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SFスキャナー・ダークリー

英米のSFや怪奇幻想文学の紹介。

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2013.07.29 Mon » 小松左京の描写について

 前回、小松左京の美質のひとつとして「息の長い文章による流麗な描写」をあげた。これは実例をあげないと判りにくいだろうから、現物をお目にかける。

 小松左京が意識的に描写に力を注いだ作品といえば、《女》シリーズにとどめを刺す。なにしろ、頭が古くてSFを受けつけない編集者たちを瞠目させるために、あえて向こうの土俵にあがって、古いタイプの文学的修辞を駆使した作品群なのだ。
 たとえば「流れる女」(1974)から引いてみよう――

「その時、一きわにぎやかな嬌声が入口の所にあがって、女たちから口々にあいさつをうけながら、すらりとした女性がのれんをわけて出て来た。あいさつのうけこたえを聞くと、どうやら妓{おんな}たちの芸事の御師匠さんらしい。が、そんな事よりも、私はその女性の水ぎわだった姿に思わず息をのんだ。――たっぷりの洗い髪に黄楊{つげ}の櫛、黒繻子{くろじゅす}の襟{えり}をかけた眼のさめるような鳶色{とびいろ}縞の黄八丈に黒繻子の帯、肩に朽葉色の地に黒茶と朱の子持ち唐桟{とうざん}の袖半纏{そでばんてん}をひっかけ、今どき珍しい草色呉絽の垢{あか}すりをふちからのぞかせた銅{あか}の小盥{こたらい}を胸もとにかかえ、足もとはむろん、湯上りの桜色に上気した素足に塗りの駒下駄、紅をさしたとも見えぬのに見事に赤い唇のはしに、紅絹{もみ}の糠袋をくわえて、色あせた紺のれんをすいとくぐって出てきた所は、まるで源氏店のお富で――ないものといえば、下女に蛇の目傘ぐらいだった」

 引用はハルキ文庫『くだんのはは』(1999)所収のものより。
 さて、最初のダッシュ以降が、たったひとつの文章であることに留意されたい。「息の長い文章」とはこのことで、これは作者の思考のリズムを反映している。このねばり強い思考が、小松左京の持ち味なのだ。文芸作品を読む醍醐味は、本来こうした「文体」の妙味を味わうことにある。

 正直いって、当方にも着物は半分もイメージできないのだが、それでも文章のリズムの心地よさで楽しく読める。体言止めがふたつつづいたあと、「け」「え」と連用形がつづき、また体言止めが出てくるあたりの呼吸が絶妙だ。最後にさらりと歌舞伎への言及があるが、これはかろうじて判る。要するに、この文章を存分に味わうには、それ相応の素養が必要なのである。

 だが、こうした描写はストーリーの運びには直接の関係がない。したがって、いまの多くの読者には「読むのが面倒」という理由で敬遠されるだろう。彼らにとって大事なのはストーリーと会話であって、それ以外の「文彩」は、夾雑物なのである(こうした描写を最初からイラストにあずけてしまったのが、今風の小説といえるかもしれない)。
 
 ありゃ、「お糸」からも例を引こうと思ったが、長くなってしまったので、つぎの岩につづく。(2011年8月18日)

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