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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.05.10 Fri » 「なんでも箱」と「ケンタウルスの死」のこと

【承前】
 いまだからいうが、「逃避としての幻想の意味を幻想小説の形式で追求した作品」というのは、『20世紀SF』(河出文庫)というアンソロジー・シリーズの裏テーマのひとつだった。共編者の山岸真氏にも黙っていたが、第1巻エドモンド・ハミルトン「ベムがいっぱい」、第2巻ゼナ・ヘンダースン「なんでも箱」、第3巻トマス・M・ディッシュ「リスの檻」、第4巻ジーン・ウルフ「デス博士の島その他の物語」、第5巻ジェフ・ライマン「征たれざる国」、第6巻ダン・シモンズ「ケンタウルスの死」は、当方の頭のなかではひとつの流れとして捉えられていたのだ。

 とりわけ「なんでも箱」と「ケンタウルスの死」は、表裏一体のものとして把握されていた。つまり、どちらも生徒と教師の関係を描きながら、「逃避としての幻想」の意味を探っているのに、正反対の結末にいたるからだ。前者の幻想が教師にも生徒にも救いをもたらすの対し、後者はその幻想が木っ端微塵に打ち砕かれるのである。作家の資質のちがいも大きいのだろうが、書かれた時代の差を読みとりたいと思ったのだ。このあいだに「デス博士の島その他の物語」を置けば、そのあたりの事情はもっとはっきりするだろう。

 というわけで、「なんでも箱」、「デス博士の島」、「ケンタウルスの死」という流れはわかりやすいと思うのだが、この点に触れた指摘にはいちども出会っていない。裏テーマなので自分だけわかっていればいいと思っていたが、せっかくの機会なので明らかにしておく。(2011年5月15日)

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