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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.02.14 Thu » 浅倉久志先生ご命日

【前書き】
 本日はSF翻訳の偉大な先達、浅倉久志先生のご命日だ。故人を偲んで、先生が逝去された当時の日記を公開する。


 みなさまご存じのとおり、翻訳家の浅倉久志先生が2010年2月14日に永眠された。今日はそのお通夜に行ってきた。

 故人の強い遺志ということで、本当に少人数のお通夜。自分なんか出席していいのかと思ったが、どうしても最後のお別れをいいたかったのだ。
 昨年の夏から体調をかなり悪くされていることは聞いていて、お見舞いに行きたかったのだが、本人が固辞されているそうで、まわりから止められていた。おりしも編纂した〈ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク〉や『時の娘』や『跳躍者の時空』ですばらしい訳文を提供していただいていた時期(追記1参照)。いちど会ってお礼をいわなければならないと思っていた。だから、ものすごく悔いが残っている。

 当方にとって浅倉さんは、偉大な先輩であると同時に、デビューのときに訳稿を添削してくださった大恩人である。アンソロジストとして活動をはじめてからは、どれだけお世話になったか筆舌につくしがたい。どれほど感謝してもしきれないのだ。
 
 浅倉さんとの思い出については、日をあらためて書く(追記2参照)。いまはただひとこと――安らかにお眠りください。(2010年2月17日)


 昨日は浅倉久志先生の告別式に参列してきた。

 天も涙を流しているのか、本格的な降雪。鉄道各線に遅れが出て、午前9時の開始に間に合うかハラハラしたが、どうにか無事に出席できた。

 前日にお別れをしたので、気持ちの整理はつけたつもりだったが、読経が終わって、僧侶が「これから火葬に付されると、この体はなくなります」という意味のことをいったとたん、目頭がカッと熱くなった。世の無常をこれほど痛切に感じたことはない。

 だが、浅倉さんの体がなくなっても、浅倉さんの翻訳がなくなるわけではない。それを伝えていくのが、残された者の使命だろう(追記3参照)。
 といっても、大げさなことではない。浅倉さんの翻訳を読みついで、そのすばらしさを表明すればいいだけの話。英米SFのファンなら、ふつうにやっていることだ。ある方が書いておられたが、浅倉さんの翻訳は「水や空気のようなもの」なのだから。

 行き帰りの電車のなかでは、浅倉さんが大好きだったジャック・ヴァンスの『竜を駆る種族』を読んでいた。浅倉さんの代表的な翻訳といえば、ディックやヴォネガットということになるのだろうが、当方にとってはヴァンスである。
 〈SFマガジン〉が400号記念で再録特集を組んだとき、当方は迷った末にヴァンスの「月の蛾」を推薦した。そのあと浅倉さんにお会いしたとき、「読み返したら、意外に面白かった」とおっしゃられたのをよく憶えている。そのとき当方は、「なにをいってるんですか。大傑作じゃないですか」と返したのだった。いま思うと、冷や汗が出てくる。

 そういう無礼なファンにも、浅倉さんは笑って対応してくださった。あれを見習わねば、といまさらながら思っている。(2010年2月19日)

【追記1】
 浅倉さんの最後の訳業は、〈ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク〉第3巻『メデューサとの出会い』(ハヤカワ文庫SF、2009)に収録された「無慈悲な空」という短篇だった。

【追記2】
 この後、当方は追悼文をふたつ書いた。ひとつは、浅倉先生の追悼特集を大々的に組んだ〈SFマガジン〉2010年8月号に寄せた「ユーモア・スケッチのこと」、もうひとつはファンジン〈科学魔界〉52号(2010年8月)に寄せた「浅倉さんのこと――追悼に代えて」である。

【追記3】
 いま編んでいるアンソロジーに浅倉さんの埋もれていた翻訳を収録する。ロバート・シルヴァーバーグの「マグワンプ4」という短篇で、〈SFマガジン〉1974年7月号に訳載されたきりだったもの。こうした単行本未収録作品を復活させるのが、当方にできる恩返しだと思っている。春に刊行予定だが、詳細は後日。

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