FC2ブログ

SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

2018.11 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2019.01

--.--.-- -- » スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013.07.30 Tue » 「お糸」における描写

【承前】
 《女》シリーズの描写はすばらしいが、これみよがしのところがあるのもたしか。その点、傑作「お糸」(1975)では、もっと自然な形で小松左京の美質が発揮されている。
 
 この作品は、江戸時代に1970年代の文物が根付いているという設定で書かれた一種の改変歴史もの。その江戸化された羽田国際空港の描写を引く――

「ひろい入口をはいると、広土間は、見送り、出むかえ、乗船を待つ大勢の人々でごったがえしていた。土間の一方は、乗船の手つづきをする帳場になり、客は帳場格子の前にならんだり、上がり框に腰かけたりしながら、金をはらい、切符を買っている。帳場のむこうでは、鼠唐桟に角帯をきりりとかけ、前垂れをつけた汎米屋の手代小番頭や、空色地矢絣に椎茸髷、黒繻子帯を立て矢の字に結んだ、御殿女中風の女たちが、客の行く先を聞き、便を説明し、手荷物をうけとり、乗客名簿を記入し、切符をわたし、きりきりはたらいている。――女たちの中には、西洋から来たらしい、金髪碧眼の、人形のような女性もいた」

 文章の息の長さに留意されたい。昨日も書いたが、これが作者の思考のリズムであり、息づかいなのである。

 「お糸」の描写は、作品世界の構築と渾然一体になっている。この作品に描かれているのは、理想化された江戸文化であり、日本情緒あふれるユートピア(つまり、どこにもない場所)だが、そのリアリティをささえているのが、なによりも修辞なのだ。これぞ文体の功徳というものだ。

 なぜこういうことをしつこく書くかというと、小松左京の小説を論じるさい、テーマやアイデアといった「書かれている内容」にばかり注目し、「どう書かれているか」を看過した例が多すぎるからだ。それが小説である以上、文体や技法を論じなければ片手落ちなのである。

 ところで、上の例文は書棚からいちばんとりだし易かった本から引いた。その本については、つぎの岩につづく。(2011年8月19日)
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。