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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.07.15 Mon » 《第二エーテル》シリーズ

【承前】
 1960年代カウンターカルチャー世代のムアコックにとって、「混沌=エントロピー」であり、エントロピーの増大により宇宙/世界/社会/人生が崩壊していくのをいかに食い止めるかがテーマだった。したがって、混沌が勢力をました状況で〈法〉のために戦い、〈均衡〉をとりもどす話ばかり書いていた。

 しかし、本人は反体制の人なので、心情的には〈混沌〉に与しており、そのあたりの葛藤が作品に緊張と陰影をもたらしていた。《エルリック》や《コルム》が傑作となった所以である。

 ところが《第二エーテル》の場合、この関係が逆転している。宇宙に〈単一〉の価値観を押しつけ、すべてを一元的に管理しようとする〈法〉に対して、〈混沌〉、すなわち〈多様性〉がささやかな反逆を試みるというのが、その骨子だからだ。

 ここには80年代の政治状況が透けて見える。サッチャー政権は左翼とそのシンパである知識人をねらい撃ちにする政策をとり、言論の弾圧や新たな課税でぎゅうぎゅうに締め付けた。ムアコックの友人も投獄されたらしい。こうした状況に異を唱えるために《第二エーテル》シリーズは書かれたと思しい。この場合の〈法〉は警察国家とほぼ同義である。

 だが、テーマや主張が立派だからといって、すぐれた文学作品が生まれるわけではない。むしろムアコックは、主張をストレートに出しすぎて墓穴を掘った感がある。

 もうひとつ問題なのは、自分の作品に対して、ムアコックが自覚的になりすぎた点だ。
 これまでのムアコックの作品は、無意識のうちに書かれた自伝であり、本人にもよくわかっていないドロドロしたものが、ファンタシーの形で表現されていた。
 ところが50代にはいって知恵がついたのか、ムアコックは自分の小説技法と精神遍歴を分析し、それを批判的に小説化しようとした。それが《第二エーテル》シリーズだ。したがって、このシリーズはメタフィクションと一種の自伝として書かれている。
 だが、できあがった作品は、非常に図式的で薄っぺらなものになってしまった。すくなくとも、当方には読むのが苦痛であったのだ。

 長くなったので、つづきは明日。(2007年6月8日)
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