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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.04.30 Tue » 『大地の妖蛆』

 天使の贈り物その2は、Worms of the Earth (Donald M. Grant, 1974) である。小型ハードカヴァー、233ページ。発行部数2500。

2009-3-25 (Worms of the Earth)

 表紙絵はデイヴィッド・アイルランド。表題作を題材にしているが、まったく同じ構図でヴァージル・フィンレイがイラストを描いており、それにくらべるとだいぶ見劣りがする。とはいえ、白黒のイラストが4枚はいっており、こちらは迫力がある。

2009-3-25 (Worms 3)

 当方はこの本をペーパーバック化したエース版(1979)を所有していた。こちらの表紙絵はサンジュリアンの手になるもの。

2009-3-25 (Worms of the Earth, Ace )

 両者をくらべてみたところ、版面がまったく同じなので、エース版はグラント版をそのまま写真複製して版下にしたとわかった。もちろん、イラストもそのまま使われている。エース版は紙が悪くて、すでに壊れかけているので、この本を譲っていただいたのはありがたいかぎり。

 これはピクト人の王ブラン・マク・モーンのシリーズを集大成したもの。同じ趣旨の作品集は1969年にデルから Bran Mak Morn という本が出ていたが、本の厚みを出すために、コーマック・マク・アートというべつのヒーローを主人公にした作品が1篇混ざっていた。本書はそれを抜いたもので、ブラン・マク・モーンもの集大成としては過不足ない出来となっている。
 収録作品はつぎのとおり――

Foreword  *短い詩とハワードの手紙から抜粋した文章で構成されている
「滅亡の民」  *関連作品 ブラン・マク・モーンは登場しない
Men of Shadows
「闇の帝王」  *《キング・カル》との相乗り作品
A Song of Race  *詩
「大地の妖蛆」
Fragmet  *未完作品の草稿
The Dark Man  *《ターロー・オブライエン》との相乗り作品

 グレン・ロードがかかわっているので、未完作品は未完のまま収録している。

 このシリーズは数がすくないので、他のヒーローとの相乗り作品を入れても以上でほぼすべて。マニアックきわまる編集のワンダリング・スター版 Bran Mak Morn the Last King (2001) でも、未完の草稿やハイスクール時代の習作が増補されているだけ。
 そのわりに令名が轟いているのは、ひとえに「大地の妖蛆」のおかげである。なにしろハワードの最高傑作に推す声もあるくらいで、夢魔的な迫力に満ちた作品。当方もハワードのベスト3にはかならず入れるだろう。

 未訳の“Men of Shadows”は、1926年に書かれたシリーズ第1作だが、〈ウィアード・テールズ〉に投稿して没となった。
 読んでみると、それもしかたなく思える。ローマ軍団に所属する北欧人の戦士が敵対するピクト人に捕まって、彼らの歴史を聞かされるというのが骨子だが、戦闘場面と古老の語りだけで構成されており、向こうの大衆小説がなによりも重視する「葛藤」に欠けているからだ。要するにアマチュアくさい習作というほかない。
 逆にいえば、ハワードがわずか4年で作家として長足の進歩をとげた証左となっている。(2009年3月25日)

【追記】
 グラント版のハードカヴァーは、ハワードの原稿に忠実な版とされていたが、宗教や人種に関する記述が勝手に削られていることが最近の研究で判明し、その信頼性が揺らいでいる。

 さて、ハワードの話はいくらでもつづけられるが、月も替わることだし、話題もがらりと変えよう。乞御期待。


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2013.04.29 Mon » 「すべては去りぬ、すべては終わりぬ」

【前書き】
 以下は2009年3月24日に書いた記事である。誤解なきように。


 《新訂版コナン全集》第5巻「真紅の城砦」(創元推理文庫)が無事に発売になった。今回の解説には、ハワードの自殺について従来とはちがう解釈を記したので、どう受けとられるかが楽しみだ。

 紙幅がなくて、その解説に書けなかった話。

 ハワードが自殺したあと、その財布から二行詩をタイプした紙片が見つかった。これまでは「タイプライターに挟まっていた」と伝えられていたのだが、これは誤り。死亡記事を書いた地元新聞の記者が、これを辞世の句と判断し、なかば意図的に誤報したのだ。
 このことは解説に書いたが、今回は問題の詩について。こういう詩である――

All fled, all done, so lift me on the pyre;
The feast is over and the lamps expire.

 これまでこの二行詩は、英国の詩人アーネスト・ダウスンの詩をパラフレーズしたものだといわれていた。いいだしっぺはL・スプレイグ・ディ・キャンプで、みなこれを鵜呑みにしていたのである。

 ディ・キャンプが典拠としてあげたのは、ダウスンの“Non sum qualis eram bonae sub regno Cyrarae” という詩。長文なので問題の個所だけ引用すると――

I cried for madder music and for stronger wine.
But when the feast is finished and lamps expire,
Then falls my shadow, Cyana! the night is thine:

 当たらずも遠からずという感じ。すくなくともディ・キャンプは、出典を見つけたと確信した。
 ところが、後年ラスティ・バークというハワード学者が、はるかに近い詩を見つけたのである。
 こちらはヴィオラ・ガーヴィンという米国の無名詩人の“The House of Ceaser”という詩で、問題の個所を引用すると――

All done, all fled, and now we faint and tire--
The Feast is over and the lamps expire!

 細かいちがいはあるが、状況証拠から見て、これが引用元と見てまちがいない。
 というのも、バークはハワードの詩について調査している過程で、ハワードが読んだと思われる詩集を発見したからだ。ロバート・フロシンガム編の Songs of Advenure (1926) がそれで、まずべつの詩の出典を見つけ、ひょっとしたらと思って同書を精読するうちに、ほかの出典にもぶつかった。そのひとつがガーヴィンの詩であったというのだ。 

 細部がちがっているのは、メモをとらずに暗記したからだろう。ハワードは記憶力がすばらしかったそうだが、さすがに完璧とはいかなかったようだ。
 もちろん、意図的に変えた可能性も残されている。いずれにしろ、もはや確かめようのないのが残念だ。(2009年3月24日)

2013.04.28 Sun » 『影の王国その他』

【承前】
 パンサー・ブックスの Skull-Face Omnibus 第3巻は The Shadow Kingdom and Others (1976) と題されている。表紙絵は例によってクリス・アキレオスで、おそらく集中の「真紅の城砦」を題材にしているのだと思うが自信はない。この絵なら、たいていのヒロイック・ファンタシーにあてはまってしまうからだ。

2009-3-23 (Shadow)

 前述の3点セットにつづき、つぎのような作品がおさめられている――

「ハイボリア時代」(エッセイ)、「影の王国」、「ツザン・トゥーンの鏡」、「不死鳥の剣」、「真紅の城砦」、「象の塔」、「館のうちの兇漢たち」、「ザムボウラの影」、“Lines Written in the Realization That I Must Die”(詩)

 ご覧のとおり、《キング・カル》シリーズ2篇、《コナン》シリーズ5篇、その背景設定を詳述したエッセイ1篇、詩1篇という構成で、本領発揮のヒロイック・ファンタシー集となっている。

 《コナン》シリーズからの選択に首をかしげないでもないが、だれがどんな作品を選んでも出てくる疑問だろう。ファンとは贅沢なものである。

 《コナン》シリーズをもっと多くしろという要望に対して、発行者のダーレスは「そういう本を印刷するには、血の色をした紙を使わなければならなくなる」と答えたそうだ。(2009年3月23日)


2013.04.27 Sat » 『妖虫の谷その他』

【承前】
 パンサー・ブックスの Skull-Face Omnibus 第2巻は、The Valley of the Worm and Others (1976) と題されている。
 当方が最初に手に入れたハワードの原書がまさにこれ。31年前、御茶ノ水駅前にあった三省堂仮店舗のワゴンから拾いだした。当時はパンサーやコーギといった英国のペーパーバックがこういうところにたくさん転がっていて、その恩恵にあずかったものだ。似たような経験をされた方も多いのではないだろうか。

 表紙絵はクリス・アキレオスが担当しており、集中の「妖虫の谷」を題材にしている。

2009-3-22 (Valley)

 第1巻がオーソドックスなホラー短篇集だったのに対し、この巻は秘境冒険小説の色合いが濃くなっている。ダーレスの前書き、ハワードの詩、ラヴクラフトの追悼文という3点セットのあと、つぎのような作品が収録されている――

①「アシャーバニパルの炎宝」
② A Man-Eating Jeopard 《バックナー・J・グライムズ》
③「大地の妖蛆」 《ブラン・マク・モーン》
④「闇の帝王」 《ブラン・マク・モーン+キング・カル》
⑤「妖虫の谷」 《ジェイムズ・アリスン》
⑥ Skull in the Stars 《ソロモン・ケイン》
⑦ Rattle of Bones 《ソロモン・ケイン》
⑧「死霊の丘」 《ソロモン・ケイン》
⑨「はばたく悪鬼」 《ソロモン・ケイン》

 未訳作品について簡単に触れておくと、②はユーモア・ウェスタン。これだけほかの作品と相当に毛色がちがう。プライスの回想記のなかで激賞されているので収録されたのだろうが、分冊のせいで、その辺の事情がわかりにくくなっている。当方も随分とまどった。主人公のミドルネームはジェオパーディというのだが、これがある猛獣の名前と似ていることが伏線になっている。

 ⑥から⑨は《ソロモン・ケイン》シリーズに属す作品だが、アフリカを舞台にした⑧と⑨とはちがい、未訳の⑥と⑦はイングランドとドイツの田舎が舞台。〈剣と魔法〉風味のアフリカ篇とはちがい、地味なオカルト・ハンターもので、勇んで読んでがっかりした憶えがある。ちなみに、⑥は同人誌〈ローラリアス〉創刊号(1978)に邦訳がある。
 《ソロモン・ケイン》シリーズは近いうちに全訳が出る予定があるそうなので、このあたりにしておこう。

蛇足
 当方が最初に読んだハワードの作品は、角川文庫から出ていた矢野浩三郎編のアンソロジー『怪奇と幻想1 吸血鬼と魔女』(1975)に収録されていた「妖虫の谷」だった。これが非常に面白くて、一発でハワード・ファンになってしまった。
 古代の戦士が邪神を滅ぼす話だが、そのための強力な毒を得るために猛龍を倒すくだりがある。のちに《コナン》シリーズの「紅い封土」を読んだとき、このくだりが流用されていて驚いたものだ。ハワード流の創作方法を意識するようになったのは、これが原因だと思う。
 ちなみにこの邦訳は小菅正夫訳だが、〈ミステリマガジン〉初出時は「妖魔ケ谷」と題されていた。ほかにも山崎紀子訳と夏来健次訳があって、前者は「妖虫の谷」、後者は「妖蛆の谷」と題されている。
 当方は基本的に最新の訳題に準ずるのだが、この本に関しては思い入れを優先した。だから①も「アッシュールバニパル王の火の石」ではないのである。(2009年3月22日)

2013.04.26 Fri » 『髑髏面その他』

 パンサー・ブックスつながりで、Skull-Face Omnibus についても書いておきたい。当方が最初に手に入れたハワードの本なので、ことのほか愛着があるのだ。

 ハワードの最初の単行本は A Gent from Bear Creek (1937) だが、これはイギリスで出たユーモア・ウェスタンの連作集。では、本国アメリカで最初に出た本はというと、アーカム・ハウスから出た傑作集 Skull- Face and Others (1946) になる。
 発行部数3004。もちろんコレクターズ・アイテムだが、内容も相当に優れている。ハワードの最良の部分を集大成しようという意図で編まれており、怪奇幻想小説に関してはこれ1冊あればいいくらいだ。
 これを3分冊でペーパーバック化したのが、パンサー・ブックス版だが、先に紹介した The Dark Man Omnibus とちがって、1冊ごとの独立性が強くなっている。
 というのも、発行者オーガスト・ダーレスの前書き、“Which Will Scarcely Be Understood”と題されたハワードの詩、僚友H・P・ラヴクラフトによる追悼文「ロバート・アーヴィン・ハワード――ある追想」(《新訂版コナン全集》第2巻に訳出)がどの巻の冒頭にも重複して収録されているからだ。作品の配列も親本とはちがっており、巻ごとにまとまりを持たせている。要するに、どの巻も単独で読めるようになっているのだ。

 第1巻は Skull-Face and Others (1976) 。表紙絵はクリス・アキレオスが担当しており、集中の「密林の人狼」を題材している。

2009-3-21 (Skull Face)

 内容のほうだが、先に記した3つの文章のあと、同僚作家E・ホフマン・プライスによる長文の回想記“AMemory of R.E.Howard”が置かれており、そのあと小説6篇がつづく。さいわい全作品が邦訳されているので、題名だけ並べておく――

「スカル・フェイス」、「密林の人狼」、「黒の碑」、「吸血鬼の墓」、「鬼神の鬼塚」、「ブードゥー教の半魚人」

 ご覧のとおり、オーソドックスなホラー短篇集となっている。

蛇足
 その1。『スカル・フェイス』(1977)という題名のハワード作品集が、国書刊行会から出たことがある。アーカム・ハウス版とは収録6篇中5篇が重なっているが、訳者代表の鏡明氏によれば、「この作品集(アーカム・ハウス版のこと――引用者註)の縮小版をつくろうなどという大それた考えはなかったが、作品の選択にあたっては、この作品集から取ることを第一に考えた」そうである。

 その2。プライスの回想記は、ハワード本人と会ったときのようすを詳しく伝えており、非常に面白い。これを《新訂版コナン全集》に訳出したかったのだが、いかんせん長さが45枚もあり、断念せざるを得なかった。代わりに、この文章の原型となった「ロバート・アーヴィン・ハワード」という10枚ほどの追悼文を第4巻に訳出したが、いまだに心残りである。(2009年3月21日)

2013.04.25 Thu » 『暗黒の人オムニバス』

 昨日のつづき。
 ハワードの The Dark Man and Others はイギリスのパンサー・ブックスからペーパーバック版が出ていて、当方はそれを所有していた。ただし、2分冊になっていて、The Dark Man : The Dark Man Omnibus: Volume 1(1978)、The Dead Remember :The Dark Man Omnibus: Volume 2 (1979) と題されている。

2009-3-17 (Dark Man 2)
2009-3-17 (Dark Man 1)

 表紙絵の画家がちがっており、それぞれピーター・ジョーンズとジョー・ペンタゴンが担当している。2の表紙絵は、まるっきり永井豪のデビルマンで面白い。

 発行人オーガスト・ダーレスの短い序文をふくめて、親本の全文を収録しているが、確認したら作品配列がすこしちがっていた。どうも《クトゥルー神話》関連作品を下巻にまとめようとした節がある。

 未訳はつぎの6篇――

①The Voice of El-Lil
②The Dark Man
③The Gods of Bal-Sagoth
④The Man on the Ground
⑤In the Forest of Villef`ere  註 `e は本来アクサン
⑥Th Hyena

 ①は「失われた種族(ロスト・レース)もの」と呼ばれるタイプの秘境冒険小説。ソマリア奥地に古代シュメール文明の生き残りがいて、そこに白人冒険家が迷いこむ話。シュメール人は故郷から持ってきた翡翠の銅鑼を神器として崇めていて、表題の「エル・リルの声」は、神秘の力を秘めたその銅鑼の音のことである。典型的な読み捨てパルプ小説で、ハワードの作家としての凡庸さがきわだつ。やっぱり、この人は〈剣と魔法〉を書かないと駄目だね。

 ②と③はその〈剣と魔法〉で、さすがに面白い。どちらもアイルランド人の無法者ターロー・オブライエンを主人公としているが、②は《ブラン・マク・モーン》シリーズとの相乗り作品になっている。というのも、このシリーズの時代設定は11世紀ごろだが、3世紀ごろの英雄だったブランがピクト人の崇める神として登場するからだ。表題の「暗黒の人」はブランの像のことで、この像をめぐって物語が展開するのである。

 ④は西部劇と幽霊小説を混ぜあわせた小品。西部劇に本格的に進出を図ったころ、その小手調べとして書いた実験作だと思われる。
 
 ⑤と⑥は両方とも凡庸な人狼もの。⑤は中世のフランス、⑥は現代のアフリカが舞台である。
 ちなみに、⑥は〈ウィアード・テールズ〉に二番めに売れたが、掲載は6番めになったといういわくつきの作品。出世作「密林の人狼」をふくめて、初期のハワードは同工異曲の作品ばかり書いていたわけだ。(2009年3月17日)




2013.04.24 Wed » 『暗黒の人』

 天使の贈り物の紹介をはじめる。といっても、ようやく大雑把な整理が終わったところで、中身を読むには至っていない。そこでべつのヴァージョンで中身を読んだ本から紹介をはじめたい。

 第一弾は The Dark Man and Others (Arkham House, 1963) である。これはアーカム・ハウスから出た二冊めのロバート・E・ハワード作品集。四六版よりやや小さめの小型ハードカヴァー。284ページ。
 ハワード・ブームの直前に出た本ということになり、発行部数は2029部だそうだ。そのためコレクターズ・アイテムとなっている。

2009-3-15 (Dark Man)

 表紙絵はラヴクラフトの挿し絵で有名なフランク・ウトパテル。集中の「屋上の怪物」を題材にしているが、あんまりだという気がしないこともない。

 同社からはすでに Skull-Face and Others (1946) という大部の傑作集が出ているので、落ち穂拾いの感は否めないが、それでもいい作品がそろっている。そのおかげか15篇中9篇も邦訳があるので、題名だけ並べる――

「鳩は地獄から来る」、「闇の種族」、「夜の末裔」、「死人は憶えている」、「恐怖の庭」、「屋上の怪物」、「われ埋葬にあたわず」、「夢の蛇」、「老ガーフィールドの心臓」

 このうち「鳩は地獄から来る」は、スティーヴン・キングが評論『死の舞踏』のなかで「今世紀最高のホラー・ストーリーのひとつ」と称揚したことで知られる。
 「夜の末裔」、「闇の種族」、「屋上の怪物」、「われ埋葬にあたわず」は《クトゥルー神話》関連。邦訳が多いのはこのためか。
 「恐怖の庭」は輪廻転生をテーマにした《ジェイムズ・アリスン》シリーズの1篇である。
 
 これだけ見るとホラー短篇集のように思えるが、べつにそういうわけではない。未訳作品の紹介は、当方が持っていたペーパーバック版の紹介と合わせて次回にゆずる。(2009年3月15日)

2013.04.23 Tue » 天使の贈り物

【前書き】
 以下は2009年3月6日に書いた日記である。誤解なきように。


 先日、天使から贈り物が届いた。天使の名前は代島正樹。贈り物はアメリカで出たロバート・E・ハワードの豪華版ハードカヴァー。
 
 ご存じの方が多いだろうが、代島さんは名うてのSFコレクター。古典SFにも造詣が深くて、先ごろ出た『SFが読みたい! 2009年版』では、今日泊亜蘭と野田昌宏の追悼ページを担当された方である。

 その代島さんから一通のメッセージが届いたのがことの起こり。ロバート・E・ハワードの洋書を何冊か持っているのだが、自分のコレクションの方向性からすると異色であり、今後も活用する機会はなさそうなのでお譲りしたい、というありがたい申し出である。なんでも、《新訂版コナン全集》やこの日記を読んでのお考えだそうで、光栄のいたり。謹んでお受けすることにした。

 で、先日その荷物が届いたのだが、驚いたのなんの。代島さんのことだから貴重な本が来るとは思っていたが、まさか段ボール箱ひとつ分のハードカヴァーとは!
 
 宅配便の人が持ってきた荷物を見た瞬間にあれっと思ったのだ。2、3冊の本がはいったパックだろうと思っていたら、大きな段ボール箱だったから。狐につままれたような気分で箱を開いたら腰をぬかした。なんと、すべてハードカヴァー。その多くは限定出版の豪華本だったのである。

 ともかく書影を見たことしかない本ばかり。ノーム・プレス版のコナンやグラントの豪華本はもちろんのこと、アチラのファンにも垂涎のFAX版が何冊もあるではないか。震える手で数えたら、全部で22冊あった。まさに宝の山である。

 あんまりびっくりしたので、すぐにお礼のメッセージを出したら、「驚かれるだろうと(量的にも質的にも)自信がチョットありました」とのこと。まったく人が悪い。心臓が麻痺するではないか。

 当方の蔵書と1冊だけダブリがあったので、これはお返しすることにしたが、この宝を活用できるかどうかは、当方の器量しだい。たいへんな宿題をもらってしまった。とりあえず、ご本人も希望されているので、この日記ですこしずつ紹介していくことにする。

 ともあれ、代島さま、本当にありがとうございました。(2009年3月6日)

2013.04.22 Mon » 『征服王コナン』

 誤解があるといけないので書いておくが、当方は「ハワードの原稿にはいっさい手をつけず、そのままの形で公刊しなければならない」と思っているわけではない。当然ながら、通常の編集作業は必要だし、その範囲内において改訂は許されると考える。

 ただハワードの場合、作家本人の了承を得ることが不可能なので、改訂は最小限にとどめるべきだと思うのだ。善かれと思ってやったことでも、思わぬまちがいを生むので。
 この点に関しては、当方も何度か苦い目にあっているので、書き手と編集者の双方が納得することが大事だと強調しておく。

 さて、この手の改訂は明記されないのが通例だが、ハワードの著作のなかではめずらしく、改訂の事実を編者が序文に記している例がある。世に名高いノーム・プレス版《コナン》シリーズ第1巻 Conan the Conqueror (The Gnome Press, 1950) だ。ハヤカワSF文庫版『征服王コナン』は、これの翻訳である。

2012-3-23(Conan the Conqueror)

 世界最初の《コナン》シリーズ書籍化。限定5000部のハードカヴァー。表紙絵はジョン・フォート。ヒロイック・ファンタシーや〈剣と魔法〉という言葉がなかったころなので、表紙には「サイエンス・ファンタシー」と謳われている。〈ウィアード・テールズ〉に連載された The Hour of the Dragon を改題したもので、シリーズ唯一の長篇である。

 序文で編者のジョン・D・クラークはつぎのように書いている。ここは重要なので原文を引く――

Very little editing was necessary or has been done. ......We don't think that Howard would have minded and we hope that you don't.

 この「最小限の編集」がどういうものかというと、誤字や文法上の誤りを正すといった必要不可欠の作業から、作中の辻褄の合わない部分を書き直すといった作業、さらにはシリーズに属すほかの作品と矛盾をきたさないよう語句を変更したり、文章を書き足したりといった作業にまでおよんでいる。

 今回このノーム・プレス版と、ハワードの真筆を謳っているデル・レイ版を綿密にくらべたところ、変更はおおむね許容範囲内だが、第12章に関しては「やりすぎ」の感が残ると判った。
 辻褄が合わないと判断したのだろうが、かなりの文章が削られ、その分ちがう文章が書き足されている。ハワードが見たらどう思うだろう、と考えてしまったのだ。
 まあ、その後L・スプレイグ・ディ・キャンプが行った大幅な改竄にくらべれば、問題にするほどではないのだが。

 もちろん伊達や酔狂で厳密なテキスト・クリティックをしたわけではない。創元推理文庫から刊行されている《新訂版コナン全集》第6巻のためである。
 じつは長篇 The Hour of the Dragon と、付録にするハワードの父親の手紙2通はすでに訳了して出版社にわたしてある。年内には刊行されると思うので、気長にお待ちいただきたい(追記参照)。 (2012年3月23日)

【追記】
 けっきょく年内には刊行されなかった。

 なお、当方が所有している本は高名なSF本のコレクター、代島正樹氏からのいただきもの。それを贈ってくださった経緯については稿をあらためる。乞御期待。


2013.04.21 Sun » 『征服王コナン/リアノンの魔剣』

【前書き】
 以下は2007年12月30日に書いた記事である。誤解なきように。


 今年手に入れた本のなかで特にうれしかったうちの1冊が、エース・ダブルのD-36、Conan the Conqueror / The Sword of Rhianon (Ace, 1953) だ。

2007-12-30(Conan)

 この日記を読んでいる人なら先刻ご承知だろうが、エース・ダブルというのは、2冊の本を背中合わせにくっつけて、前からでも後ろからでも読めるようにした叢書。当然ながら、まんなかの鉢合わせになるところでは、上下逆さまになっている。
 カップリングは、同じ作者の2冊のときもあれば、べつべつの作者のときもあり、長篇同士のときもあれば、長篇と短篇集のときもある。
 もともとはミステリで出発し、その後ウェスタンが出てSFが出るようになった。SFの最初はD-31の番号がついたA・E・ヴァン・ヴォートの『非Aの世界/宇宙製造者』(1953)。D-36はそれにつづく2冊めということになる。

 エース・ダブルも刊行が打ち切られて30年がたち、そろそろ古書価があがりつつあるのと、ロバート・E・ハワード『征服王コナン』もリイ・ブラケット『リアノンの魔剣』も単独の原書を持っているのとがあいまって、なかなかこの本を買う気が起きなかったのだが、それなりの条件のものを見つけたので買ったしだい。

 安かっただけあって状態は悪い(表紙がボロボロなので、上の画像はThe ACE Doubles (and Singles): Image Libraryからお借りしてきた)。だが、所有欲を満たすためだけに買った本なので、手もとにあるだけで満足だ。(2007年12月30日)

【追記】
 Conan the Conqueror は、もともと The Hour of the Dragon の題名で〈ウィアード・テールズ〉に連載された長篇の単行本化である。しかし、これはハワードの死後、ジョン・D・クラークがかなり手を入れたものだった。このノーム・プレス版をテキストにした邦訳が、かつてハヤカワSF文庫(刊行当時の表記)から出ていた『征服王コナン』である。

 来月刊行の運びとなった《新訂版コナン全集》第6巻収録の「龍の刻」(創元推理文庫)は、〈ウィアード・テールズ〉連載版をテキストにした完全新訳である。

2013.04.20 Sat » 『サマルカンドの王』

【前書き】
 以下は2007年11月17日に書いた記事である。誤解なきように。


 例によって蔵書自慢。今回はシンガポールで買ってきた本だ。

 シンガポール一の繁華街、オーチャードの中心にボーダーズという英米系の本屋がある(追記1参照)。ここのSF&ファンタシー棚が充実していて、2時間半かけて隅から隅まで検分してきた。

 もっとも、輸入税がかかるので、すべての本が割高。したがって、基本的にはめぼしいタイトルを頭に刻みこむだけで、じっさいに買ったのは2冊にとどまった。そのうちの1冊がロバート・E・ハワードの Lord of Samarcand And Other Tales of the Old Orient (Bison, 2005) である。

2007-11-17(Lord of )

 表題からわかるとおり、東洋を舞台にした歴史冒険小説集。この場合の東洋は、コンスタンチノープルから中央アジアまでを指す。十字軍時代の話が多く、それ以外の作品も、多くはキリスト教徒とイスラム教徒の争いを背景にしている。
 編集ラスティ・バーク、序文パトリス・ルネと、当方がもっとも信頼している学者コンビの仕事。例によってかゆいところに手が届く仕事ぶりで、小説11篇、詩が1篇、創作メモや書きかけの草稿が9篇おさめられている。これでハワードの東洋歴史冒険譚はすべてだという。
 もちろん、L・スプレイグ・ディ・キャンプが《コナン》シリーズに改作した2篇(追記2参照)や、レッド・ソーニャという名前のロシア人女剣士が登場することで有名な作品もはいっている(追記3参照)。

 じつをいうと、この本は小さな大学出版局から出たもので、余裕があるときに買おうと思っていた。というのも、小説11篇のテキスト自体はすべてべつの短篇集で持っていたからだ。あせって買うことはなかったのである。

 ところが現物を目にしたとたん、物欲がむくむくと頭をもたげてきた。いま買わないと、二度と手にはいらないような気がしてきた。そういうわけで迷わず買ったしだい。

 付録のうち5篇は未発表のものだが、これを喜ぶのはよほど熱心なハワード・ファンか、研究者くらいのものだろう。当方はその両方なので、きっと大喜びするだろう。大喜びするにちがいない。大喜びするはずだ。大喜び……。

 せっかくの機会なので、表題作の紹介をしておく。
 「サマルカンドの王」とは、実在した中央アジア出身の征服者、隻脚のティムールのこと。その死には歴史に記載されていない秘密があり、そこにはひとりのスコットランド人剣士がかかわっていた、という内容である。

 主人公のドナルド・マクディーサは、故郷を追われて十字軍に身を投じたスコットランド人剣士。彼の居住地ニコポリスは、スルタン、バヤジッド率いるオスマン・トルコの大軍に攻撃され、全滅の憂き目にあう。大虐殺の場から血路を開いて脱出したドナルドは、タタール人征服者ティムールの右腕アク・ボガに拾われ、ティムールに仕えることになる。ドナルドの目的はただひとつ。バヤジッドへの復讐である。

 六年後。ともに勢力を拡大するタタール軍とトルコ軍は、一触即発の危機を迎えていた。ある日バヤジッドの宮廷にドナルドがやってくる。これまでティムールのもとで剣をふるってきたが、あまりの冷遇に耐えかねて、寝返ることにしたのだという。そしてタタール軍の動きを読んでみせ、バヤジッドの信頼を得る。

 ついに両軍がぶつかりあう。だが、トルコ軍はタタール軍の罠にはまって大敗を喫する。もちろん、すべてはドナルドの策略だったのだ。ドナルドは狼狽するバヤジッドを打ち倒し、哄笑を響かせるのだった。
 ドナルドの一撃を生き延びたバヤジッドは、ティムールの捕虜となる。辱めを受けたバヤジッドは、みずから死を選び、ドナルドの復讐は完遂する。

 ところが、これで話は終わらない。飽くなき征服欲に駆られたティムールは、その後も侵略戦争をつづける。将軍にとりたてられたドナルドは、つねにタタール軍の先鋒として困難な闘いを強いられる。闘いに倦み、異邦人としての疎外感にむしばまれたドナルドは、いつしか虚無的な気分におちいっていく。唯一のなぐさめは、ペルシア人の愛妾ズレイカの肉体に溺れることだけ。

 そして無謀ともいえる中国遠征がはじまる。例によって、不可能とも思える任務をあたえられたドナルドは、難攻不落の都市オルドシャールの攻略に成功する。だが、代償は大きかった。部下の大半を失い、みずからも重傷を負ったのである。

 瀕死のドナルドは、ティムールの宮廷へ運ばれる。「ズレイカはどこだ? ズレイカに会わせてくれ」と彼は懇願する。だが、ズレイカは、謀反にかかわった廉で処刑されていた。逆上したドナルドは、隠し持っていた拳銃でティムールを射った直後に息絶える。

 虫の息のティムールはいう。「余がヨーロッパ人の犬の手にかかったことは、だれにも知られてはならぬ。余はアッラーの思し召しで逝くのだ。書記にそう記録させよ」
 こうしてティムールは世を去ったのである。

 ハワードの作風が顕著に出ているので、すこしくわしく記してみた。
 よく誤解されるのだが、ハワードの歴史冒険小説は、けっして明朗快活なものではない。むしろ虚無感が基調になっている。闘いのむなしさ、人生のはかなさといったものが前面に出ているのだ。ケルトの血のなせる業、とハワード本人は考えていたようだ。本篇でも主人公はゲール人と呼ばれている。(2007年11月17日+2013年4月16日)

【追記1】
 この書店はもうない。

【追記2】
“The Road of Eagles”→同題。邦訳は「荒鷲の道」
“Hawks over Egypt”→“Hawks over Shem”。邦訳は「セムの禿鷲」あるいは「狂爛の都」

【追記3】
“The Shadow of Vulture”のこと。くわしくは2012年8月29日の記事を参照。

2013.04.19 Fri » 〈アムラ〉70号――追悼ジョージ・H・シザーズ

【前書き】
 本日は2010年4月19日に亡くなったアメリカの編集者、ジョージ・H・シザーズの命日である。故人を偲んで、以下の日記を公開する。


 アメリカのSF編集者ジョージ・H・シザーズが、去る4月19日に永眠したそうだ。死因は心臓発作。享年80。

 シザーズといえば、SF雑誌〈アイザック・アシモフズ・サイエンス・フィクション・マガジン〉(1977年創刊。以下IASFMと略。現在の誌名は〈アシモフズ〉)の初代編集者として名高い。〈ギャラクシー〉、〈イフ〉、〈ファンタスティック〉といった老舗がバタバタと潰れた雑誌受難の時代に新しいSF雑誌を軌道に乗せた手腕は、高く評価されるべきだろう。

 当時のIASFMの誌風は、わが国でもほぼリアルタイムで伝えられたので、ご存じの方も多いだろう。具体的には同誌の傑作選『さようなら、ロビンソン・クルーソー』(1978)と『気球に乗った異端者』(1979)が集英社文庫から出たほか、短命に終わった雑誌〈SF宝石〉が同誌と特約を結んでいたのだ。
 これらを見ればわかるとおり、当時のIASFMの基調は「わかりやすさを主眼とした娯楽路線」である。のちに新編集長のもとでシリアス路線に舵を切り、サイバーパンクの牙城、さらにはアメリカSF界のリーディング・マガジンになっていくとはいえ、その礎を築いたシザーズの功績は、同誌の歴史に燦然と輝いている。

 とはいえ、当方にとってシザーズは、ファンジン〈アムラ〉の編集者である。
 アムラというのは、ロバート・E・ハワードが創造した英雄、キンメリアのコナンの異名。この名を冠したファンジンは、〈剣と魔法〉の専門誌で、創刊は1956年。読み応えのある創作やエッセイが載るいっぽう、パロディや戯れ歌なども満載のファンジンらしいファンジンとして知られていた。
 シザーズは1959年に同誌の編集長となり、辣腕ぶりを発揮して、同誌にヒューゴー賞を二回もたらした。

 大学生のころの当方は、このファンジンに憧れをいだいていた。なにしろ、フリッツ・ライバー、ポール・アンダースン、L・スプレイグ・ディ・キャンプといった大御所が顔をそろえ、ファンにまじって〈剣と魔法〉に関して活発に議論しているというのだ。アチラのファンジン自体見たことがなかったし、まさに憧憬の対象だった。

 それが思わぬところから手にはいることになった。当時所属していた〈剣と魔法〉系のファン・グループ、ローラリアスの古参メンバーの方が、ダブリ本だからと気前よくゆずってくださったのだ。このときべつのファンタシー系ファンジンも2冊いただき、天にも昇る心地だったのをよく憶えている。

 書影をかかげたのが、創刊25周年記念号にあたる〈アムラ〉1981年9月号(volume 2 number 70)。副題に Swordplay & Sorcery とあるのに注意されたい。

2010-4-20(Amra 1)

 体裁はB5版40ページ。タイプセットの立派な印刷で、誌面の雰囲気を知ってもらうため、後述のエッセイのページをスキャンしておいた。ご参考までに。

2010-4-20(Amra 2)

 内容は創作3篇(うち1篇は《コナン》シリーズの模作)、エッセイ4篇(ポール・アンダースン、L・スプレイグ・ディ・キャンプほか)、映画「エクスカリバー」評、戯れ歌など。多くのページにE・R・バローズ作品のイラストで有名なロイ・G・クレンケルのペン画が配されている。

 いちばん読み応えがあったのは、“Pseudhistory”と題されたディ・キャンプのエッセイ。これは歴史に関してまちがった知識が流布している例をあげ、その誤謬に関して解説したもの。
 たとえば、ギリシア・ローマ時代のガレー船は、奴隷が漕いでいたと思われているが、じつは漕ぎ手は高度な技能を有した自由人であり、むしろ高給とりであったという。こういうまちがいが広まったのは、ルー・ウォーレスの小説「ベン・ハー」と、チャールトン・ヘストン主演の同名映画が原因である。
 奴隷がガレー船の漕ぎ手となったのは、時代が大幅にくだって15世紀ごろ。イスラム教徒とキリスト教徒の争いが激化し、捕虜をとりすぎて、その働き口にしたらしい。

 こういう具合に、七つの主題に関して蘊蓄をかたむけている。ディ・キャンプという人は、この手の歴史エッセイを書いているときがいちばんいいようだ。(2010年4月20日)


2013.04.18 Thu » 『テリーの宇宙』

 偉大なSF編集者の追悼アンソロジーをもう1冊。ベス・ミーチャム編 Terry's Universe (Tor, 1988) である。もっとも、当方が持っているのは、例によって翌年に出たペーパーバック版だが。

2009-2-14(Terry's)

 これは前年の4月に亡くなったテリー・カーの追悼企画。夫の死後、財政的に困窮していた未亡人キャロルを援助するねらいもあり、利益はすべて彼女に贈られるという。

 テリー・カーの業績について書きはじめると、この日記10回分を費やしても足りないので、アンソロジスト・編集者としてSF界に多大な貢献をした人とだけ書いておく。キャンベルが1940~50年代にかけてのナンバー1雑誌編集者なら、カーは1970~80年代にかけてのナンバー1書籍編集者といえるかもしれない。
 ちなみにカーは70年代に《ユニヴァース》というオリジナル・アンソロジーを年1冊のペースで刊行していた。本書の題名は、それをかけているのだろう。

 編者のベス・ミーチャムは、SFファンあがりの編集者。エースでパワーズの『アヌビスの門』などを出したあと、トアに移ってベアの『ブラッド・ミュージック』やカードの『エンダーのゲーム』などを世に出した。この人自身なかなかの名編集者だ。
 故人からじかに薫陶を受けており、その思い出をつづった序文は感動的である。

 さて、内容だが、作家としても活動していた故人の代表的短篇「変身の祭り」(1968)が再録されているほか、ゆかりの作家11人が新作を書き下ろし、原稿を落としたハーラン・エリスンが跋文を寄せている。

 残念ながら「変身の祭り」以外に邦訳はないので、作家の名前だけならべる――

ロバート・シルヴァーバーグ、アーシュラ・K・ル・グィン、フリッツ・ライバー、ケイト・ウィルヘルム、カーター・ショルツ、マイクル・スワンウィック、R・A・ラファティ、キム・スタンリー・ロビンスン、ロジャー・ゼラズニー、ジーン・ウルフ、グレゴリー・ベンフォード

 なんとも豪華だが、作品の出来はいまひとつ。どこかの書評で「ショルツとウィルヘルムの作品をのぞけば、故人の思い出を汚すものばかり」と書かれたくらいだ。
 そのなかで多少ましなのがシルヴァ-バーグの“House of Bones” 。タイムマシンの故障でネアンデルタール人の世界にとり残された人類学者が、彼らの部族に受け入れられるまでの物語。甘めのメロドラマだが、当方は好きだ。(2009年2月14日)


2013.04.17 Wed » 『日本SFの世界』

 わが国でも偉大なSF編集者の追悼企画アンソロジーが出ている。福島正実編『日本SFの世界』(角川書店、奥付昭和52年5月30日)である。

2009-2-13

 福島正実編となっているが、追悼されているのはその福島正実。いったいどういうことかというと、当時の日本SF大隆盛を受けて出版社が日本SFを概観できるようなアンソロジーを企画し、福島正実がその選にあたったのだが、氏が前年4月に急逝したため、追悼企画となったらしい。カヴァー袖より引く――
「氏の業績と人柄を偲んで有志が集い、氏が生前準備を進めていたSFアンソロジー編集を引き継ぐことになった。現在第一線で活躍中の人々の代表作21編を選び、独特のイマジネーションによって出発した日本SFの原点をとらえられるよう意図している」

 福島正実といえば周知のとおり〈SFマガジン〉の初代編集長だが、1969年にその職を辞している。そこで福島が在職中に〈SFマガジン〉に発表された作品と、それ以外の作品を分けて収録作をならべる――

〈SFマガジン〉掲載
「完全映画{トータル・スコープ}」安部公房、「ゆたかな眠りを」生島治郎、「解けない方程式」石原藤夫、「夢判断」久野四郎、「緑の時代」河野典生、「易仙逃里記」小松左京、「ブルドッグ」筒井康隆、「畸形の機械」都筑道夫、「改体者」豊田有恒、「ジンクス」半村良、「革命のとき」平井和正、「分荼離迦」福島正実、「壁の穴」星新一、「時間と泥」眉村卓、「落陽二二一七年」光瀬龍、「地球エゴイズム」山田好夫

それ以外
「ヴァルプルギスの夜」荒巻義雄(NULL)、「逢いびき」石川喬司(新刊ニュース)、「ムーン・バギー」高齋正(メンズクラブ)、「ある吸血鬼の死」田中光二(別冊問題小説)、「花一輪」矢野徹(問題小説)

 巻末に各人と故人の長男、加藤喬が故人との思い出をつづった文章を寄せている。
  
 下世話な意味で興味深いのは、高齋正のつぎの文章――「福島さんと私の間には、編集者と作家という関係はなかった。いや、正確には一度だけあったと言うべきだろう。ある作品――気に入っていた短篇――を『SFマガジン』に持込み、福島編集長に没にされたことがある。気に入っていた作品だけに、私としても作家としての意地があり、福島さんが編集長だった間は、『SFマガジン』に原稿を二度と持込まなかった。もちろん、福島さんから注文もこなかった」

 日本SF界の先達、今日泊亜蘭や柴野拓美と福島との確執はいまや有名だが、高齋正とのあいだにも似たような関係があったわけだ。

 目を惹くのは、生島、久野、都筑といった名前。現在の視点からは(SFとしては)傍流の作家である。福島としては戦友という意識があったのだろうか。

 さらにいえば、山田好夫の「地球エゴイズム」がはいっているのも興味深い。いわずと知れた第一回SFコンテストの佳作第一席だが、作者はこれ1作で沈黙してしまった。久野四郎ともども、この時点では筆を折った人である。いったいどういう意図があったのだろう。

 ちなみに、福島は69年に石川喬司と共編で同じ趣旨のアンソロジー『世界SF全集35 日本のSF・現代篇』(早川書房)を上梓しており、「落陽二二一七年」、「ブルドッグ」、「逢いびき」が重複している。
 いっぽう山田、荒巻、高齋、田中はこちらにだけ登場している。田中光二の活動と福島の編集者時代はまったく時期が重なっていないが、同人誌時代とはいえ時期の重なる荒巻義雄についてはどう考えていたのだろう。どこにも証言が残っていないのが残念だ。

蛇足
 高齋正の姓の表記だが、本書では「高斎」となっている。だが、当方は日本SF作家クラブの名簿に依拠して「高齋」とするようにしているので、ここでもそうした。(2009年2月13日)
 

2013.04.16 Tue » 『仰天』

 アルフレッド・ベスターの短篇“Something Up There Likes Me”は、最初ハリイ・ハリスンが編んだオリジナル・アンソロジーで読んだ。Astounding: John W. Campbell Memorial Anthology (Random House, 1973) である。ただし、当方が持っているのは翌年バランタインから出たペーパーバック版だが。

2009-2-12 (Ast)

 題名でおわかりのとおり、1971年に亡くなった〈アスタウンディング/アナログ〉の名物編集長ジョン・W・キャンベルの追悼企画。この種のトリビュート・アンソロジーとしては、SF界ではこれが嚆矢だったのではないだろうか。
 ちなみにハリスンは、キャンベルが〈アナログ〉の編集長を譲ろうと考えたこともある人物で、キャンベルの編集前記の傑作選も編んでいる。当を得た人選といえるだろう。
 
 表紙絵は、ロック・バンドのクィーンがこれを修正したものをアルバム『世界に捧ぐ』のジャケットに使ったので、ものすごく有名だが、もともとは〈アスタウンディング〉1953年10月号の表紙を飾ったもの。画家は当時の新鋭ケリー・フリースである。フリースは本書に描きおろしのイラストを作品毎に寄せているが、スキャナーが不調でご覧にいれられない。残念。

 なにしろ、1940年代に主要なSF作家を育てあげた人だけあって、執筆陣は豪華。しかも、多くの者がキャンベルとの思い出を語った前書きを寄せ、キャンベルとゆかりの深いシリーズものの新作を書き下ろすという形になっている。こういう内容だ――

Introduction: The Father of Science Fiction  アイザック・アシモフ
Lodestar  ポール・アンダースン  《宇宙商人ニコラス・ヴァン・リーン》
「チオチモリン、星へ行く」 アイザック・アシモフ  《チオチモリン》
Something Up There Likes Me  アルフレッド・ベスター
Lecture Demonstration  ハル・クレメント  《メスクリン》
Early Bird  シオドア・R・コグスウェル&シオドア・L・トーマス  《カート・ディクスン》
The Emperor's Fan  L・スプレイグ・ディ・キャンプ  《ノヴァリア》
「兄弟たち」 ゴードン・R・ディクスン  《ドルセイ》
The Mothballed Spaceship  ハリイ・ハリスン  《死の世界》
Black Sheep Astray  マック・レナルズ
「終章」 クリフォード・D・シマック  《都市》
Interlude  ジョージ・O・スミス  《金星等辺中継ステーション》
「ヘリックス・ザ・キャット」 シオドア・スタージョン 
Probability Zero: The Population Implosion  シオドア・R・コグスウェル

 スタージョンの作品は、30年近く前キャンベルに没にされたものの蔵出し。最後の作品は、かつての〈アスタウンディング〉に「蓋然性ゼロ」と題するショート・ショートのコーナーがあったのを再現したものだそうだ。

 先に「執筆陣は豪華」と書いたが、わが国ではマイナーな名前がけっこう混じっている。このあたり、彼我の評価の差であろう(マック・レナルズなど最たる例で、アチラではSF史をひもとけば必ず出てくる名前だが、コチラでの知名度は非常に低い)。
 もっとも、ロバート・A・ハインラインやA・E・ヴァン・ヴォートの名前がないので、オールスターといえないのはたしかだが。(2009年2月12日)

【追記】
 アルフレッド・ベスター関連で書いた記事(こちらを参照)だが、今回はケリー・フリースつながりで公開した。

2013.04.15 Mon » 『死なないやつもいる』

【承前】
 ケリー・フリースのイラストを売りにした《スターブレイズ・エディション》紹介3冊め、アルジス・バドリスの Smone Will Not Die (Donning, 1978) だ。

2008-6-4 (Some 2)2008-6-4 (Some 1)

 この本は来歴が複雑なので、ちょっと説明しておくと、もともとは〈ギャラクシー〉1954年3月号に発表された“Ironclad”という中篇が原型。
 これを書きのばして長篇にしたものが、まず False Night (Lion, 1954) として刊行されたが、バドリスの原稿を短縮したものだった。ちなみに、同書はペーパーバックで127ページである。このヴァージョンは『第3次大戦後のアメリカ大陸』(久保書店、1968)として邦訳が出ている。

 さすがに作者としては不満が残ったらしく、元の原稿を修復したうえ、新たに書き足したヴァージョンが、Some Will Not Die (Regency, 1961) として刊行された。こちらはペーパーバックで159ページ。以後はこのヴァージョンがリプリントされていて、《スターブレイズ・エディション》もその例にもれない。

 内容を簡単にいえば、疫病の蔓延で文明が崩壊したアメリカ東部を舞台にしたサヴァイヴァルもの。当時のアメリカのSFとしては、意外なほど暴力的で虚無的な物語が展開される。

 ついでながら書いておくと、冷戦の中期ごろまでは、細菌戦というのも核戦争なみにリアリティがあったらしく、英米の小説にはけっこう目につく。ところが、日本ではそれほどリアリティがなかったらしく(もちろん小松左京の『復活の日』という偉大な例外はあるが)、疫病ではなく核戦争で世界が滅んだと誤解されることが多い。読んだときに誤解しなくても、あとで記憶が改変されるのだろう。
 卑近な例でいうと、エドモンド・ハミルトンの「審判のあとで」という短篇を『反対進化』(創元SF文庫)に入れたとき、この誤解をしている人が多くてびっくりした憶えがある。彼我の想像力のちがいを見るようで面白い。(2008年6月4日)


2013.04.14 Sun » 『イシスの廃墟』

【承前】
 さて、ケリー・フリースのイラストを売りにした《スターブレイズ・エディション》紹介2冊めは、マリオン・ジマー・ブラッドリーの The Ruins of Isis (Donnning, 1978) だ。アスプリンの本とちがって、この作品はこれが初版である。

2008-6-1 (Ruin 2)2008-6-1 (Ruin 1)

 読んでないので内容はわからない。出版社がつけた紹介文もないが、なぜか表紙絵の説明がある。それによると、イシスというのは地球人が植民した惑星で、その宇宙船が〝廃墟〟に保存されているらしい。文化は独自の発展をとげていて、女性優位の社会で男が虐げられている模様。左側の金鎖でつながれた男は、貴婦人のペットで、「よく訓練されているが、精神が不安定なので悪名高い」と書いてある。その下に描かれた男たちは、そういう状況を呪っているのだろうか。きっとそうにちがいない。ちなみに、複製画販売のお知らせがある。(2008年6月1日)



2013.04.13 Sat » 『お師匠さまは魔物!』

 蔵書自慢。
 ものはロバート・アスプリンの Another Fine Myth … (Donning, 1978) である。作者の名を高らしめたユーモア・ファンタシー《マジカルランド》シリーズ第一作。いうまでもないが、ハヤカワ文庫FTから『お師匠さまは魔物!』として邦訳が出ている。

 なんでそんな本をいまさら自慢するかというと、これが《スターブレイズ・エディション》と銘打たれた叢書の1冊だから。
 《スターブレイズ》というのは、イラスト満載のトレード・ペーパーバック叢書で、大物イラストレーターのケリー・フリースが、細君ポリーと組んで作品を選び、イラストを描きおろしたのを売りにしている。版元はヴァージニアの小出版社。
 フリースは10冊にイラストをつけたらしいが、そのうちの3冊が手もとにある。

 本書の内容は紹介するまでもないだろう。単色イラストが全部で5枚はいっている。漫画タッチでなかなかいい出来だが、面倒くさいのでスキャンはしない。かわりに裏表紙を載せるので、お楽しみください。

2008-5-30 (Myth 2)2008-5-30 (myth 1)


 蛇足。初版は、この本より1カ月前にスキッファーという版元から出たペーパーバック。データの書き方をいつもと変えたので、誤解を招くかもしれない。念のために明記しておく。(2008年5月30日)

2013.04.12 Fri » 『彼の子供たちの肖像』

【前書き】
 以下は2009年4月13日に書いた記事である。誤解なきように。


 この夏に出すジョージ・R・R・マーティン短篇集の仕事で、しばらくマーティン地獄にはまっていた。自分で選んだわけだが、重苦しくて、とげとげしくて、読むとイヤーな気分になる作品ばかり。こういうのは訳していて精神的にこたえる。これからゲラが来るわけだが、いまから気が重い。
 とはいえ、いまは一時的に解放感に浸っているので、翻訳テキストに使ったマーティンの本を紹介しよう。とはいえ、全7篇中5篇は大部の傑作集 Dreamsongs (2007)、1篇はホラー短篇集 Songs the Dead Man Sing (1983)を底本にしたので、すでに紹介ずみ。したがって、残るは1冊だけなのだが。

 その1冊というのが Portraits of His Children (Dark Harvest, 1987) だ。もっとも、当方が持っているのは、例によって1992年にベインから出たペーパーバック版だが。

2009-4-13 (Portraits of His Children)

 “A Sketch of Their Father”とイキな題名のついた序文をロジャー・ゼラズニイが寄せている。マーティンとは「お隣さん」のよしみだが、ニューメキシコ州の基準なので、じっさいは何百キロも離れて住んでいたらしい。ちなみに、フレッド・セイバーヘーゲンやジャック・ウィリアムスンも「お隣さん」。みんな故人になっているのが、なにか悲しい。

 収録作はつぎのとおり(アステリスクが付されている作品は、当方編訳による短篇集『洋梨形の男』に収録予定)――

1 夜明けとともに霧は沈み
2 The Second Kind of Loneliness
3 The Last Super Bowl
4 The Lonely Songs of Laren Door
5 アイスドラゴン
6 〈喪土〉に吼ゆ
7 成立しないヴァリエーション *
8 終業時間 *
9 Under Siege
10 グラスフラワー
11 子供たちの肖像 *

 このうち8は、この本をテキストに使った。駄洒落一発の他愛ない作品であり、アチラの決定版傑作集にはいらなかったのも当然だが、箸休めに1篇くらい陽性の作品がほしくて、当方の編む短篇集には入れることにした。

 未訳作品について簡単に触れておくと、2は宇宙版「灯台守」の話。辺境の宇宙ステーションにひとりで勤務する男が、徐々に狂気に犯されていくさまを描く。
 3は一転して、アメリカン・フットボール人気が凋落した未来を舞台に、最後のスーパーボウルを取材する記者の話。むかし「擬似イベント」といわれていた類のSFで、マーティンとしては意外だが、これはこれで面白い。マーティンは大学でジャーナリズム専攻だったそうで、その面が発揮されている。
 4は異世界ファンタシーの変種。次元を放浪する女の話。
 9は一種の時間旅行譚。ヴァイキング時代の北欧で迫力満点の攻城戦が展開される。

 聞くところによると、マーティンの宇宙SFを集めた短篇集を日本オリジナルで出す計画があるらしい。1や10はきっとそこに入るだろう。首を長くして待つとしよう。

蛇足
 
 本書の表紙絵は、ポール・チャドウィックという画家の手になるものだが、じつは使いまわし。ブルース・スターリングの短篇「スパイダー・ローズ」が、〈F&SF〉1982年8月号のカヴァー・ストーリーになったときの絵なのだ。現物を発掘してきたので、スキャンして載せておく。

2009-4-13 (F&SF)

(2009年4月13日)




2013.04.11 Thu » 『夜飛ぶものたち』

 昨日のつづきで「ナイトフライヤー」ロング・ヴァージョンの話。

 これは幽霊屋敷ならぬ幽霊宇宙船を舞台にしたSFホラー。「サンドキングズ」の成功で味をしめたマーティンが、ふたたびSFとホラーのハイブリッドに挑戦し、みごとに成功をおさめた作品である。

 最初〈アナログ〉1980年4月号に発表されたときは180枚のノヴェラだった。邦訳はこのヴァージョンに基づいている。表紙絵とイラストはポール・レアが描いている。

2008-2-6 (analog)

 だが、作者はこの長さを窮屈に感じていたらしい。とりわけ脇役の性格を書きこめなかったことが心残りだったとのこと。

 そこへ辣腕で知られるデル・ブックスの編集者ジム・フレンケルから、この作品を書きのばさないかという提案があった。フレンケルは当時300枚弱のノヴェラ(あるいはショート・ノヴェル)2本をカップリングした《バイナリー・スター》というシリーズを出しており、そこに収録したいというのだ。
 マーティンにとっては渡りに船のような話。早速265枚に書きのばし、81年に Binary Star #5 として刊行した。ちなみにカップリング作品は、いまやセミ・クラシックとなったヴァーナー・ヴィンジの『マイクロチップの魔術師』である。

 この本を紹介できればいいのだが、あいにくと持っていない(追記参照)。かわりにこれを表題作としたマーティンの第五短篇集 Nightflyers (Bluejay, 1985) を紹介する。版元のブルージェイは、フレンケルが創設したが、すぐに潰れた出版社。ただし、当方が持っているのは87年にトアから出たペーパーバック版だが。

2008-2-9(Nightflyers)

 例によって目次を書き写すと――

ナイトフライヤー *
Override *
Weekend in a War Zone
七たび戒めん、人を殺めるなかれと *
Nor the Many-Colored Fires of a Star Ring
ライアへの讃歌 *

 マーティンの短編集は作品の重複が多い。本書もその例に漏れず、これまでの短篇集にはいっていた作品が4篇もある。アステリスクのついている作品がそれにあたる。「ナイトフライヤー」ロングヴァージョンも、すでに第四短篇集 Songs the Dead Men Sing (1983) に収録されていたのだ(この本は前に紹介した)。それでもファンは買ってしまうから、商売上手というべきか。

 さて、問題のロング・ヴァージョンだが、原型とくらべると、プロットにまったく変化はない。細部の書きこみが綿密になっているだけ。しかし、ホラーというのは、綿密な描写で雰囲気を盛りあげていくところが肝なので、この書きのばしは成功だといえる。
 とにかく宇宙船内にほんとうに幽霊がいて、乗組員をつぎつぎと殺していくのだ。一歩まちがったらギャグにしかならないが、マーティンの手にかかると、息づまるようなサスペンスが持続する。似たようなタイプの作品を書くアレステア・レナルズみたいな下手くそな作家には、マーティンの爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなる。

 余談だが、「ナイトフライヤー」は映画になった(邦題は「デーモン・ギャラクシー 魔女伝説」)。聞くところによると、ものすごく出来の悪い映画で、監督は自分の名前をクレジットからはずしたという。当方は未見だが、だれか見た人はいますか?(2008年2月9日)

【追記】
 この日記を読んだ山岸真氏が、関連記事を書いたうえで〈バイナリー・スター〉版のイラストを公開してくださった。お許しを得たので、その日記を抜粋してお目にかける。山岸氏に深謝。
 以下のリンク先へ飛んでください。
http://sfscannerdarkly.blog.fc2.com/blog-date-201202.html


2013.04.10 Wed » 『夢歌』

【承前】
 蔵書自慢。ものはジョージ・R・R・マーティンの中短篇精華集 Dreamsongs (Bantam, 2007) である。

 これは2003年に GRRM: A RRetrospective としてサブテラニアン・プレスから出た限定版書籍の普及版。題名は2006年に英国で出たゴランツ版をいただいている。
 元版は1000ページを超える大部の豪華本で、ちょっと貧乏翻訳家に買える値段ではなかった。ようやく普及版が出たので買ったしだい。こちらは2分冊だが、それでも各巻が700ページ前後の大型ハードカヴァー。重さも嵩もかなりのものだ。ちなみに、マイクル・カルータのイラスト入り。

2008-2-8(dream1)
2008-2-8(dream2)


 ガードナー・ドゾアの序文につづいて、マーティンの作品が34篇おさめられている。邦訳があるのは「ヒーロー」、「サン・ブレタへの出口」、「夜明けとともに霧は沈み」、「ライアへの讃歌」、「この灰にけぶる塔」、「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」、「ストーン・シティ」、「ビターブルーム」、「龍と十字架の道」、「アイスドラゴン」、「〈喪土〉に吼ゆ」、「忘れえぬメロディ」、「サンドキングズ」、「ナイトフライヤー」、「モンキィ・トリートメント」、「魔獣売ります」、「守護者」、「シェル・ゲーム」、「皮剥ぎ人」、「グラス・フラワー」、「放浪の騎士」の21篇(追記参照)。ただし、「ナイトフライヤー」は邦訳のないロング・ヴァージョンが採られている。

 残りの作品も秀作ばかりで、おそろしく質の高い作品集だといえる。
 
 当方はマーティン・ファンだが、目次を見てそれをあらためて実感した。というのも、読んだことのない作品はデビュー前の習作3篇とハリウッド時代の脚本2篇だけだったからだ。
 しかし、この本の値打ちは小説以外のところにある。全体が9部に分かれ、マーティンの軌跡を概観できるようになっているのだが、その各部の冒頭に作者の回顧エッセイがついているのだ。さらに巻末にはレスリー・ケイ・スワイガートという人の作った詳細な書誌がつく。まさに至れり尽くせりで、これだけで手に入れた価値はある。
 まだ撫でさすっただけで、中身は全然読んでないが、面白い裏話などは、今年出す予定のマーティン傑作集のあとがきに書くつもり。乞御期待。(2008年2月8日)

【追記】
 この時点で未訳だった「成立しないヴァリエーション」、「洋梨形の男」、「子供たちの肖像」は、拙編のマーティン傑作集『洋梨形の男』(河出書房新社、2009)に訳出できた。
 なお、上記回顧エッセイの内容は、同書の編訳者あとがきに要約しておいた。


2013.04.09 Tue » 『死者たちが唄う唄』

 ジョージ・R・R・マーティンの Songs the Dead Men Sing (1983) は、マーティンのホラー短篇集。といっても、収録作7篇のうち純粋なホラーは「モンキィ・トリートメント」、「針男」、「忘れえぬメロディ」の3篇だけで、「サンドキングズ」と「ナイトフライヤー」がホラーSF、残りはホラー色の薄いSFである(追記1参照)。

 初版はアメリカのスモール・プレス、ダーク・ハーヴェストから出たもので、このところのマーティン人気のために相場が高騰。100ドルを超える値段がついている。当方が持っているのは1985年にゴランツから出たイギリス版だが、これはこれで珍しく、やはりけっこうなお値段だった。

2005-5-2(Deadman)


 ついでにあと2冊書影を紹介しておこう(追記2参照)。

2005-5-2(Portraits of His Children)

2005-5-2(Omni)

 上はマーティンの短編集 Portraits of His Children (Baen, 1992) 。下はエレン・ダトロウ編のアンソロジー Omni Best Science Fiction Two (Omni Books, 1992) である。後者にはマーティンのブラム・ストーカー賞受賞作“The Pear-Shaped Man” がはいっている。
 マーティンのホラーは後味が悪い作品ばかり。その点、説話調の語り口が妙にユーモラスな「モンキィ・トリートメント」は異彩を放っている。もちろん、どの作品も非常に質は高いのだが。

 なんでこの3冊の書影を並べたか、薄々お察しの方もいるだろう。とりあえず、水面下に動きがあるとだけいっておく。(2005年5月2日)

【追記1】
 河出書房新社《奇想コレクション》の1冊として、ジョージ・R・R・マーティンのホラー傑作集を編もうと思って準備をはじめたころに書いた記事である。この企画はのちに『洋梨形の男』(2009)として実現した。
 本書収録作のうち「モンキィ・トリートメント」と「忘れえぬメロディ」は、それぞれ「モンキー療法」、「思い出のメロディー」として同書に新訳した。「針男」も収録するつもりだったが、本が厚くなりすぎるという理由で断念した。

 Songs the Dead Men Sing に収録されている「ナイトフライヤー」は、4割近く書き足したロング・ヴァージョンなので、厳密にいえば未訳。このヴァージョンについては、近いうちに記事を公開する。

 上に題名のあがっていない収録作を参考までに書いておくと、「…ただ一日の昨日とひきかえに」と“Meathouse Man”である。

【追記2】
 Portraits of His Children からは「成立しないヴァリエーション」、「終業時間」、「子供たちの肖像」を採り、Omini Best Science Fiction Two からは「洋梨形の男」を採った。ただし、翻訳のテキストには、「終業時間」をのぞき、このあと入手したマーティン傑作集に収録のヴァージョンを使用した。加筆訂正が見られたからである。




2013.04.08 Mon » バドリスのこと

 アルジス・バドリスの作品は、アメリカSFのなかではかなり異質な肌合いがある。簡単にいってしまえば、ヒューマニズムを信じていない節があり、登場人物が冷めているのだ。キャリアが長く、玄人筋の評価が高いわりに、ちっとも人気が出ないのは、たぶんそれが理由だろう。

 わが国では『第3次大戦後のアメリカ大陸』(久保書店)と『アメリカ鉄仮面』(ソノラマ文庫)の2冊の長篇が出たが、広く読まれたとは思えない。むしろ〈F&SF〉掲載の短縮版が初期のSFマガジンに連載された「無頼の月」のほうが、幻の作品として関心をそそっているのではないか。いずれにしろ、知名度は低いと思われる。

 だが、短篇にはいいものがあって、このまま埋もれさせておくのは惜しい気もする。明らかに書きとばした作品も多くて、傑作にあたる確率は低いのだが、ときどき珠玉の短篇があるのだ。
 というわけで、傑作集の目次を考えてみた。題名、発表年、推定枚数の順で記す。

1 珊瑚礁にて '58 (55)
2 沈黙の兄弟 '56 (55)
3 すべては愛のために '62 (55)
4 隠れ家 '55 (40)
5 めぐりあい…… '57 (50)
6 夏の終わり '54 (70)
7 猛犬の支配者 '66 (75)
8 Be Merry '66 (130)

 1はファースト・コンタクトものの傑作。2は侵略もののホラーSF。3も侵略もので、異星人に支配された地球を舞台にレジスタンス活動が描かれるのだが、全然ヒロイックにならないところがバドリスらしい。4と5は《ガス》シリーズを構成する2篇で、特異な超能力もの。6は不死者の社会を描き、代表作のひとつとされている。7はSFではなくて、ヒッチコック好みのサスペンス。8は地球人に飼い殺しされている異星人たちの話。というのも、その血液から病気の特効薬が採れるからである。

 うーん。やはり陰々滅々としすぎているか。

蛇足。
 そのむかし鏡明氏が『アメリカ鉄仮面』を『二十世紀鉄仮面』と誤記して一部で話題になったが、これは小栗虫太郎経由による記憶の混濁が原因だろう。虫太郎には、そういう題名の作品が両方とも存在するのだ。(2008年6月5日)

2013.04.07 Sun » 『地底の島』

 またしても蔵書自慢。
 ディロン夫妻の表紙が麗しいアヴラム・デイヴィッドスンの The Island under the Earth (Ace, 1969)である。ちなみにこの本はエース・サイエンス・フィクション・スペシャル版オリジナル。表紙に描かれているのは六肢族と呼ばれるケンタウロスと四肢族と呼ばれる人間の女性である。

2005-6-5(Island)

 と知ったようなことを書いたが、じつは斜め読みしかしていない。この本をとりあげたリン・カーターの『ファンタジーの歴史――空想世界』(東京創元社)を訳すときにざっと目を通しただけ。なにしろ、文章も内容もとてつもなく変なのだ。
 日本におけるデイヴィッドスンの権威、殊能将之氏によれば、本書は後期デイヴィッドスンの嚆矢なのだという。
 換言すれば、ペダントリー過剰でおそろしく曲がりくねった文章が、脱線と逸脱を繰り返すということだ。読むには相当の覚悟がいる。そのうちコンディションがいいときにちゃんと読もうと思うのだが、果たしてその日が来るのだろうか。

 まあ、この本は持っているだけで嬉しいので、それで良しとしよう。(2005年6月5日)

2013.04.06 Sat » 〈夜の叫び〉1987年夏季号

【承前】
 〈ファンタシー・テールズ〉と同時期に出ていホラー雑誌に、アメリカの〈ナイト・クライ〉がある。1984年の冬から1987年の秋にかけて11号が出た季刊誌だ。
 ダイジェスト・サイズで本文194ページ。体裁面では〈アシモフズ〉や〈EQMM〉に似ている。

 もともとは映像関係の記事と小説が半々だったホラー雑誌〈ロッド・サーリングズ・ザ・トワイライト・ゾーン〉の再録誌として出発したのだが、ニューススタンドでの売り上げが本誌を凌駕するにいたって、創作中心にシフトしたという経緯がある。T・E・D・クラインから引き継いで3号から編集長を務めたアラン・ロジャーズの手柄だろう。
 短命に終わったのは、ニューススタンドが取り扱い雑誌を半減させたあおりを食らったためで、売れ行きが落ちたわけではないらしい。
 伝統的なホラーだけではなく、スプラッタ・パンクにも好意的で、多くの新人作家を育てた。

 と知ったようなことを書いてきたが、1987年夏季号しか持っていない。

2012-5-20(night cry)


 特筆すべきは、J・K・ポッターがすべてのイラストを担当していること。いま数えたら、挿絵のほかに表紙裏のアート作品をふくめ、全部で12枚描いていた。雑誌のイメージ作りに大いに貢献している。

 小説は新作が12篇(うち連載が1篇)。このうちルイス・シャイナーの「ダンサー」は邦訳がある(追記参照)。あとめぼしい名前をあげれば、F・ポール・ウィルスン、ジョン・スキップ&クレイグ・スペクター、マーク・レイドロー、J・N・ウィリアムスン(連載)など。

 このほか古典作家にスポットをあてるコーナーがあり、アンブローズ・ビアスの「ジョン・モートンのお葬式」と「右足の中指」を再録したうえで、トマス・E・サンダーズの評伝を合わせている。後者は邦訳して50枚近くありそうな力作で、けっこう読み応えがある。

 あとは詩が2篇、アル・サラントニオによる書評、T・E・D・クラインによる映画評である。(2012年5月20日) 

【追記】
 「特集P・K・ディック以後」を組んだ〈ユリイカ〉1987年11月号に酒井昭伸訳で掲載。

2013.04.05 Fri » 〈幻想譚〉1号

【承前】
 ついでなので、〈ファンタシー・テールズ〉第10巻第1号(1989年秋季号)も紹介しておこう。昨日書き忘れたが、この雑誌は年2回刊だったようだ。

2012-5-19(f tales 1)

 表紙絵はクリス・アキレウスの筆になるもので、『指輪物語』を題材にしていると思しい。絵は裏までつづいているのだが、デザインの関係でせっかくの絵がつぶれてしまっているので、わざわざスキャンはしなかった。

 中身はほとんど読んでいないが、C・L・グラント、リン・カーター、ガイ・N・スミス、C・ブルース・ハンター、J・N・ウィリアムスン、クリス・モーガン、ダレル・シュワイツァー、デイヴィッド・ライリーの小説、クリス・ネイラー、ロバート・E・ハワードの詩が載っており、ほかのお便り欄、表紙画家紹介など。
 ハワードはもちろん、カーターもこの時点では故人になっていた。

 第1号なのにお便り欄があるのは、昨日書いたとおり、17号つづいたセミプロジンを母体にしているから。そういうわけで、前号に対する感想の手紙がたくさん載っている。このあたりがなんとも素人臭いが、デザインはもっと素人臭い。

 その点について、2号にブライアン・ラムリーが手紙を寄せ、「ロゴはどこへいった? これがロゴなのか? なんだ、この箱型の題字スペースは? レイアウトはどへいった? 最高の“ファン”雑誌だった〈ファンタシー・テールズ〉が、なんでこんな素人臭い雑誌になっちまったんだ」と不満を爆発させている。
 参考までに、ラムリーを激怒させた箱型の題字スペースをお目にかける。

2012-5-19 (box)

まあ、気持ちはわからないでもない。(2012年5月19日)


2013.04.04 Thu » 〈幻想譚〉2号

【前書き】
 以下は2012年5月18日に書いた記事である。誤解なきように。


 ホラー界の輝ける新星、ジョー・ヒルの第二長篇『ホーンズ 角』(小学館文庫)を読んだ。訳者の白石朗さんにいただいた本である。深謝。
 
 第一部を読みおわった時点で、「これは大変な傑作になりそうだ」と思ったのだが、残念ながらそのあと失速した。時系列をシャッフルし、視点人物を変えと、構成を複雑にしたのだが裏目に出た感じ。策士策に溺れたといおうか。もっとも、こぢんまりとまとまるよりは、こういう破綻のほうがはるかに好ましい。次作がますます楽しみだ。

 世迷言はともあれ、同書を読んでいるあいだ、当方の頭のなかには下に載せた絵がずっと浮かんでいた。ある日いきなり角が生えて、悪魔になってしまった主人公が、こういうふうにイメージされたのだ。

2012-5-18(f tales 2)

 これはイギリスの幻想怪奇雑誌〈ファンタシー・テールズ〉の第10巻第2号(1989年春季号)の表紙。画家はレス・エドワーズである。

 そのむかし銀座のイエナ書店に、なぜか1号と2号が置いてあったので買ったものだ。

 資料によると、〈ファンタシー・テールズ〉というのは、もともと〈ウィアード・テールズ〉の線をねらったセミプロジンで、1977年から87年にかけて17号が刊行され、その後ロビンスンという出版社からペーパーバック・マガジンの形で7号が刊行されたらしい。第10巻第2号は、ペーパーバック・マガジンの第2号にあたる。

 アチラでいうダイジェスト・サイズよりもちょっと大きく、本文104ページ。イラストもふんだんにはいっているが、紙質の悪さもあって、あまり魅力はない。とにかく、いろいろな意味で素人臭い雑誌だ。誤解を恐れずにいえば、先ごろ創刊号が出たわが国の幻想怪奇専門誌〈ナイトランド〉と似ている。

 中身はほとんど読んでいないが、一応書いておけば、ケン・ブルマー、ウィリアム・F・ノーラン、ジョン・レーン、ブライアン・ラムリー、ウィル・ジョンスンの小説、ニール・ゲイマンの詩のほか、お便り欄、マイク・アシュリーの情報コラム、表紙画家の紹介など。

 あとで気づいたのだが、編集はわが敬愛するスティーヴン・ジョーンズとデイヴィッド・A・サットン。イラストレーターのなかには、デイヴ・カースンやジム・ピッツの名前も見える。のちに英国の幻想怪奇シーンをリードする面々が修業の時期を過ごしていたということか。(2012年5月18日)

 

2013.04.03 Wed » 『蒐集家版H・G・ウェルズSF作品集・オリジナル・イラスト付き』

【承前】
 新訳版『宇宙戦争』には初出誌連載時のイラストを一部復刻したが、その版下に使ったのがこの The Collector's Book of Science Fiction by H.G.Wells with the Original Illustrations (Castle, 1978) だ。

2005-6-7(Wells 1)

 『宇宙戦争』、『月世界最初の人間』、When the Sleeper Wakes の3長篇と12篇の短篇がイラスト付きで収録されている。けっこうなヴォリュームだが、これはお買い得だった(未訳の短篇も2篇)。

 とはいえ、イラストが初出時のものとはかぎらない。三流雑誌に発表された初期の作品が、のちに一流雑誌に再録されたときのイラストもふくまれているからだ。ここは勘違いしやすいのでポイントである。

 なにしろ、イギリス大衆雑誌黄金時代のイラストなので、見応えのあるものが多い。各社のウェルズ傑作集は古くなっているので、このイラストを利用して新しい版を作りたい気がする。実現の見こみは薄いだろうが、目次を考えるのは趣味なので、それはそれでいいのだ。

 ところで、『宇宙戦争』のイラストは基本的にウォーウィック・ゴーブルが描いているのだが、じつは初回の扉だけコスモ・ロウという人が描いている(下図参照)。

2005-6-7(Wells 2)

 ウェルズはロウのイラストを希望したのだが、けっきょく1枚しかとれなかったらしい。ウェルズ自身はゴーブルの絵が気に入らず、とりわけ三本脚の戦闘機械についてはイメージがちがいすぎるといって、同書第2部2章で当てこすりをいっている(追記参照)。(2005年6月7日)

【追記】
 火星人の機械が、しなやかに、敏捷に動くと書いたうえで――「これらの機械をいちども見たことがなく、想像力に乏しい画家の絵か、わたしのような目撃者の不完全な描写しか知らない人々には、その生き生きとした姿はとうてい理解できないだろう」(拙訳)

2013.04.02 Tue » 『註解版・宇宙戦争』

【前書き】
 昨日の記事はエイプリル・フールのジョークでした。本のことを書くくらいしか能がないので、路線変更はせずにつづけます。

 拙訳のH・G・ウェルズ『宇宙戦争』(創元SF文庫、2005)の増刷が決まった。今回で4刷だが、3刷は2005年7月だったので、久々の増刷である。この古典が読み継がれている証左なので、うれしくてならない。この機会に同書刊行当時に書いた記事を抜粋して公開する。


 H・G・ウェルズ『宇宙戦争』新訳決定版の見本がとどいた。
 映画公開が2ヶ月早まり、締め切りも2ヶ月早まるなか、花粉症に苦しみながら50日で翻訳した仕事。まるで他人事のようだが、「よく出たなあ」というのが率直な感想である。
 前にウェルズの『モロー博士の島』(創元SF文庫、1996)を翻訳したときも、映画公開が早まって3週間で仕上げたのだった。つくづく、めぐりあわせが悪いとしかいいようがない。

 ウェルズの文章は、さすがに19世紀の人の文章で、いまの目で見ると非常にくどい。そのくどさを訳文にも出したいと思ったのだが、読者にはどう受けとられるだろう。いまは判決を待つ死刑囚のような気分だ。(2005年5月27日)


 『宇宙戦争』を訳すさい、テキストにしたのが A Critical Edition of The War of the Worlds (Indiana University Press, 1993) だ。

2005-6-6(War of the Worlds)

 悪い意味で学術的な本なのでお奨めはしないが、関連資料が付録になっていたり、本文にも詳註が施されたりしているので、本文を理解するうえで大いに助けてもらった。

 たとえば、第一部9章である兵隊がこんなことをいう――

Talk about fishers of men - fighters of fish it is this time!

 註釈によれば、前半の「人間をとる漁師」は、新約聖書のマタイ伝を踏まえているのだという。
 ふつうの日本人ならまず気づかないし、じっさい当方が調べかぎりでは、これに気づいた翻訳家は、これまでひとりもいなかった。

 例をあげると切りがないのでやめておくが、こういう具合に本書の註釈のおかげで誤訳を免れたところが多数あった。感謝のかぎりである。(2005年6月6日)

【追記】
 同書に併録されていたウェルズの初期科学エッセイ“The Men of the Year Million”を「百万年の人間」の訳題で〈SFマガジン〉2005年8月号に訳出できた。これを読むと、有名なタコ型火星人が、じつはウェルズの想像した未来の地球人の流用であったことがわかる。このあたりに関しては、拙訳『宇宙戦争』の訳者あとがきにくわしく記したので、ぜひお読みいただきたい。

 余談だが、上記エッセイの訳題は、いまなら「西暦百万年の人間」にするだろう。


2013.04.01 Mon » 路線変更

【前書き】
 さて、年度もあらたまったので路線変更をする。これまで本のことばかり書いてきたが、そろそろ飽きてきたのだ。

 このブログは以前 mixi に書いた日記を加筆訂正のうえ再録しているのだが、そちらの日記はもともと旅行の記録としてはじまったものだった。今後はそちらに舵を切ろうと思う。ブログの題名も変えたほうがいいのだろうが、面倒くさいので当分はこのままでいく。お許しあれ。


 昨夜、ボルネオから帰国しました。予定していた国内線のフライトがキャンセルになり、国際線との乗り継ぎがギリギリになりましたが、なんとか無事に帰ってこれました。

 スカウ村近辺はまさに動物の宝庫。くわしいことは追い追い紹介しましが、苦労していった甲斐は十二分にありました。

 写真の整理がたいへんなので、とりあえずさわりだけご紹介。

 動物はカメラを向けられると、たいてい気づきます。たぶんレンズが光を反射するからでしょう。鳥などは、かなり距離があっても逃げてしまいますが、大型の哺乳類はあまり気にしません。とはいえ、ときどきこっちをにらむやつがいるので、そういう写真を並べてみます。

アジアゾウ。

2010-5-25(1)

ブタオザル。

2010-5-25(2)

カニクイザル。

2010-5-25(3)

(2010年5月25日)
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