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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.01.31 Thu » 『怪物たちの誇り』

 ジェイムズ・H・シュミッツの短篇集をひとつ紹介しておこう。A Pride of Monsters (Macmillan, 1970) である。ただし、当方が持っているのは、例によって73年にコリアーから出たペーパーバックだが。

2013-1-27(Pride)

 この本をとりあげるのは、わが国で出たシュミッツの短篇集『ライオン ルース』(青心社、1986)の母体になっているから(その旨は同書の解説に明記されている)。同書は書誌的な意味において厄介な本で、表紙では「ライオンルース」、扉と奥付では「ライオン ルース」、表題作となった中篇は「ライオン・ルース」と、表記がバラバラなのだ。
 ともあれ、本の題名としては、「ライオン」と「ルース」のあいだに中黒をはさむのは誤りになる。いっぽう、収録されたノヴェラを指す場合は中黒入りが正しいことになる。じつはこの点に注意を喚起したくて、この記事を書いているしだい。

 さて、話を A Pride of Monsters にもどすと、収録作は5篇。序文がついているが無記名。ひょっとすると、編集者の文章かもしれない。
 参考までに発表年と推定枚数つきで収録作を記しておこう――

1 ライオン・ルース  '61 (170)
2 The Searcher  '66 (185)
3 時の風  '62 (85)
4 ポークチョップ・ツリー  '65 (20)
5 Greenface  '43 (80)
 
 ここから2と5を省き、「トラブル・タイド」'65 (110) を加えたのが、『ライオン ルース』ということになる。こちらは銀河宇宙を舞台にした《ハブ連邦》もので統一しており、シュミッツの作品世界の簡便な見取図を意図している。

 これに対し、A Pride of Monsters は、「怪物」がテーマであり、《ハブ連邦》ものには含まれない作品がはいっている。それが作者のデビュー作である5だ。
 これはアメリカの片田舎を舞台に、異次元から来た(らしい)怪物と闘う話。SFというよりは、ラヴクラフト風のホラーに近く、けっこう迫力がある。怪物ホラー傑作選と銘打ったアンソロジー『千の脚を持つ男』(創元推理文庫、2007)を編んだとき収録を検討したが、長さがネックになって見送った作品である。

 残る2は《ハブ連邦》もので、一種のエネルギー生物が登場する。A・E・ヴァン・ヴォートの影響が色濃く、怪物と人間の知恵くらべを描いているが、冗長の感は否めない。有能なヒロインが活躍する点はシュミッツらしいのだが……。

 ちなみに、表紙絵は3と4に出てくる怪物を題材にしているのだろう。リチャード・ジョーンズという画家の絵だそうだ。(2013年1月27日)

【追記】
 このままシュミッツの紹介をつづける手もあるのだが、月も変わることだし、話題をガラリと変えたい。もともと雑学的なことを書きたくてはじめたようなものなので、そちらに舵を切る予定。

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2013.01.30 Wed » 『ジェイムズ・H・シュミッツ傑作集』

 NESFAの本をもう一冊。ものは The Best of James H. Schmitz (NESFA Press, 1991) である。

2005-9-21(Schmitz)

 表題どおり、シュミッツの中短篇を9篇おさめた傑作集。ジャネット・ケーガンが序文を寄せているほか、詳細な作品書誌が付くという充実ぶりだ。参考までに収録作を書き写しておこう。例によって、発表年と推定枚数を付す――

1 おじいちゃん  '55 (60)
2 ライオン・ルース  '61 (170)
3 Just Curious  '68 (30)
4 The Second Night of Summer  '50 (75)
5 チックタックとわたし  '62 (95) *のちに『テルジーの冒険』第一部となった。
6 安定した生態系  '65 (55)
7 The Custodians  '68 (100)
8 Sour Note on Palayata  '56 (125)
9 Goblin Night  '65 (95) *《テルジー・アンバーダン》シリーズ
 
 表紙絵は7を題材にしたもの。背景の不気味な顔は、じつは人間ではなく、外科手術で人間に似せた異星人である。イラストレーターはケリー・フリースだが、これは描き下ろしではなく、〈アナログ〉誌初出時の絵を流用したもの。
 
 人類が広大な銀河宇宙に広がり、ハブ連邦と呼ばれる文明圏を築いている未来を背景にした作品がならぶ。なかでも、上記の7を代表に、人類の文明圏を侵略しようとする異星人と、それを防ごうとする主人公たち(秘密諜報員の場合もあれば、ただの民間人の場合もある)が人知れず闘うというパターンが目立つ。おそらくヴァン・ヴォートの影響だろう。

 ただし3は例外であり、現代を舞台にしたテレパスもの。と思ったら、〈アルフレッド・ヒッチコックズ・ミステリ・マガジン〉掲載だった。
 書き忘れたが、ESP/超能力もシュミッツの作品に共通する要素である。

 6は気に入って訳して、SFマガジンに載せてもらったことがある(追記参照)。1はエコロジーSFの先駆けとして名高い作品であり、当方も気に入っているので、いつかアンソロジーに新訳しようと思っているのだが、いまのところ果たせないでいる。

 シュミッツは生物学の知識を活かして奇怪な生物を作りあげ、人間とはべつのルールにしたがって行動する存在として描きだすのを得意としている。本書に収められた作品は、基本的にその系統で、さすがにアイデアは面白い。しかし、小説作りは下手であり、鈍重・冗長の感は否めない。そういう意味では懐古の対象であって、いまさら紹介するほどでもない、という気はする。

 ところで、至れり尽くせりの本書だが、ひとつだけ感心しない点がある。マール・インジンガという人のイラストが3葉載っているのだが、これが素人臭くてどうにもいただけない。参考までに「安定した生態系」のイラストを載せておく。(2005年9月21日)

2005-9-21(Schmitz Illust)

【追記】
〈SFマガジン〉1992年8月号に掲載。
 ついでだから書いておくと、「おじいちゃん」は同誌1973年7月に掲載。「チックタックとわたし」は同誌1974年12月号に掲載(矢野徹訳)。その後、長篇『テルジーの冒険』(青心社、1984→新潮文庫、1988)第一部として訳出される(鎌田三平訳)。「ライオン・ルース」はシュミッツの短篇集『ライオン ルース』(青心社、1986)に所収となる。


2013.01.29 Tue » 誤訳の実例

 昨日チャールズ・L・ハーネス作「現実創造」の旧訳は誤訳だらけだと書いた。実例を示さないと、いいがかりになってしまうので、具体例を示すことにした。

 まずは最後からふたつめのパラグラフ。「科学の危険性とその馴致」というテーマの結論部である。

 And they'd keep it this way, simple and sweet, forever, and their children after them. To hell with science and progress! (Well, within practical limits, of course.)

中上守(川村哲郎)訳
 単純にして甘美な、この素晴らしい世界は永久にわたしたちのものだ、そしてわたしたちの子孫のものなのだ! 科学も進歩もくそくらえ!(「どうせ、そんなものは、ごく限られた範囲でしかあり得ないことなのだから」)

拙訳
 世界は永久にこのままにしておこう、単純素朴で美しいままに。子供たちにも、そのまた子供たちにもそうさせよう。科学や進歩なんてくそくらえだ! (まあ、もちろん、実用的な限度内でなら大目に見るが)

 ご覧のとおり、中上訳は意味が逆になっている。作品のテーマを理解していれば、こんな誤訳をするはずがないのだが。

 中上訳はこの程度の誤訳が各ページにひとつくらいあると思ってもらっていい。そのひとつひとつ検証するわけにはいかないので、いちばん笑えた誤訳を紹介しておく。

 諜報部員の主人公が、暗闇にまぎれて、ある科学者を監視している場面。

 Prentis had clipped the hairs from his norstrils and so far had breathed in complete silence.

中上訳
 プレンティスは一本一本、丹念に鼻毛を抜きながら、息を殺してじっと潜んでいた。

拙訳
 プレンティスは鼻毛をぬく処置をすませていた。おかげでこれまでのところは、まったく音をたてずに呼吸していた。

 中上訳を読むと、のんきな諜報部員に思えるが、じっさいは敏腕なのである。(2007年12月12日)

【追記】
 本文中の中上守訳は〈SFマガジン〉1990年10月号掲載の「現実創造」より引用した。これは1964年7月号に川村哲郎名義で掲載されたものの再録である。

 拙訳は中村融/山岸真編『20世紀SF①1940年代 星ねずみ』(河出文庫。2000)より引用した。

2013.01.28 Mon » 『薔薇』

【前書き】
 チャールズ・L・ハーネスの作品を絶賛してきたが、ハーネスの作品すべてが傑作というわけではない。むしろ玉はすくなくて、石が多いというのが当方の印象である。本文に書いたように、作家というのは最高傑作で評価されるべきなので、ハーネスに対する評価が下がるわけではないが、過度の期待がふくらんでも困るので、以下の記事を公開する。期待を裏切られつづけた者からの忠告だと思っていただきたい。


 ハーネスといえば、オールディスやメリルといったウルサがたが絶賛しているという風評ばかりが伝わってきて、肝心の作品が未訳なので、「なんかすごい作家がいるらしい」という幻想がふくらみにふくらんだ典型である。
 サンリオSF文庫で出た『ウルフヘッド』を読んでがっかりして、「これは本領じゃない。未訳の○○はきっとすごいはずだ」と思った人も多いだろう。
 数すくない邦訳のうち「現実創造」という中篇が傑作なので、その幻想をあおられるのも無理はない。

 だが、主要な作品をひと通り読んだ経験からいえば、しょせんは二流の作家。邦訳もあるデビュー作「時間の罠」がこの人の水準だと思えばいい。要するに鈍重、アナクロ、カードボード・キャラクター、取り柄はアイデアと(成功したときの)ひねりにひねったプロットだけ。ここまで評判が高いのに、作品が未訳だったのには、ちゃんと理由があるのだ。

 しかし、アイデア自体がとてつもなくすばらしいうえに、アナクロがいいほうに働いた奇跡のような作品が2つあって、それはSF史に残る傑作。長篇 The Paradox Men と中篇「現実創造」である。
 作家というのは最高傑作で評価されるべきなので、ハーネスはSF史に名前をとどめるべきだと思うが、この2作以外は無理して読まなくてもかまわない。もちろん、ワイドスクリーン・バロックの秀作 The Ring of Ritornel とタイム・パラドックス小説の古典「時の娘」は読んでおいたほうがいいが。

 水準作のほうを紹介しよう。一部で名高い The Rose (Compact, 1966) である。
 これは長篇ではなく作品集。初版はイギリスで出たが、当方が持っているのは69年にアメリカで出たバークリー・メダリオンのペーパーバックだ。

2007-12-11(Rose)

 同書にはつぎの3篇が収録されている。当方がつけているノートからデータを書き写しておく(題名、初出、推定枚数、評点の順)――

The Rose  Authentic,1953-3 (250) 2
The Chessplayers  F&SF, 1953-10 (35) 3
現実創造  Thrilling Wonder Stories, 1950-12 (115) 5

 ちなみにマイクル・ムアコックが序文を寄せている。

 さて、表題のショート・ノヴェルだが、アメリカで買い手がつかず、けっきょくイギリスの二流誌に掲載された作品。ムアコックは最高傑作と持ちあげているが、これはムアコックのアナクロ好みがいわせた妄言だろう。とにかく下手くそな小説で、読み進めるのがつらい。
 題名はオスカー・ワイルドの童話「ナイチンゲールと薔薇」からきている。当然ながら、テーマは「科学と芸術の相克」。これを3人の登場人物のメロドラマとして描いている。
 作曲家で精神分析医のアンナ、芸術家のルイ、その妻で科学者のマーサ。アンナとルイが恋仲になり、嫉妬したマーサがふたりを殺そうとするのが縦糸。アンナとルイが結びつくことによって、ふたりが精神的/肉体的に変化し、新人類へ進化を遂げるというのが横糸。要するに、科学と芸術が融合すれば、人類は進化するといいたいらしい。
 しかし、舞台となる未来社会が古臭いうえに凡庸だし、人物描写が弱いのでドラマが盛りあがらないうえに、プロットも説得力に乏しい。
 
 2番めの作品は、チェスをするネズミが主役のハートウォーミングな小品。楽しい作品だが、佳作と持ちあげるようなものではない。

 3番めの作品はパラダイムの概念を先取りし、小説にしたような作品。これは当方も高く評価していてアンソロジー『20世紀SF① 1940年代 星ねずみ』(河出文庫)に新訳した。旧訳は誤訳だらけで、いちばん肝心の部分も誤訳だった。これを直せたのは、当方の喜びとするところだ。(2007年12月11日)

【追記】
 〈SFマガジン〉の本家「SFスキャナー」では、団精二(荒俣宏)氏が1971年6月号掲載分で The Rose を紹介している。

 上記の短篇集 The Rose はとうに絶版だが、NESFAプレスが出したハーネス作品集 An Ornament to His Profession (1998) に収録作はすべてはいっており、こちらは新刊で入手できる。

 この記事を書いた後、短篇「時の娘」を拙編のアンソロジー『時の娘――ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009)に収録できた。旧訳の訳者、浅倉久志氏がわざわざ訳し直してくださった新ヴァージョンである。ぜひお読みください。


2013.01.27 Sun » 『リターネルの環』

【承前】
 1960年代なかば、イギリスでチャールズ・L・ハーネス再評価の機運が高まり、それに刺激されて休筆状態にあったハーネスは、10年ぶりに執筆活動を再開した。その最大の成果が、The Paradox Men と並び賞されるワイドスクリーン・バロック The Ring of Ritornel (Gollancz, 1968) だ。ただし、当方が持っているのは、同年にバークリーから出たアメリカ版ペーパーバックと、前述 Rings 所収の版だが。

2008-12-18(The Ring of)

 前作と同様、おそろしくアナクロな設定で大時代な物語が展開される。簡単な要約は不可能だが、強いていえば「銀河を統べる王朝の暴君と、彼に翻弄され、運命を狂わされる父、兄、弟の物語を縦糸、二柱の神性に象徴される決定論と自由意志論の対立を横糸に織りなされる宇宙の死と再生の物語」ということになろうか。

 フレッド・ホイルの定常宇宙論、偶然を司る女神アラーと宿命を司る神リターネルとの宗教的対立、暴君と生真面目な軍人(父)との対決、瀕死の暴君を生かすため生体コンピュータに変えられる桂冠詩人(兄)、暴君の娘と恋仲になり、暴君に命を狙われる若者(弟)、〈母のない娘〉と呼ばれる暴君の娘、彼女と姉弟の関係にあるらしい有翼のケンタウルス、奇怪な宇宙生物といった要素が渾然一体となり、絢爛豪華な宇宙活劇を作りあげている。
 
 特筆すべきは、まず一種のデウス・エクス・マキナとして登場する蜘蛛人間の存在。これなどA・E・ヴァン・ヴォートの『武器製造業者』そのまま。ハーネスが、いかにヴァン・ヴォートの強い影響下にあるかを示している。
 つぎに、1章からはじまり、12章まで行ったところで、また11章、10章とカウント・ダウンの形になり、2章、X章で終わる構成。あいかわらずハッタリがきいている。

 前作とどちらを選ぶかは好みの問題だろうが、当方としては The Paradox Men に軍配をあげる。狙っている分、The Ring of Ritornel のほうがアナクロが鼻につくし、タイム・パラドックスの要素が弱いからだ。1949年と1968年のあいだに、SFのイノセンスは失われてしまっていたのである。(2008年12月18日)


2013.01.26 Sat » 『自家撞着人』その2

 昨日のつづき。
 当方が持っている The Paradox Men は、1976年に《マスターSFシリーズ》の一冊として出たニュー・イングリッシュ・ライブラリ版と、1999年にNESFAプレスから出た豪華本 Rings 所収の決定版の2種類である。後者は前に紹介したことがある。

2008-12-17(Paradox)

 はじめに断っておくが、この本の粗筋は紹介しない。プロットが複雑怪奇で、膨大な数の副次的アイデアがぶちこまれているため、簡単な要約を許さないからだ。
 強いていえば、「奴隷制が復活し、剣が主要な武器となっている22世紀のアメリカ帝国を舞台に、非情な独裁者ヘイズ=ゴーントとその宿敵〈盗賊結社〉の一員で、出自不明の謎の男アラーの暗闘がくり広げられ、タイム・パラドックスのため生まれた分身(たち)が縦横無尽に活躍する」くらいだろうか。

 これだけでも、いかにアナクロな設定かわかってもらえるだろう。昨日紹介した画像は、べつにまちがっていないのである。

 すぐに連想されるのは、A・E・ヴァン・ヴォートの諸作だが、事実、ハーネス自身がヴァン・ヴォートを手本にしたことを認めており、「書いているとき思いついたアイデアをすべて放りこんだ」と証言している。
 いってみれば、ヴァン・ヴォートの《非A》シリーズと《武器店》シリーズを合体させ、バグをとりのぞいた小説なのだ。

 そのアイデアの一端を紹介する。

 まず上に掲げた図版に描かれている宇宙船だが、人類初の恒星間宇宙船で、〈トインビー22〉と名づけられている。
 この奇妙な名称は、トインビーの歴史文明論に由来する。つまり、その理論によれば、現在のアメリカ帝国は歴史的発展段階の21番めに相当し、恒星間への進出によって22番めの段階に飛躍するという意味がこめられているのだ。
 この宇宙船は、小説の終わり近くで打ち上げられ、光速を突破するのだが、それが原因となってタイム・パラドックスが生じ、プロットは円環するのである。

 つぎに主人公アラーの超能力。彼は危機におちいると、無意識のうちに超能力を発揮できるのだが、そのひとつに幻覚・幻聴投影能力がある。
 つまり、われわれが感じる光線→目→脳、あるいは音波→耳→脳というプロセスを逆転させることにより、考えた像や音を自由に実体化できるというもの。追いつめられた彼は、幻の自分をおとりにして敵の目を惹きつけ、その隙に逃げだすわけだ。

 ハッタリもここまでくれば立派というしかない。(2008年12月17日)

2013.01.25 Fri » 『自家撞着人』その1

【承前】
 すでに書いたとおり、オールディスが〈ワイドスクリーン・バロック〉という言葉を造るきっかけになったのが、チャールズ・L・ハーネスの長篇 The Paradox Men だ。つまり「ワイドスクリーン・バロックとはなにか?」と訊かれたら、「これだ」と答えればいいのだ。

 煩雑になるが、書誌情報を整理しておく。

 “Flight into Yesterday”の題名で当時の一流SF誌〈スタートリング・ストーリーズ〉1949年5月号に一挙掲載。
 これを書きのばしたものが、1953年にボーギイ&カールという出版社からハードカヴァーで刊行される。
 1955年、The Paradox Men と改題のうえ、エースのダブル・ブックに収録(抱きあわせは、ジャック・ウィリアムスンの Dome around America)。
 1964年、オールディスの推薦で初のイギリス版がフェイバー&フェイバーからハードカヴァーで刊行。このときオールディスが序文を付し、ワイドスクリーン・バロックという言葉をはじめて公にした。
 1966年、UKSFBCからハードカヴァー。同じ年、ムアコックの肝いりで The Rose も復活。イギリス主導でハーネス再評価の機運が高まる。
 1967年、フォー・スクエアからペーパーバック版刊行。
 1976年、ニュー・イングリッシュ・ライブラリから、オールディスの新たな序文つきでペーパーバック版刊行。
 1984年、ジョージ・ゼブロウスキーの推薦でクラウンからハードカヴァーで刊行。エース版以来のアメリカ版であると同時に、これまで削除されていた部分(35枚ほど)を復元した決定版である。
 1992年、イーストン・プレスからゼブロウスキーの序文つきでハードカヴァー版刊行。
 1999年、NESFAプレスがハーネスの長篇4作を一冊にまとめた Rings を豪華本で刊行。もちろん、The Paradox Men も決定版が収録されている。ちなみに、これもゼブロウスキーの序文つき。

 さて、ここからなにがわかるかというと、①普通のスペース・オペラとして発表された作品が、その特異性ゆえワイドスクリーン・バロックと名づけられたということ。②識者の支持を集めるものの、一般的な人気は得られず、本が出てもすぐに絶版になるが、復活させようという者がかならず現れ、つねに新たな信奉者を生んでいる、ということだ。まさに伝説的作品なのである。

 ありゃ、書誌情報だけでこんなに長くなってしまった。つぎの岩につづく。

 蛇足。
 当方は所有していないが、初出誌とエース版の画像を探してきたので、参考までに載せておく。たしかにこういう話なのだよ。(2008年12月16日)

2008-12-16(Flight 2)2008-12-16(Flight 1)

【追記】
 本書に関しては、安田均氏によるくわしい紹介がある。〈奇想天外《別冊》No. 7 SFのSF大全集〉(奇想天外社、1979年4月号/第4巻第5号)に掲載された氏のエッセイ「ワイドスクリーン・バロックこそ『SFのSF』だ!」においてであった。

2013.01.24 Thu » ワイドスクリーン・バロック

【前書き】
 チャールズ・L・ハーネスがらみの話をつづけたいのだが、そうなるとワイドスクリーン・バロックという概念について触れないわけにはいかない。したがって、2008年12月14日に書いた記事を公開する。


 昨日になるが、ワイドスクリーン・バロックについて語ろうという集まりがあって参加してきた(追記参照)。長年のワイドスクリーン・バロック好きとしては、ちょっと黙っていられなかったのだ。

 というのも、言葉がひとり歩きして、とんでもない拡大解釈がまかり通っているからだ。げんに井上ひさしの『吉里吉里人』をワイドスクリーン・バロックの傑作と持ちあげている例を見たことがある。
 ここまでひどい勘違いでなくても、およそ本来の意味とはかけ離れた用例が氾濫していて、ひとこといいたかったのである。

 この言葉はブライアン・オールディスが1964年に発明した造語。チャールズ・L・ハーネスというマイナーなSF作家の隠れた傑作 The Paradox Men がイギリスではじめて刊行されたとき、その序文でオールディスが同書の作風を説明する言葉として考案し、同系統の作品をあげてカテゴライズを図ったという経緯がある。

 NEL版の序文から、その定義を引用する――
「ワイドスクリーン・バロックでは、空間的な設定には少なくとも全太陽系ぐらいは使われる――そしてアクセサリーとして、時間旅行が使われるのが望ましい――それに、自我の喪失などといった謎に満ちた複雑なプロット、そして身代金としての世界というスケール、可能性と不可能性の遠近法がドラマチックに立体感をもって描きだされねばならない。偉大な希望は恐るべき破滅と結びあわされる。理想をいえば、登場人物の名は簡潔で、寿命もまた短いことが望ましい」(安田均訳を一部改変)

 そしてオールディスがワイドスクリーン・バロックとしてあげたのは、E・E・スミスの諸作(おそらく《レンズマン》シリーズを念頭に置いている)、A・E・ヴァン・ヴォートの《非A》二部作、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』、ハーネスの同書、パロディの面が強いという留保つきでカート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』であった。
 
 ここで留意したいのは、これらの作品がいずれもスペース・オペラの形式で書かれていることだ。要するにワイドスクリーン・バロックとは、スペース・オペラと総称される母集合のなかの異彩を放つ部分集合なのである。

 この点を押さえておかないと、すべてのワイドスクリーン・バロック論議は空しいものとなる。

 たとえば、ベスターの『虎よ、虎よ!』はワイドスクリーン・バロックの金字塔だが、『分解された男』はワイドスクリーン・バロックではない。
 ところが、『虎よ、虎よ!』→ワイドスクリーン・バロックの傑作→ベスター=ワイドスクリーン・バロック作家→『分解された男』もワイドスクリーン・バロック、という筋道で誤解が生まれ、これが蔓延している。
 同じことはハーネスにもいえて、ワイドスクリーン・バロックとはなんの関係もない凡作『ウルフヘッド』がワイドスクリーン・バロックとされ、ワイドスクリーン・バロックとはこんなものか、という誤解を生んでいる。
 こんなもんじゃないのだ、と叫びたくて何度歯がみしたことか。

 ともかく、大前提としてワイドスクリーン・バロックとはスペース・オペラの亜種だという認識を広めなければならない。話はそれからだ。

 いかん。ワイドスクリーン・バロックと聞くと、つい熱くなってしまう。ハーネスの作品を紹介しようと思っていたのだが、長くなったので項をあらためる。(2008年12月14日)

【追記】
 SFファン交流会12月例会のこと。テーマは「ベイリー追悼『私の愛したベイリーとワイドスクリーン・バロック』」だった。このときワイドスクリーン・バロックを「ワイバロ」と略す参加者がいて、比較的高い年齢層に衝撃をあたえた。

2013.01.23 Wed » 『環』

 この前《ピープル》全集のことを書いたが、その版元はもともとニュー・イングランドSFアソシエーションというファン・グループで、マニアライクなじつにいい本を出している。たとえば、チャールズ・ハーネスの Rings (NESFA Press, 1999)。

2005-9-20(Rings)

 これはハーネスの長篇4作を合本にしたもの。そのうち1作は書き下ろしである。まあ、どこにも売れ口のなかった作品なのだろうが、お買い得パックのおまけとしては大盤振る舞いといえる。
 参考までに各長篇の題名を書いておけば、The Paradox Men (1953), The Ring of Ritornel (1968), Firebird (1981), Drunkard's Endgame (1999) となる。ジョージ・ゼブロウスキーの序文つき。
 ハーネスの作品は、輪廻転生や歴史の循環をテーマにしているので、こういうタイトルになったのだろう。

 表紙には環のほかにメガネザルみたいな動物が描かれているが、これは The Paradox Men に出てくるキャラクター。その正体は……と書きたいところだが、いつか邦訳が出ることを願って、やはり書かないでおこう。
 この長篇は大傑作で、読んでいる途中、興奮して本を手に歩きまわったおぼえがある。むかしから名作の誉れ高い作品だが、たしかに訳す価値はある。とはいえ、翻訳は相当にむずかしそうだ。物理学に強くて、英語もフランス語も堪能で、フェンシングの心得がある奇特な人があらわれるのを待つしかないかもしれない。(2005年9月20日)

【追記】
 〈SFマガジン〉の本家「SFスキャナー」では、1969年9月号に伊藤典夫氏による The Ring of Ritornel の紹介が、1982年4月号に米村秀雄氏による Firebird の紹介が、それぞれ掲載されていた。

2013.01.22 Tue » 『驚異をとどめる』

 蔵書自慢。ものはゼナ・ヘンダースンの第二短篇集 Holding Wonder (Doubleday, 1971) である。ただし、例によって、当方が持っているのは1972年に出た Avon のペーパーバック版だが。

2005-9-14(Holding Wonder)

 この本はちょっと不思議な作りで、20篇収録のうち12篇が書き下ろし。どうもヘンダースンの短篇集を急ごしらえでも出したかった節がある。いったいどういう事情だったのだろう。

 表紙絵は不気味だが、これは冒頭の作品をモチーフにしたもの。《ピープル》シリーズの1篇で、事故を起こしたソ連の宇宙飛行士を軌道上までピープルが助けに行く話。この少年が大活躍する。べつにホラーではないのでご安心のほどを。

 上記の作品はこんど河出から出るヘンダースン傑作集に収録される(本邦初訳)。このほか4篇が本書から採られており、そのうち3篇は本邦初訳。邦訳のある1篇は「鏡をもてみるごとく」である(追記参照)。

 ついでに書いておくと、「J=ラインに乗って」と「見えない友だち34人+1」も邦訳があるが、たいした作品ではないのでラインナップからはずした。後者については非難を浴びるかもしれないが、学校ものはすでに本書の半分以上を占めており、もうお腹いっぱいなのである。(2005年9月14日)

【追記】
 整理しておくと、表紙絵の題材になった作品が本邦初訳の「忘れられないこと」。さらに哀切なミステリ「先生、知ってる?」、ハート・ウォーミングなSF「いちばん近い学校」、慄然とするホラー「信じる子」が本邦初訳。これらに新訳の「鏡にて見るごとく――おぼろげに」を加えた5篇が『ページをめくれば』(河出書房新社、2006)に収録された。

2013.01.21 Mon » 『なんでも箱』

 蔵書自慢。ものはゼナ・ヘンダースンの第一短篇集 The Anything Box (Doubleday, 1965) である。ただし、当方が持っているのは1969年に出た Avon のペーパーバック初版。

2005-9-12(Anything Box)

 のちに表紙絵が変わったが、ヘクター・ギャリドゥー画のこっちのほうが数段いい。こういうノーマン・ロックウェル調は、まだアメリカが健康だったころの象徴で、当人たちのみならず、それに憧れていた他国の者たちの心にもノスタルジーのようなものをかきたてる。

 じつはゼナ・ヘンダースンの作品が、同じようなアメリカ幻想の産物なので、この表紙はじつに内容にマッチしている。いま読むとヘンダースンの描く社会は、悪やら不正やらをひっくるめて、ユートピアに思えるのである。

 むかしソノラマ文庫海外シリーズで出た『悪魔はぼくのペット』は本書の抄訳で、全14篇中10篇を収録していた。
 こんど〈奇想コレクション〉で出るヘンダースン傑作集には、そこに漏れた2篇と重複分の4篇、計6篇が本書から採られている(追記参照)。2篇が未訳で残るわけだが、これは訳してもしかたがないような作品。それでも、「せっかくだから訳してほしかった」という人が出てくるだろう。そういう人には「読んだらがっかりするよ」といってまわりたいものだ。(2005年9月12日)

【追記】
『悪魔はぼくのペット』から漏れていたのは「しーっ!」と「おいで、ワゴン!」の2篇。どちらもホラーである。
 重複したのは「光るもの」、「小委員会」、「グランダー」、「ページをめくれば」の4篇。ちなみに『悪魔はぼくのペット』では、それぞれ「ベッドの下の世界」、「子供たちの停戦協定」、「釣り餌は女の涙」、「魔法の教室」という訳題になっていた。

2013.01.20 Sun » 『集い――ピープル・シリーズ全集』

【前書き】
 以下は2005年9月11日に書いた記事である。誤解なきように。


 しばらく前に衛星放送で「不思議な村」という古いTVムーヴィーをやっていた。ゼナ・ヘンダースンの《ピープル》シリーズ唯一の映像化として有名な作品である。

 はじめて見たのだが、若きウィリアム・シャトナーが出ていることくらいしか取り柄のない映画だった。それにしても驚いたのは、ピープルがアーミッシュのような宗教カルトにしか見えないこと。たぶんわれわれが思っている以上に、このシリーズは自伝的であり、現実に密着しているのだろう。

 話の元は第三話「ヤコブのあつもの」らしいので、確認したくてこの本を引っ張りだしてきた。Ingathering: The Complete People Stories (NESFA Press, 1995)である。

2005-9-11(Gatherings)

 本書はこれまで未発表だった1篇をふくめて、〈ピープル〉シリーズを集大成した大冊。つまり、連作長篇『果しなき旅路』+『血は異ならず』+単行本未収録作品という構成である。
 単行本未収録作品は5篇で、ちょうど1冊分の分量があるが、すべて未訳。とはいえ、そのうちの1篇は河出書房新社〈奇想コレクション〉のヘンダースン傑作集に収録されるので、楽しみにお待ちいただきたい(追記参照)。

 付録として、《ピープル》シリーズの裏話をつづった作者のエッセイと、この本の編者マーク&プリシラ・オルスンが作中からデータを拾いあげて作成した労作、《ピープル》年表が載っている。

 ちなみに版元は老舗のファン出版社。マニアライクなすばらしい本ばかり出しており、カタログをながめるだけでも楽しい。(2005年9月11日)

【追記】
『ページをめくれば』(河出書房新社、2006)に山田順子訳で収録された「忘れられないこと」がそれに当たる。
 なお、この作品の原題が、同書の解説では“The Incredible Kind”となっているが、正しくは“The Indelible Kind”である。解説を書いた当方が誤植を見落とした。謹んでお詫びと訂正を申しあげる。

2013.01.19 Sat » 『ほかの惑星への気楽な旅』

【前書き】
 なにごともなければ、そろそろ訳書が書店にならぶ。テッド・ムーニイの『ほかの惑星への気楽な旅』(河出書房新社)という長篇である。叢書《ストレンジ・フィクション》の1冊。その名にたがわず、おそろしく変わった小説だ。くわしくは版元のホームページを見てもらいたい(リンク先では発売日が22日になっているが、これは全国の書店に配本が完了する日付。早いところでは、今日から発売されるはずである)。

 この秀作は広く読まれてほしいので、プロモーションの意味で以下の記事を公開する。


 テッド・ムーニイの Easy Travel to Other Planets (Farrar, Straus & Giroux, 1981) を読んだ。ただし、当方が持っているのは、83年にバランタインから出たペーパーバック版だが。

2008-4-11(Easy Travel)

 アメリカの新人作家(当時の話だが)の第一作。じつは20年ぶりの再読である。
 題名から想像されるような宇宙旅行の話ではまったくない。われわれの世界とはちょっとだけちがった世界を舞台にした現代文学である。ひとことでいうと、変な小説。とにかく書き方が変わっているのだ。ポップでわかりやすい実験小説とでもいおうか。

 女性海洋学者とイルカのラヴストーリーと紹介されることが多くて、それはまちがいではないが、その要素は全体の五分の一くらい。あとは女性海洋学者をとり巻く人間関係が淡々と、しかしそうとうに癖のある文章で描かれる。その人間模様が、古いモラルの持ち主から見れば不道徳きわまりないので、物議をかもした。冒頭にかなりショッキングなセックス・シーンがあるのも賛否両論を呼んだ理由か。
 そうかと思えば、イルカに伝わる神話が格調高く語られたりして、とにかく変わっている。

 この小説は、アメリカ文学に関心のある向きのあいだでは有名で、邦訳が出てないのが不思議なくらい。当方はサイバーパンク騒動のころ、ウィリアム・ギブスンが誉めていて、ブルース・スターリングがスリップストリーム作品リストに挙げていたので関心を持った。もちろん、イルカが出てくるからである。
 何年かあとペーパーバック版を古本で手に入れて読んでみたが、当時は英語の読解力が足りなくて、半分もわからなかった。ただ変な小説という印象は強烈で、いつか再読しようとずっと思っていた。それをこんど果たしたわけだ。

 不思議な浮遊感と重苦しさが同居していて、かなり読み応えがあった。さすがにセミ・クラシックになっているだけのことはある。
 ついでに邦訳が出てない理由もなんとなく察しがついた。ハイパーリアルな設定、文法無視で俗語だらけの難解な文章、わざと読者をとまどわせる構成が、ひと筋縄ではいかないからだ。
 
 まあ、こういう変わった小説もいまなら受け入られるだろう。変な小説を読みたい人にお勧めである。(2008年4月11日)

【追記】
 翻訳の底本に使ったイギリス版(Jonathan Cape, 1982) の表紙がきれいなので紹介しておく。

2008-4-11 (Cape)

2013.01.18 Fri » 『銀河帝国 第2集』

 昨日のつづきで、ブライアン・オールディス編 Galactic Empires 2 (Weidenfeld & Nicolson), 1976) を紹介する。

2012-3-8(Galactic Empire 2)

 まずは目次から――

序文

第2部 成熟か破裂か(承前)

 1 「文明は力ずくで押しつけられず」
Escape to Chaos  ジョン・D・マクドナルド
「潜伏者」A・E・ヴァン・ヴォート
To Civilize  アルジス・バドリス
「ビープ」ジェイムズ・ブリッシュ

 2 棒の反対端
Down the River  マック・レイノルズ
The Bounty Hunter  アヴラム・デイヴィッドスン
「身代り」フレドリック・ブラウン

第3部 衰退と自由落下

 1 万物は周期をなす
Tonight the Stars Revolt!  ガードナー・F・フォックス
「最後の遭遇」ハリイ・ハリスン

 2 大いなる祖先たちと末裔たち
「千の太陽の王」ポール・アンダースン
「大いなる祖先」F・L・ウォーレス
The Interlopers  ロジャー・ディー

終章 *ステープルドン『スターメイカー』からの引用のみ
 
 第3部の表題は DECLINE AND FREE FALL で、Fall は「没落」と訳すべきだが、「自由落下」とかけてある。「自由没落」だと意味不明になるので、この洒落はどうにも訳せない。名案があったら教えてください。

 ブリッシュの「ビープ」は、超光速通信をテーマに論理のアクロバットを駆使したハードSFの秀作として記憶していたが、読みなおしたら意外にたいしたことなかった。情報理論を先どりしているのはたしかだが、もはやそれだけで評価するわけにはいかないのだ。

 未訳作品について個々に語りたいが、水準を超えるものはないので割愛。
 
 ひとつ面白かったのは作品のならび。マクドナルドの作品は、銀河帝国に叛逆する王子と、彼を抹殺せんとする情報機関の闘いを描いたスペース・オペラだが、途中でべつの時空へ枝分かれして、本来の歴史とはちがう展開が何度もくり返される(らしい)。ヴァン・ヴォートの作品みたいだなあ、と思って読みおわり、つぎのページを見たら、そのヴァン・ヴォートの作品が載っていた。
 編者の掌の上でまんまと踊らされてしまった。してやったり、とオールディスのほくそえむ顔が目に浮かぶ。(2012年3月8日)

2013.01.17 Thu » 『銀河帝国 第1集』

 ふだんからアンソロジーや短篇集をつまみ食いしているわけだが、いつのまにか丸々読みおわった本ができる。今回はその1冊を紹介しよう。ブライアン・オールディス編の Galactic Empires (Weidenfeld & Nicolson, 1976) である。ただし、当方が持っているのは、例によって78年にオービットから出たペーパーバック版だが。

 これは標題どおり、「銀河帝国」をテーマにした大時代な宇宙小説を集めたもの。大部すぎて2分冊で刊行された。まずは第1集から。

2012-3-8(Galactic Empire 1)

 目次が面白いので、整理した形でお目にかけよう(わざと直訳するので、あまり本気にしないように)――

第1部 興隆と光輝

 1 遠近法の感覚
「寿限無、寿限無」R・A・ラファティ 
「憑かれたもの」アーサー・C・クラーク 
「保護種族」H・B・ファイフ 
All the Way Back  マイクル・シャーラ

 2 「ひたすら広くなりまさり……」
The Star Plunder  ポール・アンダースン
Foundation  アイザック・アシモフ  *「百科辞典編纂者」の原型
「我こそ文明をになう!」マーク・クリフトン&アレックス・アポストライズ

第2部 成熟か破裂か

 1 宇宙船要塞のなかの馬
「スズタル中佐の犯罪と栄光」コードウェイナー・スミス
The Rebel of Valkyr  アルフレッド・コッペル
「光、天より墜ち…」イドリス・シーブライト *邦訳はマーガレット・セント・クレア名義
Immigrant  クリフォード・シマック

 2 天空の健康奉仕
Resident Physician  ジェイムズ・ホワイト *《宇宙病院》シリーズ
Age of Retirement  ハル・リンチ
Planting Time  ピート・アダムズ&チャールズ・ナイチンゲール

 セクションごとにオールディスの解説がはいる形式。オラフ・ステープルドンの『スターメイカー』を頻繁に引用しており、オールディスの考える「銀河帝国」がどのようなものかわかる仕組みになっている。要するに「SF的なばかばかしさの極致だが、気宇壮大ここにきわまれり」ということらしい。

 とはいえ、収録作のほうは玉石混淆。シマックの作品は165枚のノヴェラで大いに期待したのだが、地球人が異星人に子供あつかいされる未来を描いたもので、「銀河帝国」とはほとんど関係がなかった。

 未訳作品のなかで面白かったのがコッペルのノヴェレット。ローマ帝国そのままの銀河帝国を舞台に、ヴァイキングそのままの宇宙船乗りが活躍するスペース・オペラ。帝位継承争いを宇宙に持っていただけの作品で、真面目なSFファンからは「こんなのSFじゃない」といわれそうだが、当方はこういうの大好きなのである。(2012年3月7日)

2013.01.16 Wed » 『カリフォルニア魔術』

【承前】
 昨日書いたとおり、50年代初頭から60年代初頭にかけてSF/ホラー、男性雑誌、TV、映画の世界にまたがる緊密なネットワークができていた。このネットワークを構成していたのが、主に南カリフォルニアを根城にする作家グループであり、その中心にボーモントがいた。彼らは単に「グループ」と呼ばれたが、このグループを記念する意図で編まれたのが、ウィリアム・F・ノーラン&ウィリアム・シェイファー編のアンソロジー California Sorcery (Cemetery Dance, 1999) だ。当方が持っているのは、例によって2001年に出たエースのペーパーバック版である。

2006-6-19(Californian)

  クリストファー・コンロンによる序文は、このグループの成立から消滅まで詳細に語っており、非常に読み応えがある。尾之上浩司氏が、この序文を基にした文章を〈ミステリ・マガジン〉に書いたことがあるが、あまり話題にならなかった。もういちどキチンと紹介する価値があると思う。

 つづいてノーランの懐旧談。そしてメンバーの新作など12篇の小説がならぶ。収録作家はつぎのとおり――

 リチャード・マシスン、ハーラン・エリスン、チャールズ・ボーモント、ウィリアム・F・ノーラン、ジョン・トマーリン、ロバート・ブロック、レイ・ラッセル、ジェリー・ソール、チャド・オリヴァー、チャールズ・E・フリッチ、ジョージ・クレイトン・ジョンスン、レイ・ブラッドベリ。

 このうちエリスン、ブロック、オリヴァーは再録。ブロックとオリヴァーは故人なのでしかたがないが、エリスンは例によって原稿を落としたのだろう。
 マシスンはもう短篇を書かないという理由で、45年も前の作品を蔵出し。人生の一断面を切りとった味わい深い純文学である。ボーモントは故人だが、未発表作品が採られており、こちらは古風なゴースト・ストーリー。ブラッドベリもたぶん旧作の蔵出しだろう。やはり苦い味のする純文学だ。
 あとはバリバリの新作で、なかではノーランの中篇が力作。ウェスタンとSFのクロス・ジャンル作品である。ラッセルは本書が出る前に他界したので、おそらくこれが遺作。

 この本はこのまま邦訳を出したい。全部で600枚くらいだから、それほど厚くはならない。既訳はオリヴァーの「吹きわたる風」だけなので、セールス・ポイントは多いと思うのだが。(2006年6月19日)

【追記】
 いまのところ本書の邦訳は実現していない。とはいえ、本書の序文は「カリフォルニアの魔術師たち」という邦題で〈SFマガジン〉2007年5月号に訳出できた。この号は当方の企画で「異色作家特集Ⅰ」を組んでおり、ボーモントの短篇「ウィリー・ワシントンの犯罪」も拙訳で載っている。

 文中にある尾之上浩司氏の文章は、氏の企画で「新旧異色作家競演」という特集を組んだ〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉2005年8月号に特集解説として掲載された「まさに掌篇と呼びたくなる小説たち」であることを明記しておく。


 

2013.01.15 Tue » 『吠える男』

【承前】
 おつぎはロジャー・アンカー編のボーモント傑作集 The Howling Man (Tor, 1992) だ。もともとは豪華なハードカヴァー Charles Beaumont: Selected Stories (Dark Harvest, 1988) として出たものだが、例によってペーパーバック版を買った。

2006-6-18(Howling Man)

 ボーモントの傑作集は、死後二度にわたって編まれているが、これはそのうち新しいほう。ひとことでいうと、すばらしい本。関係者の熱意が伝わってきて、読み進むうちに胸が熱くなる。

 まず編者が序文を書いているのだが、これが長文のボーモント伝になっている。興味深い情報満載でじつに面白い。ここに書かれていることを日本の読者にも伝えたくて原稿を書いたら、実質的にこの序文の縮約版になってしまった(追記1参照)。恥知らずといわれそうだが、当方が寝言を書くより、そのほうがはるかにいいと思う。とはいえ、紙数が足りなくて面白いエピソードをたくさん削るはめに。無念。

 つぎにボーモントの長男クリストファーが、亡父を偲んだ文章を寄せている。本人もシナリオライターらしく、短いながらも愛情のこもったいい文章だ。

 そしてボーモントの短篇が29篇、長篇の抜粋が1篇ならべられている(追記2参照)。このうち5篇が未発表作品である。
 これだけでもたいしたものだが、本書のすばらしいのはここから。というのも、収録作のうち16篇にボーモントゆかりの人々が序文を寄稿しているのだ。その面々を順にならべると――

 レイ・ブラッドベリ、ジョン・トマーリン、ハワード・ブラウン、デニス・エチスン、リチャード・マシスン、ハーラン・エリスン、チャールズ・E・フリッチ、ジョージ・クレイトン・ジョンスン、リチャード・クリスチャン・マシスン、レイ・ラッセル、フランク・M・ロビンスン、ソール・デイヴィッド、ロバート・ブロック、ウィリアム・F・ノーラン、ロジャー・コーマン、ジェリー・ソール、チャド・オリヴァー。

 勘のいい人ならおわかりのように、当時のSF/ホラー、男性雑誌、TV、映画の関係者ばかり。じつはこれらの世界にまたがる緊密なネットワークができており、その中心にボーモントがいたのである。各人の文章から、当時の事情が生々しく伝わってくる。

 とにかく、くわしいことを書きはじめると切りがない。この本をこのままの形で邦訳できるといいのだが、それが無理なら次善の策を考えるとしよう。(2006年6月18日)

【追記1】
 新装版《異色作家短篇集》の1冊『夜の旅その他の旅』(早川書房、2006)に当方が付した解説「生き急いだ作家――チャールズ・ボーモントの生涯」のこと。

【追記2】
 邦訳があるのは、当方の知るかぎり、「ロバータ」、「消えたアメリカ人」、「会合場所」、「悪魔が来たりて」、「無料の土」、「淑女のための唄」、「叫ぶ男」、「闇の旋律」、「魔術師」、「フェア・レディ」、「なんだってやれるんだから」、「飢え」、「ジャングル」、「越して来た夫婦」、「夢と偶然と」、「しのび逢い」、「血の兄弟」、「人里離れた死」、「黄色い金管楽器の調べ」、「夜の旅」、「とむらい」、「床屋の予約」と、この記事を書いた時点では未訳だった「ブラック・カントリー」、「ウィリー・ワシントンの犯罪」の24篇。

2013.01.14 Mon » 『チャールズ・ボーモントの作品』

【前書き】
 書誌つながりで以下の記事を公開する。2006年6月17日に書いたものである。誤解なきように。


 七月に新装版が出るボーモント『夜の旅その他の旅』(早川書房・異色作家短篇集)の解説を書いた。
 例によって資料を集めすぎ、書くことがありすぎて削りに削るはめに。けっきょく、書きたいことの半分も書けず、経歴を書いただけで終わってしまった。日本でいちばんくわしいボーモント伝にはなったが、同書の内容にはいっさい触れていない。これはちょっとまずいよなー。反省。

 久しぶりに同書を読みなおしたが、思っていた以上に優れた作品集だった。前から好きな作家だったが、完全に惚れなおした。未訳の短篇集も、大部の傑作集もあるので、この人の短篇集を出すことを真剣に考えよう(追記参照)。

 さて、資料が無駄になったので、悔しいからここに紹介する。
 まずはウィリアム・F・ノーラン編の The Work of Charles Beaumont (The Borgo Press, 1986) だ。ちなみに、当方が持っているのは88年に出た2刷。すごい、こんなものが増刷している!

2006-6-17(Works of)

 これはボーモントの畏友ノーランが編んだ詳細な書誌。小説やエッセイはもちろんのこと、TVの脚本、漫画原作、果ては未発表作品まで網羅した優れものである。
 といっても、本文48ページしかないペラペラの小冊子。なにしろ、ボーモントは早世して、活動時期は実質13年にすぎないので、これで間に合うのである。(2006年6月17日)

【追記】
 考えているうちに、第一短篇集 The Hunger and Other Stories (1957) の邦訳が出てしまった。論創社《ダーク・ファンタジー・コレクション》の1冊『残酷な童話』(2007)がそれであり、正確には1篇がわが国で独自に追加されている。


2013.01.13 Sun » 『タネローンの文書保管庫』

 書誌といえば、日ごろお世話になっているのが、リチャード・ビリヨウ編の The Tanelorn Archives (Pandora's Books, 1981) だ。
 これはカナダのファン出版社から出た本で、副題の A Primary and Secondary Bibliography of the works of Michael Moorcock 1949-1979 がすべてを物語っている。

2007-5-17 (Tanelorn)

 とにかく詳細きわまりない書誌で、その情報量には圧倒される。さらには書影も豊富で、眺めているだけでも楽しい。編者の熱意と努力にはほんとうに頭が下がる。

 序文によると、編者(アメリカ人)はジェリー・コーネリアスと自分を重ねているらしい。映画版 The Final Programme (1973) に登場したジェリー(表紙絵のギターを持っている人)と同じ服装をして、イギリス風のアクセントでしゃべっていたとか。このあたり、ムアコック受容のありかたが、わが国とはまったく異なっていることの証左である。
 
 ちなみに以前とりあげた The Time of the Hawklords は、共作あつかいではなく、「ムアコックに影響された小説」のセクションに記載されている。(2007年5月17日)

2013.01.12 Sat » 『アルジス・バドリス・チェックリスト』

 ついでにアルジス・バドリスの書誌も紹介しておく。ごく一部で有名なクリス・ドラムの出版物 An Algis Budrys Checklist だ。作成者はクリス・ドラム本人である。
 奥付にあたるページがないので、発行年は不明だが、最新データが1982年なので、そのころに出たのだと思う(追記参照)。

2008-6-4(Budrys 2)

 縦17.7センチ、横10.8センチ、全16ページのペラペラの小冊子。それでも索引が2ページ分あるところがすごい。ちなみに追加データの紙が1ページ分はさまっている。
 奥付はないが、表紙に発行所の住所が印刷されている。

 ワープロ普及前だったので、タイプ原稿をそのまま版下にして印刷し、紙を二つ折りにしてホッチキスで留めただけ。ISBNもはいっていない。
 ところどころ、手書きで追加訂正してあるのがほほえましい。本当に手作りなんだなあ。

2008-6-4(Budrys 1)

 文字がつぶれて、見づらいことおびただしいが、文句はいうまい。こういうリストを作ってくれるだけでありがたいのだ。持っていれば、なにかの役に立つにちがいない。といっても、まだ役に立ったことはないのだが。(2008年6月4日)

【追記】
 今回調べたら1983年刊という情報を得た。

2013.01.11 Fri » 『アンバーの夢――ロジャー・ゼラズニイ書誌』

 やはり1993年の世界SF大会で手に入れたのが、Amber Dreams A Roger Zelazny Bibliography (Underwood/Miller, 1983)だ。

2005-7-30 (Amber Dream)

 表題どおり、ロジャー・ゼラズニイの詳細をきわめる書誌。ソフトカヴァーとクロス装の2種があり、当方が持っているのは200部限定のクロス装豪華版。ゼラズニイと書誌作成者ダニエル・J・H・レヴァックの署名入りである。

2005-7-30 (Amber Dream 2)

 とにかく驚くばかりの情報量。おまけに単行本のあらゆるヴァージョン、初出雑誌の書影が満載。持っているだけで楽しい本だ。

 ちなみに日本版は『地獄のハイウェイ』、『伝道の書に捧げる薔薇』、『光の王』(海外SFノヴェルズ版)、『わが名はコンラッド』の書影が載っている。(2005年7月30日)

2013.01.10 Thu » 『窮極のSFガイド』

 1993年の世界SF大会(ConFrancisco)で手に入れたのが、イギリスの批評家デイヴィッド・プリングルの The Ultimate Guide to Scinece Fiction (Grafton, 1990)だ。

2005-7-31 (Ultimate)

 扉ページに著者サイン入り。もっとも、最初は落書きだと思ったのだが。

2005-7-31 (Ultimate 2)

 『窮極のSFガイド』とは大きく出たものだが、そう名乗りたくなるのも無理はない。なにしろ大判ハードカヴァーで400ページ。事典形式で3000以上の作品がとりあげられ、★の数(0から4)で採点されている上に、短評がついているのだから。

 とはいえ、タイトルがあがっていても短評のない場合もある。
 たとえば、シリーズものは第1作の評で全体について触れられているし、同一著者の短篇集は評が1つだけで、残りは「同傾向」とあっさり片づけられている。タイトルを引いたとき、前者はともかく、後者は騙されたような気分になる。

 しかし、労作であることはたしか。こんな莫迦な本は二度と出ないかもしれない。(2005年7月31日)

【追記】
 1995年に出た第二版では、ページ数は481、作品数は3500に増えたそうだ。内田昌之氏のご教示による。深謝。

2013.01.09 Wed » 『現代幻想小説――百選』その2

 昨日のつづき。
 プリングルの百選は、1946年から1987年にかけて刊行されたファンタシーのなかから百冊を選んでいる。いっぽうコーソーンの百選は、1726年から1987年にかけて発表されたファンタシーのなかから百冊を選んでいる。では、どれくらいダブリがあるのか。

 プリングルが単行本の刊行年を基準にしているのに対し、コーソーンが雑誌初出年を基準にしている場合があったり、プリングルがあくまでも単行本単位で選ぶのに対し、コーソーンがシリーズものをひとまとめにする場合があったりと、厳密な対応は望めないのだが、プリングルを基準にすると、一応つぎのようになる――

『タイタス・グローン』マーヴィン・ピーク
The Book of Ptath A・E・ヴァン・ヴォート
The Well of the Unicorn フレッチャー・プラット
『エデンの黒い牙』ジャック・ウィリアムスン 
『征服王コナン』ロバート・E・ハワード
『鋼鉄城の勇士』フレッチャー・プラット&L・S・ディ・キャンプ
『ゴーメンガスト』マーヴィン・ピーク
『終末期の赤い地球』ジャック・ヴァンス
『妻という名の魔女たち』フリッツ・ライバー
『折れた魔剣』ポール・アンダースン
《指輪物語》J・R・R・トールキン
『永遠の王』T・H・ホワイト
『丘の屋敷』シャーリー・ジャクスン
『タイタス・アローン』マーヴィン・ピーク
『魔界の紋章』ポール・アンダースン
『ストームブリンガー』マイクル・ムアコック
『ローズマリーの赤ちゃん』アイラ・レヴィン
『影との戦い』アーシュラ・K・ル=グィン
Black Easter and The Day After Judgement ジェイムズ・ブリッシュ
『グリーン・マン』キングズリー・エイミス
The Infernal Desire Machines of Dr Hoffman アンジェラ・カーター
『闇の聖母』フリッツ・ライバー
『ビジネスマン』トマス・M・ディッシュ
『魔の聖堂』ピーター・アクロイド

 ちなみにブリッシュの2作は、長大な作品が分冊刊行されたもの。のちに The Devil's Day という題名で1冊にまとめられた。
 プラット&ディ・キャンプの《ハロルド・シェイ》シリーズの場合、コーソーンは合本の The Compleat Enchanter を選んでいるが、プリングルも上掲書単独ではなくシリーズ全体をひとつの長篇として考えたときの評価だといっているので、リストに含めた。

 さて、プリングルと重なる時期からコーソーンが選んだ作品は全部で51篇。そのうち22篇がプリングルとダブっていることになる(上記のリストと数が合わないのは、コーソーンが《ゴーメンガスト》三部作をひとまとめにしているから)。
 もちろん、作家は重なったが、作品は重ならなかったケースも多いが、とりあえずそれは置いておいて、これをひとつの目安(世評の定まった名作リスト)と見てもいいだろう。
 はたして、(広義の)ファンタシーとはなんであろうか。ますますわからなくなるのであった。(2009年1月16日)

2013.01.08 Tue » 『現代幻想小説――百選』その1

【承前】
 前回とりあげたザナドゥ・ブックスの《百選》シリーズだが、デイヴィッド・プリングル著のSF篇があったのをころっと忘れていた。とはいえこの本は持っていないので、その姉妹編ともいえる Modern Fantasy: The Hundred Best Novels (Grafton, 1988) を紹介する。ちなみに、当方が持っているのは、翌年ピーター・ベドリック・ブックスから出たアメリカ版ハードカヴァーである。

2009-1-15 (Modern Fantasy)

 著者はイギリスの批評家・編集者で、雑誌〈インターゾーン〉の屋台骨を支えた人物。英国作家からの信頼は絶大であり、本書にもブライアン・オールディスが序文を寄せている。
 ニュー・ウェーヴの残党みたいな人なので、ファンタシーといっても広義のファンタシー、すなわちSF、ホラー、不条理文学などを重視した選択をしている。したがって、このファンタシーは「幻想小説」あるいは「幻想文学」と解したほうがいいだろう。その点ではコーソーンの百選とよく似ている。
 
 とはいえ、決定的にちがう点もある。というのも、18世紀、19世紀に書かれた古典を重視したコーソーンとは対照的に、1946年から1987年までに刊行された作品を対象としているからだ。表題の「現代」はそういう意味である。
 こういう作りになっているのは、SF篇と対になっているから。こちらも1949年から1984年という短い時期にかぎって作品を選んでいたのだ。

 おそらくプリングルにはSF篇と対になるファンタシー篇を出したいという気持ちがあったのだろう。しかし、ザナドゥ・ブックスではコーソーンがファンタシー篇を担当していたので、版元を変えて本書を上梓したと思われる。

 面白いので、コーソーンの選択とどれくらいダブっているのか調べてみた。その結果は、つぎの岩につづく。(2009年1月15日)

2013.01.07 Mon » 『恐怖小説百選 第二集』

【承前】
 とどいたばかりのスティーヴン・ジョーンズ&キム・ニューマン編 Horror Another 100 Best Books (Carroll & Graf, 2005) を読んでいたら、思うところがあったので書く。

2006-3-30(Horror Best 2nd)

 が、その前に本書の紹介をしておこう。
 これは作家や評論家を100人選んで、それぞれがベストだと思う作品についてミニ・エッセイを書かせるという趣旨で編まれたホラー・ガイド・ブック。1988年に同じコンビが編んだ Horror 100 Best Books の続編である。
 前著には書き下ろしだけでなく、エドガー・アラン・ポオがナサニエル・ホーソーンを論じた文章や、H・P・ラヴクラフトがロバート・W・チェンバーズを称揚した文章など、故人の文章もおさめられていて、そのアイデアに感心させられたが、今回はすべて書き下ろしである。88年以降に出た作品が21作とりあげられているのが嬉しい。
 その新しい作品の例をあげれば、『羊たちの沈黙』、『ナイト・フライヤー』、『グロテスク』、『殺戮のチェスゲーム』、『フロム・ヘル』、『アメリカン・サイコ』、『ロスト・ソウルズ』、『フリッカー、あるいは映画の魔』、『オフシーズン』、『紙葉の家』といったところだ。

 さて、編者たちは序文でつぎのような指摘をしている――
「大半の『書籍/映画/CD-Rom百選』は権柄ずくであり、煎じ詰めれば『注意を払うべき対象はこれらであり、ほかは無視してかまわない』といっているのだ」
「これらの〝お気に入り〟映画や書籍のリストは、5年以上前に発表された作品を読んだり、見たりしたことのない連中と、最近発表された作品には洟も引っかけない連中が選んでいるのだ」

 この指摘は傾聴に値する。つまり、ベスト選びはお遊びなのだ。個人の意見の表明という点では興味深いが、それ以上でも以下でもない。
 ところが、この手のベスト選びはえてして権威をまとってしまう。それ自体も問題だが、そこに選ばれなかった作品には価値がないという見解が生まれてしまう。その弊害のほうが大きいだろう。

 ジョーンズ&ニューマンが、前著でこぼれた(同等に優れた)作品を本書で拾い、さらには本書でもこぼれた作品を付録の年表で拾うようにしたのは、そういう意識のあらわれであり、この姿勢は大いに見習っていこうと思う。

 理由などは面倒くさいからすっ飛ばして、デジタルな結論(○か×か)だけを欲しがる風潮が強い昨今である。ベスト選びの危険性はますます強まっている。
 では、どうしたらいいかというと、名案は浮かばない。さて、どうしたものだろう。(2006年3月30日)

2013.01.06 Sun » 『恐怖小説百選』

【承前】
 コーソーン著のガイドブックにはミステリとホラーを対象にした姉妹篇がある(当方が知らないだけで、ほかにもあるのかもしれない)。
 ミステリ篇は邦訳のあるH・R・Fキーティング著『海外ミステリ100選――ポオからP・D・ジェイムズまで』(早川書房)。後者はスティーヴン・ジョーンズ&キム・ニューマン編の Horror: 100 Best Books (Xanadu, 1988) だ。もっとも、当方が持っているのは、1992年にニュー・イングリッシュ・ライブラリから出たトレード・ペーパー版だが。

2008-12-30(Horror 100)

 本のガイドブックというものは、ひとりで全部書くか、何人かのライターが手分けして書くのがふつうだろう。しかし、本書で編者コンビは画期的な方法をとった。
 つまり、著名な作家や評論家に鍾愛の1篇に関するミニ・エッセイを書いてもらい、それを100篇集めたのだ。だれがなにを選んだのかという興味も加わって、二重に面白い本になっている。
  
 これは一種のコロンブスの卵で、このアイデアを思いついた時点で本書の成功は約束されたようなものだ。じっさい、2005年には同じ編者コンビで続編 Horror: Another 100 Best Books が出ている。

 事務処理を考えると気が遠くなるが、それにもめげず本書を刊行した編者コンビには、最大の敬意を表したい。さすがはスティーヴン・ジョーンズ!

 内容だが、各タイトルが発表年代順に並べられ、編者による簡単な著者紹介+執筆者による2ページほどのエッセイという形式になっている。古くはクリストファー・マーロウ「フォースタス博士」から新しくはロバート・R・マキャモン『スワン・ソング』あたりまで。いわゆるホラーにとどまらず、エリザベス朝演劇やSFまでとりこんだ「幻想文学」ガイドといった性格が強い。
 とりわけ無茶だと思ったタイトルをあげると――

フィリップ・K・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(推薦者タッド・ウィリアムズ)
J・G・バラード『結晶世界』(推薦者クレイグ・ショウ・ガードナー)
ジョン・ブラナー The Sheep Look Up (推薦者ジョン・スキップ)
ティム・パワーズ『アヌビスの門』(推薦者ジョン・クルート)

 念を押しておくが、これはホラーのガイドブックである。怖いものは人それぞれということか。
 
 ともあれ、英米ホラー&ファンタシー界の重鎮がずらりと名前を連ねて壮観。各人が力のこもった文章を書いていて、非常に読み応えがある。
 さらにすばらしいのは、古い文献を渉猟して故人の原稿も載せていることだ。たとえば、ポオがホーソーンについて、ラヴクラフトがR・W・チェンバーズについて論じているといった具合。このアイデアは秀逸の一語につきる。
 しつこく書くが、スティーヴン・ジョーンズはほんとうに偉い人だ。(2008年12月30日)

2013.01.05 Sat » 『幻想小説百選』

 昨日のつづき。
 ジェイムズ・コーソンは、イラストレーターとして活躍するかたわら、〈ニュー・ワールズ〉などを舞台に書評家としても活動していた。後者の面で最大の仕事が、ファンタシーのガイドブック Fantasy: The 100 Best Books (Xanadu, 1988) である。ただし、当方が持っているのは91年にキャロル&グラフから出たアメリカ版ペーパーバックだが。

2008-12-29(Fantasy 100)

 この本の著者はジェイムズ・コーソーン&マイクル・ムアコックになっているが、ムアコックは短い序文を書いているだけ。本文はコーソーンが100パーセントひとりで書いている。ムアコックは実質的に名義貸しである。それでもムアコックの本としてあつかわれることが多いので、ふたりとも苦々しく思っていたにちがいない。

 なんでそういうことになったかは、ムアコックが序文で明記している。それによると、もともとはムアコックが頼まれた仕事だが、多忙のため当分書けそうにないので、出版社と協議のうえ、信頼の置ける友人コーソーンに代わってもらったのだという。
 ムアコックは、自分で書くよりも良い本になったといいながら、ロバート・ホールドストックの『ミサゴの森』がとりあげられなかったのが唯一の心残り。したがって、これに関しては姉妹編 Horror: 100 Best Books のほうに原稿を書いたと述べている。正直なのはいいが、こっちに入れたほうが良かったのに、と思わないでもない。

 さて、内容だが、幻想文学全般を対象としている。古くはジョナサン・スィフトの『ガリヴァー旅行記』から、新しくはピーター・アクロイドの『魔の聖堂』まで、幻想旅行記、ユートピア文学、ゴシック小説、古典的怪奇小説、児童文学、秘境小説、〈剣と魔法〉、エピック・ファンタシー、不条理文学、パルプ・ホラー、SF、モダンホラーなど、非常に幅広い範囲の作品をとりあげているのだ。おそらく原題の Fantasy は「幻想小説」あるいは「幻想文学」と訳したほうがしっくりくるだろう。

 選ばれた作品は有名なものが多いが、馴染みのないタイトルもいくつか混じっていた。なかでも Caravan for China by Frank R. Stuart (1939) というのは、題名も作者名もはじめて見た。
 それも道理で、本国でもまったく忘れられた作家・作品らしく、コーソーン自身、自分の持っている本以外、この本を見たことがないといっている。これを機に関心が高まり、復刊に結びつくことを願って、あえてとりあげたそうだが、その夢は叶わずに終わったようだ。(2008年12月29日)

2013.01.04 Fri » 追悼――ジェイムズ・コーソーン

【前書き】
 ムアコックとの共著といえば、紹介したい本があるのだが、その前置きとして2008年12月28日に書いた記事を公開する。つぎの記事と合わせてお読みください。


 イギリスの画家、ジェイムズ・コーソーンが12月2日に亡くなったそうだ。1929年生まれなので、享年78ということになる。
 わが国ではあまり知られていないが、エドガー・ライス・バローズやマイクル・ムアコックの本のイラストレーターとしてイギリスでは絶大な人気を誇った人である。
 特にムアコックとは若いころからの盟友で、エルリックの初期ヴィジュアルはこの人が一手に引き受けていた。手元にその絵があるのだが、見開きでうまくスキャンできないので割愛。かわりにムアコックの初期作品とエッセイを集めたマニアックな単行本 Sojan (Savoy, 1977) の表紙と、前に紹介したマイクル・オショーネシー編の怪物小説アンソロジー The Monster Book of Monsters (Xanadu, 1988) のために描きおろしたイラストを載せておく。ちなみに、後者はレイ・ブラッドベリの名作「霧笛」に付したイラストである。

2008-12-28(Sojan)

2008-12-28(Cawthorn)

 ムアコックとの二人三脚は作家とイラストレーターの関係にとどまらない。フィリップ・ジェイムズ名義で The Distant Suns (1969) という小説を共作し、

2008-12-28(The Distant Sun)

映画「恐竜の島」(1975)の脚本を共同執筆し、ファンタシーのガイドブック Fantay: 100 Best Books (Xanadu, 1988) を多忙なムアコックに代わって著している。最後の本はちょっと面白いので、項をあらためて詳しく書こう。
 いまは謹んで哀悼の意を捧げたい。(2008年12月28日)

2013.01.03 Thu » 『銀の心臓』

【前書き】
 ムアコックとほかの作家との共作つながりで、以下の記事を公開する。


 この前ある編集者としゃべっていたら、ストーム・コンスタンティンの話になった。イギリスの女流ファンタシー作家で、マイクル・ムアコックとタニス・リーの子供のような作風である。わが国には短篇がいくつか紹介されているだけだが、その耽美的な作品はけっこう受け入られそうな気がする――というような話をしたのだが、当方もたいして作品を読んでいるわけではない。

 じつをいえば、長篇はムアコックと共作した Silverheart (Simon & Schuster UK, 2000) を読んだだけ。だが、これがかなり面白かった記憶がある。

2005-8-25(Siverheart)

 簡単にいえば、英国伝統の妖精文学と『ゴーメンガスト』風の都市幻想文学を合わせて、スチームパンクとヒロイック・ファンタシーをふりかけたような作品。妖精や魔法とロボットが共存する世界設定は、21世紀のファンタシーを感じさせる。
 
 文章はすべてコンスタンティンが書いていると思うのだが、随所にムアコック好みのモチーフが出てくる。
 たとえば表題にもなっている「銀の心臓」。これは主人公の胸に埋めこまれた魔法の道具で、主人公の魔力を増大させるかわりに、6日で主人公を体内から食い尽くすというしろもの。『ルーンの杖秘録』の「額の宝石」を思いださないわけにはいかない。
 きっと共作者ふたりでアイデアを出しあい、ストーリーを練っているのだろう。

 そういうわけで、ムアコック・フリークの当方も大満足の作品。当方の趣味からすれば、ちょっと饒舌すぎる嫌いがあるが、それも今風なのかもしれない。(2005年8月25日)

2013.01.02 Wed » 『鷹貴族の時』

【前書き】
 初夢に見ておめでたいものといえば、むかしから「一富士、二鷹、三なすび」と決まっている。なすびSFは思いつかないので、鷹SF(?)を紹介しよう。じつは富士SFも心当たりがあるのだが、拙訳なので遠慮しておく。


 書棚をかきわましていたら、面白いものを見つけた。こんな本を持っていたとは、自分でもすっかり忘れていたよ。
 というのは、マイクル・ムアコック&マイクル・バターワースの The Time of the Hawklords (Star, 1976) の話だ。ふたりは〈ニュー・ワールズ〉時代からの盟友である。

2007-5-15 (Hawk Lords)
 
 本書はムアコックとバターワースの共作になっているが、じっさいに文章を書いたのはバターワースひとり。じゃあ、ムアコックはなにをしているかというと、原案を担当しているほか、キャラクターのひとりとして作中に登場しているのだ。じつはこれ、ムアコックと親交のあったロック・バンド、ホークウィンドのメンバーをキャラクターにしたロックSF小説なのである。

 ムアコックがホークウィンドとともに音楽活動をしていたのは有名だが、自身のバンド、ザ・ディープ・フィックスの活動や、これらとファミリーの関係にあったボブ・カルヴァートのバンドとのコラボレーションについては、わが国ではあまり知られていない。
 このあたりの事情に通じていないと、〈ジェリー・コーネリアス〉シリーズをはじめとするムアコックの作品世界は理解できないだろう。とにかく、日本の大部分の読者はムアコックの活動の4分の1しか見ていないのである。

 まあ、ホークウィンドの音楽は、本来ドラッグをやりながら聴くサイケデリック・ロックであり、照明と音楽とダンスが一体となったステージを見ないと真価はわからないのだから、日本で人気がないのもしかたない。当方にしてもアルバムを聞いただけだから、大きなことはいえないのであった。

 ちなみに、本書に登場するムアコックの役名は、「Moorlock, The Acid Sorcerer」となっている。

おまけ
 バターワースの邦訳は、ペンネームをふくめれば何冊もある。だが、SFはTVシリーズ《スペース1999》のノヴェライズだけ。あまり見かけない本なので、書影をかかげておく。

2007-5-15 (Space)

 これは『スペース1999――恐怖の惑星脱出!――』三谷苿沙夫訳(三笠書房、1975)の表紙。このシリーズは3冊出ているようだが、当方はこれしか持っていない。(2007年5月15日)


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