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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2012.12.31 Mon » 『一角獣!』

 ユニコーンつながりで、ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワ編のアンソロジー Unicorns! (Ace, 1982) を紹介しよう。

2006-12-2(Unicorns!)

 これはダン&ドゾワが出していた一連の幻獣アンソロジーの第一弾。第二弾が邦訳のある『魔法の猫』(扶桑社ミステリー)で、これらが好評だったらしく、幻獣シリーズは全部で15冊にふくれあがった(同じ版元から同じスタイルで違う編者で出た本はのぞく)。
 余談だが、「幻獣」という言葉は、やはり特殊な言葉らしく、以前あるところで「幼獣」と誤植された。もしかすると、編集者か印刷所の人が気を利かせたつもりだったのかもしれない。なんにしろ、それ以来、説明ぬきで使えそうな媒体でしか使わなくなった言葉だ。ここなら大丈夫だろう。

 さて、収録作は16篇で、ファンタシーとSFがゴチャ混ぜになっている。目次を書き写すと長くなるので、邦訳があるものだけ挙げると――

「一角獣の泉」シオドア・スタージョン
「中世の馬」ラリー・ニーヴン
「白いロバ」アーシュラ・K・ル・グィン
「ユニコーン・ヴァリエーション」ロジャー・ゼラズニイ
「ユニコーンが愛した女」ジーン・ウルフ
「ユニコーン」T・H・ホワイト(『永遠の王』から抜粋)

 あとはL・スプレイグ・ディ・キャンプ、ハーラン・エリスン、トマス・バーネット・スワン、スティーヴン・ドナルドスン、ヴォンダ・N・マッキンタイア、ドゾワ、フランク・オウエンといった名前が並ぶ。駄作もないかわりに、とびきりの傑作もない。ひとことでいえば手堅いアンソロジーだが、冒頭にアヴラム・デイヴィッドスンの風変わりなエッセイ(追記参照)がはいっているのがアクセントになって、アンソロジー自体の印象を強めている。

 未訳作品のなかでは、スワンの掌編“The Night of the Unicorn”がまあまあ。スワンにはめずらしく現代のユカタン半島を舞台にしている。15枚と短いので、ファンジン向きの作品となっており、当方は三つのファンジン翻訳を知っている。そういえば、エリスンの“On the Downhill Side”という短篇もファンジン翻訳があったなあ。
 ドナルドスンは50年代SF風のアンチ・ユートピアもの、マッキンタイアは出来の悪い少女漫画風なので、ファンの人は期待しないように。(2006年12月2日)

【追記】
 《非歴史上の冒険》と題されたノンフィクション・シリーズの1篇“The Spoor of the Unicorn”のこと。2012年5月1日の記事を参照してもらえればさいわい。

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2012.12.30 Sun » 『ユニコーン・ヴァリエーション』

 先日とりあげた『ガニメデのクリスマス』というアンソロジーは、ジェイムズ・ウォーホラという画家の表紙絵が楽しかった。似たような感じの絵のついた本があった気がしたので書棚を探ったら、ロジャー・ゼラズニイの短篇集 Unicorn Variations (1983) が出てきた。初版はサイモン&シュスターから出たハードカヴァーだが、当方が持っているのは1987年にエイヴォンから出たペーパーバック版である。もちろん、画家はウォーホラだ。

2011-12-17(Unicorn Variations)

 これはゼラズニイの第三短篇集で、小説20篇、エッセイ2篇を集めている。各篇に、その作品がどのように生まれたかを語る作者のコメント付き。

 作品数を見れば察しがつくように、邦訳して5枚から20枚の小品が大半で、正直いって落ち穂拾いの感は否めない。じっさい、ファンジン掲載作やら、最初期の習作が大量に混じっている。それらを列挙しても仕方がないので、邦訳がある作品だけ題名をあげると――

「ユニコーン・ヴァリエーション」、「けものたち滅ぶとき」、「ハングマンの帰還」、「最良の年」、「ジョージ稼業」

 となる(このほか、ファンジンにのみ邦訳の掲載された作品が、当方の知るかぎり3篇ある)。

 さすがにいい作品がならぶが、ほかの収録作にこの水準を求めないこと。あと邦訳する価値があるのは“The Horse of Lir” (1981) という短篇くらい。
 ネス湖の怪獣のようなシーサーペントの世話に代々たずさわってきた一族にまつわる話で、淡々とした筆致が寂寥感と畏怖をかもしだす。ホラーとかファンタシーというよりは、伝奇譚という言葉が似合いそうな一篇。

 ウォーホラの表紙絵は、表題作を題材にしたものだが、雰囲気がよく出ている。主人公と黒いユニコーンは、人類の存亡を賭けてチェスをさしているのだ。さびれた田舎の酒場で、妖怪たちに見守られながら、のんびりと。(2011年12月17日)


2012.12.29 Sat » 『サイコショップ』

 いい機会なので、アルフレッド・ベスターの遺作を紹介しておこう。正確には、ベスターが遺した未完の原稿をロジャー・ゼラズニイが書き継いだ作品 Psychoshop (Vintage, 1988) がそれだ。

2012-12-26 (Psycho)

 題名の「サイコショップ」というのは、ローマにある不思議な質屋。店の奥にミニ・ブラックホールが存在し、そこは時間を超越しているため、ありとあらゆる時代から、ありとあらゆる人物が訪れて、精神の一部をべつの特性と交換する場所となっている。

 雑誌記者のアルフが、この店の取材を命じられるのが発端。アルフは店主のアダムと接触し、上に記した事情を聞き出す。どうせだれも信じないから、といってアダムは洗いざらいしゃべってくれたのだ。しかも、アダム自身は超未来からやってきた猫人間(遺伝子操作の産物)だという。

 半信半疑のアルフだが、そこへ客がやって来る。最初は19世紀のアメリカから来た若者。喘息が言語のように聞こえるから、これをとり除いてほしいという。アダムの調べで、喘息は古代ペルシア語の詩だと判明する。アダムは喘息をとり除くかわりに、言葉の意味がわかるようにしてやる。若者は喜んで帰っていく。彼の名前はエドガー・ポオ。

 こういう調子で、店を訪れる者たちの不思議なエピソードがつぎつぎと語られていく。アダムに気に入られたアルフは、店のスタッフに加わり、アダムの乳母だという蛇人間の美女、グローリイと恋仲になる。

 ところで、店の奥には7人の男が宙ぶらりんになっている。かつて店に押し入った泥棒が、事象の地平線にとらわれて、永遠に凍りついているのだという。ある日、アルフはその7人が自分と同じ顔をしているのに気づく。グローリイによれば、彼らはアルフのクローンだというが、それなら自分は何者なのだ?
 これ以後は謎が謎を呼び、宇宙創生にまつわる結末へといたるのだが、くわしいことは読んでのお楽しみとしよう。

 ちょうど真ん中あたりでトーンが変わるので、前半ベスター、後半ゼラズニイなのだろう。『コンピュータ・コネクション』+『砂のなかの扉』といえば、当たらずと遠からずかもしれない。

 要するにファンタシーの定番〈魔法のお店〉ものの変形であり、軽いタッチのコメディである。過度の期待は禁物とだけいっておく。

 ともあれ、遺稿を完成させたゼラズニイも故人となって久しい。諸行無常だなあ。(2012年12月26日)

2012.12.28 Fri » 『再分解』

【承前】
 ついでにアルフレッド・ベスターの作品集 Redmolished (ibooks, 2000) も紹介しておこう。初版はトレード・ペーパーバックだが、昨日も書いたとおり、当方が持っているのは4年後に出たマスマーケット・ペーパーバックである。

2010-9-29(Redemolished)

 これは文字どおり落ち穂拾い。1997年に Virtual Unrealities というベスター傑作集が出ており、そこに収録されなかった作品ばかりを集めているのだ。小説だけだと凡作集になってしまうので、エッセイなどのおまけを足している。要するにマニア向けで、ベスターをひと通り読んだ人でないと楽しめないかもしれない。

 編集にあたったのはリチャード・ラウチという人。本職はコンピュータ関係のジャーナリスト/編集者らしい。各セクションに解説を付すなど、丁寧な仕事ぶりである。

 全体は6部に分かれているので、簡単に説明しよう。

〈小説〉
 邦訳があるのは「地獄は永遠に」、「ジェットコースター」、「この世を離れて」、「アニマル・フェア」の4篇。残りは1940年代の凡庸なSF2篇、60年代に男性誌に載せたノンSF掌篇2篇、70年代の手すさび的なSF2篇(そのうち1篇は長篇『ゴーレム100』の原型)で、やや期待はずれ。

〈記事〉
 1960年代に〈ホリデイ〉誌の依頼で書いた科学解説3篇。ユーモアたっぷりで、けっこう面白い。

〈エッセイ〉
 SFや創作に関するエッセイ4篇。うち「SFとルネサンス人」は邦訳がある。ベスターとSFの愛憎なかばする関係が浮き彫りになり、非常に読み応えがある。私見では本書の白眉となるパート。

〈インタヴュー〉
 〈ホリデイ〉や〈パブリッシャーズ・ウィークリー〉の依頼でインタヴュアーを務めた仕事。一問一答形式ではなく、読み物的な文章に会話を織りこんでいる。インタヴューされているのは、ジョン・ヒューストン、レックス・スタウト、ウッディ・アレン、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン。

〈『破壊された男』削除されたプロローグ〉
 昨日のエントリ参照。

〈追悼文〉
 1987年版(刊行は89年)のネビュラ賞アンソロジーに載ったアイザック・アシモフによるベスター追悼文の再録。面白いのは、グレゴリイ・ベンフォードによるその序文も再録されていること。というのも、アシモフについていまさら説明の要はないからベスターについて書く、といってベンフォードもベスターのことばかり書いているのだ。アシモフの追悼文はすばらしい。こういうのを書かせると天下一品である。(2010年9月29日)

2012.12.27 Thu » 『分解された男』幻のプロローグ

 思うところあってアルフレッド・ベスター『分解された男』(創元SF文庫)を読みなおした。
 沼沢洽治訳の創元版を読むのは3度め。このほか伊藤典夫訳『破壊された男』(ハヤカワ・SF・シリーズ)を1度読んでいるのだが、今回もやはり面白く読めた。
 とにかく、たたきつけるような文体と、歯切れのいい会話がもたらす疾走感がすごい。さすがにラジオで鍛えあげられただけはある。文体の密度という点で、70年代以降の作品とはくらべものにならない。そうそう、これがベスターだよ。

 いまとなってはそのあたりの事情がわかりにくくなっているが、タイポグラフの実験や、人名を「@キンズ」と表記するようなお遊びも、当時の読者にはさぞかし新鮮だったのだろう。アメリカでは永らく『虎よ、虎よ!』より本書のほうが人気が高かったというのもうなずける。もし紹介順が逆だったら、わが国でも『分解された男』のほうに軍配があがったかもしれない。

 ところで、『分解された男』には幻のプロローグが存在するのをご存じだろうか。1952年のSF誌〈ギャラクシー〉連載時にはついていたものが、翌年シャスタから刊行されたときに削られたのだ。まだ第二次世界大戦後の紙不足の影響が残っているころで、紙を節約する必要があったらしい。
 それ以後、半世紀近くのあいだ、このプロローグは幻だったのだが、2000年になって事態が変わった。ibooks から Redmolished というベスターの落ち穂拾い的作品集が出たとき、おまけつきで同書に収録されたのだ。ちなみに当方は、4年後に出た同書のペーパーバック版で読んだ。

 さて、プロローグの内容だが、『虎よ、虎よ!』のそれと同様、物語がはじまる前の背景説明となっている。つまり、エスパー社会ができるまでや、物語で重要な役割を果たすコンツェルンの起源が語られるのだ。
 もっとも、本筋にはまったく出てこない反重力(Nulgee という用語が使われている)発見の顛末が記されているなど、むしろ邪魔なエピソードが多い。いま見る形のほうがずっとすっきりしているし、ベン・ライクの悪夢を描いた冒頭の衝撃度も大きい。このプロローグを削除した編集者の判断は正しかったと思う。

 蛇足ながら、おまけというのは、編者による解説と、“Writing and The Demolished Man”と題されたベスターのエッセイ。後者は1972年にファンジン〈アルゴル〉に発表されたもので、『分解された男』執筆にまつわる裏話を明かしながら、自己の創作作法について語っている。それによると、テレパスのパーティー場面(タイポグラフの大規模な使用)が、スプリングボードになったらしい。なるほど。(2010年9月28日)

2012.12.26 Wed » 『虎よ、虎よ!』

【承前】
 今回はアルフレッド・ベスターの名作『虎よ、虎よ!』をとりあげよう。当方のもっとも愛するSF長篇のひとつである。

 Tiger! Tiger! という題名がウィリアム・ブレイクの詩に由来するのは有名だが、じつはこれ、先に出た英国版の題名で、米国版は The Stars My Destination という。作者がつけた題名は前者だったが、この作品を連載したSF誌〈ギャラクシー〉の編集長ホレス・L・ゴールドが、作中の戯れ歌からとった派手な題名に変えてしまったのだ。したがって、アメリカではいまだに後者の題名が流布している。
 ちなみに最初の邦訳は『わが赴くは星の群』(講談社、1958)という題名で出たので、わが国でも二種類の題が存在することになる。
 ところでこの作品の初出は1956年なので、講談社版はほぼリアル・タイムの邦訳だったわけだ。いろいろな意味ですごい。

 画像は蔵書自慢。
その1 英国ペンギン版3刷(1979)の表紙。ペンギン版は結末近くの文章が一部省略されているのでお勧めしないが、最初に手に入れた『虎よ、虎よ!』の原書なので愛着がある。学生時代、八王子の古本屋になぜか転がっていたのを見つけたのである。

2010-1-8 (tiger 3)

その2 〈ギャラクシー〉1957年1月号、連載最終回の扉絵。画家はエムシュ。

2010-1-8 (tiger 1)

その3 同号より2枚めのイラスト。ガリー・フォイルの顔に刺青が浮きだして虎になっている。

2010-1-8 (tiger 2)

 あと2枚イラストがはいっているが、うまくスキャンできないので割愛。

蛇足
 この本の題名を『虎よ! 虎よ!』と書いている例をよく見かけるが、誤記なのでご注意あれ。「!」マークはひとつが正しい。
 さらにブレイクの詩では Tyger! Tyger! と古形で綴られている。誤解なきよう。(2010年1月8日)

2012.12.25 Tue » 銀河のサンタクロース

 クリスマスがらみで蔵書自慢。雑誌〈ギャラクシー〉1957年1月号である。

 このころ同誌は、毎年クリスマス・シーズンになると、エムシュが描く「銀河のサンタクロース」を表紙絵にして読者を喜ばせていた。シリーズは何作もあるらしいが、当方はこれしか持っていない。

2011-12-19(Galaxy)

 残念ながら、手に入れたときから表紙の一部がちぎれていて、右下の部分が欠けている。もっとも、この時点で50年近く前のものだったし、そのおかげで安く買えたのだから、文句をいったら罰が当たる。

 今回は絵を大きくしたので、細部までじっくり見ていただきたい。芸の細かさは、むかし野田昌宏氏が絶賛したとおりである。
 
 ちなみにアルフレッド・ベスター『わが赴くは星の群』の連載最終回が載っている。こちらのイラストもエムシュで、これはつぎに紹介する。じつはサンタクロースではなく、こちらがお目当てだったのである。

蛇足
 このころイラストレーターはセカンド・ネームだけを名乗るのが流行っていたらしい。この号ではエムシュのほかにフィンレイ、ゴーハンの例がある。有名な人ばかりなので、ファースト・ネームは書くまでもないだろう。もうひとりディック・フランシスという画家もいて、一瞬とまどう。(2011年12月19日)

2012.12.24 Mon » 『ガニメデのクリスマス』

 クリスマス・イヴということで、マーティン・H・グリーンバーグ編のアンソロジー Christmas on Ganymede (Avon, 1990) を紹介する。ジェイムズ・ウォーホラという人の表紙絵が楽しい。

2011-12-16 (Christmas)

 周知のとおり、欧米にはクリスマス・ストーリーの伝統がある。もちろん、SF界も事情は同じで、秀作・佳作がごろごろしている。本書はそのSF版クリスマス・ストーリーを集めたもの。定番中の定番を押さえたうえで、新しめの作品を合わせている。

 もっとも、クリスマス・ストーリーといえば「ちょっとした奇跡が起きるハート・ウォーミングな物語」という先入観を裏切って、後味の悪い作品が混じっているのが特徴。珍しくグリーンバーグ単独の編著だが、ひょっとすると、これがグリーンバーグの持ち味なのかもしれない。

 収録作はつぎのとおり――

To Hell with the Stars  ジャック・マクデヴィット '87
真冬の夜の物語  マイクル・スワンウィック '88
ガニメデのクリスマス  アイザック・アシモフ '42
The Falcon and the Falconer  バリー・N・マルツバーグ '69
クリスマス・ツリー  ジョン・クリストファー '49
ハッピーバースデイ、イエスさま  フレデリック・ポール '56
ツリー会戦  ジーン・ウルフ '79
サンタクロースの星  フランク・M・ロビンスン '51
The Pony  コニー・ウィリス '85
O Little Town of Bethlehem Ⅱ  ロバート・F・ヤング '85
クリスマス・プレゼント  ゴードン・R・ディクスン '58
The Season of Forgiveness  ポール・アンダースン '73
Christmas without Rodney  アイザック・アシモフ '88
クリスマスの反乱  ジェイムズ・ホワイト '62

 未訳の作品は、ほとんどが「後味の悪い」系統。特にウィリスやマルツバーグの作品は、よりによってこれを選ぶかといいたくなる。ヤングの作品も、ファンが読んだらがっかりするだろう。
 
 例外的にアンダースンの作品は、地球人と異星人の交流を描いた「心温まる」物語だが、白人入植者とアメリカ先住民の関係を地球人と異星現地人に置き換えただけなので、いま読むと興ざめのきらいがある。

 けっきょく、定番のポールやホワイトの作品がいちばん出来がいい。独自性を出そうとして、編者の意図が裏目に出た感があり、アンソロジーのむずかしさを感じさせる。ひるがえって、自分を省みるしだい。(2011年12月16日)

2012.12.23 Sun » 『怪物たち』

 またか、とお思いでしょうが、『千の脚を持つ男』関連の話。こんどは、あまりに参考にならなかった本のことを書く。

 アイザック・アシモフ、マーティン・H・グリーンバーグ&チャールズ・ウォーの三人組が、SFやミステリのアンソロジーを大量生産していたことは、どなたもご存じだろう。そのうちの一冊が Monsters (Signet, 1988) だ。《アイザック・アシモフの素晴らしきSFの世界》と題されたシリーズの第8巻ということになっている。

2007-11-11(Monsters)

 題名の通り、モンスターの出てくるSFを集めたもの。例によって目次を書き写すと――

第1部。彼らはここで見つかった……
 憑きもの  ロバート・シルヴァーバーグ
 The Botticelli Horror  ロイド・ビッグル・ジュニア
 クシペユ  J・H・ロニー兄
 群体  シオドア・L・トーマス
 The Men in the Walls  ウィリアム・テン
第2部。彼らはあちらで見つかった……
 その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯  ロジャー・ゼラズニイ
 Student Body  F・L・ウォーレス
 黒い破壊者  A・E・ヴァン・ヴォート
 母  フィリップ・ホセ・ファーマー
 ロボット植民地  マレイ・ラインスター
第3部。彼らはどこでも見つかった……
 All the Way Back  マイクル・シャーラ

 第2部と第3部の作品は、地球外を舞台にしているので、コンセプトがちがう。残るは第1部だが、これもめぼしい作品は既訳ということで、今回は参考にならなかった。まあ、トーマスの作品を『影が行く』で使ったのだから、自業自得というべきか。

 ちなみにビッグル・ジュニアの作品は、不定形の怪物が出てくるSFミステリ。出だしは面白いのだが、後半腰砕け。
 テンの作品は230枚のノヴェラ。書きのばされて長篇 Of Men and Monsters (1968) になった。地球が巨大な異星人に占拠された時代、その建物内に隠れ住んでいる地球人の生き残りの話。未開人レヴェルまで退化した地球人の部族社会が描かれる。
 有名な作品なので期待して読んだが、いまとなっては訳すほどの価値はない。第一、肝心のモンスターがほとんど出てこないのだ。

 余談だが、「クシペユ」の作者ロニー兄は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したベルギーの作家。本書には、一時フランス語SFの翻訳に熱中していたデーモン・ナイトによる翻訳がおさめられている(題名は“The Shapes” )。
 これは原始人がエイリアンと遭遇する話で、当方はけっこう気に入っている。邦訳は『十九世フランス幻想短篇集』(国書刊行会)にはいっているが、読んだはすくないだろうなあ。(2007年11月11日)



2012.12.22 Sat » 『測地線の夢』

 昨日のつづき。
 ドゾワの第二短編集は Geodesic Dreams : The Best Short Fiction of Gardner Dozois (St.Martin's, 1992) だ。ただし当方が持っているのは、例によって2年後にエースから出たパーパーバック版だが。

2008-11-4(Geodesic)

 今回もロバート・シルヴァーバーグが序文を寄せている。収録作は14篇――

モーニング・チャイルド ☆
Dinner Party
Executive Clemecy (ジャック・C・ホールドマン二世との共作)
特別な朝 ☆
死者にまぎれて (ジャック・ダンとの共作)
Solace
Slow Dancing with Jesus (ジャック・ダンとの共作)
調停者 ☆
One for the Road
海の鎖 ☆
A Dream at Noonday ☆
Disciples
Apres Moi
A Kingdom by the Sea ☆

 昨日書いたとおり、4篇が第一短編集と重複。残りの作品は、80年代にスリック・マガジンに掲載されたものが目立つ。「死者にまぎれて」のような陰々滅々とした問題作が、女性誌〈ウイ〉に載ったかと思うと、正直、驚きを禁じ得ない。まあ、読者が読んだかどうかは別問題だが。

 ドゾワの第三短編集は Morning Child and Other Stories (ibooks, 2004) という本だが、こちらは持っていない。全10篇のうち、7篇が手持ちの短編集と重なっていたので、食指が動かなかったのだ。
 上のリストで題名のあとに☆印をつけた6篇と、第一短編集にはいっていた“Machines of Loving Grace”という作品がその7篇で、これを足すと概算で455枚になる。やや薄めの傑作集ができあがり。

 共作だが「死者にまぎれて」(75枚)か「火星の神々」(60枚)あたりを足して嵩をふやしてもよいし、初訳作品を足してもいい。
 というわけで、ドゾワの傑作集は簡単に作れるのだが、目次を見ると重苦しくて陰気な話ばかりで、これは(商業的に)だめだという気になるのであった。(2008年11月4日)

2012.12.21 Fri » 『不透明人間』

【承前】
 ガードナー・ドゾワの短編集は5冊出ている(追記1参照)。ただし、そのうちの2冊は、ほかの作家との共作と、ドゾワゆかりの作家たちのエッセイを集めた本なので、ドゾワの短編集という気はしない(追記2参照)。
 したがって、実質的に3冊だが、相互に作品の重複が目立つ。どうもその時点での自信作を集めて本にしているらしい。なんだかベスト・アルバムばかり作っているミュージシャンみたいだ。
 逆にいうと、重複した作品は、折り紙つきの秀作か、作者にとって愛着のある作品だろうから、ここから簡単に傑作集が作れるのである。

 1冊めはペーパーバック・オリジナルで刊行された The Visible Man (Berkley, 1977) で、12篇収録。ドゾワの強力なプロモーターだったロバート・シルヴァーバーグの序文つき。

2008-11-3(The Visible Man)

 収録作はつぎのとおり――

The Visible Man
Flash Point
Horse of Air
The Last Day of July
Machines of Loving Game
A Dream at Noonday
A Kingdom by the Sea
The Man Who Waved Hello
The Storm
Where No Sun Shines
特別な朝
海の鎖

 ちなみにデビュー作は未収録。ほかにも既発表だが収録されなかった作品があるのかもしれないが、調べていない。
 初出を見ると、デーモン・ナイト編の《オービット》やロバート・シルヴァーバーグ編の《ニュー・ディメンションズ》など、1970年代前半のオリジナル・アンソロジーに発表された作品が多い。
 この事実からうかがえるように、いわゆるアメリカン・ニュー・ウェーヴ調の作品がならぶ。よくいえば繊細、悪くいえば軟弱な作品群である。簡単にいってしまえば、負け犬の心理がこと細かに書いてあるSF。

 邦訳のある2篇は傑作だが、同じ水準をほかの作品に期待しないほうがいい。
 未訳のなかでいちばんいいのは、たぶん“A Kingdom by the Sea”だろう。表題はポオの詩から採ったのだと思うが、思いきり文学的な寓話というか幻想小説である。

 主人公は高校を卒業したあと、軍隊にはいり、退役後は定職にもつかず各地を放浪したメイスンという男(この経歴は作者と同じ)。8年ぶりに故郷へ帰ってきて、牛を屠殺する仕事に就く。来る日も来る日もハンマーをふるって、牛をたたき殺す暮らし。やがて6年がたち、もはや人生に見切りをつけた感がある。そんな彼に愛想をつかして、恋人も出ていってしまう。
 それからしばらくして、彼の心のなかに知らない女の声が聞こえるようになる。メイスンは女にリリスと名前をつけ、愛情さえ感じるようになる。リリスは彼になにかを訴えようとしているらしく、メイスンがハンマーを握ると、その声はひときわ大きくなる。やがてメイスンは「その日」が来たことを知る。今日こそリリスが姿をあらわす日だ。いつものように仕事場に立つと、リリスがすぐそばにいることがわかる。頭がガンガン鳴りはじめる。目をあければリリスが見えるはずだ。そしてメイスンが目をあけると……。

 調子に乗って粗筋を書いたが、ずいぶん前に読んだきり。さっきパラパラ見返しただけなので、あまり信用しないでほしい。
 ともあれ、どんな作品か、おおよそ理解していただけると思う。

 これにつぐのが、“A Dream at Nooday”だが、こちらは未来の戦場に横たわって死にかけている兵士の心中を「意識の流れ」の手法で描いたもの。読むとぐったり疲れる作品である。

 じつは、邦訳された2篇と、いま紹介した2篇は、つぎの短編集にも収録されているのだ。というわけで、つぎの岩につづく。(2008年11月3日)

【追記1】
 この後 When the Great Days Come (Prime, 2011) という短篇集が出た。あいかわらず重複作品が多いベスト・アルバム方式であった。

【追記2】
 Slow Dancing Through Time (Ursus Imprints & MarK V. Zeising, 1990) とStrange Days (NESFA Press, 2004)のこと。

2012.12.20 Thu » ガードナー・ドゾワのこと

【前書き】
 前回と前々回の記事でとりあげたアンソロジーは、ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワの編になるものだった。片割れのドゾワについて書いた記事があるので公開する。


 山岸真さんが「ガードナー・ドゾワの短編集を日本で出したらどうか(知名度・伝説化の度合いが低すぎてだめか)」という意味のことを日記に書いていらした。
 じつはドゾワは当方のお気に入りの作家のひとりで、出世作を訳して〈SFマガジン〉に載せてもらったこと(追記参照)もあるし、短編集の目次案を練ったこともある。そして、日本で出すのは無理だな、と結論を出したのだった。

 というのも、この人は玄人好みの技巧派作家にして優秀な編集者であり、その意味ではデーモン・ナイトとよく似ている。ナイトの日本での受容具合を参考にすれば、ごく一部の層にしかアピールしないことは容易に想像がつくのだ。

 とにかく、息が長く肌理細かな文章が最大の長所であり、派手なアイデアや起伏の多いプロット作りとは無縁なので、海の向こうでも作家仲間に高く評価されるわりに、一般的人気はさっぱりというタイプなのだ。たぶん日本でも同じだろう。
 サンリオSF文庫で長篇『異星の人』が訳され、水嶋正路氏の翻訳もなかなかみごとだったが、これも忘れられた本になっている。ドゾワの作品を愛する人間は、けっして多くないのだろう。

 ありゃ、短編集のことを書こうと思ったのに、前置きがえらく長くなってしまった。この話、次回につづきます。(2008年11月2日)

【追記】
〈SFマガジン〉1991年7月号に掲載された「特別な朝」のこと。
 なお、Dozois の発音については、ロバート・シルヴァーバーグが Do-zwah に近いと証言しているので、「ドゾワ」とした。

 ドゾワについては、本家「SFスキャナー」で紹介されたことがある。〈SFマガジン〉1975年7月号の「米国有名科学小説新人作家初紹介当分翻訳見込無」がそれで、創刊200号記念で伊藤典夫氏が久々に登板したのだった。

2012.12.19 Wed » 『異星人たち!』

【承前】
 ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワといえば、1976年刊行の Future Power 以来、じつに30年以上にわたって数多くのアンソロジーを世に送りだしている編者コンビだ。その名コンビが2冊めに上梓したのが、「地球へやってきた異星人」をテーマにした Aliens! (Pocket, 1980) である。

2007-10-31(Aliens 1)

 売り出し中だったマイクル・ウィーランのすばらしい絵が表紙を飾っているうえに、ジャック・ゴーハンの手になるイラストが各篇を彩っている。さらに参考図書リストつき。持っていて嬉しい本だ。

2007-10-31(Aliens 2)

 収録作はつぎのとおり――

Four Vignettes  ラリー・ニーヴン
われら被購入者  フレデリック・ポール
千客万来  R・A・ラファティ
そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた  ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
天使の卵  エドガー・パングボーン
おお! ブローベルよ  フィリップ・K・ディック
Be Merry  アルジス・バドリス
ひながた  フレドリック・ブラウン
An Honorable Death  ゴードン・R・ディクスン
現実からのトリップ  ロバート・シルヴァーバーグ
黄金律  デーモン・ナイト

 未訳作品について触れておくと、ニーヴンの作品は、〈ドラコ亭夜話〉シリーズに属する掌編4題。そのうちの1篇は、邦訳のある「われわれの養殖文化の吸収――やつらがやっているのはそれなんだ」である(追記参照)。上に掲げたゴーハンのイラストは、ニーヴンのパートに付されたものだ。
 バドリスのノヴェラは、異星人の血液が地球人の難病を治すことがわかり、異星人が飼い殺しにされている未来の話。陰々滅々。
 ディクスンの作品は、異星人の宗教(?)儀式を描いた文化人類学SFで、植民地主義批判が露骨なメッセージ小説。

 さて、表題を見ると、本書は編者コンビが出していた一連のアンソロジー(題名の最後に「!」がつくのが特徴)の一環に思える。だが、そちらはエースが版元で、主題はファンタシー寄り。したがって、編者たちの仕事のなかで、この本だけが浮いているのである。

 たぶん編者コンビにとって、本書は喉に突き刺さった魚の小骨のようなものだったのだろう。アンソロジストとして大成功をおさめた編者コンビは、本書を新たな形に編みなおすことで、この鬼っ子を成仏させたと思われる。その新たな形というのが、昨日紹介した本だったわけだ。
 シルヴァーグの作品が重複。ディック、ラファティ、ティプトリー・ジュニアが共通という目次、あるいは本書の参考図書リストを見ていると、そんな思いが湧いてくるのだが、考えすぎかな。(2007年10月31日)

【追記】
 この後、残りの3篇「文法のレッスン」、「その話題は打ち切り」、「残酷で異常な話」も邦訳され、同シリーズに属すほかの2篇と合わせて〈SFマガジン〉2010年1月号に一挙掲載された。



2012.12.18 Tue » 『隣のエイリアン』

 昨日のつづき。

 マイクル・シェイの「検視」という作品は、表題どおり死体をいじくりまわす話。検視解剖のようすが克明に描かれていて、気色悪いことこの上ない。しかも、そのなかば切り開かれた死体がいきなり動きだすのだ。動きだす理由が作品の肝なので触れないが、ホラーSFの知られざる佳品といえる。ぜひどこかで復活させたい作品である。

 その「検視」を目玉のひとつにしたアンソロジーが、ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワの Aliens among Us (Ace, 2000) だ。
 これは「人間に身をやつして、われわれのあいだにまぎれこんでいるエイリアン」を主題にしたアンソロジー。この場合のエイリアンは、異星の生命体にかぎらず、正体不明の「異質な存在」をふくんでいる。

2007-10-30(Aliens Among Us)

 収録作は全部で15篇。そのうち邦訳があるものを並べると――

もうひとりのシーリア  シオドア・スタージョン
朝の八時  レイ・ネルスン
消耗員  フィリップ・K・ディック
現実からのトリップ  ロバート・シルヴァーバーグ
蝕むもの  C・M・コーンブルース
検視  マイクル・シェイ
さもなくば海は牡蠣でいっぱいに  アヴラム・デイヴィッドスン
エンジェル  パット・キャディガン
子供たちの午後  R・A・ラファティ
大きいけれど遊び好き  ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

 さすがに練達の編者コンビの選だけあって、じつに手堅いという印象だ。未訳の作品は、これより水準が落ちるのだが、これだけの作品を集めてくれれば文句はない。

 シルヴァーバーグの作品は、当方も気に入って〈SFマガジン〉に邦訳を載せてもらったこともある(追記参照)。とにかく、本書の目次を見ていると、対抗心がむらむらと湧いてきて、同じテーマのアンソロジーを作りたくなるのだ(じつは何種類も腹案がある)。こういう気持ちを起こさせること自体が、編集の妙の証左だろう。

 ところで、本書には原型となった本がある。その話はつぎの機会に。(2007年10月30日)

【追記】
〈SFマガジン〉2000年10月号に掲載。1970年代SF特集の一環だった。

2012.12.17 Mon » 『集中死霊』

 前回紹介した本のなかで、フレデリック・ポールの選んだのが、早世した盟友C・M・コーンブルースの「小さな黒いカバン」という作品だった。
 現代にまぎれこんだ未来の医療器具が、アル中で資格剥奪された元医師の手にわたり……という作品だが、期待されるようなハートウォーミングな方向へは行かず、ただただ苦い結末を迎える。ペシミストだったコーンブルースの本領発揮というべき(暗澹たる)秀作である。
 
 この作品をトリに持ってきたアンソロジーがある。カール・エドワード・ワグナー編の医学ホラー・アンソロジー Intensive Scare (DAW, 1990) だ。
 表題は intensive care (集中治療)のもじり。この日記では原題を無理やり直訳することにしているので、上記のようにしたが、苦しまぎれもいいところ。なにかうまい駄洒落を思いついた人は教えてください。

2008-10-29(Intensive )

 さて、編者のワグナーは、怪奇幻想文学に精通した作家・編集者であると同時に、医学の博士号を持ち、精神科医として病院勤務も経験した人物。本人も「エリート」や“Into Whose Hands”といった医学ホラーの傑作をものしている(追記1参照)。こういうアンソロジーを編むには最適の人材といっていい。じっさい、百年にわたるスパンで幅広いジャンルから名作・秀作・珍作・怪作を集めている。
 ラインアップはつぎのとおり――

最後の一線 デニス・エチスン
呪いの家 シーベリー・クイン
闘士ケイシー リチャード・マッケナ
死骸盗人 ロバート・ルイス・スティーヴンスン
検視 マイクル・シェイ
Back to the Beast マンリー・ウェイド・ウェルマン
The Incalling M・ジョン・ハリスン
サノクス令夫人 A・コナン・ドイル
針男 ジョージ・R・R・マーティン
謎の腫瘍 エドガー・ジェプスン&ジョン・ゴーズワース
Camps ジャック・ダン
死体蘇生者ハーバート・ウェスト H・P・ラヴクラフト
小さな黒いカバン C・M・コーンブルース

 見てのとおり、肉体的な意味で痛そうな作品ばかり。医学ホラーというと、やはりメスで切ったり、注射針を刺したりする作品が多くなるのだろう。あー、いや。

 邦訳のある作品ばかりだが、「謎の腫瘍」という短篇は、たぶんご存じの方がすくないだろう。腫瘍を切開したら、体内に蛸が巣くっていたという話で、真面目なのかギャグなのかわからない珍品。大きくふくらんだ部分を切開すると、患者の体内で目玉がギロリと光る場面が忘れられない。当方が偏愛するゲテモノである。

 未訳の作品について触れておくと、ウェルマンの短篇は、ある科学者がみずからの体で先祖返りの実験をする話。著者のデビュー作だが、いまとなっては箸にも棒にもかからない凡作。ワグナーがこれを入れたのは、身内びいきだったのかもしれない。
 ダンの中篇は、病人の朦朧とした意識が、ナチの強制収容所にいるユダヤ人の意識とつながる話。これまた陰々滅々としたスペキュレイティヴ・フィクションである。ハリスンの中篇は、内容をまるで憶えていない。

 マーティンの「針男」は新訳する予定があるので乞御期待(追記2参照)。もうひとつ埋もれさせておくのが惜しいのが、シェイの「検視」だが、その話はまたこんど。(2007年10月29日)

【追記1】
〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉2009年12月号が「メディカル・ミステリ処方箋」という特集を組んだとき、ワグナーの短篇「最後の一刀」が訳載された。現代医療の矛盾をついた作品で、後味の悪さは特筆に値する。

【追記2】
 編訳したジョージ・R・R・マーティンのホラー傑作集『洋梨形の男』(河出書房新社、2009)に入れるつもりだったが、ページ数の関係で見送った。残念。

2012.12.16 Sun » 『わが最愛のSF短篇』

 昨日紹介した本と同じコンセプトで、ひと足先に出たのが、マーティン・H・グリーンバーグ編 My Favorite Science Fiction Story (DAW, 1999)だ。じつはホラー編もあるのだが、そちらは持っていない。

2007-10-24(Favorite SF)

 まず目次を書き写してみよう。括弧内は推薦者である――

海を失った男  シオドア・スタージョン(アーサー・C・クラーク)
最後の指令  キース・ローマー(アン・マキャフリイ)
デイ・ミリオン  フレデリック・ポール(ジョー・ホールドマン)
小さな黒いカバン  C・M・コーンブルース(フレデリック・ポール)
ローマという名の島宇宙  バリー・N・マルツバーグ(マイク・レズニック)
ディアボロジック  エリック・フランク・ラッセル(アンドレ・ノートン)
人間の手がまだ触れない  ロバート・シェクリイ(アラン・ディーン・フォスター)
ブラック・チャーリー  ゴードン・R・ディクスン(ポール・アンダースン)
みっともないニワトリ  ハワード・ウォルドロップ(ハリー・タートルダヴ)
数理飛行士  ノーマン・ケイガン(グレッグ・ベア)
ロト  ウォード・ムーア(コニー・ウィリス)
失われたク・メルのバラード  コードウェイナー・スミス(ロイス・マクマスター・ビジョルド)
火星のオデッセイ  スタンリー・G・ワインボウム(L・スプレイグ・ディ・キャンプ)
コモン・タイム  ジェイムズ・ブリッシュ(ロバート・シルヴァーバーグ)
生と死の浜辺  ロジャー・ゼラズニイ(グレゴリー・ベンフォード)
『神経繊維』  レスター・デル・レイ(マリオン・ジマー・ブラッドリー) 
The Only Thing We Can Learn  C・M・コーンブルース(デイヴィッド・ドレイク)

 ファンタシー編とちがって、著名な作家・作品ばかり。固有名詞はすべてわかる。もっとも、それがいいことなのか、悪いことなのかはわからないが。

 補足しておくと、デル・レイの作品は邦訳のある長篇の原型となったノヴェラ版。ストーリーは同じだが、文章はだいぶちがう。
 未訳のコーンブルースの作品は、未来の考古学講義という形で太陽系を二分した星間戦争の顛末をスケッチしたもの。シュペングラー流史観のSF版で、題名は「われわれが歴史から学べるのは、けっして学べないということだけだ」というヘーゲル哲学からきている。

 後者を選んだのはデイヴィッド・ドレイク。1980年代にミリタリーSFの旗手のひとりだった人間にふさわしい選択だ。このように、この作家ならこの作品を選んで当然という例が多いが、逆に意外なとりあわせもある。

 その最たる例がスタージョンとクラークの組み合わせだろう。もっとも、「海を失った男」は、シチュエーションだけとれば「火星で遭難」というハードSF的なものなので、クラークにアピールしても不思議はない。クラークはこの作品にインスパイアされて「地球の太陽面通過」を書いたそうである。

 ついでに書いておけば、「デイ・ミリオン」と「小さな黒いカバン」の並びにはニヤリとさせられる。こういうのがアンソロジーの妙味なのだ。(2007年10月24日)

2012.12.15 Sat » 『わが最愛の幻想短篇』

 『千の脚を持つ男』関連話のつづき。

 同書には場違いを承知でジョン・ウィンダムの短篇を入れた。ストレートなモンスター小説がつづくので、毛色のちがった作品が必要だし、逆にこの作品もほかの場所で読むより光って見えると思ったからだ。

 この短篇はマーティン・H・グリーンバーグ編のアンソロジー My Favorite Fantasy Story (DAW, 2000) を拾い読みしているときに見つけた。
 同書は現役のファンタシー作家に「わが最愛の幻想短篇」を選んでもらい、そのコメントとともに作品を載せたもの。珍しくグリーンバーグ単独で編んでいると思ったら、編集の実質は他人まかせなのであった。

2007-10-23(My Favorite Fantasy)

 だれがどの作品を選んでいるのか興味深いので、長くなるが目次を書き写しておく。括弧内が推薦者である――

The Ghosts of Wind and Shadow  チャールズ・デ・リント(タニヤ・ハフ)
魔術師マジリアン  ジャック・ヴァンス(ロバート・シルヴァーバーグ)
Troll Bridge  テリー・プラチェット(ミシェル・ウェスト)
The Tale of Hauk  ポール・アンダースン(ミッキー・ザッカー・ライハート)
うちの町内  R・A・ラファティ(ニール・ゲイマン)
The Gnarly Man  L・スプレイグ・ディ・キャンプ(テリー・プラチェット)
若者よ、口笛吹けばいざ行かん  M・R・ジェイムズ(モーガン・ルリウェリン)
Homeland  バーバラ・キングソルヴァー(チャールズ・デ・リント)
Stealing God  デブラ・ドイル&ジェイムズ・D・マクドナルド(キャサリン・カーツ)
Shadowlands  エリザベス・ウォーターズ(マリオン・ジマー・ブラッドリー)
Mopsa the Fairy  ジーン・インゲロウ(ジーン・ウルフ)
無宿者ライアン  ジャック・ヴァンス(ジョージ・R・R・マーティン)
The Spring  マンリー・ウェイド・ウェルマン(アンドレ・ノートン)
地獄行列車  ロバート・ブロック(リック・ホータラ)
The Dancer from Dance  M・ジョン・ハリスン(スティーヴン・R・ドナルドスン)
お人好し  ジョン・ウィンダム(マット・コステロ)
旅商人の話  チャールズ・ディケンズ(マーガレット・ワイス)
ユニコーン・ヴァリエーション  ロジャー・ゼラズニイ(フレッド・セイバーヘーゲン) 

 知らない名前が多いが、一概に当方の勉強不足とはいいきれない。たとえば、ジーン・ウルフが選んだのは、1869年に刊行された無名の児童書。しかも単行本なので、これだけで同書の四分の一を占める。こういうのを平気で推薦してくるところが、くせ者のくせ者たる所以である。
 あるいは、デ・リントの選んだのは、1950年代おけるある先住民一家の生活を描いた主流小説。マジック・リアリズムといっていえないことはないが、これをファンタシーという人間は百人にひとりくらいだろう。

 未訳の作品のなかでは、そのデ・リントとポール・アンダースンの作品が頭ひとつ抜けている。前者は、現代の荒んだ都市に隠れ住む妖精たちの活動を描いたデ・リント流アーバン・ファンタシー。後者は、死者の蘇生を題材にした北欧神話風の作品。
 アンダースンの作品は、河出文庫から出る予定(だった)〈剣と魔法〉アンソロジーに訳出する話があったが、企画が流れたと思われる。正式な断りはもらっていないが。無念。(2007年10月23日)

2012.12.14 Fri » 『ティンダロスの猟犬』

【承前】
 『千の脚を持つ男』関連の話をつづける。

 表題作に選んだフランク・ベルナップ・ロングの作品は、じつをいうと前にホラーSFアンソロジー『影が行く』を編んだときも候補にはいっていた。しかし、あのラインナップでは一枚落ちるし、既訳があるのもマイナスに働いて収録は見送ることにした。それなら未訳で同傾向の作品はないかと思って、ロングの短篇集 The Hounds of Tindalos (Belmomt, 1963) を読んでみた。

2007-10-19(Hounds)

 同書は1946年にアーカム・ハウスから出たロングの第一短篇集のペーパーバック版。元版が大部なので The Dark Beasts と二分冊になったうちの片割れである。といっても、親本を単純に割ったわけではなく、3篇を割愛したうえで配列を変えてある。ロング畢生の名作を表題作にしたこちらの片割れは、結果的に初期ロングのヴェリー・ベストになっている。

 さて、当方は『千の脚を持つ男』の扉裏解説でロングに「怪作王」の称号を奉りたい、と書いた。だが、むしろ「駄作王」、「愚作王」のほうがふさわしい――というのが、同書を読んだ感想である。
 とにかく凡庸な文章で、思いつきをストレートに書いたような作品ばかりなのだ。「ティンダロスの猟犬」や「千の脚を持つ男」は例外中の例外といっていい。

 参考までに同書の目次を当方の採点つきで書き写しておこう。題名のあとが点数で、5点満点である。

Dark Vision 1
The Black Druid 1
怪魔の森(別題 喰らうものども) 2
Grab Bags Are Dangerous 2
Fisherman's Luck 1
The Elemental 2
Golden Child 2
The Peeper 3
ティンダロスの猟犬(別題 ティンダロスの犬) 4

 ご覧のとおり、1点と2点のオンパレード。ちなみに、当方が1点をつけることは稀なので、よっぽどつまらかったらしい(内容はすでに忘却の彼方)。けっきょく前回はロングの作品を選べなかった。
 
 とはいえ、「怪物ホラー」をテーマにした今回は、最初から「千の脚を持つ男」の収録を決めていたし、既訳(追記参照)とは別ヴァージョンの原文テキストが手もとにあったので、それを底本に新訳を起こすことにした。この怪作をふたたび世に出せて、すごくうれしい。(2007年10月19日)

【追記】
 一字ちがいの「千の足を持つ男」堀内静子訳『ウィアード・テールズ2』(国書刊行会、1984)のこと。

2012.12.13 Thu » 『怪物の怪物本』

【前書き】
 以下は2007年4月11日に書いた記事である。


 懸案だったモンスター小説アンソロジー(追記参照)に目処がついた。早い人には去年の8月末に原稿をあげてもらったのに、当方がずるずると遅らせていた仕事である。まったく申し訳ない。とりあえず入稿はすませた。先は長いが、まずはひと安心である。

 前にも書いたが、これは創元推理文庫F分類から出す予定のアンソロジー。収録作家はつぎのとおり――
 ジョゼフ・ペイン・ブレナン、デイヴィッド・H・ケラー、P・スカイラー・ミラー、シオドア・スタージョン、フランク・ベルナップ・ロング、アヴラム・デイヴィッドスン、ジョン・コリア、R・チェットウィンド・ヘイズ、ジョン・ウィンダム、キース・ロバーツ。
 SF作家ということになっている人も多いが、作品はすべて怪奇幻想小説である。

 さて、このアンソロジーを編むにあたって参考にしたうちの一冊が、マイクル・オショーネシー編 The Monster Book of Monsters (Bonanza, 1988) だ。

2007-4-11(Monster Book)

 じつをいうと、ブレナンの小説の原文を入手するつもりで買ったのだが、これが当方の趣味にぴたりと一致した本で、大いに参考にさせてもらったしだい。
 編者についてはなにも知らない。続刊が予定されていたようだが、けっきょく出なかった。やはり当方が大喜びする本は売れないのだよ。

 これはイギリスで出た本で、ハードカヴァー350ページを超える大著。「A is for ALIENS, ANDROIDS, AAAARGH!」、「B is for BIRDS, BEASTS AND BLOOD」といった具合にキーワードが立てられ、アルファベット26のセクションに50篇がおさめられている。
 モンスター小説を広義にとり、中国の志怪からニューウェーヴSFまで、雑多なジャンルを網羅している。短いものはわずか1ぺージ、長いものは100枚の中篇と長さもバラバラなら、内容のほうも玉石混淆。レイ・ブラッドベリ「霧笛」のような定番もあれば、ネルスン・ボンド「見よ、かの巨鳥を!」のような掘り出しものもあり、ロバート・ブロック「蛇母神」のような駄作もあるといった具合。とはいえ、ほかではお目にかかれないような作品が多く、舐めるように読ませてもらった。

 結果として、ブレナン「沼の怪」のほか、ミラーの海底原人もの“The Thing on the Outer Shoal” とヘイズの心霊吸血鬼もの“Looking for Something to Suck” を採らせてもらった。オショーネシーさん、ありがとう。 (2007年4月11日)

【追記】
 拙編のアンソロジー『千の脚を持つ男――怪物ホラー傑作選』(創元推理文庫、2007)のこと。


2012.12.12 Wed » 『妖異の海を漂流中』

【前書き】
 以下は2006年6月28日に書いた記事である。海つながりで公開する。


 ウィリアム・ホープ・ホジスンの新しい傑作集 Adrift on the Haunted Seas (Cold Spring Press, 2005) を読んだ。

2006-6-28 (Adrift)

 あまり聞いたことのない版元だが、広告を見ると幻想文学関係の面白そうな本をいろいろと出している。ありゃ、1年くらい前に買ったケネス・モリスの Book of the Three Dragons もここの本だったのか。これは要注目のスモール・プレスだな。
 さて、本書だが、ダグラス・A・アンダースンという人の選で、この人の序文とホジスンの小説が18篇、詩が4篇おさめられている。定番をおさえたうえで、マニアックな作品を忍びこませるという意欲的な作りである。
 邦訳があるのは以下の13篇――「夜の声」、「暁に聞こえる呼び声」、「ジャーヴィー号の怪異」、「静寂の海から(第一部)」、「静寂の海から(第二部)、「漂流船」、「海藻の中に潜むもの」、「ランシング号の乗組員」、「グレイケン号の発見」、「熱帯の恐怖」、「漂流船の謎」、「石の船」、「帰り船〈シャムラーケン号〉」。
 
 じつは今度編むモンスター小説アンソロジー(追記参照)に使える作品がないかと思って読んだのだが、残念ながらそういう作品はなかった。
 
 未訳の作品5篇のうち4篇は、超自然の要素のない海洋小説。たとえば“Through the Vortex of a Cyclone”は、海上で巨大な颱風(サイクロン)に遭遇した帆船の話で、ストーリーと呼べるものはなく、ただひたすら嵐の描写がつづく。ほかも同工異曲。
 残る1篇は海洋怪談だが、凡作。
 さらに未訳だと思っていた作品“Demons of the Sea” は、読んでみたら邦訳のある「ランシング号の乗組員」の別ヴァージョンだと判明した。タコ人間が出てくるのですぐにわかったのだ。邦訳は、オーガスト・ダーレスが勝手に書き直したヴァージョンを基にしているのだが、わざわざ新訳するほどの作品でもない。

 収穫は書誌情報。作品の初出について、わが国で流布している情報は、ほとんどが再録を初出と勘違いしていることがわかった。ホジスンは1918年に亡くなっているので、1920年代の雑誌に初出の作品が多いのは、なんか変だと思っていたが、これで腑に落ちた。もっとも、真の初出は不明になってしまったのだが。

 再録時に改竄された劣悪ヴァージョンが、短篇集『海ふかく』(国書刊行会)のテキストであることもわかった。ダーレスは、ホジスン再評価に多大な功績があった人だが、テキスト・クリティックの面では困った人であったようだ。

 だからこそ原テキストを収録した本を出す意義があるのだが、こういう本を喜ぶのは、よっぽど奇特な人間にちがいない(ホジスンのエッセイ集など、限定150部だそうだ)。コアなホジスン・ファンは、世界じゅうに3桁かもしれない。なんか暗澹たる気分になってきた。(2006年6月28日)

【追記】
 怪物ホラー傑作選と銘打った『千の脚を持つ男』(創元推理文庫、2007)のこと。いい機会なので、この本に関する裏話をつづける。

2012.12.11 Tue » 『深海』

【承前】
 ナンマドール遺跡が出てくる小説といえば、アメリカの秘境冒険小説家ジェイムズ・ロリンズの第三作 Deep Fathom (Harper Torch, 2001)が思い浮かぶ。

2005-8-29(Deep Fathom)

 ここでもナンマドールはムー大陸の遺跡ということになっており、近ごろ話題の与那国島沖海底遺跡(?)やら、イースター島の謎の文字ロンゴロンゴなども出てきて、ムー文明の存在が浮かびあがる。
 と書けばおわかりのように、半村良ばりの伝奇ロマンを柱に、波瀾万丈の海洋冒険が繰り広げられる。なにしろ太平洋全体を揺すぶり、アリューシャン列島やハワイを水没させる大地震は起きるわ、米中戦争は起きるわ、時間は逆転するわの騒ぎである。まさにジェットコースター・ノヴェル。これは邦訳を出したくて、ある出版社に強力に推薦しておいたのだが、その後音沙汰はない。残念無念。

 ちなみに作者は第一作で南極の地下世界と恐竜、第二作でインカ文明と宇宙から飛来したナノマシンを題材に冒険活劇を書いた人。いまどき珍しい秘境冒険小説家で、当方はいたく気に入っているのである。(2005年8月29日)

2012.12.10 Mon » 『ムーン・プール』

【前書き】
 以下は2005年8月28日に書いた記事である。


 洋書屋に行くことはめっきり少なくなったが、たまに行くと掘り出しものがある。最近手に入れたのが、A・メリットの The Moon Pool (Wesleyan University Press, 2004) だ。

2005-8-28(Moonpool)

 聞いたことのない大学出版局から出た本なので、すっかり見逃していたが、これはちょっとしたものである。

 もちろん、小説自体は初版1919年で各種の刊行本があり、邦訳も出ていた(追記参照)くらいだから、べつに珍しいものではないが、本書の価値はそれ以外の部分にある。
 というのも、マイクル・レヴィという学者が編集し、詳細な註を付したうえで、長文の評論とメリット書誌と評伝を載せているのだ。おまけに39年に〈フェイマス・ファンタスティック・ミステリーズ〉に再録されたときに描かれたヴァージル・フィンレイのイラストが6葉復刻されている。まさに至れり尽くせりというほかない。
 クロス装と紙装があるようだが、当方が持っているのは紙装版である(それでもけっこうなお値段だった)。

 ちなみに、本書は《ウェズリーアンSF初期古典シリーズ》の一冊なのだが、そのラインナップがすごい。ヴェルヌの3冊はまだしも、残りはカミーユ・フラマリオンの Lumen 、ド・グランヴィルの The Last Man、ケネス・マッケイの The Yellow Wave など。いちばんメジャーなのがS・ファウラー・ライトの Deluge なのだから恐れ入る。
 まあプレSF史を研究している学者にしか用のない本だが、集めたくなってくるのが怖い。

 ところで『ムーン・プール』には、月光を浴びると別世界へ開く門という設定で、南太平洋の島に実在する古代遺跡が出てくる。
 じつは当方は、その遺跡へ行ったことがあるのだ。ミクロネシアのポンペイ(旧名ポナペ)島にある石造洋上遺跡ナンマドールがそれだ。
 これは玄武岩の角材をわが国の校倉造りのように積み上げた人工の島。いまでは11世紀ごろに造られたものだとわかっているが、むかしからムー大陸との関連が取りざたされている。
 とはいえ、じっさいに行ってみると、それが妄説だとわかる。要するに大規模な墓であり、むかしの人の土木建築術が優れていただけの話。わが国の神社では、境内に足を踏み入れた瞬間、空気がガラリと変わり、さすがに神域だわいと感じいるときがあるが、そういうこともなかった。まあ、当方が鈍いだけかもしれないが。
 参考までに写真を載せておく。(2005年8月28日)

2005-8-28(Namador)


【追記】
 A・メリット『ムーン・プール』川口正吉訳(ハヤカワ・SF・シリーズ、1970)のこと。 

2012.12.09 Sun » 『地球空洞説』

 ロスト・ワールドとか、地球空洞説とかいう言葉を聞くと、それだけで胸がワクワクしてくる。だから、この本が届いたときは仕事をほっぽりだして飛びついた。デイヴィッド・スタンディッシュというジャーナリストが書いたノンフィクション Hollow Earth (Da Capo Press, 2006) である。

2006-10-7(Hollow)

「地中にあるとされる想像上の異境、幻想的な生物、進歩した文明、奇蹟の機械にまつわる長く興味深い歴史」という長い副題からわかるとおり、地球空洞説の発生から現在までを丹念にたどった研究書。けっこう学術的な本で、トンデモ本のたぐいではない。

 章題を見れば、おおよその内容はわかるだろう――

1 空洞科学
2 シムズの穴
3 極地ゴシック――レイノルズとポオ
4 ジュール・ヴェルヌ――地質学の中心への旅
5 サイラス・ティードとコレシャニティ
6 空洞ユートピア、ロマンス、お子様向けの読み物
7 地球の核のエドガー・ライス・バロ-ズ
8 地球空洞説は生きている――邪悪なナチ、空飛ぶ円盤、スーパーマン、ニュー・エイジ・ユートピア

 ご覧のとおり、フィクションとノンフィクションが等価でとりあげられているのが特徴。とりわけ、いまは忘れられた地球空洞説に基づく小説を片っ端から紹介した6章は圧巻。プレSF史に興味がある当方としては、たいへん勉強になった。

 しかし、この姿勢が弱点になっている感は否めない。こういう題材は虚実の皮膜が薄いから面白いのであって、最初からフィクションだとわかっていると、それだけでワクワク感が減ってしまうのだ。
 題材からして読者を選ぶ本だが、この内容を喜ぶ読者はさらに限られるだろう。そのひとりであることを喜んでいいのやら悪いのやら……。(2006年10月7日)

2012.12.08 Sat » 秘境SF傑作選(幻のアンソロジー・シリーズその1)

 前から何度も書いているように、当方には架空アンソロジーの目次を作るという趣味がある。当然ながら大好きな秘境もののアンソロジーもたびたび試案を練っていて、以下はその最新ヴァージョンだ―― 

1 死の蔭{チャプロ・マチュロ}探検記  橘外男 '38 (100)
2 有尾人  小栗虫太郎 '39 (105)
3 地底獣国  久生十蘭 '39 (130)
4 エル・ドラドオ  香山滋 '48 (30)
5 マタンゴ  福島正実 '63 (65)
6 ドラゴン・トレイル  田中光二 '75 (70)
7 アマゾンの怪物  山田正紀 '81 (190)

 総計690枚。文庫で420ページ見当か。

 ひとつ補足しておくと、「秘境もの」といっても単純に秘境を舞台にした作品ではなく、いわゆる「ロスト・ワールド」ものを集めている。つまり「この地球上のどこかに周囲とは隔絶した土地があって、そこには恐竜をはじめとする古代生物や、失われた古代文明が現存している」という設定で書かれた作品である。
 その魅力や意味については、以前〈幻想文学〉誌に一文を草したことがある。同誌が「幻想文学研究のキイワード」という特集を組んだときで、関心のあるテーマをひとつ選び、10枚ほどのエッセイを書いてくれという依頼だった。そのとき「ロスト・ワールド」を選んだのだから、関心の強さが判っていただけると思う(追記参照)。
 
 あまり顧みられなくなった分野なので、啓蒙的な本を作ろうと思って有名作ばかりを集めた。5が異色だが、これは完全に客寄せパンダである。
 6は連作《エーリアン・メモ》の第一作。この作品をリアル・タイムで読んだときは、本当にしびれたものだ。田中光二の初期SFは傑作ぞろいなのだが、復活はむずかしいだろうなあ。(2011年6月8日)


【追記】
 〈幻想文学〉66号(アトリエOCTA、2003)掲載の「ロスト・ワールド」という一文である。

2012.12.07 Fri » 『ベムAGAIN』

 しばらく前になるが、『ベムAGAIN』(ネオ・ベム、2012)という私家本を読んだ。昨年亡くなったビッグ・ネーム・ファン、岡田正也氏の追悼本である。

2012-10-8(BEM)
  
 名古屋に古典SFの世界的研究家がいるという噂は前々から聞いていた。パルプSFに関して野田昌宏氏に助言したり、横田順彌氏の『日本SFこてん古典』に資料を提供したりといった話だ。しかし、岡田氏が活躍したのは主に1960~70年代であり、当方がファン活動をしていた時期とはずれていたので、氏の仕事に触れたことはなかった。

 さて、その岡田氏が昨年他界され、氏の業績を再評価する動きが出てきた。その中心人物が、岡田氏の愛弟子ともいうべき作家の高井信氏であり、本書はその高井氏が編んだ岡田正也エッセイ傑作選である。発行はネオ・ベムとなっているが、高井氏の個人事業らしい。

 まあ、こういう経緯やら、岡田氏本人については、親交のあった方々が文章を認(したた)めているので、そちらを参照してほしい(リンク先は最後にまとめる)。

 本書はA5判、本文96ページの小冊子。岡田氏のエッセイ9篇と、高井氏の「編者あとがき」がおさめられている。発表年を見ると、いちばん古いものが1966年、いちばん新しいものが1985年。すべてファンジン(とそれに類するもの)に発表された文章である。

 内容は、基本的にパルプSF、あるいはそれ以前のロスト・ワールド小説礼讃。すでに廃れかけたジャンルへの愛情と哀悼をにじませた文章である。といっても、たんにノスタルジーに浸るのではなく。その現代的意義が消え失せたのを認めたうえで、現代SFには欠けているものを指摘し、古典の魅力を語るというスタイルだ。

 とにかく、当方と趣味が一致しているので、読みながらうなずくことしきり。さらには教えられることも多く、興奮して読みおえた。
 とりわけ、飛行機の誕生とともに産声をあげ、皮肉にもその発達によって息の根を止められたサブ・ジャンルを概説した「大空の秘境」、伝説の秘境小説作家に関する研究「A. Hyatt Verrill と『失われた種族』」、未確認動物に関する蘊蓄をかたむけた「影を求めて」が印象に残った。

 驚くべきは、いずれも一次資料にあたったうえで書かれていること。いまとちがって、それしか手段がなかったわけだから当然といえば当然だが、それに費やした労力を考えると粛然とせざるを得ない。いやはや、たいへんな人がいたものだ。
 いちどでいいから、お目にかかってお話を聞いてみたかった。

【高井信氏のブログ】
岡田正也氏での検索結果
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%B9%9F

岡田正哉(本名)での検索結果
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A3%E5%93%89

【親交があった高橋良平氏の追悼文】
http://www.webmysteries.jp/sf/takahashi1112-1.html

【本書を枕にした北原尚彦氏のコラム】
http://www.webmysteries.jp/sf/kitahara1207-1.html

 ちなみに、このコラムに合わせて実施されたプレゼントに応募して、当方は本書を入手した。高井氏、北原氏、東京創元社のご厚意に感謝する。(2012年10月8日)

2012.12.06 Thu » 『C・L・ムーア傑作集』

【承前】
 C・L・ムーア傑作集 The Best of C.L.Moore (SF Book Club, 1975) についても記しておこう。ただし、当方が持っているのは、例によって同年にバランタインから出たペーパーバック版だが。

2008-9-30(Best of C.L.Moore)

 編纂にあたったのはレスター・デル・レイで、デル・レイの序文とムーア本人のあとがきが付いている。
 収録作はつぎのとおり――

シャンブロウ  《ノースウェスト・スミス》
黒い渇望  《ノースウェスト・スミス》
The Bright Illusion
暗黒神のくちづけ  《ジョイリーのジレル》
Tryst in Time
Greater Than God
Fruit of Knowledge
美女ありき
Daemon
ヴィンテージ・シーズン

 これは文字どおりの傑作集で、ムーアの代表作はもれなく収録されている。ムーア単独の作品はすくないので、だれが選んでも、これと似たラインナップになるだろう。

 なにしろ1930年代から40年代にかけての作品なので、古びてしまった部分も多い。
 未訳作品のなかでは“Daemon”がオーソドックスな幻想怪奇小説として秀逸。狂人にだけ真実が見えるというテーマの変種で、弱者に対する視線が優しい。これは訳す価値があると思う。
 あとひとつ選ぶなら、タイム・トラヴェルものに大時代なラヴ・ロマンスをからめた“Tryst in Time” か。これは企画中のロマティック時間SFアンソロジーに入れようと思っているのだが、企画自体が暗礁に乗りあげているので、先行きは不透明なのが残念(追記参照)。

 ちなみに、あとがきでムーアが、デビュー作「シャンブロウ」に関する裏話を書いている。これが従来流布していた説とは正反対の内容。
 つまり、形としてはスペース・オペラであるこの作品は、いろいろなSF誌に掲載を断られたあげく、ようやく幻想怪奇誌〈ウィアード・テールズ〉で陽の目を見たとされている。ところが、ムーアはこのエピソードを否定するのだ――
「わたし自身の完璧に明晰な記憶によれば、最初に送った先が〈ウィアード・テールズ〉だった。その種の雑誌でよく知っていたのは、同誌だけだったからだ。そして採用の通知がきて、直後に(当時としては)途方もない大金である100ドルの小切手が届いた。
 じっさい、処女作が手ひどくあしらわれていたら、ニューヨークの出版社のドアをつぎからつぎへと叩いてまわるような真似が、わたしにできたはずがない。あっさりあきらめて、ほかの活動に鞍替えしていただろう」

 ムーア本人の証言だが、作家の記憶ほど当てにならないものはない。果たして真相はいかに。(2008年9月30日)

【追記】
 その後めでたく企画が成立し、この作品は安野玲氏に訳してもらって、拙編のアンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009)に収録できた。訳題は「出会いのとき巡りきて」である。

2012.12.05 Wed » 『ジョイリーのジレル』

 昨日のつづきで、カップリングの片割れも紹介しておく。

 《ジョイリーのジレル》シリーズは、《ノースウェスト・スミス》シリーズのあいだを縫うように全5作(プラス番外篇1作)が書かれ、すべて1930年代に〈ウィアード・テールズ〉に掲載された。
 中世フランスにあったとされる架空の小国を舞台にした〈剣と魔法〉である。といっても、剣の要素は抑え気味で、魔法の要素が強い。誤解を恐れずにいえば、若き女戦士の地獄めぐりを描いた作品群だ。

 シリーズ単独での単行本化は、〈剣と魔法〉ブームの渦中に出た Jirel of Joiry (Paperback Library, 1969) が嚆矢。番外篇をのぞく5篇を収録している。ハヤカワ文庫の『暗黒神のくちづけ』(1974)は、これを底本にしていると思われるが、訳者あとがきには「ランサー・ブックスで単行本になっている」と誤記されている。

 1977年にドナルド・M・グラントが Black God's Shadow の題名で豪華本を出した。これを改題のうえパーパーバック化したのが、 Jirel of Joiry (Ace, 1982) であり、当方が所有しているのはこの版である。

2008-9-28(Jirel of Joyry)

 昨年になって、前記《プラネット・ストーリーズ・ライブラリ》が Black God's Kiss の題名でジレルを復活させている。序文はスージー・マッキー・チャーナスとのことだが、この本は買っていないのであった。(2008年2月28日)

2012.12.04 Tue » 『暗黒神と真紅の夢』

【承前】
 C・L・ムーアの二大人気シリーズ《ノースウェスト・スミス》と《ジョイリーのジレル》をまとめたお徳用袋みたいな本も出ている。Black Gods and Scarlet Dreams (Gollancz, 2002) がそれで、入手しにくい名作を安価なトレードペーパーで出している好企画《ファンタシー・マスター・ワークス》の1冊。
 形だけ見れば、スペース・オペラと〈剣と魔法〉のカップリングだが、作品のトーンは似通っているので、まったく違和感はない。それだけムーアという作家の個性が強いということだ。

2008-9-27(Black Gods)

 じつは、この本は買ってがっかりした。というのも、この叢書は編集コンサルタントを務めるスティーヴン・ジョーンズが、各巻に力のこもった解説を寄せていて、それを読むのが最大の楽しみなのだが、この本にはその解説が付いていないのだ(追記参照)。目次がないなど、編集にも杜撰な点がある。とうていジョーンズの仕事とは思えない。

 要するに Jirel of Joiry と Scarlet Dream (シリーズ作品中3篇が未収録)という2冊の本をカップリングしただけで、この本自体の独自性は皆無。テキストを入手できなかった人には嬉しい贈り物だろうが、どちらの本も所有している人間にすれば、わざわざ買うまでもないのであった(2008年9月27日)。

【追記】
 ジョーンズの解説については、当方が最初に買った何冊かがたまたまそうだったのであり、解説の付いてない本のほうが多いとあとでわかった。したがって、ジョーンズの解説を目当てにすること自体がまちがいだったわけだ。この点については関係者に謝罪する。
 前にジョーンズと当方は趣味が一致すると書いたが、それが証明された形である。


2012.12.03 Mon » 『ノースウェスト・スミス』

【承前】
 C・L・ムーアの《ノースウェスト・スミス》シリーズは1930年代に発表された。単行本化は50年代にはいってからで、伝説的なノーム・プレス版のハードカヴァー Shambleau and Others (1953) と Northwest of Earth (1953) がそれにあたる。
 ただし、同人誌発表作をはじめとして4篇が落ちているうえ、ムーアのもうひとつの人気シリーズ《ジョイリーのジレル》とのカップリングという変則的な編集で、けっして決定版と呼べるものではない。
 
 ちなみに前者はスミス4篇、ジレル3篇。後者はスミス5篇、ジレル2篇という構成。ひょっとすると、傑作集的な意味合いのあった最初の単行本が好評だったので、あとの巻が出たのかもしれない。

 このあと Shambleau という題名の短編集が58年と61年に出たが、それぞれ3篇、4篇+2篇と作品数はすくなくなっていた。

 わが国では71年から73年にかけてハヤカワ文庫版全3冊が刊行されたが、これはシリーズ13作をすべて収録した完全版。おそらく世界初の偉業である。ノーム・プレス版にはいっていない4篇は、テキストを手に入れること自体がむずかしかっただろうから、関係者の努力には脱帽するしかない。

 本国では81年になって幻想怪奇系の小出版社の雄ドナルド・M・グラントが、Scarlet Dream という題名でようやくシリーズを集成した。これを改題したうえでペーパーバック化したのが、Northwest Smith (Ace, 1982)で、当方が持っているのはこの版である。画家の名前は明記されていないが、たぶんジム・バーンズだと思う。

2008-9-26(Northwest Smith)

 ただし、集成といってもノーム・プレス版の9篇に掌編「短調の歌」(初出〈ファンタスティック・ユニヴァース〉1957年6月号)を増補した内容。つまり以下の3篇が落ちているのだ――

1「暗黒界の妖精」フォレスト・J・アッカーマンとの共作。同人誌〈ファンタシー・マガジン〉1935年4月号掲載。
2「スターストーンの探索」ヘンリー・カットナーとの共作。〈ウィアード・テールズ〉1937年11月号掲載。
3「狼女」同人誌〈リーヴズ〉1938/1939年冬季号掲載。

 1は《スミス》シリーズの熱狂的ファンとの文通から生まれた作品。アッカーマンの考えたアウトラインを基にふたりで肉付けし、ムーアが小説化した共作である。削除版がのちに〈ウィアード・テールズ〉1939年12月号に掲載された。
 2は婚約時代に未来の夫ヘンリー・カットナーと共作したもので、ムーアの二大人気キャラクター、スミスとジレルが競演するお遊び的な作品。カットナー色が強いのが特徴。
 3は初期の習作。SF色のない幻想怪奇小説であり、シリーズ中の異色作。たぶん没原稿なのだろう。

 いずれもマイナーな作品であり、未収録もしかたない気もするが、作品の質とは関係なく、シリーズ全作をそろえたいのが人情というもの。全作を新訳で集成し、新しい情報に基づく解題やさまざまな資料を付した完全版を作るのが当方の野望である。じつはその準備も進めていたのだが、先に論創社版が出てしまった。当方の無能と怠慢のなせる業とはいえ、無念。(2008年9月26日)


2012.12.02 Sun » 『地球のノースウェスト』

 パイゾというゲーム系の小出版社が、《プラネット・ストーリーズ・ライブラリ》という叢書を出している。パルプ時代の作品を中心に、スペースオペラや〈剣と魔法〉を毎月刊行しようというもの。
 その趣旨には諸手をあげて賛同するが、当方と編集者の趣味が一致しすぎていて、刊行される作品はほとんど別ヴァージョンで持っているという結果に。現役作家や編集者などによる短い序文が各巻に付されているものの、なかなか購入に踏み切れないでいる(余談だが、リイ・ブラケットのある本にはジョージ・ルーカスが序文を寄せている)。

 それでも何冊買った本があって、そのうちの1冊がC・L・ムーアの Northwest of Earth (Paizo, 2008) だ。幻想味ゆたかなスペース・オペラとしてSF史に異彩を放つ作品群であり、わが国でも人気は高かった。ちなみに、本書の序文はC・J・チェリイが書いている。

2008-9-25 (North)

 表紙に The Complete Northwest Smith の文字が見えるように、ムーアの代表作である《ノースウェスト・スミス》シリーズを集大成したもの。先ごろ論創社から刊行された『シャンブロウ』と内容は同じである。
 とはいえ、版元の名誉のために申し添えると、英米で刊行された本のなかで、シリーズ全作が一堂に会した例は存在しなかったので、快挙といえば快挙である(なにが抜けていたかは、つぎの記事で明記する)。
 当方がこの本を買ったのも、この点が大きな理由。それには深いわけがあるのだが、そのうち明らかにしたい。
 
 それにしても、シリーズ全13作を集成したハヤカワ文庫版全3冊を入手できたのだから、日本の読者は本当に恵まれていた。先人の偉大さをつくづく思い知らされるのであった。(2008年9月25日)