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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.05.26 Sun » 『わが心をW・H・スミスに埋めよ』

 《SF作家の自伝》シリーズ。第二弾はブライアン・オールディスの Bury My Heart at W. H. Smith's (Hoddedr and Stoughton, 1990) だ。ただし、当方が持っているのは、例によって翌年出たコロネット版のペーパーバックだが。

2009-9-20(Bury My Heart)

 オールディスは自分語りが好きな人なので、自伝めいたものはいくつも発表していたが、これは初の本格的自伝。1925年生まれなので、65歳のときの著作ということになる。
 この人は強面で気むずかしい文学者というイメージがあるが、そのむかし「腕白ブライアン」とあだ名されたほど剽軽で天衣無縫なところがあり、そのうえ辛辣でウィットに富むのだから、いろいろな意味で笑える本になっている。

 題名にあるW・H・スミスというのは書店の名前で、駆け出し時代の著者が通ったオクスフォードのお店。第二次大戦後、東南アジアから復員してきたオールディスは、この静かな大学街で書店勤めのかたわら作家修業をはじめた。そして同書店の安売りで買ったジョージ・R・スチュワートの『大地は永遠に』を読んだことから、生態学的なSFのアプローチに開眼したのだという。
 このころのエピソードでは、イーヴリン・ウォーが好もしくない客だった、というのが爆笑もの。後年のエピソードでは、1970年に日本で開かれた国際SFシンポジウムで同席した小松左京とハンガリーで再会するくだりが興味深い。

 続篇ともいえる著作に The Twinkling of an Eye or My Life as an Englishman: An Autobiogrphy (1998) があるが、そちらは未入手。(2009年9月20日)

【お知らせ】
 転居につき、当分のあいだ更新を停止します。落ち着いたら再開しますので、ひとまずさようなら。

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2013.05.25 Sat » 『未来はこうだった――ある回想』

 《SF作家の自伝》シリーズ。第一弾は、生まれた順番でフレデリック・ポールの The Way the Future Was: A Memoir (Ballantine/Del Rey, 1978)。ただし、当方が持っているのは翌年に同社から出たペーパーバック版だが。

2009-9-19 (The Way Future)

 別刷りで写真が16ページついているのが嬉しい。

 この本を入手したときは、彼我のSF界の厚みを痛感させられた。SF作家の自伝が大手の出版社から出て、それがペーパーバックになるのだ。当時のわが国ではおよそ考えられないことだった。
 それから20年以上たって小松左京の自伝が出た。すこしは事態が好転したと思いたいが、これから自伝がふえるかどうかは予断を許さない。まあ、筒井康隆の自伝なら出そうだが、ほかの作家はどうだろう。立派な方がつぎつぎと亡くなっていくので、ぜひとも自伝を書き遺してもらいたいのだが(念のために書いておくが、ここで話題にしているのは自伝であって、評伝や自伝的小説ではない)。
 それにしても作家の自伝は面白い。変わった性格の人が多いうえに、記憶力と再現力が抜群なので、たいてい面白く読めてしまう。作品より面白い場合もすくなくない。

 おっと話がずれた。ポールは1919年生まれなので、今年90歳。つい不謹慎なことを考えてしまうが、この本を上梓したのは50代の終わり。功成り名を遂げた大御所が、青春時代(といっても、この人の場合、50歳くらいまでが青春なのだが)を回想した書ということになる。

 なにしろ、ファン、編集者、エージェント、作家、講演家、アメリカSF作家協会会長、はては親善使節と、SF界の役どころをひと通り演じてきているうえに、すべての面で高い評価を受けている人物だ。エピソードの面白さに加え、独特の饒舌体に乗せられて、一気に読了できる。

 なかでもおかしいのが、あるSF雑誌の不採用通知が立派だったので、それほしさに駄作と承知で投稿をくり返していた話。巨匠12、3歳のころのエピソードである。

蛇足
 豊田有恒の『あなたもSF作家になれるわけではない』を忘れていた。あれも自伝の一種といえるだろう。ほかにあれば教えてください。(2009年9月19日)

【追記】
 山岸真氏にいろいろと教えてもらった。許可を得て、そのコメントを転載する。深謝。

「横田順彌『横田順彌(ヨコジュン)のハチャハチャ青春記』。光瀬龍「ロン先生の青春記」は1940年代限定ですが、密度的には長篇自伝。豊田本がありなら、同じ雑誌に連載された矢野徹「あなたもSF翻訳家になれるわけではない」も(『矢野徹・SFの翻訳』として単行本化)。かんべむさし『むさしキャンパス記』や豊田有恒『日本SFアニメ創世記』はピンポイントすぎるか。夢枕獏も青春回想記みたいなのがあったかも」

2013.05.24 Fri » 『われらがベスト』

【前書き】
 以下は2007年11月18日に書いた記事である。誤解なきように。


 山岸真氏の日記によると、恒例になっている「今年のSFベスト5」にそろそろ投票しようと思って、依頼状についてきた参考資料を見た。そうしたら、氏の編訳書の項目にこう記されていたという――

ひとりっ子 グレッグ・イーガン 山岸融(編訳)

 じつは、このミスには当方も気がついていた。ひとつ上の項目が拙訳書『時の眼』で、当方の名前が出ているので、リスト作成者がまちがえたのだろう。
 しかし、フロイトの説を持ちだすまでもなく、この手のいい間違い、書き間違いは、当人の無意識を露呈したものと思ったほうがいい。要するに、われわれふたりはセットで認識されているのだ。

 まあ、似たようなキャリアで似たような仕事をしているうえに、共編のアンソロジー・シリーズまで出しているのだから無理はない。当方としては光栄のいたりだが、はるかに立派な仕事をされている山岸氏にしたら迷惑だろう。申しわけないかぎりである。

 さて、氏の日記を読んだら、フレデリッック・ポールが同じようなことをいっていたのを思いだした。
 周知のとおり、ポールは盟友C・M・コーンブルースと共作することが多かった。当然、混同されることも多かったのだろう。ポールいわく――

「ある批評家に紹介されたとき、彼はこういった。『あなたのラストネームは〝アンドC・M・コーンブルース〟だとずっと思っていましたよ』」

 上の文章は、ふたりの共作短篇ばかりを集めた傑作集 Our Best (Baen, 1987) の序文から引いた。

2007-11-18(Our Best )

 収録作は12篇。なかには未発表だった『宇宙商人』の幻のエピローグもふくまれている。邦訳があるのは「模擬砲」、「火星地下道」、「ガリゴリの贈り物」、「ある決断」の4篇。

 ポールの序文やコメントが抜群に面白い。アシモフやエリスンもそうだが、この手の雑文を書かせると天下一品だ。それが小説家としていいことなのか、悪いことなのかはわからないが。
 たとえば、『宇宙商人』が出たあと、書評に自作、あるいはコーンブルースとの共作がとりあげられるたびに、「この新作は、『宇宙商人』の水準にはおよばないが……」と書かれ、25年後には「この新作は『ゲイトウエイ』の水準にはおよばないが……」と書かれる、とこぼすあたりは吹きだしてしまった。

 この本は15年以上前に買ったのだが、雑文だけ読んでしまいこんでいた。今回せっかく本棚の奥から引っぱりだしてきたので、未訳の短篇をいくつか読んでみた。
 そのうちでは“Mute, Inglorious Tam”というのが出色。14世紀のイングランドを舞台に、サクソン人農奴の貧しく厳しい生活が描かれる。タムという男は、生活の苦しさを忘れるため、自力で動く車が空を飛び、星まで行くことを夢見るのだった……。
 SF作家のご先祖さまの肖像というところか。苦いながら、暗い情感をたたえた1篇である。(2007年11月18日)

2013.05.23 Thu » 『パンゲアの狩人たち』

【前書き】
 以下は2007年4月15日に書いた記事である。誤解なきように。

 最近買った本のなかにスティーヴン・バクスターの第三短篇集 The Hunters of Pangaea (NESFA Press, 2004) がある。

 版元はファン出版社の雄NESFAプレス。前にも書いたが、その母体はボストンを本拠地とする New England Science Fiction Association というファン・グループ。年に一回ボスコーンというSF大会を開いており、それに合わせてゲストの本を作ることで知られている(誤解がないように書いておくが、そうでない本もたくさん出している)。
 本書は41回めのボスコーンに合わせて作られた本で、ハードカヴァー限定1500部。当方が持っているのは1255番である。ちなみに、ジョン・G/クレイマー&キャスリン・クレイマーの序文つき。

2007-4-15(Hunters of Pangae)

 本書には18篇の中短篇と5篇のエッセイがおさめられている。ちなみに、すべて未訳である(追記1参照)。
 いまのところ読んだのは、サイモン・ブラッドショウとの共作 Prospero One (1996)だけ。これはバクスター得意の改変歴史宇宙開発もので、イギリス初の有人衛星打ち上げを描いている。表題はじっさいに計画されたが幻に終わったイギリスの有人衛星の名前。管制室でアーサー・C・クラークが大喜びする場面があるのが印象的だ。

 正直いって、小説よりはエッセイのほうに心惹かれる。とりわけ「ハーフ・タイムの歴史――SFにおけるサッカー」というのは面白そうだ。そのうち読んでみよう(追記2参照)。(2007年4月15日)

【追記1】
 この後「慣性調査装置をめぐる事件」という中篇が、マイク・アシュリー編のアンソロジー『シャーロック・ホームズの大冒険 下』(原書房、2009)に訳出された。

【追記2】
 本書はバクスターの関心領域を網羅するスクラップ・ブック的作品集だった。つまり、長篇執筆の過程で生まれた派生作品や、その調査の結果を活かしたエッセイがおさめられているのだ。

 エッセイのなかでは「タイム・マシン」、「火星」、「サッカー」を主題にした3篇がとりわけ面白い。バクスターのファン気質がいい方に出ていて、実作をあげて楽しそうに論評している。
 
 表題作は、知能を進化させた恐竜がいて、槍を使って狩りをしていたという話。長篇 Evolution から派生した作品とのこと。
 《マンモス》三部作から派生した作品“Behold New Behemoth”も興味深い。西部開拓時代までマンモスが生き残っていたという話である。
 あとはSFミステリから、H・G・ウェルズ作品のパスティーシュ、ウェルズ本人が登場するノンSF、ファンタシー連作までと幅広いが、上記を超えるものはなかった。


2013.05.22 Wed » 『大航海』

【承前】
 バクスターの名誉のために傑作を紹介しておこう。Voyage (Harper Collins, 1997) である。

2007-3-3(Voyage)

 簡単にいえば、改変歴史上の世界における宇宙開発もの。
 歴史の分岐点は1963年。ジョン・F・ケネディがダラスで狙撃されたが、一命をとりとめたことで歴史が変わり、NASAの宇宙開発が順調に進展して、1980年代に初の有人火星探査が行われる。その過程を迫真の筆致で描いた擬似ノンフィクション・ノヴェルだ。

 バクスターはこの作品を書くにあたって、トム・ウルフの『ザ・ライトスタッフ』やアンドルー・チェイキンの『人類、月に立つ』を徹底的に研究したようだ。その成果は如実に出ていて、従来の作品とはまったくちがった文体を手に入れている。本書の魅力は、この乾いたなかにも詩情をただよわせる文体に負うところが多い。
 
 だが、それ以上に魅力的なのは、宇宙開発に関するディテールだ。圧倒的な情報量で「あり得たかもしれない有人火星飛行」を克明に描いている。知らない人が読んだら、本物のノンフィクションと勘違いするのではないだろうか。

 主軸となる人間ドラマも秀逸。通俗的といえば通俗的だが、技術用語や数字が氾濫するストーリーなので、ちょっとクサイくらいほうがいいのだろう。男性優位のNASAで奮闘する女性地質学者(の宇宙飛行士)、典型的なテスト・パイロットである男性宇宙飛行士。ナチの強制収容所で生き残ったロケット技術者。この3人の人生が、火星探査とのかかわりで詳述されていく。
 
 この本は出た直後にリーディングで読んだ。あまりにも感激したので、すぐにレジュメを出して、ぜひ邦訳を出したいといった。そうしたら「ウチではそんなものは出しません」といわれたのだった。
 
 もっとも、いまになって考えると、その判断は妥当だったのかもしれない。
 たしかに、これは読者を選ぶ本だ。NERVAという略語を見て、「おおー!」と興奮できる人間がどれだけいるか。ここに書かれた歴史と現実の歴史の微妙な差異を見きわめ、ニヤニヤできる人間がどれだけいるか。しかも邦訳して1500枚近い大作。なるほど、おおかたの読者には、労多くして実り少なしの本になってしまうだろう。未訳のままで正解ということか。(2007年3月3日)

2013.05.21 Tue » 『位相宇宙』

【承前】
 バクスターの第二短篇集 Phase Space (Voyager, 2002) を読みおわった。ちなみに、当方が持っているのは例によって翌年に出たペーパーバック版。ハードカヴァーの版下をそのまま縮小したらしく、活字が恐ろしく小さくてまいった。この形でも426ページもあるので、字組みを変えたら500ページを超えてしまうのだろうが、それにしても……。

2007-3-1(Phase Space)

 本書には1997年から2002年にかけて発表された25篇の作品が収録されている。邦訳があるのは「グラスアース・インク」、「軍用機」、「シーナ5」、「氷原のナイトドーン」、「避難所」、「重力金庫の記憶」の6篇である。
 じつは多元宇宙をテーマにした《マニフォールド》シリーズの外伝ということになっているのだが、その説明をすると長くなるので省略。

 周知のとおり、バクスターは近年ものすごい量の作品を書いている。長篇を年に二、三冊出すうえに、短篇を毎月のように発表しているのだ。これで筆が荒れないわけがなく、濫作のそしりはまぬがれないだろう。
 皮肉なことに小説技術が向上したことが裏目に出ている。ワン・アイデアをテクニックだけで30枚の短篇に仕立てられるようになったからだ。しかし、テクニックがひとつしかないので、作品の印象が似通ってしまう。雑誌やアンソロジーで1篇だけ読む分にはいいのだが、まとめて読むと拷問に近い。

 未訳作品のベスト3は、ステープルドニアンな宇宙小説と宇宙開発もののハイブリッド“Open Loops”と“Spindrift”、 破滅もの“Martian Autumn”だろうか。残りの作品も水準はクリアしているものが多いが、傑作はひとつもない。残念だ。(2007年3月1日)


2013.05.20 Mon » 『痕跡』

【前書き】
 以下は2007年2月27日に書いた記事である。誤解なきように。


 思うところあって、スティーヴン・バクスターの短篇を集中的に読みなおしている。まずは第一短篇集 Traces (Voyager, 1998)の未訳作品だけ再読した。ちなみに、当方が持っているのは、例によって翌年に出たペーパーバック版である。

2007-2-27(Traces)

 さて、この本には1988年から97年にかけてバクスターが発表した21の短篇が収録されている。バクスターがデビューしたのは87年だから、最初期から中堅作家としての地位を確立するまでの時期の作品がならんでいるわけだ(ただし、《ジーリー》シリーズに属す作品は、べつにまとめられている)。歯に衣を着せずにいえば、どうしようもなく下手な作家が、小説技術を実地で習得していく過程が明らかになっている。

 邦訳があるのは「痕跡」('91)、「コロンビヤード」('96)、「ゼムリャー」('97)、「月その六」('97)の4篇。さすがに、この作品集のなかではトップ・クラスの作品ばかり。未訳作品のなかに、あとの三つを超えるものはない。

 とにかく初期の作品は、どれもこれも類型的で、まとめて読むと苦痛。「異星に行ったら変な生物がいました」というパターンと、「異星の苛酷な環境に適応して、人類はこんなに変わりました」というパターンのふたつしかないのだ。『ジーリー・クロニクル』という作品集を読んだ方なら、どんなものか想像がつくだろう。要するに、ラリー・ニーヴンとジェイムズ・ブリッシュの二番煎じである。

 ところが、改変歴史ものを書きはじめたころから、題材の幅が広がり、構成力や文章そのものも向上してきて、読ませる作家になりはじめた。たぶん「改変世界の宇宙開発もの」という金脈を掘りあて、ノンフィクション・ノヴェル風の文体を手に入れたのと、イギリスSFの伝統にめざめて、ステープルドン風の作品に手を染めるようになったのが主因だろう。ここから関心がさまざまな方向へ広がって、宇宙ハードSFに限定されない現在のバクスターに変貌するわけだ。

 というわけで、未訳作品のなかで「これぞ」というのは、世界初の飛行機をウェールズ人が開発していたという改変歴史もの“Brigantia's Angels” ('95) と『地球の長い午後』風の遠未来SF“George and the Comet” ('91)くらい(追記参照)。
 それにしても、読んでいるあいだ、光瀬龍やら小松左京やら豊田有恒やらの作品が連想されてしかたがなかった。けっきょく、そこが当方の心の故郷なのだなあ。(2007年2月27日)

【追記】
 後者は「ジョージと彗星」という訳題で〈SFマガジン〉2010年11月号に訳出できた。
 ちなみに、バクスターには“Poyekhali 3201”と、題名からして光瀬龍風の宇宙小説がある。

2013.05.19 Sun » 『剃刀つきの鞍』

 カウパンクという言葉をご存じだろうか。
 1980年代の末期、アメリカにスプラッタパンクを自称するホラー作家の一群があらわれた。過激な暴力描写とロック感覚を売りものにしたホラーの書き手たちで、その作風からラウド・ホラーとも呼ばれた。当時、モダンホラーを否定して、クラシック・ホラーへの回帰を叫ぶ者たちがいたのだが、その一派の理想であるクワイエット・ホラー――つまり、抑えた筆致で淡々と怪異を綴る作品――に真っ向から異を唱えた形だったからだ。

 そのスプラッタパンクが勢いにまかせ、ウェスタンの世界に殴りこみをかけたのがカウパンク――という触れこみなのだが、もちろんこれは冗談。ジョー・R・ランズデールをはじめとする一部のウェスタン好きが、趣味を全開にしてホラー・ウェスタンを書きあげ、それを集めて本にしたというのが実態である。
 その本というのが、ランズデールとパット・ロブラットの編になる書き下ろしアンソロジー Razored Saddles (Dark Harvest, 1989) だ。ただし、当方が持っているのは、翌年にエイヴォンから出たペーパーバック版だが。

2011-7-1(Razored Saddle)

 題名は、もちろん leather saddles にかけているのだろう。
 全部で17の作品がおさめられており、このうちロバート・R・マキャモンの「黒いブーツ」とランズデールの「仕事」は邦訳がある。

 なじみのない名前をずらずら挙げても仕方がないので、わが国でも多少は知られている名前だけ挙げると、ルイス・シャイナー、F・ポール・ウィルスン、デイヴィッド・J・スカウ、アル・サラントニオ、リチャード・レイモン、ニール・バレット・ジュニア、ハワード・ウォルドロップ、リチャード・クリスチャン・マシスンなどが作品を寄せている。

 スプラッタ西部劇はむしろ少数派で、民話調のホラーからSF仕立てのものまで、ヴァラエティに富んでいるが、作品の水準はあまり高くない。
 集中ベストはチェット・ウィリアムスンの “Your Skin's Jes's Soft 'N Purty...” He Said. だろうか。西部に憧れて移住してきた都会育ちの作家(男性)が、地元の荒くれ男にレイプされる話。その男が作家に向かっていう言葉、「おめえの肌は娘っこみたいにやわらけなあ」が表題である。ひどい話。(2011年7月1日)


2013.05.18 Sat » 『西部小説ベスト10』

 昨日書いたとおり、ウェスタンの魅力は風景描写だという説があって、当方はそれを信じている。たとえばつぎの文章を読んでほしい――

「私が腰をおろしているところは、まっ白い冬だった。そして私が見おろしているあたりには、まだ秋がぐずついていた。山のすそに、ウィンド・リヴァーが、まるで地図でも眺めるように、小さく見える。谷間は日光を浴び、黄かっ色の土地は、みるからに暖かそうで、眠気をさそうようだ。南東の方角にまがりくねってのび、黄かっ色の平野につながって、やがて空と大地がひとつにとけ合い、ぼんやりとかすんでいた。孤立した山がいくつかちらばり、いちばん遠い丘の向うの、静かな平地のどこかに、ひっそりと隠れて、私の夢がよこたわっている。スティル・ハント・スプリングだ」(山下諭一訳)

 オーウェン・ウィスターの「贈られた馬」という短篇の冒頭である。もう、書き写しているだけで痺れる。まさに映画のロングショット的描写だが、そこに冒頭の隠喩(冬と秋)や「私の夢がよこたわっている」という語り手の主観を織り交ぜて、文章ならではの魅力を生みだしているのだ。凡手の技ではない。

 ――余談だが、ウェスタンが衰退した理由のひとつがこれだろう。小説において、ストーリーと会話ばかりが重視される風潮が進み、風景描写は読むのが面倒くさいという理由で嫌われるようになったのだ。さて話をもどして――

 この短篇は『西部小説ベスト10』(荒地出版社、1961)というアンソロジーにはいっている。四六判、上下2段組で200ページちょっとのハードカヴァー。同社からは、おなじころ推理小説やSFのアンソロジーがたくさん出ていたので、その一環として出たと思しい。

2011-6-30 (Western)

 解説のたぐいが一切ない不親切な本だが、かろうじて代表訳者、清水俊二によるわずか1ページの「訳者あとがき」に「ここにあつめられた十編はいずれも短編だが、〝サタディ・イヴニング・ポスト〟誌が特集したものだけあって、さすがにつぶがそろっている」という記述がある。とすると、雑誌の特集を丸ごとか、それに近い形で訳出したものと推測されるが、果たして真相やいかに。

 収録はつぎのとおり――

1 無法者の行く道  S・オマー・バーカー (清水俊二訳)
2 ユマへの駅馬車  マーヴィン・デブリーズ (田中小実昌訳)
3 旅がらす  クリス・ファレル (中桐雅夫訳)
4 レッド峡谷からきた女  マイケル・フェシア (中桐雅夫訳)
5 事件の真相  ブレット・ハート (三田村裕訳)
6 死者の追跡  アーネスト・ヘイコックス (鮎川信夫訳)
7 はやまった絞首刑  モーガン・ルイス (橋本福夫訳)
8 トップ・ハンド  ルーク・ショート (北村太郎訳)
9 早撃ち  R・パトリック・ウィルモット (伊藤尚志訳)
10 贈られた馬  オーウェン・ウィスター (山下諭一訳)

 このうち2はハヤカワ文庫のアンソロジー『駅馬車』に田中小実昌訳のまま再録された。6も同書にはいっている「死人街道」(三田村裕訳)と同一作品だと思うが、いま手元に『駅馬車』の現物がないので確認できない。ご存じの方はご教示願いたい(追記参照)。

 不勉強ゆえ、ハート、ヘイコックス、ショートの三人以外は知らない作家だが、収録作の水準はおしなべて高い。集中ベストは2か9だろう。ああ、死ぬまでに1篇くらいはウェスタンを訳したいなあ。(2011年6月30日)

【追記】
 のちに同一作品だと確認した。

2013.05.17 Fri » 『ホンドー』

 ある事情で猛烈にウェスタン(西部小説)のことを書きたくなった。唐突だが、お許し願いたい。

 子供のころ、TVの洋画劇場で西部劇を見て育った世代なので、映画のほうには慣れ親しんでいたが、小説のほうにはまったく興味がなかった。それが大きく変わったのは、第一期〈奇想天外〉に連載されていた小野耕世のエッセイ「KOSEIに残らない話」の第7回「最後のモヒカン族」を読んだとき。同誌1974年10月号に載ったものだが、リアルタイムではなく、数年後に古本屋で買って読んだ。

 このエッセイでは、西部小説の魅力は風景描写だという説が展開されている。これが刷りこみになっていて、当方はいまでもそう信じているのだが、ともかくこのエッセイを読んで小説としてのウェスタンに興味を持ち、いろいろと読みあさるようになった。ハヤカワNV文庫(当時はそういう名称だった)で出ていた『シェーン』やら、アンソロジー『駅馬車』やらを読んだのは懐かしい思い出だ。

 さて、上記エッセイではルイス・ラムーアの『ホンドー』という小説がくわしく紹介されていて、これが恐ろしく魅力的だった。ぜひ読みたいと思ったが、1954年に出た本なので、そう簡単に見つかるはずもなく、ずっと幻のままだった。

 1984年に中央公論社が、なにをトチ狂ったか片岡義男監修で《PAPERBACK WESTERN 》という叢書を立ちあげ、そこに新訳がはいったので、『ホンドー』の物語を読むことはできたが、やっぱり上記エッセイで紹介されていた本が読みたい。そう思っているうちに幾星霜、とうとう問題の本にめぐりあえたのだった。

 それがルイス・ラムア作、木下了子訳の『ホンドー』(昭和29年8月30日発行、雄鶏社)だ。

2011-6-29 (Hondo)


 映画の原作を中心に海外娯楽小説の翻訳を出していた《おんどり・ぽけつと・ぶつく》という叢書の一冊。ハヤカワのポケミスに似た造りの新書である。ジョン・ウェイン主演で映画になり、日本でも公開されたので、それを当てこんでの出版らしい。表紙絵を見れば一目瞭然だろう。

 とにかく文章が恰好いい。冒頭部を引くと――

「太陽は照りつけている。まぶしそうに目をしかめながら、煙草をくわえた。煙草の味はうまかつた。陽と雨と汗が浸みこんだシャツは、古ぼけた甘酸つぱい臭がした。ジンズの色はとつくに褪せてしまつて、そのまま沙漠の中にとけこんでしまうような、あいまいな色合になつていた」

 物語のほうは、アパッチ族の襲来におびえる開拓地で、斥候の主人公と、女手ひとつで牧場と息子を守っているヒロインが出会って淡い慕情が芽生えるという典型的なもの。ただし、アパッチ族は単純な悪者ではなく、白人に協定を裏切られたため、自衛のために闘っているということになっているあたりが、名作の名作たる所以だろう。

蛇足
 片岡義男といえば、ビリー・ザ・キッドの肖像を描いた長篇小説『友よ、また逢おう』の作者である。〈野性時代〉1974年6月号に一挙掲載され、その後、角川書店からハードカヴァーで刊行された(文庫化もされた)。世界に誇れる和製ウェスタンの傑作だ。
 2002年に逢坂剛の『アリゾナ無宿』(新潮社)が出たとき、日本初のウェスタン小説などといっている連中がいて、呆れるやら、悲しいやらだった。(2011年6月29日)

2013.05.16 Thu » 『スターダスト・ハイウエイ』

 前にも書いたが、当方は1976年から1981年にかけて〈野性時代〉を毎月購読していた。角川書店が出していた総合文芸誌である。高校1年生から大学2年生のころであり、そこから受けた影響は多大なものがある。

 もちろん毎月のように載っていたSFが目当てだったのだが、買ったからには当然それ以外の部分も読む。おかげで読書の幅が随分と広がった。

 なかでも楽しみにしていたのが、片岡義男の作品である。のちに『スローなブキにしてくれ』、『人生は野菜スープ』、『波乗りの島』といった短篇集にまとめられる作品群だが、それ以上にノンフィクションに惹きつけられた。具体的に題名をあげれば「黒い流れから遠く」と「レッドウッドの森から」だ。どちらも自然を題材にしたエッセイであり、いまならネイチャー・ライティングと銘打たれるだろう。

 とにかく文章が恰好いい。それぞれの冒頭を引いてみよう――

「河口にあるその漁港の町に、明るい陽がさしていた。風が吹いていた。いつもよりひとまわりもふたまわりも大きく感じられたその町に、そのときぼくはなんの用もなく、ただ、いた。太平洋をながめ、陽の満ちた青い空をあおぎ、風に吹かれ、潮の香りを体のなかにとりこみ、港にびっしりとならんでいる漁船を見たりしていた。とても快適だった。」

「川に沿ってのぼっていった。透明さの極限をきわめたような、冷たく澄んだ川の水が、きれいな音をたてて流れていた。砲丸投げの砲丸を平たくしたほどの大きさの砂利が、川底にそして川原いっぱいに、広がっていた」

 翻訳調といってしまえばそれまでだが、このポキポキした感じ、ぶっきらぼうな感じ、乾いた感じが当時はとても新鮮だった。

 こういう文章をもっと読みたくて買ったのが、『スターダスト・ハイウエイ』(角川文庫、1978)だ。久しぶりに書棚から出してきたが、もともと古本だったし、何度か引っ越しを経験して、すっかりくたびれてしまっている。

2011-10-14 (Stardust)

 それでも、ページを開いて、何行か拾い読みすれば、目の前がパッと明るくなるような気がする。これぞ文体の功徳というものだ。

 本書には11の作品がおさめられている。そのうちの1篇は小説といってよく、3篇はレコード評。残りが広い意味でのネイチャー・ライティングといった構成である(上記2篇も収録されている)。 ちょっとジャンル分けに困る作品集だが、じっさい版元は困ったらしく、本書のどこにも「エッセイ集」とか「短篇集」といったジャンルを示す言葉は載っていない。

 ともあれ、自分がネイチャー・ライティングのたぐいを好んで読む根っこはここにあったのだなあ、と再認識したしだい。

 なんでこんなことを書いているかというと、ある人と話しているとき、〈野性時代〉の名前が出て、つい当時を懐かしむ気分になったからだ。まあ、ノスタルジーは年寄りの習いなので、大目に見てやってください。(2011年10月14日)



2013.05.15 Wed » 小松左京と〈野性時代〉のこと

 小松左京の短篇というと、60年代の作品の人気が高いのだが、当方は76年くらいから80年くらいまでがピークだったのではないかと思っている。というのも、〈野性時代〉に発表された一連の作品が、信じられないくらい傑作ぞろいだからだ。以下そのリストを掲げる(題名、掲載号、推定枚数順)――

1 岬にて  1975,5 (100)
2 ゴルディアスの結び目  1976,1 (120)
3 あなろぐ・らう゛  1976,8 (100)
4 すぺるむ・さぴえんすの冒険  1977,2 (100)
5 歩み去る  1978,5 (40)
6 劇場  1979,5 (70)
7 雨と、風と、夕映えの彼方へ  1980,1 (80)
8 氷の下の暗い顔  1980,6-7 (180)

 上記1~4は初出時に《超常小説》という角書きがついていて、短篇集『ゴルディアスの結び目』(角川書店、1977)に1,2、4,3の順番で収録された。
 5~8は短篇集『氷の下の暗い顔』(同上、1980)に発表順で収録された。

 いずれも「宇宙と知性と人類」をテーマにしたハード哲学SFであり、まちがいなく世界最高水準。こんなものがよくSF専門誌ではなく一般の文芸誌に載ったものだと思うが、当時の〈野性時代〉には日本最先端のSFが定期的に載っていた。いろいろな意味で、日本SFの黄金時代だったのだなあ。

 『ゴルディアスの結び目』にくらべると『氷の下の暗い顔』はあまり話題にならないが、7と8は小松の短篇ベスト10に入れてもいいと思う傑作。
 7はブラックホール(?)にとりこまれた人間の意識の流れを描きながら、「宇宙における想像力の意味」を思索する哲学SFで、同時期に書かれた秀作「眠りと旅と夢」(1978)あたりと似た味わい。
 いっぽう8は「神への長い道」(1967)や「結晶星団」(1972)の延長線上にある宇宙探検SF。異星で発見された巨大な人面の謎を解明する過程で、「宇宙における知性」の意味が追及される。当方はこの系統を小松SFの真髄だと信じていて、クラーク、レム、小松をSF三大巨星として崇めているのである。

 以下、余談。
 上記の〈野性時代〉というのは、角川書店から出ていた総合文芸誌。いま同じ版元から出ている同名の雑誌とはちがい、サイズはB5で、恐ろしく分厚く、立って読むにはつらいほどだった。とはいえ、電車のなかでこれを立ち読みしている人をいちどだけ見かけたことがある。あれには本当に感心したものだ。
 角川春樹の肝いりで創刊されただけあって、当時の角川書店、あるいは出版界の常識をぶちこわす刺激的な雑誌だった。SFにも好意的で、最初のうちはSF特集を組んでいたが、そのうちそういう特別枠ではなく、SF作家の作品が常時誌面をにぎわすようになった。例をあげれば、山田正紀『チョウたちの時間』、眉村卓『夕焼けの回転木馬』、半村良《嘘部》三部作……。日本SF史における〈野性時代〉の役割は非常に大きいので、きちんと評価されるべきだと思う。

 当時の当方は〈野性時代〉と〈SFマガジン〉と〈奇想天外〉を定期購読していた。したがって、日本SFの最先端に触れていたことになる。もっとも、そこから進歩がないのが困りものだが。

 〈野性時代〉は乱丁が多い雑誌で、しょっちゅう書店へ取り換えてもらいにいったものだ。旅先で買った号が乱丁だったときは、現物を角川書店に送って取り換えてもらった。そのとき送料として切手を同封したら、そのまま返してくれたのをいま思いだした。
 そういう思い出のある雑誌だが、場所ふさぎなので10年ほど前に大量処分してしまった。いま思うと、じつに勿体ないことをした。後悔先に立たずである(2010年3月18日)。


2013.05.14 Tue » 〈宝石〉のSF特集その2

 昨日のつづき。
 前回目次を示したように、〈宝石〉1955年2月号のSF特集は、創作3篇、翻訳5篇、エッセイ3篇から構成されている。翻訳作品について、原題や初出等のデータを調べたことがあるので、それを記しておく。

全能の島 ネルソン・ボンド 桂英二訳(40枚)
 Conqueror's Isle  Blue Book,1946,6
ランソン防御幕 アーサー・L・ザガート 平井イサク訳(40枚)
 The Lanson Screen  Thrilling Wonder Stories,1936,12
ロビイ アイザック・アシモフ 多村雄二訳(40枚)*目次には名村雄二訳と誤植
 Robie (Strange Playfellow)  Super Science Fiction,1940,9
冥王星への道 平井喬訳(25枚)
 En Route to Pluto  Astounding Stories, 1936,8
タイム・マシン H・G・ウェルズ 宇野利泰訳(170枚)
 Time Machine  New Review, 1895,1~5

 ちなみに、多村雄二は宇野利泰の筆名だと思われる。確証があるわけではないが、状況証拠から見てほぼまちがいない。推測の根拠を示したいところだが、長くなるので割愛。

 さて、このラインナップをいま見ると奇異の念に打たれる。一応、ミュータント、未来戦争、ロボット、宇宙/異星人、時間とヴァラエティに富んだ内容にはなっているのだが、ウェルズの古典を別格とすると、マイナーな作品ばかり並んでいるのだ。別項で矢野徹が、キャンベル・ジュニア、スタージョン、ブッラドベリ、ハインライン、シェクリイなどの作品を喧伝しているので、そのギャップにとまどう。

 出来のほうもイマイチで、アシモフの「ロビイ」をのぞけば、ここに訳載されたきり、いまでは忘れられた作品ばかりだ。

 理由として考えられるのは、まず版権を取得せずにすませようとしたこと。1950年代に発表された作品は、この時点ではバリバリの新作だったのである(じっさい、室町書房はちゃんと版権をとっている)。

 つぎに考えられるのは、入手できる原書がかぎられていたこと。憶測だが、ザガートとウェストの作品は、グロフ・コンクリン編の Best of Science Fiction (Crown, 1946) というアンソロジーから採ったと思われる。
 アシモフの作品は、解題に「グロフ・コンクリン編纂のロボット小説傑作集の序文によれば」という記載があるので、やはり同編のアンソロジー Science Fiction Thinking Machines (Vanguard, 1954 か Bantam, 1955)から採ったのではないか。
 残るボンドの作品だが、これも初出誌や著者の短編集ではなく、オーガスト・ダーレスかフレッチャー・プラットかジョゼフ・ギャラントの編んだアンソロジーのどれかから採ったのではないだろうか。

 だが、そうすると、それらのアンソロジーには、もっといい作品があったはずなので、選んだ人の鑑識眼を疑いたくなる。はたして真相やいかに。(2008年11月30日)

2013.05.13 Mon » 〈宝石〉のSF特集その1

 昨日のつづき。
 〈宝石〉といえば、戦後ミステリの復興に多大な功績のあった伝説の雑誌だが、当方の知るかぎり、SF特集を4回組んでいる。その嚆矢となったのが、1955年2月号の「特集 世界科学小説集」だ。

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 1号でつぶれた(これまた)伝説のSF誌〈星雲〉が1954年12月創刊、昨日ふれた室町書房〈世界空想科學小説全集〉の発刊が1955年1月と並べてみれば、このころ最新の英米SFの影響のもとに、わが国でもSFを根付かせようという機運が盛り上がっていたことがわかる。

 その中心人物のひとりが矢野徹で、〈星雲〉やこの特集のブレーンだったことは明らかだが、この号の目次(図版下)を見ると、ほかにも興味深い名前が見つかる。

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 戦前から戦中にかけてSFを発表していた北村小松は別格としても、室町書房版SF叢書のブレーンだった平井イサク、のちに矢野徹らと科学小説創作集団〈おめがくらぶ〉を結成する夢座海二。このあたりの人脈はどうなっていたのだろうか。詳細をご存じの方はご教示ください(追記参照)。

 編集後記が面白いので、文字遣いを新字に直して一部を紹介する。なにかいろいろと考えさせられる文章だ――

○探偵小説界は一分野としてサイエンスフィクションに重力を置くべきは論をまたないが、これが、科学小説と空想科学小説と二つの呼称に分類されることもちろんだが、今回は共に科学小説と呼ぶ。
○もちろんが続くが、科学は日進月歩、昨日の空想が今日の現実となり、過去ともなる。水爆問題がいい例。だが、空飛ぶ円盤など小説に取扱われたらその分類に議論が湧きそうである。
(中略)
○科学者が、科学小説に限らず推理小説を書きだす新機運がある。すくなくとも探偵小説界の来年度は取材の範囲と、作家的視野がぐんと拡がることはたしかだ。(永瀬)

 ありゃ、前書きのつもりが長くなってしまった。肝心の作品については項をあらためたい。

 ちなみに、星新一が「セキストラ」をひっさげて〈宝石〉に登場したのは、1957年11月号であった。

蛇足。
 矢野徹がアッカーマンの招きで渡米し、かの地のSF事情を見聞してきたのが1953年5月から11月にかけて。渡米直前に江戸川乱歩を訪ねたが、そのときの模様を乱歩が「科学小説の鬼――S・Fの勃興・その略史 附・ヴェルヌ邦訳書誌――」という随筆として発表したのが、同誌1953年8月号である。とくれば、この特集の早さがわかってもらえるだろう。(2008年11月29日)

【追記】
 丘美丈二郎も〈おめがくらぶ〉の同人で、京都を拠点とするミステリ系の同人誌〈密室〉を通じても矢野とは接点があったようだ。代島正樹氏のご教示による。深謝。
 これを機に、『矢野徹・SFの翻訳』(奇想天外社, 1981)を引っぱりだしてきたら、180ページに〈密室〉のこと、181ページに〈おめがくらぶ〉や平井イサク氏のことが書いてあった。もっとあとには、早川書房がSFの牙城になったのは、福島正実よりは社長の早川清の功績のほうが大きい、という意見も書いてあった。本は読み直してみるものだなあ。


2013.05.12 Sun » 室町書房の広告

 古い〈宝石〉(1955年2月号)をひっくり返していたら、面白い広告にぶつかった。伝説の室町書房《世界空想科學小説全集》の広告である。こんなもの、すっかり忘れていた。

 室町書房の《世界空想科學小説全集》といえば、1955年の1月と2月にアイザック・アシモフ『遊星フロリナの悲劇』(別訳題『宇宙気流』)とアーサー・クラークの『火星の砂』を刊行したが、あとがつづかなかった先駆的SFシリーズとして名高い。ちなみに、当方は前者しか持っていない。
 元々社の《最新科学小説集》より1年早いと書けば、その先駆性がおわかりだろう。訳者はどちらも平井イサクなので、この人がブレーンだったと思われるが、その見識は高く評価されていい。

 この広告を見ると、幻の続刊予定が載っているのだが、これがちょっと面白い。

2008-11-28

 原書を調べたので、その情報を併記しておく。

『時の限界を越えて』フレデリック・ポール
 Beyond the End of Time (Permabooks, 1952) *アンソロジー
『わが支配下の宇宙』フレデリック・ブラウン
 Space on My Hand (Shasta, 1951) *『宇宙をぼくの手の上に』(創元SF文庫)短編集
『蜃気樓の住人』A・メリット
 Dwellers in the Mirage (Liveright, 1932) *『蜃気楼の住人』(ハヤカワ文庫SF)
『目的地は宇宙』A・E・ヴァン・ヴォークト
 Destination: Universe ! (Pellegrini & Cudahy, 1952) *『終点:大宇宙』(創元SF文庫)短編集
『明日は星へ』ロバート・A・ハインライン
 Tomorrow, The Stars (Doubleday, 1951) *アンソロジー
『白い未亡人』サム・マーウィン
 The White Widows (1953, Doubleday)
『時間と空間』レイモンド・J・ヒーリイ編
 Adventures in Space and Time (Random, 1946) *アンソロジー、J・フランシス・マッコーマスと共編 『時間と空間の冒険』(ハヤカワ・SF・シリーズ)

 広告ではハインラインとヒーリイ編にだけ「短篇集」と記載されているのだが、これは混乱を招く。正確には『時の限界を越えて』と『明日は星へ』と『時間と空間』が、それぞれポール編、ハインライン編、ヒーリイ&マッコーマス編のアンソロジー。『わが支配下の宇宙』と『目的地は宇宙』が、それぞれブラウン、ヴァン・ヴォートの個人短編集である。

 ご覧のとおり、なかなかのラインナップだが、ひとつだけ浮いている気がするのが、サム・マーウィン・ジュニアの『白い未亡人』。サスペンスタッチのミステリ風SFだと想像されるが、どこか見所があるのだろうか。気になるので、そのうち原書を探そう。

 ちなみに、この号の〈宝石〉は「世界科学小説集」というSF特集を組んでいる。次回はこれについて書こうと思う。(2008年11月28日)

2013.05.11 Sat » 『割れた石への祈り』

 ついでだからダン・シモンズ「ケンタウルスの死」がはいっている作品集を紹介しておこう。シモンズの第一短篇集 Prayers to Broken Stones (Dark Harvest, 1990) がそれだが、当方が持っているのは例によって2年後に出たバンタム・スペクトラ版のペーパーバックだ。表紙絵が恰好いいので、お見せしたかったしだい。変わった題名は、おそらくなにかの引用だろうが、教養がないのでわからない。ご存じの方はご教示願います(追記参照)。

2011-5-17 (Prayers)

 ハーラン・エリスンによる熱烈序文につづいて13の作品がおさめられている。収録作は以下のとおり――

1 黄泉の川が逆流する
2 Eyes I Dare Not Meet in Dreams
3 ヴァンニ・フィッチは今日も元気で地獄にいる
4 Vexed to Nightmare by a Rocking Cradle
5 思い出のシリ
6 転移
7 The Offering *TV台本
8 ベトナムランド優待券
9 イヴァンソンの穴
10 髭剃りと調髪、そして二噛み
11 ケンタウルスの死
12 Two Minutes Forty-Five Seconds
13 死は快楽

 各篇に作者による饒舌な前書きがついている。『ヘリックスの孤児たち』(ハヤカワ文庫SF)でもそうだったが、作者は自作について語るのが大好きらしい。

 人気作家だけあって、かなりの邦訳率だ。
 簡単に補足すると、1はデビュー作、2は長篇『うつろな男』(扶桑社)の原型。5は『ハイペリオン』(早川書房・海外SFノヴェルズ→ハヤカワ文庫SF)に「領事の物語」として組みこまれた中篇(原型のまま海洋SFアンソロジーに入れたいという野望があるのだが、いまのところ実現の見こみなし。残念)。13は長篇『殺戮のチェスゲーム』(ハヤカワ文庫NV)の原型。3と6と9は、オリジナル・アンソロジー『スニーカー』(同前)に書き下ろされた3作で、7は6をTVドラマ用の脚本にしたものである(内容はだいぶちがうらしいが、7を読もうとして挫折したので詳細は不明)。

 残る未訳作品のうち、メモを見ると4には5点満点中2点がついているが、内容はまったく憶えていない。いっぽう12のほうは鮮明に憶えている。
 主人公は宇宙船部品の設計者。かつて上司の圧力に屈し、些細な欠陥があるのを知りながら製品を納入したため事故を招いてしまったという負い目がある。この男は極度の高所恐怖症でもあるのだが、いま会社の重役たちといっしょに飛行機に乗っている。その心の動きを意識の流れ風に追った文芸作品で、宇宙船/航空機の事故をジェットコースターや墜落するエレヴェーターといったイメージで巧みに描きだしている。題名は高度四万六千フィートから墜落するのにかかる時間だという。
 ちなみに、 スペースシャトル〈チャレンジャー〉の爆発事故に触発されて書かれたものだそうだ。(2011年5月17日)

【追記】
 T・S・エリオットの詩「空ろな人間たち」からの引用だと、複数の方から教えてもらった。岩波文庫の『四つの四重奏』におさめられた岩崎宗治訳では「毀たれた石への祈り」となっている。
 ついでに“Eyes I Dare Not Meet in Dreams”も同じ詩からの引用だと判明した。

2013.05.10 Fri » 「なんでも箱」と「ケンタウルスの死」のこと

【承前】
 いまだからいうが、「逃避としての幻想の意味を幻想小説の形式で追求した作品」というのは、『20世紀SF』(河出文庫)というアンソロジー・シリーズの裏テーマのひとつだった。共編者の山岸真氏にも黙っていたが、第1巻エドモンド・ハミルトン「ベムがいっぱい」、第2巻ゼナ・ヘンダースン「なんでも箱」、第3巻トマス・M・ディッシュ「リスの檻」、第4巻ジーン・ウルフ「デス博士の島その他の物語」、第5巻ジェフ・ライマン「征たれざる国」、第6巻ダン・シモンズ「ケンタウルスの死」は、当方の頭のなかではひとつの流れとして捉えられていたのだ。

 とりわけ「なんでも箱」と「ケンタウルスの死」は、表裏一体のものとして把握されていた。つまり、どちらも生徒と教師の関係を描きながら、「逃避としての幻想」の意味を探っているのに、正反対の結末にいたるからだ。前者の幻想が教師にも生徒にも救いをもたらすの対し、後者はその幻想が木っ端微塵に打ち砕かれるのである。作家の資質のちがいも大きいのだろうが、書かれた時代の差を読みとりたいと思ったのだ。このあいだに「デス博士の島その他の物語」を置けば、そのあたりの事情はもっとはっきりするだろう。

 というわけで、「なんでも箱」、「デス博士の島」、「ケンタウルスの死」という流れはわかりやすいと思うのだが、この点に触れた指摘にはいちども出会っていない。裏テーマなので自分だけわかっていればいいと思っていたが、せっかくの機会なので明らかにしておく。(2011年5月15日)

2013.05.09 Thu » 『征たれざる国』

【承前】
 「逃避としての幻想を幻想小説の形で描いた作品」といえば、ジェフ・ライマンの「征{う}たれざる国」も忘れがたい。カンボジアをモデルにした架空の国を舞台に、戦乱のなかで生きる人々の苦しみや悲しみを綴った作品だが、グロテスクなイメージが横溢していて、悪夢めいた印象を残す佳品である。

 はじめ拙訳が〈SFマガジン〉1989年11月号に載ったのだが、駆け出しもいいころの仕事で、訳文のまずさは自覚していた。さいわい10年以上たって改訳する機会がめぐってきたので、全面的に訳しなおし、山岸真氏と共編した『20世紀SF⑤ 1980年代 冬のマーケット』(河出文庫)に収録した。こちらの訳は、多少は読めるものになっていると思う。

 さて、上述の翻訳は雑誌〈インターゾーン〉に掲載されたヴァージョンを底本としたもので、400字詰め原稿用紙120枚の中篇だが、これを書きのばして単行本にしたヴァージョンが存在する。それが The Unconquered Country (Unwin, 1986)だ。

2011-5-10(Unconquered)

 書きのばしたといっても、頭の部分に大きな書き足しがあるほかは、細かい手直しにとどまるので、全訳しても150枚ないだろう。本としての厚みを出すために、活字の組をゆるくしてあるほか、サーシャ・エイカーマンという人のイラストがたくさんはいっている(いま数えたら15枚あった)。

2011-5-10(Unconquered 2)

 さらに6ページにおよぶ作者の「あとがき」が付いているが、それでも本文134ページの薄いトレードペーパー。

 そうであっても単行本で出したいという編集者がいたということだ。じっさい、それだけの力のある作品である。(2011年5月10日)

2013.05.08 Wed » 「街角の書店」のこと

【承前】
 逃避としての幻想が生まれる瞬間を幻想小説の形式で描いた作品としては、ネルスン・ボンドの「街角の書店」という短篇が忘れがたい。

 売れない作家が一世一代の傑作を書きあげようとしていた。ちょっと煮詰まって散歩に出たところ、ある書店の前を通りかかった。前から気になっていた店だが、これまでは来るたびに閉まっていた。だが、今日は運良くあいていたのだ。作家は店内にはいり、驚くべきものを見る。書かれずに終わった本の群れだ。では、どんな本が並んでいるかというと――

 ある棚にはシェイクスピア著『アガメムノン』、ジョン・ミルトン著『ブリテンのアーサー王』、マーク・トウェイン著『なまず船長』、ジョン・ゴールズワージー著『粘土の足』、シャーロット・ブロンテ著『暮色深まりゆく荒野』。
 べつの棚にはチャールズ・ディケンズ著『クリストファー・クランプ』、エドガー・アラン・ポオ著『ガーゴイルの眼』、サッカレー著『クーパースウェイト大佐』、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの秘めたる事件』。
 またべつの棚にはジュール・ヴェルヌ著『穴居人』、チャールズ・フォート著『不可視の存在とは何か?』、イグネチウス・ドネリー著『最初の神ハヌマーン』、ワインボウム著『宇宙人』、ラヴクラフト著『悪魔学全史』。

 そして作家は、友人だった無名詩人が未完成のまま遺した詩集や、書きかけの自作が完成した姿で棚に並んでいるのを見つけるのだった……。

 要するに逃避としての幻想の対象を本にしているわけで、本好きにはたまらない作品になっている。傑作や秀作というのとはちがうが、いつまでも心に残る作品だと思う。

 初出は1941年だが、当方は〈ロッド・サーリングズ・ザ・トワイライト・ゾーン・マガジン〉1985年8月号に再録されたものを読んだ。
 一読して気に入り、どこかに翻訳を載せようとチャンスをうかがっていた。やがて〈幻想文学〉から別件で原稿依頼があったとき、こちらから売りこんだ。こうして拙訳が同誌66号(2003)の誌面を飾ったしだい。
 とはいえ、この作品を読んだという人は、わが国にせいぜい1500人ほど。もうすこし多くの人読んでもらいたいと思って、いろいろ策を練っているのである。(2011年5月8日)

2013.05.07 Tue » 『デス博士の島その他の物語その他の物語』

 ついでだからウルフの第一短篇集も紹介しておこう。The Island of Doctor Death And Other Stories And Other Stories (Pocket, 1980) である。いまは懐かしき《タイムスケープ・ブック》の一冊で、ペーパーバック・オリジナルで刊行された。
 画家の名前は記載されていないが、表紙絵はドン・メイツの手になるものだと思う。収録作「アイランド博士の島」の一場面を描いている。

2011-5-7 (The Island of Doctor Death)

 この版元は当時《新しい太陽の書》の刊行を進めており、ウルフを大々的に売りだしていた。短篇の名手として玄人筋から絶賛されていても、ウルフはなかなか短篇集を出してもらえなかったのだが、そのおかげでようやく短篇集がまとまったのだ。隔世の感がある。

 本書には1970年から78年にかけて発表された14篇が収録されている。そのうち邦訳があるのはつぎのとおり――

 「デス博士の島その他の物語」、「アイランド博士の死」、「死の島の博士」、「眼閃の奇蹟」、「アメリカの七夜」

 上記5篇に短篇「島の博士の死」をふくむ「まえがき」を加えたものが、国書刊行会から出ている短篇集『デス博士の島その他の物語』というわけだ。

 以上の作品はすばらしいが、未訳の9篇はわざわざ訳すほどの値打ちはない。ウルフのイメージからは想像もつかないほどストレートな宇宙SFもはいっていて、読むとがっかりする人が多いだろう。この9篇は、このまま埋もれさせておいてもかまわないと思う。

 ところで当方がウルフに惹かれるのは、「人間にとって幻想とはなにか」という問題を幻想文学の形で追求している点である。これについては『20世紀SF④ 1970年代 接続された女』(河出文庫)に「デス博士の島その他の物語」を収録したとき、解説にこう書いた――

「SFやファンタジーは、ときに逃避文学だと非難される。だが、人が逃避に走らざるを得ない状況、幻想が唯一の救いとなる状況があるのではないか。ちょうど、マッチ売りの少女がはかない幻影に慰めを求めたように。本篇は、逃避としてのファンタジーが生まれる瞬間をファンタジーの手法でとらえた傑作である」

 逆にいうと、このテーマを追求していないウルフの作品は、当方にとって関心外なのである。(2011年5月7日)


2013.05.06 Mon » 『ウルフ群島』

【前書き】
 以下は2011年5月6日に書いた記事である。誤解なきように。


 尻に火がついたというやつで、ひたすら仕事に追われている。そのせいでSFセミナーにも行けず、若島正氏のジーン・ウルフ講義を聴講できなかったのは残念だった。

 悔しいので蔵書自慢をする。ものはジーン・ウルフの The Wolfe Archipelago (Ziesing Brothers, 1983) だ。

<2011-5-6 (Wolfe)

 すでにいろいろなところで紹介されているとおり、名作「デス博士の島その他の物語」に端を発する連作をまとめた作品集。小出版社の雄だったジージングの刊行物で、薄手の大判ハードカヴァー、限定1200部のうちの1冊である。もっとも、この本は日本にたくさんありそうな気もするが。

 連作といっても、題名が一種の言葉遊びになっているだけで、内容に直接の関連があるわけではない。それでも、まとめて読むと、共通するトーンとテーマが見えてくるあたり、さすが小説巧者というべきか。

 内容は以下のとおり。すべて邦訳があり、国書刊行会から出た『デス博士の島その他の物語』に収録されている――

まえがき(「島の博士の死」)  Foreword (Death of the Island Doctor)
デス博士の島その他の物語  The Island of Dr. Death and Other Stories
アイランド博士の死  The Death of Dr. Island
死の島の博士  The Doctor of Death Island

 リック・デマーコという人のイラストが3枚はいっているが、たいした絵ではないので一枚だけスキャンしておいた。こういう絵です。

2011-5-6 (Wolfe 2)

 さて、嚆矢となった短篇「デス博士の島その他の物語」は、マイ・フェイヴァリットのひとつで、山岸真氏と『20世紀SF』(河出文庫)というアンソロジー・シリーズを共編したとき、第4巻の1970年代篇に収録した。そのあとわが国でウルフ再評価の流れがはじまったわけで、もしあれが呼び水になったとしたら、こんなにうれしいことはない(じっさいの呼び水が『ケルベロス第五の首』だったのは承知している。まあ、言葉の綾です)。

蛇足 
 この作品が最初〈SFマガジン〉に訳載されたとき、楢喜八氏のすばらしいイラストがついていた。みなさまにお見せしたいが、いま手元にないのでスキャンできない。1972年11月号なので、ぜひ探してご覧ください。(2011年5月6日)


2013.05.05 Sun » 『海の鎖』(幻のアンソロジー・シリーズその5)

 ガードナー・ドゾワの傑作「海の鎖」を復活させたくて、それを柱にしたアンソロジーの目次を作ったことがある。テーマは「ファースト・コンタクト」で、題名は『海の鎖』。実現の可能性がゼロになったので(追記参照)、その目次案を公開することにした。

 収録作はつぎのとおり。題名、作者名、発表年、推定枚数の順に記す――

検視  マイクル・シェイ '80 (100)
珊瑚礁にて  アルジス・バドリス '58 (55)
現実からのトリップ  ロバート・シルヴァーバーグ '70 (60)
Down the River  マック・レナルズ '50 (25)
ザ・ジョー・ショウ  テリー・ビッスン '94 (60)
In Translation  リサ・タトル '89 (65)
A Life of Matter and Death  ブライアン・オールディス '90 (65)
海の鎖  ガードナー・ドゾワ '73 (160)

 全590枚。文庫なら370ページくらいか。

 ワースト・コンタクトになってしまう作品ばかり並ぶのは、当方の趣味がゆがんでいるせいだろう。陰気な話ばかりだとなんなので、ビッスンの艶笑譚を入れてある。シルヴァーバーグのドライ・ユーモア作品も同じ路線。
 オールディスの作品は、作者の名前で選んだ。巨大昆虫のような異星人に地球が制圧される話だが、この設定から想像されるような展開にならないのは、いうまでもない。

 前に触れたことがあるが、冒頭の2篇は埋もれさせておくには惜しい。なんとか復活させたいものである。(2008年11月5日)

【追記】
 伊藤典夫編の同題アンソロジーが刊行予定にあがったため。国書刊行会からいつか出るはずなので、気長に待とう。

 上記ビッスンの作品は、ビッスン短篇集『平ら山を越えて』(河出書房新社、2010)に収録した。

2013.05.04 Sat » 『変種第二号』(幻のアンソロジー・シリーズその4)

【前書き】
 以下は2008年10月21日に書いた記事である。誤解なきように。


 2年前に上梓した『地球の静止する日――SF映画原作傑作選』(創元SF文庫)の増刷が決まった。表題作がキアヌ・リーヴス主演でリメイクされ、近日公開となったおかげだが、なんにせよめでたい。協力してもらったみなさんにも、すこしは顔向けできるというものだ。
 ところで、リメイク作の邦題は「地球が静止する日」だそうだ。
 ちなみに「地球の制止する日」という誤記をよく見かけるが、この誤記を見るたびに、地球が暴走してみなが困る顔が頭に浮かんできてしまう(地球は制止する側なので、論理的には矛盾しているのだが)。

 上記アンソロジーが好評で、続編の話が出ればと思って作ったメモがあるので公開しよう。もちろん、そんなことにはならなかったが。

 無版権でやろうと思ったので、古い作品が並ぶ。題名、作者名、発表年、推定枚数、映画化名で記載してあり、配列は発表年代順である。 

花と怪獣  ヘンリー・カットナー  1940 (40) 金星怪獣イーマの襲撃
ヴィンテージ・シーズン  C・L・ムーア  1946 (130) グランド・ツアー
There Shall Be No Darkness  ジェイムズ・ブリッシュ  1950 (105) スリラー・ゲーム/人狼伝説
変種第二号  フィリップ・K・ディック  1953 (125) スクリーマーズ
ヤコブのあつもの  ゼナ・ヘンダースン  1955 (110) 不思議な村
デス・レース2000年  イブ・メルキオール  1956 (30) デス・レース2000年/デスレース(2008)
朝の八時  レイ・ネルスン  1963 (15) ゼイリブ

 当初はロバート・シェクリイの「七番目の犠牲」やジョルジュ・ランジュランの「蠅」を入れようと思ったのだが、版権取得が必要だとわかってあきらめた。

 なお、最初のカットナーの作品は、今回あたらしく追加した。前に書いたとおり、ハリーハウゼン映画の原案だとあとで気づいたからだ。前巻の「ロト」と同じパターンで、原作としてクレジットされてない作品をあえて収録し、問題提起を行なおうという趣向。

 あとは原作も映画もマイナーな作品ばかり。「グランド・ツアー」と「スリラー・ゲーム/人狼伝説」という映画は、当方も見たことがない。
 ブリッシュの作品は、未来を舞台にした狼男もので、芸術家肌で頭脳明晰な狼男の活躍が描かれるのだが、さすがに60年近くも前の作品だけあって、骨董的価値しかない。
 
 というわけで、本としては弱いので、やっぱり新しい作品を入れるしかないのだろうなあ。だれか名案はありますか。(2008年10月21日)

2013.05.03 Fri » 『エントロピー展覧会』(幻のアンソロジー・シリーズその3)

 ニュー・ウェーヴSFのショーケース的なアンソロジーを編んだらどうなるか考えてみた。題名は、コリン・グリーンランドのニュー・ウェーヴ研究書の表題をパクって『エントロピー展覧会』としようか。

「残虐行為展覧会」J・G・バラード '66(20)
「花とロボット」B・W・オールディス '65(15)
The Nature of Catastrophe マイクル・ムアコック '70(20)
「リスの檻」T・M・ディッシュ '66(40)
「宇宙の熱死」パミラ・ゾリーン '67(35)
「旅人の憩い」D・I・マッスン '65(40)
「レンズの眼」ラングドン・ジョーンズ '68(110)
「フレンチー・シュタイナーの堕落」ヒラリー・ベイリー '64(90)
「ビッグ・フラッシュ」ノーマン・スピンラッド '69(70)
「ガラスの小鬼が砕けるように」ハーラン・エリスン '68(25)
「アイオワ州ミルグローヴの詩人たち」ジョン・スラデック '66(20)
「時は準宝石の螺旋のように」S・R・ディレイニー '68(105)
「ニュー・ウェーヴ」クリストファー・プリースト '78(55) *評論

 例によって末尾の括弧内は推定枚数。全645枚。文庫で400ページちょっとか。

 主要な名前はひととおり網羅した。ビッグ・ネームは前衛的な小品でお茶を濁して、ジョーンズ、ベイリー、スピンラッドといったところの力作中篇にページを割き、プリーストの概説で締めるのがミソ。もともとヒラリー・ベイリーの作品を復活させるために考えはじめた企画なのだ。とはいえ、これで一応はニュー・ウェーヴ運動の見取り図は描けるはずだ。
 できればケイト・ウィルヘルムの「サマーセット・ドリーム」を入れたいところだが、115枚もあるので諦めた。なんで諦めなくてはならないのか、自分でも不思議だが、400ページというルールを作った以上しかたないのであった。(2006年6月13日)

2013.05.02 Thu » 『風の王国』(幻のアンソロジー・シリーズその2)

【前書き】
 以下は2006年4月6日に書いた記事である。誤解なきように。


 この時期は気温が高くて風の強い日があると、翌日は花粉症地獄である。花粉の飛散量や、その日の天気とはあまり関係ない。
 そういうわけで、昨日は花粉症が今年二番めのひどさで、なにもできなかった。しかたがないので、前から考えている「風にまつわる幻想小説」アンソロジーをメモにしてみた。題名は『風の王国』としようか。
 以下は目次ではなく、目次作りの前の作業リストである。

第一部〈生きている風〉
「世界を渡る風」フランク・オーエン '25(40枚)
「風の子供」エドモンド・ハミルトン '36(60枚)
「風」レイ・ブラッドベリ '43(30枚)
「わが美しき町」ロバート・A・ハインライン '49(55枚)
Werewind J・マイクル・リーヴズ '81(70枚)

第二部〈狂風世界〉
「発明の母」トム・ゴドウィン '53(150枚)
「風起こる」ロバート・シェクリイ '57(45枚)
「暴風監視官(あらしばん)」マルクス・ハーシュミット (30枚)

第三部〈風に乗る〉*ハングライダーもの
「あらし」G・R・R・マーティン&L・タトル '75(175枚)
「八月の上昇気流」エドワード・ブライアント '81(130枚)

第四部〈風を受ける〉*陸上帆船もの
「オフ・シーズン」レイ・ブラッドベリ '48(35枚)
「希望の海、復讐の帆」J・G・バラード '67(45枚)
「風馬車スミスと火星人」ローレンス・ワット・エヴァンズ '89(30枚)

 ここから取捨選択して1冊にするわけだが、問題点は多い。たとえば、

1 第一部の作品は厳選する要がある。オーエンとブラッドベリはネタがかぶっているので、どちらか片方を落とさねばならないが、相当に迷いそうだ。
2 第二部にバラードの長篇『狂風世界』('62)の抜粋(〈ニュー・ワールズ〉分載の縮約版あり)を載せる手もあるが、第四部と作者がかぶる可能性が出てくる。
3 ハングライダーものや陸上帆船ものは、どちらか片方でいいのではないか。

 などである。目次作りはまだまだ難航しそうだ。アイデアがある方はご一報下さい。(2006年4月6日)

【追記】
 この後、第三部の候補作として―― 

「カイト・マスター」キース・ロバーツ '82(40枚)
「アラクネの血の試練」マイクル・ビショップ '75(70枚)

 を挙げてもらった。アンソロジー作りは、こうやって候補作を集めて、あーだこーだ考えているときがいちばん楽しいのだ。

2013.05.01 Wed » 『アルファ5』

 はじめて買った洋書は、ロバート・シルヴァーバーグの編んだ Alpha 5 (Ballantine, 1974) というアンソロジーだった。
 中学卒業のお祝いに名古屋の丸善に連れていってもらった。生まれてはじめて洋書屋へ行ったわけで、きっと山のように貴重なSFがあるのだろうと思っていた。しかし、回転ラックひとつ分しかなく、『宇宙のランデヴー』が目につくくらいで、がっかりしたことを憶えている。それでも気をとり直して買ったのがこの本だ。

2007-7-29(Alpha 5)

 参考までに目次を書き写しておく――

スターピット  サミュエル・R・ディレイニー
やっぱりきみは最高だ  ケイト・ウィルヘルム
Live, from Berchtesgaden  ジオ・アレック・エフィンジャー
存在の環  P・スカイラー・ミラー
追憶売ります  フィリップ・K・ディック
過去ふたたび  フリッツ・ライバー
A Man Must Die  ジョン・クルート
The Skills of Xanadu  シオドア・スタージョン
特別な朝  ガードナー・ドゾワ

 ちなみに上記の作品のなかで、当時邦訳があったのは、ミラーとディックの作品だけである。
 
 見てのとおり、スペキュラティヴ・フィクション主体の選定で、マニア気どりの若造が、いかにも喜びそうなラインナップ。勇んで買って帰ったはいいが、当然ながら歯が立つわけがなく、けっきょく読みかけては放りだしを繰り返した。
 そして3年後、ふと思いたってライバーの作品を読みはじめたら、最後まで読めてしまったのだ。つまり、それが最初に読み通した英語の小説なのである。

 それにしても、この目次をながめると、当方はこの本の強い影響下にあるようだ。その証拠にウィルヘルムの作品は、山岸真氏と共編したアンソロジー『20世紀SF③ 1960年代 砂の檻』(河出文庫)に収録したし、ドゾワの作品は同人誌に訳出して、その改訳版を〈SFマガジン〉に載せてもらった。まさに「三つ子の魂百まで」である。(2007年7月29日)