fc2ブログ

SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

2024.01 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 » 2024.03

2012.07.14 Sat » 『恐怖の貌』再読

【承前】
「もしスティーヴン・キングがラヴ・ストーリーを書いたら、出版社は『ホラーの巨匠が贈るラブ・ストーリー』といって宣伝するだろう」――ピーター・ストラウブ

 この前とりあげたダグラス・E・ウィンターによるホラー作家インタヴュー集 Faces of Fear だが、拾い読みをはじめたら面白くて、けっきょく丸ごと読んでしまった。再読といっても、内容はきれいさっぱり忘れていたので、初読と変わらない。

 人選のせいか、ウィンターのインタヴュー術のせいか、作家のネガティヴな感情が如実に出ていて、読んでいて辛いものが多い。
 その最たる例が「映画やTVの仕事なんかするんじゃなかった」と後悔ばかりしているマシスン、「ホラーなんか好きで書いているんじゃない。小説を書くのは芸術のためじゃない」といってはばからないジョン・コインだが、T・E・D・クラインのように消えていってしまった作家の述懐も相当に痛々しい。

 だが、暗い話は書きたくないので、ここではいちばん考えさせられた話を書く。というのは、クライヴ・バーカーが展開するゾンビ論だ。

 バーカーによれば、吸血鬼や狼男といったホラーのシンボルは、もはや力を失っている。そこにはロマンティックな要素がふくまれているが、それらはノスタルジーの対象でしかない。
 
 では、現代にふさわしいホラーのシンボルはなにかといえば、ゾンビである。バーカーはいう――

「狼男はまったくの絵空事――ファンタスティークだ。吸血鬼にはある種のゴシックなエラン(情熱)がそなわっていて、そのせいでわれわれの経験の外にある。だが、ゾンビにはエキゾチックな要素は微塵もない。けっきょく、ゾンビはあなたのお祖母さんであっても不思議はないんだ。彼らにエキゾチズムがあるとしたら、腐敗の段階がわれわれよりひとつ進んでいるという事実くらいだ。
 彼らと話はできない。彼らをなだめすかすことはできない。彼らに対して祈っても無駄。慈悲や同情を求めても無駄。ある意味で、それは虚無なんだ。彼らの目をのぞきこんでも、そこには無しかない。どれほど道理をつくそうと、どれほど泣き叫ぼうと通用しない」

 要するに、ゾンビの本質は「虚無」、すなわち「心がないこと」であり、ゾンビになる可能性はだれにでもあるということだ。したがって、恐怖のシンボルとして機能するのである。

 20年前の意見だが、これは半分あたって半分はずれた。ゾンビに関する考察は的確で、その予想どおりになったが、狼男や吸血鬼も繁栄しつづけたからだ。もっとも、「恐怖」のシンボルではなくなったので、その意味ではバーカーは正しかったといえる。

 つまり、狼男や吸血鬼は、そのロマンティックな要素が抽出され、「恐怖」ではなく「憧憬」、もっといえば「恋愛の対象」のシンボルとなったのだ。まさか狼男や吸血鬼が「かわいそうな人」として女性に愛され、救われるる時代が来るとは、だれに予想できただろう。(2012年4月9日)



スポンサーサイト