナー傑作集』

 ついでにヘンリー・カットナーの傑作集 The Best of Henry Kuttner (SF Book Club, 1975) も紹介しておこう。ただし、当方が持っているのは、例によって同年にバランタインから出たパーパーバック版だが。

2008-10-4(Best of Kuttner)

 カットナーの弟子にあたるレイ・ブラッドベリが序文を書いている。ブラッドベリの師匠はリイ・ブラケットじゃないかと思う人もいるだろうが、そのブラケットもカットナーの弟子で、ふたりは同時期にカットナーの薫陶を受けていたのだそうだ。
 ブラッドベリによると、カットナーはたいへんな読書家で、当時の新潮流に目を配っており、キャサリン・アン・ポーターやフォークナーはもちろんのこと、ジョン・コリアのような初耳の作家を紹介してくれたのだという。

 収録作はつぎのとおり――

1 ボロゴーヴはムミムジイ
2 人造死刑吏
3 うぬぼれロボット *《ギャロウェイ・ギャラハー》
4 まちがえられた後光
5 銀河世界の大ペテン師
6 教授退場 *《ホグベン一家》
7 トオンキイ
8 小人の国
9 大いなる夜
10 ショウガパンしかない
11 金星サバイバル
12 冷たい戦争 《ホグベン一家》
13 さもないと…
14 Endowment Policy
15 住宅問題
16 ご入用の品あります
17 アブサロム

 このうち2、7、8、9、11、12、13、14、16がC・L・ムーアとの共作であることが現在では判明している。

 ラインナップを見てすぐに気づくのは、初期の怪奇小説や〈剣と魔法〉やスペースオペラ、あるいは後期のミステリがばっさり切られていること。それによって、ユーモアSF作家としての面が強調されている。まあ、フレドリック・ブラウンやロバート・シェクリイの先駆者という位置づけが、カットナーにとってはいちばんしあわせだろうから、これはこれで立派な見識である。

 とはいえ、ノスタルジーをぬきにして評価すると、わざわざ復活させるほどではないという気がする。9年ほど前にカットナーの作品を集中的に読みなおしたのだが、わりと失望することが多かったのだ。
 カットナーの作品はそつなくまとまっており、つねに高水準を維持しているが、突出する部分、あるいはゆがんだ部分がない。したがって、当時としては斬新だった形式が古びると、作家性に乏しい分、読みどころがなくなるのだ。時代と寝た者の宿命といえよう。(2008年10月4日)


2012.11.27 Tue » 「おなじみの悪魔」のこと

【承前】
 〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉2011年7月号の見本が届いた。特集は「ゲゲゲのミステリ〈幻想と怪奇〉」――なんと、ミステリ(というか英米の怪奇幻想文学)サイドから見た水木しげるの特集である。
 充実した内容については、リンク先を参照してほしい。

http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/711107.html

 さて、当方はカットナーの短篇の翻訳で特集に協力した。じつは作品選びからかかわったのだが、そのあたりの裏話はあまり表に出ることがないので、興味がある人のために書いておこう。

 最初に話があったのは4月1日金曜日。〈ミステリマガジン〉恒例の〈幻想と怪奇〉特集、今年は水木しげる関連で、水木氏が影響を受けた海外作家の短篇を載せる。ついては水木氏がヘンリー・カットナーの名前をあげてきたので、作品選びに知恵を貸してもらえないかというのだ(この時点でマシスンの未訳作品の訳載と、ウェルズ「魔法の店」の再録は決まっており、ページがあればホジスンの作品も再録したいという話だった)。

 カットナーと水木しげるを結びつけて考えたことはなかったが、いわれてみれば作風に共通点があるような気もする。といっても、SFファンにおなじみのユーモアSFではなく、初期の怪奇小説だ。いくつか心あたりがあったので、月曜日まで時間をもらって作品選びをすることにした。できれば未訳作品という注文がついたことはいうまでもない。

 すぐに水木氏の作風に近いと思われる以下の10篇をリストアップして、3日がかりで読破した(括弧内は推定枚数)。

1 The Devil We Know  Unknown '41-8 (70)
2 ヘンショーの吸血鬼  Weird Tales ' 42-5 (40)
3 著者謹呈  Unknown '42-10 (80)
4 幽霊ステーション  Astounding '43-5 (45)
5 Endowment Policy  Astounding '43-8 (45)
6 住宅問題  Charm '44-10 (45)
7 アブサロム  Startling Stories '46-Fall (45)
8 悪魔と呼ぼう  Thrilling Wonder Stories '46-Fall (70)
9 Ex Machina  Astounding '48-4 (100)
10 Home There's No Returning  No Boundaries '55 (75)

 読んでいると、水木しげるの絵で場面が頭に浮かぶ作品があったのには驚いた。われながら、洗脳されやすいなあ。
 基本的に怪奇小説を選んだので、代表作とされる「ボロゴーヴはミムジイ」や《ボグベン一家》シリーズなどは除外してある。それでも、未訳作品ということであえてSFも読んでみた。5、9、10がそれにあたる。このうち9は前回紹介した。

 10については注釈が必要だろう。これはC・L・ムーアとの共作で、珍しく連名で発表された(著者たちの短篇集に書き下ろし)。暴走するロボットの恐怖を描いたサスペンスSFで、水木しげるというよりは手塚治虫の絵で場面が浮かんでくる。いまとなっては完全に時代遅れだが、50年代SF映画そのもののレトロな味わいは捨てがたい。手塚治虫特集のときに推薦しよう。

 さて、10篇を読んでみて、最終的に未訳の1と既訳の6を推薦した。めでたく1が採用され、「おなじみの悪魔」として訳載の運びとなったしだい。
 ほんとうに水木しげるの世界に近いかどうか、ぜひ現物をお読みいただきたい。(2011年5月24日)

2012.11.26 Mon » 『ロボットに尻尾はない』

【承前】
 某誌からの依頼でヘンリー・カットナーの作品選びをすることになった。未訳・既訳合わせて10篇ほど読み、とりあえず未訳と既訳を1篇ずつ推薦したら、めでたく前者が採用された。
 某誌というのは、H書房のMM。ちょっと面白い特集を組むそうなので、今月末の情報公開を待たれたい(追記参照)。

 カットナーという人は、時期によって作風を猫の目のように変えたことで有名だが、現在では主にユーモアSFの書き手として記憶されている。その路線の代表作が、泥酔すると大発明をするが、酔いがさめるとなにを発明したかさえ憶えていない困った科学者を主人公とする《ギャロウェイ・ギャラハー》シリーズだ。
 このシリーズは5篇あり、Robots Have No Tails (Gnome, 1952) にまとめられている。ただし、当方が持っているのは1973年に出たランサー版のペーパーバック。この版には、夫人であり共作者であったC・L・ムアーによる序文が付されている。
 それによると、主人公の名前は最初ギャロウェイだったが、第二作が書かれたとき、作者がこれを忘れてギャラハーとしてしまった。その後、カットナーは主人公の名前をギャロウェイ・ギャラハーとして首尾一貫した説明をつけたのだという。まさにギャロウェイ・ギャラハー流の論理ではないか。

2011-4-6(Robot Has No Tails)

 目次を簡略化して記す(題名のあとの数字は発表年月。掲載誌はすべて〈アスタウンディング・サイエンス・フィクション〉である)――

1 うぬぼれロボット  1943-10
2 ギャラハー・プラス  1943-11
3 世界はぼくのもの  1943-6
4 Ex Machina  1948-4
5 次元ロッカー  1943-1

 未訳の4はこんな話だ――

 万年金欠病のギャロウェイ・ギャラハーのもとに耳よりな仕事が持ちこまれる。ハンター向けに、すこぶる危険でスリルを味わえると同時に絶対安全な動物を用意してくれれば5万ドル払うというのだ。ただし、1時間以内にという条件つきである。

 翌朝、ギャラハーが目をさますと、依頼主の姿がない。ギャラハー家の居候で、孫に輪をかけて飲んべえの爺さんの姿もない。代わりに見慣れない発電機のような物体が室内にあり、ギャラハーの視野の端をときどき黒い影がよぎる。ギャラハーが酒を飲もうとすると、グラスを口もとに運ぶ途中でいつも酒が消えてしまう。いったどういうことなのか。
 思案するうちにギャラハーは、依頼主のパートナーに殺人容疑で訴えられ、さらには祖父殺害の嫌疑までかけられる。果たして、ギャラハーは身の証を立て、5万ドルを獲得できるのか?

 ギャラハーには、ものすごく有能なわりに、ナルシシストすぎて役に立たない(が、最後には役に立つ)ロボットの助手がいる。表紙に描かれているのが、その〈うぬぼれロボット〉ジョーである。
 画家の名前はどこにも記載されていないが、手持ちの資料によるとロン・ウォロツキーとのこと。

 それにしても、古い本なので糊が駄目になっており、ページをめくるたびにパラパラと剥がれ落ちていくのが悲しかった。本は読むものではなく、飾っておくものということか。(2011年4月6日)

【追記】
 早川書房の〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉のこと。同誌2011年7月号が「ゲゲゲのミステリ〈幻想と怪奇〉」という特集を組むことになり、その作品選びに協力したのだった。

2012.11.25 Sun » 『未知』(ベイン版)

 ヘンリー・カットナーの作品をいくつか読む必要が生じた。理由はそのうち明らかになると思う。

 そのうちの1篇が“The Devil We Know”というノヴェレット。これはSFではなく、「悪魔との契約」をひとひねりしたホラー系の作品だ。
 20年くらい前に読んで、そこそこ面白かった記憶があるので、この作品が収録されているアンソロジーを引っぱりだしてきた。スタンリー・シュミット編 Unknown (Baen, 1988) である。

2011-4-7(Unknown)

 表題どおり1939年から1943年にかけて出ていた伝説のファンタシー雑誌〈アンノウン〉の傑作集。同種の試みとしては、すでにこの日記で紹介したD・R・ベンセン編の傑作選(2種類)があるが、収録作は1篇も重複していない。編者の趣味のちがいも大きいのだろうが、それだけ同誌の内容が豊富だった証左でもある。

 編者のスタンリー・シュミットはアメリカのハードSF作家だが、むしろSF誌〈アナログ〉の編集長として有名だろう。なんと1978年からずっと編集長の座にあるのだ。もっとも、1980年から毎年ヒューゴー賞の編集者部門の候補になりながら、いちども受賞していないところを見ると、その手腕は堅実ながら凡庸というあたりかもしれない(追記1参照)。

 ハードSF誌の編集長がファンタシー雑誌の傑作選を編むのを疑問に思う人がいるかもしれないが、これは理にかなった人選。というのも、〈アンノウン〉というのは、〈アナログ〉の前身である〈アスタウンディング〉の編集長だったジョン・W・キャンベルが創刊したファンタシー雑誌だから。売り物は「理屈っぽさ」で、伝統的な怪奇幻想小説とは一線を画していた(とはいえ、それは建前で、じっさいは古臭い怪奇小説も載っているのだが)。
 シュミットの趣味なのか、本書には「理屈っぽさ」とユーモアを兼ね備えた作品が多くおさめられている。収録作はつぎのとおり(例によって推定枚数を付す)――

1 たぐいなき人狼 アンソニー・バウチャー (150)
2 The Coppersmith レスター・デル・レイ (45)
3 裏庭の神様 シオドア・スタージョン (55)
4 Even the Angels マルコム・ジェイムスン (35)
5 煙のお化け フリッツ・ライバー (45)
6 Nothing in the Rules L・スプレイグ・ディ・キャンプ (95)
7 A Good Knight's Work ロバート・ブロック (65)
8 The Devil We Know ヘンリー・カットナー (70)
9 みみず天使 フレドリック・ブラウン (140)

 未訳作品について簡単に触れておくと、2はエルフの鋳掛け屋の話。ほのぼのとした味わいが悪くない。
 4は公文書やら私的メモを並べて、天国も地獄もお役所仕事で運営されているようすを描きだすユーモア譚。
 6は人魚を水泳競技の試合に出す話。主人公が弁護士で、この行為がルール違反に当たるかどうかが綿密に検討される。
 7はマーリンの命で聖杯を置く台の探索に送りだされたアーサー王臣下の騎士の話。もちろん魔法の力で時空を超え、現代アメリカの片田舎にやって来るのである。
 8については、もうじき邦訳をお目にかけられる予定なので、そちらをお読みいただきたい(追記2参照)。(2011年4月7日)

【追記1】
 シュミットは今年ついに勇退した。編集長としての在位期間は34年におよび、伝説の名編集ジョン・W・キャンベル・ジュニアをもうわまわる最長記録を打ち立てた。が、けっきょくヒューゴー賞はとれなかった。

【追記2】
 〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉2011年7月号に掲載された「おなじみの悪魔」のこと。この号は水木しげるをフィーチャーした「ゲゲゲのミステリ〈幻想と怪奇〉」という特集を組んでおり、その一環だった。当方は作品選びに一部協力したのだが、その詳細については項をあらためる。


2012.11.24 Sat » 『星明かり』

【承前】
 昨日ベスターの短篇集について触れたので、そちらも紹介しておこう。Starlight: The Great Short Fiction of Alfred Bester (Doubleday, 1976) である。

2009-2-10(Starlight)

 もともとペーパーバック2冊だったものを、あとからハードカヴァーで合本にしたという珍しいケース。どうやらSFブック・クラブ向けのお徳用パックを作ることになり、SFBC版とダブルデイ版が同時に出たらしい。ちなみにペーパーバックのほうは The Light Fantastic と Star Light, Star Bright という題名で、ともに1976年、バークリーからの刊行である。

 内容のほうは、ザ・ベスト・オブ・ベスターといっていい。収録作を整理して並べる――
 第一短篇集から “5,271,009”、「ごきげん目盛り」、「消失トリック」、「イヴのいないアダム」、「オッディとイド」、「選り好みなし」、「願い星、叶い星」、「時と三番街と」
 第二短篇集から「マホメットを殺した男たち」、「時間は裏切り者」、「昔を今になすよしもがな」、「ピー・アイ・マン」
 それ以外に小説として “The Four-Hour Fugue” 、「地獄は永遠に」、「シャンペンボトルの中から発見された手記」、 “Something Up There Likes Me”
 エッセイとして“Isaac Asimov”(人物探訪記事)と“ My Affair with Science Fiction”(自伝)が収録されている。

 各篇にベスターの前書きがついているが、「ごきげん目盛り」には、さらに訳して8枚ほどのコメントがついている。よっぽど愛着があったのだろう。
 それらのコメントや自伝に盛りこまれた情報は、当方が編訳した『願い星、叶い星』(河出書房新社)のあとがきに記しておいた。

 未訳作品のうち“The Four-Hour Fugue“”は長篇『ゴーレム 100』(正しくは 100 が右肩付き。うちのワープロでは、そういう芸当はできないので、ご勘弁を)の原型となった作品。シマ博士が出てくる殺人ミステリのパートに相当するが、主人公の名前は Dr. Skiaki になっている。
 “Something Up There Likes Me”は、人工衛星に搭載されているコンピュータに意識が芽生え、地上に住む若い男女の仲をとりもつ話。ほのぼのとしたいい話だが、およそベスターらしくない。はじめて読んだときは驚いたものだ。
 “5,271,009”について書くと長くなるので、またの機会に。(2009年2月10日)



2012.11.23 Fri » 『未知五篇』

【承前】
 雑誌〈アンノウン〉の傑作選 The Unknown (1963) が好評だったらしく、すぐに続編が出た。同じD・R・ベンセン編の The Unknown Five (Pyramid, 1964) である。ただし、当方が持っているのは1978年に出たジョーヴ/HBJ版だが。

2009-2-9 (Unknown 5)

 この本もエド・カーティアのイラストを再録して売りにしているが、もうひとりジョン・ショーンハーのイラストを(描きおろしで!)収録している。ふたりの名前が表紙に載っているのに注意されたい(ただし、この版の表紙絵は、ロウィーナ・モリスの筆になるもの)。

 ショーンハーは〈アスタウンディング/アナログ〉の黄金期を支えた名イラストレーター。表紙を75回も描いていて、ヒューゴー賞も受賞した人である。
 たぶんフランク・ハーバートの《デューン》シリーズを題材にした一連のイラストがいちばん有名だと思う。サンドワームがすごい迫力で、ポスターやカレンダーにもなっているので、どこかでご覧になったことがおありだろう。画家の名前を知らなくても、絵を見れば、ああ、あれかと思われるのではないか。
 わが国であまり知られていないのは、SF界に見切りをつけて去っていったからかもしれない。1968年のことだが、この時点では描きおろしに応じてくれたわけだ。白黒のペン画は、カラーのスーパーリアルタッチとは趣がちがうが、これはこれですばらしい。

 話を本にもどそう。例によって目次を書き写しておく――

著者よ! 著者よ! アイザック・アシモフ
The Bargain クリーヴ・カートミル
The Hag S`eleen シオドア・スタージョン * `e は本当はアクサン
地獄は永遠に アルフレッド・ベスター
The Crest of the Wave ジェーン・ライス

 アシモフの作品は、じつは〈アンノウン〉に載っておらず、本書が初出。裏話が面白い。
 姉妹誌〈アスタウンディング〉の常連だったアシモフは、なんとか〈アンノウン〉にも小説を載せたいと思っていた。が、ファンタシーは苦手でキャンベル編集長のお眼鏡にかなう作品を書けなかった。6度めの挑戦でようやく採用されたが、掲載される前に雑誌が休刊となり、以来お蔵入りとなっていた。それが20年ぶりに陽の目を見ることになったのだという。
 まあ、アシモフの初期作品集『母なる地球』(ハヤカワ文庫SF)を読んだ人は、とっくにご存じだろうが。

 ベスターの作品は、当方が訳して作品集『願い星、叶い星』(河出書房新社)に入れた。最初はこれをテキストにして翻訳したのだが、あとで短篇集に収録されているヴァージョンを見たら、かなり手がはいっていて、どう考えても後者のほうが出来がいいので、そちらに合わせて翻訳を直したという経緯がある。
 
 未訳の3篇は、スタージョンの作品もふくめていまひとつ。当時は斬新だったのだろうが、いまとなっては古くさいタイプの怪奇小説である。

おまけ
 カートミル作品に付されたカーティアのイラスト。

2009-2-9 (Unknown 3)

「地獄は永遠に」に付されたショーンハーのイラスト。

2009-2-9 (Unknown 2)

(2009年2月9日)

2012.11.22 Thu » D・R・ベンセンの小説

【承前】
 〈アンノウン〉傑作選を編んだD・R・ベンセンだが、この人の書いた小説が翻訳されていることに気がついた。『天のさだめを誰が知る』村上博基訳(創元推理文庫SFマーク、奥付1983年1月28日)だ。

2009-2-11(Bensen)

 この人のことを調べたとき、小説も書いていて、And Having Writ... (1978) という長篇が代表作らしいことを知ったのだが、邦題とあまりにもちがうので、そのときは気がつかなかったのだ。しかし、なにか引っかかるものがあって、先ほど本棚を見ていたら、この本にぶつかったというしだい。
 内容はきれいさっぱり忘れているが、一応は読んだ本なのだから、自分の迂闊さに情けなくなる。むかしは、こういうデータは完璧に憶えていたのだが……。年はとりたくないものだ。

 解説を見たら、ベンセンの略歴も書いてあった。解説者はK・Sという頭文字表記になっているが、これは新藤克巳氏だろう。この人の趣味なのか、当時の創元SFマークは、この本とか『死者がUFOでやってくる』とか、変なのが出ていたなあ……と、むかし話をはじめると切りがないので、ここまで。(2009年2月11日)


2012.11.21 Wed » 『未知』

【前書き】
 以下は2009年2月7日に書いた記事である。雑誌の傑作選つながりで公開する。


 昨年の12月25日、アメリカSF界に偉大な足跡を残した画家エド・カーティアが永眠した。カーティアといえば、故野田昌宏氏をSFに狂わせた画家であり、いまさら当方ごときが何か書くまでもあるまいと思ったが、この人のイラストを売り物にしたアンソロジーを持っていたのを思いだしたので、遅ればせながら追悼をしたいと思う。

 まずはD・R・ベンセン編の The Unknown (Pyramid, 1963) だ。表題の Unknown は、SF誌〈アスタウンディング・サイエンス・フィクション〉の姉妹誌として創刊され、アメリカ幻想文学界に新風を吹きこんだとして著名なパルプ・ファンタシー雑誌〈アンノウン(ワールズ)〉のこと。1939年から43年のあいだに39号しか出なかったが、その影響力には絶大なものがある。そのベストとして編まれたのが本書というわけだ。表紙にカーティアの名前が出ていることに留意されたい。

2009-2-7 (Unknown 1)

 編者ベンセンのことはなにも知らなかったが、調べてみたらピラミッド・ブックスの編集者だった。そうか、ディ・キャンプの〈剣と魔法〉アンソロジーをはじめとするファンタシー路線は、この人が仕掛け人だったのか。

 さいわい邦訳された作品が多いので、目次を書き写しておく――

まちがえられた後光 ヘンリー・カットナー
Perscience ネルスン・S・ボンド
昨日は月曜日だった シオドア・スタージョン
The Gnarly Man L・スプレイグ・ディ・キャンプ
凄涼の岸 フリッツ・ライバー
小人の棲む湖 H・L・ゴールド
Double And Redoubled マルコム・ジェイムスン
月のさやけき夜に マンリー・ウェイド・ウェルマン
ミスター・ジンクス ロバート・アーサー
スナル虫 アントニー・バウチャー
悪魔と坊や フレドリック・ブラウン

 これにアイザック・アシモフの前書きと編者の序文がつく。

 ちなみに〈SFマガジン〉1971年6月号が、このアンソロジーを母体に「なつかしのアンノウン特集」を組んでいる。カットナー、ウェルマン、アーサーの作品が訳出され、エド・カーティアのカットが何枚か紹介されているのだ。
 この時期の同誌が、アチラのアンソロジーから作品を抜粋して特集の形にしているのは前に書いたとおりだが、この特集では、めずらしくその旨が明記されている。

 未訳作品だが、さすがに未訳で残っているだけあって、たいしたことがない。が、ディ・キャンプの作品は例外。サーカスで見せ物になっているゴリラ男が、じつは本物のネアンデルタール人だったという話。このネアンデルタール人は不死身のうえに頭脳明晰、非の打ち所のない紳士なのだが、わざと粗野な原人のふりをしている。見せ物に出ていれば、だれも自分が本物だとは思わないからだ。

おまけ
 スタージョン「昨日は月曜日だった」の挿し絵。コミック路線。

2009-2-7 (Unknown 2)

 ジェイムスン作品の挿し絵。怖い絵もいいね。

2009-2-7 (Unknown 3)

(2009年2月7日)

2012.11.20 Tue » 『F&SF誌30周年回顧』

【前書き】
 以下は2009年12月14日に書いた記事である。


 周知のとおり〈SFマガジン〉が50周年を迎え、めでたいかぎりだが、その先輩格にあたるアメリカのSF誌〈ザ・マガジン・オブ・ファンタシー&サイエンス・フィクション〉(以下〈F&SF〉と略)は、2009年に60周年を迎えた。とはいえ、長期低落傾向に歯止めがきかず、ついには隔月刊を余儀なくされるなどお寒い状況。景気が悪いのはこちらも同じなので、暗澹たる気分になってくる。

 それはともかく、60周年の半分、30周年を祝して編まれた〈F&SF〉の傑作集がある。エドワード・L・ファーマン編 The Magazine of Fantasy & Science Fiction: A 30 Year Retrospective (Doubleday, 1980) だ。

2009-12-14(F&SF)

 編者は当時の〈F&SF〉編集長で、同誌誕生の経緯を綴った序文を書いているが、それとはべつにアイザック・アシモフが前書きを寄せている。アシモフは同誌に永らく科学コラムを連載し、おそらく最多の登場回数を誇る人物である。
 〈F&SF〉の名物だった詩やひとコマ漫画が3作ずつ載っているが、煩雑になるので小説の収録作(と掲載号のデータ)だけあげると――

ごきげん目盛り  アルフレッド・ベスター '54-8
ニュースの時間です  シオドア・スタージョン '56-10
男と女  デーモン・ナイト '50, Spring
アルジャーノンに花束を  ダニエル・キイス '59-4
人アレ  ウォルター・M・ミラー・ジュニア '55-4 
ある晴れた日に  シャーリー・ジャクスン '55-1
男たちの知らない女  ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア '73-12
男と女から生まれたもの  リチャード・マシスン '50, Summer
ジェフティは五つ  ハーラン・エリスン '77-7
アララテの山  ゼナ・ヘンダースン '52-10
太陽踊り  ロバート・シルヴァーバーグ '69-6
The Gnurrs Come from the Voodvork Out  R・ブレットナー '50, Winter-Spring
録夢業  アイザック・アシモフ '55-12
哀れ小さき戦士  ブライアン・W・オールディス '58-4
追憶売ります  フィリップ・K・ディック '66-4
Selectra Six-Ten  アヴラム・デイヴィッドスン '70-10
創造性の問題  トマス・M・ディッシュ '67-4
聖者を訪ねて  アンソニー・バウチャー '59-10

 書き写しているだけ胸が躍るようなラインナップ。ちょっとしたSF名作集である。
 ただし、未訳の作品は、どちらも大したことがない。ブレットナーのほうはさっぱり記憶にないが、デイヴィッドスンのほうはしょーもない楽屋落ち。作家志望者と編集者の手紙を交互に並べ、SF的事件が浮かびあがってくるようにしたショートショートで、作者が元編集長でなければ選ばれなかった作品である。(2009年12月14日)

【追記】
 あとで知ったのだが、本書は〈F&SF〉30周年記念特大号(79年10月号)の書籍化だった。ただし、内容に多少のちがいがある。

2012.11.19 Mon » 『怪奇な話』――ピーター・ヘイニング追悼

【前書き】
 本日は怪奇幻想文学研究の先達、ピーター・ヘイニングの5回忌である。故人を偲び、訃報に接したさいに認めた日記を公開する。


 イギリスのアンソロジスト、ノンフィクション作家、ピーター・ヘイニングが11月19日に亡くなったそうだ。享年67。そんなに若かったのか、と意外の念に打たれる。とにかくキャリアが長いので、もっと年上かと思っていた。

 調べてみたら、1965年から2007年にかけて多くのアンソロジーを編み、その数は130を超える。玉石混交の感は否めないが、非常に珍しい作品を発掘してくれるので、ほかには得がたいアンソロジストだった。
 邦訳されたもののなかでは、『ヴァンパイア・コレクション』(角川文庫)と『死のドライブ』(文春文庫)が出色。力のこもった解説とあわせて、たっぷりと勉強させてもらった。

 さて、掲題の『怪奇な話』は、吉田健一の作品集ではなく、ヘイニングが編んだアンソロジー Weird Tales (Neville Spearman, 1976) のこと。ただし、当方が持っているのは、90年にキャロル&グラフから出た復刊版のハードカヴァーだが。

2007-11-25(WT)

 表題どおり、伝説の怪奇パルプ雑誌〈ウィアード・テールズ〉の傑作集。同種の本がたくさん出ているので、いかに差別化をはかるかがアンソロジストの腕の見せどころだが、さすが練達の手になるものだけあって、みごとな出来映えとなっている。

 というのも、小説を集めるだけではなく、パルプ雑誌の誌面そのものをよみがえらせる作りになっているのだ。つまり、誌面をファクシミリで複写し、そのまま版下にしているわけだ。
 したがって、当時のイラストや広告、さらには読者のお便り欄、怪奇実話、イラスト企画(ヴァージル・フィンレイとリー・ブラウン・コイ)、埋め草の詩などが復刻されている。

 もちろん小説も充実している。全部で22篇が収録されているが、定番は避けて、その次くらいの作品を選んでいるのが特徴か。
 邦訳がある作品を並べると、「帰ってきた男」E・ハミルトン、「眠りの壁の彼方」H・P・ラヴクラフト、「アドンパの庭園」C・A・スミス、「不死鳥の彼方」H・カットナー、「谷間は静かだった」M・W・ウェルマン、「バルザックの珍獣たち」R・ブロック、「バーン! おまえは死んだ!」R・ブラッドベリ、「監房ともだち」T・スタージョン、「場違いな存在」E・F・ラッセル、「人喰い沼」A・ラッドの10篇。
 このほかR・E・ハワード、A・ダーレス、S・クイン、H・S・ホワイトヘッド、F・ライバー、M・E・カウンセルマンなど、主要な作家はひと通り顔をそろえている。

 今夜はこの本を拾い読みして、故人の徳を偲ぼうと思う。合掌。(2007年11月25日)

おまけ
 当方のお気に入りの画家、ボリス・ドルゴフのイラスト。

2007-12-25(WT 3)

 出版社アーカム・ハウスのアピール。千人の読者がいれば本が出せるのだ。みんな、自分のお気に入りの作家の本だけでなく、ウチで出す本を全部買ってくれ、という悲痛な呼びかけ。

2007-12-25(WT 2)

2012.11.18 Sun » 『永劫の夜』

 ロバート・E・ハワードのデビュー作を読みたくて買ったのが、Eons of the Night (Baen, 1996) という短篇集。当時ベインが出していたロバート・E・ハワード選集の第5巻である。表紙絵はケン・ケリーだろう。

2007-7-25 (Eons)

 各編に短い解説が付されており、アチラの本には珍しい丁寧な作りで好感が持てる。ちなみに序文はS・M・スターリングが書いていて、表紙にでかでかと名前が載っている。

 収録作は10篇。そのうち邦訳があるのは「悪霊の館」、「恐怖の庭」、「灰色の神が通る」、「密林の人狼」の4篇である。

 ひとことでいって、マイナー作品集。珍しい作品が多いが、傑作はひとつもない。邦訳のある4篇の水準に達しているのは、ほかに“Marchers of Valhalla”くらいか。これは《ジェイムズ・アリスン》ものの幻の第1作。前世の記憶という形式を踏まえ、超古代の戦闘を描いた作品だ。
 
 さて、問題のデビュー作“Spear and Fang”だが、箸にも棒にもかからない駄作であった。
 クロマニヨン人の恋の鞘当てが主軸で、仇役にかどわかされそうになったヒロインが、たまたま近くにいたネアンデルタール人にさらわれる。仇役は彼女を見捨てて逃げるが、事件を知った主人公が、ネアンデルタール人と闘ってヒロインを奪還するという話。題名の「槍と牙」は、それぞれの武器を表している。

 生硬な文章、凡庸なプロット、類型的なキャラクターと見るべきところはひとつもない。もっとも、これを書いた当時、ハワードは18歳だったのだから仕方ない。この後、精進に精進を重ねて「黒河を越えて」のような傑作を生み出すようになったのだから、やはりハワードは偉大なのである。(2007年7月25日)



2012.11.17 Sat » 『ロバート・E・ハワード、至高の瞬間――ある伝記』

 いい機会なので、新しいハワードの伝記を紹介しておこう。フランシス・ディピエトロの Robert E. Howard, The Supreme Moment: A Biography (Francis DiPietoro, 2008) だ。どうも自費出版らしい。

 2012-11-14 (Supreme)

 簡単にいうと、編年体ではなく、テーマ別にハワードの人生を再構成した伝記である。
 しばらく前に読んだ本だが、そのときは紹介する気が起きなかった。というのも、否定的な言葉を書き連ねるのがわかっていたからだ。

 まず水増しである点が気に入らない。大判のトレードペーパーで300ページだが、本文は228ページまで。あとは付録で、ハワードに関連する資料もあるが、あまり関係のない写真が「時代背景を理解するため」と称して20ページほど載っている。さらには、著者自身の長篇小説の冒頭部分がプレヴューとして30ページ以上も載っているのだ。

 本文も水増し。たとえば第9章にはH・P・ラヴクラフトの小説「銀の鍵」がまるまる再録されている。ハワードの思想を理解する助けになるからだそうだが、べつに入手困難な作品ではない。それなら問題の部分だけを引用すればいいではないか。さらに、この再録が著作権法に抵触しない理由が長々と書いてある。

 上の例に顕著だが、全体に言い訳がましい本なのだ。著者はマーク・フィンの仕事を意識しており、ネット上やファンジン誌上でフィンとやりとりをした結果、しきりに弁解を試みている。だが、綿密な調査をしたフィンに対して、推測でものをいう著者の主張に説得力はない。

 それでも、ハワードの死後、関係者のとった行動を記述した部分は有益だった。というのも、父親のアイザックにしろ、友人だったE・ホフマン・プライスにしろ、その行動はあまり誉められたものではないからだ。これまでの資料では曖昧にされてきた部分であり、そこがはっきり書いてある点はよかった。

 たとえば、アイザックが、妻と息子の葬儀から数カ月後、ふたりの墓を掘り返したという事実は今回はじめて知った。やっぱり本は読んでみるものだなあ、(2012年11月14日)


2012.11.16 Fri » 『二丁拳銃のボブ』

 ベンジャミン・スズムスキー編 Two-Gun Bob: A Centennial Study of Robert E. Howard (Hippocampus Press, 2006) は、題名どおりロバート・E・ハワード生誕100周年に合わせて刊行された研究書。マイクル・ムアコックの前書き、編者の序文につづいて、13篇の評論が収録されている。そのうち2篇はイタリア人研究家の寄稿である点が目を惹く。

2012-11-13(Two Gun)

 40年を超えるハワード研究の歴史を踏まえたうえで、これまで等閑視されてきた分野に焦点を当てる、というのが編者のねらい。具体的には、同人誌活動、自伝的小説、探偵小説、詩、東洋冒険小説《エル・ボラク》シリーズ、SF、シリアスなボクシング小説などに的を絞った研究だ。
 
 もっとも、編者が「質より量」(There is strength in numbers.)という考えの持ち主だからか、評論の水準はあまり高くない。学術論文の形はととのっていても、作品の要約にとどまっているものも散見する。それでも、テーマ自体が珍しいので、それなりに勉強になる。

 特に読み応えのあったのが、自己のハワード体験を語りながら、ハワードという作家の本質に迫っていくムアコックの“Robert E. Howard: A Texan Master”、《ブラン・マク・モーン》シリーズの背景となった史実を探るS・T・ヨシの“Bran Mak Morn and History”の2篇。
 あとはテーマ自体の面白さでスズムスキー自身の“Cimmeran Gloves: Studying Robert E. Howard's Ace Jessel from the Ringside”の名をあげておこう。黒人を主役にすえたボクシング小説の研究を通し、ハワードが当時の人種偏見に囚われていなかったことを証そうとする評論である。

 おっと、書き忘れたが、本書の表題は先輩作家H・P・ラヴクラフトがハワードにつけたあだ名から来ている。ふたりは文通だけのつきあいだったが、尊敬の念をいだきあい、ときには激しく意見を闘わせたことが知られている。ハワード自身も、このあだ名を喜んだのではないだろうか。(2012年11月13日)

 

2012.11.15 Thu » 『昏い野蛮人』

【前書き】
 以下は2007年5月8日に書いた記事である。


 《新訂版コナン全集》の校訂と解説を担当することになり、作者ロバート・E・ハワードの人と作品について勉強し直しているのだが、その一環としてドン・ヘロン編の評論集 The Dark Barbarian (Lightning Source Inc., 1984) を読んだ。ただし、当方が持っているのは、2000年にワイルドサイド・プレスから出た再刊である。

2007-5-8(Dark Barbarian)

 ワイルドサイド・プレスの本は魅力的なタイトルが多いが、造りが雑なので、なるべく買わないようにしている。だが、この本は買わないわけにはいかなかった。というのも、ハワードの最新伝記であるマーク・フィンの本に参考図書としてあがっていたからだ。覚悟していたとおり、安っぽい造りの本だったが、内容はさすがに充実していた。

 編者ヘロンの序論につづき、8人の論者がさまざまな角度からハワードの作品について論じた文章が収録されている(追記参照)。さらにハワードの蔵書リストや作品ガイドといった付録がつく。ハワードの詩について大きくページが割かれているのが特徴で、なかなか勉強になった。
 いちばん面白かったのは、ハワードの西部小説を概説したベン・P・インディックの評論。つぎが、ハワードのファンタシーを異世界ファンタシーの文脈に置かず、ハメット流ハードボイルド・ミステリの等価物と見るジョージ・ナイトの評論。別格でハワードの文体を簡潔に論じたフリッツ・ライバーのエッセイか。
 もっとも、元が古いので、のちに訂正された誤情報に基づいての論述が散見するのが歯がゆい。日本でも事情は同じなので、流布している誤情報の訂正に力を注ごう、とあらためて思ったしだい。(2007年5月8日)

【追記】
 著者のひとり、ジョージ・ナイトは編者ドン・ヘロンの変名だと判明した。ヘロン名義でも評論が収録されているので、正確には7人による8本の評論ということになる。

2012.11.14 Wed » 『血と雷』読了

【承前】
 ロバート・E・ハワードの伝記 Blood & Thunder (Monkey Brain, 2006) を読みおわった。目から鱗の記述満載。ああ、この本が3カ月早く出ていれば。

 著者のマーク・フィンは、テキサス人という側面からハワードを理解しようとする。つまり、これまで流布していた「幼いころにはいじめられ、長じては周囲の無理解に苦しみ、ついにはマザコンで自殺した精神を病んだ作家」というイメージは、テキサスの事情に通じていない者たちの誤解による虚像だというのだ。
 とりわけ北部の人間は、南部の言葉づかいのニュアンスがわからないため、ハワードの言葉を誤解すること甚だしい。さらに、ハワードの自己卑下や韜晦を鵜呑みにしてしまうため、実像とはかけ離れた像を作りあげてきたのだ――自身もテキサス人である著者は、そう断言する。

 もちろん、そのイメージを拡げた張本人はディ・キャンプであり、著者はあとがきでこう述べている――
「二十年ぶりに出たロバート・E・ハワードの本格的伝記の著者として、L・スプレイグ・ディ・キャンプがその著『暗い谷の運命』で行なった断定のいくつかには反駁せざるを得なかった。ぼくは不当な悪意をぬきにそうしようと努めた。ディ・キャンプは北部人(ヤンキー)であり、率直にいって、無理のない面もあったからだ。いろいろな意味で、ぼくがこの本をこういう風に書くことに決めたのは、『暗い谷の運命』に猛然と反発したからだった。ディ・キャンプの仕事の気に入らなかった点について考え、そういう真似は絶対にしないように努めた」

 したがって、著者はテキサス史とのかかわりからハワードの人生を再構成しようとする。本当に教えられることばかりだった。
 その成果は、かならず《新訂版コナン全集》に反映させる。とにかく、事実誤認だけは正さなくては。(2007年2月2日)

【追記】
 上記のとおり、本書に準拠してハワード小伝を書いた。当方が編纂した《新訂版コナン全集》全集(創元推理文庫)の3巻から5巻にかけてである。数多くの新事実を記載したので、古くからの読者にぜひ読んでもらいたい。

2012.11.13 Tue » 『血と雷――ロバート・E・ハワードの生涯と芸術』

【前書き】
 以下は2006年12月17日に書いた記事である。

 うれしい本がまた届いた。マーク・フィン著 Blood & Thunder: The Life and Art of Robert E. Howard (Monkey Brain, 2006) である。

2006-12-17(Blood & Thunder)

 表題は「流血沙汰」を意味する俗語。副題にあるとおりロバート・E・ハワードの伝記なので、ハワードの作風をさしているのだろう。

 《新訂版コナン全集》の解説で、すこし詳しいハワード伝を書こうと思っていたので、ちょうどいいときに新刊が出てくれた。前に紹介したディ・キャンプ夫妻による伝記と、ノーヴェリン・プライス・エリスの自伝を基礎資料にするつもりだったが、資料はたくさんあった方がいい。

 はじめて見る写真が何枚か収録されている。たとえば、若いころの母親の写真。あるいはビールを飲むハワードの写真。これだけでも買った価値はある。

 ちなみにハワードと同じテキサス出身のジョー・R・ランズデールが序文を書いており、テキサス作家という面からハワードを語っている。
 目先の締め切りがひとつあるので、本文を読むのはそれからだ。じつに楽しみである。(2006年12月17日)

【追記】
 本書は2012年に増補版が出た。詳しくはリンク先を参照されたい。

2012.11.12 Mon » 『カル』

【承前】
 最初に手に入れた《カル》シリーズの本は、Kull (Bantam, 1978) だった。序文をアンドリュー・J・オファットが書いている。
 面白いのは、表紙が折り込みになっていて、横長の絵を採用していること。ルー・フェックという画家の絵だが、この複製を10ドルで売っていたらしい。スキャンはしなかったが、申込先が右側に記載されている。

2006-11-3 (Kull 2)2006-11-3 (Kull 1)

 ランサー版とはちがい、未完の草稿は断片のまま収められているのが特徴。もっとも、カル王がブラン・マクモーンと共演する「闇の帝王」と、カル王は名前しか出てこないうえに、現代が舞台の秘境小説である掌編“The Curse of the Golden Skull” がオミットされているので、完全版というわけではない。その栄誉は、後者を収録したベイン版にゆずったわけだが、シリーズとしての一貫性という点では、この本のほうが優れている。

 さて、この本を買ったとき、真っ先に読んだのが、“By This Axe I Rule!”という短編だった。改稿されて、《コナン》シリーズ第一作「不死鳥の剣」(追記参照)となった作品として有名だったからだ。
 驚いたことに、王の暗殺にかかわる陰謀というメイン・プロットは同じでも、サブ・プロットがまったくちがっていた。
 つまり、魔術師同士を通した正邪の闘いという超自然の要素が抜け落ちているかわりに、若い臣下の恋愛物語が配されていたのである。それも、貴族と奴隷娘の身分ちがいの恋。肩すかしを食った気分だったのを憶えている。まあ、蛮人王のキャラクターは強烈だったので、それなりに楽しく読めたが、やはり「不死鳥の剣」のほうが格段に上である。
 ところで、この話はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を下敷きにしているように思われる。登場人物のローマ名前は、そこから来ているのだろうか。(2006年11月3日)

【追記】
 この作品は《新訂版コナン全集》第5巻『真紅の城砦』(創元推理文庫、2009)に収録されている。

2012.11.11 Sun » 『カル王』

【承前】
 《キング・カル》シリーズ最初の単行本が、King Kull (Lancer, 1967) である。《コナン》シリーズで大ヒットを飛ばしたランサー・ブックスが、《コナン》の姉妹編のような形で出した本だ。

2006-11-2(King Kull)

 プロローグとエピローグとして、《コナン》シリーズの背景として書かれたエッセイ「ハイボリア時代」(追記参照)から抜粋が載せられているのが、まず目を惹く。《コナン》シリーズの一部に見せようとしているのが露骨である。まあ、ハワード自身があと知恵で両者を関連づけたのだから、まちがいではないが。

 このシリーズでハワードの生前に世に出たのは、邦訳のある「影の王国」と「ツザン・トゥーンの鏡」という2篇の小説だけだった。したがって、残りの10篇の小説は、本書が初出である。
 このうち3篇は未完の草稿をリン・カーターが補完したもの。1篇はリン・カーターが大幅に手を加えたもので、例によってハワードの真筆とはいいがたい本になっている。じっさい、著者名もハワードとカーターの連名になっている。

 ハワードは、原稿料が安い上に支払いが遅い〈ウィアード・テールズ〉に愛想をつかし、もっと実入りのいい分野への転身を図っていた。このシリーズの多くはその試みとして書かれており、超自然の要素は抑え気味になっている。ハワードはこれらを〈アーゴシー〉をはじめとする一流の冒険パルプ誌に投稿したが、人気作家のひしめくこの市場に彼の食い入る余地はなかった。ハワードはしかたなく〈ウィアード・テールズ〉を主要な活躍舞台とし、こうして擬似歴史冒険小説に魔法の要素を大きく加味した《コナン》シリーズが誕生したのだった。
 災い転じて福となす、というべきか。(2006年11月2日)

【追記】
 このエッセイは、《新訂版コナン全集》第1巻『黒い海岸の女王』(創元推理文庫、2006)に収録されている。

2012.11.10 Sat » 『カル アトランティスの追放者』

【前書き】
 以下は2006年11月1日に書いた記事である


 うれしい本が届いた。ロバート・E・ハワードの Kull: Exile of Atlantis (Del Rey, 2006) である。

2006-11-1(Kull)

 表題どおり、ハワードのヒロイック・ファンタシー、《キング・カル》シリーズを集大成したもの。ラスティ・バークが監修を務める一連の原典集成叢書の一冊だが、これまでの巻とちがって、ワンダリング・スターの豪華本をすっとばしたデル・レイのオリジナル。既刊がよほど好評なのだろう。めでたいかぎりだ。

 もっとも、《キング・カル》の原典集成は、すでに Kull (Baen, 1995) で実現しているので、どういう付録がつくのか楽しみにしていたのだが、未発表の詩やら断片や草稿やらを7篇も初公開してくれた。さらにカル王は出てくるものの、厳密には《ブラン・マクモーン》シリーズに属す「闇の帝王」まで(既刊と重複して)収録している。どうやら、関連の原稿はすべて収録したらしい。文字どおりの集大成だ。

 今回もパトリス・ルネが力のこもった解説を書いている。まだこの解説とスティーヴ・トムキンズの序文しか読んでいないが、これだけで満足である。小説はむかし読んだので、あわてて読むことはない。

 このシリーズは《コナン》の原型として名高いが、血湧き肉躍るという感じではない。
 というのも、舞台こそ超古代だが、超自然的な事件があまり起きないし、主人公は闘うかわりに、現実と幻影の相克やら、自我の同一性やらといった哲学的な問題に頭を悩ませてばかりいるのである。(2006年11月1日)


2012.11.09 Fri » 『影のジャック』

 今回は懺悔の巻。まずはロジャー・ゼラズニイのヒロイック・ファンタシー『影のジャック』(1971)の表紙絵を見てほしい。初版はウォーカーのハードカヴァーだが、これは72年に出たシグネット版ペーパーバックの表紙。

2006-6-14(Jack of Shadows)

 画家の名前の記載はないが、当方はこの絵をディロン夫妻の絵だと思っていた。ところが、今回ちゃんと調べたら、ボブ・ペッパーという画家の作品だと判明した。

 ボブ・ペッパーといえば、これも伝説の叢書、《バランタイン・アダルト・ファンタシー》シリーズの表紙絵をたくさん描いていた画家だ。この人の絵は見慣れていたはずなのに、ちょっと作風が変わっていたので、まったく気づかなかった。「おれの目は節穴か」と恥じ入るばかりだ。
 
 じつは7月29日に公開した記事でも同じ勘違いをやらかしていた。ここにお詫びして訂正するしだい。深謝。

 余談だが、主人公の名前は、偉大な先達、ジャック・ヴァンスへのオマージュだそうだ。もっとも、中身のほうは全然ヴァンスらしくない。いわゆる〈剣と魔法〉だと思っていると、びっくりすること請け合いである。(2006年6月14日+2012年11月5日)

【追記】
書き忘れたが、本書は邦訳がある。荒俣宏訳『影のジャック』(サンリオSF文庫、1980)である。

 ちなみに、岡田英明(鏡明)氏が〈SFマガジン〉1973年6月号の「SFスキャナー」欄で本書をとりあげていた。そのときこのシグネット版と、初出の〈F&SF〉の書影が載っており、色のわからない写真を飽かずに眺めたものである。のちに両方とも手に入れたが、とりわけ本書の色使いには感激した。


2012.11.08 Thu » 『二重時間人』

 ディロン夫妻表紙絵シリーズ最終回は、ボブ・ショウの The Two Timers (Ace, 1986) だ。これも伝説の叢書《エース・サイエンス・フィクション・スペシャル》中の一冊。

2006-6-1(Two Timers)


 ところでこの叢書には、前回の『パヴァーヌ』のように一枚絵の表紙と、本書のように上が幾何学デザイン、下がイラストと二段に分かれた表紙があるのだが、なにか規則性があるのだろうか。刊行の時期によるものかと思ったが、そうでもないらしい。どなたかご教示ください。

 さて、本書はドッペルゲンガー・テーマの変種ともいうべき時間SF。最愛の妻をレイプ犯に殺害された男が、べつの時間線に転移し、そちらの世界で妻を救い、中断された結婚生活をつづけようとする。だが、そのためには邪魔者となるもうひとりの自分を始末しなければならないのだった……。
 巧みなのは、この要約のようにはストーリーが進まないこと。最初のうちは、ねらわれる夫婦の側の視点で書かれているので、かなりの驚きがあるし、妄執にとり憑かれた男の心理描写がはじまると、その狂った論理に慄然とする。

 このままならドメスティックなサスペンスSFの秀作になっただろうが、筋金入りのSFマニアで、A・E・ヴァン・ヴォートに私淑する作者が、そんなチマチマした話で満足するはずがなかった。男の時間線転移が宇宙の歯車をわずかに狂わせ、そのひずみが徐々に広がって、宇宙の破滅へと向かう……という具合に大風呂敷を広げている。それが本筋と水と油で、全体としては水準作にとどまっている。

 ボブ・ショウが大成しなかったのは、資質と志向に齟齬があったからかもしれない。(2006年6月1日+2012年11月4日)

【追記】
 伊藤典夫氏が〈SFマガジン〉1969年5月号の本家「SFスキャナー」で本書をとりあげている、
 ちなみに、本書はサンリオSF文庫の刊行予告にあがりながら、未刊に終わった一冊である。

2012.11.07 Wed » 『パヴァーヌ』

 ディロン夫妻シリーズ第四弾は、キース・ロバーツ『パヴァーヌ』(1968)だ。69年に出たエース・サイエンス・フィクション・スペシャル版の表紙絵である。

2006-5-31(Pavane)

 司祭らしき人物が、妖精マークのペンダントを首にぶらさげているのに注意。ちゃんと内容を理解して描いているのがわかる。あたりまえといえばあたりまえだが、やっぱり偉い。(2006年5月31日)

【追記】
 先ごろ、ちくま文庫から邦訳の新版が出た。サンリオSF文庫、扶桑社につづく3度めの刊行で、いろいろとオマケがついている。


2012.11.06 Tue » コードウェイナー・バード原作

【承前】
 何年も前に買って一部を見たきり、しまいこんであったDVDを引っぱりだしてきた。「ザ・ハンガー6」(1998、東芝)である。

2012-3-2(Hunger)

 これはリドリー&スコット・トニー製作総指揮で有名なTVシリーズの第6集。いわゆる「トワイライト・ゾーン」タイプのホラー短篇アンソロジーで、3話収録のうち1話(追記参照)を見たくて購入した。今回その1話を見直す必要が生じたので、なぜか見ていなかったほかの話もついでに見ることにした。

 で、予備知識ゼロで見はじめたら、第1話「足音」Footsteps の冒頭でびっくりした。なぜなら「コードウェイナー・バードの短篇小説に基づく」とクレジットが出たからだ。

 コードウェイナー・バードといえば、ハーラン・エリスンのペンネームである。エリスンにはたしかに“Footsteps”という短篇がある。光文社文庫から出たホラー・アンソロジー『震える血』(2000)にはいっている「跫音」がそれだ。

 さて、コードウェイナー・バードというのは、エリスンが自作を意に染まない形で改変されたときに使うペンネーム。よく知られた例としては、TVシリーズ「スターロスト 宇宙船アーク」などがある。
 とすれば、エリスン本人はこのTV版を愚作だといっていることになる。
 
 内容はエロティックな吸血鬼もので、無意味にスタイリッシュなきらいはあるものの、「クソ」とレッテルを貼るほどのものではない。エリスンはどこが気に入らなかったのだろう。原作を読みなおしてみよう(本が出てくればの話だが)。(2012年3月2日)

【追記】
 第3話「ナイト・ドリーム」A River of Night's Dreaming のこと。カール・エドワード・ワグナーの中篇「夜の夢見の川」を映像化したもので、こちらは原作の雰囲気をよく伝えている。9月に出たホラー&ダーク・ファンタジー専門誌〈ナイトランド〉3号に原作が訳載されたのを付記しておく。

2012.11.05 Mon » 『奇妙なワイン』

 思うところあって、このところハーラン・エリスンの作品を集中的に読んでいた。その過程で、大むかしに拾い読みしただけだった短篇集をちゃんと読んだので、ここに記録しておく。

 問題の本は Strange Wine (Harper & Row, 1978) だ。ただし、当方が持っているのは、例によって翌年にワーナーから出たペーパーバック版だが。ディロン夫妻の表紙絵がすばらしい。

2012-11-1(Strange 1)2012-11-1(Strange 2)

 同書は1975年から77年にかけて発表された近作をまとめた作品集。エリスンらしく、16ページ(邦訳して35枚くらい)もある長い序文に加え、各篇に著者の前書きがつくという饒舌ぶり。この前書きも、短いものは4行だが、長いものは8ページにもおよび、ゴシップ満載で小説本体よりも面白い――といったら語弊があるか。

 表題の「奇妙なワイン」は、収録作の一篇の題名であると同時に、「幻想/ファンタシー」のメタファーでもある。その証拠に「読書とは、奇妙なワインを飲むことだ」とか「奇妙なワインを飲めば、想像力に力が注がれる」といった言葉が序文に記されている。

 収録された15篇のうち邦訳があるのは、当方の知るかぎり、「クロトウン」、「小人たちと働いて」、「ヒトラーの描いた薔薇」の3篇。
 残りの作品も上記と似たような傾向だ。つまり、日常の隙間に超自然との通路が開き、そこにまぎれこんだ人々の悪夢めいた経験を描く作品群。あっさり「トワイライト・ゾーン」タイプといったほうが、話が早いかもしれない。

 集中ベストは邦訳もある「クロトウン」か表題作“Strange Wine”だろうが、これらは筋や設定を書いても魅力は伝わらないので、毛色のちがう作品を紹介しておく。収録作のなかで最長を誇る“The New York Review of Bird”である。

 題名から察しがつくように、出版界を題材にしたギャグ小説。コードウェイナー・バードという売れないSF作家が、自分の成功を妨げているばかりか、愚劣なベストセラーを量産して人心を腐敗させている出版界の大立て者たちに正義(?)の鉄槌をくだしていくといった内容で、往年のパルプ雑誌をにぎわせたスーパーヒーローものの形式で書かれている。
 バードの伯父はザ・シャドウであり、その家系はフィリップ・ホセ・ファーマーが明らかにしている……といった具合にくすぐりだらけだが、長くなるので割愛。

 面白いのは、コードウェイナー・バードというのが、エリスン自身のペンネームである点。もちろん伝説の作家コードウェイナー・スミスをもじった名前で、最初は雑誌の同じ号に自作を2篇載せるとき便宜的に使うペンネームにすぎなかったのだが、TV界に進出してからは、「自分の意に染まない改変のなされた脚本」のクレジットに使う名前となった。エリスン自身の言葉を借りれば、「こいつはクソだ」という意思表明である。
 
 というわけで、いろいろと憶測を呼ぶことはまちがいなし。ちなみに、初出時には大幅に検閲されたので、このヴァージョンが初の完全版だという。

 せっかくなので、さわりを少々。
 悪の巣窟である大書店の仕入れ担当者を拷問する場面。店頭に陳列してあるベストセラーを読み聞かせると――

「知らなかったんです。じつは、どれも読んだことがないんです。絶対に読むなと釘を刺されていたんです。いまはじめて……ああ……ひどい。わたしは、こんなものを人に買わせていたんですか? 恥ずかしい……穴があったらはいりたい」

 もちろん、こうして悔い改めた者は、情報を明かす前に暗殺されてしまうのだ。(2012年11月1日)

【追記】
 上記「小人たちと働いて」は、エリスンの敬愛する大物作家への励ましとして書かれた愛すべき作品。気に入って訳し、〈ミステリマガジン〉2008年8月号に載せてもらった。恒例の「幻想と怪奇」特集号で、このときのテーマは「作家の受難」だった。

2012.11.04 Sun »  「バシリスク」

 ディロン夫妻シリーズ第二弾は、〈F&SF〉1972年8月号の表紙絵。ハーラン・エリスンの「バシリスク」を題材にしたものだ。

2012-11-3(basilisk)

 〈F&SF〉は、掲載作にいっさいイラストをつけない無愛想な雑誌だが、その分表紙には力を入れていて、毎号すばらしい絵が見られる。この号の表紙絵は、そのなかでも屈指の出来映えだろう。

 カヴァー・ストーリーとなった「バシリスク」は、ヴェトナム帰還兵の問題をファンタシーの形であつかった作品。エリスンのトレードマークである「怒り」と「暴力」が炸裂し、強烈な印象を残す力作である。
 自称愛国主義者の愚かさを容赦なく描きだしたことで、一部で猛反発を呼んだという。それだけ痛いところを突いたのだろう。
 もっとも、ここに描かれる愚行は、当時のアメリカにとどまらず、人間社会に普遍的に見られるものだ。もちろん、いまの日本も例外ではない。エリスンの透徹した目は、人間の本質を見ぬいていたわけだ。

 ディロン夫妻の絵は、小説のクライマックスを象徴的に描きだしており、たとえば、つぎの文章と呼応する――

「そして遠くで、暗黒のもやを越えたかなたで、その兜をかぶった神は、万物を見おろす玉座に坐り、忠実なバシリスクを足もとにひきよせて、にんまりとほほえんだ」(深町眞理子訳)

 この神の名前は、最後に明かされる。

 邦訳は〈SFマガジン〉1974年4月号に載ったあと、ジョー・ホールドマン編のアンソロジー『SF戦争10のスタイル』(講談社文庫、1979)に収録された。
 余談だが、〈SFマガジン〉掲載版は、当方がはじめて読んだエリスンの作品である。この一作に衝撃を受けた中学生は、すぐにハヤカワ・SF・シリーズ版『世界の中心で愛を叫んだけもの』を買ってきて、エリスンのファンになったのだった。

【おまけ】
 〈F&SF〉1973年3月号は、エリスンの「死の鳥」をカヴァー・ストーリーとしている。表紙絵を担当したのは、もちろんディロン夫妻。とはいえ、あいにくこの号は持っていないので、ISFDBから借りてきた画像をお見せする。

2012-11-3(death)

やっぱりこの号も買うしかないか。(2012年11月3日)

2012.11.03 Sat » 『死の鳥物語群』

【前書き】
 元の日記では、ジョン・ブラナーの The Traveler in Black をとりあげた際、表紙絵を担当したディロン夫妻の絵をもっと見たいという声が寄せられた。したがって、この後しばらくディロン夫妻シリーズとなったが、表紙絵をアップするだけの回が延々つづくのも芸がないので、今回は選りすぐりの5冊にかぎって紹介することにした。


 レオ&ダイアン・ディロン表紙絵シリーズをはじめる。
 第一弾はハーラン・エリスン Deathbird Stories (Harper & Row, 1975) だ。ただし、当方が持っているのは、翌年にペーパーバック落ちしたときのデル版である。

2006-5-30(Death 2)2006-5-30(Death 1)

 本書は音楽でいうコンセプト・アルバム的な短篇集。つまり、あるテーマにそって(既存の短篇集との重複をいとわずに)作品を集めたうえで、エピグラフと短いブリッジの文章を加え、全体をまとめあげているのだ。そのテーマとは「神」と「暴力」である。

 神といってもユダヤ/キリスト教的な人格神ではなく、もっと原初的な神、つまり人智を超える力をそなえた精霊的存在だ。それらが、人間の信仰心のありようによって廃れたり、復活したり、新たに生まれたりするさまが描かれている。それには暴力と流血がつきものだ、というのがエリスンの認識らしい。

 収録作は全部で19篇。当方の知るかぎり、うち12篇は邦訳がある。具体的には「鞭うたれた犬たちのうめき」、「101号線の決闘」、「バシリスク」、「プリティ・マギー・マネーアイズ」、「ガラスの小鬼が砕けるように」、「竜討つものにまぼろしを」、「ヘレン・バーヌーの顔」、「血を流す石像」、「名前のない土地」、「苦痛神」、「ランゲルハンス島沖を漂流中」、「死の鳥」である。

 見てのとおり、オールタイム級の傑作がゴロゴロしている。「ヘレン・バーヌーの顔」が1960年発表で飛びぬけて古いが、あとは66年から74年にかけて発表された作品ばかり。前衛性と娯楽性を両立させた黄金期エリスンの力をまざまざと見せつけるラインナップだ。

 さすがに未訳作品は一枚落ちるが、なかではミノタウロス神話のイメージを借りて、ある下司男の内面を描いた〝O Ye of Little Faith〟に迫力がある。(2006年5月30日+2012年10月30日)

2012.11.02 Fri » 『黒衣の旅人』

 前回ジョン・ブラナーの《黒衣の旅人》シリーズについて触れたが、知らない人が多いと思うので紹介しておく。

 ブラナーといえばSF作家の印象が強いが、これは純正ファンタシーの連作。黒衣の旅人という謎の人物が、永劫の時をさすらいながら、混沌/エントロピーと闘い、人間を守護しようとする物語で、舞台となる異世界を造ったのが黒衣の旅人自身だとほのめかされる。
 活劇タイプの〈剣と魔法〉ではないが、ヴァンスの諸作やムアコックの《エターナル・チャンピオン》ものと似た感触がある。黒衣の旅人は人間の味方だが、その愚かさに諦念をいだいており、悪人には容赦がない。そのため、非常にブラックな味わいとなっている。

 シリーズ第一作は1960年に〈サイエンス・ファンタシー〉に発表されたが、シリーズ化は考えていなかったらしく、これだけほかとは毛色がちがう。その6年後に第二作(昨日題名が出た〝Break the Door of Hell〟)が前掲誌の後身〈インパルス〉に発表され、その続編が70年と71年に〈ファンタスティック〉に発表された。この4作をまとめたのが The Traveler in Black (Ace, 1971) というわけだ。クレジットはないが、表紙はディロン夫妻だと思う。

2006-5-28(Traveller)

 この後1986年に1篇を増補した The Compleat Traveller in Black (Bluejay) が出たが、そちらは持っていない。
 というのも、あまり面白くなくて、増補版を買う気は起きないからだ。
 黒衣の旅人自身は基本的に傍観者であり、人間の愚行が延々と列挙される。その羅列のしかたが単調で、盛りあがりに欠けるのだ。リン・カーターが『ファンタジーの歴史――空想世界』(東京創元社)のなかで誉めていたので飛びついたが、期待はずれであった。傑作はそう簡単には見つからないのである。(2006年5月28日)


2012.11.01 Thu » 『強健な剣士たち』

【承前】
 ハンス・ステファン・サンテッスンの〈剣と魔法〉アンソロジー第二弾は The Mighty Swordsmen (Lancer, 1970) だ。前作に引きつづき、ジム・ステランコが表紙絵を担当しているが、今回はグラフィックなサイケ調がすばらしい。

2006-5-27(Swordsmen 2)2006-5-27(Swordsmen 1)

 収録作品はつぎのとおり。例によって作者名のあとに所属するシリーズ名を付す――

Keeper of the Emerald Flame リン・カーター 《ゾンガー》
「ショアダンの鐘」ロジャー・ゼラズニイ 《ディルヴィシュ》
Break the Doors of Hell ジョン・ブラナー 《黒衣の旅人》
The People of the Summit ビヨルン・ニューベリー 《コナン》
「炎の運び手」マイクル・ムアコック 《エルリック》
「黒河を越えて」ロバート・E・ハワード 《コナン》

 このうちカーターとニューベリーの作品は書き下ろし。前者のゾンガーはともかく、後者の贋作コナンはいただけない。同時に収録されている真正コナンが、シリーズ最高傑作との呼び声も高い「黒河を越えて」とあっては、贋作の粗ばかりが目立つのだ。読者のご機嫌をうかがいすぎた感じだ。

 あとはブラナーの《黒衣の旅人》シリーズの収録が珍しい。すこしでも新味を出そうと知恵を絞っているのがわかって、この本も印象は好ましい。(2006年5月27日)

【追記】
 ニューベリーの贋作コナンに関しては、斯界の先達、佐藤正明氏がご自身のホームページ「Babelkund」で邦訳を公開されている。リンクはトップ・ページに貼ってもらいたいとのことなので、ここから「裏Babelkund」→「ハイボリア博物館」→「山頂の民」と進んでいただきたい。

 カーターの作品は、若きゾンガーの冒険を描いた型どおりのものだが、けっこう面白い。
 ブラナーの作品については別項を立てる。